風の聖痕 新たなる人生   作:ネコ

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第9話

 引っ越しを行ったことで、変わったことがある。それは、和麻が特に意図したものではなかったが、平日に学園に行ったことで知ることとなった。

 学園からの帰宅中、いつものように柚葉と帰っていると、柚葉が困惑した声を出す。

「あれ……? こっちは……」

 和麻は気にした様子もなく、いつも別れる場所で、いつもとは違う方向に向かう。そのことに対して柚葉は声を上げたのだった。

 その方向は、柚葉がいつも帰る道。困惑しながらも、柚葉は和麻の後をついていく。途中で、あるアパートにたどり着くまでは。

「えっと……。またね」

「ああ」

 和麻は振り向きもせずに短く返事をすると、アパートの一室に向けて歩いていく。それを柚葉は、和麻が部屋に入るまで黙って見ていた。

 

 部屋の中には、段ボール箱が数箱転がっている。他にも、日用雑貨的な物が袋に詰められたまま置かれていた。それらを見渡してから和麻は制服を着替える。

 日用品や必要最低限の家電は購入してある。後は、食料関係くらいだろう。しかし、そこに問題があった。和麻は料理をしたことがない。今までする必要がなかったのだ。だがこれからは、そうは言っていられない。

 残り数百万。毎日外食などをしていては、あっという間にお金などなくなってしまう。和麻はしばらく悩んでいたが―――悩んでいても仕方がないと割り切り、部屋の片付けを始めた。

 学費に関しては、周防から和麻へと、既に卒業までの分が支払われていることの連絡を受けていた。これには、和麻もホッとしたものである。高等部を卒業するまでの金額を考えると、余計な出費がなかったとしても、今の所持金では心許ない。

 部屋の中で立ち尽くしたまま、少しの葛藤があったものの、和麻は買い物をしに商店街へと向かった。

 

 商店街へと向かったものの、和麻が作れそうな料理と言えば、カレーやシチューなどの簡単な物しかない。しかし、それすらも、遥か昔に調理実習で作ったくらいだ。今、通っている聖凌学園では、調理実習など無い。それだけに、この通常生活において必須とも言える事柄は和麻を悩ませるには十分だった。

 商店街に到着した和麻は、必要な食材を買い集める。玉ねぎ、じゃがいも、にんじん、豚肉、カレーのルー。覚えている限りの材料を集める。

(こんなものだったはず)

 食材を買い終えたところで、柚葉に出会った。柚葉も買い物を終えたところのようで、和麻を見つけるなり近付いてきたが、和麻は気にすることもなく、買った食材を持って店を出る。

 帰路が一緒なため、二人は買い物袋を提げたまま歩いていく。柚葉はいつも通り、和麻の一歩後ろをついてきていた。

 いつもと違うのは、柚葉が話しかけてきたことだろう。意を決したように、真剣な表情で声を出す。それは、少し大きな声となって和麻の元へ届いた。

「か……神凪君!」

「……なんだ?」

「神凪君もお料理してるの?」

「いや」

 素っ気ない和麻の返答に、なんとか話題を作ろうと柚葉は考えるが、なかなか次の言葉は出てこない。

 しかしこの時、和麻の方は柚葉の言葉の内容が気になっていた。

(神凪君『も』と言ったか? ということは、普段から料理をしていると言うことだな……)

 ここで、和麻の方から柚葉へと声を掛けられる。

「いつも自分で飯を作ってるのか?」

 まさか、和麻の方から声を掛けてくるとは思わなかったのだろう。柚葉は何も言えずに、驚きで固まってしまい、その場に立ち止まってしまった。

 和麻は何か不審なことでも言ったのかと、柚葉へと振り向き、自分の言った言葉を思い浮かべながら内心で首を傾げる。内容的にも、特に変なことを聞いた訳ではないので尚更だった。

 再起動を果たした柚葉は、慌てて和麻へと返答する。

「はい! 作ってます!」

「大きな声を出さなくても聞こえている」

「ごめんなさい……」

 柚葉は、しょんぼりと項垂れ、肩を落とし、自身の迂闊な行動に気落ちしてしまう。それに対して、特に気にした様子のない和麻は話を先に進める。

「それは、昼の弁当も、か?」

「うん。私の家は、両親が共働きだから……。

 聖凌学園は、普通の子が行くにはレベルが高いよね……」

 柚葉は、辛そうに答える。昔の自分の発言を───何も知らない頃の自分の発言を後悔していた。

 

 聖凌学園は、年間で一括してお金を払う仕組みになっていた。その金額は、他の学校や学園と違い、多額なものとなっている。その為、お金持ちの家の者が多いが、それ以外となると、何かに秀でた者がほとんどだ。

 それは、勉強でも構わないし、運動でもいい。何かひとつでも他の者より圧倒的に秀でていれば、特待生として格安で入学することができる。

 しかし、それ以外の者が入学するとなればどうなるか―――それも、一般家庭の者であれば、この学園への入学は大変なものとなる。さらに付け加えると、問題を起こせば即退学の可能性もあるのだ。一般家庭であれば、お金で解決など簡単に出来はしない。

 柚葉は勉強の方で入学していた。幼い頃に、幼馴染みである沙希と離れたくないが為に、両親に泣きついて聖凌学園に入ったのだ。聖凌学園に入るため必死に勉強し、見事に合格を果たした。それに対して両親は喜び誉めてくれたが、そのせいで生活環境が変わってしまう。

 専業主婦として家にいた母親は、父親同様に、朝早くから夜遅くまで働きに出てしまった。家に残されたのは柚葉だけである。

 あの頃はお金のことなど気にもしていなかった。しかし今は違う。両親が昼間、家にいないのは自分のせいであると理解していた。それでも、今更他の学校に転校したいなどと、弱気な柚葉には言えないし、言えるわけもなかった

 その為、親に迷惑をかけないようにと勉強を頑張り、留年などしないのはもちろんのことながら、家事については基本的に柚葉がやっていた。その事もあり、部活には入らずに、家に帰って家事をした後は、勉強に勤しんでいるのが現状である。

 

 元気のない声で、愚痴のようなものを漏らす柚葉に相槌など打たず、和麻は話を続ける。

「昼の弁当の原価はいくらで作っている?」

「えっ? げんか?」

 和麻の聞きたいことが理解できずに、柚葉は聞き返した。

「―――弁当代は一日あたりいくらくらいだ?」

「えっと……」

 しばらく考え込み、悩みながらも、多分と前置きして答えを出す。

「二百円もかかってないくらいだと思う」

 その答えに、今度は和麻が黙りこんだ。

 聖凌学園の一食の値段は、一番安いもので五百円。大概の物は、千円を越えている。その代わりに、その金額以上の料理は出てきていた。

 今までの和麻の小遣いの大半は、この昼食代に消えていったと言ってもいいくらいだ。

 和麻は考えていたことを提案する。ダメで元々の話だ。断られたとしても問題はない。その時は、当初の予定通り、自分で作るのみ。

「二百円で、弁当をもうひとつ作る気はないか?」

 この言葉は、柚葉にとって予想外だった。和麻自ら、声を掛けてきた以上に驚きを隠せずにいる。

「無理か?」

「そんなことないです!」

 黙り込んでしまった柚葉を見て、諦めたように聞き返してきた言葉に、柚葉は即座に反応して了承する。そして、また大きな声を出してしまったことを恥ずかしがりながら謝った。

「何度もごめんなさい……」

「いや、いい。

 それよりも、明日にでも弁当箱と金を渡すから、明後日以降から頼む」

 和麻はそう言うと、止めていた歩みを再開させる。柚葉もおいていかれまいと、和麻の後ろを嬉しそうについていった。

 和麻としては、ここで話は終わったつもりだったのだが、しばらくして、今度は柚葉から話題を振ってくる。

「神凪君は、ご両親から買い物してくるように言われたの?」

 柚葉の何気ない質問。ちょっとした疑問から、会話を繋げようとしただけの些細なものだったが、和麻からの言葉で更に疑問を持ってしまう。

「そんなことは言われたことがないな。これは、俺が作るために買ってきたものだ」

 和麻は手に持った袋を目の前まで上げて見せる。

「さっきは、料理をしてないって……?」

「今までしてなかっただけだ。これからは、独り暮らしなんでな。そうも言ってられない。

 昼の弁当を頼んだのは、そこまでのことができる自信がないからだ」

「そうなんだ……。

 神凪君は何でもできると思ってた」

 柚葉は感慨深そうに言うと、何かを考えついたのか、ハッとして顔を和麻に向けて、それを和麻に伝える。

「お邪魔じゃなければ、夕飯も作るよ?」

「……手間賃など出せないが、それでもいいのか?」

「うん。私がしたいだけだから」

 和麻は酔狂な者でも見るかのように、柚葉を横目に見つめ、自分に損がないことを、再度内心で確認していた。そして、柚葉の表情を見て、自分の得にならないことを、喜んでやろうとする柚葉に、和麻は若干呆れてしまう。

「……ギブアンドテイクだ。金以外で要望はあるか?」

「?」

 和麻としては、余程の事がない限り、他者に借りを作りたくはなかった。それに加えて、未だに警戒心のない柚葉に呆れたこともあり、多少の融通をきかせることにしたのだ。

 黙ってしまい、なかなか要望を言おうとしない柚葉に、先ほどの言葉から和麻は考える。

(学園のレベルが高いと言っていたな……と言うことは、あのレベルの授業についていくのがやっとなのか? それなら、勉強を見てやるか。家庭教師をしたことはないが、分からないところだけを教えればいいだろう。その間に、俺は自分の事をやればいいだけだ。いつもやってることの場所が変わるだけで、特に問題はないな)

 和麻は結論を出すと、進行の足を止めずに、柚葉へ向き直った。柚葉としては、学園へ支払う金額が高いと言う意味で言ったのだが、和麻は違う意味で捉えてしまう。

「勉強を見る、でいいな?」

「えっ?」

「聞いてなかったのか?」

 少し不機嫌そうな声音で言う和麻に、柚葉は慌てて肯定する。

「いいです!」

 買い物袋持っていたため、動かせない両手に代わり、頭を上下に激しく動かす。

 そう答えた直後、柚葉は落ち込んだように顔を下に向けて、表情を暗くする。

「それで、いつから夕食は作れるんだ?」

 柚葉の表情が、暗くなったことを察しながらも、和麻は声音を元に戻し、柚葉の持っている買い物袋へと視線を向けて再度訊ねる。

「今から行けます!」

 柚葉は持っていた買い物袋を、和麻に見えないように背後へと持ち直し、普段とは違い元気よく答えた。

 

 柚葉は、和麻の弁当を作れることに浮かれており、和麻の事まで意識が回っていなかった。

(これだと、奥さんみたいだよ~。お弁当の中身はどうした方がいいかな?)

 あれこれと弁当のおかずに思考を割いていたが、途中であることに気付く。

(あれ? でも、何で神凪君は食材買ってるんだろう? ご両親に頼まれたのかな?)

 今ならば聞ける……と、勇気を振り絞り和麻へと訊ねる。そうして返ってきた言葉を、柚葉は意外に感じていた。

 和麻は何でもできると思っていたのだ。文武両道。知識もあり、運動もできる。そして、何事にも自信をもって行動している姿に、柚葉は一緒に行動を共にすることで、憧れさえ感じるようになっていた。

 本来であれば、クラスの人気者になってもおかしくはないが、和麻は基本的に他者を寄せ付けない。柚葉が近くにいて、何も言われないのが不思議なほどだった。それを柚葉は、和麻の邪魔をしないからだと考えていたし、実際にその考えは合っている訳だが……。

 そこで、もっと親しくなりたいと思っている柚葉としては、和麻の夕食作りをすることで少しでも―――と提案したのである。

 それは、柚葉の思いとは別にして、和麻に受け入れられた。ただの善意だけではなく、ちょっとした下心もあった発言だったのだが、更に家庭教師までしてもらえると聞いて、柚葉は少し自己嫌悪に陥ってしまう。

(これだと、私だけが得してるよ……。でも、せっかくの機会をなくしたくないし……。せめて、精一杯作ろう!)

 いつから作れるのかを訊ねてくる和麻に、柚葉は気合いを入れて答えたのだった。

 

 和麻のアパートに到着し、早速料理を作り始める。

 材料は、和麻の買ってきたカレーの具材。それらを手際よく、馴れた手つきで皮を剥き切っていく。その間に、和麻は鍛練を始めた。鍛練と言っても、身体を動かすわけではなく、精霊術師としてのものだ。

 あぐらをかいた状態で目を閉じ、意識を外側へと向けて、己自信を客観的に見る。その見る範囲を徐々に拡げていき、動きの全てを把握していく。アパートに住む、全ての住人の動きを把握するまで、そう時間はかからなかった。

 続いて、各人の行動の予測を行おうとしたところで、柚葉から声が掛けられる。

「あの……。カレーできたよ」

「……分かった」

 立ち上がった和麻は、匂いの発生源に向けて歩いていき、中身を確認する。

 煮込まれた鍋の中には、独りで食べるには数日かかりそうな量のカレーができていた。和麻は、若干眉をひそめながら、それを見つめる。確認していた限りでは、特に不審な物を、柚葉はこの鍋の中に入れていない。和麻が気にしたのは、柚葉自身が買った物の中から、材料を取り出して追加したことだ。

 できたものを確認した和麻は、溜め息を吐いて忠告する。

「前にも言ったと思うが、自分が損することを進んでやるな」

 柚葉は驚いた表情をするが、手と首を忙しなく振って、その言葉を否定する。

「そんなことないよ! 私の方が得してばかりで……」

「得?」

「あっ……なんでもないから! それじゃ帰るね」

 和麻が不審に感じたことで、それを誤魔化すように、柚葉は帰り支度を始める。

「送ろう」

「家は近いから大丈夫だよ。今日もありがとう」

 礼を述べて、すぐに柚葉はアパートを後にした。

 

 

 

 今日の依頼は、普通の実体のない悪霊の除霊だった。

 あの初めての日以来、綾乃はあまり元気がなかったが、徐々に、元の元気の良さを取り戻していった。

 特に、和麻と一緒に依頼を行う日は機嫌が良い。いつもと比較すれば、とても分かりやすかった。

「ねえねえ、和麻」

「……何だ?」

 和麻は気怠そうに返事をする。

「私に体術教えてよー」

「断る」

 即答だった。しかし、このやり取りは初めてのことではない。

「何でダメなのよ! ケチ!」

「ケチで結構だ」

 和麻の素っ気ない態度を気にせず、更に身体を寄せてお願いする。

「ちょっとだけだから。少しだけでいいから!」

 どこぞの詐欺師のような謳い文句で、綾乃は諦め悪く、尚も言い寄ってくる。

 車の中なので、移動できる空間は無いに等しい。そこへ、身体を寄せてこられては、逃げようがなかった。

 和麻には逃げる気など無かったが。

「煩いぞ」

 顔を寄せてきたところへ、その額に軽くでこぴんをする。綾乃は、額を押さえて不機嫌そうな顔をするが、それも一瞬のこと。文句を言いながらも、すぐに機嫌は戻る。

「でこぴんするなんて酷い。傷物にされたからには、私の言うこと聞いてよ」

「これまでに、お前に攻撃を仕掛けてきた悪霊にでも言っておけ」

 和麻は綾乃を相手にせず、腕を軽く組み、目を閉じていつもと同じように、先に敵の位置を把握するため意識を飛ばす。

 綾乃は、それを見計らったかのように、和麻に接近すると、和麻に身体を預けて目を閉じる。

 さすがに何度も攻撃を受ければ人は学習する。

 攻撃の意図もなく、ただ身体を預けただけならば、和麻から攻撃をしてくることはなかった。

 ここにくるまで、色々とあった。

 当初、弱味を握られてしまったと思い込んだ綾乃は、それを忘れさせようと、実力行使で和麻に迫るも、簡単に返り討ちにあい、仕舞いには父親に怒られるという、ダブルで痛い目にあっていた。

 他にも手を変え、品を変えて攻撃をするが、一向に当たるどころかかすることさえない。車の中であるにも関わらず……だ。攻撃が当たる前に、その攻撃の軌道をそらされてしまうのである。それならば―――と、恐る恐る指でつつこうとして、その指を逆に掴まれてしまい、捻り上げられるなど手痛い反撃にあっていた。

 それらの事から、体術に関して和麻は、自分よりも遥か高みにいることを綾乃はようやく察した。

そこからは掌を返したように、お願いという形で、和麻に体術を見てもらおうとしていたが、これまで叶った試しはない。

 綾乃も、和麻と同じく、基本的に人を頼らない。そんな綾乃が、和麻に甘えたようなことを言うのは、ある理由があった。

 綾乃の好きなタイプは、自分の父親───重悟のような人物である。

 和麻は重悟に似ていた。純粋に強いだけではなく、揺るぎない精神性まで持っているのだ。綾乃が惹かれないはずがなかった。

 今では、このようにして、隣で座っていても攻撃をされたりはしない。多少邪険にされることはあるが、拒否まではされていなかった。その事に安堵しながらも、仕事の場に着くまで、綾乃は安心して眠りに落ちていく。

 運転手の周防は、それを微笑ましげに見ていた。

 

 戻ってきた和麻は、またか……と、溜め息混じりに首を下に向ける。

 夜間に行う除霊の場合、高確率で綾乃は寝てしまう。それも、和麻に身を寄せて。

 こんな状態であっても、仕事となればしっかりと動くようにはなった。起こせば寝惚けることなく意識をハッキリとさせるのである。

 最初の頃から比べれば雲泥の差だ。和麻への対応にしても、同様に変わった。

 精神的に弱気な状態では、除霊に手間取ってしまい、依頼遂行の妨げになる。そんな綾乃を変えてしまおうと行動に移した。しばらくの間、生き物を殺したことを引きずっていた綾乃を、和麻はスパルタ気味な仕事のやり方で、無理矢理戦闘に持ち込み、そのような事を考える余裕さえなくしてしまい、殺らなければ殺られる───という意思を刷り込んだのである。

 これにより、引きずることはなくなったが、代わりに和麻を標的として狙ってくるようになった。

 刷り込みに成功したのだが、そこには、自分の不利となる者への対応も含まれており、それまでの弱かった自分を知る者───和麻に、制裁を加えようと攻撃してきたのである。

 完全にやり過ぎてしまった感はあるが、弱気なままになってしまうよりはマシだと思い直し、適当にあしらって対応していた。

 その内に、攻撃をしても無駄と悟ったのか、体術を教えろと執拗に言ってきていた。それを思えば、寝ていてもらう方が、和麻にとって遥かにマシだった。

 その日も、恙無く除霊は終わり、帰宅することになる。

 

 

 

 図書館の片隅で、その勉強会は行われていた。これは、来週から始まる期末試験に向けた勉強会だ。勉強会と言っても、その机にいるのは、和麻と柚葉の二人だけであるが……。

 二人は黙々と勉強していた。

 和麻の方はシャーペン片手に、ノートを見もせずにメモを取っては、もう片方の手で器用に本を読んでいる。

 もうひとりの柚葉の方は、教科書を机に広げて、ぶつぶつと口の中で唱えながらノートに書き取りしていく。

 時折、柚葉が悩んで書く手を止めると、それをずっと見ていたかのように、和麻の手が柚葉のノートに、悩んでいる箇所を書き込んでいく。

 始めの頃は、何故悩んでいる場所が分かるのか……と、驚いたものだったが、今では普通に分かるのだと、柚葉は納得してしまっていた。

 勉強会の時間は二時間程度。勉強会が行われるのは、定期的にあるテストの一週間前と、臨時に行われるテストの前日に開かれていた。

 臨時に行われるテストの前日に、勉強会が開かれることに関して、最初は偶然で柚葉は片付けていたが、何度も続けば、それは必然に変わる。柚葉はそれすらも、神凪君だから……と言う言葉で納得してしまっていた。

 勉強を行う場所は、休みの日であれば図書館。平日であれば、お互いの家など様々だ。

 和麻の態度は、どこにいても変わることはない。初めて異性を部屋に入れた時、柚葉は恥ずかしさのあまり、しばらくは、まともに勉強に身が入らず、上の空だった。しかし、その状態を和麻に叱られたことで、それ以降、浮わついた気分に浸ることはなくなっていた。そのお陰なのか、柚葉の成績は、学年上位の位置をキープしている。

「今日のところはこれで終わりだな」

 和麻は、館内の壁に掛けられた時計へ目線を向けながら、柚葉へと声を掛けた。

 柚葉もそれにつられて、和麻の見ている時計へと視線を向ける。時間は午後の四時前。そろそろ買い物をする時間である。

 柚葉は、広げていた勉強道具を片付けて、鞄の中へと仕舞い込む。片付け終わった二人は、図書館を出たその足で、そのまま買い物へと向かった。

 その二人を追う視線も一緒に───

 

 和麻は内心不機嫌だった。理由は単純なもので、尾行者がいるからである。

 あれで本当に尾行をする気があるのかと疑いたくなる。そんな鬱々とした気持ちでいた。尾行は定期的に行われ、それが伝えられる言葉まで把握できている。つまり、相手がどこの者かも分かっているのである。

 和麻という存在がどのような者かも分かっているにも関わらず、このお粗末な尾行者を配置するその人物に、呆れて何も言えない。

 風術師である和麻に、何故尾行をつけたのかは、その報告を聞くことで知ることができた。

 しかし、だからといって、尾行されて愉快な気分になるわけもなく、かといって、一方的に始末するのも、後々面倒になることは間違いない。

 割りのいい仕事をもらっている手前、ある程度は我慢するべき……と堪えていた。仕事を依頼する相手の事を調べるのは当然だからだ。

 今のところ特に目立った被害はない。あったら、相手が誰であろうとも関係ないが……。

 それにしても……と和麻は思う。

(何故、今日はあんたの娘も尾行をしているんだ? 隠れる気が全く感じられないんだが……)

 小さく溜め息を漏らして、和麻は全力で無視することにした。

 

 その日を終えて、場所はある部屋の中。上座に座る者に対して報告が成されていた。

「報告は以上か?」

「……これは報告しにくいのですが……」

「よい。遠慮せず何でも言ってくれ」

 風牙衆の言いにくそうな言葉に、重悟は親しみやすく、声をかける。

「……更に本日は、お嬢様があの者を尾行をしておりました」

「───何?」

 重悟は、俄には信じがたい言葉に、声音を低くして思わず聞き返してしまう。

 風牙衆の者は、その声に畏縮してしまい、低頭して謝罪してしまう。

「申し訳ありませぬ!」

「……あー。よい、気にするな」

 自分の意思に従って、集まった炎の精霊たちを散らしていき、ばつの悪そうな顔をしながら風牙衆の者をフォローする。

「それで、何かあったのか?」

 重悟は、気になる点を問いかける。今までの報告は、和麻に関することのみ。これからは、綾乃の事について報告を受けねばならない。

「特にはありません。尾行したのも、図書館から出たところを目撃してからですので、買い物をしてから家に入るまでの間と、三十分程度の時間です」

「ふむ……」

 重悟は、その報告を受けて考え込んでしまう。

(これは、依頼をもう少し増やすべきか……)

 愛娘が、和麻を気にしているのは分かっていた。それは、日々の会話の端々から伝わってくる。重悟としても、和麻は息子のようなものだ。その二人が仲良くする分には問題はない。しかし、これに第三者が入ってくると、また難しくなってくる。恋愛関係となれば尚更だ。

 報告で、和麻と一緒にいる平井と言う女生徒は、付き合っている訳ではないのは分かっている。分かってはいるが、外から見るとどうか……。果たして付き合っていないと見えるのか───と問われれば、大多数が付き合っていると見るだろう。

 綾乃を応援するためにも、重悟は決意を新たに、風牙衆の者を下がらせて周防を呼ぶのだった。

 


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