それは、派手な演技だった。
包丁を握る手はぎこちなく、うっかり指を切ってしまいそうな危うさは……けれど、見る者の庇護欲をかきたてるような愛らしさに満ちていて。
食材を冷蔵庫から取り出し忘れて、慌てて戻り。
沸騰したお湯に、びっくりして振り向き。
味見した結果に、その場で小さくガッツポーズをする。
ステップを踏むように軽やかに、勢い良く。狭いスペースしかない台所を
万宵結愛の演技に、スタジオ全員の視線が釘付けになっていた。
「……すごい」
「撮り逃すなよ」
黒山から注意を受けて、雪は意識を引き締め直した。きっと、その姿を追うカメラのスタッフも、同じ思いに違いない。
結愛の演技は、別人のように何かが変化したわけではなかった。等身大の美少女がそこにいて、調理をしている。言ってしまえば、ただそれだけのこと。
最初は、どこかぎこちなさがあった。しかし、その『ぎこちなさ』すらも「父親のために慣れない料理を作る少女」というシチュエーションにうまく組み込んで、昇華した。リアルタイムで、カメラの撮影範囲やそこに写る自分の姿を、的確に確実に、信じ難い精度で修正している。
それだけではない。
優れた外見は、役者の強さだ。はじめての撮影で、結愛は自身のそれを一切疑っていなかった。
その証拠に、表情がいい。
明るく、笑顔で。外見の愛らしさを最大限に活かした、自信に満ち溢れた所作が心を引きつけて離さない。
派手な演技は、一歩間違えば見る者の心を冷めさせる。媚びている、と言われるかもしれない。
しかし、カメラの中で踊る少女は
黒山は呟いた。
「……火加減の調節が絶妙だな」
シチューが完成する頃には、冷え切っていたスタジオの空気も温かく煮込まれていた。
★★★★
「カット! オーケーです!」
「カッート!」
「おーけぃ!」
終了の合図に、ほっと息を吐く。
「ありがとうございました」
にゃあー、疲れたぁー。
いつもよりも『見る人』の人数が少ないから楽勝だぜ~!なんて思ってたけど、やっぱり配信と撮影はいろいろと勝手が違う。まず、全身を撮られるから意識しなきゃいけない動きや所作がぐっと増えるのがしんどい。カメラを通して刺さってくる感情も、一ヶ所からじゃなくていろんな方向からくるし。
でも、あれだね。こういう形式の撮影だと、カメラさんの感情をキャッチすることが、そのまま『自分の映える角度や見え方』を探ることに繋がるから、それは大きな発見だったかな。
普段は自分で撮ってばっかりだけど、撮ってもらうっていうのも悪くない。
「あっちこっちに、忙しなく動き回る演技だったな」
いつの間にか近くに来ていたひげのおっちゃんが、ペットボトルに入ったスポーツドリンクを渡してくれた。
「普段は顔と声だけで売っているだけあって、やっぱり身体を使った細かい演技は苦手か? 大きく動いてごまかしてただろ、配信少女」
わあ、すっごい。
あれを見ただけでそこまで読み取るなんて、このおじちゃん、ほんとに有能だ。
でも、そういう言われ方をするのは、ちょっとイラっとする。わたしだって、何も考えずに派手な演技をしたわけじゃない。
「心外だなぁ。全身をくまなく写すカメラの前に立ったのは、たしかにこれがはじめてだけど……わたしだって、ちゃんと空気読んで、あの2人にわかりやすく演じたんだよ?」
すっかり上機嫌になっているプロデューサーさんとクライアントさんをバレないように指差すと、おじちゃんは少し驚いたように固まって、それから鼻を鳴らした。
「なんだお前、そんないらんとこまで気を遣って
「いやいやいや、めちゃくちゃ大事でしょ。これで景ちゃんのデビューがぶっ潰れたら、わたし……おじちゃんのこと、絶対ゆるさないからね」
「わかってるよ、うるせえな。ちゃんとそれについては考えてある」
と、噂をすればなんとやら。
プロデューサーさんはメガネを指で押し上げて。クライアントさんは興奮でかいた汗をハンカチでふきふきしながら、こっちに来た。
「黒山! そっちの子、とてもいいじゃないか!」
「きみ、名前は?」
「あ、万宵結愛です。普段は配信者とかやってます」
愛想はよく。でも挨拶はほどほどに、おっちゃんをちらりと横目で見やる。
「配信者……? 最近流行りの業界から引っ張ってきたのか? やるじゃないか黒山!」
「ええ、まあ」
「最初の子よりも、よかったじゃないか。今日はこれで……」
「いや、それは待ってください。もう一本、さっきのヤツに撮らせるんで」
上機嫌なクライアントさんに、おっちゃんは淡々と釘を刺した。途端に、プロデューサーさんが難色を示す。
「……しかし、黒山。いい映像は充分撮れただろう。今さら、さっきの子に拘らなくても……」
「そうだ! わしはさっきの子よりもそこの万宵さんの方がよかったぞ! リテイクをかけてさっきの子で撮っても、わしは万宵さんをCMに使いたい!」
うわぁ……ちょっと媚び過ぎたか?
このクライアントさん、気持ち悪いハゲオヤジだと思っていたけど、景ちゃんよりもわたしの方がいいだなんて……本当に見る目がないハゲオヤジだなぁ。ケツを蹴り飛ばしくなるね。
「ああ、それはご心配なく。CMは二本撮影します」
わたしが汚いケツを蹴り飛ばす前に。おじちゃんが即答した。
「な……二本!?」
「ええ。二本ともきっちり編集して納品しますよ」
「むぅ、それなら、まあ……いやしかし、これ以上金を出すのは……」
「ギャラは、元々の金額のままで結構。コイツの分の支払いは、うちのスタジオが持ちますんで」
あら、おじちゃん。ほんとに太っ腹だ。
「ちょっと墨字さん!? なに勝手に話進めてるんですか!?」
「うるせえ! いいからもう一本撮る準備させろ!」
それから、と。おじちゃんはわたしの方にも向き直って、
「お前も働け配信少女! 夜凪にアドバイスしてこい!」
「えー、それおじちゃんでもできるしょ」
「そこまでがお前の今日の仕事だ。いいからさっさとしろ」
太っ腹だけど、やっぱり横暴だ。まあ、仕方ない。
「景ちゃん」
「……結愛ちゃん」
「どうだった? わたしの撮影」
「すごかったわ」
「ふっふ~。景ちゃんに褒められると嬉しいなぁ……」
「……でも、わたしはあんな風には演じられない。だって、父親のために料理を作ったことなんてないんだもの」
瞳が、深く落ち込む。
景ちゃんの演技は『思い出す』ことだ。メソッド演技は、過去の自分の感情を、自在に現在に蘇らせる技術だ。戻るべき過去がなければ、景ちゃんは演技をすることはできない。
「結愛ちゃんは、どうやってあんな風に演じたの?」
「わたしは、本を読むのが好きだからさ。さっきの演技も、なんとなく今まで読んだ本の中から、求められている演技に近い感情とか描写を、拾ってきただけなんだよね」
まさか人の感情がわかる、なんて言えないので、適当にそれっぽいことを言って返す。景ちゃんは、あまり納得していない様子だ。まあ、それはそうだろう。
だから、わたしの演技は上辺を取り繕っているだけなのだ。魔法みたいな力に頼りきった、ひどい偽物だから。この髪を束ねているゴムみたいに、何かの拍子でバラバラにほどけてしまう。
でも、景ちゃんの演技は違う。景ちゃんの演技は、本物だ。
「お父さんにシチューが作れないなら……わたしのために、シチューを作ってよ」
「結愛ちゃんのために……?」
「うん。わたし、景ちゃんのシチュー食べたいな」
ヘアゴムを、ほどいて渡す。
「……わかった。みててね、結愛ちゃん」
「うん。みてるよ、景ちゃん」
わたしが作ったシチューがきれいに片付けられて、キッチンがまっさらの状態になって。再び、カチンコの音が鳴る。時間もない。景ちゃんのこの撮影も、わたしと同じ一発撮りだ。
「よぉーい!」
景ちゃんは、すぐに深く潜った。
一目見て、わかる。先ほどまでとはまるで別人のような、ぎこちない手つき。自信なんてない。余裕なんてない。不安で一杯の顔つきで包丁を握る手に、ハラハラしてしまう。案の定、指先を切って景ちゃんは肩を震わせた。
でも、すぐに笑ってごまかした。
その強がりを、わたしはよく知っている。ルイくんやレイちゃん以外に、血のつながった兄弟以外で、わたしだけが知っている。今、調理をしているのは『お母さんが死んだ直後の景ちゃん』だ。
繊細で、艶やかで、美しい。染み入るように心に伝わってくる。静かな演技。
わたしの大好きな、時間を忘れて夢中にさせてくれる、景ちゃんの演技。
「お前、夜凪と被らないように演じただろ。静と動。自分の演技と対照的になるように、自分の後に演じる夜凪が、もっと映えるように演技の方向性を調整したな?」
またいつの間にか隣に来ていたおじちゃんが、知ったようなことを言ってきた。
「そんなの、偶然だよ。ただ純粋に、わたしの演技なんかより、景ちゃんの演技の方がすごいってだけ」
「……まあ、べつにいいけどな。一つ、聞いていいか? 配信少女」
「なに?」
「夜凪がお前のために最初に作った料理って、なんだったんだ?」
景ちゃんがはじめて包丁を握って、作った料理はカレーライスだ。レイちゃんとルイくんのために、一生懸命作っていた。
でも、わたしのために。わたしのためだけに、作ってくれた料理は──
「──教えないよ。なんで、おじちゃんにそんなこと言わなきゃいけないの?」
「……お前、意外とケチなんだな」
当たり前だ。
あの味は、あの横顔は、あの感情は。わたしだけのものなんだから。
「カット!」
「OKだ!」
「シチューがマジで焦げてる! これは別撮りだ!」
撮影が、終わる。
景ちゃんがキッチンのセットから降りる前に。わたしはカットがかかるのと同時にキッチンの中へ飛び込んで、景ちゃんに抱きついた。
「景ちゃん! すっごいよかったよー!」
「結愛ちゃん!?」
「これ、味見していい?」
「え? ちょ、ちょっとまって! それ、本当に焦げているから食べられな……」
景ちゃんを抱きしめてホールドしたまま、わたしはこっそりと持ち込んでいたスプーンを取り出して、焦げ臭い鍋に突っ込んだ。スプーンに山盛りになったそれを、躊躇なく口の中に運ぶ。
「うわぁ……にっがい」
「当たり前でしょ!?」
「でも、おいしいよ」
耐え難い苦味と雑味を、念入りに味わって舌の上で転がして。ゆっくりと飲み込む。
これは、景ちゃんがわたしのために作ってくれたシチューだから。
焦げてても、苦くても、まずいわけがないのだ。
「……結愛ちゃん、今日も晩ごはん食べにきて」
「いいの?」
「ええ。もっとおいしいシチューをご馳走するわ」
帰りの車の中でも、景ちゃんはずっと撮影した映像の素材を見ていた。
「いつまで素材見て笑ってんだよ気持ち悪い」
「わ、笑ってないわよ! 結愛ちゃんも私もかわいいなーって、見てただけよ!」
「けいちゃんもゆあちゃんも、カメラ前で演じたのはじめてだったもんねー。いや、ほんとにすごいよ」
ハンドルを握る雪さんと、その隣りの助手席で偉そうに腕を組んでいるおじちゃんが、茶化してくる。
わたしは、あらためて隣に座る景ちゃんに聞いてみた。
「景ちゃん、はじめての撮影、どうだった?」
「……驚いたわ」
「驚いた?」
「うん」
ゆったりと。はにかむように。
景ちゃんは、笑った。
「私って、思っていたより綺麗なのね」
ああ、気づいてしまった。
わたしの幼馴染が、自分の価値に、気づいてしまった。
おじちゃんは、優秀だ。きっとこれから、景ちゃんはどんどん忙しくなって、どんどん世間に知られるようになっていくだろう。
景ちゃんのデビューは、とても喜ばしい。幼馴染として、親友として、心の底から祝福してあげたい。その気持ちに、噓偽りはない。
「……うん。わたしは、ずっと前から知っていたよ」
けれど、このキレイな笑顔が、わたしだけのものでなくなってしまうのが。
少しだけ、惜しい。
「は? あんな半端な芝居しといて、何が綺麗だ? ナルシストきわめてんのか? バーカ」
「な、何よその言い方!?」
「そうだよおじちゃん! わたしの景ちゃんはキレイだよ!」
「結愛ちゃん、抱きつかないで。暑いわ。でもありがとう。うれしい。結愛ちゃんもかわいかった」
「ええ~? わたしなんかよりも、景ちゃんの方がかわいいよー」
「けっ……幼馴染のお世辞、真に受けて浮かれんなバァカ! お前らの才能はあんなもんじゃねぇんだよ! 勝手に満足して自惚れるなよ!」
「何よそれ! ツンとデレどっちよ!?」
「ツンだよ!」
「おじちゃーん。今時、ひげのツンもデレも需要ないよ? やめといた方がいいよ」
「なんだと?」
「暴れんなお前らぁ!」
雪さんの一喝で、わたしたちは肩を竦めて黙った。修学旅行のバスの中みたいだ。
「あ、そういえば、ひげのおじちゃん」
「なんだ? どうした」
「いやほら。忘れない内に、わたしのCMの話、ちゃんとしておこうと思って」
「ああ、心配すんな。お前の分も編集はちゃんとやるし、納品する。ギャラもきっちり払ってやる」
「いや、そうじゃなくて。わたしを撮影とかに使うなら、わたしのプロデューサーに話通してほしいんだよね」
「プロデューサーぁ?」
「うん。お給料の話とかも、この人にお願い。基本的に、全部任せてあるから」
前に身を乗り出して、おじちゃんにプロデューサーの名刺を渡す。
そこに記された名前を見たおじちゃんは、なぜかそのまま動かなくなった。
「………………」
「どうしたの、おじちゃん? この世の終わりみたいな顔になってるよ」