ようやっと劇場版観られました。一応献血ルームで原作は読んだのですが、やっぱりアニメ映像のほうが捗ります。すみません。
【0】
「良い食いっぷりじゃのう、若いの」
そう声を掛けられ、煉獄杏寿郎は、手にしていた弁当の飯を頬張りながら顔を上げた。見ると、男が一人と、その背後に女が一人佇んで、杏寿郎を見ていた。
白い背広に黒いシャツ、白い中折れ帽を被った男のほうの年は三十か四十の壮年。道行コートに身を包んだ女のほうは、まだ二十代と言ったところであろう。
「む! これは失礼! 煩かっただろうか!」
咀嚼していた物をぐっと飲みこんでから、杏寿郎は詫びた。
「いやいや、構わん。言葉の通り、良い食いっぷりじゃ。食える内に食っておき、そして戦に備える。それは天下泰平の世だろうと、侍のおらん世になろうと、変わりはせん」
語る男を前に、俄かに杏寿郎は緊張が滲み湧き出るのを感じた。さながらそれは、まだ現役の炎柱だった頃の彼の父親を前にした時、或いはそれ以上のものであった。
列車の天井もしくはそれより大きな体躯に、人中で分かれた口髭、胸元まで伸びた長い顎髭に、左目元から頬に掛けて走る一筋の傷跡。多少のことに動ずる姿が想像出来ぬ威風堂々とした佇まいには、多大な迫力と貫禄を感じさせる。いや、その一言では済まないかもしれぬ。この、鬼殺隊以外で刀を振るう者がほぼおらなんだ世の中で、柱である杏寿郎が肌をざわつかせる者が、只者でないはずがなかった。
「……あなたは、何をされている方なのだろうか! 見受けたところ、只者ではないようだ!」
無礼を承知で、単刀直入に尋ねる。しかし、尋ねられた壮年の男のほうは、一瞬面食らったかと思うと、途端にカラカラと笑った。
「カカカ! 面白い奴じゃのう。なあに、ただの口うるさいだけのジジイじゃ。だがどういうわけか、儂が口出した奴らは皆、儂を投資家と呼ぶ」
「投資家?」
「世を見てみると、皆実におもしろいことをやろうとしておるもんだ。そういった者どもから話を聞いていると、ついわしも口が乗ってしまってなぁ。あれこれ話していると、つい熱くなったもんで、そうしてあれやこれやと口を出し、叱咤していたら、いつの間にか懐に銭を入れられとった。それから次に出会った者にも、同じように口出しし、叱咤し、今度はそれらに加えて餞別に金をくれてやったら、代わりに株式を渡されて、その株式の価格が高騰して、また次の奴に会う……。そんなことをしている内に、わしの懐には、使い切れん程の金が入っていてのう。使い切ろうとしても、使い道が思い浮かばなんだ。ついてはこうして、面白い商売を考えとる者に金と助言を出すことを繰り返して居る次第という訳じゃ」
「ほう! そのようなことが! いたく感激した! 貴方のような方が居れば、この国も安泰だ!」
「カカカ! 儂ではない、儂が見てきた者どもに言え」
「では、貴方はこれから、その素晴らしい方の一人とお会いするのだろうか!」
「今は、探しているところじゃ。そうじゃのう……。お主、ウイスキイを知っておるか。舶来の酒じゃ」
男は顎髭を撫でて思案してから、唐突に切り出した。
「焼けるような強さもさることながら、口から鼻まで満ちる豊かな匂いが堪らんでのう、それをこの国で作れるようにする者がおらんか探しておる。近頃、
「左様で! それでは、貴方は今はそのような方をお探しか! 飲み過ぎは宜しくないが、しかれども酒は百薬の長とも言う! 人々の生活も豊かになろう!」
ところで! と卒然に杏寿郎は挟んで、
「貴方の名前を、お聞かせ願えるか! 袖擦り合うも他生の縁! 私は、煉獄杏寿郎と申す!」
と杏寿郎が名乗ると、男は僅かに目を見開き、それから、ほう、と漏らし歯を見せて口角を上げた。
「煉獄……、そうか、お主は煉獄と言うのだな……。なるほどのう、これは、これは……、立派な名じゃ! よいじゃろう! お主には、是非とも儂の名を覚えてもらおう。よく聴け――」
という口上ののち、少しの間を置いて、男は高らかに名乗る。
「儂の名は一心! 葦名一心じゃ!」
【1】
「何だこりゃあ! この地の主か!」
その圧倒的な存在を前に、伊之助は大口開けて驚愕していた。
何事にもなびくそぶりも見せぬ堅牢な図体に、鈍く輝くその黒い体表が、巨大な車輪の上に乗っかっている。大砲なんかよりも巨大な円柱を倒した形のその頭頂部から筒らしき物が飛び出ており、中からもくもくと灰色の煙が立ち上っている。更に見れば、その後部にも小さめの吹き出し口があり、その先からは激しく湯気が吹き出した。
「いやただの汽車だろ、知らねーのかよ。何だお前、都で育ってそうな綺麗な顔してるくせに、やっぱ野生児か」
呆れた顔で善逸が突っ込んだ。が、伊之助は興奮のあまり聞いておらず、シッと人差し指を口元に持ってきて善逸を制した。
「静かにしろ!……。い、今は……眠ってんのか?……。だが油断すんな……。まずは俺が一番に攻め込む。お前らは後に続け!」
で、そんな伊之助をたしなめるのは、炭治郎であった。
「待つんだ伊之助! もし守り神だったらどうするんだ! どっちにしろ、いきなり襲い掛かるなんて畏れ多いんじゃないのか」
「いやいやいやいやそこじゃねえだろ! お前どこ出身だよ、今時汽車なんて街に出れば見かけるだろ。もういいからお前ら黙ってろよ! そして大人しくしてろよ! さっきっから目立ってんだよ! ねえ狼さぁん、こいつらどうにかしてくださいよぉ……」
と狼に泣き付く善逸であったが、しかし振り向けば、当の狼の様子が何やらおかしかった。片手の平を額に当て、忌まわしい記憶でも思い出す様子で、微かなうめき声をあげていた。
そんなわけない、とかぶりを振りつつも、善逸は嫌な予感が止まらなかった。
これまで見てきた限り、狼は鬼殺隊関係者の中でも一番の常識人だ。まるで戦国時代から現代にやって来たみたいな古風な感性の男であるが、されど自身の感覚の違いを弁えた男でもあった。その狼が、まさかここでボケるとか、もしくは炭治郎と伊之助と同様に頓珍漢なことを言ったりするはずがないのだ。
「これは……まさしく、この地の主だ……」
「え……」
「俺がかつて居た、葦名という地にも、同じものが……」
狼は三百年前のあの時の光景を想起していた。葦名の城へ侵入するために、橋下の谷に降りた時の事である。
どこからか、低い地鳴りと蛇の唸り声のような音と共に、ポッポーという耳をつんざくような甲高い噴射音を立てて、巨大な影が谷のあちらこちらを這った。そこで狼は岩陰に身を潜めながら辺りを窺うと、果たしてそれは姿を現した。その威風堂々たる姿は、色合いこそ違えど、まさに狼が現在前にしているこれ――たしか機関車という物――と同じであった。
異様に明るい青色の地に赤い筋の入った体表、それが主な違いである。しかし最も大きな、そして面妖な違いは、先端正面にある灰色の人の顔であった。本当に人の顔らしく生々しい質感でありながら、仮面さながらに瞳以外は全く表情が動かず、常に目を見開いた微笑を浮かべていた。
さしもの狼も、あの意味不明な存在に唖然とし、それで気が散って上手く忍べず、存在を察知されたことで急襲を受け、谷の地面に転がされたのであった。
薄れゆく意識の中、狼の頭にはある一文字が浮かんだ。
「駄目だった! 一番まともそうな奴が、一番駄目な奴だった! つーか葦名って一体何なんだ、どういう土地なんだ! 魔境もいいところだろ!」
最早この魔窟に関わることも嫌になったのか、善逸は彼らに背を向けて頭を抱えて叫んだ
そうしていると、やおら伊之助が助走をつけて、列車に突進をしだしたのである。言うに及ばずこれは周囲の注目を集め、やがて警官が現れ、彼らは追われることとなった。
幸い、狼が幻術を駆使することで追手の目を欺くことが出来たので、動く必要もあまりなく、そのお陰か騒ぎはすぐに沈静した。
そうして人の目をかいくぐり、発進しゆく列車に炭治郎一行は乗り込む。先頭を走っていた炭治郎と伊之助は、軽々と列車の後ろに飛び乗り、次いで最後尾を走っていた狼が、義手から飛ばした鉤縄で列車を掴んで飛び乗った。最後に、置いていかれそうになって線路を走って列車に追いすがる善逸を、狼が鉤縄で引き寄せて乗り込ませ、無事全員乗ることが出来た。
「まったく、酷い目にあった……」
この数分の間に、善逸の顔は目に見えて疲れが見えていた。恐れや悲しみや喜びなど、いつも何かしらの情動があらわれていたその顔には、今やほとんど表情も動かない。
「大丈夫か、善逸。お前も大変だな……」
肩を叩く炭治郎。
「炭治郎、何であんな肝心な時にボケるんだよ。いやまあ別に悪いって言いたいわけじゃないよ? たださぁ……、俺一人にあんな数のボケを捌かせるって酷だと思うんだよね」
ていうか、と善逸は溜息と共に言って、
「一番吃驚したのは狼さんだよ狼さん。いつも真面目で、ちょっとズレたところもあるけど、弁えてるじゃん? それがさぁ、ここに来てボケだすんだよ。しかも何だよ、予想の斜め上を行ってたけんだけど。ねえ炭治郎、あの人一体全体どこから来たの。葦名って何なの? 機関車を土地の主と断じた上に、実際に見たって、前代未聞なんだけど。何、俺が間違ってたの? 俺の送ってきた人生がおかしかったの?」
「狼さんは……判らないや。初め俺たちの家に流れ着いた時、葦名とか言って以来、それっきり何も言わなくてさ」
「そんなのを家に居着かせたの?……。人が
「匂いを見たところ、少なくとも俺たちを害そうとする輩じゃなさそうだったし、いいかなって。何だか……寂しそうというか、哀しそうというか。何もかも焼け落ちて灰や燃えかすに囲まれた中を、薄着で、裸足で歩いているみたいな……、とにかく放っておけないんだ。母さんも、目を離すとまたどこか寒い所に行ってしまいそうで放っとけないって」
という炭治郎の語りに、善逸は何か思う所があるようで、少し押し黙ってから、おずおずと、
「……俺も、似たようなものを感じる。音が聞こえるんだ。甲高くて乾いた風の音が吹く中で、鈴を鳴らしながら、当て所なく歩き続けている音……僧侶みたい、なのかな。街でたまに見かける、軍人が出す音と少し似ているよな」
「そうなのか?」
炭治郎も、軍人と思しき人を見かけたことはあるが、匂いを嗅いだことはないので、よく分からない。
「もしかしてだけどさ、狼さんって、十年前の戦争に行ってた軍人なんじゃないか。その前の、志那で起きた動乱鎮圧(義和団の乱)にも参加していたかも。葦名っていうのは、大陸のどこかの地名か何かなのかな。聞いたことがあるんだけど、軍人の中には、戦争が終わって帰ってきても、まだ戦場に居る気が抜けない人も居るんだ。炭治郎んとこに転がり込んだ時に葦名って言っていたのも……」
そう言えば、と炭治郎は指を顎に当てて、
「まだ家に居た頃もそうだけど、街を歩いていると狼さん、元軍人かとか訊かれることもあったな。でも狼さんは、よく分かっていなかったようだった。ひょっとして狼さん、記憶も混濁していたりとか?……」
「あり得るな……。自分の出自さえ分かっていないことも。立ち振る舞いとか、教養とかを見るに、士族の家系だったりして……。で、狼って名前は、所属していた部隊か、そこでの名前だったとか」
なかなかに的を射ているのではないかと二人は思っているが、しかし、狼が士族出身の軍人かと断定するとなると、どうしても首をかしげてしまう。どこがとは言いかねるが、どうしても言い切れない。
二人は再び、どこに違和感があるのかを考察しようと物思いに耽ようとするが、
「おい」
不意に後ろから、囁く声で狼からの呼びかけがされて、ビクリと二人は振り向いた。そこに立っていた狼は、いつも通りのしかめっ面で、不愉快なのかそうでないのか相変わらず判らない。
「お主らが任務を共にする、煉獄殿を見つけたぞ。飯を食いながら、やかましく騒ぎ立てておる者だ」
「え、あ……、はい。そうだな。早く合流しよう。行こう、炭治郎」
「あ、ああ。そうだ、早く行こう。柱を待たせちゃ駄目だ」
と、二人はそそくさと歩みを進める。
狼の先導の下で歩く二人は、いささか気まずい気がした。先程まで勝手に狼の出自を詮索していたためなのは言うまでもない。当の狼は、聞いてはおらなんだか、はたまた聞いた上で言及しないのかは判らぬ。
そのまま三人は、途中列車内ではしゃいでいた伊之助を拾い、それから炎柱・煉獄杏寿郎と合流した。
そして炎柱・煉獄杏寿郎は……弁当を食いながら、うまい! だの、わっしょい! だのと、一口食べるごとに声を張り上げて言っていた。そばには堆く積まれた弁当箱の山。完食した物多数、まだ手を付けていない物多数。
給仕の少女らも、それらの空箱を始末するのに一苦労。それを見かねた狼が、袋の中に入れる手伝いをする。
「ヒノカミ神楽……、うむ! 知らん!」
ヒノカミ神楽とは、炭治郎が那田蜘蛛山にて下弦の伍と交戦した際に、幼き日の彼の父が踊っていた神楽舞いで使われていた呼吸を土壇場で呼吸術として応用し、相手を追い詰めた技である。鬼殺隊の呼吸術と似通っていたので、鬼殺隊の、柱であれば何か知っているのではと訊いたところ、先の返答であった。
「だが! その技が戦いに活かせたのは僥倖だったな! どうだ、溝口少年! 俺の下で鍛えてみないか!」
「いえ、竈門です、溝口じゃなくて……。いきなり鍛えると言われても……。あ、ところで、俺たち鎹烏からの伝令で煉獄さんと落ち合うよう聞いたんですけど、そこから先はどうすれば」
「む、そうだったな!」
と、杏寿郎は語り始めた。
近頃、この列車で行方不明が相次ぎ、鬼の仕業と見て調査に来た隊士までもが消息不明となる事態が発生し、柱でなくては手に追えぬとして杏寿郎が駆り出されたとなったとのこと。
「嘘だろぉ。とんでもねえ鬼が潜んでんじゃん、この列車!……。終わりだぁ……、今度こそ死ぬんだぁ……」
杏寿郎の話を聞き、悲嘆にくれる善逸。
その矢先、列車の扉が開き、制服を着た男が入ってきて、
「切符を、拝見いたします……」
そう言って男は、乗客から差し出された紙――切符とやらに、金属製の物で切りこみを入れだした。
「あれは何だ」
狼が訊く。
「あれは車掌が、我々の買った切符を確認している! 皆も切符を出しておけ!」
取り出した切符を車掌に渡しながら杏寿郎は言ってきた。それに従い炭治郎らも切符を取り出す。善逸も、泣きべそ書きながらも自然な動作で切符を渡す。
「おい……」
不意に狼が、唸るような低声で車掌に呼び掛けた。
「ひっ!……。は、はい、何でしょう……」
その声に怯えたのか車掌は、まるで隠し事でもしているかのようにビクリと肩を跳ねさせた。
「お主、顔色が優れぬようだが、如何したか」
呼び声とは裏腹に、狼は穏やかに尋ねた。
「い、いえ……、大事ありません……。少々、休みが欲しいと言ったところでしょう」
狼からの言葉に安心したのか、安堵した様子で車掌は答えた。
「……そうか」
そう言って狼は立ち上がった。