風の聖痕 新たなる人生 作:ネコ
綾乃の出奔に慌てたのは、肉親である重悟だけではない。
宗家、分家と双方から苦情が相次いだ。
それもそうだろう。綾乃は、炎雷覇を継いでいるのだから、これは神凪全体の話しと言っても過言ではない。
今も会議の場では、その事に言及するものが後を絶たない。
「やはり、綾乃さまに着いていくのは、一人だけでは不安だ。あと数人はつけるべきだろう」
「それ以前の問題だ。さっさと神凪へ連れ戻さねば、最悪失ってしまうかも知れぬのだぞ」
「しかし、今いる場所が分からぬとはどういうことだ? 定期的に連絡があるようだが……」
「宗主はどう責任を取られるつもりか、お聞かせ願いたい」
その場に集った者たちは、抑えられていた不満をこれでもか、と爆発させる。
重悟はその事に対して何か言うわけでもなく、ただ静かに聞いていたが、同じ話が何度も蒸し返され始めた頃に口を開いた。
「では聞くが、誰を向かわせるのだ?」
重悟の言葉に、それまで自分たちの言いたいことを言っていた分家の者たちは黙ってしまう。
これまで何度も話し合ってきた。
綾乃の同行に誰が出せるかと聞いたところ、分家の者たちは誰も進みでなかったのである。唯一雅人だけが名乗り出たことで、すぐに和麻たちの後を追ってもらった。その後に、依頼を終えて戻ってきた厳馬も自ら名乗り出たが、神凪の最高戦力を簡単に送り込むことは出来なかったのである。息子である煉のこともあるが、炎雷覇を奪われたなら未だしも、置手紙に、『和麻と共に修行に出る』と書かれていたのだ。綾乃のあまりの考え無しの行動に頭痛を堪えるしかなかった。
会議の場では、風牙衆の名前も出てきた。しかし、それを良しとはしなかったのは、他でもない分家の者たちだ。
和麻と共に、中国で依頼を行ったときのことを持ち出してくるのである。
「やつらは、中国でやつを追って失敗しているではないか。そのようなやつらに任せたとて、再び失敗するのは目に見えておる」
「捜索などならさておき、護衛ということであれば全くの徒労に終わろう。大神がついているのだからな。連れ戻すにしても、それなりの者を連れて行かねば」
話し合いは一向に進展せず、何度もループを繰り返す。違う話題になろうとも、結局は戻ってくる有様だった。それでも、問題を解決しなければ先に進むことは出来ない。
この日も分家代表や長老たちをみやりながら、重悟は幾度目になるかわからない溜め息をつくのだった。
早朝から携帯の音が鳴り響く。
部屋の中には男が一人。男はその音に目を覚まし、眠そうにしながらもすぐさま携帯を手に取る。そして、画面に載った名前を見ると慌てて通話ボタンを押した。
「どうかされましたか?」
その名前は、男にとって絶対的なもの。ここにいる理由でもある。
会話相手の必死な問いかけに、「残念ながら……」と言いにくそうに答えた。
「こちらは、あれから特に───ええ、流石に命懸けな事は少なくなっています」
和麻たちが日本を出て、約一年が経とうとしていた。
当初着いていくことに拒否感を全面に出していた綾乃も、最初ほどはいやがってはいない。諦めたというのが正しいかもしれないが……。肝心の和麻はと言うと、どちらでもいいといった感じだった。それ故に、男───雅人が随行できたと言える。
中国に渡ってからは、人のいない山中に入り込み、和麻の知り合いらしい人に会ってから、何やら怪しげな物を貰い、今度はヨーロッパへと移動。その後は、色々な組織などとやりあいつつ移動しながら過ごす日々で、満足に休む暇もなかった。
むしろ和麻に隠れる気が無いため、余計に群がってきたのだ。あれだけの敵を雅人だけで相手をしろと言われたら、1日も耐えることができないのは間違いない。
嬉々として戦闘に参加する綾乃を何度止めようとしたことか……。
今までのことが頭によぎったことで、口を閉ざした雅人の苦労を感じ取ったのだろう。電話の相手は労りの言葉を掛けてから、藁でもすがるかのように本題を願い出る。
「分かりました。聞いてみましょう。実の弟の事ですから、手助けくらいはしてくれるでしょう」
少しの希望を抱かせる内容を告げると、相手も満足したのか、それで通話は終わった。
しかし、男のやることはこれからが始まり。
「急がねばな……」
男は呟くと、忙しい日になりそうだと考え、朝日を浴びながら身支度をするのだった。
空港にその飛行機が着陸したときに出迎えはなかった。一応の連絡はされてはいたが、そこに人を回せるほどの余裕がなかったのである。
「やはり、大事になっているようだ」
その事から、男───大神雅人は推測した。連絡した相手は神凪宗主である。通常であれば、一族の者を誰か寄越してもおかしくはない。
「ここに戻ってくるのも久し振りだな」
緊張感の無い声で話す和麻に、雅人は何か言いそうになるが、それを堪えて先を急がせる。
「すまないが、事態がどこまで進んでいるのか確認するためにも、一度神凪に行ってもらいたい」
「分かっている」
無愛想に答えるが、それに慣れているのか大神は特に何も言うことはなく、続いてあるいてくる綾乃へと目を向ける。
綾乃は久し振りの日本の光景に、顔を至るところに向けていた。
「お嬢。はしたないですよ」
「はしたなくて結構」
雅人の言葉など取り合わずに、綾乃は素っ気なく答える。その様子に、雅人は溜め息を漏らした。これまで何度注意してきたことか。
一向に直る兆しのない態度に、雅人は頭痛を堪えていた。
神凪家は所々に戦闘を行った跡があった。門の左右には門番が神経を張り巡らせて見張っている。
そこへ、雅人率いる和麻たちが来たことで、さらに緊張感は高まり警戒されたが、雅人の取り成しにより敷地内へと入ることができた。もしこれが和麻だけであれば、神凪の者たちから問答無用で攻撃を受けただろう。
門を潜り屋敷を見れば、外ほどではないにしろ、所々が焼け焦げたりしている。そのような中を珍しそうに進んでいった。
屋敷に入る前に和麻を待っていたのは、歓迎の言葉───などではなく罵声だった。
「お前があの子を隠したんでしょう!? 言え!! 煉を何処に隠した!!」
それは、いきなり和麻へと走り寄ってきたところを、雅人により止められた深雪が、開口一番に話した言葉だった。
その様子は見るからに錯乱しており、着の身着のままとはまさにこの事だろう。寝間着に裸足と、どれだけ必死なのかが十分に伝わるものだった。
「こんなものが血縁者と言うのは恥以外の何者でもないな……まあ、今の俺にはどうでもいいことだが」
「貴様!!」
和麻が出来損ないというイメージが抜けてないのだろう。その認識が取れない深雪は、和麻の言葉に更に逆上し、掴みかかろうとするが、それすらも雅人に阻まれる。
近くにいる他の者──分家の者は、その光景を見て見ぬふりをしているが、雅人はそれどころではなかった。
和麻の考え方は、この旅で嫌というほど理解させられたのである。自身に牙を剥くものには、誰であろうとも容赦はしない。それが恐らくは実の母親だろうともだ。
良くて半殺し。最悪は───
「深雪殿すまない」
余計な思考を振り切って現実へと戻った雅人は、深雪を気絶させると、抱き直して和麻に顔を向ける。
「すまないが、ふたりで宗主の元に行ってもらえるか?」
「別にあんたがいてもいなくても気にしない。このままここに永住してくれ」
「それがいいよ叔父さま! 煉を見つけたら炎雷覇は渡すつもりだし、ついてくる必要性は無くなるわ!」
そう簡単に放っておくことのできない事を簡単に言ってしまうふたりに、今は何も言うまいと溜め息を漏らしつつ、深雪を安静にできる部屋へと歩き出した。
第一印象は苦労人。そう言えるほどの人相へと重悟は変わっていた。目の下には隈ができ、食事を満足に摂っていないのか、頬が痩せこけている。
そのような状態であっても、目だけは生気をみなぎらせて机の上の書類と格闘していた。
和麻たちが入ってきたことに気づいたのか、顔を上げると何かを思い出したかのように、歓迎の言葉と謝罪の言葉を言い出した。
「遠いところを良く戻ってきてくれた、礼を言う。
それとすまなかった。戻ってくるのは今日だったのだな」
「別に気にしている訳じゃない。寧ろ余計な者を連れてこられるよりも遥かにマシだ」
和麻の気軽な返事にホッとしながらも、重悟の視線はその横に並び立つ娘へと注がれていた。
久しぶりに会った娘の姿は、更に美しく成長しているように重悟の目には見えている。それは、親だからという贔屓目ではない。実際に見た目だけではなく動きにも表れていたのだから。
綾乃の方はと言うと、重悟を見て思ったことは───
(老けたな~)
と、そのひと言に尽きる。久しぶりに会った親だというのにも関わらず、声を掛けるわけでもなく、和麻とのやり取りを眺めているだけだった。
「話を聞いているとは思うが、煉が行方不明になった」
その言葉を聞いても、和麻はなんでもないことのように続きを促す。重悟はそんな和麻を見てから続きを話しだす。
「しかし、先ほど入った情報によって、大よそのあたりはついた。場所は京都だ」
「京都?」
そこで初めて綾乃が口を出す。
現在地から京都までは、新幹線を使えば数時間で行ける距離である。しかし、あの煉が行くには疑問の残る場所だった。
煉の知り合いがいる訳でもなく、行ったことのある場所とは思えない。もしかしたら、修学旅行などで京都に行ったのかもしれないが、その思いだけでもう一度行こうと思うか───それもひとりで……
そこまでの単純な考えをしているとは、考えにくかったための言葉だったのである
「京都には何があるんだ?」
「京都には我らのご先祖様たちが総がかりで神を封じた地だと伝えられている」
「神だと?」
いきなり出てきた神という大物に、和麻は重悟の最初の発言には突っ込まずに思わず聞き返してしまっていた。綾乃は話の内容が突飛もないため、口を開けてポカンとしている。
神と言ってもピンからキリまで多種多様。しかし、昔の神凪に神炎使いは少なかったが、その前段階。黄金の───浄化の炎を顕現している者が多かったはずである。それを総がかりで封じたとなれば、その神の力も知れるというものだった。
「以前、風牙衆との争いについては話したな?」
「まさか、その時のか……。と言うことは、今風牙衆はどうしてるんだ?」
「各地へ散ってしまって全てを見つけることは難しいだろうな。かなり前から計画していたようだ」
内容をある程度把握した和麻は、不機嫌そうに眉根を寄せると考え込む。逆に内容についていまひとつ理解できなかった綾乃は、改めて重悟に訊ねた。
「なんとなく今回の事は風牙衆が計画したってのは分かるんだけど、煉をどうやって連れて行ったの? はっきり言ってあの人たち煉よりも遥かに弱いと思うんだけど」
「方法については分からん。しかし、連れて行ったのは間違いなかろう。煉の捜索をするために、風牙衆全員で行うことを提案してきた時に気付くべきだったがな……。少々遅かった」
「遅かった? まだその神は復活してないんでしょ? だったらまだ間に合うじゃない」
綾乃は弱気な発言をして沈んだ表情を浮かべる重吾を見ながら問い返した。
「風牙衆の者が、神凪の者を襲っているのだ。既に被害が出ておる」
「風牙衆に偉そうに言ってた割りには、神凪の実力ってなかったんだね」
綾乃の辛辣な言葉に一瞬口を閉ざすが、流石にその言葉を容認するわけにはいかず、反論する。
「そうではない。一般的な力であれば、神凪の術者が遅れをとることはない。ただ、風牙衆の者たちは妖気を纏っているのだ。風牙衆の実力にその力を加えて、初めて越えることになる。
救いは、その絶対数が少ないところだな」
ひと息に言い終えると、重悟は乗り出していた身を戻し、温くなったお茶で口を潤した。
「神凪の力は破邪の力ってよく言ってたけど、妖気を払うことも出来ないんだ……」
重悟の説明は綾乃を失望させるだけであり、綾乃の声のトーンも次第に落ちていく。
それを察した重悟は、これ以上言っても更に評価が下がるだけだとして、言及はしなかった。
「大体の事情は分かった。一応乞われて来たわけだが、特にすることはないと思っていいんだな?」
「すまぬが、先程も言った通り風牙衆を追ってもらいたい。恐らくあちらの主戦力も京都に向かっておるはずだ」
重悟の言葉に和麻は暫し考えて返答する。
「───そうだな。綾乃はここにいろ。俺が京都に向かう」
「ええ~~~!! 私も行きたい!!」
駄々をこねる綾乃に向き直ると、どうでもいいことのように言い返す。
「ついて来たければ勝手にすればいい。ただし、俺の移動速度についてこれれば……の話だが」
和麻の言いように、綾乃は頬を膨らませて抗議するが、それが実ることはない。
「これが、その場所になる」
重悟から渡された紙を見て和麻は握り潰すと、その紙は散り塵になり畳へと落ちていく。
「この件で依頼に対する貸し借りなしだ」
和麻の呟きを重悟は取り合わずに、本題のみを進めた。
「頼んだぞ」
「依頼は遂行するさ───どんな形であれな」
その言葉を発すると、次の瞬間。始めからそこにはいなかったかの如く、和麻は消え去る。
後に残ったふたりは、その場を見て溜め息を吐くのだった。