「……花は、好きか?」
美しい黒色の髪を長く伸ばした、綺麗な少女だった。
梳った夜色に染まった黒の長髪。輝くような白い肌。
しなやかな肢体に硝子細工のように綺麗な顔立ち。
美しい金色の瞳がこちらをのぞく。
そして煌びやかな装飾が施された制服。龍の意匠があしらわれた制服に袖を通し、腰にはレイピア風の剣を下げる姿。――その佇まいが、彼女の生業がなんなのか如実に語り尽くしていた。
ユリウスは自分は人ではないものをみたような気がした。
この時のことを一瞬たりとも忘れたことはない。……たとえ、彼女が自分のことを忘れてしまっても。
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街の開発が進み、現在王都では昔のように花が咲き誇る花畑のような自然はほとんど見られなくなってしまった。お爺様の時代にあった視界一面を覆い尽くす自然の花園は存在しない。
そこにあるのは、自然に咲いた花ではない。少女が敷地内に自ら種を撒き育てたものだ。
いつもの場所。彼女が何かを思案する時に訪れる場所だ。
しかし、どうやら今日は先客がいるようだ。
長身の少年だ。髪の色は青みのかかった紫で、体つきは細身だが弱々しい印象はせず、しなやかと形容すべきだろう。
彼女は一目見た瞬間、彼が誰か気づいた。『最優の騎士』 ユリウス・ユークリウス、その人だった。いや、おそらくまだ騎士にはなっていない。
まだ騎士になっていなくとも、原作キャラにあってしまったという焦りにより、彼女はこう声をかけてしまった。
「……花は、好きか?」
それは、先代の『剣聖』 テレシア・ヴァン・アストレアが、『剣鬼』 ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアに向けて言った言葉だった。
(ああああああああっっ、何が花は好きか、だ!!!馬鹿か!!私はぁぁぁ!!!それは!テレシアの!!!)
だから、脳内でひどく取り乱しても仕方ないことだった。
ーーーーーー
私はそのとき、いわゆるジト目というものを彼に向けていた。
「………。」
「…あの、そのような目を向けるよりも直接仰っていただけると助かるのですが。」
燃える赤髪に空色の瞳。皆がご存知、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアである。
「では言わせてもらおう。お前、その話し方は何だ?」
「何、とは?」
「今日は休日だ。」
「はい。」
「楽にしろと言っている。」
「それはできかねます。貴女は賢人会の一人であり、騎士団の司令官であり、副団長」
「副団長補佐だ。補佐をつけろ。」
「…申し訳ございません。」
これを彼の父ーーーハインケル・アストレアにでも聞かれては厄介である。地位はあくまで名目上でのものであり、仕事はすべて私に回ってくるが、それとこれとは別の話だ。
「で、一般の騎士である自分とは立場が違うからその話し方をする、と?」
「はい。」
「お前はなんというか、いや、お前たちはオーバーだな…。」
「おーばー?ですか?」
意味がわからなかったらしい、それもそうだ。
「あぁ、すまない。限度を超えている、という意味だ。」
「司令はたまに妙な言い回しを致しますね?」
「……気にするな。まぁ、これ以上、騎士の在り方について否定すると誰かさんに怒られそうだからやめるとして……。」
私と彼の視線が交差する。
「ラインハルト・ヴァン・アストレア!」
「はい」
「私、司令官ジゼル・グラディスが命ずる。休日ぐらいは敬語も使わず、私のことをジゼルと呼び、肩の力を抜け。」
「いえ、しかし…」
「おや、お前は命令に違反するつもりかね?」
私は片目をつむって、少し茶化して話す。
「……貴女はずるい人だ。」
「?」
なんだろう、よく聞こえなかった。
「いや…わかったよ、ジゼル。降参だ。」
「よろしい。」
私は満足して微笑む。
そして私達は休日というものを満喫した。
「ところで、ジゼルはどうして制服のままなんだい?」
ラインハルトの問いに答えようとしたその時、
『衛兵さーーーーーーーーん!!!』
という声がが聞こえた。
「ラインハルト!」
「ああ。」
『誰かーーーー! 男の人呼んでーーーーーーーー!!!』
声の聞こえた方角へ走る。路地裏だろう。先程より声が鮮明に聞こえる。
しかし、この声、この場面、どこかで見たような……
ーーーーーー
「――そこまでだ」
その声は唐突に、しかし明確に、路地裏のひりつくような緊迫感を切り裂いた。
凛とした声色には欠片も躊躇もなく、一切の容赦も含まれていない。聞く者にただ圧倒的な存在感だけを叩きつけ、その意思を伝わせるソレは天性のものだ。
スバルが顔を上げ、トンチンカンが振り返る――その先、ひとりの青年とひとりの少女が立っている。
まず何よりも目を惹くのは、燃え上がる炎のように赤い頭髪。
その下には真っ直ぐで、勇猛以外の譬えようがないほどに輝く青い双眸がある。異常なまでに整った顔立ちもその凛々しさを後押しし、それらを一瞥しただけで彼が一角の人物であると存在が知らしめていた。
すらりと細い長身を、仕立てのいい黒い服に包み、その腰にシンプルな装飾――ただし、尋常でない威圧感を放つ騎士剣を下げている。
その傍らには美しい黒色の髪を長く伸ばした少女がいる。スバルと同じ黒髪のはずなのに、それは輝くようである。
しなやかな肢体に硝子細工のように綺麗な顔立ち。美しい金色の瞳がこちらをのぞく。どこかお金持ちに飼われている黒猫と表しても良いぐらいだ。
そして煌びやかな装飾が施された制服。龍の意匠があしらわれた制服に袖を通し、腰にはレイピア風の剣を下げる姿。
「たとえどんな事情があろうと、それ以上、彼への狼藉は認めない。そこまでだ」
言いながら、青年と少女は悠々とトンチンカンの隣を抜けて、彼らとスバルの間に割って入る。そのあまりに堂々とした行為に、スバルも男たちも声を上げられない。
だが、トンチンカンとスバルでは沈黙を選んだ理由が違うらしい。
スバルが黙ったのは驚きと、これまでにない展開を固唾を呑んで見守っていたというのが理由だが、その顔から血の気を失い始めるトンチンカンは違う。
「ま、まさか……」
紫色になりつつある唇を震わせて、チンが青年を指差した。
「燃える赤髪に空色の瞳……それと、鞘に竜爪の刻まれた騎士剣」
確認するように各所を指差し、最後に息を呑んで、
「ラインハルト……『剣聖』ラインハルトか!?それに…その夜色の髪に金色の瞳…『聖女』レイラ・ジゼル・グラディス!?」
少女はぴくりと肩を動かし、トンチンカンを睨みつけた。
「自己紹介の必要はなさそうだ。……もっとも、その二つ名は僕にはまだ重すぎる」
ラインハルトと呼ばれた青年は自嘲げに呟き、しかし眼光を決してゆるめない。
視線に射抜かれた男たちは気圧されるように後ろへ一歩。逃げるタイミングを見計らうようにそれぞれが顔を見合わせる。が、
「逃げるのならこの場は見逃す。そのまま通りへ向かうといい。もしも強硬手段に出るというのなら、相手になる」
腰に下げた剣の柄に手を当てて、彼は後ろに立つスバルを示すように顎をしゃくり、
「その場合は三対三だ。これで対等だ。」
「じょ、冗談っ! わりに合わねーよ!」
うそぶくラインハルトにトンチンカンは慌てふためき、獲物を隠す配慮すら忘れて蜘蛛の子を散らすように大通りへと逃げ去っていく。
初回のときには残せた捨て台詞すら残せない慌てぶり。それだけで、この目の前に立つ青年の規格外さが知れるというものだ。
「お互い無事でよかった。ケガはないかい?」
男たちが完全に消えたのを見計らって、青年が微笑を浮かべて振り返った。
途端、路地裏を席巻していた威圧感が消失。それすらも意識的に青年がやっていたことだと体感して、スバルはもはや絶句するしかない。何より、
「あんだけのことしてこの爽やかさ……イケメンってレベルじゃねぇぞ」
顔と声と佇まいと行動、今のところ全てが高水準でイケメン判定をクリアしている。これで性格と家柄までよかったら、裏で何か悪事を働いてないと釣り合いが取れないレベルだ。
ともあれ、そんな嫉妬心丸出しの心境はさて置き、助けてもらった事実は事実。
スバルはその場に膝をつき、「へへー」と平伏して、
「このたびは命を救っていただき、心からお礼申し上げる。このナツキ・スバル、その御心の清廉さに感服いたしますれば……」
「そんなに堅く考えなくても構わないよ。向こうも三対三になって、優位性を確保できなくなってのことだ。僕がひとりならこうはいかなかった」
「いや、あのビビりようからしたら三対一どころか十対一でも逃げてそうだったけど……なんだ、このイケメン。本気で身も心もイケメンか。俺ルートのフラグが立つわ!」
わりと泣ける系シナリオなのでハンカチ必須。
そんな戯言を口にしつつ、スバルは改めてラインハルトの姿を観察。
見れば見るほど神に選ばれたとしか思えない造形の美男子だが、その格好を見るにどうも衛兵という感じではない。大通りで見かけた多数の一般人と、素材の良ささえ除けば大差のない様子に思えた。
「えーっと、ラインハルトさんと」
それから隣にいる、未だ話さない美少女に目を向ける。
「レイラさん……でいいんスか?」
「呼び捨てで構わないよ、スバル」
「さらっと距離縮めてくるな……」
「私のことは気軽にグラディスで良いぞ、ナツキ・スバル」
「全然気軽じゃねえ!?そしてラインハルトと反対にかなり距離があるな!!」
「すまない、ジゼルは人見知りでね。それから名前で呼ばれるのは苦手らしいんだ。」
「明らかに人見知りの態度じゃねえし、ミドルネームで呼ぶことさえ許されてねぇんだけど!?」
「フン。」
「……えっと、改めてありがとう、ラインハルトとグラディス。俺の叫びを聞きつけてくれたのはお前らだけだぜ、マジ寂しい」
あれだけ人の数がいて、聞こえたのが彼らだけということはないだろう。人心の寂れっぷりを嘆くスバルに、ラインハルトはかすかに目を伏せ、
「あまり言いたくはないけど、仕方のない面もある。多くの人にとって、連中のような輩と反目するのはリスクが大きい。その点、衛兵を呼んだ君の判断は正しかったよ」
「その言い方だと、ラインハルトたちって衛兵なの? そうは見えないけど」
「よく言われるよ。まあ、今日は非番だから制服を着ていないのも理由だろうけど」
苦笑いしながら両手を広げるラインハルトに、スバルは内心で反論。
彼らが衛兵に見えない最大の要因は、そんな泥臭い感じのイメージとかけ離れた雰囲気が為せる技だ。衛兵の制服を着ているグラディスさえ、衛兵には見えない可憐さがある。プラスアルファすることがあるとすれば、
「『剣聖』とか『聖女』とか呼ばれてた気がするが……」
「家が少しだけ特殊でね。かけられた期待の重さに潰れそうな日々だよ」
肩をすくめてみせる気軽さに、どうやらユーモアも持ち合わせているらしい。
もはや心身共にイケメンであること疑いの余地なし。存在イケメンのラインハルトに驚嘆を隠せないスバルだが、彼はそんなスバルをジッと見下ろし、
「珍しい髪型と服装、それに名前だと思ったけど……スバルはどこから? 王都ルグニカにはどんな理由できたんだい?」
「どこからかって言われると答えづらいんだよな。東の小国って設定はダメ出し食らったから……も、もっと東とかってのはどうだー」
我ながら安直な答えだと自省の限りだ。が、それに対するラインハルトの反応は意外にも顕著なものだった。
「ルグニカより東……まさか、大瀑布の向こうって冗談かい?」
「大瀑布?」
聞き慣れない単語に首をひねるスバル。
瀑布、というと滝か何かだったと思うが、このあたりの地理情報にはかなり疎い。そもそも王都の広さすらまだ把握していない状況だ。スバルにとってこのルグニカという王都の活動範囲は、商い通りと路地裏と貧民街で完結している。
自宅、自室、コンビニで完結していた元の世界と変わらないレベルだ。
「そう考えると異世界でも同じ場所でばっかひきこもってんのか、もはや天性のもんだぞこれは……持ってるな、俺」
「誤魔化してるってわけでもなさそうだけど、そこはいいか。とにかく、王都の人間じゃないのは確かみたいだけど、何か理由があってきたんだろう? 今のルグニカは平時よりややこしい状態にある。僕でよければ手伝うけど」
「いやいや、休日なんだろ? それ返上してまで俺の手伝いなんてすることねぇよ。さっきので十分……だけど、ついでに聞きたいことはある」
ラインハルトの申し出に首を振ってから、スバルはふと思い出したように指を立てる。ラインハルトは「なんでも聞いて」と気軽に頷いた。
「世情には疎い方だから答えられるかはわからないけどね」
「んにゃ、聞きたいってのは人探しだから平気平気。ってなわけで聞きたいんだけど、このあたりで白いローブ着た銀髪の女の子って見てない?」
何度かの大通りの観察の結果、偽サテラの格好はかなり目立つ類のものだ。頭髪の色はスバルの黒髪同様に見かけないし、鷹っぽい刺繍の入ったローブも同じく。思い返せば白いローブはそれなりに高価そうでもあった気がする。宝石の入った徽章を持っていたことからすれば、その素姓も自然と高い位にあるのだろうと察せるが。
「白いローブに、銀髪……」
「付け加えると超絶美少女。で、猫……は別に見せびらかしてるわけじゃないか。情報的にはそんなもんなんだけど、心当たりとかってない?」
猫型の精霊を連れている、まで合致すれば偽サテラであることは疑いようもないが、通常は銀髪に埋もれているはずだからそれは高望みだ。
美少女情報を付け加えて思ったが、超美形のラインハルトと彼女が並んだらそれはそれは絵になりそうである。勝手に考えて変な嫉妬心が芽生えたほど。
「……その子を見つけて、どうするんだい?」
「落し物、この場合は探し物か? それを届けてあげたいだけだよ」
もっとも、それはまだスバルの手の中にはないし、ひょっとしたらまだなくしてすらいないのかもしれないのだが。
スバルの答えにラインハルトはその空色の瞳を細め、しばし黙考してから、
「ううん、すまない。ちょっと心当たりはないな。」
「私もない。」
「もしよければ探すのを手伝うけど」
「そこまで面倒はかけられねぇよ。大丈夫、あとはどうとでも探すさ」
手伝いを申し出るラインハルトに手を挙げ、スバルはとりあえず大通りから回ることに決める。うまくいけば三回目のように通りで見かけることもあるだろう。
なんなら盗まれるその場で、フェルトを捕まえて徽章奪取を阻止してもいい。
後々のことを考えると、それが手っ取り早いような気もしてきて、なおのこと急がなくてはいけないと気持ちが逸る。
「問題はフェルトのはしっこさをどう捕まえるかだな……こう、反復横とび的な動きで道を塞いで、ゾーンディフェンス」
「珍しい動きだね。どんな意味があるんだい?」
「相手にプレッシャーをかけつつ、ボールを奪うためのディフェンスアクションだよ。こう見えてもディフェンスには定評があるんだぜ。あと、ボール回しに何ら影響を与えない位置で参加してるように振舞う能力とかな」
ドッジボールでもライン際に立ち止まり、内野だか外野だかわからないような参加の仕方をするのがスバル。ボールに当たらずに試合終了も珍しくない。
「ともあれ、何はなくとも商い通りだな、まずは」
「行くのかい?」
「ああ、行く。ラインハルトとグラディスには世話になった。この礼はいずれ。……衛兵の詰所とか行けば会えるのかな?」
「そうだね、名前を出してもらえればわかると思う。もしくは今日みたいな非番の日は、王都をうろうろしてるから」
「グラディスはともかく、わざわざ男を探して町をうろつき回る趣味はねぇなぁ……乙女ゲーじゃあるまいし」
軽口で応じてシュタッと手を掲げると、ラインハルトは「気をつけて」と最後まで爽やかに見送りの言葉を向けてきた。一方のジゼルは初めて目があったときから、最後までなぜかこちらを睨んでいたが。
その言葉に背中を押されるように、スバルは無傷の損害ゼロで路地裏からの脱出を果たしたのだった。
――その背中を青い双眸が、値踏みするように見ていることには気付かずに。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ジゼルは初めて彼を見た瞬間『なるほど、始まったのか。』と思った。正確に言うならば、『始まっていた』だが。
「ラインハルト、気になるのか?」
「少しね。ジゼルも随分と…」
「私は人見知りなものでね。」
皮肉をたっぷり込めて言う。ラインハルトは困ったように笑う。
「行きたいなら行っていいぞ、ここで解散だ。……私は用事があるのでな。」
「ありがとう。そうするよ。……ところで、いや、言いたくないなら良いんだけど、用事って?」
「……服だ。」
「え?」
言っていることがわからなかったらしく、彼は首をかしげる。
「私服を買いに行く。」
「ええと、それはつまり」
「ああ、そうだ!平たく言えば、私服がない!それを友人に言ったところ、それは女云々よりも人間として駄目だと言われた…。」
「知らなかった、貴女は制服しか持っていなかったのか。」
「フン、仕事人間だとか好き勝手に言え。…勿論、幼少の頃は私服を所持していたぞ。」
「ふふふ。」
そして笑いを堪えきれなかったのか、ラインハルトの笑い声が聞こえてくる。
「…笑うな。まったく。」
私は思わず拗ねたように、顔を背けてしまう。私の方が歳上のはずなのに、これでは示しがつかない。
「では、僕はこれで。またね、ジゼル。」
「ああ、またな、ラインハルト」
お互い背を向け、歩き出す。
ラインハルトとの休日を噛みしめながら、次には別のことを考えていた。
「(ナツキ・スバル…。とうとう出会ってしまったな、主人公。死に戻りの知識はあるが、戻ったという感覚はしなかった…。気をつけなければ…。)」