と言うわけで番外編。本当はラストのエピローグの一つだったけど、モチベのために今の内に投稿。
柿色の衣を纏った、童が居た。異様な少年だ。
長い髪の毛を後ろで括り、余った前髪が顔に掛かっていて、右側の髪の毛は白い。右目元にも白い痣がある。背中には、風呂敷に包まれた、子供の背には異様に長い物を、紐で胴に掛けてぶら下げている。また、その左腕は、欠損している。
籠を背負って歩く彼を、街並みの人々は、奇異の眼で見ている。
「やい、片端*1!」
と、そんな彼に、三人ほどの小僧たちが、居丈高に声を掛けた。少年は立ち止まって、黙って彼らを見た。本来なら無視するところであるが、前に立ち塞がられては、止まる他なかった。
「よそからきた野良犬のくせに、なにあたりまえみたいに、歩いてんだよ」
立ち止まった少年を取り囲み、前に立っていた小僧が意地悪く言った。
周囲の大人は、と目には入らない。関わり合いになりたくない風である。どこか苦々しい面持ちで、小僧たちが少年を小突いているのを、見て見ぬ振りするばかりである。
一方の少年は、先ほどから変わらぬ、仏頂面で彼らを見ている。困った顔をしなければ、怯えた顔もしない。
小僧たちはそれが気に入らなかったのか、ますます少年を強く、お互いに押し付け合うように突き飛ばす。それはようようひどくなっていき、そして、
「だいたい何だよ、この変な棒は。どっかからかっぱらってきたのかよ、見せてみろよ」
と小僧の一人が、少年の背中の長物を掴み、袋の口を開こうと手を伸ばした。
その折、ギロリと少年が、これまでになく強く睨み、長物を掴む小僧の手を掴んで引っぺがし、捻った。そうして姿勢の崩れた小僧の膝に、蹴りつけてやると、あえなく小僧は膝を押さえて後ろにたたらを踏みながら後ろへ下がり、すっころんだ。
「このやろう!」
怒ったもう一人の小僧が後ろから、少年の髪を引っ掴んだ。髪を掴む手を、引っ張られまいと掴み、少年はそこから相手の股間に蹴りをぶつけた。喰らった小僧は、うっと呻いて腰を引き、そこへ少年が肩で体当たりをして転ばせる。
そこへ三人目が、少年の腕を抱え込むように押さえ、加えて最初に転ばされた小僧が反対側を同様に押さえた。
金的を受けて激昂している小僧は、苦悶と憎しみで歪ませた顔のまま、拳を振り上げる。
少年の顔面目掛けて振り下ろされた拳は、果たして背後から掴まれて止められた。
「何をしているんだ! 三人で一人を取り囲んで!」
小僧の腕をつかんだまま叱りつけたのは、炭の入った籠を背負った少年であった。赫灼の赤みがかった黒い髪の毛の、額左側に痣がある、十半ばに届かないくらいの年の頃である。
「こいつがさきに手をだしてきたんだ!」
小僧の一人が、件の少年を指差して言った。
「狼が?」
件の少年――狼を見て、炭売りの少年――竈門炭十郎は、怪訝そうに首をひねった。
次いで、周囲の大人から聞いたところに拠ると、狼の背中の長物を小僧が掴んだ途端、いつになく気色ばんだそうである。
「そうなのか、狼?」
狼の前まで歩み寄った炭十郎は、自身より少し低い背丈の少年に、前屈みになって目線を合わせながら問いかけた。
炭十郎の顔を見返しながら、狼は自分の背中の、風呂敷に包まれた長物のほどけかかっていた――先ほど掴まれた時に結びが緩んだらしい――紐を、片手で器用に締め直した。
もう、ほどかせまいとばかりに、きつく。
「そんなに、大切な物なのか?」
変わらぬ仏頂面で、炭十郎を見据える。
「そうか……。とにかく、触られたくないんだな」
顔を上げ炭十郎は、狼の頭を撫でてやる。
「おいおいおい、それだけかよ」
と大人の一人が反発した。
「そのガキ、手を上げたんだぞ。その程度で済ませちゃ、きっとまたやるに決まってる! こんな怪しい浮浪児、何でそんな庇うんだよ!」
その男は――顔から見て取れる通り――偏屈で有名な奴であり、普段から猜疑の言葉が絶えないものの、今度ばかりは他の町人たちは、その男の言葉を無視できないでいた。
初めここに狼が訪れた時、彼はその背中の長物――朱塗りの大太刀――の他、一振りの打刀に、複雑な造りの絡繰り義手を持ち、また身体のあちこちに、本人の物か他人の物か分からない血を付けていた。ほとんど喋らないばかりか、時折口にするのは古めかしく、また童にしては小難しい言葉を紡ぐものだから、きっと面倒事を抱えているものと、皆、気味悪がっていた。
炭十郎は、そんな彼らを、哀しそうな面持ちで見て、
「むしろこの子は今まで、よく手を上げなかったものだと思うんだ。葵枝から聞いた話だと、いつも相手にしないか、ちょっかい掛けられても逃げるだけだったって聞いた。今回は、この子の背中のソレに触れたのが悪かったんだよ。そもそも、もっと早く止めてやるべきだった」
と述懐した。
それは、押し付ける調子のものではなく、自然と湧き出たかのような語り口で、だからであろうか、炭十郎の言葉に反発を――言い出しの偏屈男でさえ――覚えたものは居なかった。
差し当たってこの場では、小僧三人に重い怪我がないこともあり、厳しく取り沙汰されることもなく、お互い様として手打ちとすることとなった。而して、今後、狼が絡まれた際には素早く仲裁に入り、また背中の長物には触れさせないように他の者に言い含めておくとも折り合った。
場がお開きとなったそのすぐ後。
「狼!」
そこへ、少女が小走りでやって来た。
「
炭十郎にそう呼ばれた少女――葵枝は、如何にも家族を案ずる様子で狼に近寄り、何事もないかと彼を矯めつ眇めつ診る。
「どこも怪我は無いわね?」
狼の頬を両手で包んで、尋ねてやると、彼は見つめ返して否定しなかった。
「炭十郎が助けてくれたのね、いつもありがとう」
と礼をして葵枝は微笑んだ。陽光さながらの白い肌に、紫水晶のような黒い瞳からの笑みは、流石、町で評判の器量良しと言われるだけはある。
他方、狼のほうは、何やら負い目を感じてでもいるのか、面や眼を下げて顔に陰を作っていた。
「どうしたの、狼」
それに気づいた葵枝が、彼の顔を覗き込む。
「多分、あの子たちと喧嘩したこと、気にしているんだろう。葵枝は普段から、乱暴は良くないって言ってたし、狼もそれを聞いた上で、今までできる限り、やり返したりしなかったんだろう」
腕を組みながら炭十郎が言うと、
「まあ……」
眉を下げて彼女は感嘆した。
本当なの? と、彼女も少し頭を低めて狼と目を合わそうとすると、彼はより一層顔を俯かせる。
「良くないことをしちゃったって、思っているのね?」
と問うと、僅かに狼は顔を上げた。張り詰めたようなしかめっ面が、今では緩んだ無気力な表情みたいになっていた。
しばらく葵枝は、狼と向き合いながらの思案ののち、
「次は、上手く逃げられるといいわね。今までもできんだから、大丈夫よ」
相好を崩して、狼の頭を撫でた。
「何だか、もうすっかり本物の姉弟だな」
安堵の笑みで炭十郎が言った。
「ええ。こんな可愛い弟ができるなんて、神様には感謝ね」
葵枝はふわりと笑いながら狼の頭を抱き寄せた。
そうして二人はお互いに笑い合う。一方の狼のほうは、状況をはかりかねた様子でキョロキョロと視線をさまよわせていた。
そのさなか、炭十郎を見ながら笑う葵枝の頬が、紅く染まっていたのを見た。
狼の見てきた限りでは葵枝は近頃、時折ぼんやりと考え込むことがあった。炭十郎と会った後では、なおそうなることが多くなる。
今だって、炭十郎に何かを言いたげで、しかし何と話しかけようか、言いあぐねている。
「じゃ、俺はもう行くよ。じゃあな、狼」
と残して去ろうとする炭十郎の袖を、狼は掴んだ。鳩が豆鉄砲を食ったような顔で振り返る炭十郎。
「ちょ、ちょっと、狼!」
慌てて葵枝は離させようとするものの、狼は子供とは思えない力で握っていて、あまり無理に引っ張ったら炭十郎の袖が破けることもあるために、引き剥がせないでいた。
「ははは、参ったなぁ……。そうだ、狼、一緒に来てみないか? ちょっと退屈かもしれないけど」
という提案をしてやると、狼は袖を掴む手をより強めた。
「ごめんなさいね、炭十郎」
「大丈夫だよ。葵枝も一緒にどうだ」
「わっ、私っ?」
唐突な誘いに葵枝は目を丸くして自らを指差し、頬を染めながら上擦った声を上げた。
「あ、やっぱり忙しい?」
「う、ううん! 途中までなら、大丈夫!」
「そっか。それじゃ、行こう」
そう言って炭十郎は、狼と並んで歩きだし、それを追って葵枝は二人の横に並んだ。その際、一瞬ながら、葵枝は狼と目が合った。そこはかとなく彼女は、狼に見透かされた気分で、ばつが悪く感じていた。
この日爾来、狼は葵枝と連れ立っている時に炭十郎と会うと、必ずと言ってよいほど炭十郎にくっついて行くようになった。それに伴って葵枝も、炭十郎と一緒に居る時間が増え、而して、一緒に居るのに慣れたためか盛んに炭十郎に近寄るようになり、次第に親密な中になっていった。
ある新年の始まり、狼と葵枝は、炭十郎に呼ばれて彼の住む山の家まで来た。
炭十郎の家、竈門家に伝わる厄払いの神楽を、二人に見せたいとのことである。
場所は、雪の降り積もる山の頂。円状に並んだ松明。火炎を模した模様があしらわれた舞装束に身を包み、柄尻にいくつもの鈴を下げ枝刃に紅い房の付いた木製の七支刀を持った炭十郎が居た。
「わざわざ来てもらって、すまないな」
「大丈夫。私も見てみたいって、思っていたから」
炭十郎からの言葉に、葵枝ははにかんで返した。
「でも、よかったの? 家に代々伝わる神楽なんて、見せてもらって」
「別に秘密にしているわけじゃ、ないからな。むしろ皆にも見せたいくらいだけど、こんな雪が積もった夜更けの山の頂で、ひたすら同じような舞を見せるのも厳しいんじゃないか。それにこの神楽は、舞に合わせてする呼吸がどうも癖があるらしくて、真似しようにも真似できないんだそうだ」
そこで炭十郎は、葵枝のそばに居る狼を見て、
「狼、大丈夫そうか。お前が見たいそうだって聞いていたけれど……、こんな中でずっと見てるのは大変じゃないか。辛かったらうちに入っていていいからな」
案ずる調子で優しく声を掛けるも、狼はこれといって腰が引けている様子も見せなかった。
「そうか……」
とだけ言って炭十郎は、炎と書かれた布作面で顔を覆い、並ぶ松明の円の中央へ歩いて行った。自身の立つ所の雪をよけ、深く息を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返す。それから、舞に至る際の祈りを捧げる仕草をする。
やがて炭十郎は、やおら構え、そしてそれを――ヒノカミ神楽を始めた。
間際、狼の耳に――炭十郎によるものだろうか――独特な呼吸音が聞こえた。
それは如何に言い表そうか。とにかく、美しい舞であるとしか。
火炎の揺らめきを模したのだろうか。悠然でありながら、烈しい。定まらずに揺曳するようでいて、自然の均しさを思わせる規則正しい動き。また、舞の至る所で見られる、振られる七支刀が残す円の軌跡が、日輪の円のように見えて仕方がない。
それらの動きに合わせてなされている、炭十郎のする呼吸。これを聴きながら、狼は神楽に釘付けになっていた。
ようよう狼は、聞こえてくる息の音を頼りに、炭十郎のする呼吸を模倣しだした。
「狼?……」
おもむろに立ち上がる狼を、訝しげに葵枝は眺めた。
ついには動きまでも覚えだしたのか、炭十郎の舞にまで合わせ始める。見てから後追いで真似する必要もなく、まさに寸分のズレもなく、合わせてみせていた。
とは言え、狼には左腕がない故か、舞の動き自体には時折ひずみが現れており、さては、使っている呼吸が狼の身体に馴染んでいないからか、次第に舞と呼吸が乱れてゆき、ついには呼吸を荒げて地に手を突いた。
「狼!……」
思わず葵枝は、強く声を上げそうになるも、炭十郎の邪魔をしてはならぬとできるだけ抑えて狼に駆け寄った。
彼のこのような姿は珍しい。狼と言えば、暇な時は山の中に入って、斜面や木の間を――それもあの大太刀を背負いながら――駆け、飛び回って、そうしながらもあまり息を乱すことはなかった。そんな彼をここまで疲弊させるなんて、あの呼吸のせいか、はたまた舞のせいか。
どちらにしても、
「狼には、まだ早かったのよ。それに、左腕が無くちゃ、踊るのも辛いでしょう。狼の持っていたあの義手も、まだ付けるには大きさが合わないだろうし。もう、うちの中に入ったほうがいいわ」
葵枝が言い聞かせるが、変わらず狼は神楽から目を離さず、今度は、呼吸を形だけでも――やり方を身体に刻み付けようとばかりに――行っていた。最早、葵枝の声が聞こえているかも怪しい。
差し当たり、炭十郎の母親が、狼のことは見ておくから、先に家に入ってるように葵枝に言った。葵枝は、大丈夫かと不安げだったが、流石に寒い中で疲れていたからか、炭十郎の母の言葉に従って竈門家に戻っていった。
結局、狼は神楽が終わるまで、即ち一晩中まんじりともせずに見続け、夜を明かした。
それだけの過酷な一晩を過ごしておきながら、狼は体の熱を冷やして命が危ぶまれるどころか、風邪すら引かずに翌日を何事も無かったかのように――むしろ以前に輪を掛けて逞しく――過ごした。
そんな事があって、何年経ったか。
葵枝は、無事に炭十郎と結ばれて竈門家に嫁入りし、男子と女子を一人ずつの二児を産み、先日には三人目を産んだところであった。その赤子には、まだ名前が付けられていない。
狼も成長し、今ではあの義手もピッタリとその欠けた左腕に嵌って、動かすのに苦労はしていないようである。背中に負った風呂敷に包まれた大太刀も、相変わらず。
「ああ、狼、いらっしゃい」
竈門の家の中から、件の赤子を抱いた葵枝が出てきた。
今でも時偶、狼は、竈門家を訪ねる。家を出た姉、義兄、それと甥姪に会うためである。
彼女に抱かれた赤子を、狼は見た。
「ええ。元気に生まれたわ」
赤子に顔を寄せ、微笑んだ。狼はそれを眺める。
「ああ、心配しなくてもいいのよ。身体の調子は大分良くなったから」
と頼もしい笑顔を、葵枝はしてみせた。
「それはそうと、狼。あなたもそろそろ所帯を持ったらどうかしら。それとも、一人の女に決めきれないのかしら」
揶揄う調子で彼女は笑った。
結婚し、子供を産んだからであろうか、元々静かなたちの彼女だが、今では更に落ち着きを持ち、物腰が柔らかくなっていた。
「まあ、狼には狼のやり方があるのだから、強いることは言わないわ。それに、炭治郎と禰豆子も、もう少し狼叔父さんと一緒に居たいだろうし。それに、この子も……」
再び赤子に視線を落とす。
「この子、今日名前を付けるの。お七夜になるから」
お七夜とは、赤子が生まれてから七日目の夜に行われる、無事に七日間生き延びた祝いと、今後健やかに育つを願う行事で、名前はこの時に付けるのである。
昔は赤子の死亡率が高く、七日まではまだ現世の者ではなく神の子とし、無事に迎えた七日目で名前を届け、その地域の人々や産土神に報せたと言う。
「そこでなんだけど、狼、この子に名前を付けてあげてくれないかしら」
唐突にそのような申し出をされて、狼は鼻白んだ。
「頼まれてくれないか、狼」
そう言いながら出てきたのは、炭十郎であった。あの時の夜――ヒノカミ神楽を舞っていた夜と比べて、少しやつれたように見える。
「お前に重荷を背負わせるようで、恐縮だが、それでも頼まれてくれないか。勿論、こっちが大変な時に手を貸せとは言うわけじゃない。名付け親というのは、その子の後ろで見守ってくれる……謂わば守り神みたいなもの。狼みたいに強い人間が、そんな存在になってくれれば、きっとこの子も……勇気を持って生きていけると思うんだ……」
そう語る炭十郎は、どこか儚げにその赤子に視線を降らせていた。
「狼、頼めるか」
狼に視線を戻した炭十郎を見据えたのち、やおら狼は、赤子を抱く葵枝に歩み寄った。それから、その赤子を葵枝から受け任される。
己の腕に抱く赤子へ眼を下ろす。静かに目を閉じて、穏やかに眠っているらしく見える。かすかに、か細い息遣いが聞こえる。それと、甘酸っぱい匂いが昇ってきている。
狼は低く囁く声で、
「竹雄」
呼び掛けるように、そう名付けた。
それで目が覚めたのやら、ゆっくりと、竹雄と呼ばれた赤子は閉じていた目を開いて、不思議そうに狼を見つめ返した。
「竹のように、雄々しく。強く生きよ……、何処までも、真直ぐに……」
その語り掛けを受け取るかのように、竹雄はその小さく短い手を狼の顔に伸ばし、何かを訴えているのか、
「あっ……、あっ……、うぅ……」
しきりに声を上げていた。
狼が顔を上げると、竈門夫妻は満足げに狼と竹雄を見つめていた。
「狼、お前は強い。お前の中に根付いたヒノカミ神楽を、きっと繋げてくれ」
「それと、青い彼岸花の場所もね」
寄り添いながら微笑む竈門夫妻の姿が、狼の頭の中に焼き付いた。
いつだったか、葵枝に連れられていった先に、何者かの墓があった。
随分と古い墓で、すっかり苔生していて、長らく手入れがされていないらしかった。
幾度か連れられてきたが、その周りには、大きな土筆のような物が生えているばかりで、何もなかった。しかし葵枝は、やけにその土筆もどきを気にしていた。
ところが、ある来訪時、そこには華が咲き誇っていた
それは彼岸花だ。青い、一分のくすみもない、見事な青の彼岸花であった。
一瞬、似ているだけで全く別の場所に来たのではないかと思ったほど、そこの景色は一転していた。
ありえないような、しかし美しい景色が、確かにそこに広がっていた。
葵枝が言うには、そこの青い彼岸花は一年の内のどこかで数日間、昼の間だけ華を咲かせるのだそうだ。
彼女はそれらを愛でながら、
――知ってる? 彼岸花が紅いのって、人の血を吸っているからなんですって。じゃあ、この青いのは、何を吸っているのかしら。
冗談めかして、楽しげに笑っていた。
そこで狼の思考は、今に引き戻された。
目の前では相変わらず竈門夫妻が莞爾として微笑している。
「もしたとえ、私が居なくても、代わりにあなたが、あの子たちをあの場所へ導いてあげてちょうだい、……狼」
と、葵枝は結んだ。
腕の中の赤子が、泣き出した。その小さな身から飛び出たとは思えないほどに大きなその鳴き声は、辺り一帯どころか、この山じゅうに響き渡るほどであった。
『ヒノカミ神楽
竈門家に代々受け継がれてきた神楽
舞のようであるが、剣術のようでもある
やけに生々しく記憶に残っているが、
所詮は夢の中で見た、幻に過ぎない
故に、現実で繰り出すのは、叶わぬ
もし、会得したくば、本物のそれを
目にすれば、よいであろう』
『青い彼岸花
竈門家の家屋付近のどこかにある墓、
その周辺に群生していた不思議な華
彼岸花は子を残せない
そんな性質が、似たような存在の
影響を受けることがある
彼岸花の紅色は、死人の血の紅色
なればこの華は、何を吸い上げたか
青ざめた血でも、吸い上げたか』
【彼岸花の解説】
彼岸花は子孫を残すための種子が作れない。
彼岸花の遺伝子は『三倍体』と言って、三つの遺伝子が重なり合っている構造をしている。通常、生物は交配の際に、自らの遺伝子を二つに割って交配するのだが、三つの遺伝子が重なっていると上手く二つに割ることが出来ないので、日本の彼岸花は子孫が残せない。
これは日本に彼岸花が持ち込まれる時、選定されて持ち込まれたものがそういう遺伝子であった。そのため、日本の彼岸花は株分けされて増やされた。