伝染性吐血症害   作:犬屋小鳥本部

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あの子がいなくなった。
たった一夏のこどもの冒険だったはずなのに、そこから俺の持っていた全ては変わってしまった。
がたごと がたごと
今、俺はたった一人で遠く離れた祖父母の家へと向かっている。
がたごと がたごと
俺を運ぶ列車には誰も乗っていない。

外は、赤かった。


あの日

19××年、夏。

とてもとても暑い夏だった。

夏休みを利用して、俺は母さんと一緒に父さんが働く工場のある町へと遊びに来ていた。

 

俺の父さんは何ヵ月か前に働いていた会社から異動の辞令が出て、その町の工場で働くようになった。

詳しくは知らないけれど、水質調査などの水管理が仕事だったらしい。

 

その町はそんなに大きな町ではなかった。ただ、父さんが勤める案外大きな工場と、近くにある大きな街から配信されるローカルテレビの意外と面白い番組が特に強く記憶に残っている。

 

町に着いてすぐ、俺は近所の同年代の子どもたちと親しくなった。子どもって、そういうところでは本当にすごいよな。

その中にあの子はいた。

肩まである栗毛の、おとなしい女の子だった。

俺よりふたつ年下のあの子は、おにいちゃんと言っては俺の後ろをくっついて歩いていた。

俺も一人っ子だったんで、あの子のことを妹みたいに可愛がった。

 

あの日までは毎日一緒に遊びに出掛けて、夏休みの宿題をみてやって。

そうだ。一緒にスイカも食べたし、他のガキたちも一緒にうちで花火もやった。

 

みんな笑っていたんだ。

あの子も。新しい友だちも。父さんも。母さんも。

 

朝、ラジオ体操をしに公園へ行けば、帰郷してるっていう大学生のお兄さんがハンコを押してくれて。

小さな商店街へおつかいに行けば、肉屋のおばちゃんはコロッケをおまけしてくれた。

八百屋のおじいちゃんは手伝いして偉いと誉めてくれた。

扇風機が壊れて家電屋へ持っていったとき、直るのを待ってる間高校生のお兄さんとゲームの話で盛り上がった。

 

ほとんど毎日晴天に恵まれた。

 

俺がその町で過ごし始めてから、少なくともその日までは雨が1日も降っていなかった。

でも干上がるほどではなくて、畑の横に流れる水路は毎日潤っていた。

そこから水を汲んで野菜にかけてやれば、萎びていたトマトもキュウリも元気になってうまい飯が食べられていた。

町の何ヵ所かにあった井戸から汲み上げた水はいつも冷たくて、遊んで汗だくになった俺たちの喉を潤してくれた。

 

水路は町にある畑を巡るように、縦横無尽に流れていた。

井戸はほどんどの町の人が毎日使っていた。

 

豊かな水はその町の生命線だったんだ。

 

父さんが働く工場は、水源の上流にあった。

 

 

 

 

 

その日は珍しく空が曇っていた。

夕方くらいから雨が降るかもね。母さんは朝食を用意しながらそう言っていた。

俺は黒い雲を見ながら、今日は何をしよう、とのんきに考えていた。

 

朝食を食べ終わった俺は、あの子を家まで迎えに行った。

玄関を叩くと、入り口から顔を覗かせたのはあの子の母親だった。彼女は、あの子が夏風邪をひいたことを俺に教えてくれた。昨夜から咳が出て、今朝になって発熱してしまった。だから、今日はあなたと遊べないのだ、と。

 

そういえば昨日の夕方、あの子は怠いと言っていた気がする。

それに、最近この町以外でも夏風邪は流行っているとテレビで言っていた。

それじゃあまた今度、お大事に。そう言って俺はあの子の家をあとにした。

 

俺は一人でぶらぶら歩いた。そうしたら、近所の同い年の男子がやってきて、工場へ探検しに行かないかと誘ってきた。

考えたら工場へ行ったことがない。

俺はひとつ返事でオーケーした。

 

工場の周りをぐるりと囲むフェンスに開いた1ヶ所の穴。そこから俺たち4人は忍び込んだ。子ども一人が這ってやっと通れる穴。

俺たちはそこから静かに忍び込んだ。

 

それは昼前の話。まだ、雨は降り出しそうになかった。

 

工場内には警備員はいなかった。

まるでスパイになったような気分で俺たちは工場を歩き回った。見つからないようにと、心臓はどきどき速さを増していた。

 

しばらくして、俺たちは工場の中へ入る入り口を見つけた。そこは扉ではなくてシャッターになっていたから常に開けっぱなしで、中の暗闇が変に気味悪さを滲み出していた。

もともと人が少ないのであろうか、そこまでの道で見かけた大人は両手で足りる程度だった。

 

入るか?もちろん。まだ引き返せるぞ?ここまで来て?入ってしまおうぜ!

 

目で合図を送りながらタイミングをみて俺たちは中へ入り込んだ。

中は薄暗く、空気は湿っていた。

ぽたりと汗が首を伝っていく。

ふと、あの子が一緒でなくてよかったと何となく思った。

工場の中は大きな管の中を勢いよく水が流れていた。ザアザアという音が大きく響いていて、小さな俺たちの囁き声は簡単にかき消されてしまった。足音すら消されたのは好都合だったのかもしれない。

所々で水飛沫が上がっている場所が見える。そういうところには大抵人がいて、何かをチェックしていた。

管は傾斜をつけて場内を巡っており、それと一緒にキャットウォークと呼ばれる足場が組まれていた。

 

思っていたよりつまらないな。

一人がぽつりと言った。

 

確かに。町の中では唯一最新式の機械を使用していると聞いていた。

工場を作るとき町民がそこそこの金額を出し、更に工場のお偉いさんたちもある程度出資したらしい。それだけ期待され、通年水不足にならないという良い成果を町に与えているのだ。

といっても、難しい話俺たちも含めて町の人のほとんどは工場が具体的に何をしているのか知らなかった。

いや、工場が何か悪いことをしているとかいう話ではない。工場を経営している「上」が重要だったんだ。

今となっては既に遅いが。

 

もう帰るか。

 

先頭を歩いていた奴が出入り口を指差した。

音を立てないようにゆっくりと出入り口へ向かおうとすると、どこからかパリンとガラスが落ちるような音がした。それほど遠くないところからだったと思う。

気がついたのは俺だけで、他の奴らは動きを止めなかった。俺は一度止まって、周りを見渡した。

すると、

「…あ」

-父さん

数十mも離れていない所に作業着を着た父さんがいて、向こうも俺を見て驚いた顔をしていた。

ただ、見つかってバツが悪い顔をしている俺とは違う意味で父さんは驚いていた。

 

「と」

「来るんじゃない」

謝ろうと父さんの方に足を向けると、父さんは静かにそれを制した。怒っている?

すると、父さんは俺の足下を指差した。

俺の足のすぐ下には水の流れる管が通っていて、一度迂回して丁度父さんの方へ流れていた。

管を目で追うと、迂回した所で何人か大人が集まって何か激しく言い合っていた。彼らの足下には水の流れる管と、そのすぐそばに割れたガラス瓶が散乱していた。

「あっちに扉があるから、そこから出なさい」

父さんが次に指差して言ったのは、俺たちが入ってきたシャッターの所ではなくちゃんとした出入口だった。

ただ、シャッターの所より少しだけ離れていた。

「絶対にこっちへ来てはいけないよ。わかったね?」

俺は頷いて、父さんが示した出口へと向かった。

扉から外へ出るとき、ふと俺は後ろを振り返った。

 

工場内を縦横無尽に巡っていた水路から、少しずつ水が溢れだしていた。

溢れだした水は、既に何人かの大人の足を浸していた。

 

扉から外に出て他の奴らと合流し、すぐに家へ帰った。

帰る途中、喉が渇いたなー、と俺は汗だくになりながら言った。

「お前ら平気そうじゃん」

隣の奴を見ながら言った。

「だって、お前が出てくる前に工場の外にあった水道で飲みまくったし」

なるほど。お前ら、俺を待たずに水を飲んでいたのか。さぞ旨かったろうな。

軽口を叩いて笑いあった。

 

俺は、このときのことを思い出す度に胸がずんと重くなる。

俺は、運がよかったのか。

悪かったのか。

今になってよくよく思い出してみると、偶然が重なり過ぎてはいないだろうか。

俺は、とてつもなく不安に落とされる。

 

夜になって雨が降り始めた。

 

父さんは、その日帰ってこなかった。

ただ、家に電話が一本かかってきた。

母さんが出て、長い電話をした。

長い長い電話だった。

途中、母さんは俺と電話を交代した。

母さんは、泣いていた。

電話に出ると、父さんは開口一番に俺の心配をした。

どこか体調は悪くないか。

周りで変な病気のようなものは出ていないか。

雨が降りだしてから家の外には出ていないか。

水道から直接水を飲んでいないか。

ごほごほと咳をしながら父さんは俺と話をした。

「父さん、風邪か?最近ここらで夏風邪流行ってるんだ。気を付けろよ?」

最後に会ったときはそんな素振りも見せなかった父さん。

「いいんだ。もう、いいんだ」

もう一度母さんと電話を代わってくれと、父さんは言った。

父さんはさいごに

「お前は絶対にこっちへ来てはいけないよ。どうか約束してくれ」

そう言った。

訳がわからなくて、俺は適当にわかったわかったと言い、母さんと交代した。

 

これが、俺が父さんの声を聞いた最期となった。

 

電話が終わり、もう寝ようと布団に入りかけたとき母さんが俺を呼んだ。

来週、この町を出てもといた家に帰ろう。

父さんがね、もう切符を用意してくれてるのよ。

母さんが言った。泣きはらした目は真っ赤で、見てるこっちが辛くなるほどだった。

あの子を思い出して帰りたくないと思った。

でも、首を横に振ることはできなかった。

わかったと小さな声で俺は言った。

あとね、明日でいいからこのノートの中身を読んで欲しいの。

母さんが俺に一冊のノートを差し出した。

ぱらぱらと捲ると、馴染みのある父さんの字でびっしりと何か書いてあった。

最後の方に、母さんの字で走り書きがされていた。

まあ、明日でいいなら明日読もう。そう思って枕元に置いた。

 

 

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