雪も溶けかかる季節。山奥にある一軒の家。その中で、ゴリゴリと、隻腕の男は気難しい仏頂面で、
左手の義手は、今は外して使っていない。
やがて、外から何やら子供が騒ぐ声が、男の耳に届いた。
「おじちゃーん!」
家の中に、どやどやと子供たちが駆け込んできた。
「おじちゃんも、兄ちゃんと母ちゃんにお願いしてよ!」
「私も一緒に町に行きたい! ね、おじちゃんも一緒だったら、いいでしょ?」
小さな男の子と女の子、竈門花子と茂が、義手の男に縋り付いて懇願してきた。何も返答せずに男は、揺すられながらその子たちを見た。不愛想で、ともすると睨んでいるような厳めしい顔つきだが、子供たちはそれを意に介さず、懇願の眼差しを向け続けていた。
「こら! 狼さんに頼ろうとするんじゃないの!」
と、続いて入ってきた女性が、二人を叱りつけた。それに二人は、ビクリと身を竦めて、しおれ返った。その後、『狼』と呼ばれた男に流し目を送った。子ども特有のいじらしい顔つきで、無言で彼に助け舟を求めていた。
「ごめんなさいね、狼さん。この子達ったら、炭治郎が駄目ならとばかりにあなたに頼み込んで……」
と申し訳なさそうな顔で言う竈門葵枝に、顔を向けぬまま、構わぬ、と一言だけ男は応えた。
「厄介になっている身だ」
「厄介だなんてそんな……。むしろお世話になっているのはこっちですよ。ただでさえ、女子供の多い所帯で頼もしいのに、子供たちの面倒を見てくれるばかりか、狩りでお肉を取ってきてくれたり」
遠慮がちに葵枝は微笑んで言った。
「肉か……」
ふと、
「あっ、狼さん、おはようございます!」
外では、木炭を入れた籠を背負った少年が居た。この少年の名は竈門炭治郎と言い、この家の長男である。年の頃は十三ばかりではあるが、仔細あってこの年にしてこの家の大黒柱なのである。
「これから狩りですか」
「罠も見に行く」
「そうですか、いつもご苦労様です」
炭治郎は歯を見せて微笑んだ。
「……お主は、この雪の中でも売りに行くのか」
「もうすぐお正月ですからね、少しでも炭売って、稼がないと」
そうか、と狼は相槌を打つと、おもむろに懐から、布に包まれた小さな物を取り出して、炭次郎に差し出した。
「これを売った銭で、頼みたい物がある。余った銭はお主が持っておけ」
「いいですけど……、狼さんのお金なんだから、狼さんが持っておいたほうがいいんじゃないですか」
狼からの注文を聞いて、品を受け預かった炭治郎は、いささか訝しげな顔をしてから、こう言った。
「後ほど他に頼みたい品があるやもしれぬ」
淀みなく切り返す狼に、炭治郎は腑に落ちぬ面持ちになったが、ひとまず頼まれ事として了承した。
そうして出発をする炭治郎を見送っていると、
「いいんですか」
横から葵枝が尋ねる。
「あの小さな包み……、中身はあなたが持っていた昔のお金の内の一枚で、売ったら相当な額になるはず……」
彼女からの問いに、狼はむっつりと黙った。
狼が炭治郎に頼んだのは、食べ物であった。正月のおせちに出るような食べ物である。勿論、それらは狼一人で食べる量ではない。
「承ったからには、買ってきてもらう」
と、少ししてから狼は、このように言った。これに葵枝は、思わずクスリと笑った。
「狼さんも大分、あの石頭の扱いが板に付いてきましたね」
歩き出す狼の背中に、彼女はそんな言葉を投げて寄越した。
その言葉を背中に受けながらしばらく歩くと、子供のぐずる声が聞こえてきた。見れば少女が、幼子を背負ってあやしているところであった。
「狼さん、おはようございます」
少女は、狼に笑顔を向けて挨拶をした。その後すぐに、後ろの子がまたぐずり出して、慌ててあやしに掛かる。
少女の名は竈門禰豆子と言い、炭治郎の一段下の妹で、この家の第二子の長女である。そのためか、こうして下の子たちの面倒をよく見ている。
「ごめんなさい、狼さん、六太がなかなか泣き止まなくて……。すみませんが、また、あの笛を吹いてはくれませんか」
すまなそうな顔で上目がちに彼女はお願いをしてきた。
「……」
何も言わないまま狼は、義手の中指を掴んで、これをめくった。そうすると掌部からもう一本の指が現れた。
小さな穴が二つほど空いていて、指輪が嵌められた、女性のような細指だ。これに口を当て、息を吹き込んでやると、甲高く、寂しげで悲しげな笛の音が、虚しそうに木霊した。
この笛の音を聞くや、禰豆子に背負われている子供――竈門六太はたちどころに泣き止み、じっと狼の義手にある指笛を見やった。
「ありがとうございます。――それにしても、良い笛ですよね。悲しそうな音なのに、何だか綺麗で、つい聴き入っちゃう。どうやって作られているんですか」
しげしげと、禰豆子は狼の指笛を見るが、さっと彼はこれを隠してしまった。この指笛は、人間の女性の指だ。しかも、獣の胃袋の中から出てきたものだから、溶けかかってもいるので、狼とてあまり子供に見せたいものではなかった。幸い禰豆子をはじめとした子供たちも、てっきりこの笛が木か何かで出来ているものと思い込んでいるから、吹いて用が済んだらすぐに仕舞うようにしている。
一瞬禰豆子は鼻白んだ顔をするも、
「何はともあれ、これで六太を寝かしつけられます。狼さん、六太を撫でてやってくれませんか」
と微笑み直して話を切り替えた。
「何故」
「六太も……お父さんが死んで、寂しいんだと思います。狼さんみたいな大人の人に、撫でてもらえば、喜ぶんじゃないかなって……」
遠慮がちに言う禰豆子を見て狼は、禰豆子と、彼女の背中の六太を交互に見やった。
しばらく狼は、逡巡したように黙りこくったのち、やおら六太の頭に手を伸ばすと、不慣れながらも優しく、羽毛が降り立つみたいに穏やかに撫でてやった。六太はくすぐったそうに笑った。
これを見て禰豆子は、何が可笑しかったのか、クスクスと微笑ましそうな顔で笑った。それを怪訝に思って、狼は彼女に流し目を送った。
「あ、すみません。でも、いつも気難しい顔をしている狼さんを怖がらない六太を見ていると、狼さんもこの家に馴染んでいるなぁって」
はにかんでから禰豆子は、背中の六太に向けて、良かったねー、狼さん優しいねー、と猫撫で声を掛けてあやしだした。
彼女の柔らかい声を受けながら、背中で揺られていると六太は、次第に顔をとろけさせうつらうつらとしながら目を閉じ、やがて眠り出した。随分とあっさりと眠った。それだけ喚き疲れていたのだろう。
「あっ」
と、不意に禰豆子が、狼の背後の空を見て声を上げた。狼が振り向けば、空から何か鳥のようなものが飛んできた。それに向けて狼が腕を差し出してやると、その飛翔体は当然の如くそこにとまった。
それはミミズクであった。ただの梟ではなかった。幻想的な青白い光を纏った、神秘さを感じさせるものであった。
わあ綺麗、と禰豆子が感嘆した。
「いつ見ても綺麗ですよね。こんな動物が居るなんて。名前何でしたっけ。たしか……薄井ウン――」
「薄井右近左衛門。……
狼にしては食い気味に、どうかすると禰豆子の言葉を遮るように、彼はそれに付けられた名を教えた。
「そうそう、それそれ! 不思議な梟ですよね。どうやって光っているんだろう。ねえ、もっと見せてもらえませんか」
禰豆子からせがまれて狼は、右近左衛門が乗っている腕を彼女のほうへ下げて見せてやる。顔を寄せて禰豆子はその梟とくとくと、矯めつ眇めつ見る。対する右近左衛門は、自らを食い入るように見てくる目の前の娘っ子を、身構えるみたいに眼に捉え続けていた。
と、その折、
「狼さん!」
横合いから、少年の声が掛かった。
「あら、竹雄」
禰豆子から名前を呼ばれた、竈門家次男(第三子)の竹雄という名の少年は、姉ちゃん、と反射的に彼女を呼び返した。
「これから木を切るの?」
「うん。兄ちゃんから、木を少し切っといてって。それでなんだけど――」
禰豆子に応えてから竹雄は狼に向き直って、
「狼さん、これから狩りに行くんだよね。ならお願いがあるんだけどさ、連れてってくれない? 狩りのやり方……弓の使い方とかさ、教えてほしいんだ。木を切る仕事をすぐ終わらせるからさ、ね」
と捲し立てるように竹雄は頼み込んできた。
「弓か」
狼が聞き返すと、竹雄は、うん、と首肯した。
「こら、竹雄。狼さんを困らせちゃ駄目でしょ」
「でも……」
禰豆子からたしなめられて、竹雄は一寸ひるんだ。
まだまだ幼い身ではあるものの、それでも竹雄は、炭治郎や禰豆子に次ぐ兄弟として責任を自覚し、自身も何か役に立ちたいと考える年頃である。そのために、弓術といった、狩りに使え、外敵から身を守れる術を欲するのだろう。
チラリと竹雄は、助け舟を求める眼を狼に寄越した。はっきりと言葉に出すわけでもなかった。禰豆子に言われて、流石に竹雄も、これ以上無礼なことを言ううのは憚られているらしい。
しばし狼は考え込んでから、
「構わぬ」
了承の返事をした。
エッ、と禰豆子と竹雄の声が重なった。
「少しばかりなら、教えよう」
「すみません、狼さん。でも、そんな気を遣わなくても……。それに、竹雄にはまだ早いかもしれないですし」
「無理はさせぬ」
ただし、と狼は竹雄に向き直り、
「約束しろ、一人で狩りをするな」
「うんうんうんうん! 分かってる。もし狩りをするなら、狼さんと一緒ってことでしょ」
笑みを溢れさせながら竹雄は何度も頷き、早口で答えた。
「ならば、よい。では、仕事を済ませろ。手伝う」
竹雄は、そんないいよ、と遠慮の身振りをするも、構わず狼は木を切る作業を手伝った。
あまり仕事は多くなかったのと、大人手があったことで、作業はすぐに終わった。その後、身支度を整えた竹雄は、狼の後に続いて森の中へ入っていった。
今回の狩りは、弓を使うことはなかった。熊や猪等に遭遇しなかったこともあるが、仕掛けた罠で十分な数の獲物が取れたことで、わざわざ弓で狩りをする必要がなかったためである。
元より、罠を一通り見え終えたら帰るつもりであったが、今日はすぐには帰らなかった。竹雄に弓をはじめとした狩りの術を教えるためだ。
普通なら罠を教えたほうが、よほど安全で、実用にたるのであるが、今教えてやるのは弓である。何故なら、竹雄が納得しないだろうからである。
教えたのは、弓の引き方と、矢の撃ち方の二つであった。
「足を前後に開き、重心を後ろに置き、姿勢を低く」
説明しながら狼は、実際に弓を弾く格好を見せてやる。細かい解説はしない、抽象的なものであるが、素人に手ほどきをするならこれでちょうどよいだろう。
その後狼に弓を渡されて、竹雄はそれを引いてみた。この弓は、実際の合戦で用いられていた弓に比べれば遥かに軽く、小ぶりで狼の背丈ほどしかないものであるが、それでも初めて弓を持つ子供からすれば、コツを掴めぬ内は弦を弾くのも骨が折れる。
「弦を引く時は腕ばかりに頼らず、胸と、背中も使え」
その助言通りに竹雄は、腕以外の力も使って引いてみる。すると、まだまだ重くはあるものの、嘘みたいに引けるようになった。
「弓を持つ手が負けている。持ち手の肩を固めろ」
細かい指摘を受ける度、そこを直す。そうするにつれ、竹雄の弓の構えは、ようよう形になっていく。
教えている立場であるが、狼はその竹雄の様を見て、さる人物の姿を想起した。
葦名弦一郎。
かつて、狼が身を置いた葦名という国の大名・葦名一心の孫の名だ。仔細は省くが、斜陽を迎えた葦名国を守らんとするために、彼は狼と敵対し、幾度にも渡って刃を交えた。
その際に受けた弦一郎の弓術。狼も話には聞いていたが、弦一郎は弓の名手であった。今でも、弓を構えるその姿は明瞭に覚えている。
竹雄の弓を引く姿は、そのまま弦一郎の姿と重なった。
「ん、どうしたの、狼さん」
竹雄は、しげしげと自身を見てくる狼に、思わず弦を摘まんでいた手を離し、小首をかしげた。弓は鈍く間抜けな音を立てて元の形に戻った。
何でもない、と狼は抑揚なく言い、
「矢をつがえずに、引いた弓を離すな。弓が痛む」
今の竹雄の行いに、一つ注意した。
「あっ、ごめんなさい!」
そうして、狼による弓の教授は、また続く。
帰り道での竹雄は、実に上機嫌であった。狼が教えた弓の引き方を、何度も何度も形だけ練習していた。それはさも、狼の教えがあれば大丈夫だと、信頼している風であった。
事実、竹雄の弓の飲み込みは驚嘆に値するものであった。
しかしながら狼の持つ弓術は、専業の射手と比べれば、さして実用に足るものではなかった。いざという時に使えればマシな程度であった。にも拘わらずあれだけの伸びがあったのは、ひとえに竹雄自身の才能によるところが大きいものであった。
またも狼は、一つ思い出した。彼の義父、大忍び梟のことであった。
梟はかつて戦場にて、飢えた狼を、戯れで拾い、忍びとして育てることにした。そのさなかで、己の技の粋を義息子に染み込ませていくのは存外に面白いと感じていたと、あの燃え盛る平田屋敷で狼に語って聞かせた。
今度は狼は、竹雄の未来を見出した。それは、竹雄が今よりずっと背も、弓の腕も伸ばし、然り而して一端の狩人と成ることを。
物思いに耽っていると、いつの間にか家に着いていた。日が暮れるのも、あまりに早いように思えた。ひどく時間が経つのが早い。
このように感じている自分に、狼は驚いていた。心に隙が出来ているのだ。彼も、随分とこの生活に馴染んできたものだ。
その晩、子供たちが寝静まる頃、葵枝と狼は囲炉裏を挟んで向かい合っていた。狼は、今朝と同じように、鑿で木を彫っていて、葵枝はそれをじっと眺めていた。
「炭治郎、遅いですね」
「先に寝ろ。俺が見ておく」
そういうわけには行きません、と申し訳なさそうな顔で彼女は遠慮した。
もう寝る時間だというのに、炭治郎はまだ帰ってきていない。炭治郎に限って、道に迷って遭難といったことは考え難いが、しかしそれでも安心出来ないのが山の恐ろしいところである。
「明後日のお正月に向けて、出来るだけ稼いでおきたいって言ってたし、無理をしていないと良いんだけど……」
「……」
でも、と葵枝は狼を見て、
「炭治郎も、狼さんが居てくれるおかげで、少し肩の力を抜いてくれているでしょうね」
と言って微笑んだ。
「とは言え、いつまでも狼さんに頼りっぱなしでいるわけにはいかないかしら」
「俺は構わぬ」
「狼さんも、自分自身の幸せを考えなきゃ。例えば、所帯とか。好い人は居ないの? もし、ここを出て所帯を持つなら、出来るなら会いやすい所に住んでくれるのが良いわね。うちの子たちもそうしたいところでしょうし。……ああ、ごめんなさい、私ったらつい……。私に弟が出来たら、きっとこんな感じなのかしらね、ついお節介を焼きたくなっちゃう。お世話になっているのはこっちなのに……」
と、ばつが悪そうに葵枝は困ったように笑った。
「それにしても、分からないものですね。まさか、三百年前の戦乱の世を生きた忍びさんと一緒に暮らすことになるなんて夢にも……」
話題を変えるように、葵枝は切り出した。
「その、頭の右側の白い痣に白髪……、それに左腕……、ひどく苦労してきたんでしょう」
と、狼の顔の白い痣を指した。
彼女が言うように、狼の顔右側の目元には白い痣があった。それと、髪の毛の右側が、老人のように白く変色していた。
これは竜胤という、神なる竜より賜った不死の力――もとい呪いを受けた影響によるものであって、ある意味で、狼が苦難を受けた証ではある。
「それでも、あなたは優しい人。子供たちも、みんなあなたのことを慕っている。特に禰豆子と、竹雄……」
と言って、葵枝は、寝ている禰豆子と竹雄に目を移した。
「禰豆子ったら、狼さんがくれたあの、クナイから作った
葵枝が言うのは、禰豆子が枕元に置く、クナイであった。柄尻と柄首に輪っかが空いていて、そこに装飾が通されており、また刃と切っ先の部分が潰されていた。
これは『まぼろしクナイ』と呼び、狼の師の一人であるまぼろしお蝶という
狼がここに来て当初、禰豆子は彼の持ち物から発見して、物欲しそうにしていたので、武器としての牙を潰し、装飾を施してから贈った次第であった。爾来、大層これを気に入り、禰豆子はいつもこの簪を髪に挿すようになったのである。ちょうど、十二月二十八日の事である。
「よっぽど嬉しかったんでしょうね。まるで初恋の人にでも貰ったみたい。で、竹雄はそうねぇ、父親……いえ親分とも、それとも兄貴分とも言えるわね……。そうだわ、師匠と言ったところかしら!」
閃いたとばかりに葵枝は結んで、クスクスと笑い出した。
「……」
これを受けて狼は、何と反応すればよいか分からず、その厳めしい相好を深め、むっつりと黙りこくった。
「うふふ、ごめんなさい、気を悪くしないで。それだけあなたは好ましい人だって受け入れられていると思って」
「気にしておらぬ」
言って狼は、一つ、木彫りを終えた。出来上がったそれを手のひらに乗せ、ふう、と一息吹きかけて木屑を払うと、葵枝に差し出した。
「これを」
「え……」
寄越したのは独楽だった。数は六つ程度。まだ色は塗られていない。
狼はこれらを渡すや否や、おもむろに立ち上がって、
「炭治郎を迎えに行く。お主は寝ていろ」
身支度を整えつつそう告げて、風呂敷で包んだ二振りの刀を携え、葵枝の言葉を聞かずに表へ出た。
一九一三年(大正二年)グレゴリオ暦二月四日。明後日は正月(旧暦)だ。
雨後の筍さながらに乱立される死亡フラグの数々……。