Counter of the earth   作:坂下 千陰

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第六話 archer

『地蜘蛛』

 

 学名を『Atypus・karschi』

 

 この蜘蛛は、どこにでもいる。基本的には地面に穴を掘り、そこに袋状の巣を作って暮らし、この巣の上を歩くダンゴムシなどを発達した鋏角で捕食する。また、比較的飢餓には強い。

 

 何か、特別な能力を持っている訳ではない。

 何か、特別な技術を持っている訳ではない。

 

 ただ、地面に穴を掘り生活する。

 

 特筆すべき能力は見られず、戦闘向きでも無いこの生物こそが公表されている与一の手術ベースになる。

 

 しかし。

 

「皆下がってろ」

 

 これから使用(つか)うのは、彼の“人間”としての技術。

 

『弓術』。

 

 ただ、敵を仕留める為だけに研鑽に研鑽を重ねてきた。

 その集大成が今、黒い悪魔に牙を剥く。

 

 ジャキッ!

 

 硬質な音と共に、彼の左腕から短い棒状の金属とプロテクターが飛び出し、丁度手の甲から腕を覆う籠手のような形を取る。

 同時に懐から取り出したケースの蓋を開けると、中には3本のこれも金属製の矢が並べられていた。ダーツに使用する矢よりも少し長いそれを1本だけ、手の甲にある溝に差し込んで引いた。

 

 カシャンと金属同士が噛み合う音は、銃のスライドを引いたに等しい。

 

 そこにあるのは、彼の左腕を軸にした小型のクロスボウだった。

 但し、それはあくまでも暗器としての意味会いが濃いため、彼のメインの武装には威力も射程距離も全く及ばない。

 それに加えて彼は生身。

 成功生存率36%の手術によって得られた恩恵すらも今は使えない状態。

 

 ーーーー勝てない事が分かっている。

 

 そして、別に勝つ必要はない。要は、負けなければそれでいい。

 

「すぅ、……」

 

 短く息を吸い、止める。呼吸すらも邪魔だ。

 

 ヒュッ!

 

 風切音の後に、銀色の流線がテラフォーマーの眉間に突き刺さる。特注のスプリングによって放たれるそれは、メインには及ばないと言えどコンクリート片に穴を開ける程度の威力なら備えていた。

 

 にも関わらず、

 

「……やっぱり効かねえか」

 

 頭に矢が刺さったまま、依然テラフォーマーは無表情のまま進撃を止めない。そもそも、痛覚が存在しないため仮に効いていたとしても生命維持活動が損なわれるまでは問題なく稼働する。

 情報では知っていた。ただ、知っているのと経験しているのとではまた別だ。

 銃火器も通用しない相手に対して、この武器は余りにも心許ない。

 

「くそッ、」

 

 僅かに冷や汗が流れ、焦燥が募る。

 部屋にさえ戻ることが出来ればそこにはあるのだ。“薬”と“武器”が。

 ただ、時間がない。薬も無しに生身の状態である程度テラフォーマーと渡り合える人材など、そうはいない。知っている中ではたった2人。『ミッシェル・K・デイヴス』と『膝丸燈』のみ。装備を取りに行って戻ってきた時には、この場に生存者はいないだろう。

 さらに、ここまで効果的な工作を仕込んで来る以上、その裏切り者達が幹部の実力を考慮に入れていない事は考えにくい。

 

 つまり。

 

 ーー艦内に侵入したテラフォーマーは他にもいる。

 

 たった1体だけなら、6人の幹部の前では一瞬たりと保たない筈だ。

 それ故の戦力の分散。

 

 脳をフルに回転させて、状況を分析していく与一。

 

「うおおおおおおおおッッ! 」

 

 だが、叫び声が思考と集中を掻き乱す。そこに一瞬の隙が出来た。すかさず、テラフォーマーは与一に掴みかかろうとする。人間の肉体など瞬時に粉微塵に出来る程の威力がある剛腕でもって。

 

「チッ! 」

 

 思わず舌打ちが出た。咄嗟に体を捻り、身を躱しつつバク転の要領で体勢を立て直す。

 少し掠ったのか、コートの繊維がふわりと宙を舞った。

 

「馬鹿野郎ォッッ! 下がってろって言っただろうが! 」

 

 叫び声をあげた人間は先日、アジア系の青年の胸倉を掴んでいたアメリカ人だった。

 何処から取り出したのか、その手には機関銃のようなものを抱えている。

 そう、与一が持つクロスボウよりも遥かに高度な道具を。

 

 そこでテラフォーマーは何故かターゲットを変えた。

 その無機質な目は、与一からアメリカ人男性へと移り変わる。

 

「……おい、どこ見てんだよゴキブリ。お前の相手は俺だろうが」

 

 それでも、止まらない。悪魔の進軍は止まらない。

 

「何ッ、でだよ!? 」

 

 テラフォーマーに、銃火器は意味を成さない。確かに、弾丸は当たっているのだ。それでも、全身から白い脂肪体を流すだけで、ただ進む。

 与一は素早く2本目の矢を装填すると、再びテラフォーマーに放った。

 やはり脳天に命中。だが、当然の如く意に介した様子もない。

 

「逃げろッ! 」

 

 しかし、その声は間に合わず。その黒い両手で無造作に男性の頭を掴み、力任せに引き千切る。

 

 ブチンッッ

 

 聞くのもおぞましい音が響いた。脊髄ごと引き抜かれた頭、首から下の体は力無く崩れ落ちる。

 

「ひィ…」

 

 今度はその引き抜いた頭をまるで鞭の様に振るい、瞬く間に2人の首を刈る。

 一切の容赦もなく、無表情にただ殺した。

 

「この、クズ野郎が……!! 」

 

 3本のうち最後の1本を装填し、今になって此方に向き直ったテラフォーマーの眉間に照準を合わせ、放つ。寸分違わず射抜きはするが、その動きが止まる気配はない。

 これで矢はもう無い。最初から懐には3本しか入っていなかったのだ。

 

 そして。

 

 与一は、左腕のクロスボウの側面を開き内蔵されていたスイッチを指で弾くように押した。

 

 カチリ、と微かに何かが噛み合わさるような音が聞こえた直後、テラフォーマーの頭部に刺さった3本の矢が一気に炸裂した。

 小規模な爆発。

 だが、テラフォーマーの頭部を吹き飛ばすには充分な威力だ。

 

 外側からの攻撃が効かないのならば、内側から破壊すれば良い。

 

『此方はアネックス一号艦長、小町小吉。現在メインのエンジンに障害が発生したため火星地表へと下降しつつある。本艦での安全な着陸は困難となったため総員直ちに脱出機格納エリアへ移動する事! 』

 

 艦内にアナウンスが流れる中、頭部を失ったテラフォーマーはゆっくりとその場に崩れ落ちた。

 

「大丈夫か、エヴァ? 」

 

 与一は倒れたテラフォーマーを背に、エヴァに声を掛ける。

 

「うん、大丈夫だけど…… 」

 

 そう答えるも、与一を見る彼女の目には軽い疑念の色があった。

 “薬”も使わず、テラフォーマーを倒した。その上ランクが低いと言っていたにも関わらず、“武器”を使用した。

 

 流石に、これ以上隠し通すには無理がある。

 彼女には話すべきかも知れない。エヴァにとっても全く関係が無い訳では無いのだ。

 一瞬の逡巡の後、与一は口を開いた。

 

「エヴァ、少し大事な話をする」

 

 いつになく硬い声だ。それに少し驚いた顔をしたエヴァだが、口を結んで与一の次の言葉を待っている。

 与一に対する違和感が、彼女にそうさせたのだろう。

 

「おかしいと思わないか? 火星熱圏上部のこの艦に、何故テラフォーマーが侵入出来たのか。勘で宇宙艦に飛び移ったのか、そもそも羽ばたくことすらままならない筈だし、それ以前に酸素の問題もある」

 

 与一は、的確に疑問点を抽出し組み立てていく。その先にあるのはたった一つの結論。

 

 

「これは推測だけど、奴らを手引きした者がいる」

 

「え、……? 」

 

 あくまで推測だと念を押しつつも、最早それが確実論である事は明白だった。

 しかし、エヴァの混乱を最低限に抑えるために、あえてオブラートに包んだ言い方を取っただけだ。

 

「言っておく事はそれぐらいだ。注意しておくに越したことは無いし、後でお前らの班長に伝えておいてくれ、噂に聞いたんですけどってな。あの班長ならしっかりその可能性も念頭に入れて行動するだろ」

 

「なんでそんな事……? 」

 

 知っているのかと言わんばかりの表情に、曖昧な笑みで与一は誤魔化す。かなり遠回しだが、目的は伝えた。後は、急いで部屋に戻って装備を整える必要がある。

 

「与一君!! 」

 

 突然、エヴァは叫び声を挙げた。それはまさしく恐怖心から。

 

「……ッ、がっ……」

 

 ほぼ同時に、与一の首に衝撃が走る。とんでもない力で首を締められていることに気付いたのはその後だ。

 目線を下に向けると、黒い腕が喉を掴んでいた。

 

 頭部を吹き飛ばした筈のテラフォーマー。されど、害虫の王(ゴキブリ)は死なず。

 人型に巨大化したとは言え、元々は昆虫。体構造もその名残りを残している。

 

『食道下神経節』。

 

 胸部に存在する、テラフォーマーにとっての第2の脳とも呼ぶべきこの器官。体のコントロールはここに任されているため、例え頭部を失ったとしても酸素を取り入れる事が出来る限り活動は続くのだ。

 不意打ち、情報不足、想定外。そんな言葉で言い訳は出来ない。

 これは確実な油断、もしくは怠慢。

 

 頭を吹っ飛ばした(・・・・・・・・)くらいで安心出来るレベルの存在ではなかった筈だ。

 完全なる未知。それがテラフォーマー。

 

 酸素不足で薄れる視界の中、エヴァが必死にテラフォーマーの腕を引き剥がそうとしているのが見えた。涙目で、震えながら。

 

(せめて、薬があれば……)

 

 常に携帯しておくべきだった。与一は余りの己の警戒心の無さに歯噛みする。

 こんなところで死ぬ訳にはいかない。

 

 ーーーー帰還(かえり)を待つ者がいる。

 

「ーーちょっと下がってて」

 

 朦朧とする意識の中、そんな声が聞こえた気がした。

 一瞬後、与一の首を締め付けていた腕が床に落ちた(・・・)

 まるで、鋭利な刃物で切断されたかのような滑らかな断面が剥き出しになっている。

 

「ごふッ、ぜぇ、ひゅーー! ごほごほッ……!! 」

 

 与一は自由になった首元を押さえ、酸素を求め喘いだ。

 何が起きたのかはよく分からないが何かが起きたのだ。

 

「げほッ、げほッ、あんた……」

 

「お待たせ。うわー、凄いことになってるね、君がやったのかい? 」

 

 激しく噎せながら見たその姿は、眉目秀麗だがどうにもチャラチャラした雰囲気が拭えていない。

 

 首脳6カ国の一つ、ローマ連邦の幹部(オフィサー)『ジョセフ・G・ニュートン』その人だった。

 

「後は任せてと言いたいところだけど、もう殆ど終わってるよねこれ。君は……」

 

 マーズランキング15位以上のみが許可されている筈の“武器”を使用し、生身の状態でテラフォーマーを撃退寸前まで追いやった与一に対して、彼は一瞬先程のエヴァと同様の訝しむような目を向ける。

 

「ーーまぁ、いいや。君達は早く脱出機へ」

 

 しかし、その視線もすぐに消えた。

 

「脱出機? 」

 

「さっき艦長がアナウンスで言っていただろ? プランδだよ」

 

 ーー『プランδ』

 

 当初の計画『プランα』は、幹部や戦闘能力が高い者を中心に防衛線を張り、その中でウィルスの研究を行う予定だった。それに対して『プランδ』は緊急用。各国から集められたクルーを6つの班に分け、高速脱出機に乗って着陸する。この際、全滅を避けるためにそれぞれ別方向に射出され着陸した後、アネックス本艦の落ちた地点へ集合。

 引き続きウィルスの研究を行い、40日後に地球からの救助船で帰還する。加えてその間の各班の指揮は、6人の『幹部(オフィサー)』の判断の下で行われる。

 

「ほら、早く。そろそろここも危険だよ」

 

 ちらりとジョセフは窓の外を見る。そこには、壁や窓にびっしり貼り付いたテラフォーマーの群れがあった。一斉に外面を叩きながら内部への侵入を試みようとしている。

 

「あんたは? 」

 

「後始末。今度こそここは任せてって言わせてよ」

 

 にやりと笑って、その場に立つジョセフ。

 

「エヴァ、行くぞ」

 

 その後ろ姿を見つつ、与一はエヴァを連れて脱出機の格納庫へ向かう。

 他にも、多数のクルーが格納庫へ向かうのもあってかなり混雑していた。

 皆、パニックに陥っているようだ。

 近くまで来てから、与一は一人だけ方向を変えた。

 

「先に行っといてくれ。急用を思いだした」

 

「ちょっと、与一君! 」

 

「すぐ戻る!! 」

 

 目的地は自室。

 乱暴にドアを開けて入ると、ベッドの側の机の引き出しを探る。

 取り出したのは大小2つの銀色のケース。1つは“薬”、もう1つは予備の矢。

 そして、ベッドの下からは目当ての“物”を引っ張り出して背中のバックパックに収納する。

 準備は整った。

 戦力は揃った。

 

 もう、二度と後手には回らない。

 

「……よし、」

 

 踵を返し、今来た道を走り出す。

 

 今、ここから漸く彼の任務は始まりを迎えた。

 

 

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