水場の扉が開く。
やたらテカテカしながら、肩にタオルかけたメレオロンが。
おかしそうに笑ってるシームが。
……どんよりと負のオーラを発して、今にも死を選びそうなウラヌスが。
テーブルで本を読んでいた、私のところへぞろぞろやってくる。
「やー! さっぱりしたー!」
分かったけど、メレオロンあなた服は?
「アーッヒャッヒャッヒャ、ひー! もう腹筋が破けて離れるぅー」
シーム、それは一大事だよ?
「あいしゃあ……オレもう嫁にも婿にもいけないぃ……」
……何があったのか。
でもゴメンね? めそめそぷるぷるしてるウラヌス、とっても可愛いのです。言ったら死んじゃいそうだから言わないけど。しっとり濡れた桜の髪はきゅーとですよ。言わないけど。
ひとまずパタンと本を閉じて、テーブルに置く。
ただいまの時刻、11時前。出発まで、後1時間と少し。
「えっと……
ウラヌス? だいじょうぶですか?」
「……へぇ……
アイシャには大丈夫そうに見えるんだ……?」
見えませんよ? クッションの上でふにゃりと座り込んだアナタは、のぼせたニャンコ並みの頼りなさです。
「アタシはいつでも行けるよー! どーんと来ーい!」
メレオロンには聞いてません。服きろ。
「ん? アイシャ、この本なに?」
シームがテーブルの上に置いた本に注目する。
──『武芸百般シリーズ 様々な縮地法』。
何となく『縮地』という名前が気になって読んだ本だけど、理想論や空論が多いながら、移動一つでみんなよく考えるものだな、と感心しながら読んでいた。まぁ出来ないこと、やる意味がないことばかりだったので、退屈しのぎにしかならなかったけど。念能力の本じゃないし、それは仕方ないか。
「あ、ウラヌス。勝手に本読んですいません」
ウラヌスはどんよりとした目でテーブルの上にあった本を見て、また視線を落とす。
「……うん。別に、いいよ」
これ、出発延期した方がいいんじゃないだろうか……
突然バッと顔を上げるウラヌス。
「……っ!!」
テーブルの本を掴んで立ち上がり、本棚の方へと急ぎ歩いていく。
やがて、その本が収まっていた本棚の前で立ち尽くし──
ヘタりこんで、しくしくしてるウラヌス。
あー、うん……何冊かあったアッチ系の本のタイトルを見られたのがショックだったんだね……スマンカッタ。いや、ほんとに。
「洗濯って、まだ終わってないんですよね?」
「……ぇ。ぅん。まぁね……」
蚊の鳴くような声で返事するウラヌス。
なんかで気を紛らわさないとダメだな、こりゃ……
とりあえず全員外出用の格好はしてるけど、まだグリードアイランドを繋げてもいない。ちょっとまだ気が早いしな。洗濯物をウラヌスの荷物に詰めたら終わりかなー。
「そういえば、あちこち散らかってますけど、このまま出発していいんですか?
お風呂場とか……」
「ぐ……」
呻き声。嫌なことを思い出したっぽい。
「えっと、その……
大丈夫。基本的にオートメンテが1ヵ月に1回入るから……
石鹸とかも所定の場所に置いとけば、勝手に処分される……処分って言っても、ゴミとしてまとめて置いとくだけだけど」
キッチンに行ったメレオロンが戻ってきて、水の入ったグラスをことん。とテーブルに置いた。
その水に、なにか浮かべる。
「なんですか、これ?」
なんとなくしたいことは分かるけど、変だぞコレ。
レタスの切れっぱし?
「まだ時間あるし、水見式でもやんない?」
視線をテーブルの上へ向けるウラヌス。
「メレオロン……
水見式はいいけど、おまえ、レタスて……」
力ないツッコミ。うん、気ぃ抜けるねコレ。
普通は葉を浮かべてやるし、別になんでもいいんだけど、これはないかも。
「ふふーん。
じゃ、アタシから行くよー」
メレオロンが、レタスを乗せた水入りグラスに『纏』をする。……確かにメレオロンの『練』だと過剰オーラだから、『纏』でいいね。
水の上から、フッとレタスが消えた。
『はぁっ!?』
私とウラヌスの声が被る。シームはよく分からないようだ。
メレオロンが『纏』から『絶』に切り替えると、レタスが再び水の上に現れた。
「特質……だね」
「……特質ですねぇ」
見たことないよ、こんな結果。例外は特質だから、分かるっちゃ分かるけど。
にしても、メレオロンだとこんなんなるのか。透明化しただけなんだろうか。て言うか、私のボス属性とウラヌスの目まで突破したのか。すごいな水見式、甘く見てた。
……もしかしてメレオロンなら、『隠』を相当なレベルまで鍛えられる? 普通よほど実力がかけ離れていない限り『凝』で見破れてしまうが、彼女のハイレベルな『絶』から推し量るに、オーラを隠蔽する『隠』を実用段階まで磨けそうな気がする。その利便性は、何より私が理解している。
「じゃ、次ぼくやりまーす」
シームが挙手する。
「やり方わかります?」
私が尋ねると、シームはうなずき、
「グラスに手を近づけて『練』ですよね?」
言って、実際やってみせるシーム。
グラスの水が、じわーっと減り始めた。
「んっ!?」
「へ? これって……」
ウラヌスが目を剥き、私は記憶を辿る。
減る……水の量が変化する、だから強化系か。でも……
「……珍しいな。
確かに強化系は水の量が変わるんだが、普通増えるだろ」
ウラヌスの言葉に、私も首肯する。
「そうですよね。減るってことは……」
水を強化するから、水が増える。ゆえに強化系だ。
しかし水見式では『水の量が変化する』=『強化系』とされている。つまり減ることもあるということだ。
水を劣化させている、から減る?
「……吸収してるんでしょうか」
私の推察に、ウラヌスが驚きの目を向ける。
「アイシャ、こういうの見たことあるの?」
「いえ……
でも、オーラを吸収する能力は存在しますから、それかもしれないなって。
強化系なら……オーラをよそから吸収して、自分を強化する感じでしょうか。
あくまで予想ですけど」
「ふぅーむ」
「アイシャ、ウラヌス。これってすごいの?」
シームの問いかけに少し答えを悩み、
「……珍しいです。
これからシームが身につけられる念能力に、関係あるかもしれません」
「ふーん」
メレオロンは、神妙な顔でこのやりとりを見守っていた。
「じゃ、次オレやるわ。
ちょっと水足してくる」
グラスを手に取り、キッチンへ向かうウラヌス。蛇口を捻り、しばらくして戻ってくる。
ことんとグラスを同じ位置へ置く。
「……そういえば、ウラヌスは無系統だって言ってましたね。
どうなるんですか?」
「ま、見ててよ」
言って、ウラヌスはグラスへ『纏』をする。
グラスには、何も変化がない。
水の量に変化なし。水の色に変化なし。
水の中には何も現れず、乗ったレタスはそのまんま。
「……ちょっと失礼」
私はグラスの水に人差し指を付け、それを舐める。……ただの水だな。
ウラヌスは『纏』を続けているが、これといった変化は現れない。
「なるほど、確かにこれは無系統と呼べますね……」
オーラを当てた水が何の変化もしないというのは、よっぽどオーラが微弱でない限りはありえない。無論ウラヌスは『纏』であっても、そんなレベルの顕在オーラじゃない。
「これって、どういう理屈か分かります?」
こういうことはちゃんと調べてそうなので、私はご本人に尋ねてみる。
「オレも確証はないけど……
全ての系統の変化が起きようとして、でも全てが拮抗してるから変化がないんだと思う。変な例えだけど、右手と左手が押し合って、その場で留まってる感じかな」
「はぁ……なるほど」
クラピカの緋の眼──『絶対時間/エンペラータイム』の全系統100%でも、水見式では特質系だからな。水の色が変わって、葉っぱが回っていた。本当に根っからの無系統だとこうなるのか。
「ちなみに、これが『練』だとこうなる」
ウラヌスはグラスに両手を向けたまま、『練』でオーラを放った。
グラスの水がゴボゴボゴボッと溢れ、水は赤く染まり、小さな赤い粒がポコポコ現れ、レタスが二つに割れた。割れた後、その場でグルグル回る。
おおぉい、なんだこの怪奇現象。
ウラヌスは『練』をやめ、グラスから手を放す。
溢れるのをやめたグラスの水に指を付け、また舐めてみる。
「……うっは、しょっぱー!」
思わず変な声出た。すっごい塩っからい。なんの味だコレ。毒じゃないだろうな?
……ていうかすごいな、6系統が全部出てきてるのか。
拮抗状態が限界を越えると、こんなことになるんだ……
「な、面白いだろ?」
ウラヌスが苦笑いしながら聞いてくる。
「なんて言うか変態チックよね」
「おぉい!」
メレオロンの指摘も、あながち的外れじゃない気がするな。でも、ウラヌスを変態って言うのはやめてあげて? ……真の変態はそんな生易しくないから。
うん。この3人、面白い。鍛えたらスゴイ特殊な念能力者になりそう。まぁウラヌスはある程度完成してる気もするけど……。シームは原石だな。どんな念能力者になるやら。メレオロンはせっかくのオーラを、応用技で活かした方がよさそう。
……でも私、1ヵ月の『絶』だから、念能力は指導しづらいんだよなー。仕方ないけど。どの道【天使のヴェール】を使いながらだと、やりづらい部分はあるんだけどね。
メレオロンが、溢れた水の中にある赤い粒を一摘みし、
「ウラヌス、この赤い粒なんなの?」
「うーん……
何かのツボミみたいなんだけど、なんだろ。
すぐダメになるし、植物なんて種類が多すぎて、どう調べればいいか良く分からん」
「ふーん。……あむ」
「おいおい、食うなよ。
腹壊しても知らないぞ」
「んー……塩っからー」
渋い顔のメレオロン。私は含み笑いし、
「それは水がカラくなってるから、その味でしょうね」
「っと、ちょっとテーブル拭くわ」
ウラヌスは立ち上がり、キッチンではなく、水場の方へ向かう。
水場に入り、戻ってきたウラヌスはタオルを持っていた。そのタオルでテーブルの赤い水やらをぎゅぎゅっと拭き取る。
テーブルのグラスを持ってキッチンへ行き、水を捨てた。蛇口をひねり、再びグラスに水を満たす。
戻ってきて、ことんとグラスをまた置いた。新しいレタスのカケラを1枚浮かべる。
「では、アイシャどうぞ」
ウラヌスが促してくる。……まぁここまで来て、私だけ晒さないわけにはいくまい。
できるだけ静かに『纏』をし、右手の人差し指だけグラスに近づける。
水が渦巻き、レタスが水中へぐるぐる回りながら沈んでいった。
あー。いま私がやると、こんなことになるのか……
なんかグラスの底で、ぐるぐるぐるぐるレタスが踊ってる。てか渦巻き怖いな。
「うーん。特質なんだろうけど……
こうまでおかしなものを見せられると、特質? って感じだな」
「えー。ウラヌスに言われたくないですよ」
「……しっかしまぁ、揃いも揃って、まともな水見式じゃねぇな。
なんだこれ?」
テーブルに頬杖して、おかしそうに笑うウラヌス。
視界の端で、メレオロンが器用にこちらへウィンクしてくる。
うん。まぁ……
元気付けてくれたんだろうけど、そもそもアナタお風呂場でどんな目に遭わせたの……
洗濯も終わって、一通り荷物を全員がまとめ終わり。
雑談をしたり、体調を整えたりと、それぞれが心身を良好な状態へと持っていき。
ウラヌスは、いよいよグリードアイランドを、モニターに接続した。
午後11時45分。
私のポケットには、ジンに押し付けられた指輪とメモリーカードが収まっている。特にメモリーカードは他のカードと混ぜるわけにいかないから、ぎりぎりまで出さないつもりだった。何か目印を付ければよかったんだけど、適当な物が手元にない。もうリュックを開けたくないし。
グリードアイランドが入っている、ジョイステーション。今も念で覆われている。
プレイヤー1側にマルチタップ、今はまだ1枚もメモリーカードは刺さっていない。
プレイヤー2側には、本体に直接メモリーカードが1枚刺さっている。
本体のかたわらには、新品のメモリーカードが3枚置かれている。
「……これって何なんですか?」
シームがモニターを指差して尋ねる。
モニターの画面右下には『Now playing』の表示が出ている。まあ、これを聞いてるわけじゃないだろう。
画面中央には、プレイヤー1人が大きく表示されていた。中央左寄りに、やや線の細い男性の顔が表示されている。その右側に枠が表示されているけど、その枠の中には文字も何も表示されていない。念能力者でない者が見れば、その画面が目に映ることになる。
でも、シーム以外の私達3人には、そこに別のものが見えていた。
「これは目を『凝』らさないと見えないものですね。
今のシームには残念ながら見えません」
私がそう説明する。ウラヌスが続けて、
「こいつは、今プレイヤー2のメモリーカードでプレイしてるやつのパーソナルデータだ。
表示されてる情報は枠内の上から、プレイヤー名、最終ログイン日時、ログイン回数、指定ポケットカード所有種類数、だな」
その説明を聞いて、シームが首を傾げる。
「……足りなくないですか?」
苦笑しながら、ウラヌスは首肯する。
「その通り。
シームが見ても分かる通り、枠は5つ。でも表示されてるのは上4枠ぶん。
下1枠には何も表示されてないよ」
全員が押し黙る。
大した意味はないのかもしれないけど、気にならないと言えば嘘になるな。
「……その様子だと、アイシャも知らないんだよね?」
「ええ。その……
そもそも私は、この画面を見るのも初めてなんですよ。
……厳密には『凝』をして見るのは初めて、です」
予想通りというか、ウラヌスが意外そうな顔をしてくる。うぅ……
「えっと……
私が最初に入った時って、実際入れるかどうか分かんないとか、色々余裕がなくて。
恥ずかしながら、さっきシームに聞かれてようやく『凝』をしました……」
なんだろなぁ……。弟子には散々、念を甘く見るな、念能力者との戦いは注意を怠るな、と言っておいて、ことグリードアイランド関連だと私グダグダなんだよね。みんなにどれだけ迷惑かけたか……
いや、仕方ない。私も人間、苦手なことの一つや二つや三つはある。……あるのだよ!
ウラヌスは、小さく苦笑を浮かべ、
「……アイシャも、いちいちそういうこと気にせず。
シーム。ていうか、みんなもちゃんと覚えといてくれ。
このパーソナルデータ、『プレイヤー名:アーカ』『最終ログイン:1996/5/10』『ログイン回数:1』、『指定ポケットカード所有種類数:0』……
まぁ現実に帰還することを諦めたプレイヤーだな。
もしコイツが『離脱』のスペルカードを使うと、この地下室へ飛んできちまう」
『あ。』
私とメレオロンが反応。シームはいまいち分からず。
「滅多なことでコイツが戻ってくることはないと思うけど、港からでなくスペルで戻ってこられると、ここの安全性が担保されなくなる。
なにより、プレイヤー2の枠がごそっと開くから、グリードアイランドを本体ごと高く売れちまうしな。言うまでもなく、そんな懸念は早く消したい。
だから『アーカ』ってプレイヤー名を見つけたら、すぐ知らせてくれ。交渉して港から帰らせる」
……はぁーっ。よく気がつくなぁ、そういうこと……
そっか、それでホントは必要ないのに、わざわざモニターに繋いだんだ。
「さて……そろそろ各自、靴を手元に置いてくれ。
グリードアイランドへ行く前にちゃんと履いてくれよ」
言ってウラヌスは立ち上がり、土足厳禁と告げて脱がせた靴の置いてあるところへ行く。私達もならって取りに行く。
午後11時50分。
みんな、静かに時が過ぎるのを待っている。
3人がオーラを高ぶらせているのを肌で感じながら、自分が気絶して眠りにつくことに、不安と申し訳なさがにじんでくる。
……分かってる。私にグリードアイランドへの適正はないんだ。仲間には必ず、小さくない負担を強いることになる。
それでも、行くと決めた。
それでも、連れて行くと言ってくれた。
強い謝意はあれど、迷いはない。……私が気を失っても、彼らになら委ねられる。
その覚悟に、揺るぎはない。
「はぁー……
まあ、なんだ」
緩んだ顔で、ウラヌスは後ろ頭をかきながら声を出す。
「これから俺らは遊びに行くんだ。
……楽しんでこーぜ」
彼がみんなへ振りまく笑顔を見て。
私は、この人と友達になれて、本当によかったと思えた。
午後11時55分。
「アイシャ。
……前回、オーラが枯渇するまでにどれぐらいかかった?」
ウラヌスの質問に、私は難しい顔をし、
「……ごめんなさい。正確な時間までは……
おそらく数分程度を要したはずです」
「……うん。分かった。
0時ちょうどになったら始めて。まずはキミから。
その後、すぐオレが。
……シーム、メレオロン。
2人が入る順番は任せるけど、もし移動した後の荷物が一部こっちに残ったら、それが何か教えてくれ。ゲーム内に持っていけなかった物が何か知りたい。
それと、必ずメモリーカードを差してから入ること。
じゃないとセーブできなくなるから。いいね?」
ウラヌスの指示に、2人がうなずく。
流石に荷物の量が量なので、2つあるリュックは2人に分けて運ぶ。私は除外されてるから、ウラヌスと、もう1人先に入った姉弟のどちらかが持っていくだろう。
グリードアイランドの特殊なゲーム性──念能力の性質上、どんな物でも持って入れるわけではないんじゃないか、というのが私達の見解だ。
たとえば、グリードアイランドのゲームソフト。……これを持っていけると、グリードアイランドからグリードアイランドに入るという珍現象が起こせる。それはまず無い。
念能力によって具現化したものも怪しい。それが出来るとズルできるアイテムを作って持っていけてしまうかもしれない。念能力は本当に奥が深い。何ができるか、その全貌を知る者は誰もいない。ゆえにそれらは、しっかりガードされて持ち込めない可能性がある。
……なにせ私自身が、自分の念能力でガードされて入れないのだ。まぁうんざりする。
午後11時58分。
「……私がゲーム内への移動を試みる際は、【天使のヴェール】を使い、全開の『練』を行って、【ボス属性】で断続的にオーラを減少させます。
数分というのはあくまでも以前の話なので、今回も同じとは限りません」
私の説明に、やや険しい表情で耳を傾けるウラヌス。
「おそらく途方もない消耗速度だと思うけど……
キミはそれ、大丈夫なんだね?」
返事に窮する。……もう、今さら嘘はつけないだろう。
「途中までは……
後半はかなりキツかったと記憶してます」
「そうか……
もし異変を感じたら、すぐ中断してくれ。失敗はしたくない」
「……はい」
そう答え、私はゲーム機の前であぐらをかいたまま、靴を履いた。
履き終えた後、右手の人差し指に、ポケットから取り出した指輪を填める。
プレイヤー1のマルチタップの一番左に、ジンから預かったメモリーカードをしっかり挿入する。
静かに、その時を待つ。
2000年9月15日、午前0時0分0秒。
「……始めます」
呼吸を改めて整え、あぐらをかいた姿勢を崩さず、ジョイステーションへ両手をかざす。
──『練』。すぐに、全開まで引き上げる。
急激に減少するオーラ。【ボス属性】と【天使のヴェール】の相乗効果で、莫大な量のオーラが飲み込まれていく。恐らくはかつてのどんな強敵との戦いよりも激しい消耗に、心身がじりじり締められていくのを実感する。今はまだ、大したことないけど……
私の生命力精神力をその目で見ているであろうウラヌスが、なかば青褪めながら、それでも黙って見守っていた。
午前0時5分。
「ふーっ、ふーっ、ふぅー……」
かなり息が切れてきた。全身から湧いてくる汗もかなりの量だ。
一切緩めずに行っている『練』を、気力で維持し続ける。
そして私を見ているウラヌスも、額に汗を浮かべながら私を凝視し続けている。
何かをつぶやき始めたけれど、今の私には聞き取れない。
「……3秒ごとに約15000消費、あと24……23……22」
彼が何か叫んだ。
「メレオロン、風呂場からバスタオル3枚!
急いで!」
走っていく音。私は意識を逸らさず『練』を続ける。
「……14……13……12……」
ようやく彼が何を言っているか、私は理解した。
彼はボス属性が発動する度にカウントし、後何回でオーラが枯渇するか数えているのだ。その目の力で、私の生命力精神力の減少から割り出してみせた。
その数の減少に合わせ、急激に呼吸と意識が重くなっていく。もう全身汗で濡れてない箇所はないだろう。床の上にもボトボトと滴って水たまりになっている。
「……6……5……4、ぁ。
────アイシャ、ストップ!!」
「ッッ!!」
遠ざかりかけた意識に冷や水。全身が急激に凍りつく感触に、『練』が解けてしまった。
「ぜっっぜぇっっ。
ぜぇーぜぇー、はぁーはぁーっはぁーっはぁぁー……」
とても呼吸を整えられない。それでも、こんな状況で制止した理由を問う為、暗くなりかけている視界をウラヌスへ向ける。
彼は、力の入らない私の身体をしっかり掴んで。
ゆっくりと、横倒しに寝かせた。
「ごめん、アイシャ……
今、ギリギリで気がついた。
……この姿勢でも、同じように『練』できるかい?
気絶した時に、頭を打たないようにしないと……」
あぁ……
なんでこの人は、そんなことに気づいてしまえるんだろう……
優しすぎて、泣いちゃうじゃないか……
彼の想いを……無駄になんかしたくない。
私は、震える手を伸ばし、最後の力を振り絞る。……見える世界が、黒く沈んでいく。
……ふわりと。
とてもここちよく、いしきをてばなした……