「は? 休暇、ですか?」
突然執務室にまで基地内の放送で呼び出されて、陽炎は背筋を正して立っている。
呼び出されたときは、挙動不審にうろうろとしていたが、曙にすぐそばに秘書艦の愛宕さんがいるんじゃないの、と言われて気づいたときにはどっと力が抜けた。それでも力の入った体は、逆に姿勢を良くしているかもしれない。
目の前の執務机の向かいに腰掛けている提督が頷く。「うむ」
「陽炎ちゃん、ここのところ休暇全然使ってないでしょう? たまってるのよ?」と愛宕。相変わらず胸が大きい。頬杖をつくのになぜ胸が使えるんだ?
「はあ」
「はあ、じゃないわ。陽炎ちゃん」
「陽炎、君はワーカーホリックなのかね?」
「いえ、そういうつもりは……」ゆるゆると首を振る。
「いくら食堂や運動での体調管理がしっかりしているといっても、疲れは溜まるものよ? しっかり休むのも、艦娘としての仕事なの」
「そうだ。休めるのに休まないというのは俺には理解できん。俺なぞ、もう二月近く休暇らしい休暇がないというのに……」
「提督なんですから、我慢して下さい」
「我慢しろというのならそれ相応の対価をくれないかな? 例えば膝枕とか……」
「お断りしますわ、提督」
そんな漫才を繰り広げている2人を見て、なんで私はこんな人を好きになったのかとイライラとしてきた。
ひとまず、このイラツキをどうにかする前に話を聞くのが先だ。
「それで、私はどうしたらよいのでしょう?」
こちらを向いた提督は真面目くさった顔で言い放った。
「うむ。つまりだ、休め。せめて一日くらいはだらけろ、ということだ」
「……提督のようにだらけるのではなく、陽炎ちゃんなら、休みを有意義に使うことは造作ないと思うけれど」かぶせるように提督がひどい、と泣き言を言う。「せめて二三日は休みをとってもらわないと、私達が怒られてしまうのよ」
「はあ。なるほど」
「そうなのだ。艦娘たちを働かせ過ぎだ、と怒られるのは、この俺なのだよ。だから俺のためだと思って休みを取ってくれないか?」
一瞬、もちろんですと喜色を押し出してしまいそうになるがそれをぐっと抑えて、頷く。
なんと安い女なのか。私は。
本当にそんなことが嬉しいのだなあ、と自分に呆れる。
「提督のために休むなんて、疲れがとれなさそうで嫌だわぁ……」
「そんな馬鹿な!?」
そんなことを考えているうちに、また漫才を始めた2人に陽炎はまたむかつきを覚える。
「だって、なんだかすごく自堕落に過ごしてしまいそうで……」
「いいじゃないかグータラ極楽生活」
「そんなことをする余裕がおありなんですか? 提督」
「……ないです」
「では、仕事をしましょうか」と愛宕は笑みを浮かべながら提督のほうから視線を陽炎に移す。
「陽炎ちゃん、休暇の申請の方法はわかるわね?」
陽炎は、はい、と答える。
「よろしい。行ってもいいわ」
はっ、と答えて敬礼をする。踵を返して部屋の外に出るころには、2人はまた楽しそうに会話し初めている。
ドアを閉めて、向こう側に思いを馳せて、ため息。
目をつむり、開ける。
歩き出すと、部屋の中から漏れ聞こえる声と革靴の音がひびきあう。
これが色恋フィルターというやつか、と自らの感情を転がしながら、鎮守府の廊下を歩いて行く。
自分がこんな感情をもつことになるとは、思ってもみなかった。
ふと、あのリボンのことを思い出す。
誰かにあげたのだろうか……。
それは愛宕だろうか?
金剛だろうか?
もしかして……、曙?
……誰にだろうか……。
持て余した提督への苛々は、部屋に戻ってルームメイトの皐月が驚くくらいに枕に八つ当たりをしても、晴れなかった。
「明日、街に出るんだったわよね?」
数日後、例によって何故か愛宕が見守るせいで妙な緊張感のある演習の後、片付けのために、がらがらと愛宕と陽炎が荷台を運んでいる。何か話すべきだろうか、何を話すべきだろうかと考えていると、唐突に愛宕が話をふる。
「ええ、明日です。けど問題があって……」
「あら? なにかしら」
「私、転属して以来忙しくって、ここの街に出たことがなくって……」
「なるほど」そう言うと、愛宕は首をかしげる。「誰か誘わなかったの? 私は曙ちゃんか、誰かを誘ったのだと思っていたのだけど」
「いえ、誘いはしたんですけど」
「けど?」
「なんだかみんな運悪く休暇を使い切っちゃったあとらしくて……」
「ふうん…………」
愛宕はそうこぼしたきり、黙ってしまう。
「……愛宕さん?」
「陽炎ちゃん」
「はい」
愛宕は顔をあげる。見ると、決心をしたような顔つきだった。
「提督のおもりを、お願いできないかしら?」
「はい?」
「明日、提督が近くの学校で講演をするのだけど、それに付いて行って欲しいの」
「えっと……」
陽炎は面食らったものの、なぜ愛宕がついていかないのかを聞く。
「愛宕さんは……?」
「私は、できれば明日早いうちにやってしまいたいことがあるのだけれど、講演についていくとなると、ちょっとむずかしいの。別に大したことじゃないわ。ただ、提督が講演している間、横に立っていればいいだけ」
「そう、なんですか?」
「そうよ」
なんとも変な話だ。数日前には休暇をとれと言っておきながら、その日になったら仕事を入れてくれという発言の正気を疑ったが、愛宕はこういう冗談は言わないはずだ、と思った。秘書艦である以上、どれだけふわふわとした言動であっても、きちんとすべきときはきちんとする、はずだ。
「あ、もちろん、明日のぶんの休暇も、外出許可も別の日に動かせるようにしておくわ。誰かと合わせて行けるようにできるわよ?」
ふむ、とかんがえる。ここまで条件を掲示されると、なかなか悪くない話かもしれない。
今度こそ、みんなと休みを合わせて街に出てみたいし……。
そう思っていると、愛宕が荷台から手を離して、陽炎に向かって拝むような仕草をする。
「お姉ちゃんを助けると思って、お願い!」
愛宕が手を離したせいでずれた荷台の進路を戻して、なんだかおかしなことになったな、と思いながら陽炎は了承したことを愛宕に伝えるのだった。
前の手紙同様に今度の手紙にもそう書くことを心に決めた陽炎だった。
翌日。
講演は終わったが、つつがなくとはいいがたいものだった。特に、陽炎にとっては。
大学の一室で行われたその講演……市民講座は、やはり大学生の参加も多く、そして、講演の内容から男性が多いこともあって、陽炎の神経を削るものだった。提督の横に立っていたこともあって、視線を多く浴びるし、講演の途中、話の流れで紹介されたときなど冷や汗が出た。
立っているだけって言ったのに!
それに加えて講演の後、質疑応答の中でなぜか陽炎のスリーサイズや年齢、彼氏の有無を聞く輩が現れて、しっちゃかめっちゃかになった。ぐるぐると翻弄された後、提督と陽炎は大学の用意した部屋でお茶を飲んで休憩していた。
ふかふかとしたソファに体を預けている。提督がすぐそばにいるけれど、取り繕う気力もない。いや、実のところそこまで疲れているわけではないが、そんな気分だったのだ。
「陽炎」
「は、はい」起立しそうになるが、それを提督が抑える。向かいに座っている彼は陽炎のほうにねぎらいの言葉をかけた。
「いやあ、助かったよ陽炎」
いえ、と答える。
「うん、助かったのは確かだからね。食事でもおごろう。おすすめのカレー屋があるんだよ」
店の人がまあ変人でね、と彼は続ける。
「なんだかインド人のような顔をして、胡散臭い日本語をしゃべる人なんだけど、味は確かだよ」
にこにこと提督は陽炎に話す。
「ちょうどここから近いし、大学の人への挨拶が終わったら行こうか」
そう言ったところで、部屋の扉が開き、彼に講演を依頼した大学の教授が現れた。がっちりとした体格の、退役軍人の老教授だ。チェック柄のシャツを着て、サスペンダーでクリーム色のズボンを吊るしている。彼は私には目もくれず、提督に向かって話しかけた。とたんに提督は教授に振り返ると、講演の内容について楽しそうに話し始める。
陽炎はかやの外となり、お茶を飲んで暇を紛らわすことにした。
窓の外を眺めながらぼーっとしていると、秘書艦の話が会話に出てきたので、様子をうかがう。
「おや、以前来た秘書の方は……?」
「ああ、愛宕ですか?」
そう、そのような名前だった、と老教授。
「今日はちょっと鎮守府の方で用事がありましてね。代わりに、彼女に来てもらったんです」
陽炎は、さすがに挨拶くらいはしよう、と顔を向けると、2人ともが陽炎を見ていて、たじろいでしまう。
「あ、その、えっと、陽炎型駆逐艦一番艦『陽炎』、です」
「なるほど、陽炎型か……」
老教授はあごひげをしゃくると、感慨深げに言った。
「ふーむ……。秘書艦は愛宕さん、でしたかな? それとは、まあ、いまのところ比べるべくもないが、なんとも将来が期待できそうな……」
目線がどこを向いているのか、その意味を考える事しばし。
ばっと両腕で体を抱きしめる。
「教授、愛宕と違って陽炎はそういうの免疫ないんですから」
「おや、そうなのかね? 君のことだから、大丈夫かと思っていたんだが」と言って、笑った。
「大丈夫ってどういうことですか……。陽炎、すまんな」
提督は申し訳なさ気に目を伏せる。
「陽炎さん、この男に騙されてはいけませんぞ。この男はさっきみたいなことを言っておいて、外堀を埋めていく男ですからな」
「教授!」
はっはっはっと笑う教授を提督が慌てたように部屋の外に追いやる。2人が一緒に部屋の外に出ても陽炎はじっと体を抱きすくめている。
がちゃりと提督が部屋に戻ってきた。
蔑むような目で提督を見ると、提督が笑いながら言い訳をする。
「いやあ、あの人には困ったものだ」
そう言いながら彼は陽炎のわきを通って、机のほうに戻り、冷めてしまったお茶をすする。
「陽炎? 座らないのか?」
陽炎は答えない。唇がわなないている。
こんなに体が冷えきっているのに、湧き出てくるこの激情はなんだ?
深海棲艦を前にして沈みかけていた曙を見た時のような体の熱さ。
その様子に気づいたか、提督が声の調子を抑える。
「ん? あ、いや、さっきのことか、さっきのことは……本当になんでもないんだよ」
ははっ、と彼は笑い、目線をそらす。
「…………なんで私、だったんですか」
「え?」
ふと、口をついて出た言葉は意味がわからなかった。
ただ発せられる言葉の後ろには理由が上乗せされていく。そうしなければ、いけないかのように。
「なんで愛宕さんの代わりに私を選んだんですか。提督のことを好きな娘はたくさんいるのに」
「あー……」
彼は困ったような顔をする。
「うーん………………」
とためにためて、まる一分くらい経ったころ。
陽炎のお腹がくう、と鳴る。
さっきとは別の理由で顔が真っ赤になった陽炎に対して、提督が提案する。
「……ひとまず、お腹空いたし、ご飯にするか」
陽炎は無言で首を何度も縦に振るのだった。
「陽炎には悪いんだが……」
提督はカレーをスプーンで口に運びながら言う。
「俺は艦娘を好きになることはない」
彼のその言葉は明らかに衝撃的であったが、予想されていたことでもあった。
「そう、ですか」
「その理由は情けないもんだけどな」
彼は自嘲して笑う。
え、と陽炎は声を上げる。
半ば機械的に食べていたカレー。スプーンの動きを止める。
「俺はさ、艦娘の誰かを好きになったところで、責任を持てないからな」
「責任……?」その時、陽炎は怖気の走るようなことを思いついてしまった。
「まさか、誰かを孕ま……」
提督は陽炎の言葉にむせながら、「そんなわけあるか!」
水を慌てて飲んで、息をついた提督にわずかな罪悪感を覚えながら陽炎は曖昧に笑った。
「で、ですよねー。びっくりしたー」
「たくっ……」
口の周りを備え付けの紙でふくと、彼は気を取り直して、話を続けようとする。
「責任というのは……艦娘が、お前達が、死んじまったときのことだよ」
陽炎は黙っている。
「俺は、男としてお前らに希望を見せ続けることはできない。みんなのために、軍のために、そして、国のために希望を見せることしかできない。愛国心があるわけじゃない。けど、俺の一番は女じゃない。仲間なんだ。誰か一人の女のためじゃなくて、鎮守府にいるみんなが、一番なんだよ」
彼は一旦そこで口を閉じて、カレーをよそう。
「だから、みんなのために一人の、愛する女を捨てることだって辞さない。それでしかみんなを救えないなら、俺は歯を食いしばり、そして、泣きながら、そして喜んで捨てるだろう。けどよ、それで捨てられる女にとっちゃいい迷惑だよな。だから、俺はお前たちを好きにはならない。絶対にだ」
「…………私は、捨てられても、みんなのためなら」ぼそりと、陽炎は言う。
「……かんべんしてくれ…………」
バンザイをして、彼は呻く。
「好きな女を捨てるなんて、できるとしてもやりたくない。だからだよ。話は終わりだ。飯を食うぞ」
彼は言いたいだけ言って、そのままよそったカレーを口に運ぶ。
陽炎は彼をじっと見つめている。
というより、睨んでいる。
「…………提督、それじゃあ、あのリボンは誰にあげたんですか?」
ぴたりと提督がスプーンを止める。
「……見たのか?」
陽炎は肯定の意を示す。
「あれは…………別に、なんでもない。気の迷いだ。何か意図があって買ったにしても、もう忘れたよ。たぶん、買った時の俺は狂っていたか、なにかだろう。捨てたよ、あれは」
「捨てた……」
「ああ、捨てたさ。捨てたんだよ」
提督はそれ以上何も言わず、ただ、時間が過ぎていく。
「提督……」
呼ばれた声に提督が顔を向けると、そこには怒りでか、肩を震わせる陽炎の姿があった。
「こんの…………馬鹿提督!!」
大声を挙げた陽炎は机に手をついて勢い良く立ち上がる。
「んなっ」
「あなたがそんな人だって、知ったら幻滅するとでも思っていたんですか!? 私達がそんなに薄っぺらいものだと!? いや、それならまだいい、私達を馬鹿にするのはどうでもいい。けれど、あなたがあなた自身を貶めるのは許さない! 私達の信頼を馬鹿にするな!」
かちゃん、とスプーンが落ちる。
「私達は普通の女の子じゃない! 『戦う』女の子だ! 大洋を駆け巡り、息を凝らし水平線を見つめ、影を探し、深海棲艦を屠り、そして、陸へと上り、戦いを誇る。私達は誇りに思う。戦うことを! 戦い、そして生きることを!」
「陽炎……」
「なんのために戦うか、皆のために戦うんです。私は自らの仲間のために、そして、あなたのために戦います」
「……俺はそんな大層なやつじゃない……」
「いいえ」
「聞け、陽炎!」
陽炎は口をつむぐ。提督は下を向いていて顔は見えない。
「情けないと罵られても、臆病者と誹られても、軟弱だと蔑まれても、俺は、そんなに強い人間じゃないんだ……。惚れた女が俺のために死ぬなんて、そんな悲しいことを許せるようなやつじゃない。俺は、俺は、いつも思う。お前らが出撃するときに帽子を振りながら思う。歯を食いしばり、涙がでないように目を見開き、暁の水平線を見つめるお前たちの目が曇らないことを祈る。そして、それしかできない、思うことしか、祈ることしかできない俺を、許してくれと。代われるものならば代わりたい。そうでなくても共に戦うこともできない俺は、ただまんじりともせずのうのうと陸の上で待つしかないんだ……。俺は、いままで奇跡的にもフネを沈めたことはない。だが、その幸運はいつまでもは通じないんだよ! それを、知っているんだ。俺は。…………加えて、お前は駆逐艦娘だ。船団を護るために自らを放り投げるその姿が、羨ましく、そして、途方もなく不安になる。陽炎のように消えるんじゃないかと……」
「提督……?」
提督は顔を上げる。両手を顔に当てていて、隙間から目が見える。
静かに落涙している。
冴え冴えと、冷え冷えとした目が、陽炎を捉えた。
「……あのリボンは、陽炎、お前のためのものだ。捨ててもいない」
「えっ?」
「今日の夜、
提督は、ただそう言うと、カレーにスプーンを差し込み、何事もなかったように食べ始める。
陽炎はその様子をじっと見つめて、ふと周りの目線がこちらに向いていることに気づく。きつく周りを見ると、目線がそらされる。陽炎は疲れきったように椅子に座り込み、提督をちらちらと眺めながら、カレーをたべることにした。
怯えたような店員にスプーンをもらって、カレーとご飯をすくう。
冷え冷えとしたそれは、味がしなかった。