3話
黎明に咲く花 3話
ゆきどまりの路地に、一人の男が佇んでいた。白髪に顎髭を薄く伸ばし、白いスーツに身を包んだ長身。
エキシビションマッチにて名勝負を繰り広げた、彼と容姿風態は同じくするものの纏う雰囲気はインタビューや試合時のものと大幅に趣を異にする。
しかし彼は間違いなくロム本人だった。
「やってらんねー‼︎」
拳を握りしめる。あの勤勉な社長様は休日という概念をお持ちでないらしい。べつにそれをひとりでやるんならご立派なことだが、奴めそれを俺にまで押しつけやがる。
「ホワイト企業って意味知ってんのかっ‼︎てテメーのはどー考えたってブラックだろうがよっ‼︎」
握りしめた拳に、思いの丈のすべてを込めて眼前の壁に振り抜く。
その思いが届いたのだろうか。木製のしっかりしたつくりに見えた塀はあっさりと弾け飛び、人気も無く深閑とした通りをやや大袈裟にこだました。
「まずい」
波打つ心臓を無視し、ロムは息を潜める。俺は路傍の小石であると、全身で断固たる主張をするロムはもはや小石なのではないだろうか?
意識の間隙をつく、ロムの十八番だ。
しかし今回は相手が悪かったようだ。複数の足音が重なって響く。追手だ。
今のではっきりしたが、今回の逃走で動員されている人員は相当なものだ。つまりはいつもよりもまた、更に厄介極まる面倒ごとを奴は押し付けようとしているということ。
当然、逃げる。それしかない。
だが、道は行き止まりで、まさに袋の鼠だ。
先程破壊した木製の塀も一部が破損しただけで、その裏手は周囲と同じコンクリートであるし、打開策にはなりえない。
そう。逃げ場はなかった。
しかしながら、彼はSMCトッププレイヤーである。ゲーム版のものと違い、拡張現実空感上で動かすのは彼自身の肉体である。だからと言って普通は日常生活でもそれに近いパフォーマンスを出せることはありえないのだが……彼は彼の副業由来のものもあり。それが可能だった。無論その腕を買われて休日も裏の仕事を与えられているのだから非肉ではあったが。
とにかく、現状を打開すべく、一転彼はそびえる壁に向き直った。ほとんど垂直だが、しかし。
「ほっ‼︎」
助走をつけ、木の塀を足がかりに、コンクリの突起、排雨孔など行き止まりの三辺の壁についたわずかな凹凸を辿って登っていく。
瞬く間に壁を登り切ったロムは腕を組み、眼下を眺める。「破砕音が!」「社長、こちらです」そういった声が聞こえた。もう、ほんの数秒で追っ手は現れるようだった。
「悪いな。スズカ」
捨て台詞のようにそう呟くなり、音もなく裏側に消える。
追手が数人辿りついた時には既に影も形もなくなっていた。
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「えー、特異点戦争時において」
教師の間延びした声が響く。三時限目も後半に差し掛かり、これが終われば昼休みと気合を入れ直す者もいれば、既に机に突っ伏し、ただ静かに待つ者もいる。賢者だ。
「各国は総力を上げて破壊兵器の開発に取り組み、そして投入した」
僕はといえば窓側席の特権、外を見るを発動していた。先生の話す内容はほぼ全てタブレットに網羅されている。実際、板書の内容をnote機能に書き留めている者などごく少数だ。
僕もノートを用意はしてはいるが、気になった点や落書き程度でほぼ白紙の状態。
……昨日の試合、凄かったな。
まるで呑み込まれる様に没頭してしまっていた。画面上の時刻表示に気が付き、いつもの数本後の電車に飛び込めなければ遅刻していたくらいだ。
まあ、ギリギリな時点で受験を来年に控えたクラスメイトたちからの視線は冷ややかなものだったが。
「その中のひと握りは、現在SM(スターメカ)と呼ばれるものの雛形となっている程だ」
チョークで黒板を叩く音が、静かな教室に響く。
歴史の先生は少し特殊で悪くいえば浮いている。プロジェクターを使わず、毎回重い黒板を引きずってはチョークで板書する。
粉まみれの指が女子に嫌がられていることを本人は知っているのか知らないのか……なんでも、北高の昔からの教師だそうだ。歴史についての造詣は他の追随を許さぬ権威であり、注意もしづらいらしい。
なぜだか、この老教師のあり方が好きで、今では少数のマニアのためだけに限定生産されているアナログノートや単語帳を骨董品屋で購入している。
そういえばこの歴史用のノートも残り数ページだ。買いに行かないと。
とはいえ、授業内容全てに精力もって取り組み、耳を傾けられるかといえばそういう訳でもなく─老教師の授業姿勢にも問題があるといえばあるのだが─今現在は絶賛、青く透明な空を見上げている、といったところだった。
「中でも特異《イレギュラー》と呼ばれたものの破壊力は凄まじい」
帰宅後、急いで配信記録を探した。
あの街頭での試合はダイジェスト報道のようなものだったらしく、より仔細に観戦することができた。一時間半にも及ぶ戦闘の空気感に圧倒された。熱中という言葉の意味を知った。
何かにハマる、という経験を僕はこの年まで出来ていなかったのかも知れない。
同時に毒だとも思った。大学受験へ向けて勉強すべきなのだ。もっと早く出会っていたかった。叶うのならば僕もあの場に立ってみたかった。
でもあの舞台に立つ彼らは、才能があって、その上努力もした人たちの、さらに一握り。今からやって出来るわけがないし、第一親が許すはずもないだろう。
「それら《イレギュラー》を駆る宗教団体が、世界を混乱に陥れたと言われている」
「その教団の名前は抹消されており残っていないが……当時の遺構で出土した銀合金の一辺を繋がれた特殊十字…私には十字というよりXに見えるのだが……」
「とにかくソレが、その教団のシンボル、象徴としての徽章だったと思われる」
老教師の口調が、やる気のない教師から研究者のものへと変わった。
自らの中で咀嚼するかのように、一言一言をゆっくりと綴る彼の言葉。
僕の好きな話し方だ。そこには引き込まれるものがあり、一言一句聞き逃すまいと目を閉じて記憶する。
特異点戦争。数百年前に実際に起こった……と、言われている戦いの歴史。数百年前という歴史学上では僅かな時間を遡っただけの出来事だがというのに、実際の真相は驚く程に不透明だ。
確実に分かっているのは数百年前に特異点と呼ばれる技術革新や、そこで造られた機体そのものが現れたことによる、戦争の激化。
そしてその結果世界が滅亡寸前にまで追い込まれたということだけ。
僅かに残る当時の資料や遺物から各国の研究者が提携し研究を行ってはいるが、その進行は遅々としている。つまりは、あまりにも文献や伝承が少ないのだ。まるで隠蔽されたかのように、特異点戦争周辺の歴史だけがすっぽりと抜け落ちている。もはや特異点戦争自体なかったのではという学説まで支持されるほど。
まことしやかに噂されるものも大半が眉唾だ。地を割り砕く剣気、山を穿つ連射砲、星を堕とす砲撃、エトセトラ。
しまいには、それらの圧倒的破壊力を束ねても構わない“最凶”の機体もいたなどとのたまう始末。馬鹿げている。
数百年もの過去に現在水準をそこまで大幅に上回るロボットが作られたとも考えにくいし、第一そのようなものが実在したとしたら、ここ地球はあっという間に粉微塵になっているはずじゃないか。結局はそういうことだろう。
それでもやはり、それだけの力が跋扈しておきながらほとんど内容が掴めていないことにそこはかとなく薄ら寒さを感じたところで、終業のチャイムがなったのだった。