鬼である禰豆子を連れている咎により捕縛され、柱たちが一堂に会する場、柱合会議の場に連行された炭治郎。目覚めた彼を見下ろしていたのは、当日柱合会議に集まりし九人の男女であった。
「仔細を聞くに及ばん! 隊士が鬼を連れるなど言語道断、即刻斬首だ!」
炎のような髪の毛の男、煉獄杏寿郎が開口一番に言い下した。厳格な言葉とは裏腹に、その声と面持ちには、軽蔑の情というよりは精悍さが瀰漫している。
現在、竈門禰豆子及び竈門炭治郎の二名は、隊律違反として裁判に掛けられることとなっており、それまでは独断による断罪は待てと、鬼殺隊の最高管理者――御屋形様と呼ばれる存在から言い渡されているはずであった。が、案の定、鬼殺隊最高位を拝命する剣士たちの鬼殺への熱意は並みならぬもので、柱九名の内四名が、裁判を待たずしての竈門兄妹の始末を主張した。
分けても過激な行動に出たのが、不死川実弥という、身体中を傷跡にまみれさせ、淫らに胸元を開いた隊服の着こなしの男であった。
他の柱が、御屋形様に無断で禰豆子らを処分することに逡巡している中、不死川だけは、禰豆子の入った箱を勝手に持ち出し、炭治郎の目の前で日輪刀をそれに突き刺したのであった。
言うまでもなく激昂した炭治郎が、不死川に向かって突っ込んでいき、これを迎え討とうとした不死川であったが、
「止せ! もうすぐ御屋形様がいらっしゃるぞ!」
との叫びに一瞬躊躇し不死川は、その隙を突かれて炭治郎の――鬼ですら堪える威力の――頭突きをまともに受けた。
不死川が手放した箱を炭治郎は素早く確保し、
「良い鬼と悪い鬼の区別もつかないなら、柱なんて辞めちまえッ!」
とぶつけた。
「アァ?」
その罵声を受けて不死川は、ピクリとねめつけると、刀の切っ先を炭治郎に突きつけ、
「ならよォ、教えてくれや! 全体その鬼の何が特別なのかをよォ! 家族が鬼になったのはテメエだけなのか、アァ? 誰だって同じ気持ちだったろうがよォ、この馬鹿がァ!」
「家族を鬼にされた人の気持ちが分かるんなら、どうしてそんな簡単に殺すだなんて、ヘラヘラ笑いながら言えるんだッ!」
両者一歩も引かない批判の交換をし、睨み合いへ移る。
「どけェ……」
不死川から迫る刃に、
「いやだ!」
意地でも炭治郎は退かなかった。
不死川の刃は炭治郎の頸に喰い込み、皮を浅く裂いて血を流させた。刀の切れ味ならば、もう少し刃を進めれば、頸動脈を容易く切り裂ける。禰豆子を守れなくば自身も死ぬ覚悟の炭治郎には、意味も無い事柄ではあるが。
他の柱は各々、緊張、無関心、警戒などまちまちながらも、いずれも事の成り行きを静観していた。
蓋し場は膠着に陥っている。なかなかに動かないが、しかしひどく不安定で、少しでも動きが生まれれば積み木が崩れるが如くたちどころに動き出す。故に、誰もが下手に動けない。
ふと、固唾を飲んで見詰めるしかない彼らは、視線を上に向けた。
梟だ。
雲の散らばる青い空を背景に、これまた青白く発光する梟が飛んでいた。遠く空から、文字通り鷹揚にやって来て、この重苦しい空間へと今にも降り立たんとするように。
幾人かがそれに気付いた。それだけの者しか気づかなかった、と言うべきか。あの、神秘さえ感じさせる梟の飛来が、さほどこの場に居る者たちの関心を引かなかったとは。
梟は、相対する不死川と炭治郎の頭上辺りまで寄ってきた。そうしたところで、突如不死川がその梟へギロリと視線を飛ばした。
その刹那、飛んできた梟は、いつの間にか狼へと入れ替わっていた。さも、梟は端から狼であったとでも主張するかのように。
宙で狼は、横に倒した上体を軸に身を返し、そこから振り上げた足を不死川目掛けて叩き付けた。
仙峯寺拳法奥義『仙峯寺菩薩脚』
突きつけていた刀を引っ込め不死川は、刀と腕を交差させてその脚を防いだ。硬い物同士がぶつかる音を立てて、双方の攻防が交わった。
驚くべきことに、喰らった不死川は膝を屈した。まるで、腕のみならず身体全体を押さえつけられたみたいだ。ただの強烈な蹴りだけでは、少なくとも、柱の位を預かる不死川を押すことは出来ない。
咄嗟に不死川は、腕に交差させていた刀を抜き、狼に向けて振った。斬るつもりはなく、狼を後退させる目的で振ったことで、狙い通り狼は後ろに跳んでそれを避けた。
(こいつ……、接した箇所を通して、俺の体幹に力を流したのか。さては、俺自身からの反作用すらも逆流させやがった……)
腰に差した刀の鞘を握り鍔に親指を掛け佇む狼を前に、不死川は緊張を高めた。
苦手な相手だ、と渋面が浮かびそうになる。そもそも不死川は対人戦に向いていない。柱として鬼と渡り合える力と技で、ある程度の戦闘はこなせども、手練れ相手では分が悪い。目下立ち塞がってきている狼は、まさに対人戦を得意とする、相性の悪い相手であった。
故に、下手に動き出せない。
またも訪れた膠着であったが、意外にもそれは須臾にして解けることとなった。
「すまぬが、退いてはくれぬか」
先に提案したのは狼のほうであった。この場に居合わせた者らはこれを聞き、拍子抜けする者と、予想していた体で一息吐く者に分かれていた。
「……そりゃあ、どういう意味だァ」
「今すぐ禰豆子を斬る訳は無いはずだ。御屋形様という御方が来られるまで、一旦退いてくれ」
「今にも鯉口切ろうとしてる奴の言うことじゃあねえなァ。どの道そいつは斬る。今ここで斬るって言ったら、どうするってんだ」
と不死川から投げ掛けられて狼は、ただ淡々と――或いは問答無用とばかりに、
「斬る」
鯉口を切った。
再来する睨み合い。
一部の柱はめいめい、ここらで事を収めるべきとし、落としどころを探っているところであった。
そこで口下手な柱が、彼なりに事態を落ちつけようと余計な口出しをしようとして、世話係――をやらされている――柱の女に止められた。
この場合、不死川が退くが妥当なのであろうが、されど不死川はこの期に及んで引っ込みが付かないでいる。
だから口下手な柱が、彼なりに宥めようと歩み寄ろうとしたのだが、またもや世話係の柱の女に止められた。
しかし、ただ、一人だけその様を違う様子で見ていた者が居た。この庭の隅で他の柱たちと交わらずに、遠巻きに事の経緯を静観していた者である。
毛先の跳ねた癖毛を肩まで伸ばした、小柄な、女子である。隠たちとは違う。日輪刀を腰に挿し、隊服である詰襟の上に花柄の着物を羽織っている。花をあしらった狐面を被っており、またお面の目元は割れて眼が覗いていた。
手を後ろで組んで塀に背を預けていた彼女は、やおら塀から身を離して、腰の刀を静かに抜きながら、水面を歩くようにしなかやか足取りで近づいて行った。
狼たち含め―― 一触即発の空気の緊張もあるが――誰もそれを気取れなかった。殊に、依然睨み合いを継続させている、不死川と狼の二人は。
なれど、その滞った空気も、いよいよ乱されることになる。
鯉口を切ったきり、ずっと佇んでいた狼であったが、それがいきなり抜刀したかと思えば、その抜きざまに自身の横側に振るった。
振るわれた刀は、折しも狐面の女が狼に向かって振るった刃と斬り結んだ。
狼は刀を振った勢いを利用して身を翻し、更に左腕の義手を振り回し、その重みから生まれた慣性で後転し、後ろへ飛び退いた。棒立ちで臨戦体勢を取っていなかったとは思えない動きだ。
忍び技『寄鷹斬り・逆さ回し』
そこから着地して狼は、間髪入れずに迫ってきた彼女の斬撃を、今度はすれ違うようにいなした。素早く身を翻し、追いかけてきた連撃を弾く。素早いながらも緩急のついたそれらを丁寧に弾いていく。
相当な使い手ではある。が、問題はそこではなかった。
(巴流……、否、雲の呼吸)
流れる雲を纏うような剣筋に、加えて、彼女の左腕に嵌められた重量を感じさせる籠手による、寄鷹斬りを織り込んだ足捌き。まさにこれは、狼が使っている型と同じもの、雲の呼吸『凌雲・浮舟渡り』に他ならず。
ならば、と狼は、捌きながら呼吸を整える。刀の握り方を変え、来る瞬間を虎視眈々と見据える。
連撃の切れ目となる一撃を一際大きく弾くと、そこから狼の反撃の火ぶたが切られた。
雲の呼吸秘伝『荒天・渦雲渡り』
浮舟渡りと同じ型ながら、しかしその剣筋から生み出される真空波の無数の刃が殺到する。
一つの斬撃は防げても、己を覆い襲い来るものまでは防げない。細かな刃一つ一つにはさほどの力は無けれども、激しい嵐の雨粒に打たれるみたいに受けていては、徐々に戦いの流れも変わろう。
幾らかの傷を負いつつも、狐面の女はこれをしのぎ切った。狼からの切れ目の一撃を弾き、そこへ威嚇の一撃を重ねた。危なげなく狼は後ろへ下がってそれをよけた。
そうして距離が開いて、残心したまま二人は向き合った。
数秒程そうしたのち、おもむろに彼らは構えの姿勢を解き、刀を鞘に納めた。
「なるほど。それが、秘伝の技?」
小首を傾げながら狐面が尋ねると、コクリと狼が首肯した。
へえ、と感嘆し、彼女は被っていた狐面に手を掛け、外した。
「真菰さん! どうしてここに……」
と声を上げたのは炭治郎であった。
「久しぶり、炭治郎、一年ぶりだね。どうしてって、まあ……甲頭筆頭、だからかな?」
と、真菰と呼ばれた彼女は、顎に指を当てながらふわふわと可愛らしい声で、先ほど狼と命のやり取りに等しい剣戟を演じたとは思えない声で答えた。
「甲頭筆頭って……。じゃあまさか、雲の呼吸を扱う柱に近しかった人って、真菰さんだったんですか! 錆兎じゃなくて!」
炭治郎が言うと、
「言ってなかったの、狼さん? ……あれ、今、さび――」
キョトンと真菰は首を傾げた。
「俺からは教えてはおらぬ」
どうやら炭治郎は、雲の呼吸というものの使い手が真菰であることは知らなかったようであった。てっきり狼は、鱗滝や真菰が既に教えていたと思っていた。
「ねえ炭治郎、今、錆兎って――」
と、真菰が、気がかりなことを聞いたらしい様子で、四つん這いになりながら炭治郎に近寄り、問おうとした折、
「御屋形様の、御成りです」
鈴を転がしたような声が二人分、異口同音に響いてきて、これを聞くや否や真菰は、素早く炭治郎を屋敷に向かせて頭を下げさせ、それと同じように他の柱、それと隠たちが一斉に居住まいを正し、跪き出した。
狼もまた、やんごとなき御仁がいらっしゃると察して、彼らに倣い跪いた。
「よく来てくれたね、私の可愛い子供たち」
襖の奥から、若い男が現れた。傍らに二人の童子を引き連れ、顔の上半分は焼け爛れたような痣で覆われ、目も見えないのかその二人に手を引いてもらいながら、縁側まで足を進めた。
「今日は……晴天かな。こうして顔触れが変わることなく、半年に一度の柱合会議集まってくれて、大変うれしいよ」
至極穏やかな声調であった。言葉で表現するは難しくあるが、言うなれば、この御方から発せられる科白は、紡がれた言葉より、声の調子のほうに魅了の力があり、聴くだけで訳もなく安心が染み入り、物が申せるほどであった。
一方、柱たちは、誰も彼もがそわそわとしていた。言わずもがな、彼らはいずれもその御方を敬愛しており、誰が最初に口を開くかで競っているところであった。
ところが、
「そしてそこの忍びの御方も、初めまして、私は産屋敷九十七代目当主、産屋敷耀哉。知っての通り、鬼殺隊の最高管理者です。本日はよくぞ参りましたね」
あろうことか、産屋敷耀哉と名乗ったかの御方は狼に話を振ったため、
「お初お目に掛かります、産屋敷様。私は薄井と申す者でございます。此度、斯様に厳粛なる場を荒らしたことを、深くお詫び申し上げます」
よりによって、最初に会話したのが狼であったことに、柱一同くわっと目を丸くして、
「ってお前言うのかよ!」
口を揃えて吠えた。実際にはめいめい大同小異の科白であったが。
「構いませんよ、狼殿。元よりこちらも、その兄妹を斬首すること前提で連行したのですから、殊更にそちらまでついて来てくれるとは思ってはいません」
産屋敷はこれを意に介さず続けた。
「寛大なるお言葉、かたじけのうございます」
狼が返すと、ゆっくりと産屋敷は頷いて、
「見ての通り、この方は私が招いたに等しい。詳らかなことは追々話すとして――、恐縮だが、まずはそちらの兄妹について話し合いたいんだ。いいかな」
「御屋形様がそのようにおっしゃるなら、我々も従いましょう」
と、柱の中で最も大きな体格の、数珠を持っている男、悲鳴嶋行冥が言うと、他の柱も言葉なしに、少なくとも表面では右に同じと言った態度を示した。
「ありがとう、行冥。では、彼について話させてもらおう。まず最初に、彼、竈門炭治郎が、竈門禰豆子という鬼を連れていることは、私も容認していた。唐突だが、これを皆にも認めてほしいと思っている」
との旨を産屋敷が口にすると、柱たちの多くが眉をひそめた。