はぁー……
ちゃんと洗面台から普通に水が出るな。トイレに紙があったし、水も流せたから当然か。石鹸や手拭きの類はないけど、そこまではいいや。
手を洗い終え、振って水を切り、適当に腰周りで水気を拭う。
洗面台前にある鏡に映った自分をじっと見つめる。……やめとこ、なんか怖い。変なの見えたらヤダし。イベントのフラグが仕込んである可能性もゼロじゃないからな。
そろそろ夜の11時か。もうじき10月5日。強制『絶』の解除まで、残り241時間──待ち遠しいなぁ。特にこういう状況だと、自分の念が使えないのは心もとないんだよね。……正直、心細い。今さらではあるんだけども。
「お待たせしました」
シームは既に戻っていて、4人はロビー中央に集まっていた。
「全然待ってないよ。それじゃ行こっか」
「えっ?
ここの攻略はしないんですか?」
「んー……」
煮え切らない返事のウラヌス。──名前の通り、ここはゴースト系モンスターが大量に出るという話は聞いている。対策も聞いたけど、私はほとんど役に立てそうにない。
ユリさんがちょっと納得してない顔で、
「条件とか言ってたけど、どうやったらモンスターが出てくるの?」
「……どこでもいいんだけど、枕で寝ると出る」
「え?」
「ホテル内のプレイヤーがベッドの上にある枕で寝ると、ゴーストがめっちゃ襲ってくる。
それをひたすら撃退すると、寝るのに使った枕が遊魂枕になる」
あー……。なるほど、そういうイベントなのか。それでここ、普段モンスターが出ないんだ。うっかり安全地帯だと思い込んでたら、初見殺しされかねないな。
「寝なきゃいけないのは、ちょっと面倒ね」
「つーか、誰か起きてたらダメだしな。ウソ寝もダメ。完全に寝るまで出ない。
枕で寝るのは1人でいいらしいけど」
ということは……。本当に全員寝るか、1人だけホテルに残って寝るか。……どっちも厳しいな。
「さっさと出てくれば楽なのに、手間かかるわねぇ」
「ランクAだしな。
時間かかっちまうのは仕方ないよ。
出てくるモンスターもそこそこ強いし、とにかく数が多い」
そういえば、キルアが早寝の特技持ってたっけ。こういう時に居てくれたらなぁ。……いや、居ない人間をアテにするのはよそう。
「……分かった。私がやる」
「姉貴1人で?」
「睡眠導入剤で無理やり寝れば、まぁ出てくるでしょ。
私1人でやった方が早いと思うけど」
「睡眠薬なんか使って、襲われた時すぐ起きられるのか?」
ユリさんは少し悩ましげな目を覗かせ、
「敵が多少のオーラを発してれば、何とか。
……いきなり即死するような攻撃、してこないわよね?」
「初手は、スピリット、ポルターガイスト、スペクターのどれかだろうな。
スピリットは衝撃、ポルターガイストは物体操作、スペクターは体温低下。……まぁ、姉貴なら寝ながらオーラでガードしてれば、初撃は無傷で防ぎきれるよ」
「刃物がある部屋じゃなければ、物体操作も大丈夫そうね。
……でも1人だと、矢継ぎ早に来られたらカードをしまう暇がないかも」
「そうだな……
部屋の窓でも開けといて、そっから窓の外にカードを放っちまえばいいかな。
下で待機してるから、バインダーに収めるのはやっとくよ。……いざとなったら窓から逃げちまえばいい。助けを呼んでくれりゃ、逆に窓からでも乱入できるしな」
「うーん。
……そうね。じゃあ、そうしましょうか」
お? ユリさん、ホントにやる気か? 結構危なっかしいと思うんだけどな。
「大丈夫ですか?」
「聞いてる限りは問題なさそうかな。
まったく備えてなかったら危ないかもしれないけど、来るのは分かってるわけだし」
うーん……本人がそう言うなら、まぁいいか。ウラヌスも警戒してるだろうし。
手頃な2階の寝室を見つくろったユリさんは、先の尖った物を部屋の外に放り出した後、ついでに私達も追い出した。
ホテルの外へ向かう廊下を歩きながら、
「大丈夫ですかね、ユリさん?」
「まぁ任せるしかないかな。
……伊達に何年もくノ一やってないだろうし」
ウラヌス、ちょっと不安そう。そりゃそうだよね。わざわざ寝込みを襲わせるわけだし。
ホテルの外へ出て、建物の外周を回りこみながらユリさんのいる寝室の窓の下……あ、いた。ユリさん、窓際で頬杖ついてる。
「はやくー。
私、もう薬飲んで眠いんだからー」
「待て待て。
つか、そんな状態でマジ大丈夫か?」
「すぐ眠気覚ましの薬使うから、へいきー。
だからはやくー」
そういえば毒耐性あるって言ってたのに、そういう薬は効くんだな。……ま、色々工夫してるんだろう。本物の忍者だもんね。
足早に、ユリさんが待つ窓の下まで辿り着き、
「ブック。みんなも」
『ブック』
「姉貴、準備できたぞ」
「はーい。じゃあ寝まーす」
室内に顔を引っ込めるユリさん。窓は開けたままだ。……ん? また出てきた。
「これもおねがーい」
ひょいっとバインダーを放り出すユリさん。慌ててウラヌスがキャッチ。
「乱暴なことすんなよ」
「いいでしょ、べつにー。
じゃ、今度こそおやすみー」
引っ込むユリさん。……不安だな。バインダー預けるくらいだし、頭は回ってるみたいだけど。どうも、うっかりやらかしそうな雰囲気だから困る。
「……ウラヌス、いざとなったら」
「もちろん。あの高さなら数秒で行けるよ」
ウラヌスは垂直歩きできるからな。救援は任せよう。
────数分後。
見上げる窓の向こうから異様な気配。直後に物音、室内から風切り音。
窓から飛び出す数枚のカード。私とウラヌスが空中でキャッチ、メレオロンとシームが落ちたカードを拾う。バインダーに収めながら、目を切らず窓を見上げる私とウラヌス。
断続的に物音が響き、カードが度々窓から放り出される。遠くに投げられたカードは、悪いけどメレオロン達に任せる。手近なカードを受け取りつつ、室内から意識を切らない。
ガタガタガタと大きな物音。窓から時折り走る異様な光。呻き声。……相当な数を相手してるな。窓の外へ放り出されるカードもかなりの枚数だ。
黙々とカードを集めながら室内の様子を窺い続ける。ウラヌスもそうだろうけど、直接見れないから、余計に不安なんだよね。ユリさんの姿が目に映っていれば、戦っていても安心できるけど。
「ウラヌス。
数が多いという話でしたが、どれぐらいの数が出てくるんですか?」
「うーん……
姉貴はイチイチ数えないだろうから黙ってたけど、このイベントは100体かな」
「えっ!?」
「多分、ジャポンの百鬼夜行に
知ってる? 百鬼夜行」
「ええ……
聞いたことはありますが」
にしても100体か。1人で連戦はキツイだろうな。
「どうせ語呂合わせなら、44とかにしてくれりゃいいのにね。
……この後、またカード売りに行かないとな」
うん。まだ日付は替わってないから、トレードショップを探さなくていいもんね。……まぁ終わった後の話だ。今はユリさんの無事を願おう。
突然室内から、
『ウゥォォォォォォォォォ──……!!』
まるで大勢が酷く喚いたような奇声が響き渡る。メレオロンが強張り、シームがすくみ上がった。私もちょっとビビッたよ。
「レギオンだ。アレで99体目」
高さの違う窓の外にいても、見えない圧力が身体に伝わる。おそらくオーラだな。私が感じ取れるくらいだから、相当量のオーラを撒き散らしているんだろう。
しばらく激しい物音が続く。ウラヌスも真剣な目で見上げている。救援に行く可能性を想定しているんだろうか。
『ヴォォォオオオオオオッ……!!』
やがて大きな唸り声が上がり、圧力が霧散する。室内が静かになった。
……窓の中から、人の動く気配。おそらくユリさんが勝ったんだろう。窓からポイッとカードが投げられ、私が受け止める。
『761:レギオン』
ランクC カード化限度枚数42
大勢の怨念が積み重なって
オーラでしかダメージを与えられない上 相当なスタミナを持つ
全方位に視野があり 邪念を籠めたオーラ砲や 全方位への波動も強力
しぃん、と静まり返る。──ウラヌスから事前に聞いていなければ、終わったものだと勘違いしたかもな。
しばらく待つ。最後の1体が出現するのを。
──パンッ! と音が鳴った。
再び場が沈黙する。
窓から、カードが1枚ひらりと舞い降りた。ウラヌスが二本指で挟んでキャッチする。一瞥した後、微笑みながら私達にカードを示すウラヌス。
『762:デス』
ランクB カード化限度枚数24
ボロボロの黒衣を纏う 大鎌を手にした死神
突如ワープして斬撃を見舞ってくる
目を付けられたことに気づかなければ その名が示す通りの結末を迎えるだろう
自在に宙を飛び交い 首を刈り取らんと大鎌を振りかざす姿は
正に死神と呼べる出で立ちである
うん。予め聞いてた最後の1体だ。これでユリさんが使っていた枕が、あのアイテムに変化したはず。
念の為、しばらく様子を見ていたのだろう。やがて部屋の中から、
「取ったわよー」
窓から顔を出し、ひらひらカードを振るユリさん。
「そいつは姉貴が持っててくれ。
っと、忘れてた。その窓から出てきた方がいいぞ。
日付が変わるまで、ゴーストホテルの中にモンスターが出てくるようになったから」
……ああ、なるほど。目の力で他のプレイヤーが居るか居ないか見破れるウラヌスが、やけに1階ロビーを見て回ったのは、敵が出ないかどうか確かめる為か。もし誰かが先に遊魂枕を取ってたら、1人になった私とシームが危険だもんな。……あー、こわ。
「よっと」
窓から滑らかな動きで身を乗り出し、ト。と静かに着地するユリさん。……慣れてるな。
ウラヌスは、ユリさんにバインダーを返し、
「お疲れ、姉貴」
「ん……ブック。
ま、そこそこね。眠気覚ましのいい運動になったわ」
んんー、と伸びをするユリさん。私達も、必要がなくなったバインダーを『ブック』で消す。えっと、この後は……
「ウラヌス、廃墟デパートに引き返すんですよね?」
「うん。カード売っちまおう」
「あ、そうね。まだ時間大丈夫?」
「……23時22分。まぁ間に合うだろ」
廃墟デパートへ戻り、場所が変わっていないトレードショップでまた安いカードを売却。ついでに休憩もしていく。
「さて、懐も暖まったし。
これで終わってもいいんだけどな」
「あー。私ばっかり働かせて」
「元々そういう約束じゃないか。
俺達は余力少ないんだから、協力してくれよ」
「もー。虫がいいわねー」
頬をふくらませるユリさん。お任せするとホント楽だけど、張り合いがなくなっちゃうのが問題だな。のんびりカード集めするわけにもいかないんだけどさ。
「ウラヌスは地下墓地に行きたいんじゃなかったですっけ?」
「まぁね。稼げるから。
こればっかりは姉貴任せってわけにもいかないし」
「私は私で軍資金が要るもの」
「分かってるよ。今回のもちゃんと分け前は渡すから」
金銭管理は、このゲームのクリアを困難にしている要素の1つだしな。ウラヌスに管理任せっきりだけど、ムチャクチャ助かってるよ。
「本音を言うと、もう1つ残ってる館の方にはあんまり行きたくないんだよね。
謎解きゲームみたいな場所で、時間かかりそうだから」
「なら、私1人で取りに行けばいいんじゃない?」
「そうするかも。
ランクBにしちゃ、ちと面倒なイベントなんだよな」
謎解きか。それはそれで面白そうなんだけどな。……いや、待てよ。
「その館って、謎解きしながら奥へ進んでいくイベントなんですか?」
「うん、そう。
リドルを解いていけば、最後に心度計のある部屋に入れる」
「……謎解きを間違えたりすると、ペナルティがあるとか?」
ウラヌスが苦笑してみせる。
「ホラーの定番だよねぇ、そういうの。
当たり。怪物が襲ってきたり、床に穴が開いて落っことされたりすんの。意味もなく、悲鳴が上がったりとかもあるけど」
あー、予想通りだよ。だとしたら行きたくないな。だって、
「ウラヌス、ぼく行きたくない……!」
「完全に幽霊屋敷のノリだからな。
入ったらずっと、思いっきりビビらせに来るぞ。
シーム、トイレから帰ってくるの早かったもんな。怖かったんだろ?」
「やめてよ、ウラヌス!」
「背後から突然、おーばーけー」
「もーやめてってばっ!!」
やっぱりね。私ですら結構怖かったもん。シームが幽霊屋敷に行ったら、メレオロンと一緒になってキャーキャー騒がしいったらないよ、きっと。
「コラ、あんまり怖がらせるんじゃないの。
そういうのに耐性付けさせたいのに、アンタまでビビらせようとしてどうすんのよ」
「……うん。まぁそうだな。
ごめん、シーム」
「……」
ユリさんに怒られ、謝るバカにゃんこ。半泣きで、ぶすっとスネる人魚姫。
ともあれ、次は地下墓地へ向かうことに決まったようだ。