風の聖痕 新たなる人生   作:ネコ

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第15話

 真っ白な部屋の中。

 存在しているのは、男を除き、男が寝かされているベッドと扉がひとつ。

 特に明かりをとっているわけでもないのに、部屋の中は明るく、今が何日───寧ろ何時なのかさえ分からない。

 目を覚ました男は、顔に片手を当ててゆっくりと気怠そうに上半身を起こし、混濁した意識を振り払うべく頭を振って自身のことを考え始めた。

(ここはどこだ? 俺は一体何をしていた……? それ以前に俺は誰だ?)

 自分の身に起こった出来事に混乱しながらひとつひとつ状況を確認していく。

(この場所に見覚えはない。まずは分かるところからいくか……名前は神凪和麻。生まれは日本の……思い出せないな。他は───自分の事を思い出せないか……。取り敢えず、今がどういう状況か確認する必要がありそうだ)

 多少の混乱はあったが、それだけで冷静さを欠くことなく和麻は自分の身を確認し、次いで周囲の確認を行う。

 着ている服に見覚えはなく、ポケットには何もない。続いて見た部屋の中には特に目につくような物はなく、現状を動かす術と言えば扉しかなかった。

 動くべきか……誰かを待つべきか……。

 待っているのは消極的だと判断し、意を決して扉へ向かうべく腰を上げようとしたところで───先にその扉が開いた。

 開いた扉の先には西洋人と思わしき男が立っている。

 その男は和麻が起きているのを確認すると、和麻に向けて当然のように言い放った。

「ついてこい」

 有無を言わせぬ意思を込められたその言葉に反感を覚えたが、男が扉を開けたまま背を向けて遠ざかっていったことに、このままでは何も進展しないと、諦めてついていく。

 和麻が男に近付いたところであることに気付く。男は足を動かすことなく進んでいるのであった。

 そのことを不思議に思いながらも、始めに男のことについて質問する。

「あんたは誰だ?」

 男は少し眉を動かし、和麻を見てから独り言を漏らした。

「知的好奇心は残ったままか……。知っているのも一興かもしれん」

 男は独り言を呟く。

「アーウィン・レスザール」

「───?」

 いきなり何を言っているのかと、不審げに和麻は男を見やった。

「お前が聞きたかったことだろう?」

 そこで、先程言った言葉が、男の名前であると知る。

「……ここはどこだ?」

 急ではあったが、会話が成立したことで、その流れを断ち切るまいと次の質問に入った。

「知ったところであまり意味はないが……暇潰しにはいいかもしれん。

 ここは、私が作り出した虚数空間。私の意のままになる空間……と言った方がいいか」

「虚数空間?」

 聞きなれない言葉に疑問を挟むが、それに対する答えは最初と変わることがなかった。

「先程も言ったが、知ったところで意味はない。ここはどこにでも存在し、どこにも存在しないのだからな」

 アーウィンの言っていることを理解できないままに、たどり着いた先には、ひとつの扉があった。

 独りでに開いた扉の中にアーウィンが入っていくと、それまで真っ暗だった空間が、急に光を取り戻していく。

 扉を抜けた先は、回りを山々に囲まれた場所だった。特徴と言えば、山頂部分を水平に切り取ったような場所で、広さとしては軽く数百人は入るくらいだろう。そして、その地面には大掛かりな模様───魔方陣が描かれていた。魔方陣には、円の中に様々な記号を組み合わせて出来ていたが、その記号の何れも和麻の記憶にはない。

「その中央に立て」

 アーウィンは魔方陣の中央を見ながら、和麻に指示してきた。

「何故だ?」

 その言葉に対して、純粋な疑問を男にぶつける。しかし、返ってきた言葉は、答えになってはいなかった。

「これからの実験に必要なためにある程度の自我を残したが……。まあいい、結果次第では今後の課題としよう」

 アーウィンはひとり納得し、腕を振るうと、和麻の意思を無視して身体は動き、魔方陣の中央へと移動していく。それに対して和麻は何も抵抗できなかった。

 次にアーウィンは何もない空間から次々と、魔方陣の描かれた場所へと扉を呼び出す。その扉はゆっくりと開くと、ぞろぞろと意識を失った者たちが魔方陣を囲むようにして歩きだした。

 その光景を確認したアーウィンは呪文を唱え始める。

 和麻はどこか他人事のようにそれを見ていると、和麻を中心とした模様が光り出し、それが周囲にいた人に当たると、その人たちは足元の光へと吸い込まれていく。意識を失っているため、誰もその事に対してパニックに陥ることなく、静かにそれは起こった。

 周りの者たちが沈んでいく様を和麻が見つめていると、ひとりの少女が和麻のすぐ近くを沈んでいく。

 和麻には、特に思うところはなかった。ただ何となく手を伸ばしただけだ。沈み行くその少女に触れたとき、少女は今までの挙動が嘘のように、慌てて和麻の手を掴むと、沈んでいく自分の身体をこれ以上沈ませないように必死にしがみつく。

「やっと動けると思ったら、一体何がどうなってるのよ!?」

 少女が何故叫んでいるのか分からず、和麻はその少女を眺めた。そして、その少女の顔を見たときに、微かに記憶が刺激されるのを感じる。

 それがいつのことだったのか思い出そうとしたが、状況がそれを許さなかった。

 周囲の人が地面へと吸い込まれてすぐに、アーウィンの声がその場に響き渡る。

「想定内だな……。時、場、魂は揃った。神よ、その姿を我の前に現せ」

 呪文を唱えていたアーウィンがそう締め括ると、それまで小規模だった魔方陣が爆発的に拡がっていく。

 いつまでも拡がっていくと思われたそれは、ひとりの子供の足元にて止まった。

 男はそれにいぶかしみ、その子供の方を向いて少し不機嫌そうに声をかける。

「先程まで誰もいなかったはずだが……どこから来た?」

 まるで射殺すかのような視線を向けるが、その子供はどこ吹く風とばかりに、気にした様子もなくその問いに答えた。

「ほんのちょっと近くからだよ」

「……道士とかいう輩か」

「まあそうとも言えるかな?」

 自分のことを多少なりとも知っていることに目を見張りながらも、どこか馬鹿にしたように疑問符をあげる。

「なにゆえ儀式の邪魔をする?」

 その答えに対して何ら思うことはないのか、自らの儀式を邪魔されたことに対してのみ、不機嫌さを露にして問いかけた。

「君が行おうとしていることは制御できないし、僕の修行に丁度いいらしい。

 後は僕がここに近かったから……かな?」

 まるで買い物でも頼まれたかのように、ついでのように答えた子供に対して、男は自然な動作で身に付けていた宝石に触る。

 その瞬間、それまで外へ拡がろうとしていた魔方陣の勢いは止まり、横の広がりから上空へ向けて光が立ち上ぼり始めた。

 その光は誰の侵入も許さないと言わんばかりに、遥か上空まで───視認できる範囲では途切れることなく上に昇っていく。

 そこを通ろうとした鳥は見えない壁にぶつかり───一切動くことなく落ちていき、地面に落ちたときにはその命は尽きていた。

「規模は小さくなるが仕方あるまい」

 小声で男が何事か呟き始めるのを見て、子供は唇をつり上げて徐に光の立ち昇る魔方陣内へと足を一歩踏み出す。

 足が光に当たろうとしたときには、その場にはその子供はおらず、いつの間にかアーウィンの背後へと回り込み手に持った短めの棒を振っていた。

 その棒は、詠唱をしていたアーウィンを、刃物でもないのに意図も容易く切り裂き真っ二つにしてしまう。

「無駄だ。ここまで来れば止めようもない」

 アーウィンは身体を真っぷたつにされてもなお、言葉を発する。そのアーウィンの言葉が正しいことは、その場の現象が示していた。

 男の詠唱が止まっているにも関わらず、光は止まることを知らずに輝きを増していく。それを見て満足するように、切り裂かれた男はその場から薄くなり消えていった。

「あれで止まらないとはね。困ったことになったかな? これを止めることも修行の一貫だとしたら、これがあるとはいえ相当難しい……」

 子供は言葉とは裏腹に愉快そうに、手に持った棒を構えると、それを両手に構えて中心に立つ和麻たちを見やった。

「丁度いい人材もいることだし、方向性を変えるとしよう。この宝具があればいけるだろうし」

 集まってきた光は和麻たちの上空へと集まりだし、そこから、感じたこともないような異様な力が顕現し始める。

 それを感じ取ったのは、儀式を邪魔した子供だけではなく、和麻も同様に感じ取っていた。

「この上空の力はなんだ?」

 上空の光を凝視したまま、和麻は不思議に思ったことをそのまま子供に訊ねる。

「後で知れるよ」

「さっきから何話してるのよ! さっさと今の状況を説明した上で、謝罪と慰謝料を寄越して家にかえしなさい!」

 和麻に必死に抱きつきながら、それまで誰ともなく悪態をついていた少女は、子供へと顔を向けて一気に捲し立てる。

「もしかして、僕に言ってるのかな? もしそうだとしたら見当違いも甚だしいんだけど?」

「あんたもさっきのやつの同類でしょ!! その変な棒で男を消したの見たんだから!」

「現状を認識できてない低俗はこれだから困るなあ。そっちの子と違って仙骨も無さそうだし……。

 良いことを思い付いた。そうしよう!」

 子供は、自分の考えに満足したのか、未だに文句を言い続ける少女を無視して、棒を構え直すと、目を閉じて集中し始めた。

 

 

 

 和麻が消えた翌日。

 和麻と交代で見ていた風牙衆は本来であれば、交代する時間になっても和麻は現れず、また、和麻への連絡もとれないことを不審に感じていた。

「何か連絡はあったか?」

「いや……何もない」

 それぞれが押し黙り、部屋の中を不気味な静寂が支配する。

 それでも何か話さねば先に進まないと、ひとりが自分の考えを口に出す。

「このままではまずいぞ。神凪を勘当されたとは言え、宗主のお気に入りなのだ」

「しかし、小娘とは言え、宗家を倒すような実力者だぞ? 何かあるとは考えにくい。それよりも、何処かでサボっているのではないか?」

「今までの経緯から言うと、それこそあり得ぬ。

 あやつの実績を見れば明らかだ」

「では一体?」

「一応報告は上げておいたほうがいいだろう」

 平穏かつ簡単だった依頼がキナ臭い方向へと進むことに、風牙衆の面々は渋い顔をするのだった。

 

 重悟は自室にて、風牙衆からの報告を静かに聞いていた。

「……報告はそれですべてか?」

 聞き終わった話の内容に顔をしかめながら、周防へと視線を向けるが、周防は携帯を耳から離して顔を左右に振り、和麻へと連絡がとれないことが証明されただけだった。

「追加の指示を出す。無理のない範囲で和麻の捜索を行うことだ。決して深追いはするでないぞ」

 風牙衆との電話を切った重悟は、深い溜め息を漏らしどうしたものかと思案を始めた。

 和麻の性格から考えるならば、依頼の放棄など有り得ない。他の者の生命の危機であったとしても、それを見捨ててでもやり遂げる。そう言う男だ。しかし、そうなると原因は限られてくる。和麻の身に何かが起こったと言うことだ。誰かとやりあったとしても、多少の怪我などものともせずに遂行するだろう。そうなると───

 重悟が思案している間に、周防はパソコンを持ち出して重悟の前にある画面が映ったものを見せてきた。

 それは地図が描かれており、線のようなものが引かれている。それを見て、重悟は内容を悟り周防に詳細の説明を求めた。

「最後にいたのは何処だ?」

「最後に訪れたのは中華街のこの店です。この店は、よく雑誌などにも載っている有名な店で、料理がうまいとの評判ですが、裏には大きな組織が絡んでいるようです」

「大きな組織?」

「調べる時間があまりありませんでしたので、詳細は分かりませんが、まず間違いないかと」

 それを聞いて重悟は腕を組み、目を閉じた。

 大きなことに巻き込まれてなければ良いと考えていた。しかし、それが叶いそうに無いことが、周防の言葉で分かってしまった。

 和麻ほどの術者を、連絡の取れないような状況にさせる相手。私怨の類いではないことは分かる。それでは何が目的か───

 重悟が悩んでいる間にも時は無情に過ぎ去っていく。

「よし! 周防。特殊資料整理室へ依頼し、風牙衆と情報共有するよう伝えよ」

「分かりました」

 すぐさま携帯のボタンを押して特殊資料整理室へと繋げる。

 特殊資料整理室とは、警察庁の中でただひとつある、妖魔などの事件を取り扱っている部署である。しかし、現状では妖魔を祓えるほどの実力者もほとんどおらず、妖魔の存在を認めていない上層部が多いため、窓際部署としての名が広がっている。

 何故そのような部署が存続しているかと言うと、神凪等の有力な士族との繋がりがあったからである。

 妖魔を認めてはいないが、その繋がりのある影響力とそれに付随する情報収集を認めている。寧ろ、そちらを上層部は重要視していた。

 そのような事から、外部からは仲裁役や情報提供として買われているのである。

 

「特殊資料整理室への依頼は完了しました。情報についてはどこまで提供いたしましょう?」

「その辺りのことは周防に任せる。それよりも、この事を厳馬に伝えておくべきかどうかが悩ましいところだな……」

 腕を組んだまま、目下の懸念を上げる。

 厳馬に和麻のことを話したとしても、他人事のように対応するだろう。しかし、勘当したとは言え、実の息子であることには変わりはない。内心では心配しているはずである。心配していると重悟は思いたかった。

「情報はある程度共有しておいたほうが宜しいかと」

 重悟は少し悩んだが、周防の言葉で決心する。

「厳馬を呼んでくれ」

「分かりました」

 周防は静かに部屋を後にした。

 

 綾乃の修学旅行も終わり、日常が戻ってきた。

 しかし足りない物───いや、いない者がいた。それはもちろん和麻の事だ。

 綾乃は幾度となく和麻に会おうと、マンションを訪れたが当の本人はおらず、中にいる気配もない。

 釈然としないままに、一旦帰り電話してみるも───繋がらない。そのような日々が何度も続き、不安と共に嫌な予感が大きくなっていることを綾乃は感じていた。

 このまま和麻が遠くに行ってしまうのではないかと───

 そして意を決したように綾乃は不安になる気持ちを抑え込み、拳を握りしめると、ある場所へ向けて歩みを進める。

 そして着いた部屋の前で深呼吸をひとつ。ゆっくりと行った後に部屋へと入っていく。

「失礼します。───お父様」

 

 綾乃と同じように感じていた者がもう一人。

 柚葉もまた、和麻がいないことを不安に感じていた。和麻の空いた席を見て柚葉は小さく溜め息を漏らす。

 仕事でしばらく休む話しを聞いてはいた。しかし、これほど長く不在が続くとは思っていなかったのだ。不安になるのも仕方がないことだった。

 これまで、こういったことはない。日々をただ平凡に───漠然と過ごしていく。そのようなことを望み、それは叶っていた。出会いは決して良い印象を持てるものではなかったが───それでも話す切欠にはなったし、こうした付き合いがいつまでも続くものだと思っていた。

 それが途切れたことでこの締め付けるような思いと共に、不安が占めているのだと思うと、それが段々と大きくなっていき、何か和麻の身にあったのではないかと、嫌な予想に駆られてしまう。

「あいつ、いつまで休むか聞いてる?」

 和麻の席を見ていた柚葉に声を掛けてきたのは、いつも相談に乗ってくれている紗希。その紗希へと柚葉が視線を向けると、紗希は和麻の席へと視線を向けて訊ねてきていた。

 紗希が柚葉の方を心配そうに見た時に、柚葉は頭を横に振ることで答える。

「全く! こんなかわいい柚葉を放って何してるのよ! 和麻の奴!」

 怒りを露にする紗希を柚葉は困ったように宥めるのだった。

 

 望んだ儀式は失敗に終わったが、結果的に違う事象を観測できたことで、最初こそ不満気だったアーウィンも最後には満足していた。

 当初の予定では、人の身体を依りしろとして肉体を与えることで、神を擬似的に降臨させ、その肉体に束縛し使役するというものであった。

 もし失敗したとしても、儀式を行った土地一帯が、山を含めて消滅するくらいの認識しかない。

 それよりも、人の身に神とまではいかないが、視た限りでは、神を呼ぶための魔方陣をかなり上位の精霊の呼び出しへとランク下げ、その呼び出した精霊を、生け贄とするはずだった少年に封印したことに対して、興味を持っていた。

「余ったエネルギーで受け皿の器を広げるとは……ムダの一切ない素晴らしい方法だ。

 次回の参考にさせてもらおう」

 空中に浮かぶ映像を、手を軽く振ることで消し去り、アーウィンは次の儀式会場へと向かいながら、新しい計画へと思考を割くのだった。

 

 

 

 綾乃は一心不乱に妖魔退治に明け暮れていた。

 その姿は何処か鬼気迫るものがあり、宗家の者と言えど、簡単には近付くこと―――ましてや話しかけることさえできないところまできていた。

 一時期は単身で中国へ渡ろうとしたのだが、そこはなんの権力も───さらに言えば、お金もない女子中学生である。いくら頭が良いからと言って語学が堪能な訳でもない。英語が多少話せるくらいで、中国語ができるわけではないのだ。冷静になってみれば、色々と無理が出ることなどわかりきったことだろう。

 説明を受けたときには、頭に血が上り、怒りのままに父親の部屋で力を解放してしまっていた。

 重悟の綾乃に対する負い目が油断となったこともあるが、綾乃が神炎に目覚めていたこと、そして重悟の説明により、綾乃の怒りと言う炎の精霊を従えるための感情が最高潮にまで達したことで、重悟すら静めることのできない莫大な精霊を召喚したことにより、重悟の部屋は消え失せた。

 重悟としては、その精霊の矛先を真上に向けることで、他に影響を及ぼさないようにするのが精一杯だったのである。

 この時の重悟の焦りは計り知れないものがあったのだが……。

 そのことにより、小遣いの減額及び土日には遊ぶ暇が無いほどの依頼をこなさなければならないようになってしまっていた。

 怒りはあるが、それを向ける先はなく。妖魔に八つ当たりしている次第だった。

 綾乃は自分の無力さを、この時ほど鮮明に感じたことはなかった。

 和麻に教わったことで強くはなった。しかし、強くなったからと言って、和麻のことを探すことに役立つわけではない。

 今は風牙衆からの報告を待つしかない身に綾乃は歯噛みしつつも、和麻からの教えを形骸化させぬよう日々の鍛練と妖魔退治に明け暮れていたのだった。

 

 次いで内心の葛藤が酷かったのは厳馬だろう。

 その当時のやり取りとしては呆気ないものであった。

 

「厳馬に伝えねばならぬことがある」

「宗主自らの呼び出しとは珍しい」

 重悟の深刻そうな表情をしているのを見て、厳馬は軽く返事をする。

 この時の厳馬の考えとしては、重悟が深刻な表情をする原因として、一族のことか───それとも、かなり強力な妖魔が現れたかのどちらかだと認識していた。そして、恐らく一族───それも綾乃関係の事であろうと当たりをつけていたのだ。

 その理由としては、深刻な問題であるのだろうが、重悟が焦っているように見えなかったからである。急いでいるのであれば、一族者に召集をかけるはずだからだ。それをしないと言うことは、緊急ではないが重要度の高い事となる。手強い敵であるならば厳馬が向かえば良いだけで、ほぼ解決すると言っていい。───となれば、一族の問題となる。

 しかし、一族の問題で悩むことはあっても、深刻な表情をすることはない。それほどの事が起きていれば、厳馬の耳に入ってきていてもおかしくないからだ。それに、この表情を厳馬は以前見たことがあった。

 継承の儀の時である。あの時も重悟は同様の表情をしていた。

 だからこそ、おおよその要因に行き着いたことで、重悟の精神を少しでも軽くするべく、これから聞かされることなど何でもないことのように厳馬は振る舞っているのである。

「単刀直入に言う。───和麻の身に何かが起きた。実際に何が起きたのか不明だが、誘拐された可能性が高い。和麻に渡した携帯にも反応がないのだ」

 まさか、自分の息子の事とは思わずに暫し押し黙るが、それも少しの間だった。

「───和馬とは勘当した間柄。今の私には関係ありませぬ」

「しかし、実の息子であることにはかわりあるまい。今、風牙衆に探させてはいるのだが、全く手がかりはない状態だ───」

 厳馬の返事をある程度の予想していたのか、それでも厳馬に伝えておこうと、重悟は続きを話し出す。

「私の息子だからと言う理由から捜索するのであればお止めいただきたい。

 それに、あやつが何処に行こうとあやつの勝手です。

 話しがそれだけならば戻らせていただく」

 重悟の話しを遮る形で厳馬は答えると、立ち上がり扉へと歩き出した。

「話しは最後まで聞いて行け!」

「私の息子は煉のみ。更に言えば一族の者ではない者のことで悩むなど無駄なこと」

 厳馬は振り替えることなく言葉を放つと、そのまま部屋を後にする。

 静かな部屋の中に、重悟の溜め息を吐く音だけが残った。

 


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