第二十三章
ついにアイシャの身体が光に包まれ、ゲーム機の前から消え去った。
モニター画面右下表示が『Now loading』に切り替わる。
間違いなく、アイシャはゲーム内への移動に成功した。
迅速にリュックを背負い、自分のメモリーカードをマルチタップに差す。メレオロンが差し出したバスタオルの束を受け取り、
「2人とも、荷物の取り残され状況だけ確認頼む。
先に入った方が、アイシャのリュックを持ってくること。
必ず、メモリーカードを差してから『練』。
できるだけ早く来てくれ」
メレオロンもシームも、言葉なくうなずく。
俺は躊躇なく、ジョイステーションへ『練』をしながら触れた。
約3秒後、視界が一瞬光り、暗転する。床の感覚が消え、そのまましばらく続く浮遊感。
すぐ視界が回復する。
床にいくつもの円を描いた模様。何度か見た景色。
目の前に────力なく横たわる、少女の身体。
「アイシャ……!」
声をかける意味がないことは分かっていても、自然と口をついた。
すぐさまリュックを下ろし、彼女の容態を見る。
分かってはいたことだが、あれだけ漲っていたアイシャの生命力と精神力は、見る影もないほど衰えている。生命維持に問題はない……はずだ。その程度には残っている。
けれど、急激な損耗に心身が耐え切れたかは別だ。
聞く限り、オーラ枯渇はこれで二度目。彼女の膨大極まるエネルギー量に改めて身震いしながら、それだけにその支えを失った彼女がどうなったか、気がかりで仕方ない。
慎重に、彼女を仰向けに寝かせる。後頭部に畳んだバスタオルを敷き、髪の毛や頭皮を傷めないよう、彼女の美しい黒髪を身体の横へと流す。後ろ髪をまとめる白いヘアゴムの位置を、少し調整する。
……意識はない。汗まみれになったその表情は、思ったよりずっと穏やかだった。
まだ呼吸は荒いが、少しずつ落ち着いてきてるように聴こえる。彼女の身体の躍動が、緩やかに静まっていく。
2枚目のバスタオルで、彼女の顔の汗を丁寧に拭き取る。白い額に貼りつく黒髪。……不謹慎だけれど、本当にこの子は愛らしい。こうして無防備に寝息を立て始めた姿を傍で見ていると、そういった感情をほとんど持たない自分でも、何かくすぶるものを感じる。
自分も知らず掻いていた汗を拭く。彼女の汗を拭いたタオルでうっかり拭いてしまい、ぅわッとなる。やばい……すごい良いニオイする。何で俺と同じ石鹸やシャンプー使って、こうも違うの?
背後に気配が現れた。慌てて顔からタオルを離し、
「──ウラヌス、アイシャは!?」
メレオロンの方を振り向き、
「静かに。
……多分もう、容態は落ち着いてる。
睡眠導入の段階だと思うから、そっとしておきたい」
「うん、分かった。
……遅くなってゴメン」
そういえば来るのに時間かかったな、と思っていると、メレオロンはリュックを降ろし、その上にバスタオルを更に何枚も置いた。持って来てくれたのか……
「あんたも汗びっしょりよ。風邪引かないうちに拭いて。
ていうか、着替えて」
「う……」
ずけずけ言ってくれるなぁ……俺の羞恥心をなんだと思ってるんだ。
いや、うん。分かってるよ。恥ずかしがったら思う壺なんだろ……はぁもうヤダぁ……
自分のリュックから、力ない手付きでごそごそと着替えを漁る。いま着ているのと同じ柄の白いワンピース。……着替えるのか、ここで。
「ウラヌス。
あんた、よく自分の格好見なさい。……見えちゃいけないものが見えそうよ」
「……ッ!!」
汗まみれで身体に貼りつくワンピースが、指摘通りの状態になりかかってることに気がつき、慌てて新しいワンピースとバスタオルを掴んで、壁際へ走っていく。
う……くそ。やっぱりメッチャこっち見てる。部屋そんなに広くないんだよな……
…………仕方ない。まさかこのままってわけにもいかない。
ぐぅぅぅ。このハンパな状態がうらめしいぃぃぃ!
覚悟を決めて、ワンピースを一気に脱ぐ。急ぎ、全身の汗を拭き取りにかかる。
「あっ、おねーちゃん。
アイシャ、どうしたの!?」
「しっ! 静かに」
背中越しにシームの声。やばいやばいやばい急げ俺の身体マッハでやばい!
ばたばたしてると、シームの視線もこちらへ向いたのに気づいた。ぎゃああああーッ!!
バスタオルを放り捨て、どたどたしながら新しいワンピースを身体に通す。ぅわ、ひっ……ひっかか、通れ通れ、うぉぉぉっ!
…………。ふぅぅぅぅー。うん……まぁサッパリしたよ。
べちゃべちゃのワンピースとバスタオルを拾い上げ、何食わぬ顔で3人の元へ歩く。
「あんた、もう全身くまなく見られてるんだから、今さら恥ずかしがらなくたって」
────言うなぁぁぁぁぁッッ!! アレは一刻も早く消去したい記憶だぁぁぁッッッ!!
一歩も動けず、顔を押さえてうずくまる。
ぐぎぎ、くっそぉぉ……生まれて初めてだよあんな辱め……
羞恥に震えながら、かろうじて顔を上げる。
シームがにっこりと俺に笑いかけ、
「ウラヌス、穿いてないとか結構大胆だよね」
────きゃあああああああああああああッッッッッ!!
「……シーム。あんたトドメ刺さない」
「え、なんで? すごいじゃん」
────やめ、やめて、もうやめてぇぇぇぇぇぇッッッッッ!!
「すごいねぇ……これ、ゲームの中なんだ……」
ただ純粋に感動の声を上げるシーム。
ようやくぷるぷる小動物状態が抜けてきた俺は、改めて周囲を見やる。
床の中央には、いくつもの円を重ねた模様。
壁と天井は、全面に幾何学的な模様がびっしりと張り付いている。黒を基調に、模様が青白い光を放っており、四方開きの扉が一つある。
何度も訪れた部屋だ。────グリードアイランド、始まりの部屋。シソの木の内部だ。
「……戻ってきた、か」
立ち上がり、3人のそばへ行く。
「メレオロン、シーム。
荷物どうだった?」
「アタシは大丈夫だった。荷物は全部移動したみたいよ」
「うん。ボクが見た時も、何も残ってなかった」
「……そっか。よかった」
試しに色々持ってきたんだが、思ったよりは許容されるか。……人数いるってホントに助かるな。俺1人じゃ確認が難しい。
「……この子、ずっとここに寝かせておいていいの?」
メレオロンが、アイシャを気遣わしげに見つめながら尋ねてくる。
「……。
いや、部屋の壁際へ移動させよう。
もし他のプレイヤーが来た時、できるだけ目に付かないようにしたい」
彼女の秘密が露見することは、俺達にとってもデメリットしかない。何より『守る』と約束した内容に、間違いなく『このこと』は含まれる。
改めて、アイシャの生命力と精神力をこの目で見る。……微弱ながら、穏やかに巡っている。もう気絶状態は終わったのだろう。睡眠に入ったことで、僅かずつ回復が始まったようだ。
リュックの上にあるバスタオルを3枚掴んで、部屋の壁際まで歩く。その辺りに1枚を折り畳んで枕状に、2枚を重ね広げて敷いた。
眠り始めたアイシャの元へ戻り、しゃがみこむ。
身体の下にそっと手を差し入れて、できるだけ慎重に、少しずつ持ち上げる。
……こうして触れると、ほんとシャレになんないぐらい良い身体をしてることが分かる。抱っこし心地よすぎるよ。ああ、うらやましい。このふんわりたっぷり柔らかい身体が、ほんとにうらやましい……
くだらないことを考えながら、彼女を壁際にまで運んで、そっと静かに寝かせる。髪や頭皮に負担がいかないよう、長い黒髪をうまい具合に身体の横へと流す。この子にしては珍しく飾り付けている白いヘアゴムが、黒髪に映えて似合ってるな、などと余計なことを考える。
ひとまず起こさずに済んだようだ。気絶状態ではないだろうが、それでも衰弱していることに変わりはない。当分は揺すったところで目覚めたりはしないだろう。ただ、眠りを浅くする可能性があるから、余計なことはしたくない。
いや……
メレオロンとシームが、置いたリュックを持って自分達の方へ歩いてくる。
「ねぇ、その子……」
メレオロンが言いかけて、俺の顔を見つめる。
目を逸らし、眠る彼女の身体を見る。
どうしよう……
気づかないふりをしたかったけど……そうもいかないか。
アイシャの運動着が、全身汗まみれでべったり貼り付いてるのだ。顔は拭いてあげたが、さっきの俺以上に汗だくなので、放っておくと風邪を引くかもしれない。おそらく眠っている彼女自身も不快だろう。安眠妨害になりかねないし、このままにするのは可哀想だ。
アイシャのリュックを調べれば、着替えはあると思う。
……問題はその後だ。
脱がす? 全身の汗を拭く? リュックから下着を含めた着替えを取り出す? 着替えさせる?
誰がするんだ、それ……
俺は医者じゃないんだぞ。シームには荷が重いし、消去法でメレオロンなんだろうけど……
視線を向けると、予想通りのニヤニヤ笑いを返してくるメレオロン。知ってた。
「さて、どうする? この子、このままにしておけないわよね?
アナタがする? アタシにさせる?」
こいつ悪魔や……カメレオンの姿した悪魔や……
同性だからというのは、何の好材料にもならない。さんざ風呂でいたぶられた俺だから分かる。こいつ絶対イランことする。汗拭きと着替えだけで済ますわけがない。つうか、ホントに女かコイツ……
「あなた、心は女なんでしょ?
じゃあいいじゃない。お服を脱がせてぇ、身体ふきふきしてぇ、着替えさせてあげれば。
彼女もゆるしてくれるわよ」
……それはオメーの決めることじゃねぇよ。場合によっちゃ一生なじられるよ。もしも途中で起きたらガチでオレ首つるわ。
……真面目な話、きちんとケアはしてあげたい。彼女に異常があれば、それに気が付く可能性が一番高いのは俺だ。
ただ……
それを躊躇う理由は一つだ。アイシャの裸を見たい、という欲求が自分の中にあるのは自覚している。うらやましい気持ちが半分、もう半分は……
その欲求がある以上、純粋にケアだけしたいと言えば嘘になってしまう。彼女の信頼を裏切るような真似はしたくない。……アイシャは間違いなく委ねてくれたんだ。気絶している間の自分のことを。俺達に。
メレオロンがくすくす笑っているのが聞こえる。
「まったく、真面目ちゃんね。
着替えさせたのはバレちゃうだろうけど、実際はあなたがしても、この子にはアタシがしたって言えばいいじゃない。
その方が理に適ってるでしょ?」
……それを信用しろって? むしろ弱み握られるようにしか思えねぇんだけど?
……。
虫のいいこと考えてるんだろうな、オレは。どうすべきかなんて分かってるじゃないか。
「……いや、いい。
俺がする。俺がしたと言う。アイシャに嘘をつきたくない」
メレオロンは穏やかに笑んでみせた。
「そ。じゃあ、お願いね。
……シーム。しばらく2人のこと、見ないであげて」
「うん。分かった」
2人は逆の壁際に歩き、壁に向かって座る。
見ていると、何やら雑談を始めた。
……やりゃいいんだろ、やりゃあ! クソッ!
改めてアイシャの身体を見る。
うん、俺しばらく自分が男だってこと忘れる。じゃないと多分最後まで
……。
まず、アイシャのリュックを開けて、着替えを出すところから、か。
アイシャのリュックの上にあるのを含めて、未使用のバスタオルは2枚しか残ってない。メレオロンのファインプレーでかなりたくさんあったが、もうこれだけしかない。
……うん、まぁやるか。
上のバスタオルを横によけ、アイシャのリュックを、慣れない留め金を外して、開く。
リュックの中身。一番上に、ジョイステーション。
……持ってきたのか。持ってこれんのか。どっちもビビるわオイ。ゲーム内にゲーム機持ってくんなや。これ絶対ソフトも入ってるな。
いやまぁ、検証としては面白いけど、カオスすぎるだろこれは……
……それはいい。どうでもいい。えっと、アイシャの運動着があればそれを出して、後……ブラと……肌着は? ん、あるな。つか薄いな。
……。男物の下着があるんだけど、これは……そういうことか、そういうことなのか? 女物の下着は? 探せばあるのか? ンなことしてたら俺の精神力が音立ててガリガリ削れるんだけど。
「ふぅー……」
……なんとか着替えは取り出せた。
とりあえず今アイシャが着ているのと同じ、運動着の上下。
スポーツブラ。……男物の下着。あと薄っぺらい肌着。こんだけか。できるだけ、いま着てるのと同じにしてあげたいから……まぁ脱がさないと分からんな。
むしろ、本番はこっからなんだよな……いや、本番という表現いくない。着替え着替え。
……汗拭きもしないとだしなぁ。うぅぅ、お願いアイシャ、目を覚まさないでね……
なかば祈る気持ちで、彼女の運動着のチャックを、少しずつ下ろし始めた。
心を平静に
よくよく見ると、うっすら腹部を中心に傷跡のようなものが浮かんでいる。……これはおそらく致命傷レベルの重傷を治療した痕跡だ。普通なら死んでいたのではないだろうか。手足にも相当な傷を負った痕が、やっぱりうっすらと見える。それも傷が癒えてからまだあまり時間が経っていない様子だ。そこまで分かるのは、丁寧に汗を拭いてるからだけど……
彼女がそれほどの手傷を負う相手、というのがイメージできない。正直この子より強いやつっていんのか? 最強の念能力者と謳われるネテロですら──戦ったり共闘したことあるから分かるけど、この子そんなレベルじゃねーだろ絶対。
……ゴンが話してた、巨大キメラアントの王、か。他にいないだろうしな。
このアイシャのオーラに倍するというのが、どれほど絶望的な強さなのか、まるで計り知れない。メレオロンから聞いたことだが、巨大キメラアントは身体能力や強度において人間の比ではなく、それが王ともなれば、どれほどの強度であったか想像すらできない。
彼女が尋常じゃない鍛え方をしてるのは、これだけ見ていれば分かる。あのオーラ量を支える肉体だ。それに伴い、驚異的な水準にあることは容易に想像がつく。一度手合わせしたが、彼女が本気を出していれば、オレは10秒と
そのアイシャに重傷を負わせた、キメラアントの王。不謹慎ながら一度見てみたかったもんだ。暗黒大陸を含めても、世界最強の生物だったのではないかと思う。
それに勝つアイシャは、最早なんなんだとしか言えないが……
────全身の汗を、バスタオル2枚で丁寧に拭き終え。
起こさないように細心の注意を払いながら、服を一通り着させる。肌着は着てなかったので、やはり着せずにしまいこんだ。
汗だくになった彼女の服を丁寧に折り畳み、比較的汚れていないバスタオルに包んで、彼女のリュックに詰め直す。
「ふぅ……」
がんばったオレ。ホントがんばったオレ。もう今の時間の記憶なくしたい。色々網膜に焼きついてるわ、やわらかい感触が残ってるわ、思い出すだけでアイシャに申し訳ない。ああいうトコやこういうトコ拭いた時にアイシャがちょっとあげた声とか俺のドタマぶん殴って消し去りたい。脳髄に直撃するような甘酸っぱい芳香が、ガチでシャレになんない……何度自分の鼻もぎたいと思ったか。
2人がこっちに歩いてくる音。
「お疲れさん」
メレオロンが言ってくる。
「……見てたな」
じゃないと、こうもタイミングよく来ないだろう。
「ずいぶん時間かかってたし、チラチラとね」
……気づいてたよ。凝視してたわけじゃないから、文句言わなかっただけで。それドコじゃなかったしな。
「えーと、うん。
ごめん……」
なぜか後ろ頭をかきながら謝罪してくるメレオロンに、怪訝な目を向ける。
「なに謝ってるんだ?
ちらちら見てたぐらい、別にいいよ」
「あー、いや。そっちじゃなくて。
その……
ホントのこと言うとね。アナタ達2人、お似合いだと思ってるのよ」
「……」
「で、まぁ……
汗拭きとかお着替えさせたら、もうちょっと何かあるかなーって思ったんだけど」
何か、とはなんなんだ。
「……真面目に身体拭き、してるなと思って……
からかってごめん……」
「……。
まぁイジリの一環なのは分かってたよ。
メレオロンの言う通り、この子に対して思うところがないと言えば、多分ウソになる。
けど……
アイシャは俺達のこと、信用して身を委ねてくれたんだぞ……
それなのに……」
自分で言いながら、アイシャへの申し訳なさで胸が締めつけられる。くそっ……
「あっ……ごめん。ホントすいませんでした!
その、……ん」
「おねーちゃん、ウラヌス泣かせたー」
「ごめんなさい! 許してってば、ウラヌス!」
「……大声出すなよ……アイシャ起きるだろ……
別にいいよ。オレが勝手に泣いてるだけなんだから……
アイシャに、起きたら謝ってくれよ……オレもあやまるから……」
「あ、うん。分かった。約束します」
「……おねーちゃん、ほんと余計なことするよね」
「ぐ……」