一九一二年(大正元年)グレゴリオ暦十二月。
ある山の中。シンシンと雪の降りしきる中で、男が二人、刃を交えていた。
一方は、普通程度の体躯の男であった。およそ五尺半ば(一六五センチ前後)ほど。柿色の着物を纏い、襟巻を首に巻いていて、左腕に奇怪な造りの義手を付けた男だった。
対してもう片方は、畳一枚では足らぬほどの巨漢であった。力士のような体型をしている。全身の筋肉を恐ろしいまでに隆起させ、その巨体に見合わぬ動きで、人間の大人くらいはある金砕棒を持って執拗に相手を攻め立てていた。
前者のほうが圧倒的に不利だということは火を見るよりも明らか。通常ならそのはずが、だがこの義手の男は、巨漢からの猛攻を悠然といなしていった。かれこれ長い時間、この二人の対峙は続いていたが、にも拘らず義手の男は、ふっ飛ばされることなく、降り積もった雪の地を、腰を据えて踏みしめていた。
(野郎……、一体どんな術を使えや、人間の分際で俺の攻撃をああも弾き続けられるってンだ。それにあの刀……、如何な技量があろうが、ただの名刀って程度じゃとっくに折れてるはずだろうが……、なのに何故刃こぼれ一つ無えってンだ……。どっかからパクってきた国宝か何かだってのか?……)
巨漢は内心毒づいた。声に出さなかったのは、己の矜持――鬼としての矜持故であった。
そう、この巨漢は鬼である。人を喰らう鬼である。人より遥かに強大な膂力を持った、鬼である。
されどこの鬼、追い詰められていた。他でもない、目の前の義手の男によって。義手の男に攻撃を弾かれる度、鬼自身の身体の動きがブレていく。力で勝るはずの鬼が、この場合むしろ体幹を崩されつつあったのだ。
そうしていれば、段々と隙も大きくなっていくし、隙を見せる頻度も高くなっていく。だから、義手の男は、それらを逃さず鬼の身体へその刃を打ち込んでいくのであった。
ただしその刃が鬼を傷付けることはなかった。
その鬼への有効打はおろか、肌に赤筋一つ付かなかった。それもそのはず、鬼は岩よりも頑強な体を持つ。生半な方法で、損傷を与えることは叶わない。
(やっぱり、素人ってェわけかい……。そんなナマクラの剣筋で、俺と張り合おうってかい)
その時この鬼の胸中では、安堵があった。加えて、こんな素人相手に押されている自分への――安堵している自分への――忸怩と、それと目の前の男への憎たらしい気持ちによる対抗心も渦巻いていた。
一方で義手の男のほうは、今自分が握っている刀で打ち合ったところで不毛と判断したようだった。しばらく打ち合って、先に鬼のほうが体勢を崩して膝を突いたところで、その隙に後ろへ跳んで距離を取った。
それで男は、背中に負っていたもう一振りの太刀の柄に手を掛けた。鯉口が切られ、それが抜かれる。血のように赤い鞘から鍔が離れ、その刀身を現した。
その刀身は妖しげな赤い光を流し出していた。誰が見ても、ただの刀でないと分かる、如何にもな妖刀であった。
いわんや鬼が、それを解さぬはずがない。鬼は崩れた体勢を立て直し、再び義手の男に襲い掛かろうとしたところで、その妖刀を目にするや二の足を踏んだ。
――あれに斬られたらまずい。
本能的に感じたのだ。
義手の男は、抜き放ったその妖刀を、背面に回す要領で構えた。左手の義手を刀身に添え、力を溜めるように構えていた。噴き出る赤い気はより強く、濃く刀身に絡み付いた。
(まずい……、まずい、まずい、まずい、まずい!……)
最早鬼は、誇りも何もかなぐり捨てて後退の決心を自然としていた。
しかしもう遅かった。
男は太刀を振った。瞬間、鬼は斬られた。明らかに義手の男の間合いの外に立っていたのに、振るわれた太刀が放った、鮮赤と漆黒が入り混じった気が刃となって鬼を斬り付けたのだ。
この一太刀は易々と、今まで傷一つ付かなかったはずの鬼の左腕を切り落とし、並びに胴体を切り裂いた。
ボトボトと左腕の切断面から、ダラダラと胴の傷口から、血が流れいでた。それはもう多量に。常人なら死んでもおかしくない。
それに、
「い、痛えッ! ク、クソッ! クソォ! クソォ! 何でだッ、何で治らねえッ!……、何で治らねえンだよオ!」
鬼には、人間にとっての致命傷となる傷を治す再生力と生命力がある。ところがこの傷は、鬼の再生力を以ってしても、どういうわけか治せないのだ。不幸中の幸いか、鬼には失血死というものがないため、斯様に多量の血を流しても、この鬼は一向に死ぬことは無かった。
無論、それは義手の男も見越していたことだ。
すかさず彼は、鬼が泡を喰っている内にその赤い太刀を構え直すと、素早く相手の胸を貫いた。それから間髪入れずに鬼を押し倒すと、胸に突き立てた太刀を乱暴に、内部の心臓や動脈を荒らしつつ引っこ抜き、今度は鬼の喉元に力任せに突き込んだ。
「御免……」
唸るような低声で、その一言が鬼に手向けられた。
鬼が力なく、後頭を地に付けたのを見てから、やおら太刀を引き抜いて立ち上がった。刀身を一振りして血を払い、背中の赤鞘の中に納めた。
物言わぬ鬼の死骸に向けて合掌して拝むと、男は背を向けて歩き出した。
顔に降り掛かる雪の粉を手のひらで拭って、顔を腕で庇いながら、空から降ってくる雪を眺める。そうしてぼんやりとしていた彼の背中を、何者かが襲った。
反応して男は素早く抜刀し、防いだ。が、襲い来る相手のあまりの力に耐えきれず、防御が崩れた。そこに抜き手を放たれた。鋭い爪の生えたその手による抜き手は、障子紙を破るが如く容易く男の胸をぶち破った。
「ぐぅ……」
短い呻き声を上げて、男は生命活動を停止……死んだのだ。
義手の男を殺したのは、今しがた彼によって殺されたはずの鬼であった。未だその傷は癒えておらず、気息奄々の様を晒しているが、生きていた。
「こいつがッ!」
鬼は義手の男の顔を踏みつけた。
「この野郎ッ! 野郎ッ! 野郎ッ! よくもッ! やってッ! くれやがったなッ!」
更に幾度も踏み付けた。そうする度に、義手の男の頭からは、頭骨が砕けるような乾いた音が響き、血を散乱させた。
だがしばらく同じことをしていると、やがて彼は息を切らせてきて、疲れから足を踏み外して転んだ。ただでさえ重傷を負っているのに、怒りに任せて力を過剰に出したせいで、普段なら疲れないはずの行動さえ満足に出来ないのだ。
手を突き荒い呼吸を繰り返したのちに鬼は、義手の男の背中に負っていた赤い太刀に目を付けた。
「この刀か……、この刀がいけねェんだなッ、アァッ?」
と、忌々しそうにそれに睨みつけると、毟り取ろうとするかのように、手を伸ばした。
伸ばした手が太刀に届くかというところで、不意に鬼は、背筋にゾワリとしたものを感じた。人の気配がする。それもただの人間じゃない、自分たち鬼を狩る者……、それも相当な手練れだ。
呼吸を乱しながら、鬼は辺りへ次々と顔を向けた。正面、右、左と来て、最後に背後を向いて、喉から悔しげな呻き声を出した。
背後の遠く向こうから、男が歩いてきていた。
端正な顔立ちの、若い男だ。詰襟を着用し、その上から左右非対称の色の着流しを羽織っている。身の丈五尺八寸(一七六センチ)程と高く、髪は長い。
その男は刀を抜いていた。鬼を相手に。さも当然のように。
その姿を見て鬼は、悟った。
「畜生っ、畜生、畜生、畜生っ……。鬼狩り……『柱』かッ! テメエ、『柱』だなッ、そうだよなァ! クソがッ、折角柱が来たってのに!」
『柱』と鬼は、やって来た男を確かにそう呼んだ。それは『鬼殺隊』という組織に於ける最上級の階級のことである。
鬼を狩る者たち『鬼殺隊』――遥か昔より鬼たちと闘っていた者たちの総称。その中で最高の実力者であり、最高の階級を持つ者たち。即ち、鬼からすれば畏怖にたる存在である。
通常の鬼であれば脅威として映る相手だが、しかしこの鬼にとっては、自らの力と地位を高めるための登竜門であり、待ち望んだ好機であった。
それが生憎と、先ほどの義手の男から受けた傷のせいで、まず勝ち目は無くなっていたのだ。今戦ったところで、まず負ける。
だから、退散するしかない。尻尾を巻いて、逃げるしか道はないのだ。
咄嗟に鬼は、傍にあった義手の男の骸を持ち上げると、鬼殺隊の男に向けて投げ付けた。いとも軽々と、義手の男の死骸が高く宙を飛び、鬼殺隊の男へぶつかりに行った。
それを彼はよけることは出来なかった。身体能力の問題ではない。投げ飛ばされた男の体を傷付けるわけにはいかなかったのである。故に彼は受け止める他なかった。
飛んでくる人間の体を受け止めるのは至難の業だが、この男は難なくやってのけた。それでその死骸を優しく地面に横たえると、瞬時に前を見やった。
そこにはもう鬼は居なかった。代わりに、鬼が遁走した痕跡が残されていた。鬼が逃げたであろう方向にある雪が、広範囲に渡って溶解されていた。雪が溶けた後には、薄い水溜まりや、ぬかるんだ地面。また随所にある木々が、黒く焦げていた。どうやら、非常に高い熱、もしくは炎が過ぎったらしかった。その熱のせいであるために、雪解け水や、木が含んでいた水分が蒸発し、辺り一帯に霧さながらの蒸気を発生させていた。
「逃げられたか……」
僅かに男は顔をしかめて言った。
あの鬼は深い傷を負っていたから、滴り落ちた血を追跡されないよう、地面にある雪を溶かして消そうとしたわけだ。その上、発生した熱で作り出された霧を目くらましとして利用し、見事逃げおおせたのだ。
すぐにでも男は鬼を追い掛けたいところであったが、まずは義手の男の安否である。遠くから見たところ彼は死亡で間違いなかったが、万一にも生きていたことを考慮しての判断である。
胸に空いた穴と、そこから溢れだす多量の血液。首に指を当てるも、既に脈は感じられなかった。これは間違いなく即死していた。
(気の毒だが、もう死んでしまっている……。しかし、惜しいな。先ほどの鬼、十二鬼月かどうかは判らないが、相当に力があった見た。それをあそこまで追い詰めるとは……)
そこで、鬼殺隊の男は、
「もし、首を切り落とさなければならないと知っていたら……」
と声に出して呟いた。
――詮無きことだ、と彼はかぶりを振った。
ふと彼は、義手の男の持つ、ある物に目に留めた。それは、先刻の鬼が手を伸ばそうとしていた赤い太刀であった。
随分と古い太刀だった。血のような朱塗りの鞘は、至る所の塗装が剥げ掛かっている。鍔は桜の花を模した物だろうか。戦国以降の無骨な打刀と比べ、飾り気のある刀である。
(拵えは室町だろうが、刀身が造られたのはおそらく鎌倉……いや平安時代か。国宝指定ものだな。この男、一体何者だ?……)
そう沈思しながら鬼殺隊の男は、その太刀に手を伸ばそうとした。その指が太刀に触れようとした折、突如何かの手が彼の手首を掴んだ。
「むっ?」
鬼殺隊の男は驚愕して腕を引いた。彼の手首をつかんでいた手は、それを追わず素直に離した。
「これに、触るな……」
そう言ったのは、今まで死んでいたはずの義手の男であった。当然、鬼殺隊の男の手を掴んだのは、義手の男の手である。
義手の男の身体からは、発光する桜の花弁が、同じ色の光と共に立ち昇っていった。鬼殺隊の男の手を掴んだのは、義手の男の手であったらしい。彼は生きていたのだ。
「この太刀には、触るな……」
その声音は怒るというよりは、警告じみていた。
「生きている、のか?……」
おもむろに身体を起こしていく義手の男を前に、立ち上がって後ずさる鬼殺隊の男。
全体どんなからくりを使ったのか、血に塗れているにも拘わらず、義手の男の身体にはどこも致命傷と思しきものがなかった。本当に、何事も無さげに二本の足で地面を踏みしめて立っていたのである。
「……お主」
唐突に義手の男は、鬼殺隊の男に向かって口を開き、
「追わぬのか、あれを……」
こう言った。
「それより、医者に診てもらえ」
と鬼殺隊の男は肩を貸そうとするも、義手の男はそれを押し退け、
「俺はいい。為すべきことを、為すのだ」
それだけを残して、再び雪山の中へと消えていった。
鬼殺隊の男は、追い掛けなかった。無理に追う理由が見つからなくて、憚られたからだ。
何はともあれ、今はあの鬼を追跡せねばならない、それが彼の使命なのだ。あの義手の男も心配ではあれど、雪山の中を平然とうろつくほど気力のある人間の保護より、多くの人間を喰い殺すであろう鬼を追い討つほうが先決である。
鬼殺隊、水柱・冨岡義勇は、件の鬼が通ったらしき、雪の溶けた道に目を向け、追跡を開始した。
完結の予定はありませんが、一応もう一、二話くらい書こうとは思っています。
暇だったら。
【追記】
ユーザー名『ふろうもの』様から、鬼撃破後の演出テキストをいただきましたので、試しに使わせていただきました。
なお、勝手ながら英語・日本語テキストを一部変更させていただきました。