死ぬのが嫌なので防御力に極振りしたいと思います 作:くぼさちや
皆さんの注目はアスナとメイプルがいつキリトをめぐって修羅場を迎えるかでもちきり(笑)
それはソードアートオンラインの正式サービスが始まって一ヶ月が過ぎた日のこと。
長らく第一層の攻略が進められた中、ようやく迷宮区の最上階でボスの部屋が発見され、その翌日にはこの世界で最初のフロアボス攻略会議が催された。
元βテスターが一般プレイヤーから強い風あたりを受けていた当時、β上がりであることを隠して初のボス攻略戦に参加したキリトだったが、実はそこにもう一人、ティアベルという名の元βテスターのプレイヤーがいたのだ。
彼は高いリーダーシップとカリスマ性で最初期の攻略組をまとめあげ、指揮官としてボス戦に臨んだ。
しかしβテスト時代とはボスの戦闘パターンに微妙な違いがあり、思わぬ反撃を受けたティアベルはボスのソードスキルとそれによって打ち上げられた落下ペナルティによってHPを全損してしまったのだ。
指揮していたティアベルが死亡したことによって陣形は崩壊。そんな窮地を救ったのがキリトだった。
βテスト時代、第十層のモンスターが使ったカタナカテゴリのソードスキルをもとにボスの攻撃を見切り、的確なパリングと同パーティにいたアスナとのスイッチでボスのターゲットを引き受けた。
結果、攻略組はうまく態勢を立て直し、最後はキリトのラストアタックで見事勝利を収めたという。
それで終われば、きっとキリトはこの世界で英雄と呼ばれたことだろう。しかし、ボスの攻撃パターンを完全に見切っていたことからすぐさま元βテスターではないかという疑いの声が攻略組から上がった。
キリトはボスの攻撃を知っていた。知った上でそれを攻略組に隠し結果ティアベルが死んだと。
そこからは先は泥沼だ。上位プレイヤー同士で他にも裏切り者がいるのではないかと誰もが疑心暗鬼に陥った。そこでキリトが取った選択が、《ビーター》として元βテスターに向けられた恨みをすべて引き受けること。
他のどのβテスターより上の階層に潜り、山ほどの情報と技術を持った真に実力のある元βテスター、そうした悪役を演じることで他のβ上がりのプレイヤーを守ることを選んだのだ。
「言っておくが、キー坊は誓ってボスの情報を知ってて黙っていたわけじゃないゾ。β時代とは間違いなくボスの装備は変更されていタ。それに咄嗟に対応できたのはβ時代にもっと上の層でカタナを使うモンスターと散々戦ってきたからでしかないンダ。世間が言うようなベータのチーターなんてものには程遠いヨ」
「でも、そのことがあったせいでキリトさんは《ビーター》って呼ばれるようになっちゃって、自分のことを守るためにも他のプレイヤーと迂闊にパーティを組むこともできなくなったんだね」
そう言葉を続けるメイプルにアルゴは頷いた。
正式サービス開始直後、元βテスターたちは情報力という面で確かに有利だった。しかしそれはβ時代に到達された第十層までのという意味で、五十層を目前にした今現在ではなんのアドバンテージも持たない。それでも一般プレイヤーからの遺恨だけは少なからず残ってしまっている。
思えばメイプルが他のプレイヤーにはないNWOのスキルを獲得するたびに厳しく制限をしていたのは、ほんの少しの情報差、スキルの差によって人より優れてしまうことの恐ろしさを身を以って知っていたからかもしれない。
そしてキリトは自分と同じ思いをさせないためにと。モンスターからだけでなく、そうしたSAOプレイヤーの妬みや嫉みからもメイプルを守ろうとしていたのだ。
「話はこれで終わりだナ。オレっちはそろそろ次の商談があるから、ここいらで失礼させてもらうゾ」
すくりと立ち上がってフードを目深に被るアルゴ。
「ええ!? ちょっと待ってよぉ! わたしどうしたらいいのかな?」
「答えてやってもいいが、情報料は10万コルだ」
「うう......」
「それにこーゆーことは自分で考えるのが一番ダ。それじゃあナ」
あっという間に人ごみの中に姿をくらますアルゴを見届けると、メイプルはどっと力が抜けたように椅子の背もたれに体重を預ける。
「ぶぇぇぇぇ〜...」
長い長いため息をついて、アルゴの飲み終えたマグカップがNPCによって片付けられていく様子をぼんやりと見つめていると、インスタントメッセージの着信を示すシステムメッセージがピコンと表示される。
アルゴ【今日お前がキー坊の情報を買いに来たって情報は、誰にも売らないでいてやるヨ。おねーさんが珍しく商売より顧客を優先したんダ。上手くやれよナ】
「あはは...えっと、【ありがとうございます】っと」
返事のメッセージを返してメイプルは立ち上がった。
キリトに対して今のメイプルにできることは少ない。むしろ今のままでは迷惑をかけることのほうがずっと多いだろう。ただそれでも、戦う理由のようなものは以前よりはっきりしているように思えた。
まだまだ非力であるとはいえ、キリトが安心してパーティを組めるのはメイプルだけなのだ。それはアルゴの話からもわかる。
そうと分かればやることはたった一つだ。
〇
「せいやーっ!」
キリトがモンスターの曲剣攻撃を弾き飛ばし、後方に下がったタイミングでつかさずメイプルは《新月》の柄に手を添えて懐に潜り込む。相手は亜人系モンスターの《シュバルツリザードマン》。その手に握られたバックラーと曲剣の影がメイプルにかかってしまうほどの距離まで接近するとわずかに抜いた刀身を納めて鍔を鳴らす。
「《パラライズシャウト》」
ゼロ距離に近い距離で発動された《パラライズシャウト》。メイプルを中心に直径一メートルほどの円が広がると、それに触れた《シュバルツリザードマン》のHPバーに麻痺状態を表すアイコンが表示される。
「とりゃりゃりゃりゃりゃりゃーっ!」
そこから刺す。刺す。刺す。刺す。切る。刺す。刺す。やがてHPがゼロを迎えた《シュバルツリザードマン》がポリゴンとなって消えた。
「よし、進むのはここまでにしてそろそろ戻ろうか」
「いえいえ、まだ大丈夫ですよー!」
メイプルはそう声を張って、細っこい腕に力こぶを作る。
戻るといっても《転移結晶》を使うという訳ではない。来た道を引き返すのだから、ここを折り返しにしてレベリングしながら街に向かうという意味合いだ。
進めば進むほど戻るのに必要な時間も増えてしまうわけだが、アルゴから話を聞いたメイプルはまずなにをするにしてもレベルが低くてはどうしようもないという結論に至った。
そういうわけでこれまで以上にレベル上げに意欲的になったわけだが、そんなことを知る由もないキリトは妙に張り切っているな、という感想しか持っていなかった。
しかし戦闘を重ねるにつれてだんだんとモンスターを倒すペースが上がり、それに比例するようにだんだんと防御がおざなりになるメイプルを見て、さすがのキリトも待ったをかけた。
「メイプル、それはダメだ」
「え?」
「ボス戦が近くて意気込むのはわかる。でもそうやってランナーズハイになっていくとどんどん動きが雑になっていつか必ずつまらないミスをする。パワーレベリングの話は覚えてるだろ? 普通のゲームならそれでもいいかもしれないけど、ここはゲームオーバーすれば全てが終わりのSAOだ」
「う...うぅ。ごめんなさい」
いつになく真剣に、強い語気で言うキリトにぐうの音も出ず肩を落とすメイプル。
キリトの過去を知ったからこそ、そんなキリトの言葉の重みがわかるのも事実。同時に、知ってしまっただけに早く強くならなくてはという焦りのようなものがあったのもまた事実だった。
「とりあえず今日は戻ろう。この辺りは夜になると出現するモンスターの種類もレベルも変わるんだ。せめて夕方までにはこのフィールドから抜けておきたい」
「はい...」
そんなメイプルの反応を見て、少し言いすぎたか? という思いがよぎる。
反省するのはいいとしても、落ち込むのはあまりよくない。そこでキリトは一つのあたりをつけると、メイプルの頭に自分の手をのせた。
「あっ...」
「まあ、ちょっと危なっかしくはあったけど、今日はよく頑張ったな。メイプル。今まで一回の探索でこんなに多くモンスターを狩れたことなんてなかったんじゃないか?」
そしてゆっくりと手を動かしていく。
それが少しくすぐったいらしく、目を閉じたメイプルの口から小さな吐息が漏れる。
「あ、ありがとうございます...ふふっ」
「まるで親猫に顔を洗ってもらっている子猫みたいな顔だな」
ふと、そんなことを口にしてしまうほどメイプルは無防備な顔をしていた。明日死ぬかもわからないこのデスゲームでこんな緩んだ顔ができるのは恐らくメイプルだけだろう。やがて撫でていた手にじんわりとした温かさが帯び始めたところでキリトは手を離す。
その温かさはデータ上の数字の羅列でしかないものなのかもしれない。それでもメイプルと一緒にいるときに感じるこの不思議な心地よさは紛れもなく本物だとキリトは思えるようになった。
「さて、そろそろ行こう。いい加減暗くなるぞ」
「はい!」
すっかり元気を取り戻したメイプルはキリトと肩を並べて歩き出した。
傾きかけた陽の光が、草原の上に二つの長い影を映し出す。
この世界に迷い込んでしまった日からキリトは一番近くでメイプルを守ってきた。そこにはサチに対する負い目があり、後悔があり、今はただ果たせなかった約束を違った形で守ろうとしているだけなのかもしれない。
だからメイプルが望めばこの先ずっとでもキリトはメイプルのことを守り続けるだろう。けれど、守られるだけの存在にはなりたくない。そうメイプルは思うようになった。
キリトの力になりたい。その思いは何があっても変わることはないだろう。
しかしそんな思いだけでは説明のつかない疑問が一つ、メイプルの脳裏にはあった。
(じゃあ、だったらキリトさんがわたしの頭を撫でてくれたときの、あの不思議な感じはなんなのかな?)
まだ温もりの残る頭にそっと触れて、メイプルは思った。
胸に宿る、まるでわた菓子のようにほのかに甘く、ひとたび心を委ねてしまえばそのまま全身に溶けてしまいそうな温かさの正体をメイプルはまだ知らない。