不死斬りの刃   作:YSHS

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 今更ながら言い訳:今のところ原作時系列準拠でやっているので私自身でも忘れていますけど、このSS、書きたいシーンだけを書く短編集のつもりでやっています。

 ということで、今回あたりから時系列がごっちゃになってきます。あしからず。


花と蝶と桜と氷

【0】

 炭治郎たちが機能回復訓練に取り組む昼下がり、蝶屋敷の廊下を歩く狼は、前方から歩いてきた冨岡義勇の姿を認め、足を止めた。

 

 それに応じてか、義勇も足を止めた。

 

 狼にとって義勇は、取り立てて仲が良いというわけではないが、炭治郎らを除いた鬼殺隊士の中では最初に出会い、それなりに会話をした相手と見ている。

 

 お互い、知人に会ったら挨拶をする柄ではないものの、無視してすれ違う相手でもない故に、こうして鉢合った次第であった。

 

 しばし互いに凝視し合った後、ふと義勇のほうが口を開き、

 

「俺は嫌われていない」

 

 ポツリと言った。

 

「そうか」

 

 相変わらずの素っ気ない態度で、狼は返した。

 

「俺は嫌われていない……」

 

 義勇は俯いて言った。

 

「……また、胡蝶殿に言われたか」

 

 狼はいつもの渋面をややしらけさせて、気遣いがちに尋ねた。

 

「……俺は嫌われていない」

 

 言いづらそうに義勇はボソボソと。

 

「……少なくとも、俺は嫌ってはおらぬ」

 

「俺は嫌われていない」

 

 俯かせていた顔を上げ、義勇は言った。

 

「ああ」

 

 狼が頷くと、合わせて義勇も頷いて、二人はすれ違って別れた。

 

「俺は嫌われていない」

 

 義勇のその言葉が、最後に聞こえた。

 

 その足で狼が赴いたのは、炭治郎たちが機能回復訓練を行っている道場であった。ちょうど、炭治郎たちがカナヲを相手に翻弄されているところであった。

 

「あ……、えっと、あの、狼、さん?……」

 

 こわごわと横合いから声を掛けてきたのは、機能回復訓練の補助を行う少女ら、きよ、すみ、なほの三人であった。

 

「ああ……。邪魔はせぬ、別用だ」

 

 と、狼は一瞥して言った。素っ気ない態度だが、まだ狼に慣れていない彼女らへの、彼なりの配慮であった。問題があるとするなら、その態度が却って彼女らの苦手意識を助長していることであろう。

 

 訓練の邪魔にならないよう道場の端を歩き迂回して、狼は奥の方にある小さな仏像の前に来た。

 

 左手に花瓶を持つ木彫りのその像は、冠を被っているように見えるが、よくよく見てみるとそれは冠ではなく十の顔がその形を取っているという、奇怪な仏像であった。

 

 これは十一面観音と呼ばれている。あらゆる厄を退けるだけでなく、勝利をもたらし、餓鬼や修羅に地獄に落ちてしまわないように守り、死後に地獄へ極楽浄土へ導く存在である。これから再び、鬼を退治に向かう隊士たちを見守るには、適任であろう。

 

 その像の前で狼は跪くと、懐から鈴を取り出してこれを供えて、合掌し拝んだ。

 

「随分と、信心深いのですね、狼さん」

 

 背後から声を掛けたのは、胡蝶しのぶであった。

 

「その守り鈴は、元々私の姉が持っていたものでした。本人は拾った物と言っておりましたけど。でも確かに、その鈴、ただ物ではないみたいですね」

 

 思い出そうとする調子で、しのぶは語った。

 

「狼さんみたいに信心深く仏様にお供えすれば、きっと何か良いことがありますよ」

 

 彼女のその言葉を最後に、狼の視界が暗転し、闇に沈んだ。

 

【1】

 一九一一年(明治四十四年)

 

 狼の目の前に、男が居た。

 

 その男は、女を喰らっていた。

 

「お主、鬼か」

 

 刀に手を添え、男に声を掛けた。

 

「ん?」

 

 男はキョトンと顔をもたげ、狼を見やった。狼からの殺気を受けたにも拘わらず、警戒はおろか意にも介していない様子だ。

 

 細身で如何にも毒の無い、端正な顔立ちの、青年くらいの優男。肌と髪の毛の色素が薄く、それとは対照的に、血を被ったような赤と黒の上衣を着ている。

 

 その虹色の両瞳には、それぞれ『上弦』『弐』と刻み付けられていた。

 

 迷わず鯉口を切り、刀を抜いた。

 

「おいおい、俺はまだ君とやろうとはしてないのに、出会って早々刀を抜くことはないんじゃないのかい! 話し合いの余地はあるだろう。そのほうが君のためだ、違う?」

 

 両手を前に出して、困惑の面持ちで言っている男であったが、抜刀した狼に向ける態度にしてはあまりにも軽かった。

 

「戯けたことを」

 

「嘘じゃないって、本当だって! 俺は上弦の弐・童磨って言うんだ! 確かに今までに数多の人間を喰ってきたけど、俺は男より女のほうが好み。それに、みだりに人殺しはするもんじゃないと思っている。君だってここで死んだら、今まで研鑽してきた技が台無しだぜ? ここはさ、見なかったことにしといたほうが、お互いのために良いと違うかな」

 

「知っておる。なればこそだ」

 

 問答無用とばかりに一蹴して狼は、刀の切っ先を向け、構えた。

 

 童磨と名乗った鬼は、わざとらしい悲しげな表情、もとい鼻白んだ顔で溜息をついた。

 

「あー、そこまで言うなら仕方ない……」

 

 と、彼が取り出したのは、金色の扇子。金属の板を重ねた造りの、所謂鉄扇という物である。

 

 二本ある内の片方を開き、童磨はその扇面に刻まれた蓮の模様を見せるように自らを仰いだ。

 

「死んでもらおっか」

 

 不敵な微笑を浮かべるや、童磨が一瞬の内に狼との間を詰め、その手の鉄扇で一撃見舞った。

 

 どうにか反応した狼がこれを楔丸で防ぐ。だが弾きを仕損じ、防御が押し負けたことで刀身が狼の胴に当たり、斬撃の一部を受け、吹き飛ばされることとなった。

 

 相手の攻撃が楔丸に当たり、かつ、押し負けた際に手首に行った負担で衝撃が幾分か殺され、その一撃で狼が絶命することはなかった。それでも、重い一撃であるには変わりはない。常人であれば、立つことも出来ず、苦痛にのたうち回ることは必至であろう。

 

 だが、熟達の忍びたる狼は、堪え、それどころか地面に手を突いて踏ん張ってみせた。

 

 呼吸術で痛みを抑え、刀を地面に突いて立つ狼を見、童磨は不思議そうに眉をひそめた。

 

「ふむ……、これは妙だな、普通だったらどんな頑丈な刀でもスッパリいくはずなんだけど……。その刀、どこの国宝だい?」

 

 と悠長に尋ねる童磨を無視し、狼は傷薬瓢箪を呷る。

 

「ゆっくり飲みなよ、邪魔はしないからさ」

 

 その言葉に反して、狼は飲むやすぐに構えた。

 

「あ、もういいの? じゃ、次は君から来なよ。ほら、早く早く」

 

 童磨は腰辺りから、片方の鉄扇で手招きをした。

 

 挑発的ではあったが、狼はそれには乗らず、相手の動きから意識を逸らさずに思案を巡らす。そうしてひとときの間ののち、狼は刀を鞘に納めた。童磨はこれには取り立てて訝しまなかった。

 

 じりじりと、足首を左右に捻り、地面に足底を擦りつけながら狼は徐々に肉薄していく。童磨の間合いに注意しつつ、自分の間合いに童磨を納めんとする。

 

 狼の間合いが相手に触れるか触れないかのところで、突如狼は地面を蹴って距離を詰め、その刹那に抜刀した。

 

 葦名流『十文字』

 

 斬り上げからの切り返しの横薙ぎの二撃による、疾く斬ることに意を置いた居合技。間合いを読まれづらい納刀状態から、水の呼吸から取り入れた足運びによる踏み込みと流れるような太刀筋は、以前狼が行使していた時よりもしなやかで、淀みのない流麗な距離と太刀筋を見極め難くなっている。

 

 童磨はこれを容易く捌いた。そこから切り返しの一撃を狼に見舞う。

 

 狼はこれを見越し、今度は損ねることなく弾いた。

 

 その流れからの更なる斬り返し。

 

 重なる切り返し。

 

 只管に甲高い音が鳴り響く、剣戟の応酬。

 

 数度繰り返せば、狼も相手の攻撃をすっかりと見切っていた。而して、あまりにも相手の動きが見え透いていることを、却って訝しんだ。

 

(手加減を、されているな……)

 

 そう考えるのが妥当であった。少なくとも、狼に自身の攻撃を覚えさせておいて後で不意に緩急をつけようというものではないらしかった。

 

 狼の見たところ、童磨の言動の至る所からは、高い実力に裏打ちされた自信、ないしは相手をなめきった余裕が溢れていた。それも単なる自尊心によるものではなく、何の疑いも無しに、自明の理とばかりに。

 

 そんな男が、小賢しく回りくどい真似をするとは思えない。

 

 狼が突きを放つと、ふわりと童磨は軽やかに後ろへ飛びずさった。

 

「ふむ、ふむ……。悪くない。もう少しくらい強くやってもいいかな? それに……」

 

 童磨は目を細めて、扇子で口元を隠しながら、狼の背中にある不死斬りを指差し、

 

「その背中の大太刀……、一体どんな物なのかは分からないけど、ただの骨董品じゃないな。君程度が振るとどんなものか、見ておかなきゃね」

 

 と童磨が笑むと、途端に空気が一変した。

 

 それは文字通り、辺りの空気が瞬く間に凍てついたのである。肌に張り付くような冷気が当たりに立ち込めた。

 

 童磨のほうは、自身が冷気の根源であるとばかりに平然としている。肩や腕、頬や頸に薄く氷霜を纏い、手に持った鉄扇を煽ぐごとに、新鮮な冷気が舞い込んできているのが分かる。

 

 忍具を切り変え、狼は備える。

 

 義手忍具『火吹き筒』

 

 文字通り火を吹く忍具。氷には有効な武器であろう。

 

 狼はそっと懐から、瓶を取り出した。黒く、密閉されているが、中には何か液体あるいは粘液が入っていると思われる。

 

 これを狼は、童磨の足元目掛けて投げた。

 

 童磨はその場から飛び退くも、地面に叩き付けられた瓶が割れ、そこから飛び散った中身が幾らか、履いていた袴や上衣に付着した。

 

(この臭い……)

 

 その液体からは、奇妙な臭いがした。ドロドロと鼻につく、実に不快な臭いが。

 

 その、地面に広がる液体に向かって、狼は火吹き筒から炎を放った。炎がそれに触れると、枯れ葉に火を着けるより容易く、一瞬にして液体に沿って炎が広がった。

 

「焼夷剤か! ハハハハ! どこで手に入れたんだよこんな物! ハハハハ!」

 

 炎は地面のみならず、童磨の衣服に付いた焼夷剤にまで引火する。

 

 この焼夷剤の主成分は油脂――つまり水では落とせず、なかなかに落ちない。

 

 しかし童磨の判断は早かった。火が全身に回らぬうちに、引火した部分を氷で覆ったのである。よく燃える焼夷剤であろうと、燃焼には酸素は必要。密封しておけば、いずれは止まる。

 

 また氷とは表面から内部に熱を伝えることはないため、如何に熱い火を内包しておこうとも、意外にも一瞬で溶けるといったことはない。

 

 が、そのまに狼は不死斬りを構えて、力を溜めきっていた。禍々しい紅い瘴気が刀身から強く溢れ出ているところであった。

 

 そしてここぞ、と振るった。

 

 秘伝『不死斬り』

 

 刀から解放された瘴気が堰切って噴き出し、刃の延長としてぬばたまの墨と茜の光が綯交ぜになった扇を描いた。

 

 振るわれる刹那で、童磨はその刃から発せられる不吉な気配に、その危険を察知し、迷わず身を屈めながらよけた。続け様の一撃も、片足を軸にして反対側に身を移しながら、よけた。

 

 それを確認して狼は素早く不死斬りを納刀し、腰に挿していた楔丸を革製の帯から抜いて、持ち手の親指を鍔に掛けながら、地面と垂直に立てる格好で居合の構えを取った。

 

 葦名流秘伝『竜閃』

 

 少々の間を取り、左足を軸に身を翻しながら抜きざま斬り降ろすと、空を切るはずであった太刀筋から、鋭い斬撃が飛んだ。

 

 童磨もこれを造作なく弾いた。が、一呼吸遅れて重なってきた、地面を走る真空波。一撃目がつぶてとなって、その二撃目には反応が遅れた。

 

 どうにかこれを弾くも、半端に弾くこととなり、幾ばくか身体にそれを受けた。

 

 直後。

 

 二撃目の真空波を追うように迫っていた狼の斬撃を受けた。虚を突かれた童磨も、流石にこれは貰った。

 

 続いての狼からの一太刀を弾いて童磨は、反撃の一撃を繰り出す。二つの扇子による二連撃。

 

 それを狼は、義手忍具『鳳凰の紅蓮傘』で受け流して、それで出来た隙を狙い、畳んだ紅蓮傘と刀を交差させ、振るった。

 

 忍び義手技・派生攻撃『放ち斬り』

 

 紅蓮傘の纏う炎が、交わる楔丸の刀身に乗ることで、これを纏った二太刀が放たれた。それはたとえ防がれようとも、後追いの鋭い炎の斬撃が相手を襲う。

 

 無論。

 

「あ、こんなもの? なら次は俺の番ね」

 

 この程度で劣勢に追い込まれる、上弦の弐ではなかった。

 

 血鬼術『散り蓮華』

 

 童磨が展開した鉄扇を振ると、その軌跡から蓮華を模した氷の像が生まれ、そして瞬く間に散り、氷の花びらの吹雪が舞来た。

 

 狼は後ろに飛びずさり、『荒天・渦雲渡り』を繰り出した。『寄鷹斬り』の技術を駆使して後退しながら、斬撃の嵐で氷の花吹雪に応戦する。

 

 途中、地面に撒かれた火のついた焼夷剤があったため、攻撃を捌きつつそれを刀でさらった。

 

 忍び義手技奥義『纏い斬り』

 

 さらった炎を刀身に乗せたまま一振りすると、それは霧散することなく刀と一体化した。そうして炎を纏い、熱の乗った斬撃で更に応戦すれば、それまでよりよく捌け、若干ながら押し返すことが出来た。僅かながら、しかし十分な距離だ。

 

 義手の忍具を火吹き筒に切り替え、狼は再び構えた。先ほどより幾らか長く火を溜め、この上なく溜まってから一気に放出させた。

 

 義手忍具『火吹き筒・バネ式』

 

 仕込んだバネ絡繰りの力で火の押し出しを強めるばかりか、更に多くの空気を吹き込むことで火力を強めた強化忍具。勢いの強さのあまり、狼の身体が後ろに押し流されるほどである。

 

 こうしてどうにか攻撃を捌き切った狼であったが、彼はその矢先に悪寒を感じた。それは彼の胸に感じる息苦しさと、それと先ほどから肌に当たる細かな氷水であった。

 

(もし、あやつが霞状の氷を辺りに撒いているならば……)

 

 確証はないが、無視出来ない危惧が狼の脳裏に残った。

 

「あれまあ、その様子だと……。そりゃバレちゃうかぁ……」

 

 トホホと、畳んだ鉄扇を口元にやりながら、童磨はわざとらしい落ち込みをした。その後すぐに、

 

「まあいいや! どうせ俺と君とじゃ力量からして不公平だしね。何なら、一つくらい助言をしてやるのが公平というものだ。いきなりだけどさ、さっきの居合術、一寸粗がなかった?」

 

 と、あっさり態度を切り替えて、童磨はそんなことを言った。

 

 童磨の言う通り、狼が放った『十文字』と『竜閃』をはじめとして、狼が扱う技には水の呼吸の技術を取り入れただけでは完成には至らないものがある。水の呼吸の足運びを活用できる『十文字』はともかく、『竜閃』については水の呼吸はあまり意味をなさなかった。

 

 こういったことから、狼と鱗滝それに真菰も、それらの未完成技には雲の呼吸としての名を冠してはいなかった。

 

「そこで俺から提案があるんだ! 例えば君が最初にやった、居合からの二連撃。俺の見立て通りだと、あれは『雷の呼吸』向きの技だね。で、次にやった斬撃を飛ばしたほう、あちらは『風の呼吸』だな。他にも技をみせてもらえればその都度ピッタリな呼吸術を教えてあげるよ。俺は経験豊富で色んな呼吸術を知っているから、役に立つと思うぜ。俺の観察した限りで、呼吸のやり方も教えられたりするかな?」

 

 こともあろうにこの鬼は助言などと、自ら敵に塩を送る真似を進んでするのだと言う。

 

 童磨の言動は、いちいち癇に障るものであったが、されどそれらはいずれも本人からしたら挑発の意図はないものと、狼は見た。

 

 飽くまで童磨は、自身のほうが遥かに上であると確信しているだけである。それが自然であり、故に彼にとって、自身の相手は褒めてやるべき者であり、同情してやるべき者であるのだろう。

 

 された相手が、如何な気持ちかは、知らぬままに。

 

(この男……人の心が無いのか。だが……)

 

 だが事実。童磨が狼より遥かに強く、そして打ち倒すことは叶わない。それは、狼が童磨に付けた傷が、斬ったそばから治っていくことからも分かる。

 

「試してごらんよ。君だって剣士なんだろ。なら、死ぬ前にもう一歩精進したいはずだ。救済してやるなら、心残りは解しておかないとね。夜明けまでそんなにないけど……、でもどうせ居なくなるなら、その前に君の背中の大太刀について知りたいな」

 

(不死斬りに目を付けられたか……。これ以上は……)

 

 現状で童磨を斬ることの出来る唯一の武器、不死斬り。これに目を付けられては、ここで童磨を討つは最早不可能であろう。

 

 最悪、不死斬りの破壊、ないし鹵獲されることは必至。

 

 狼は戦略を捨て、童磨へ斬りかかった。それこそ破れかぶれと言われかねない攻勢で。防御も雑になり、回避の必要があれば大きくよけ、そこへ童磨が遠距離の攻撃を出しては、また狼は逃げざるをえなくなる。こうなっては、場の主導権は童磨のもの。狼は手のひらで踊らされているに等しい。

 

 普通なら何分も持たないであろうが、それでもそれなりに長い時間は持ったのは奇跡のようなものか、はたまた童磨の気まぐれのお陰か。

 

 血鬼術『ちゅる……蔓蓮華』

 

 巴流秘伝『桜舞い』

 

 襲い来る氷の蔓と蓮華の花を、狼はまたもや纏い斬りの炎の刃で斬り落とした。

 

 横に回転しながら、その勢いのままに飛び上がり、舞うように斬りつける。刀身の長さ以上に斬撃は明らかに伸びており、その斬撃にも炎が纏われているため、氷の攻撃には有効であった。

 

「んん、その技だったら『花の呼吸』とかどうだろう。昔からある呼吸だから、それなりに使い手は居るしね」

 

 迫り来る狼を前に、童磨は腕を組んで悠長に思案しながら言うと、そうして両者の距離が詰まりきった時、童磨は鉄扇を狼の胸に向けて突き出した。

 

 それは狼の胸に、鈍い音を立ててめり込んだ。鈍いようで容易く人を貫くその鉄扇は、狼のあばらを貫通して背中に突き出た。

 

「あッ、しまった! そんな! まさか君とあろうものがこれを防げないなんて!」

 

(深手を負えたが……、瞬く間に死ねる程ではないな……)

 

 血反吐を吐きながら狼は斯様な沈思をしていた。そうしながら、手に持った刀で、残された力の限り童磨を突いた。死に体の半端な力と技では童磨の肌を貫くには至らず、逆に狼の身体が後ろに下がり、これに伴って突き刺さっていた鉄扇が抜けた。

 

 数歩程、ふらつく足取りで下がったところで、狼は前のめりに倒れ込んだ。鉄扇が抜けた拍子に、彼の心ノ臓か、もしくは大動脈に傷が付いたためか、彼の身体の下からドロドロと鮮やかな動脈血が広がっていった。

 

 童磨は両手で頭を挟んで、

 

「何てことだ!」

 

 と取り乱した様子で叫んだが、

 

「まあ仕方ない。とりあえずこの大太刀を……」

 

 さっさと切り替えて、狼の背中の不死斬りに手を伸ばそうとした折であった。

 

 花の呼吸『肆ノ型・紅花衣』

 

 倒れ伏した狼に気を取られていたところへ、突如襲い来た、大きな大きな円を描く横なぎの剣筋を、童磨は咄嗟に後ろへ身体を逸らして避けた。重ねられる追撃に、更に後退した。

 

 そうして、狼から離れた童磨と、既に骸と化した狼の間に、女が降り立った。頭の左右に蝶の髪飾りを付けた、髪の長い、物腰柔らかそうな美しい顔立ちの女であった。およそ闘争とは程遠いその端正な顔も、今この場では引き締められ、目の前の鬼を睨み付けていた。

 

「あー、新手が来ちゃったかぁ……。さて如何したものか……。俺としては相手してあげてもいいんだけど、もう時間がねぇ……」

 

 と、困り顔で童磨は、畳んだ鉄扇を軽く握った手を頬に添えて言った。

 

「後ろ髪引かれる思いだけど、彼に免じて引き下がるよ……」

 

 そーれーにー、と童磨は蜜のようにネットリとした緩慢な口吻で、

 

「俺、是非とも君を喰べてみたいしなぁ……。いつかふさわしい場所で、君とは会いたいところだよ。ふふふ、ふふ……、それじゃあね」

 

 そう残して、童磨は夜明け前の薄暗い闇の中へと消えた。

 

 それを見届けた女――胡蝶カナエは、自分が助けられなかった、もう動かない狼の骸へ、悲しげな面持ちで向き直ると、そのそばで屈みこんで手を合わせた。

 

「ごめんなさい……。あともう少し早く駆け付けていれば……」

 

 それまでの戦う者としての精悍な顔つきはたおやかにしおれ、鋭くひそめられていた眉も、今では緩やかな蛾眉を描いていた。

 

 ひとしきり拝んだところでカナエは、事の報告と、それとこの仏を手厚く葬ってやる手配をするために、鎹烏を呼び寄せた。

 

「……待て……」

 

 死んでいたはずの狼が声を上げたのは、その折であった。

 

「死んではおらぬ……」

 

 咳込んで血反吐を吐き散らしながら、狼はすぐ前に立っているカナエの足に手を乗せて告げた。

 

 途端にカナエは、驚愕と喚起に目と口を開き、

 

「生きているのですね、良かった! 貴方、今は喋らず、動かないでください! すぐに手当てをしますから! 少しの辛抱です! だからどうか!……、どうか生きてください!……」

 

 立とうとした狼であったが、カナエの強い押さえつけと、残った傷と疲労から、しばらくはそのまま仰向けに返って、横たわったままでいることにした。

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