「なぜ、リリーにあんな物を見せたのです? 下手をすれば、トラウマになりかねませんぞ」
演算宝珠工場の待合室にて、ターニャは出された珈琲を啜りながら道中で遭遇した共産主義者達の処刑を、リリーに見せたことを責める。
これには流石のフリードリヒの妻で、帝国領土の治安を担う国家保安本部の長官であるゲルトルートは表情を硬くしたままだ。
調べる前はただの小娘かと思っていた彼女だが、こうして同じ席に腰を下ろし、面と向かえば、自分以上のIQを誇る男に問題を問われているかに思える。
「仕方なかったのよ。まさか、あんな所で処刑しているなんて」
「まぁ、
ゲルトルートが言い訳をして、それを聞いたターニャがリリーの成長や精神的な問題で責任を追及すれば、国家保安本部の女史は一切詫びる様子を無く、ラインハルト・ハイドリヒような鋭い眼光で睨みつける。
おそらく本物のラインハルトも、あそこで共産主義者を殺している現場を知らなくとも、それを見た子供に詫びる様子も無く、それがどうしたかのような表情を浮かべ、睨み付けて黙らせて来るだろう。言うなれば、謝る気は無いに等しい。
とても皇帝の妻とは思えぬ視線で大の男でも恐れをなしそうだが、ターニャは動じない。ナチス随一の頭脳を誇るラインハルトよりも、恐ろしい存在と現在も対峙しているのだ。
自身が嫌う共産主義者は幾らでも、何所でも殺しても構わないターニャであるが、時と場所は選ぶ人間だ。幼気な少女の前で殺すなど、戦後の日本人からして気が退けるのである。
「はぁ、まるで三十代の男と話してる気分ね。夫が貴方の事を悪魔だのなんだの言ってるけど、事実のよう。あなた何者?」
「話を逸らさないでもらいたい。まぁ、連中がそもそもの原因なのは同意しますがね」
「えぇ、連中の所為ね。早く国内のを駆逐しなくちゃ、こんな面倒なことになる」
工場を破壊しようとした共産主義者とは言え、生身の生きた人間だ。その人間を幼気な少女の前で殺したことに詫びる様子も無く、ゲルトルートはターニャの正体に気付きつつある。
それで話を逸らしたゲルトルートにターニャは逸らすなと咎めるも、そもそもの原因が行動を起こした共産主義者達であると認める。これにはゲルトルートも同意見だ。
長身の眼力女史と幼女の皮を被った怪物の静かな睨み合いが起こる中、そこへ偶然にも、演算宝珠工場に来ていたアーデルハイト・フォン・シューゲルがターニャを見るなり待合室に入って来た。
彼はこの恐ろしい睨み合いが見えていないだろうか、それとも自身の最高傑作の性能をフルに引き出せるターニャしか見えていないのか。
「おぉ! 偶然だな、デグレチャフ中佐! やはり私のエレニウム九九式の試験を…」
「っ!? 何故ここにドクが!?」
「何故だと? ここは私が生み出した演算宝珠を生産する工場だ。量産品の中に、不良品が無いか調べる必要がある! 故に定期的に訪れ、工場の勤務員が手を抜いていないかどうかな!」
「…噂通りのマッドサイエンティストね」
ターニャがなぜ工場に居るか驚く中、シューゲル博士はこの工場で自分の発明品に不備が無いかどうか定期的に調べていると答えた。
全く泣く子も黙る国家保安本部の長官である自分に挨拶することなく、自身の関心を引いているターニャに声を掛けるシューゲルに対し、ゲルトルートは睨み付け、噂通りの科学者であると口にする。
殺意に満ちた眼光を感じたシューゲルは、動じることなく挨拶を行う。
「おぉ、これはこれは
もはやシューゲルは自身の次なる最高傑作、エレニウム九九式の完成にしか眼中にないようだ。
無礼を恥じると言うか、身の危険を顧みずにゲルトルートにも、ターニャに試験を受けさせるように説得し始める。
「どうか、国家保安本部長官殿にもデグレチャフ中佐に、エレニウム九九式の試験運用を頼んでは頂きたいのですが…」
「ドク! 貴様、どれほど私に拘るのだ!?」
「シヌ・リーオ中尉殿が帰還している筈だが」
そんな頼み込んで来るシューゲルに、ゲルトルートは本国に帰還しているシヌ・リーオを勧めるが、もはや過去の異物と化しているシヌに、シューゲルは異常なまでに嫌がる。
「駄目だ! あれはゴミだ! ゴミ! 奴なら着けた瞬間に爆発してしまう! デグレチャフ中佐以外あり得ない!」
「(お前は少女漫画のヒロインか)」
適任者はターニャ以外あり得ない。
そう冷酷な美女の顔であるゲルトルートの表情を驚愕させているシューゲルに対し、ターニャは声に出さず心の中でツッコむ。
ドン引きしているゲルトルートが、シヌ・リーオの名が出たので、聞き覚えのあるターニャは二〇三大隊結成前である人選の時の事を思い出す。
「(シヌ・リーオ? あぁ居たな、そんな奴。速攻で落としてやったが)」
ターニャもまた悪名高き英雄とは名ばかりの男であるシヌ・リーオも知っていた。
人選の際に名前が挙がっていたが、いざ面接の際、自分が時間稼ぎのために張っていたデコイを見抜けず、そればかりかこの隊を自分に寄越せなどと言って来た。
その時、同席していたゼートゥーアが顔には出さなくとも、机に載せている手を血が出るほどに握り締め、静かに怒っていることは覚えている。
シヌ・リーオがどれほど酷い男か、ターニャはゼートゥーアの静かな怒りで理解した。
「だからこそ、デグレチャフ中佐以外に適任は居ない! あんなゴミなど論外だ!!」
「ちっ、精神異常者め」
「(おい、それは差別用語だぞ。まぁ、二十年代だからな)」
唾を飛ばしながらエレニウム九九式の適任者はターニャ以外あり得ないと必死に訴えるシューゲルに対し、いらついたゲルトルートは聞こえないように差別用語を呟く。
心の中で注意しつつ、ターニャは早くシューゲルを連行する者達が待合室に来ないかと思っていたが、その者達はリリーと母親と共に入って来る。
「シューゲル殿、工場長殿がお呼びです。直ぐにご同行を」
「うわっ!? なにをする! まだ用件は済んでいない! 離すんだ!」
「急ぎの用事ですので、直ぐに連れてこいとの事です。さぁ、早く!」
「デグレチャフ中佐! 次は絶対に受けて貰うからな!!」
無理やり連れて行こうとして来る国家保安本部の職員らに対し、抵抗を続けるシューゲルであったが、屈強な二人組の男の前では抵抗は虚しく、呼んでいる工場長の元へ、捨て台詞を残してから連れて行かれた。
次こそはエレニウム九九式の試験運用をやらせると言っているが、ターニャは受けるつもりは一切ない。今度こそシューゲルに殺される可能性があると思っている。
「誰が行くか」
「ターニャちゃん、今の変なおじさんは?」
「知らない!」
絶対に受けてやらないと連行されるシューゲルに向けて言えば、リリーが彼について聞いて来たので、ターニャは子供の振りをして答える。
「リリーちゃん、気分は大丈夫?」
「うん、少し休むと良くなったわ。じゃあ、工場見学に」
「そうね。行きましょう、ターニャちゃん」
「うん、楽しみ!」
あの光景を見せたにも関わらず、謝意の気持ちも無く気分を問うゲルトルートに対し、リリーは大丈夫だと答えた。
何も知らぬことを良い事に真人間のように振る舞うゲルトルートに、とてもあのフリードリヒの妻とは思えぬターニャは、リリーの前では子供の振りをして工場見学が楽しみだと言った。
工場見学が始まり、産出地や占領した各地より集積並び徴集した加工前の宝珠の原物を見て、原物特有の綺麗さにリリーが心を奪われる中、工場内ではそれなりの地位である彼女の母はターニャの正体を知ってか、ゲルトルートとその部下たちの目を気にしながら声をかけ、人気の無い場所へ誘い出す。
「あの、少し用を足しに行きたいとターニャちゃんが」
「…? トイレ行きたい!」
「そうですか。では、私たちは向こうに居るので」
「ありがとうございます」
トイレに行きたいと嘘をついて彼女らから離れた後、リリーの母は自己紹介を行ってからゲルトルートの前では言えないことをターニャに告げる。
「察して頂きありがとうございます。私はアルベルタ・タイレ。分かると思いますが、貴方が友達として接してくださっているリリーの母です。こんな所に呼び出してすいません」
「えぇ、何か国家保安本部の長官の前では言えぬ事情があるのでしょう。なんです?」
「まぁ、言えば私たちは国家反逆罪に処されるでしょう。折り入ってなのですが、実は夫と共に亡命を考えております」
「亡命…だと…?」
ここにアルベルタが呼び出した理由とは、亡命の相談であった。
まさか帝国陸軍中佐で参謀本部管轄の隊を指揮する自分に、亡命の相談をするとは思えなかったターニャは驚き、ゲルトルートの手の者が居ないか確認する。
「奥さん、あなた何を考えて…」
「大丈夫、聞かれている心配はありません。私には、軍に報告していない固有魔法を使っておりますから」
「なるほど、周囲結界型で、外に音を出さない結界魔法か」
周囲には自分等の話し声は聞こえていない。そう軍には報告していない魔法を使っていると、アルベルタは答える。これにターニャは周囲をもう一度確認した後、なぜ亡命の相談を自分にするのかを問う。
「なぜ私に亡命の相談など。私が貴方を敗北主義者として報告しないとでも?」
「貴方が前線に出ると思ったからです。自分や夫は良いので、あなた方を運ぶ装備品や物資の中に、娘を紛れ込ませて貰いたいのです」
「娘、つまりリリーを紛れ込ませろと? なぜ娘だけを?」
「それは貴方以上の魔力の持ち主だからです。フォン・デグレチャフ中佐」
自分と夫は良いので、前線勤務に戻れば、自分等と共に輸送される物資の中に娘、即ちリリーを紛れ込ませ、国外へ脱出させて平和な国に亡命させて貰いたいと答えるターニャは、なぜ娘だけを亡命させようとしているのかを、アルベルタに問う。
これにアルベルタは、リリーがターニャ以上の魔力の持ち主であるからであると答える。どうやら、戦争から娘を守りたい一心で、夫と共に娘を国外へ逃がそうと考えたようだ。
あれだけ近くに居たのに、リリーからそんな反応が感じられなかった理由は、士官学校で読んだ魔法に関する書物で、封印術があったことを思い出す。
「封印術を使いましたね? 通りで感じられないわけだ」
「えぇ、そのおかげで国家保安本部に目を付けられ、四六時中見張られています。私も何とか娘を動員されないように頑張りましたが、戦闘不能な程の重傷を負って工場勤務に。今は夫が頑張ってますが、戦争は長引きばかりで、勝つと言ってますが、いずれは破滅するんじゃないかと不安です」
リリーを徴兵されないように自分と夫は必死でやっているが、自分は戦闘できない重傷を負って退役したのに、戦争は依然に終わる気配が無く、逆に激しさを増すばかりだ。
自分に信仰心を植え付けるために、存在Xは戦争を長引かせていることを、娘を心配する母に知らせたかったが、パニックを引き起こさせないので口を噤む。
もしかすれば、存在Xはあのメアリー・スーのようにリリーを第三の刺客にする可能性があるかもしれない。
そんな心配をしつつ、ターニャは国家保安本部に目を付けられている状態で、亡命先を何所にしているのかを聞く。
「でっ、亡命先は? 国家保安本部に目を付けられながらの亡命は、至難の業だぞ」
「合衆国にしようかと思います。あの国には、親戚が数十年ほど前に移住しました。何とか手紙を送り込み、面倒を見て貰えないか相談してます」
「はぁ、全く面倒なことを持ち出してくれたな。おかげで私もナチスのSDに目を付けられてしまったぞ」
「ナチス?」
亡命先はまだ帝国に宣戦布告していない合衆国であると分かれば、ターニャは周りを見ながら自分の前世の世界に存在したナチスの事を呟く。
これにアルベルタが反応する中、ターニャは何でもないと答え、亡命の手引きはフリードリヒが自分抜きで行う大規模攻勢作戦の結果次第であると告げる。
「何でもない。とにかく、やるかやらないかは、皇太子殿下の結果次第だ。ルーシーを降伏に追い込むのを期待するのだな。出来れば、ルーシーに勝つことと、最高総帥会議のアホ共が調子に乗って合衆国に宣戦布告しないことを祈れ。その方が賢明で楽だ」
「は、はい…ご相談、ありがとうございます」
最後にフリードリヒがルーシーを打ち負かし、降伏させることや気を良くした最高総帥会議が馬鹿な真似をしないように祈れと言ってから、リリーやゲルトルートの元へ戻った。
これにアルベルタは礼を言った後、何も無かった振りをしてターニャと共に戻る。
「随分長いトイレだったね? お母さん、何かあった?」
「紙が無くてね、備品倉庫に取りに行ってたの」
「そうなんだ」
アルベルタがリリーに問われて亡命の相談の事を紛らわせる中、ターニャはこちらを見下したような目線を送るゲルトルートを見た。
「(自分以外の人間を下に見ているかのような目だ。気に入らんな)」
自分とアルベルタが何らかの相談をしていると見抜き、睨み付けるゲルトルートに対し、ターニャもリリーの目線が母に集中している間に睨み返す。回りが気付かぬ睨み合いが続く中、工場見学は終了した。
工場見学が終われば、リリーと別れの挨拶をして勤務地である豪邸へと戻る。副官であるドロテーが出迎え、二日目の感想はどうだったのを聞いてくる。
「どうでしたか、二日目は?」
「貴官の上官、否、上司に会ったよ。良くもあんな女に従えるものだ。虐殺でもやらされたか?」
「あぁ、ゲルトルート・フォン・シェーンハウゼン長官ですね。私は虐殺などしてませんよ」
感想を問われたターニャは、ドロテーの上官であるゲルトルートに会ったと答えた。
虐殺でも強要されたかと言われたドロテーは、関与していないどころかやっていないと答え、夕食の準備は終わっていると告げる。
「夕食のご用意は出来ておりますが、先にお風呂にいたしますか?」
「飯にしよう。それから風呂だ」
「了解です。では、お着替えをしてから」
先に夕食をすると言えば、ドロテーは要望に応じてターニャと共に食堂へと向かった。
こうして、ターニャの二日目の休暇が幕を終える。
帝国内で噂になっていた秋津洲の海軍遠征艦隊と陸軍遠征軍は、噂になる二日前よりアルビオン本国に到着しており、帝国と対峙する海域にアルビオン海軍の艦隊と共に配置されていた。
秋津洲海軍の遠征艦隊は、戦艦三隻と重巡洋艦五隻、軽巡洋艦六隻、駆逐艦十隻、大型空母二隻、その他艦艇十隻以上を要した艦隊であり、アルビオン海軍の主力艦隊も合わせれば、七十隻相当の大艦隊となる。
そんな大艦隊の集結が行われる中、上陸に備えるため、アルビオン本島の帝国に近い地域に集結している将兵の中に、存在Xに記しを顔に付けられ、第三の刺客である異界を渡る剣士、瀬戸シュンの姿があった。
「なんだ、あのデカいアジア人は?」
「俺が知るか。秋津洲か、ゴルモアの奴だろう」
仮説食堂にて、トレーを持って食事をとる列に並ぶシュンを見てアルビオンの将兵らは口にする。
確かに周りをざわつかせるような、刺青を顔に付けている大男は目立つだろう。秋津洲の将兵らにもシュンのことは噂になっており、食後には得体の知れぬ刺青を入れたシュンに向け、秋津洲陸軍の将校が何だと粗暴な態度で問う。
「おい、貴様! その刺青はなんだ!?」
「こりゃあ、俺の故郷でガキの頃から付けられるもんで…」
「このアホンダラ! だったら消さんか! ボケっ!!」
面倒臭そうな態度で上官である自分に接するシュンに対し、将校は顔面に向けて拳骨をお見舞いする。
殴られたシュンは旧日本軍染みた将校に呆れて殴り返さず、すいませんとだけ言って立ち上がる。
「ふん、消さなかったら俺が焼き印入れてやるからな!」
「けっ、消したくても消えねぇんだよ、カスが」
消しておけと言って立ち去る将校に対し、シュンはどんな事をしても消えないと答える。
この様子を、アルビオン陸軍の将兵らは面白がって見ていた。一人が気になったのか、存在Xに付けられた刺青について聞いてくる。
「おい、デカいの。それ刺青か?」
「呪いだよ」
一人に問われたシュンは、刺青は呪いであると答えて立ち去った。
この様に両軍が集結していると言う事は、帝国に対する大規模上陸作戦が近いことである。
存在Xの魔の手は、休暇中のターニャに着々と迫っていた。当のターニャはそれに気付かず、睡眠中であった。
「こんな面倒なことは、さっさっと終わらせねぇとな」
屋外でこの世界の自分の銃と装備を整備しつつ、シュンはターニャが居る帝国がある大陸を見ながら呟いた。
ゴルモア=モンゴル
次回から三日目と、タイフーン作戦を始める予定です。