「……スタジオ大黒天の、黒山と柊です」
車に揺られること、数十分。到着したのは、本当に撮影スタジオだった。
わたしは景ちゃんと並んで、二人の人物と向き合っている。
ひげのおじちゃん……本当に映画監督だった、黒山墨字。
そして、制作担当だという柊雪さん。
はじめは半信半疑だったけど、こうして名刺を出されて、しかも多くの撮影スタッフが出入りしている撮影スタジオにまで案内されてしまうと、これはもう手の込んだいたずらとかそういうレベルではない。
「結愛ちゃん……信じていいのかしら、この人達」
「うん。まあ、いくらなんでも撮影スタジオを監禁場所に選ぶ誘拐犯なんているわけないし。一応、信用してもいいんじゃないかな?」
「はい……そうなんです。このヒゲがあやしくて信用できないかもしれないけど、小さくてもちゃんとした会社なんです……!」
制作の
さっきからひげのおじちゃんの頭を掴んで「ほら、急に連れてきたこと謝ってください」「やだ」「謝れ」「やだ」「この子にうちの事務所入ってほしいんでしょ!?」「うん。でもいやだからあやまらない」「ヒゲガキいい加減にしろよ!? ていうか隣りの子は誰!?」「ついでに連れてきた」「ついでってなんだぁ!? だからそれが誘拐だって言ってるんでしょうが!」と、バチバチにやり合っている。多分、普段からこんな感じですごく苦労しているのだろう。大変そうだ。
「いやぁ……それにしてもまさか、おじちゃんが目をつけていた女優が景ちゃんだったなんてねぇ……ほんと、びっくりだよ」
「まったくだ」
「まあ、景ちゃんは見ての通り美人さんだし? 演技力すごいし? 間違いなくこれから大ヒットする女優になるからね。おじちゃん、『金の卵』を見る目はあるみたいだね」
「やめて、結愛ちゃん。そんなに褒められると照れるわ」
「目の前で乳繰り合ってんじゃねーよ。本題に入れないだろうが」
わたしと景ちゃんがイチャイチャするのを邪魔するなんて本来は重罪だけど、たしかにおじちゃんの言う通り、セットや撮影の準備をしているスタッフさん達をこれ以上待たせるわけにはいかない。
「それで? おじちゃん。今日やるのはCM撮影だっけ?」
「ああ。そうだ。『父の日にシチューを』っていう、新発売のシチューのウェブCMだよ」
ひげのおじちゃんの説明曰く。
はじめて一人でキッチンに立った一人の少女が、仕事から帰ってくる父親のために慣れない手つきで料理を作っている。喜ぶ父親の笑顔を思い浮かべながら、味見をして顔をほころばせる……そんなシチュエーションらしい。
「なるほどなるほど。すっごくありがちな感じだね」
「わかるか、配信少女。しょうもない企画だが、CMだからな。金になる」
「墨字さん? うしろにプロデューサーとクライアントいるんだよ? マジで言葉選べ」
雪さんは言葉を選ばずに、力でひげのおじちゃんのほほをつねっている。
一回りも年が離れている部下にほっぺたを引っ張られている姿は、威厳の欠片もないけど、しかしこのおじちゃんの監督としての名声は本物だ。こっそりスマホでググってみた結果『黒山墨字』という名前は、どうやら国内よりも国外で評価されているらしい。
「どうする、景ちゃん? 経緯はどうあれ、デビューのチャンスが転がり込んできたよ」
「デビューのチャンスは嬉しいけど、私……この人が生理的に受け付けないわ」
「あー、わかる」
「わかるわ~」
「なんでお前ら頷いてんだ? そこは俺をフォローしろよ」
「え~、だって……ねぇ?」
「そうだよねぇ」
景ちゃんだけでなく、雪さんとも「うんうん」と頷き合う。なんだか、この人とは仲良くなれそうだ。
とはいえ、ここまで来て「じゃあ帰ります」と言うのは、さすがにおじちゃんの面目が丸潰れだろう。
「おじちゃん」
「なんだ?」
「ギャラとかどれくらい貰えるの?」
「ん? そりゃウェブとはいえ、企業CMだからな。これくらいは固いぞ」
お金の話は大事である。
提示された金額は、なかなかの額だ。わたしだけ確認して良かった。景ちゃんが見たらひっくり返っているだろう。少なくとも、デビュー前の役者に支払われる金額としては破格なのは間違いない。
「景ちゃんの所属は、これからおじちゃんのスタジオ……『大黒天』になるってことでOK?」
「そういうことになるな」
「契約書とか、今ある?」
「あ? 今日は持って来てな……」
「はい! 一応こちらに!」
「……なんでお前そんなもん持ってきてんだ?」
「アンタが新しい俳優連れてくるって言ったから私が用意してきたんです!」
……おじちゃんはいろいろとあやしさが拭えないけど、雪さんはしっかりしてそうだ。ざっと書類を見てみても、不審な点や不明瞭な部分はない。あとで、プロデューサーにでも送ってチェックしてもらおう。あの人、こういうことだけはめちゃくちゃ役に立つし。
わたしは、景ちゃんの肩にそっと手を添えた。
「景ちゃん。やってみてもいいんじゃないかな?」
「……そうね。わかったわ」
すくっと。立ち上がった景ちゃんは、ゴムで髪を結わえた。
「あの大きなリカちゃんハウス……セットの上で料理を作ればいいのね?」
「ああ、そうだ」
景ちゃんの、記念すべき初仕事、初演技。
どんな形であれ、親友の晴れ舞台は必ずこの目でみて応援しよう、と。そう思っていたけれど、まさかこんな特等席で景ちゃんのCM撮影を見学することができるなんて。それだけは、ひげのおじちゃんに深く感謝してもいいかもしれない。
きっと、景ちゃんは素晴らしい演技でみんなの度肝を抜いてくれるに違いない。楽しみだなぁ……
そう思っていた時期がわたしにもありました。
景ちゃんは、たしかにスタッフさんやクライアントさんの度肝を抜いた。
ただし、演技ではなく、調理技術で、だ。
「達人かお前は!?」
おじちゃんがキレた。
「俺は『はじめて一人でキッチンに立った少女の役』をやれって言っただろうが! なんでそんなに手際よくシチュー作ってんだ!? 真剣にやれよ!」
「真剣よ!? 味見してみる?」
「真剣に演じろって意味だよ! 真剣に作れとは言ってねえ!」
繰り返しになるけど、景ちゃんの得意なことは『料理』である。
「どれどれ……うわっ! さすが景ちゃん! おいしい!」
「ふふっ……でしょう? この新商品、いいわね。レイとルイにも食べさせてあげたいわ」
「お前もなに味見してんだ!? ええい……くそっ……」
ガシガシと頭をかいて、おじちゃんは景ちゃんのシチューをほおばっているわたしを指差した。
「配信少女! お前、ちょっと代われ!」
「はい?」
思わぬご指名に、スプーンをくわえたまま首を傾げる。
「そこのバカと代わって、手本見せてやれ。できるだろ、お前」
「ちょっと墨字さん!?」
「はぁ……? そりゃあ、やれと言われればやりますけど……」
「ちょ!? ええ!?」
ただでさえテンパっていた雪さんが、おじちゃんのとんでもない提案に目を回しそうになっている。
ふむ……景ちゃんのお料理教室のせいで、スタジオの空気は弛緩気味。おまけに、うしろで見ているメガネの人とハゲのおじさん……プロデューサーさんとクライアントさんかな? 進まない撮影に、かなりイラついているご様子だ。どうせおじちゃんのことだから「どうしても新人を使いたい」なんて言って、景ちゃんを無理やりキャスティングしたんだろう。このままだと、景ちゃんのデビューが悪いイメージでいっぱいになってしまう。それはわたしとしても、非常によろしくない。
……よし。一肌脱ぎますか。
「景ちゃん、ヘアゴムかして」
「え? 美術さんに言えば……」
「景ちゃんのがいいの」
「……わかった」
景ちゃんは、高めの位置で髪をまとめてポニーテールを作っていた。イメージが被らないように、自分の髪留めも使って、髪を後ろで織り込むようにまとめた。ついでに前髪もヘアピンで軽く上げる。
「おじちゃん」
「なんだ?」
「わたし、高いよ?」
「さっきのと同じ値段出してやるよ」
「太っ腹だね~。じゃあ、ちょっとがんばってみるよ」
すぅ、と。
大きく息を吸い込んで、叫ぶくらいの勢いで。発声した。
「夜凪景に代わって入ります!万宵結愛です! よろしくお願いします!」
人間は、音を発するものに視線を向ける。
瞬間、緩んでいたスタジオの空気が引き締まるのを。わたしは文字通り、肌で感じた。
注目は得た。空気と意識も引き締めた。
わたしは、景ちゃんみたいにメソッド演技をすることはできない。『過去の自分』を引き出せるわけじゃないし、あそこまで役に入り込むことはできない。
だから、引き出そう。
吸い取ろう。
フィードバックしよう。
でなければ、わたしは輝くことができないから。
わたしを見詰める、すべての人達の感情を。どんな些細なものでも、見逃さないように。
「さて、と」
カメラの位置は確認した。配置も角度も完璧だ。これに関しては、さすがおじちゃんと言うべきか。
「……」
キッチンの前に立つ。
──まずは、軸を決める。
メインはやはり、ひげのおじちゃん。スタッフさん達を取り仕切っている、雪さん。カメラさんからも、重点的に拾い上げることにして……あとは、やっぱりプロデューサーさんとクライアントさん、かな?
最初はこの二人に。
△▼△▼
スタジオ大黒天、美人制作(自称)の柊雪は混乱していた。
黒山墨字が勝手なのは、いつものことだ。雪が持ってきた仕事もいつのまにか断るし、給料の振り込みが遅れたことだって一度や二度ではない。
だが、映像を撮る演出家としての技術と、役者をみる目だけは、絶対に確かだ。
そんな黒山が『金の卵』と称して、素人の役者を引っ張ってきた。それだけでも普通なら考えられないことなのに、今度はその『金の卵』を下げて、別の素人を撮影にあげてねじ込んだ。
正直、意味がわからない。常識外れにも程がある。
ただ、なんとなく。あの万宵結愛という少女が普通とは違う雰囲気を持っていることは、雪にもわかった。
「墨字さん……なんか、あの子すごいですね。これだけカメラ向けられているのに、物怖じしないし。見られることになれているっていうか」
「そりゃ、普段から万単位の人間に見られてるからな」
「え?」
そういえば。
夜凪景が飛び抜けて美人なせいだろうか。なんとなく注意が逸れていたけれど。
あの明るい笑顔、どこかで見たことがあるような……?
「柊。時間も押してる。テストなしの一発でやれ」
「はぁ!? 正気ですか!? これで失敗したら今度こそプロデューサーとクライアントが……」
「いいんだよ。あいつには一発撮りの方が合ってる。うるさいプロデューサーとクライアントを説得する方法はもう考えてあるし、それに……」
「……それに?」
カンヌ。
ベルリン。
ヴェネツィア。
世界三大映画祭、すべてに入賞経験を持つ映画監督。
黒山墨字は、確信めいた口調で言い切った。
「あいつの演技を見れば、すぐに黙る」
黒山は笑う。
金の卵を拾ってきた。割ってみたら、黄身が二つも入っていた。
もしかしたら自分は、とんでもない幸運に恵まれたのかもしれない。
今週のアクタージュヤバすぎて死にましたね。公式が最大の供給源