──夜遅く。
疲労と負傷のこともあり、普段より深い眠りに就いていたウラヌスは、なぜか心地よい暖かさを感じていた。
…………柔らかく、暖かく、いい匂いがして。不思議と懐かしい…………
「姉貴……?」
思わずそうつぶやく。昔よく寝ている時に、寝ぼけた姉が抱きついてきて困ったことが多かった。もしこの状況で姉貴だったら、シャレにならないけど。
「……ちがーぃ、まぁすよぉー……」
うん? 違うらしい。じゃあ誰? てか、この声……
目を開くと────
すぐ目の前に、アイシャの顔があった。
瞼を下ろしたままの、気持ち良さそうな寝顔がそこにある。
「あ……あ……、あいしゃ?」
「あれぇー……
おきちゃいましたぁー?」
半分目を開けるアイシャ。それでもまだとろんとした表情をしている。
いや、これ……夢か? まるで夢のような
うん、きっと夢だ。だからこのまま寝てしまえば……
アイシャがふわりと吐く息から、やけに甘い匂いがした。
──ようやく意識が覚醒する。
なんかめっちゃ抱きつかれてる。記憶に全くない。が、布団の中でアホほど抱かれてる。俺が。
「──え?
えっ、なにこれ」
こわい。知らないうちに、1つの布団で一緒に寝てる。しかも変な様子で、ありえないほど密着しているアイシャ。一方的に、俺が抱き枕のごとく。どうしてこうなった?
「ちょ、あいしゃ? なにしてんのっ!?」
俺が拒絶するような声をあげると、むぎゅーっと強く抱きしめてきた。ぐえぇぇー……
「なにって……
だっこしてるんですよぉー。ぷにぷにぃー♪」
「ちょ、ちょ、強い……力が強い……
お願いだから、もうちょっと緩めて……いたいイタイ苦しぃってば……」
「おっとっと、ごめんなさーい。
これぐらいならいいですかぁ? ぷにぷにー、ぷにぷにー♪ んっふふふ」
「あ、うん、いや、その」
シームみたいなノリだった。イヤ、あれと比べても悪ノリがすぎる。シャレにも何にもならない。寝てる時に全身で思いっきり抱きついてくるなんて普通じゃない。冗談で済むレベルを越えてしまっている。
「ま、まって、まってあいしゃ。
マジで、なにしてんのさ……? おかしいでしょ、こんなことして。
どうしちゃったの?」
「へっ? おかしいって、なにがですかー?
わたしはいつもどおりですよ。いっつもしてあげてるじゃないですかぁー」
いやいやいや。人聞きが悪すぎるし、いつもどころか、そんな覚え一度もない。なんのこっちゃ。
「ほんっと、さくらってぇ……
いつだっこしてもぷにぷにしてますねぇー。やーらかくて、きもちいぃー……」
「──っ!」
ようやく理解した。どうやら寝ぼけて、桜を抱っこしてるものと思い込んでるらしい。
「ちっ、ちがう! ちがうよ……
俺、桜じゃないってば!」
「うそばっかりぃ……
あなたは、さくらなんでしょ?」
囁かれたその言葉に、心の芯まで冷える。まるで見透かされたようだった。必死で覆い隠していたものを。
「──違う。
俺は、ウラヌスだよ。桜じゃない……」
「そんなこといってぇー。
おねーさんにさくらってよばれてぇ、ちょっとうれしそうだったじゃないですかぁー」
そんなつもりはない。……ないが、実際はどうだったのか。分からない。けれど絶対に認めることはできないから、せめて言葉だけでも抵抗する。
「やめてよ……
俺はウラヌスだってば……桜なんかじゃない。ちがう」
「あらら。まー、うらぬすでもさくらでも、どっちでもいいですよー。
わたしにとっては、おんなじですもーん……」
抱き締められ、間近で息遣いを聞かされ、そんなことを囁かれて。どうすればいいのか、頭が全然働かなかった。
「一体どうしたの、アイシャ……?
なんでこんなことするの?」
「えー?
だからぁー。いっつもしてあげてるじゃないですかぁー……」
どうやら俺と桜をぐちゃぐちゃに混同しているようだ。正常じゃないのは分かるけど、こうなった理由がさっぱり──
────アイシャの吐息に混じって、変わった臭気がする。レモンの匂いと──……
「アイシャ。
ひょっとして、お酒飲んだ?」
「のーんでませーんよぉー。……ひっく。
さっき、おいしいじゅーすはのみましたけどぉ。
おさけなんか、のみまっせぇーん」
「まさか……」
緊急事態かもしれないと判断し、かわいそうだけど強引にアイシャを引き剥がす。
「あっ」
布団から這い出し、暗い部屋の中で視線を巡らせる。
「多分どこかに……アレか!」
あった。アイシャが寝ていた布団のそばに、ジュース缶らしきもの。
力の入らない手足を動かし、じたばたと這ってそこまで行き、口の開いた缶を確認する。
────レモンサワー。アルコール度数20。
「ぅげっ!!
これを間違えて飲んじまったのか……」
夜中にうっかりジュースと勘違いして飲んだ可能性が高い。冷蔵庫にビールやこういうアルコール飲料が入ってるのは知っていた。似たようなジュースがあったのも災いしたのだろう。アルコール度数20は、この系統のアルコール飲料としてはかなり高い。おまけに缶の中身を全部飲み干してしまっている……
さて、どうしたものか。アイシャは完全に酩酊してしまってるんだろう。なんとかして酔いを覚まさせないと、急性アルコール中毒の心配があるし、その……俺が危うい。多分、色んな意味で。
「つぅーかまーえたっ♥」
「ぅわあっ!?」
身体を引っ掴まれ、謎の技量を発揮して、俺をガッチリホールドしてきた。やべぇっ、今度は絶妙に関節を固められて、力尽くで引っぺがそうとすると痛みが走る。
「いでででっ! やめ、やめ!」
「こらこらー。むだなてーこーはやめなさーい」
ひとまず脱出を諦めて力を抜く。痛みはなくなったが、密着具合がかなりヤバイ。
「いやいやいや、ちょっと待って、アイシャ!
完璧に酔っ払ってる! 早く酔い覚まししないと……!」
「んふふー♥
よぉってなんかいませんよぉーっと。……ひっく」
「それ、酔っ払いの常套句!」
完全にアカンやつだ。……お互い浴衣を着ているせいで、あっちこっちがハダけて色々マズいことになってる。部屋が暗くて良く見えないのが救いだけど……
ただ、ブラをしてないせいで、押し付けられるアレの感触が恐ろしいことになってる。桜からフィードバックされる記憶でよくよく理解はしているが、直接味わう破壊力は尋常じゃない。関節を固められてるのも手伝って、力が入らない……
「ほれほれ。ぷにぷに、ぷにぷにぃー♪ んっふふふー」
「うわわわ……ちょ、ちょっとアイシャってば。やばいって、これ……
お願いだから放してよぉ……」
「だめでーす♥ ほぉれ、ぷにぷにぷにぷに……」
「ふぎゃあぁ……!」
遠慮なく全身を絡めて俺を揉んでくる。こ、これは、ホントにやばい……別の意味で、意識が飛びそうだ。痛みと気持ちよさで神経が混乱してる。
「やだやだ放して、放してよぉ……」
「いいから、あなたはいつもみたいにおとなしくだっこされなさーい。
……それにですねぇー。
あなたには、いろいろききたいことがあるんですよー」
「えっ?」
突然理性的なことを言ってきた。……まさか酔っぱらってるフリ? いや、そんなワケないか。俺の目で見ても、精神の流れがぐちゃぐちゃだし。ただ正確無比に関節を極めてきたり、ワケ分かんない感じだけど……
「……な、なに? 聞きたいことって」
「たとえば、ゆりさんのこととかぁー。
どうおもってるんです?」
「どうって……」
「さくらってよばれて、うれしそうにしてたじゃないですかぁー」
「だ、だからやめてってば。
俺こまってたでしょ? 姉貴に昔のこと、今さら持ち出されても……」
「わたしもぉ、しーむもぉ。
すっごぃふあんだったんですよー。
……わたしたちをおいてー、おねーさんについてっちゃうんじゃないかって……」
「アイシャ……」
……そっか。拒絶する俺はともかく、姉貴の態度を見て不安になったのかもしれないな。
「しんぱいしたんですよー……
ほんとはあなたも、おねーさんといっしょのほうがよかったんじゃないですか……?」
姉貴との様々な昔の想い出が過ぎった後、俺は振り払うように首を振る。
「……ううん。
だとしても、それは昔の話だよ。
俺は今でも姉貴のことを恨んでるし、元には戻れない。
だって……
もう信用できないからさ。一度、裏切られたから……」
「そんなこといって……
おねーさんにだって、やむをえないじじょうがあったみたいじゃないですか……
さくらにうらんでるっていわれて、おねーさん、かなしんでましたよ……?」
「……。
事情があったのは分かってる。でも……
姉貴の自業自得だよ。
少なくとも、俺はずっとずっと恨んできたんだ。
今さら、はいそうですかなんて納得できないよ……」
「かわいそうなさくら……
そうやってずっと、うらみたくなんかないのに、うらんできたんですね……」
露骨に同情されて、涙がにじんできた。恥ずかしいし、悔しいし、分かったふうなこと言われて怒りすら湧いてくる。
「ほらほら、なかないで……
なぐさめてあげますから。よしよし……」
頭を撫でられて、言葉を失う。言いたいことはたくさんあるのに、胸が苦しくて、声が出ない。想いがぐちゃぐちゃに混ざって解けていく──
「……ゃ……やめて、おねがいだからっ……」
ようやくの思いで絞り出せた声に、撫でる手が止まる。
「いじなんてはらずに、おねーさんといっしょにくらせばいいのに……
いまかえったとしても、わたしたちはさくらのことをうらんだりしませんよ?」
「……ダメ。駄目だよ。
そんなこと出来ない……。俺は、自分で決めたことを、最後までやり遂げたいんだ。
姉貴とじゃない。
俺と、アイシャと、シームと、メレオロンと。
4人で、今度こそゲームクリアしたいんだ」
「……そうですか。
それをきいて、あんしんしましたよー。
さくらとおわかれするなんて、さびしいですからねぇ……
えらい、えらい。んふふふ」
再び俺を優しく撫でる手を、今度は制止する気にもなれず撫でられるに任せる。
「……
ごめんね、心配かけて……」
「いいってことですよぉー。
でも、あとでしーむにもあやまってあげてくださいねぇー……」
「うん……」
ずいぶん不安がらせてたんだな。ホント、悪いことしちゃったよ。
……ん?
なんかまだ、放してくれる気配がないんだけど。
「あの、アイシャ?
話が終わったなら、もう放してほし──」
「なぁにいってんですか?
まぁだまだありますよぉー。
……しーむのことは、どうおもってるんです?」
「シ、シーム?
……そりゃ、うん。元気な子供でいいんじゃない?
メレオロンとも仲良いし、微笑ましくて」
「そーゆーんじゃなくてぇー。
おねーさんのこともそうですけど……
すきかきらいかって、そーゆーのですよぉ」
「……」
「さくらはぁ、おんなのこじゃないんですかー?」
「……心はね。そのつもり」
「じゃあしーむのことは、どうおもってるんです?」
「じゃあ、って……
別に俺が女のつもりでも、シームが好きか嫌いかとは関係ないじゃん……」
アイシャが笑みを深くする。な、なんだろ。
「そろそろしーむにもぉ、きっついしゅぎょーしてもらわないといけないとおもうんです。
きょうみたいなこともありましたしー。
あんまりのんびりしてちゃいけないなぁって……」
俺は否定できなかった。もし俺がいなくなっていたら、おそらくシームも修羅場を潜ることになっただろう。俺達がそれぞれトラブルの火種を抱えている以上、誰かがそうなる可能性は少なからずある。
でも、修行の強度を上げる、か。
いずれとは思ってたけど……しんどいだろうしな。
かといって、悠長にも構えてはいられないか。アイシャの懸念も理解できる。
「うん……
それは、そうかもね」
「でもぉ……
しーむのことがすきだったら、そういうのさせにくいっていうのもわかるんですよー。
……で。じっさいのところ、どうなんですー?」
「……」
「しーむのこと、きらいなんですか?」
「……
きらいじゃない、けど」
「じゃあ、すきなんですか?」
問われて、シームとの色んな想い出が頭の中をぐるぐる巡り──……
なぜか、また涙がにじんできた。
「…………。
……わかんないよ、そんなのぉ……」
「ふふっ。
すなおですねぇー、さくらは。
……それじゃあ、そろそろほんだい。わたしのこと、すきですか?」
「えっ?」
俺のことを抱き締める力が、ぎゅうっと強まる。な、な……
「もー。にどもいわせないでくださいよぉ。
……さくらはぁ。わたしのこと、すきですか?」