Re:ゼロから始める転生生活   作:夜はねこ

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ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア

 ――煌めく宝剣が岩のような外皮を易々と切り裂き、風が走り抜ける。

 

 

「おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ――!!」

 

 雄叫びを上げながら駆ける老剣士のあとを追いかけるように、生じた刃の傷から噴出する血が空を朱色に染めていく。

 

 満身創痍の姿だ。

 左腕は肩から先が今にも落ちそうで、全身を濡らす血は返り血と自身の血が混ざり合ってどす黒く色を変えている。

 ほんのわずかな時間の治癒魔法の効果など、傷の止血と幾許かの体力の回復しか見込めない。依然、安静にしているべき重篤な状態であることに変わりはない。

 

 だが、今のヴィルヘルムの姿を見て、誰が彼を瀕死の老人だと笑えよう。

 双眸の輝きを見れば、駆け抜ける足取りの力強さを見れば、握る刃の剣撃の鮮やかさを見れば、響き渡る裂帛の気合いを耳にすれば、その魂の輝きを目前にすれば、誰がその老人の人生の集約を愚かであると笑えるのだ。

 

 刃が走り、絶叫を上げて、悶える白鯨の身が激痛に打ち震える。

 大樹の下敷きになって身動きの取れない魔獣の背を、駆け抜ける剣鬼の刃に躊躇いはない。頭部の先端から入る刃が背を抜け、尾に至り、地に降り立つと再び頭を目指して下腹を裂きながら舞い戻る。

 

 一振り――長く長く、深く鋭い、斬撃が一周して白鯨を両断する。

 

 跳躍し、動きの止まる白鯨の鼻先に再び剣鬼が降り立つ。

 血に濡れた刃を振り払い、剣鬼は自分をジッと見つめる白鯨の右目――片方だけ残るそちらに自身の姿を映しながら、

 

「貴様を悪と罵るつもりはない。獣に善悪を説くだけ無駄。ただただ、貴様と私の間にあるのは、強者が弱者を刈り取る絶対の死生の理のみ」

 

「――――」

 

「眠れ。――永久に」

 

 最後に小さな嘶きを残し、白鯨の瞳から光が失われる。

 自然、その巨体からふいに力が抜け、落ちる体と滴る鮮血が地響きと朱色の濁流を作り出す。

 

 足下を伝う血の感触に、誰もが言葉を発することができない。

 静寂がリーファウス街道に落ち、そして――、

 

「終わったぞ、テレシア。やっと……」

 

 動かなくなった白鯨の頭上で、ヴィルヘルムが空を仰ぐ。

 その手から宝剣を取り落とし、空いた手で顔を覆いながら、剣を失った剣鬼は震える声で、

 

「テレシア、私は……」

 

 掠れた声で、しかしそこには薄れることのない万感の愛が。

 

「俺は、お前を愛している――!!」

 

 ヴィルヘルムだけが知る、告げられなかった愛の言葉。

 最愛の人を失うその日まで、一度たりとも言葉にできなかった感情の昂ぶり。

 

 かつて彼女に問われたとき、本来ならば告げておくべきだった言葉を、ヴィルヘルムは数十年の時間を経てやっと口にする。

 

 白鯨の屍の上で、剣を取り落とした剣鬼が涙し、亡き妻への愛を叫んだ。

 

 

「――ここに、白鯨は沈んだ」

 

 ぽつりと、凛とした声音が平原の夜に静かに響く。

 その声に言葉をなくしていた男たちが顔を上げ、地竜を歩かせて前へ進み出る少女を誰もが目にした。

 

 長い緑髪はほつれ、戦いの最中に受けた傷で装飾の類は無残になり、その顔を自身の血で汚した、あまりにみすぼらしい格好の人物だ。

 しかしその少女の姿は彼らの目に、これまでのどんな瞬間より輝いて見えた。

 

 魂の輝きが人の価値を決めるのであれば、それは当然のことだ。

 

 宝剣は貸し出し、今のクルシュは帯剣していない。

 故に彼女は空の拳を天に差し向け、握り固めた拳を全員に見えるようにし、

 

「四百年の歳月を生き、世界を脅かしてきた霧の魔獣――ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアが、討ち取ったり!!」

 

「――――おお!!」

 

「この戦い、我々の勝利だ――!!」

 

 高らかに勝利の宣告が主君から上がり、生き残った騎士たちが歓声を上げる。

 霧の晴れた平原に、再び夜の兆しが舞い戻る。月の光があまねく地上の人々を照らす、あるべき正しい夜の姿として。

 

 

 ――ここに数百年の時間をまたぎ、白鯨戦が終結した。

 

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