──ネテロが九十九の掌を破られ、直後にナックルも陥落したことで、ノヴは討伐隊の敗北を悟った。
到底信じがたい光景ではあったが、このまま敗北を認めるわけにはいかない。しかし、ノヴの心は既に折れかけていた。容易くモラウが倒され、自身が挑んだところで二の舞になるのは明らか。何より正体不明な桜の力を、ノヴは誰よりも
ゆえに最後の手段──直接キメラアントに手をくだすことを決意した。
好機は訪れた。百式観音から光が放たれ、全員の意識がそちらへ向く中、ノヴは迫った。3人が固まるその背後へと。能力発動も控えた『絶』をもって、それは成功した。
静かに両掌を合わせる。
──ヴウォン。
両掌を離すと、その間に異様なオーラが発生した。
【窓を開く者/スクリーム】──念空間への扉を開き、敵を現実世界と念空間の狭間に触れさせ、扉を閉じることで斬断する。
本来ならそこまでするつもりはなかった。一番いいのは、キメラアントを念空間に閉じ込めて、人質にしてしまうことだっただろう。だが今の桜からノヴが受けた印象は、そのトレードが失敗する未来だった。
ゆえに、仕留める。動機を失えばヒトは動かなくなる。自分は恨みを買ってしまうが、ただどこかに姿を隠せばいい。そう考えたノヴは──
姉弟の前に、決死の形相で立ちはだかったアイシャを見落とした。
ノヴの両掌から放たれた『扉』が、アイシャの身体に接触する──
それにより【ボス属性】が発動。扉が分断され、ノヴの【窓を開く者/スクリーム】が消滅した。
ノヴの念能力は、現実空間と念空間を繋ぐ扉を生成できる。本来なら、アイシャのボス属性であっても現実空間と念空間の行き来を妨げることはできない。既に立証されていることだ。
──が、『扉を開く力』は別だ。これはノヴが作り出した異能に他ならず、アイシャのボス属性が反応する要件を満たしていた。アイシャの肉体そのものに干渉しうるあらゆる特性を打ち消すのがボス属性の本領である。スクリームが扉を開いて終わる能力ではなく、扉を開き続ける能力であったことがアダになった。
全く意味が分からないままに能力を打ち消され、絶望するノヴ。理由は分からないまま、それ以上なにもさせまいとノヴの両手首を掴むアイシャ。
その体勢のまま、天使のヴェールを解除した。腹の底から湧き上がる怒気に身を委ね、ノヴへと憎悪に満ちたオーラを叩きつける。
「……なにをやってるんですか、あなたは」
「おおぉぉぉッッ──!?」
その圧倒的な凶兆を間近で浴びたノヴは、なぜか『死』の予感ではなく自らの頭が禿げあがる未来を幻視した。
両腕を伸ばして固まるアイシャとノヴ。零の掌を破った桜が、遠目にその様子を眺め、
「あー……
ノヴ。それは千年の恋も冷めるわぁー……」
失望とともに、息を吐く桜。そんな爆弾発言は誰の耳にも届かなかったが。
首筋に手刀を浴びて、気を失うノヴ。確実に失神したことを確認したアイシャは、桜とネテロの元へと今度こそ走る。
「桜! 大丈夫ですかッ!?」
それに応えず、自らの身体を両腕で抱いて震える桜。どう見ても痛みを堪えている様子。信じがたいことに衣服に到るまで無傷の桜だが、到底無事だとアイシャには思えなかった。
「……ぃぃ。私はいい……
それより……ネテロを」
声音を絞り出してそう伝える桜。アイシャはしばらく逡巡した後、うなずいてネテロの元へ。
「ひゅー……ひゅー……」
明らかに虫の息のネテロ。なるほど、全霊を籠めた一撃だったのだろう。オーラなど、ほぼ残っていないようだった。死を待つだけの老人にしか見えない。
倒れ伏すネテロを、負担をかけないよう慎重な手つきで抱きかかえ、
「アイシャ、か……
いかんな……目も霞んでおるわ」
「ネテロ……!
しっかりしてください!」
「ネテロ……」
「ウラヌス……
見事じゃ。ワシが長きに
「これは……決闘だから。
殺し合いじゃない。だから……ちゃんと言うね?」
「……」
桜は息をいっぱいに吸い込み、
「────私の、勝ちだッッ!!」
ネテロは力なく目を閉じ、
「……うむ。わしの、まけじゃ……」
その言葉を聞いた後、桜が前のめりに倒れた。
「ぃたい……! 痛いイタイ……!!」
痛みに悶え、地面でのたうつ桜。ネテロの方にも交互に視線を向けて、アイシャはどうすべきか判断に迷った。
「……ぃぃ。あいしゃ、ネテロを回復させて……
私は、いいから……」
桜の言葉を聞き、アイシャは決断した。バインダーを出し、即座に大天使の息吹を使用する。
ネテロの治療を願い、大天使が衰弱しきったネテロの肉体を癒す。見る見るうちに元の状態へ回復するネテロ。
「……大丈夫ですか、ネテロ?」
「うむ……ぅ」
何かしら問題があるのか、抱きかかえるアイシャの腕から起き上がろうとしたネテロがぐらりと揺れる。
「どうしました、ネテロッ!? まだどこか──」
「いや……
肉体は治っておる。オーラもな。
じゃが無理をしすぎたせいか、精神的な障害が残っておるのかもしれん。
まぁじきに落ち着くじゃろう……それより」
今度こそ立ち上がり、桜の方を見るネテロ。
「桜、次は──」
「いい……」
なぜか治療を拒絶する桜。アイシャは訝しげに、
「どうしてですか。酷く痛むんでしょう?
大天使の息吹なら──」
「違う……」
「……何が違うんです?」
「違うの。身体が傷ついて痛いとか、そんなんじゃ……
なんか、内側から痛いの……」
顔を見合わせるアイシャとネテロ。
「大天使の息吹で癒せそうにないんですか?」
「うん……
多分そういう
「うむ……そうじゃな。
残念ながら精神的なダメージまでは完全に癒えておらん」
「ムチャクチャだもんね、あの技……
私のも似たような感じ……いた、イタタタッ! ああぁ、いたいイタイいたィィッ!!」
「桜っ!?
桜ッ、しっかり────」
「────……。……ぅ?」
意識を取り戻した桜が最初に見たものは、見覚えのない部屋の天井だった。
「ここは、いぃッ──!?」
途端、全身に苦痛が走る。むしろ和んでいた苦痛がぶり返したからこそ、意識が戻ったのだろう。ベッドで毛布を抱え、縮こまって震える桜。
「ぁ、ぐぅッ……!!」
『──桜ッ!!』
3人に声をかけられ、痛みに震えながらそちらを見る桜。
アイシャ、シーム、メレオロンが心配そうに覗き込んでいる。
「ぁ……あれ?
みんな……ぶじ?」
その言葉に、アイシャがくしゃりと顔をゆがめ、目を腫らしていたシームがまた泣き、弟の頭を撫でながらメレオロンが吐息する。
「……あなたのおかげで、みんな無事よ。
ありがとね」
メレオロンの言葉に、いくらか痛みが和らぐのを実感する桜。
「そっか……うん。よかった……
……あ。
でも、ネテロ達は……?」
「まぁ
自力で回復できる程度に、お主らが加減しよったからの」
そばから聞こえた声に、桜は目を向ける。気配を消していたらしく、声がするまで桜はネテロの存在に気づけなかった。
「ふぅん……いてっ、いて……ちち」
「大丈夫ですか、桜?」
「うん……
えっと、ここは……?」
「ワシらが泊まっとるホテルじゃ。
この都市は酒が旨いと聞いての。あの3人は酒場に繰り出して、自棄酒を飲んどるわ」
「ああ……バルカンか。
……ごめんね、アイシャ。自力でここまで来たんだね」
「それぐらい大した手間じゃありませんよ。
あなたのことは、メレオロン達の移動スペルで運びましたから」
「……結局、あの後どうなったの?」
桜が発した当然の疑問に、アイシャとネテロは顔を見合わせた。
「その話をする為に、ワシャここへ残っておったんじゃよ。
今後の方針についても話さんといかんしの」
「ネテロ……」
「案ずるでない。二度もワシを破った者の想い、酌まんわけにはいかんからの。
アイシャ達ともいくらか相談したが、ワシらがこの2人の身柄をどうこうすることは、もうせんよ。安心せい」
「……ホント?
今度こそ、約束だからね?」
「うむ。
アイザック=ネテロの名に懸けて誓おう」
「ああ……よかったぁ……」
心底安堵したようにつぶやく桜。アイシャは涙を零しながら、桜の額を撫で、
「がんばった甲斐がありましたね……」
「アイシャもね……
でも、ちょっと危なかったね」
「ええ……
私が油断したせいで、2人を危険な目に……」
「それはもう気にしないでって、言ったじゃない」
「アイシャこそ危なかったのに……
もうあんなことしないでね?」
「ふふ……
アイシャ、怒られてる」
「あ、あなたが危なかったから……」
「分かってるにゃ。心配かけてごめんね。
ていうかさー、ネテロ。アレはなくない?
もしかしたら撃つかもとは思ってたけど……」
「さっさとワシの意識を奪わんかった、お主も悪かろうに。
関節を外したぐらいで勝った気になるとは、まだまだ青いのぅ」
「私も昔、それで酷い目に遭いましたからね……」
──リュウショウ時代、百式観音を使うとも使わないとも取り決めをしなかった勝負をネテロと行い、腕関節を外して勝ったと思った途端に百式観音で逆襲されたことがあった。
それ以来、ネテロに対しては関節を壊したぐらいで油断しないようにしたものだが……
「へぇー……
アイシャってば、ネテロと結構戦ってる?」
「え? えっと……」
「まぁ今は置いておけ。
先にせねばいかん話があるじゃろうに」
「うん……
私達は今まで通りゲーム攻略を優先する、でいいと思うけど。
ネテロ達はどうするつもり?」
「今後のことも話すが、先にお主が意識を失った後の話からじゃな。
あの後──」
──ネテロが大天使の息吹で癒され、桜が昏倒した後。
桜の看病をアイシャ達に任せ、気を失っていた討伐隊をネテロはひとところに集めて、終戦を宣言。
今回の件はパリストンの目論見通りであろうと、ネテロは全員に伝えた。隠し事をするからこのような事態に到ったと判断し、全て暴露することを決意したのだ。
容体がおかしい桜のこともあり、ひとまず全員休養を取ろうと、宿へ移動することに。
ただアイシャは移動スペルで動けない為、比較的近いバルカンへ向かうことになった。なので、メレオロンが『同行』でバルカンへ全員運び、アイシャ1人だけ全力疾走である。姉弟をかなり危険に晒してしまうが、アイシャにはどうしようもない。事前にネテロ達をかなり脅してはおいたが。
特に討伐隊が裏切ることもなく、全員大人しくバルカンでアイシャの到着を待っていた。アイシャが桜を抱え、表通りからやや離れたホテルへ。
意識がないまま痛みに呻く桜の様子を見ながら、7人は改めて顔合わせ。互いの素性を教えあった。
──そう、メレオロンとシームもだ。2人は桜が繰り広げたあの闘いを目の当たりにし、耐えられなかったらしい。ただ守ってもらう立場であることを。
ゆえに、洗いざらい話した。
メレオロンは、生前のこと、転生した後のことを。
シームは、プロハンターと思しき人物に降伏する前、捕らえられてから施設内であったことを。
ただ施設でどんな目に遭っていたか、シームは全て話したわけではなかった。──全て話し終える前に、聞いている側からもういいと止められてしまったのだ。
結果、ナックルとモラウは完全に戦意喪失した。つらそうに話すシームを見て、とても疑う気になれなかったらしい。むしろ今ウラヌス達と一緒にいることが救いになっているのだと理解したようだ。
ノヴはそれ以前に、
アイシャ達が引き続き2人を保護する、ということでネテロは決着とした。パリストン及びシームに人体実験をしていた組織の調査については、桜が起きてから──という話になったのだが。
なかなか桜の意識が戻らず、ネテロ以外の討伐隊の3人は同席する気まずさから酒場へ繰り出すことに。あれこれ愚痴を言いながらも、旨い酒で飲んだくれていた。
桜の意識が戻るまで4人は待ち続け、そして今に到る。
「……そっか。全部話したんだ」
「信じてもらえるか、分からなかったけどね……
アタシだけ捕まえてでも、シームは見逃してほしいってお願いしたんだけど」
「だから、そういうのやめてよ、おねーちゃん……」
「その通りですよ。
そんなことをしてあなたに何かあったら、私達がどれだけ悲しむと思ってるんですか」
「……でもさ。
ノヴって人も言ってたでしょ?
アタシが今までNGLから逃亡し続けられてるのは悪材料になるって。無害だって証明するのがかえって難しいじゃない」
「理屈ではそうですが……」
「まぁ能力についても暴露しとるからの。
その上でなら、無害だと証明するのはそう難しくない。最悪、お主の念能力を封じればよいという話になる」
「……いずれにしても、そんなことしないんだよね?」
桜が尋ねると、ネテロは静かに頷き、
「こやつら2人をお主らに預けたままとする結論に変わりはない。
じゃが、ワシが話したいのはそのことではないんじゃ。
シームを捕まえていたという組織の調査、本格的にワシらへ委ねてくれんか?
という相談をしたかったんじゃよ」
「……
私達は手を出すなって意味?」
「端的に言えば、そういうことじゃな。
納得できるように言い換えるなら、別働隊じゃ。
こやつらを匿いながら、組織の調査やハントは流石に厳しかろう。
本来なら逆にするつもりじゃったがの」
「あー……
つまりネテロ達が2人を保護しておいて、私達に組織の調査とハントをさせる気だったってこと?」
「でなけりゃ、お主らも納得せんかったじゃろ?
言っておくが、ワシはお主らと敵対するつもりなんぞハナからなかったからな」
「……そのワリには、かーなり全力で戦ってた気がするけど」
「勝負は勝負じゃからな。
手抜かりがあっては、逆に誰か命を落とすやもしれん」
「だからって、アレはないと思うんだけどにゃー……」
「ネテロ……前にもこんな話をしましたが。
あの零とやら、もう使わないでください。私との決闘でも」
「む?
……禁じ手にせいと?」
「当たり前じゃないですか。
あなた、絶対大天使の息吹による治療をアテにして撃ちましたよね?
治療しなければ確実に死んでいたわけですが、分かっていますか?」
「ぅ……うむ。
まぁそうじゃな……感謝しとるよ」
「もしアレで桜を殺していたら、私が治してあげたか怪しいもんですけどね!」
「……」
不機嫌に顔を背けるアイシャ。バツの悪そうなネテロ。それを見て、桜はくすくす笑い、
「アイシャは優しいから、それでも治してあげたと思うけどね……
ぃちっ! ちちち……」
「桜、まだ痛みますか?」
「……痛いのはずっと痛い。
波があって、時々我慢できないくらい痛いの……」
「それなら、もう少し寝ていた方が……」
「ううん……
喋ってた方が気が紛れるかも。
ネテロ、あの技になんか仕込んでた?」
「零の掌か?
……いや、お主がそんな苦しみ方をする心当たりはないのぅ。
まぁアレを食らってまだ生きとる例外がもう1人ここにおるから、本人に聞いてみい」
「ものすごく納得いきませんね……
それはさておき、私も受け損なえば死にかねないほどの威力を浴びはしましたが、特殊効果を伴っていたかは不明ですね。実感がありません」
「そういえばお主はお主で、アレがあったの……
では何かあったとしても分からんか」
「ネテロは、分かんないんだよね?」
「そうじゃな。少なくとも特別な効果を付与した覚えはない。
じゃがお主がそうやって苦しんどるのを見るからに、無自覚に何らかの効果を持たせてしもとるかもしれんの」
「んー……」
仮にボス属性が作用して何らかの効果を打ち消していたとしても、あれだけの破壊力を防いでいる最中にボス属性の影響でオーラが減っているかどうか、流石にアイシャも判別できないだろう。防御に割り振って減少したオーラがそもそも多すぎる。
「……まぁ分かんないなら仕方ないかにゃ。
アイシャ、いま何時?」
「ちょうどお昼ですね」
「あー……
ホントは美味しいゴハン、一緒に食べに行く予定だったんだけどにゃー。
まだ身体が痛くて、それどころじゃないかも。みんな、ごめん……」
「謝らないでください。
みんな、あなたには感謝していますから……」
「いいから、アンタはゆっくりしてなさいな。
お腹が空いたなら、軽いモノくらい買ってきてあげるわ」
「桜、早く良くなってね。
治ったら、一緒に食べに行こ?」
「にゃん♪」