風の聖痕 新たなる人生   作:ネコ

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第10話

 依頼件数の増加。これに関して和麻は特に文句などない。報酬にしても、初期の頃とは違い、飛躍的にアップしていた。

 何故、依頼件数が増えたのか。理由は不明だが、風牙衆が報告した日───正確には、綾乃が和麻たちを尾行した日から、重悟が増やしたことは分かっている。

 そのため、依頼に文句などない───ないのだが、和麻は、今のこの状況にうんざりしつつあった。

 太陽が斜め上から照らしている頃。和麻は、こっそりと迫りくる魔の手を、小さな風の刃で切り刻んで追い払っていたのである。

 現在の場所は、人混みの多い電車の中。

 魔の手は、和麻を狙ってきている訳ではない。一緒に行動を共にする、連れ目掛けて向かってきていたのだ。

 その連れは、いつもの制服を着ておらず、私服を着ていた。初めての乗り物に多少興奮しているのか、自分が魔の手に狙われていることなど露知らず、悠長に窓の外の景色を眺めている。

 その近くの床や、周囲の人たちの服には、切り刻んだことで飛び散った血が、ところ構わず色々なところに、少量ではあるが付着していた。満員電車であるため、その様なところに気付く者は傷ついた者以外いない。気付いたとしても、電車を降りた後だ。

 綾乃を覆う形で立っている和麻にも、血痕がついていてもおかしくはないが、和麻は薄く風の衣を纏っているため血痕が付着することはない。綾乃にしても同様だ。

 しかし、何人目になるのか……和麻の我慢も限界に近付いてきていた。それでも、魔の手は懲りずにやって来る。切り刻んだ魔の手(痴漢)とは別の魔の手(痴漢)が……。

 

『今回の依頼は、一般交通機関を使い、現地に向かっていただきます』

 携帯電話から聞こえてきた言葉は、初めての内容だった。今まで、車で送り迎えをしてもらっていただけに、何故なのか和麻は理由が知りたくなる。

「理由をお聞きしてもよろしいですか?」

『簡単なことです。

 綾乃さまも、もうすぐ中等部に入ろうかというのに、一般的な交通機関を使った経験がほとんどありません。

 今後、ひとりで妖魔退治を行うことを考えれば、必要なことです』

 言われてみれば、確かに必要なことだろう。しかし、何故それを妖魔退治の時にさせるのか。そう疑問に思うと、それが分かっていたかのように、周防の言葉は続く。

『今回は、電車で行くには丁度よい距離と機会です。

 朝から行けば、夕方には戻ることができるでしょう』

「道理で報酬が多いわけですね」

 提示された報酬の額は、いつもの二割増しと、目に見えて分かるほど増えていた。

『はい。移動にかかる経費を含んでいますので……。

 それに付け加えて、あらゆる魔の手から綾乃さまを守っていただきます』

「───? これでも、妖魔からの攻撃は、ほぼ完璧に防いでいる積もりですが?」

 周防からの言葉の意味を、この時の和麻は理解することができなかった。予測できなかったと言った方がいいだろう。

 この業界で生活する者に、魔の手と言われて思い浮かぶのは、妖魔や悪霊である。その事から、問い質す意味を込めて返事をしたが、返ってきた言葉は簡潔極まりなかった。

『それならば、安心して任せられます。

―――引き受けていただけますか?』

「…………」

 どことなく嫌な予感がしたが、敵わない敵と遭遇した場合は、逃げても問題ないと、初期の契約のままである。そこに『綾乃を連れて』という文言が増えてはいるが、戦闘に関しては聞き分けが良いため、撤退することになっても文句は出ないだろう。

 何かが引っ掛かる。しかし、その何かが分からない。和麻がしばらく悩んでいるところへ、再び周防から声が届く。

『どうかされましたか?

 いつもと同じように、敵を倒していただくだけなのですが?』

 いつもと同じように───この言葉で、何を迷っていたのかと、頭を左右に振りかぶり迷いを振り切る。

「……分かりました。引き受けます」

『では、集合する場所や時間については、折り返し電話いたします。

 それでは失礼いたしました』

「こちらこそ、依頼をありがとうございます」

 電話を切った後になって和麻は思う。

(本当に受けてよかったのか? 依頼の内容におかしなところはない。いつもと違うのは、車の送迎がないところだ。違和感を持つとしたら、ここしかないだろう。しかし、何に対して俺は警戒したんだ?)

 理由が分からずに、そのまま当日を迎えることになる。

 

 駅前の目立つオブジェを目印に、朝の七時集合となった。今の時間は六時半を過ぎて、四十分になろうかというところ。些か早い気もするが、和麻は約束を守らない者を信用しない。それは、己自身にも適用される。そのため、多少の裕度を持って、待ち合わせ場所に来ていた。

 朝の七時前だと言うのに、駅には人が溢れかえっており、人の出入りが激しい。その様子を俯瞰しながら、和麻は静かに綾乃を待つ。

 時間にして五分前に、車に乗って綾乃は現れた。その格好はいつもの制服姿ではなく、私服姿で現れたのである。しかも、化粧まではしていないが、明らかにお洒落を意識した格好だった。

 周囲の視線を引きながら、手提げ鞄を持って和麻の前まで歩いてくると、恥じらうようにしてモジモジと立ち尽くす。

 大抵の者は、その姿に見惚れること間違いないだろう。女でも思わず、抱き締めたくなるような雰囲気を醸し出していた。

「お父様がこれを着ていけって。

 ……こう見えて凄い力を持ってるんだって!」

 和麻は、その姿を見て固まってしまう。車から降りた時に視認できていたが、認めたくはなかった。

 固まって何も言わない和麻に、業を煮やした綾乃は声をかける。

「何か言ったらどうなのよ!!」

 その言葉で硬直から戻った和麻は、改めて綾乃を見ると、綾乃の要望に応えて、思ったことを伝えた。

「……お前は何をしにこの場所に来たんだ?」

「し……仕事をするために決まっているでしょ!」

 綾乃は和麻に向けて噛みつくように言い返すが、その声が少々大きかったため、周囲の注目を浴びてしまう。

 小さな子に何を言わせているんだと、一部の者が不審者を見る目付きで和麻たちを見ていく。

 それでも、それは一時のことで、周囲の人の動きは再び流れ出した。

「早く行きましょう!」

 自分の行動が恥ずかしくなったのか、和麻の手を引っ張って駅の中へと向かう。しかし、駅に入って直ぐに綾乃は立ち止まってしまった。

「…………」

 溢れかえることでできる人の波を、綾乃は物珍しげに見つめる。

 学園とは違い、忙しなく動くその波は、まるで一種の生き物のようであった。立ち止まって動こうとしない綾乃を、今度は和麻が引っ張っていく。

「これを持て」

 和麻が綾乃に手渡したのは、一枚の小さな紙切れ。事前に購入しておいた切符である。それを貰い受けた綾乃は不思議そうに和麻を見返す。

「これは何?」

「切符だ。今から電車に乗るために必要になる。

 あそこに見える改札口で通すんだ」

 そう言って視線を向けていた先にある改札口へと向かい、真似をするように伝えると、和麻は先に切符を通して改札口を越えていく。

 それを真似て綾乃も同じように通り抜けていった。

「へえ。面白い機械」

 通り抜けた後に、進もうとしたところでブザーが鳴り響く。

 何事かと見てみれば、綾乃の切符が改札口に入ったままになっており、そこを通ろうとしていた人が困ったようにして、その場に立ち尽くしていた。

「あの人は何をしてるの?」

 改札口を通り抜けて、和麻の元に歩いてきた綾乃が訊ねてきた。

「お前が切符を取り忘れているせいで、迷惑をかけてるんだよ」

「えっ?」

 心外だと言わんばかりの表情をする綾乃を放置して、和麻は風の精霊を呼び寄せると、切符を自分のもとに運び、素早く掴み取る。

 駅員が改札口へと駆けつけるが、その時には原因が取り除かれた後であり、駅員は不思議そうな顔をして改札口の中を点検していた。

 

 駅のホームは、我先にと電車に乗るものが多く、混雑を極めていた。電車はひっきりなしに行き交い、人の乗り降りも頻繁にある。

 そのような中をはぐれずに進むことが、面倒な作業と感じた和麻は、綾乃の手を掴むと、該当の電車の中へと入っていく。

「なに?」

「黙って遅れずについてこい」

 いきなり掴まれ、電車内へと連れ込まれていくことで驚く綾乃を無視し、和麻は電車に乗り込む。入った電車は満員なだけあって、かなり窮屈な状態だった。

「狭い」

 電車が駅を発ってすぐに、綾乃は思ったことを口に出した。その想いは、その電車に乗る者ほとんどが抱くものとかわりない。

 綾乃は、窮屈な状態に眉根を寄せて、不機嫌さを表していたが、それも次第に変わっていく。それというのも、最後付近に乗り込んでいたため、ドアの窓から外の景色がよく見えたからだ。いつもとは違う視点。それに対して綾乃は興味深そうに、窓から外の景色を眺めていた。

(脳天気なことだ)

 そんな警戒心を解いている綾乃に向けて、近くの男が手を伸ばしてくる。事、ここに至って、ようやく和麻は嫌な予感の内容を把握した。

(魔の手と言えば―――痴漢か!!)

 このような狭い場所で、綾乃に暴れられては面倒になる……と、和麻はその迫り来る魔の手を、風の刃で切りつけていく。

 切りつけられた男は、痛がりながら離れていくが、代わりに違う魔の手が近付くだけだった。

 そんなことをどれほど続けたことか。さすがの和麻の忍耐にも限界が来る。開いたドアから電車を降りると、綾乃へと魔の手を伸ばした者たちへ制裁を加え始めた。

 発車した電車の中で、服や身体中を切り刻まれて、全裸になった男たちが急に出現したことで、電車内は悲鳴や怒号が飛び交ったが、その声が和麻のもとに届くことはなかった。その男たちの背中には「痴漢」の2文字が入っていたことは余談である。

 

「何で降りちゃったの?」

 然も不思議そうに問いかける綾乃に、げんなりとしながら和麻は答えた。

「犯罪者が多かったからだ」

「───?」

 綾乃は和麻の言葉に納得できないのか、首を傾げて困惑したような表情をする。

(あんな密閉空間で、俺がいるときにやってしまったら後々面倒だからな)

 和麻は溜め息を漏らしながら、改札口へと向かっていった。

「和麻? ここは、目的の駅じゃないよ?」

 駅の名前を読み取った綾乃が呼び止める。しかし、その呼び声に反応を示さず、和麻は歩みを進めた。

 降りる駅は、後ふたつほど先ではあったが、さすがに我慢できなかったのである。自分の事だけであれば、ここまでイライラを募らせることはなかった。

 戦闘ですら、ある程度の自由がある。しかし、あの空間にはほとんどそれがなかった。それに加えて、この事態を予測できなかった、自分自身に怒りがわいてくる。

「ねえ。 聞いてるの?」

「ああ。とりあえず、電車は移動手段にあまり向いてないな」

 和麻は、綾乃を引き連れて駅の外に出ていく。駅を出たところで、縦列駐車している一番先頭のタクシーへと乗り込んだ。

(こいつといるときに、指定席のない一般交通機関は使えないな)

 和麻は、タクシーの運転手へ行き先を告げると、後部座席に深く座り、通常の警戒体制に切り替えた。

 深く溜め息を吐く和麻に、綾乃は物問いたげな表情をするが、疲れたような和麻を見て、何も言わずに横で大人しく座っていた。それでも、気にはなるのか、風景を見ては、時折和麻を確認するように視線を向ける。

 そうやって、漸く到着した一軒家の前で、タクシーを止めた和麻は、待機してもらうように運転手へ伝えると、綾乃を連れて建物の中に入っていった。

 

 その建物には、薄い妖気が漂っていた。それは、綾乃には感知できないほど微弱なものであったが、和麻には十分に感知できる。

 一軒家の中は綺麗に片付いており、人が長期間居なかったにも関わらず、家具はもちろんのことながら、床にも埃は溜まっていなかった。

 玄関から、廊下を抜けてリビングに入る。リビングは広く、他と同様に埃ひとつなく片付いていた。

「綺麗なところだね」

 綾乃の言葉に反応せずに、和麻は部屋のカーテンを開き、外の光をリビングに入れる。それまで、薄暗かった室内は、太陽の光が射し込むことで、一気に明るい空間へと変わった。

 そして、そのまま窓を開放し外の空気を招き寄せる。部屋は、風の精霊が入ってきたことで、空気の入れ換えが行われていく。それまで漂っていた薄い妖気は追い出され、代わりに外の空気が部屋を満たした。

 その光景に満足し、和麻はその位置から動かず、目線だけを入ってきた扉へ向ける。

「土足のまま入るのは気が引けるなぁ」

 綾乃は自分の足元を見て呟くと、周囲に注意しながら、リビング内を見回していく。

 しばらくすると、階段から何かを掃くような音が、二階から一階に向けて響いてくる。和麻は早く来ないかと待ちわび、綾乃はその音に気付き身構えた。

 音は階段から廊下の方へと移り、次第にリビングへ近付いてくる。綾乃は一旦和麻の近くへ移動し、和麻と同じように、警戒した視線を部屋の扉に向けた。

 そして、扉がゆっくりと開かれていく。

 そこから現れたのは、一見するとただの箒だった。それが、床を掃きながら部屋を綺麗にしていく。その光景を見ていた綾乃は和麻に問いかけた。

「あれって倒さないといけないの? 家の中を掃除しているだけに見えるんだけど……」

「依頼だ。視界も確保したし、周囲に風の結界も張った。お前が負ける要素はない」

 綾乃は動き回る箒を指差して不満の言葉発する。和麻はその言葉をあっさりと切り捨てて、存外に早くやれと含んだ言い方をした。綾乃はその言葉に少しムッとしたのか、和麻を睨むが、その程度で和麻の表情を変えることはできない。寧ろ、手の遅い綾乃を和麻は睨み付けた。

 綾乃はすぐさま和麻から目を逸らし、八つ当たりとばかりに箒を睨み付ける。

 その意思に呼ばれるようにして、炎の精霊が綾乃のもとへ集まってきた。箒の方も異変を感じたのか、逃げるようにして扉の方へ向かう。しかし、扉は開かず、逆に風の結界によってリビング中央へと弾き飛ばされた。

 ヨロヨロと起き上がる箒を見て、和麻から綾乃へ一言。

「やれ」

 綾乃は頷く。それと同時に集中力を増したことで、威力を増した炎が箒へ襲いかかる。

 箒は木製だったためか───はたまた、妖魔が取り憑いていたためか───盛大に燃えると、最後にはただの灰となって宙を漂う。

 炎による家への焦げ跡や損害などは見当たらない。それらは全て、和麻が風で防いでいた。

 漂っていた灰は、和麻に見られると、散々になって、家の外へと飛んでいってしまった。

「終わり?」

 呆気ないほど早く終わったことに、綾乃が不安そうな声で和麻へと訊ねてくる。

「終わりだ。さっさと帰るぞ」

 実際には、家の中の妖気を取り除く作業が残ってはいた。しかし、それについてはさほど時間はかからない。

 和麻は、外で待たせているタクシーに、綾乃を連れて乗り込むと、運転手に行き先を告げてから、会話が漏れないように、風で車内に壁を作り、携帯を取り出して終わったことを報告する。

「除霊は終わりました」

『お疲れさまです。

 それにしても、早かったですね。これほど早く終わらせられるのであれば、今後も、交通機関を使用した方がいいかもしれません』

「……今後は現地集合でおねがいします」

 周防の言葉に嫌なものを感じた和麻は、先手を打つべく、先に言っておく。

『そうですか……』

 和麻の話し方からなにかを察したのか、周防は話題を変える。

『それは、今後変えていきましょう。

 話は変わりますが、一緒に仕事を行うのであれば、連携をとるためにも、日頃から一緒に行動を取るべきだと思いませんか?』

 交通機関の使用に関して、明確な答えがなされないまま、次の話題に移ったことに、和麻は納得できなかったが、その時には依頼を断ればいいかと思い直し、周防の言葉に答える。

「相手にもよりますが、綾乃に関しては、そうは思いません。あの日のために、行動パターンや戦闘傾向は既に把握しています。こちらが求めるものは、更なる能力・技術の向上と、それを支える身体能力と精神力だけです。他は求めていません」

 淡々とした和麻の返答にも、周防は同じように淡々と返す。

『それでは、その求めるものを実現させるためにも、綾乃様を鍛えていただけませんか?

 もちろん依頼として考えていただいて構いません』

 周防の言葉に和麻は考え込んでしまった。

 

 

 

 綾乃は、和麻に誉めてもらうため、朝から気合いを入れて準備をしていた。

 以前に親友に相談したところ、まずは見た目から……と言われ、服が欲しいと父親である重悟に話すと、その数週間後に、いくつかの服をプレゼントされた。

 どうやって調べたのか不明だったが、何れの服も身体のサイズにぴったりと合っており、どこから見ても清楚なお嬢様にしか見えない。

 今日は、その服を着て待ち合わせ場所に向かったが、和麻の反応は芳しくなく、逆に呆れたような反応を示されてしまった。

 あまりのことに気が動転し、何かを口走ってしまい、恥ずかしさのあまり駅へと駆け込んでしまう。

(今日の朝からやり直したい……)

 綾乃は知らないことが多すぎた。

 電車という乗り物については知っている。テレビでもよく映っているし、町中にも線路が横断しているのだ。しかし、実際に利用したことなどない。

 綾乃なりに調べ、仕事の場所への道順も覚えた。覚えただけで、役には立たなかったが……。

 結局、不機嫌そうな和麻に連れられて、折角乗った電車も途中下車し、いつも通り車で向かったことで、眺めていた景色も中断させられる。

 不満に思い和麻に訊ねてみれば、犯罪者が多いと言う内容には、訳が分からなかった。電車とは、囚人を乗せて走っているのかと一瞬本気で疑ってしまう。

(学園で聞いてみよう)

 物知りな親友に聞いてみることにして、タクシーを降りた綾乃は、和麻についていき、除霊を行う建物の中に入っていく。

 建物内は綺麗に片付けられており、土足で入るのを躊躇わせるほどだった。

(床に足跡着いちゃった)

 綺麗に床が磨かれていたため、足跡が余計に目立ってしまう。気が引ける想いを、つい口に出してしまうと、和麻から呆れるような───朝の時のような気配が伝わってくる。

 綾乃は内心失敗したと思い、気にしないように違うことを考えた。

(結婚したら、こういった家に住むことになるのかな?)

 将来の事を思い浮かべながら、綾乃は視線だけを動かし、部屋の中を見回していく。

 数分経った頃。綾乃の元に音が聞こえてきた。綾乃はすかさず戦闘体勢に入ると、すぐに和麻の元に移動して、音のする方を見るが、未だに姿は見えない。

 警戒心を保ったまま横目に和麻を見ると、入ってきた時と同様に、部屋の扉を見たままだった。

 綾乃も視線を扉へと戻し、音が近付くのを待つ。

 音は次第に近付いてきて───そっと部屋の扉が開くのが見えた。

 

 それは、箒だった。

 和麻と綾乃が着けた足跡を綺麗に掃いていく。そうすると、まるで磨いたかのような、綺麗な床へと変わっていった。

 箒は綾乃たちの一定範囲には近付かず、他の場所を掃除し始める。

(勝手に掃除してくれるなんて便利)

 人に危害を加えるわけでもない。そんな箒を倒す必要があるのか───そんな疑問を和麻にぶつけると、即答されてしまった。

 これは依頼なのだ。神凪を信用した……失敗させるわけにはいかなかった。

 倒すために、箒へ視点を合わせて集中力を高めていく。箒がその様に気付いて逃げ出そうとするが、弾かれたように目の前まで飛んできた。

 その後すぐに出た和麻からの言葉に反応し、綾乃は手を箒に向けて伸ばす。それに応えて炎の精霊たちは箒へと向かっていった。

 綾乃はせめて苦しまないようにと、一瞬で箒を燃やし尽くす。

 いつも通りとは言え、余りにも早く終わったことに不安を覚えた綾乃は、和麻に終わったことを確認し、肯定の言葉が返ってきたことにホッとする。

 そして、タクシーの中に戻ったところで、和麻が周防に報告を始めた。

 一般人───全く知らない相手の前で、仕事の事を報告するというのはどうなのか───と、和麻に問いたくなったが、タクシーの運転手の顔は変わらない。まるでこちらの声が聞こえないかのように。

 和麻が何かしているのだろうと、電話の相手の声に綾乃は集中する。そして、その内容に驚いた。

(いつも一緒!?)

 その言葉を聞いた瞬間、心臓が破裂するような勢いで動き出す。しかし、その言葉に続く和麻の言葉で、それはすぐに無くなり、逆に綾乃を落ち込ませた。

(やっぱり駄目なのかな……)

 親友のアドバイスに従い、見た目も着飾ってみたが効果はない。移動に関しても、迷惑をかけまいと移動経路を調べたが、それもタクシーを使ったことで用をなさなくなった。妖魔退治にしても、いつもなら言わないことを言ってしまい、和麻の機嫌を損ねる始末だ。綾乃を落ち込ませるに十分だった。

 しかし、その後の和麻の言葉で、それらの想いは消し飛ぶ。

 

 綾乃の鍛練は和麻にとって必須ではない。

 必須ではないが、これからもこの仕事を続けるのであれば、必要なことだろう。

 綾乃は何故か、理由は不明だが、表情を暗くして俯いている。このような弱気な状態で仕事に来られても、和麻が迷惑なだけで、誰も得はしない。寧ろマイナスだった。

 そのことから、和麻は結論を出す。

「分かりました。俺なりのやり方でやってもいいんですね?」

 言ったことに責任を持ってもらうためにも、言質を取っておく。

『……はい。

 好きなように鍛えてくれて構いません』

 一瞬の間が空いた後に、周防が答える。まるで誰かに確認をとっているかのようだった。

「では、綾乃はこちらの好きにさせてもらいます」

「えっ?」

『戻りましたら、新しい契約を結ぶと言うことで、よろしくお願いします』

 綾乃の困惑した声を無視して話は進んでいく。

 綾乃には、和麻が最後に放った言葉が、頭の中をこだましていた。

 顔を真っ赤にして、先程までとは違う意味で、綾乃は俯いてしまう。

 話を終えた和麻は、途中から明らかに様子の変わった綾乃を不審に思いながらも、静かなのをいいことに、そのまま綾乃を放置した。

 

 駅についたことで、二人はタクシーから降りる。

 太陽は真上付近に差し掛かり、時計の針も、昼であることを告げていた。

「そろそろ時間だし(昼飯でも)食べるか……おい? 聞いてるのか?」

「……た……食べちゃうの?」

 躊躇いがちに再度聞き返してくる綾乃に、和麻は言い返す。

「当たり前だろうが、それともお前は嫌なのか?」

「こっちにも心の準備っていうものが……」

 挙動不審に、辺りを気にし始める綾乃を、胡散臭そうに和麻は見始める。

(今後のことを考えると、やはりしっかり鍛えるべきだな。こんな状態では足手まといだ)

 和麻は意思のハッキリとしない綾乃の手を掴み、飲食店へ向けて歩いていく。

 飲食店はすぐに見つかった。その通りには幾つもの飲食店が立ち並んでいる。しかし、和麻たちも隠れていたわけではないが、その通りを歩いていた者たちに見つかってしまった。

「可愛い子連れてるね~」

「兄妹か何かかな~?」

「この辺詳しいから俺たちが色々教えてやるよ」

 三人組のチンピラ崩れは、和麻たちの前に立ちはだかり、それぞれ思ったことを口にする。

 そんな事など気にも止めずに和麻は訊ねた。

「それならば丁度いい。ここらでうまい店を知りたい」

 和麻の言葉をどう捉えたのか……男たちは顔を見合わせ、下卑た笑みを浮かべると、和麻の問いに答えた。

「こんな表通りにはないな。裏通りに行かねえと」

「それにしても、こんな可愛い子をね~」

「俺らが案内してやるよ」

 男たちは乗り気なようで、和麻たちの前を先導するように歩き出そうとする。しかし、ひとり怒りに震える者がいた。

 それに気付いた和麻は、綾乃から手を離し、辺りの空気密度を変えて、外から見えないように隠蔽する。

 怒りに震えていた綾乃は何も言わずに、男たちを強襲した。後ろから男たちの膝の後ろを蹴りつけ、膝をついたところで頭にハイキックをお見舞いする。

 それが一瞬にして三回。あっという間の出来事だった。顔を真っ赤にして、男たちを見据える綾乃へ和麻は声をかける。

「折角聞けると思ったんだが……」

「こいつらに何を聞く気だったのよ!」

「うまい店と言ったはずだが? それともお前は、不味い飯でも食べたいのか?」

 綾乃の怒りが分からず、問い返す。

 和麻の言葉に綾乃は何かを想い至ったのか、少し押し黙ると、焦ったように言い訳を始めた。

「そんなわけないわよ。うん。こんなやつらが美味しい店なんて知ってるわけないじゃない! これは和麻の不手際なんだから!」

「こういう奴こそ、うまい店を知ってると思うんだが、な」

 周囲へと目配せし、男たちを路地裏へと風で運ぶ。そうしてから、周囲の隠蔽を解き、再び歩き出した。

 結局は、近場の飲食店に入り食事を摂り、駅へと戻る。戻る傍ら、綾乃がガッカリとした表情で歩いていたが、和麻は一切気にせずに歩いていく。

 帰りの電車では、座席に座ることができ、来たときほどに神経質にならずに済んだのは、和麻にとってよかったと言っていいだろう。もし、満員のような状態であれば、今度こそ痴漢たちは、凄惨な死を送ったかもしれない。

 家にたどり着く頃には、綾乃の機嫌は直っていた。そんな綾乃へ、周防が出迎えの言葉と共に重悟の元へ向かうよう伝えられる。

「おかえりなさいませ。綾乃様。和麻様。

 綾乃様は重悟様の元へ向かってください」

「分かったわ」

 綾乃は軽く頷くと、足早に屋敷の中へ入っていく。

 その綾乃を見送ってから、周防は和麻へ向き直り、電話の内容について話をすべく、離れへと和麻を案内した。

 


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