「--無茶だ!! 現状、成功率は人間に対しては10%にも満たない! それも理論上だけであって、未だ成功例はないんだ!! そんなものただの人体実験でしかない! 彼は簡単に使い潰して良いような人間じゃないだろう!?」
「落ち着いて下さい、
「ッ!? 」
─────彼の意思である。
その言葉に古賀真冬は揺らいだ。彼の事はよく知っていた。知り過ぎているからこそ、最早止める事は不可能だという事も悟った。
自分よりも他人を優先する程に優しく、それ故に危うく、そして強情なかつての教え子。
彼は正しく有言実行。
やると言ったら必ずやる。
目を瞑り、ふぅ、と諦めとも呆れともつかない深い溜め息を吐いた後、再び開いた古賀の目が蛭間七星を鋭く射抜いた。
「───良いだろう。ただし、一つ条件がある」
「何でしょう? 」
殺風景な研究室内で、空気がピンと張り詰めた。古賀と七星の視線が交錯する。
「彼の、
黒峰与一が命を賭す覚悟を決めたのなら、最早何も言うことはない。
それならば、彼の願いを叶える為に持てる力を全て尽くす。それが、古賀真冬の決意だった。
─────事態発生から5分後。
緊急警報は未だ鳴り止まない。
混乱を極める棟内で、人混みを縫うように与一は疾走していた。
目的地は警報の発生源。今回の実験を主導、管理していたフロア。
スーツ姿で片手にクロスボウを持って走る彼の姿は、はたから見れば異様ではあるがこのパニックの状況が有利に働いている。焦燥と不安が支配するこの空間では、誰も与一の事を気にとめる余裕は無いようだ。但し、もしここに実験用テラフォーマーが現れた場合、その被害も最大のものとなる。
故に、一刻も早く元を叩かなければならない。
「1体、2体の話じゃない。放たれたのは複数だと古賀さんは言っていた。今のところ救援は期待できない状況だとすると……どこまでやれるか」
殆ど無意識の内に上着の内ポケットに手を入れ、中のケースに指で触れる。
そこにあるのは2種類の切り札。
本来なら、使うべきではない。ただそこにあるというだけで精神的に余裕を持たせる意味として所持する。
しかし、与一は自覚していた。
--恐らく自分は
本来の細胞を壊して、他生物の細胞を構築するMO手術は人間として1度死ぬと考えても良い。絶大な効力を得られる反面、身体に与える負担も相応に重い。細胞分裂には限界数がある以上、比喩ではなく使用するたびに寿命を消費する。つまりはハイリスクハイリターンな戦術。
ここはまだ地球、ミッションのステージは遠い火星。
これは最早感情論だ。非合理的なのは百も承知の上。
偽善的だと笑わば笑え。護りたいものがあるからこそ、命を賭けた。見捨てる事など出来はしない。
「古賀さん、ここに至るまでの道順でテラフォーマーの姿は見当たりません。俺はそろそろ次のフロアに入ります。正面ゲートをロックして下さい。多少なりとも防護策にはなるでしょう」
耳元の通信機のスイッチを入れると、手短に用件のみを伝える。
『了解した。此方で済ませておく。くどいようだが、30分を1秒でも経過した時点で強制的に帰還させるぞ、これは命令だ。くれぐれもリミットは遵守するように』
「--すみません」
返答の代わりに漏らしたのは何の脈絡もない一言。
『馬鹿ッ! まさか!? 』
しかし、全てを察するにはその一言で充分だった。
いつもは平坦な彼女の口調が、初めて感情的な色を見せる。
「後でいくらでも謝ります。成すべきことを成した後に」
そして返答を待たずに通信機の電源を落とした。
与一の視線は目の前の廊下に移り、そしてその先を見据える。
「……出やがったな」
前方20メートル程先、廊下の角を曲がってきたのは漆黒の異形。
生理的な嫌悪感を与えるそのフォルムは、これまでの生物の常識を逸脱した存在。
化け物じみた害虫の王、テラフォーマー。
「じ」
「じぎ」
「じょ」
低く、こすり合わせるような鳴き声。
やはり、1体では無い。2体、3体。もはや、この敷地に何体放たれているのか想像もつかなかった。
「どうせ、言葉も通じないだろうから勝手に言わせてもらうが。……テメェら、俺の背後には一歩も通さねえぞ。纏めてここでブチ殺す」
精神的なスイッチを戦闘態勢に移す。奥底に内包された攻撃性を表に出す。
右手に携えた弓張月を、素早く構えてトリガーを引く。特注のスプリングから放たれた金属矢は空気を裂き、先頭のテラフォーマーの眉間を射抜いた。
一拍空けて、炸裂。生じた爆発のエネルギーが、その頭部を丸ごと吹き飛ばす。
彼専用の武器。正式には対テラフォーマー弾頭転換式クロスボウ、『弓張月』。特別に加工された弾頭を付け替える事で、様々な効果を生み出す。撹乱、脱出、奇襲、暗殺。あらゆる局面に対応可能な装備。しかし、あくまで試作品。最初の性能テストが実戦方式になるとは開発者も考えつかなかったことだろう。
「一発ずつしか撃てないのは、微妙にピーキーな装備だな。改良の余地ありと古賀さんに報告しておくか」
与一は、躊躇わずに弓張月を床に落とした。再装填するまでの僅かな時間が命取り。頭部を失って崩折れたテラフォーマーの死体を構わず踏み潰し、残りの2体が迫る。
ここからは単純な接近戦。純粋な戦闘能力がものをいう。
与一は拳を前方に突き出し、腰を僅かに落とした。
全身の感覚器官を最大限に使い、テラフォーマーの動きの先を読む。脅威的な身体能力は、見てから反応するのでは間に合わない。
1秒後の未来を予測するのが、生存の決め手。
「ふっ、」
最初のテラフォーマーの攻撃を一歩退く事でぎりぎりで回避する。顔面を狙って放たれた拳が鼻先を掠め、髪の毛が数本宙に舞った。
しかし、それにも眉一つ動かさず次の行動に移る。右拳を空いた胸部に軽く当てると同時に、一歩退いた脚を踏み締め、得られたエネルギーを背筋で増幅させた後、右拳より放つ。
「フンッ!! 」
それは八極の一手に似ていた。
全身の筋肉運動による無駄のないエネルギーの循環。最小の動きで最大の効果を生み出す。
ドンッ!と肉を叩く湿った音が響き、白眼を向いたテラフォーマーが一瞬硬直した後その場に倒れた。
一撃必殺。
続いて、その背後から飛びかかるようにして襲いかかるテラフォーマーの懐にあえて飛び込むことで、距離感を崩す。
直後に伸びきった腕を掴み、腰を捻ると自身の足でテラフォーマーの足を軽く蹴り上げた。
慣性の法則を利用した投げ技。腕を掴まれたまま地面に叩きつけられたテラフォーマーは、自身の運動エネルギーと重力による加速、そして2メートル近い重量をもろに背中で受けることになる。
人間ならば、息が詰まり昏倒する程の勢いだがテラフォーマー相手ではここで終わりではない。
痛覚が存在しないため、ダメージを認識しない奴等は依然行動可能だ。
「フンッ!」
グシャッ!!
なおも動こうとするテラフォーマーの喉元を踏み潰し、息の根を止める。
ここまで、凡そ10秒余り。
「……思っていたよりも遥かに強い。1体ずつならまだいけるが複数相手にするとなると、正直厳しいな」
生物としての種が違う、パワーもスピードもタフネスも桁違いな化物を相手にするには、生身ではどうしても分が悪い。
唯一の救いとしては動きが雑な事。常に直線的な攻撃しか仕掛けて来ないので、行動も予測しやすい。
しかし、もしここに知能が加われば。
戦略、戦術を奴等が理解し、行動のパターンを変えることになれば。
人類の勝ちの目は極めて少なくなる。
残り時間は22分と40秒。腕時計のタイマーを合わせ、先程から耳元でコール音を響かせている通信機を握り潰した。
このフロアさえ抜ければ目的地までは直通できる。遮蔽物もないため、待ち伏せの心配も必要ない。
逆を言えば、発生源に最も近いこのフロアは敵の数もまた最も多い。
しかし。
「行くか」
逡巡すらも時間の無駄。不安要素を並べ立てればきりがない。故に先手必勝。障害は一切合切叩き潰す。
ネクタイを解き、ジャケットも脱ぎ捨て、機動力を確保。
ここから先は対多数戦。薬はすぐにでも使えるようにポケットに入れ、与一は渦中へと踏み出した。
今回はここまでです。ここで区切らないと流れ的にストーリーの続きが書けなくなりますのでご容赦下さい。中途半端なストーリーと盛り上がらない内容で、もしも今作品を楽しみにしていて下さる方々には大変申し訳ないです。加えて不定期更新であることもお詫び申し上げます。