風の聖痕 新たなる人生   作:ネコ

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第6話

 風術師として、力を手に入れた和麻は、柚葉を送り届けた後、ひたすらにその力を習熟するため、部屋で訓練に埋没していた。それは、今まで出来なかったことを、取り戻すかのような勢いで行われる。

 ただ、ただ、面白い……と。

 勉強や訓練は、それほど日常から逸脱しない。妖魔や悪霊退治をしてはいたが、その現象をどこか他人事のように見ていたのである。気を練ることで倒せるようになってからも、その見方が変わることはなかった。

 しかし、今はどうか───

 風の精霊との意思の疎通を円滑にしていき、その風へ自分の意思を乗せる。そうすることで、風を自在に操り、色々なことが出来るようになった。

 和麻自身が、日常から逸脱した事で……。出来ることが増えたことで……。余計に訓練へと熱中していく。

 そしてそれは喜びへと変わる。その喜びは、計り知れないほど大きなものだった。

 世界の見方が変わったのだから、それは至極当然のことかもしれないが───

 

 そのような気分で、翌日学園へと向かう。その表情には、ほとんど変化は無かったが、口角が少し上がっている。そして、足取りはスキップしそうなほど軽く見えた。

 周囲の死角は完全に消え去り、自らを客観的に見ることもできる。これは、神凪家として仕事をしているうちは、必須と言ってもいい力だ。仕事以外でも、十分に役に立つことは分かっている。和麻の機嫌が良いのも頷けるものだった。

 

 教室へ入り、自分の席へ向かうと、女生徒が一斉に和麻へと顔を向けて、視線で後を追ってきた。その視線を向けてくる先は、ある生徒の席周辺に偏っている。その生徒とは沙希であった。

「(やっぱり男は狼なのよ。

 あれって、何て言うの……むっつりってやつになるのかな?)」

「(そんな風に今まで見せなかっただけなんだ……意外~。

 硬派だと思ってたのに……)」

「(結局ホテルで何してたの? する事っていったらアレしかないだろうけど! そこのところを詳しく!)」

「(あそこ付近、昨日事件があったみたいだよ)」

「(私もそこまで詳しく聞いてないけど、ホテルに入ったのは間違いないみたい)」

 教室内に限らず、こそこそと話し合う声は、本来聞こえない距離にあるはずだが、和麻にはハッキリと聞こえてきた。

 話しの内容から、昨日の件であることが和麻には理解できたが、いつも通り無視して自分の席へと座り、本を鞄から取り出して、机の上に広げて読み始める。

 授業開始ギリギリの登校をしているため、周囲でヒソヒソ話しをするのみで、朝に話し掛けられる事はなかったが、休み時間は別だった。先週に引き続き、生徒たちが寄ってきたのである。それも、先週より増えて……。自分の席に座っている生徒も、話しの内容に興味があるのか、聞き耳を立てているのがよく分かる。和麻の周囲以外が、一気に静まり返るのだ。分からないはずがない。

(小さな声まで拾ってくるのは少し問題だな)

 風の拾ってくる声を小さく絞り、周囲の声を聞き流しながら、そのような感想を抱く。機嫌が良いため、特に邪険にはせず、いつもの如く対応する。

 周囲の話題は、和麻の事で独占状態だった。実際は和麻だけではなく柚葉もなのだが、何も話さない───それ以前に休んでいる。そんな柚葉の代わりに、沙希が代弁していたのである。話しの内容を大きく膨らませて……そうすると、その内容を再度確認するため、質問は自然と和麻に集中することになった。

 さすがに、学園の一日の授業が終わる頃。和麻の機嫌は、登校時と比べると、かなり下がることになる。

 二日目からは、柚葉も沙希と一緒に登校し囲まれていたが、あちらは沙希によって話しが進んでいくため、余り話さずに済み、矛先が柚葉に向くことは少なかった。

 数日は、和麻や柚葉の周囲に集まっていた生徒たちも、すぐに違う話題へとシフトしていく。柚葉はともかく、和麻の方に至っては無視し続け、相手にもしないのだから当然だろう。寧ろ、二日目からは、露骨にイヤホンを耳に着けているのだから、噂の内容について、聞く気も、話す気も無いことは、誰が見ても明らかだった。

 それでも、何も言わず、何も聞かずに、ずっとついてくる生徒はいる───柚葉だ。

 月曜、初日こそ休んだが、火曜日からの昼休みの時間と、学園が終わってからの帰宅に、和麻の後ろをついてくるのである。沙希に命令されて嫌々なのかと言えばそうではなく、その顔は満更でもない様子。

 静かにしているのならば、特に文句はないと、和麻はそのままの状態にしていた。一緒に沙希が居なかったのもあるが、月曜日に学園へ来ていなかったため、一応気にはなっていたのである。

 ただ、その光景が、周りから見ると、どう見えるか……。

 噂の二人が一緒にいる───その事で、噂に信憑性が増していく。更に噂は拡がっていき、先生の耳へと入るまで、そう時間は掛からなかった。そして、それは要らぬ誤解を先生へ植え付けることになる。

 

『あーテステス……。一年B組神凪と、同じく平井は、昼休みになったら、生活指導室まで来るように。以上』

 

 面倒臭そうな口調で放送された内容に、和麻は一瞬眉を潜め、周囲も再び俄に騒ぎ出す。噂が収まってきたところへ、再び火種を投下されたのだ。和麻にしてみれば、迷惑極まりない。

(今度はこっちか)

 和麻は忌々しげに思いつつ、スピーカーへと視線を向ける。

 柚葉は、自分の名前を呼ばれたことに驚きを隠せず、不安そうな顔を和麻へと向けた。しかし、和麻の横顔は至って平然としている。

(よかった……。ひとりじゃない)

 その事に、柚葉はひと安心し、次の授業の準備へと取り掛かった。

 

 時間は待ってはくれない。時は経ち、昼休みになる。

 和麻は何時も通りに、授業が終わると早々に教室を出ていった。同じくして、弁当を持った柚葉が後に続いていく。その行き先は何時もの場所。図書室である。

 図書室についた和麻は、新しく借りる本を選んでいた。先ほどの放送など聞いていないかのように……。

 柚葉は躊躇いながらも、和麻の後をついてくる。その顔は、何故、放送で呼ばれた場所へ行かないのかと、物語っていた。

 選んだ本を手に持ち、近くの席へと座り、読んでいる途中で、和麻は不機嫌そうな顔へと変化する。そして、どこか諦めたかのように溜め息をついた。

(どうせ、いつかは来ることだし、今言っておくのもいいだろう)

 それを見て、柚葉は首を傾げる。それから、本の題名を見ようと、身体を傾けたところで、図書室の扉が開き、誰かが入ってきた。

 その人物はスラッとした体型で、スーツをビシッと着こなしている。髪型は見事なほどの七三分けになっており、顔には銀縁眼鏡を掛けていた。その表情はピクリとも動きそうにないほど、元の───無表情なまま固まっている。

 聖凌学園で生活指導を担当している教師だった。名前は山南忠憲。学園内でも笑わず、融通の効かない……よく言えば真面目な教師として有名な男だった。

 先ほど和麻が眉を潜めたのは、本の内容のせいではなく、遠くから山南が来ていたためである。

 山南は図書室内を見回し、ある一点で顔を止めると、その方向へと一直線に歩いていく。そして、目的の場所までたどり着くと、小さく、しかし、確実に相手へ聞こえるように話し掛けた。

「何故、指導室に来ない?」

「何故行く必要が?」

 このやり取りについては、これが初めてではなかった。初等部の頃───人格が変わってから、度々呼び出しを受けていたのである。普段の授業態度に問題があるのだから当然だった。

 しかし、和麻は決して呼び出しには応じない。結果、先生の方から出向くということになっていた。これまでは、授業時間に他の勉強をしていただけ(それでも十分に問題だが)だったため、定期的な呼び出しはあったが、今回は違う。

 学園の規則でも禁止されている、不純異性交遊の項目に引っ掛かった。ただ付き合っているだけならば、特に問題にはならなかっただろう。しかし噂では、二人でホテルに行ったことになっているのだ。そうなれば話しは変わる。

 今までは、先生の話しをしっかりと聞くように説得するだけだった。それが───

「噂は本当か?」

「噂とは?」

 噂の言及に対して、和麻は平然と問い返す。山南はここで初めて苦々しい顔になる。これだけ、広範囲に噂が広まっているのにも関わらず、和麻は素知らぬ振りをしているのだ。和麻が知らないわけがなかった。それを聞き返してくる和麻に、山南は表情を変えたのだ。

「神凪……お前と平井が不純異性交遊をした件だ」

「した覚えはない」

 和麻を見て、少し躊躇い柚葉の名前を出すが、和麻に即答されてしまう。その回答を聞いて、山南のその視線は、和麻から柚葉へと移動していく。和麻に聞くだけ無駄だったと言わんばかりに。

 その視線に堪えきれず、柚葉は和麻の影に隠れるようにして、下を向き縮こまる。その様子を見て、山南は和麻の対面の席へと移動し直して座った。

 これまで、和麻が他者と一緒にいたところなど、ほとんど見たことがない。よくて、運動会などの催し物の時だけだ。近付いても無視し、誰とも仲良くしようとはしない和麻を、山南は気に掛けていた。

 その和麻に、突然彼女ができた上、その先までも一気に進んでしまったと聞いては、生活指導の担当としても、事の真偽を確かめるために動かなければならなかった。

 山南は噂を聞いたとき、良かったと思う反面、規則違反をしたのであれば、それなりの処罰をしなければならないと、思考を巡らせる。そして、呼び出しを行い、生活指導室で待っていたのだが……予想通り来なかった。そのため、こうして自らいつも居るであろう図書室へと足を運んだのである。

「平井に心当たりはあるか?」

「……ありません」

 和麻の時と変わらず、同じ口調で訊ねる。しかし、柚葉にとってそれは、威圧的なものであり、更に言えば成人男性であることから、ホテルの件がフラッシュバックし、まともに目を合わすことさえ難しかった。

 その様子を見て、山南は溜め息をつきそうになるのを堪えて、再び視線を和麻に戻す。

「つまり、噂は嘘だということか?」

「不純異性交遊ということなら、嘘だな……っと、それでは」

 図書室の担当の先生が戻ってきた事を、わざとらしく確認し、話しを終わらせて席を立つ。それに続くようにして、柚葉も席を立った。

「待て! まだ話し……は……」

 言いかけたところで、和麻の先にいる人物から、凄まじい睨みを利かされ、話しかけようとした途中で押し黙る。図書室で、大声を出した者は誰であろうと、締め出す。山南と同じく、図書室の担当の先生は堅物な人物だった。

 

 借りた本を小脇に抱え、その足で学食へと向かう。学食の販売機の前で立ち止まり、少し迷ったあとに、食券を購入。その後ろには、柚葉は当然のこととして、山南もついてきていた。

 カウンターでランチセットと食券を交換し、他の生徒が全くいない席に向けて歩いていき、ランチセットをテーブルの上に置いてから腰を下ろす。それに並ぶようにして柚葉も隣の席についた。

 山南は、食券を変えた後に目標を見失ったのか、しばらく立ち止まっていたが、諦めたように、立っていた近くの席へと座り食べ始める。

 その様子をビクビクしながら見ていた柚葉は、不思議そうに首を傾げて見つめた。

 山南が、和麻から視線を切った際に、和麻が風の結界で二人を覆い、見えないようにしたのである。

 その後も、普段通りに授業へ参加し、帰宅する。その間、柚葉との間に会話はない。別れ際に柚葉が「ありがとう」と言うくらいだろう。沙希が居ないのは部活に入っているためだ。別れた後、柚葉は一人になってしまうが、こっそりと和麻の風に守られている。

 それらは、日々、和麻の風術師としての技量と応用が、上がっていることを感じさせるものだった。

 

 

 

 厳馬と最後に訓練をしたのはいつだったか……。

 今は中等部二年の中頃。それは、いつもの如く突然に、厳馬より呼び出されて言い渡された。

「明日、夕方より訓練を再開する」

「急ですね、父上」

 厳馬は言い終えると、用件は終わりとばかりに口を閉ざす。その事に和麻も慣れたもので、ひと声掛ける。そして、返事がないのを一応確かめてから立ち上がり部屋を後にした。

(急にどうしたんだ? ……ちょっと調べるか)

 風の精霊に働きかけて、屋敷中の情報を集める。風の精霊たちは、分かっているのか、いないのか……無節操に色々な声を運んできた。

「居なくなるまでもうすぐか……長かったの」

「最初からこうしていれば良かったものを……。宗主はなぜこうも期間を先延ばしにしてきたのか」

「継承の儀を何故あやつは受けずに、息子に受けさせるのだ?」

「炎術師ではない者を推薦する理由が分からんな」

「しかも風牙衆より使えぬ者をな」

「やはり、息子に継がせたいのだろうよ」

「この機を逃せば、次はないからの。 宗主も分かって言ったのであれば、酷なものよ」

 風の精霊が運んできたのは、主に屋敷の長老たちからの声がほとんどであった。それもそのはずで、長老たちは、集会に参加して意見を述べること以外、やることがないのである。そのため、長老たちの間で暇潰しに何でも会話に盛り込んでおり、いつでも話題に餓えていた。そこへ、話題の種が撒かれたのだ。会話をしないわけがない。

 会話の中の言葉から、和麻は自分の事を話していると認識し、更に情報を集めようとするが、後のものは、ほとんどが誹謗中傷ばかりで、聞くに値しないものばかりだった。

 余分な情報を削ぎ落として、意味のある言葉へと繋げていく。それは───

 

『来年』『春』『炎雷覇』『綾乃』『継承の儀』

 

 大まかに五つの単語で構成された紙を見る。

(『来年』の『春』に『炎雷覇』をかけて『綾乃』と『継承の儀』を行うってところか? ……負けたら出ていくことになってるとはね……一応これでも未成年なんだが)

 半ば愚痴のように、集められた情報に対して思いを抱く。厳馬の事。負けた場合、確実に家から追い出されるだろうことが、容易に想像できた。そのための訓練の再開なのだろう。

 相手は、現宗主である重悟の一人娘───綾乃。

 未だ十にも満たない少女である。炎術師としては、厳馬に次ぐ神凪家ナンバー3。炎術師の才能も有り、容姿も良く、頭も良い。天が幾つも与えて産まれた……恵まれた者の典型、と言っても差し支えない相手だった。

 

 次の日。

 以前と同じように訓練は始まる。

 道場内へ入る前に、警戒心を高めてから、足を踏み入れる。その和麻の姿からは、油断など微塵も感じられない。

 ただ和麻にとって、今までの自主訓練が、どの程度厳馬へと通じるのか……この始めの訓練は、その確認の意味合いが強かった。

 和麻の警戒心の高さや、その身の熟なしに、和麻が今まで遊んでいなかったことが分かり、厳馬は軽く満足し目を細める。そして、和麻が目の前まで歩いて来たところで、おもむろに拳を和麻の胸へと真っ直ぐに突き出した。

 その拳は、軽く身体を斜に構えることで難なく避けられる。これは挨拶だと言わんばかりに、厳馬は拳をゆっくりと戻していき……戻しきると同時に、今度次々と、突きだけではなく蹴りまで放ち始める。それは、フック気味に死角から顎を狙いつつ、そちらに意識がいったところに足払いをかけるなど、フェイントを混ぜていき、多種多様な攻撃を仕掛けていく。

 しかし、その全ての攻撃を、予期していたかのように和麻は避け、時には逆に、厳馬へと攻撃してきた。中等部に入ってからは、訓練をみていなかったとはいえ、厳馬にとって、その動きは劇的な変わりようだった。

 たったの二年。然れど二年。二年という月日で強くなった和麻に、厳馬は笑みを浮かべそうになる。それを堪えて、更に攻撃の手は激しくなっていった。

 気の練り込みは、未だに満足と言えるものではなかったが、その動きには目を見張るものがある。厳馬の手加減なしの攻撃を、避けるのだから大したものだった。

 反撃の拳や蹴りについても、及第点はあげられる程度にはなっている。これで厳馬の目的は、炎術師として、和麻を目覚めさせる事に狙いを絞り込まれていった。

 そのため、訓練は専ら精神的なものへと移行する。

 

 平日は道場内で、座禅を組ませて、厳馬が和麻の周囲を炎の精霊で埋め尽くしていく。それらは熱量を僅かに持たせていたため、軽いサウナのような状態だった。

 休日は遠出をし、火山の噴火口まで登って、しばらく道場内と同じように、炎の精霊を集めていく。

 厳馬は内容について何も語らず、和麻についても、厳馬に対して何も聞かない。厳馬はやっていることの意味くらいは、分かるだろうと思っていた。

 対して和麻は、精神的な訓練であることは理解していたものの、それが、炎術師の才を開花させるためだとは、ついぞ知るよしもない。綾乃の炎に耐えるためだと思っていたくらいだ。それに加えて、厳馬に聞いたところで、まともに返答が来たためしがないのだ。聞くだけ無駄と、和麻は割りきっていた。

 

 訓練の合間も、和麻は情報収集を欠かさない。対戦相手の力量が、どの程度のものなのか。闘う際の癖やその戦闘スタイル。好き嫌いまで調べていく。

 そこまでやるのかと……そこには遠慮などなく、相手が少女だろうと、油断など微塵もない。負けてしまえば、出ていかなければならないのだ。多少なりとも真剣にはなる。

 しかし、その思いは途中から焦燥へと変わった。

 見てしまったのだ。綾乃が妖魔と闘うところを。

 それは、闘いと呼べるものではなかった。金の炎が具現化し、宙に舞ったかと思えば、次の瞬間には全てが終わっていたのである。そこに妖魔のいた痕跡すら残さず、綺麗さっぱりと浄化されていた。痕跡といえば、炎が通り過ぎた焦げ跡くらいだろう。

 それからは、どうするべきか、どのように闘うべきかを模索、検討していく。己を高めることは勿論だが、相手への干渉が、どの程度まで出来るのかも含めて行われる。バレないようにこっそりと。

 そして、それは春まで続けられた。

 厳馬と和麻。二人の思惑がずれたままに……。

 


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