狼と金棒の鬼が激しい攻防を繰り広げている頃、炭治郎と伊之助は、杏寿郎と合流するも、その矢先に他の鬼に襲撃された。それもただの鬼ではなかった。
上弦の参・猗窩座。万全とは言い難いこの状況では、最悪の相手が出てきた。
炭治郎と伊之助は疲弊が著しく、その上に列車の横転の際に負傷までしていた。狼が『大うちわ・神隠し』で無理やり立ち位置を入れ替えたのがあだになった。それに、上弦の参と相対するには、まだ腕が足らない。それ故に、彼らは杏寿郎から待機命令を出され、猗窩座は彼一人で相手にすることとなった。
が、果たして、上弦の参の鬼としての力量を前に、杏寿郎は満身創痍となっていた。
最初でこそ猗窩座と互角に切り結び、善戦していたものの、いくら杏寿郎が磨き抜かれた技を以って斬りつけようとも、猗窩座はその傷さえ瞬く間に再生させ、頸を斬ろうにもそんな隙を一瞬たりとも晒してくれる相手ではなかった。戦いは長引き、それにつれて杏寿郎の動きは鈍り、そこに打撃を叩き込まれる。ものの二、三発程を――それも掠るように――受けただけで、杏寿郎のあばらは砕け、その破片が肝に食い込み、また左の目玉が潰れた。呼吸術すらままならない。
「お前も鬼になれ、杏寿郎!」
猗窩座はそんな杏寿郎に、持ち掛けた。
杏寿郎はこれを拒否し、構えた。
炎の呼吸『玖ノ型・煉獄』
これだけ追い詰められようとも、決して折れない心によって繰り出されるその一撃は、気息奄々の人間によるものとは思えないほど、見事なものであった。猗窩座でさえ、その気骨には歓喜を覚えたほどである。
『破壊殺・滅式』
そして猗窩座は、この技を以って、杏寿郎への敬意を以って迎え撃った。
砲弾のような速さと衝撃を放ち、猗窩座に向かって撃ち込まれる。
双方が激突したその瞬間――。
――何も起こらなかった。
ただ、金属がぶつかる甲高い音が鳴り響き、むなしく薄い土ぼこりが広がったばかりであった。
(あれほどの技同士がぶつかったのが、嘘みたいだ……)
瞠目して炭治郎は、そんな想念を浮かべた。
やがて土ぼこりが晴れ、二人の姿が――否、そこには三人居た。
猗窩座と杏寿郎の間に入り込み、両者の攻撃を、刀と鞘で受け止めていたのであった。杏寿郎の斬撃は、柄の辺りを鞘によって押さえられて止められていた。猗窩座の拳は、その黒い――
両者を止めたのは、長身痩躯の男であった。
「すまんのう、若き煉獄よ……」
と言ってその――白い背広に中折れ帽の――男は、猗窩座に向けていた刀を振り抜いた。これを察知して猗窩座は大きく飛びのいた。
直後に猗窩座は、自らの手首に激しい痛みを感じ、そこについていた、あの大太刀に付けられたものと思しき傷を見た。それは、鬼であるはずの猗窩座が激しい痛みと、怖気を覚え、しかも猗窩座の再生力を以ってしても一向に治らなかった。
脂汗を――人間相手にはこれまでかいたこともないものを――かいて、猗窩座は乱入者を凝視した。
そんな視線を受けてなお、悠然と男は立ち上がる。
「儂としたことが、居眠りをして、あたらお主ほどの若人の命を死なせそうになるとは……。永く生きた先達として、忸怩たる思いじゃ。なれば挽回をせねばならんな」
「あなたは……」
「貴様は誰だ!……。その刀は一体!……」
男は口角を伸ばして笑み、被っていた帽子をおもむろに取った。
「儂か? 儂はただの――通りすがりの、投資家の、道楽爺。今より、この若人に代わり、儂が相手になろう」
手に持った鞘を腰の帯革に挿し、刀を一振り。
「葦名一心、推して参る」
名乗り、その切っ先を猗窩座に向けて、一心は構えた。
構えを取ったまま、猗窩座は一歩後ずさった。特にあの大太刀。先ほど受けた傷の異様さもさることながら、見ているだけでも嫌な感じがする。その上、目の前のこの男。今しがた、猗窩座と杏寿郎の渾身の一撃をしめやかに止めてみせたあの技術……、対峙している今まさにこの瞬間に受けている気迫……、そんな使い手が、かのような忌々しい刀を振るうと思うと、背筋がゾッと凍り付く。初めての感覚。
故に猗窩座は、攻めあぐねるばかりか、固まってすらいた。
杏寿郎は、これらの状況を見ながら呆気にとられた。あの上弦の参を、ただ立ち合うだけで、封じ込めている。
「少し、失礼します」
不意に、杏寿郎の横に女が屈みこみ、そう声を掛けてきた。
「あなたは、葦名殿の……」
一心に付き従っていた、道行コートの妙齢の女であった。
「一心様に付いておりました、薬師です。今は喋らぬほうが宜しいでしょう、砕けた肋骨が肝に食い込んでいます。それに、先ほど無理矢理に呼吸をしたために、傷は更に深くなっているはず……、こうして生きていられるのが不思議なほどです。どうか安静に……」
薬師の女は、か細い声で淡々と語り、手当を進める。ここまでの深手だと、ここでは処置は限られるものの、止血に、傷の悪化や痛み止めくらいは出来た。特に彼女が施した薬は、薬のことをあまり知らない杏寿郎でも、何か独特な物であると分かった。
「炭治郎! 伊之助! 大丈夫かぁ!」
炭治郎らのほうでは、善逸が、禰豆子の入った箱を背負って駆けつけてきた。
「何これ、何これ! なんかヤバそうな鬼居るし、煉獄さんは重傷だし、あのオッサン一体何者! あとあの綺麗なお姉さん何者! それに狼さんは! 狼さんはどこに行ったんだよ!」
狼のことを訊かれた炭治郎は、目を大きく見開いて息を詰まらせた。しばし俯き、それから意を決した面持ちで向き直り、
「いや大丈夫だ、狼さんなら生きている! ちょっとやそっとで死ぬわけがない! それより今は煉獄さんからの待機命令はどうなるかだ!」
決意の眼で言った。
「そ、そうだ、煉獄さん! あっ、居た! 煉獄さぁん! 俺たちどうすればいいんですかぁ!」
「どなたも手出しは無用です! そちらが言っていた狼殿も、私の知るお方であるならば、無事は請け合います」
と、煉獄杏寿郎に代わり、そばにいた薬師の女が、凛と通る声で答えた。
一同は面食らったが、今は確かに自分らが出来ることはないとして、一心と猗窩座の立ち合いに再び目を向けることにした。
両者はまだ膠着状態にあったが、ある時、一心が足を踏み出した。猗窩座はこれに身構えるも、一心の足が一歩地面を踏もうとするかしないかといったところで、瞬間、目にもとまらぬ速さを以って猗窩座の目の前まで一心が迫った。
驚愕しつつも猗窩座はこの一太刀を、刀身の腹に掌底を当てることでいなし、再び距離を取った。そこから拳を構え直し、
破壊殺『空式』
一心に向かいながら、虚空へ拳の連打を放つ。鬼の凄まじい力による拳圧によって打ち出された空気による塊。打ち出されてからほとんど間を置かずに目標へ当たる無数のそれらが、一心に殺到する。
しかし一心は敢えてその中へ飛び込んだ。先頭の一群を、身を捻ってかわし、その捻りを利用して太刀をいち薙ぎ、ふた薙ぎし、残りを斬り散らす。
そしてまた須臾にして猗窩座の目前まで迫った。
猗窩座はもう一度間合いを開こうとするも、読み切っていたとばかりに一心はこれに追随した。猗窩座の足が地面に着く瞬間を見計らって、また一心が一撃。どうにか反応した猗窩座がいなす。
反撃は叶わず、後手後手に回る猗窩座。これでは追い詰められるばかりであるが、さりとて打ち返しを試みようものなら、またもあの嫌な気配のする黒い刃で斬り裂かれる。そうなれば、たとえ傷は浅かったとしても、激痛で動きが鈍った隙に首を断たれる。
「す、凄え……」
炭治郎の隣で伊之助が思わずこぼした。
(伊之助でも、やっぱりそうなるか)
普段の伊之助であれば、自身より遥かに実力のあるものに対してさえ、対抗心を抱くところであるが、そんな彼でも、あの馬鹿々々しいまでの力には圧倒されていた。
「あの人も凄いけど、それよりあの大太刀、匂いが……」
と炭治郎が言うと、
「あの刀、なんだか嫌な感じがする……。狼さんの背中の赤い刀と同じ音だ……」
「こんだけ離れてんのに、肌がジクジクしやがる!……」
三人とも感じるものは同じであった。
あの上弦の参が攻めに転じられないのは、一心の力量以上に、あの刀によるものが多くを占めている。それだけの物を、柱かそれ以上の手練れが握っているものだから、今の猗窩座は不利としか言いようがない。
(ここで、終わる?……。この俺が、何も手も足も出ずに……、怯えたまま……)
猗窩座は、己の中の怯懦を感じた。それを知った時の、忸怩と憤慨。それらの思いが、身体じゅうを血液さながらに巡る感覚まで……。
それらを傍観している心地であった。故にか、冷静でもあった。己の心情を傍から眺めることで、これを受け入れ、何をすべきかといった想念が浮かぶ。
猗窩座の眼に、相手が次の一撃に移るのが見えた。真っ向斬りをしてくるであろう。そのようなことが、一心が刀を振り被るより前に分かった。
敢えて猗窩座はすぐには構えず、一心が振り被ってから構えた。そして振り下ろされたその刃を、両手で作った拳で挟み込んだ。その拳はそれぞれ、ズレた位置に当たる。そうすることで、鋏の要領で刀が折れるというわけである。
が、折れなかった。
猗窩座の力を以って挟み込まれたその刀は、甲高い音を鳴り響かせて、止まるだけにとどまった。
「ふむ、流石に止まるか……」
そう言う一心は、刀が折られようとしたことより、斬撃を止められたことに感心をしている風であった。
咄嗟に猗窩座は、刀を横に弾き、裏拳を繰り出す。その際、相手からの斬り返しを防止せんと、もう片方の手を、刀を握る一心の手元に伸ばして押さえんとした。
果たして一心は、それらを避けて、身を翻しながら後ろに下がった。
「敵ながら、天晴じゃ! 不死斬りを前にすれば、並の鬼ではまずまともに動けん。動けた者は、お主を含めて三人。お主ほどの者は、あの六つ目の鬼以来じゃ」
『六つ目の鬼』と聞いて、猗窩座は耳を疑った。その特徴を持っていて、かつあの刀を前にしても戦えるであろう鬼とすれば、上弦の壱・黒死牟を置いて他におらぬ。
また、およそ百年前、当時から別格の鬼であった黒死牟が、ただの一太刀受けただけで死にかけた件。たしか相対した剣士の刀も、黒き刃と聞いた。
それに、
(何だ……、この、頭の中に流れてくる記憶……)
自分のものではない、別の誰かの記憶が、走馬灯さながらに思考の中に割り込んでくる。
それは今より遥か昔の風景。猗窩座が鬼になるよりも、古い時代。
記憶の主の前に佇むのはまさに、いま猗窩座の目の前に立っているこの男に他ならなかった。白髪は今よりも多く、灰色がかってすらいる。然り而して手に持っているのは、あの黒き刃……。
(細胞の記憶……、無惨様のか……)
今すぐ逃げろと、猗窩座の血や骨肉に混じる無惨の細胞が、警鐘を鳴らした。
――だが逃げない。逃げてなるものか。
猗窩座は意地を張る。
「その刀……、一体どうなっている! 何故折れない!」
そのように猗窩座が問い詰めたのは、この場に留まるための理由が欲しかったからなのかもしれない。
「これか。なに、さして難しい話でもないじゃろう」
と、切っ先を猗窩座に向けて、一心は語る。
「儂の意志の力を、刀が纏っただけじゃ。如何な刀とて、使い手の気合次第で、切れ味も、強度も、如何様に変わるのよ」
さも、単純なことと言わんばかりに語る一心であった。だが、その理屈が分かる者は、誰も居なかった。猗窩座は勿論、炭治郎に、杏寿郎でさえ唖然として、辺りは水を打ったように静まり返っていた。
「嘘ォ!? あのオッサン、覇気使ってんのかよ! そんなんアリかよ! いつからここはワノ国になったってんだよ! いつの間に俺たちはジ〇ンプの登場人物になったってんだよォォォ!」
「善逸、うるさい! 静かにしていろ! ややこしくなるから訳の分からないことを言うのはやめろ!」
「だって炭治郎ぉ!……。俺グランドラインとかヤだよぉ……、イーストブルーに帰りてえよぉ……」
とむずかる善逸を、炭治郎と伊之助は、いつもの妄言だとして無視した。唯一杏寿郎は、善逸の言う『覇気』とやらに関心を示したが、傍らの薬師によって、関わるなという具合に止められた。
そうして再び静かになった折、
「時にお主、先刻この若者に――聞き間違いでなければ――鬼になれと言っておったな」
卒然と一心が口を切った。
「儂はむしろ、言いたい。お主、人に戻らぬか。お主ほどの者が、何ゆえ鬼となってしまったのか。或いは、お主ほどの者が鬼となるだけの事が、あったのだろう……」
「何を知ったようなことを!……」
「儂には分からぬだろう。お主が味わった苦しみとよく似た苦しみは、この世にごまんとあろうて、されどお主の苦悩は、お主だけのものじゃ。それでも、お主に言いたい。お主ほどの者が、鬼として生きるな。せめて残りの生を、人として真っ当に過ごしてはみんか。たとえ幾百の殺戮を為せども、それを続けるよりは、有意義だとは思うぞ」
「黙れッ!」
叫んで猗窩座は拳を握ろうとした。ところが、何故か力が入らなかった。
戸惑いながら猗窩座は己の手を見た。形作られた拳は、よもや目の前のこの男との戦いを拒むが如く、頼りなかった。あたかも自分の中に他に意思がある心地で、実に気分が悪かった。
そうしていると猗窩座は、自身の全身の肌が焼ける痛みを覚えた。昇りつつある太陽からの光によるものだと、即座に分かった。
すぐさま近くの森へ逃げ込む。戦う者としての矜持からの後ろ髪引かれる思いと、もう戦わなくていいという安堵が同居する心中に苛まれながら、陽の光に追い立てられるままに、暗い道を行った。
残された一心は、
「窮寇は追うことなかれ」
追うことなく見届け、やおら刀を鞘に納めた。
それから杏寿郎と薬師に向き直り、
「エマよ、そやつの身体はどうじゃ」
「酷い傷です。今後も鬼狩りを続けられるかどうか……」
エマと呼ばれた薬師は沈痛な様子で答えた。傍らの杏寿郎が一瞬だけ眉をひそめたのを、一心は見逃さなかった。
「誠に、すまぬのう、若いの」
痛ましそうな低声で一心は改めて詫びた。
「とんでもない! この傷はこちらの未熟によるもの! むしろ、命があるだけで御の字です!」
流石に傷に触るからかいつもより控えめだが、杏寿郎は溌溂と言った。
満身創痍にしてこれだけの活力に、一心は感心した様子で小さく頷いて笑んだ。
「そこの小僧どもも、無事か」
と炭治郎らにも向く。
「は、はい! 多少の傷は負いましたが、まだ動ける程度には!」
先に炭治郎が答えた。
「何なら今からでもやれるぜ! おいオッサン! ちょっと俺と勝負しろ!」
「だからお前は所構わず勝負に持ち込むなっての! 時と状況と体調を考えろ!」
と、何故か闘志をむき出しにする伊之助を、善逸が抑え込む。
「カカカ! 元気の良いのう、さながら猪じゃ。それに、手負いにも拘わらず挑みかかる心意気、嫌いではないぞ」
「伊之助、今はそんなことをしている場合じゃない。あの、列車の後ろのほうにも、もう一人、きっと酷い怪我を負っていると思うんです。そっちにも手当を――」
言いながら炭治郎が、一心と薬師エマを交互に見やる。
しかし一心は、
「ふむ、やはり、あ奴もおったか」
という調子で、慌てる素振りすら見せなかった。エマのほうも同様で、こちらは、どう説明したものかと思案している風であった。
炭治郎は困惑した。
「あ奴であれば、案ずることはない。もうじき、ここに参るであろう。――ほれ、あれを見てみよ」
腕を組みながら一心は、顎でしゃくって、列車の後ろの方からやって来る者を示した。
朝日に照らされた、柿色の着物。そのほか、纏っていた衣服には、あちこちに血やほつれが見られる。それだけボロボロになっておきながら、されど足取りに乱れはなく、深手を負った様子もない、ややもすると損傷を受けてすらいないようにも見える。列車の上から吹き飛ばされたのが、ただの記憶違いだったのでのではないかというくらいである。
眼を潤ませながら炭治郎は、痛む脇腹を抑え込んで、狼に駆け寄った。伊之助も、善逸も、それに続いた。
信じていた。あの狼が、死ぬわけがないと。それを確かめることが出来た。本当だったのだ。
「生きてて、良かった!……。狼さん!……」
の他に、言葉が思い浮かばないほど、感極まっている。
そんな炭治郎を前に、狼は言葉無しに、肩を叩く。
それから狼は、炭治郎の後ろから腕を組みながら歩いてきた、一心を見た。
一心の存在に、特段狼は驚愕することもなく会釈をし、
「久しくご無沙汰しております」
眉間に皺を寄せたまま一心は口を真一文字に結んで、久闊を叙する狼を見据える。
しばらくそうして、睨み合いにも似た顔合わせののち、やがて一心がその口を伸ばし、歯を見せて笑い、
「久方ぶりよのう! 隻狼ォ!」
カラカラと声を上げて笑った。
マイケル・ジャクソンだって覇王色の覇気でファン気絶させてたし、一心様が覇気使っててもおかしくなイン・ザ・ミラアァァァァー!
ちなみにこの覇気もどきについては、善逸の言及がただのメタギャグであることと、あと却って検索妨害になることを考慮し、タグは付けないでおきます。覇気のパクリには変わりないけど。