死ぬのが嫌なので防御力に極振りしたいと思います 作:くぼさちや
シリカがここしばらくの滞在先としていたアインクラッド三十五層の主街区、《ミーシェ》は多くのプレイヤーで賑わっていた。
小麦色のレンガと木材を組み合わせたような建物が列挙し、街灯として設置されたランタンの優しげな灯りが等間隔で道を、そして行き交うプレイヤーたちを照らしている。
ここは今や最前線からかなり離れてしまった階層ではあるが、アインクラッド内で中間層に位置するプレイヤーが多くここに拠点を構えている。そうしたこともあって、攻略中だった当時ほどではないにしても転移門広場へと続く大通りにはそれなりの人通りがあった。
メイプルも以前、この街には来たことがある。
クリスマスイブの夜、蘇生アイテム狙いで《背教者ニコラス》討伐に向かったキリトを追いかけて訪れた階層がここ、三十五層だった。
そういう意味では、メイプルにとってもあまり馴染みのいい場所とは言えない。そしてそういう場所に限って、馴染みの湧かない理由が付け足されてしまうものだ。
「あら、シリカじゃない?」
二人が主街区の転移門広場に入ったとき、数人のプレイヤーたちが声をかけてきた。シリカにとってはプレイヤーからパーティの誘いを受けることは日常茶飯事。数少ない女性プレイヤーであることやシリカ自身の容姿から、こうしたパーティ申請は引く手数多だった。
しかしこのときは違った。
シリカはその声を耳にしてわずかに身構える。
「......どうも」
「へぇー、あの森から脱出できたんだ。よかったわね」
カールした赤く長い髪を後ろに束ねた女性プレイヤー、ロザリア。一緒にいたプレイヤーを含め、つい昼間までシリカとパーティを組んでいた者たちだ。
「私たち、急ぎますので......」
仕方なく立ち止まったシリカはできるだけ、少ない言葉数で、突き放すように言う。
そんなシリカにロザリアは口の端を歪めるようにして笑う。
「あら? あのトカゲ、どうしちゃったの?」
「......っ!」
シリカは足を止めた。
テイムモンスターはアイテムと違い、アイテムストレージに入れることも人に預けることもできない。今シリカのそばにいないということは、死んだ以外にない。ロザリアもそれは知っている。それを知った上で、そういう聞き方をしているのだ。
「ピナは死にました。でも、絶対に生き返らせます!」
「へえ、てことは、《思い出の丘》に行くつもりなんだ。でも、あんたのレベルで攻略できるの?」
「できるよ!」
シリカが答える前に、メイプルが前に出た。
その目は真剣そのものだった。
「わたしがこの子を連れて行くもん」
「あんたが...?」
ロザリアは品定めするような目でメイプルの装備を見た。
「装備は立派なもんみたいだけど、あの足の遅さじゃねぇ。どうせレベルは大したことないんじゃないの?」
見るからに高価そうな紫黒のプレートメイル、背にしている盾や腰に下げた短剣も細部にまで装飾が施されていて、中層クラスのプレイヤーの装備としてはまず見かけないものだ。
しかしメイプルのアジリティが低いことは歩く様子を数秒見ていれば誰でもわかる。それに装備こそ強力そうではあるが、大盾に短剣装備というお互いの長所を潰し合うような組み合わせは、はっきりいって実戦的ではない。
そんなことからどうやらロザリアはメイプルの実力を低く見積もったようだ。
「まあ、せいぜい頑張ってね」
そういうとロザリアは手をヒラヒラと振りながら、半ば嫌味のような激励を飛ばして立ち去って行った。
「.........」
ロザリアの背中を睨みつけながら、シリカは悔しさに唇を噛みながら拳を握る。涙が出そうになるのを必死に堪えていると、
メラメラメラメラ...
「...?」
なにかが燃えているような音が耳に届いて、シリカはすぐ隣を見た。
メラメラメラメラメラ...
するとそこには、瞳に怒りをたたえて燃え上がるメイプルの姿があった。
〇
「はむっ...! もぐもぐもぐもぐ。はむっ!!」
リスのように、頬を詰め込んだチーズケーキで膨らせながら、メイプルはご立腹だった。
シリカが迷いの森の攻略を初めてから拠点として泊まり続けていた宿の一階部分はNPC運営のレストランになっている。二人はそこで食事をしていた。
「シリカちゃん! 絶対にピナちゃんを生き返らせてあげようね!」
ふんすふんすと、鼻息をあげて今度は追加で頼んだ木の実のタルトにフォークを突き立てる。
いくらアインクラッドでの仮想的な食事で太る心配がないとはいえ、ここまでスイーツばかり食べようとはさすがのシリカも思わない。お金の心配もあったが、テーブルの両端で高々とそびえ立つ空き皿の塔を見上げれば今さら止めるのも野暮というものだった。
「あんな言い方しないでも......ほむっ! あんな言い方しないでも......ぱくっ! あんはひいははひなくへも......ごっくん!」
しかし自分のことでここまで感情を顕にして怒ってくれているというのにはやはり嬉しいものがあったのか、自然とシリカも食事の手が進んだ。それに多少歳が離れているとはいえ、同じ女性のプレイヤーとここまで親密に話す機会はアインクラッドに来てからほとんどなかったことだ。
そうでなくとも、シリカは暗い森の中での戦闘を立て続けにこなした後。命懸けの緊張感で疲労しきった脳に、チーズケーキの甘みが染みないはずがない。
スプーンで掬って、シリカはケーキを口に運ぶ。
三十五層の来てから今まで何度食べたかわからない、馴染んだ甘さが口いっぱいに広がった。
「......現実の世界に帰りたいって気持ちは皆同じなはずなのに、嫉妬したり怪しんだり疑ったり、どうして仲良くできないんでしょうか?」
ふと、そんな言葉がシリカの口からこぼれた。
メイプルはピタリと食事の手を止めて言葉を返す。
「......そうだね。大変な時だからこそみんなが力を合わせて頑張ることができたら、死ななくて済んだ人も大勢いたと思う」
しかし実際、世の中はそういうふうにはできていない。むしろその真逆といっていい。
倫理だとか協調だとか道徳だとか、そういったものは生きる余裕のあるものがその余裕を維持するために持つものだ。受け入れがたい現実を目の当たりにしたとき、多くのものは心の内に秘めた感情に向かって動き出す。足並みは揃わず、傍から見たら混乱としか言いようのない様相を呈する。
逃げる、惑う、疑う、騙す、立ち尽くす、自ら命を絶つ、隣人を脅かす、自らの命のために尊厳を捨てる。などもその一環。
命懸けのこの世界でそれはとても自然なことで、だからこそ悲しいことだとメイプルは思っていた。
「でもね」
メイプルは思い出す。この世界に来てからずっと自分を守り続けてくれた黒い背中を。
「そんな世界でも、誰かが困ってた時、必ず助けてくれるような優しい人もいるんだよ!」
そうメイプルが自信を持って言えるのは、この世界に来てキリトと出会ったからだ。
ソロプレイヤーであり、同時に攻略組でもあったキリトが前線から離れてメイプルのレベリングに付き合うことがどれだけの負担になっていたのか、今だからこそわかる。
たとえメイプルを助けたことがサチを死なせてしまったことへの後悔からとった行動だったとしても、それだって紛れもなくキリトの優しさだ。
(キリト、今頃なにしてるかなぁ...)
メイプルはふと窓の外を見て、いるはずのない黒い背中を探してみる。
しかしどれだけ道を行き交うプレイヤーの姿を眺めていてもキリトの姿はどこにもいない。
「......私も、そう思います!」
「え?」
メイプルはシリカに視線を戻した。
「たしかに怖い人もいますし、ロザリアさんみたいに意地悪な人もいます。そうでなくても私、男の人って苦手で、このゲームに来てからはちょっと怖い思いをしたこともあります。でも、そういう人ばっかりじゃないって、今は思ってます。メイプルさんの言うとおり優しい人もいるって、私もそう思います」
《迷いの森》で出会った時の緊張しきった表情とはうって変わった、やわらかで穏やかな表情だった。シリカがメイプルの言葉を素直に受け止めることができたのは、まさに今目に前にいるメイプルが自分を助けてくれたからこそだ。
死と背中合わせのこの世界、迂闊に人を信じることは命取りであり、自分を守れるのは自分しかいない。
しかし地獄と言うにはまだ早い。メイプルと出会ったことでシリカはそう思えるようになった。
「さあ、それじゃあ宿の部屋に戻って明日の探索の作戦会議をしよう!」
二人は席を立ち、店の二階にある宿部屋へ続く階段を登り始める。
しかしその様子をじっと見つめ、音もなく後をつけるプレイヤーの存在にメイプルたちは気づかなかった。