========= 七耀暦1206年8月29日 =========
昨日と今日はノルドで戦った。
クロスベルのタングラム要塞程ではないが、ノルドも帝国と共和国が昔から睨み合いを続ける地であり、そして今回の戦争においても両軍が衝突する予定地でもあるためか、タイタス門よりも呪いの影響が強かったように思う。
ただ、先日のパンタグリュエルでの一件、もう少し言えば『千の陽炎』作戦実施の確定と、9月1日の正午に開戦するという宰相の宣言以降、帝国各地の霊脈が今まで以上に活性化しており、それと連動して呪いも強まっているので、実際は状況はどこも同じ可能性もあるが。
また、今日はトワ先輩のご両親に花を手向けさせて頂いた。
以前にも聞いていたが、トワ先輩のご両親は飛行船の事故で十七年前に亡くなられている。
その事故現場が、ノルド高原から見えたのだ。
「私も最近ようやく知ったんだけど、本当は事故じゃなくて、帝国と共和国の諜報戦の結果とし起きた相打ちだったみたいなの。だから墜落場所も事件の真相も隠されちゃってて……」
そう説明してくれた先輩は、ご両親の事を思い出したのか途中から耐えきれなくなったようで、流れ出る涙を隠すように後ろを向いてしまった。
どうしていいか分からず、婆ちゃんが死んでしまった時に旦那様がそうしてくれたように、旦那様達が死んでしまった時に爺ちゃんがそうしてくれたように、トワ先輩を抱きしめて頭を撫でた。
以前は何も感じず、二人のその行為の意味もよく分かっていなかったが、今なら少しは旦那様や爺ちゃんの気持ちも分かる気がする。
しばらくして、落ち着いた様子の先輩に「先輩は一人じゃないです」と言えば、「うん、ありがとう。もう大丈夫だよ。えへへ、また情けないところ見せちゃったね」と、すっかり元通りになったように笑ってくれた。
トワ先輩のご両親がゆっくり眠れるようにも、戦争をどうにかしようと、改めてそう思った。
一方でⅦ組の皆は、昨日、無事に第二相克を終えたと報告があった。
相手は紫の騎神、つまりフィーの養父でもある西風の旅団の団長、『猟兵王』ルトガー・クラウゼルだった。
猟兵王は最後まで猟兵としての筋を通して、その上で既に終わってしまった不死者である己の想いと騎神の力を生者であるリィンに託し、そしてフィーの良き父として戦って逝ったと聞いた。
俺は猟兵王とは数言しか話した事がなかったが、それでもあの人の事を、戦いを生業とする人間として尊敬していたと思う。
出来るのであれば一度ちゃんと手合わせをして頂き、そして色々と教えて頂きたかった。
改めて父を亡くしてしまったフィーの事が少し心配だったが、連絡をくれたフィーは「大丈夫。もう泣けるだけ泣いた。それに団長から、お姉ちゃんになった以上は危なっかしい弟の面倒もちゃんと見てやれって、そう言われたから。何時までも落ち込んでる暇はない」と、少し声が枯れはしていたが元気そうだった。
俺の潜入技術や火薬や罠の扱いなどは、西風の猟兵だったフィーに習ったものだ。そういう意味では、確かにフィーからしたら俺は西風に連なる弟分に当たるのだろう。
そしてあの猟兵王も俺をフィーの弟分として認めてくれたのなら、それは多分、誇るべき事なのだろう。
猟兵王は俺なんかに尊敬されても迷惑かもしれないが、この戦いが終われば一度、墓参りさせて貰おうと思う。
また、詳細は聞いていないが、結社に戻って敵として立ちはだかっていたシャロンさんも、アリサの説得によって再び戻って来てくれたと聞いた。
先日のパンタグリュエルでの一件でもずっと気になってたので、これで一安心だ。
そしてⅦ組の皆は、第三相克を成すために、今はクロスベルにいるらしい。
相克の相手は、銀の騎神とリアンヌさんだ。
リアンヌさんはドライケルス帝の魂を持つオズボーン宰相を救うために、つまりは最終相克を自らの手で成してイシュメルガを滅ぼすために、二百五十年もの間、不死者として生き続けてきた。
そして今はその二百五十年の想いを、オズボーン宰相の息子でもあり、自分の息子のようにも思っているリィンに託したいと願っている。
そのために、Ⅶ組が越えるべき壁として立ちはだかろうとしているのだと、ロゼさんにそう語ったと言う。
また、クロスベルには越えるべき壁がもう一人いる。
オリビエさん達と共にカレイジャスの爆発から生き延び、そして長らく姿を眩ませていたアルゼイド子爵が、昨日カレイジャスⅡに連絡を入れてきたのだ。相克を成すための闘争を生む、『贄』の一人として。
今のアルゼイド子爵は、イシュメルガの強制力によって、灰の起動者であるリィンに敵対するようにその行動が縛られてしまっている。
呪いで己を失っているわけではないようだが、それでも最早戦うしかない状態とのことだ。
Ⅶ組の皆は、明日、現代における最高位の剣士である『光の剣匠』と、歴史上最強の武人でもある『槍の聖女』を越えなければならない。
それはきっと、猟兵王以上の試練になるだろう。
出来ることなら俺もⅦ組の一員として皆と共に戦いたかったが、呪いに侵された今の俺がリィンに近づく訳には行かない。
先日意識を失ってしまったのも、封じ込めた呪いが『贄』であるリィンに共鳴しそうになるのを、無理やり押さえ込んだ反動が影響している。
最初は呪いなど大したことないと思っていたが、多くの呪いを自身に封じ込めるにつれて、その影響力は徐々に強くなって来ている。
十日くらい前は「戦え、恨め、憎め」と何度も何度も繰り返し煩かっただけだったが、最近では少しでも気を抜くと、呪いは俺の心の弱い所に入り込もうとして来るまでになっていた。
今日、トワ先輩のご両親の墓参りを終えた後に、それが起こってしまった。
トワ先輩のご両親の話題から、先輩の今のご家族についての話になった。
徴兵されてしまった先輩の叔父さんも、帝都で雑貨屋を続けている叔母さんと従兄弟も、ある程度は今の現状を把握しており、その上で周囲の人々が呪いに侵されしまわないように動いてくれているのだとか。
その事は心配ではあるが、同時にとても心強い話だったが、問題はその後だった。
ご家族の話の流れで、先日、リィンが先輩の家族に挨拶を行い、先輩の叔母さんがリィンと先輩の結婚について喜んで賛成していたという話になった時、色々な感情が湧き上がった。
先輩とリィンの仲がそこまで進んでいたのかという衝撃と、祝福の気持ち。
そして確かに、リィンと先輩に対する怒りと嫉妬、もっと言ってしまえば憎しみと、ほんの僅かであると思いたいが、殺意が湧き上がってしまった。
そして呪いはその感情を糧に膨れ上がり、一瞬ではあるが俺の意思を奪いかけた。
ほんの僅かな時間ではあったが、その時になって呪いを恐ろしさを改めて実感した。
何も呪いは、無から闘争を生むのではない。もともとある感情に火を付け、闘争へと燃え上がらせるのだ。
だが、早いうちに実感をもって気づけてよかったとも思う。
呪いがあるから闘争が生まれるのではない。
呪いはあくまでも、人の感情を煽りそして理性を抑えることで、闘争を無制限に煽るだけだ。
根底にあるのは、自身の弱い心だ。
呪いと戦うということは、己との戦いでもあるのだ。
だから俺もちゃんと、自分の気持と向き合おうと思う。
俺はトワ先輩のことを愛している。
だからトワ先輩が、例え俺でない相手とであっても幸せになることは、俺にとっての幸せでもある。
だけどそれと同時に、そのことを全く祝福できないドス黒い気持ちも確かにある。
この気持ちからは、目を逸らしてはいけないだろう。
その上で、ちゃんと先輩と、そしてリィンの幸せを願って、この気持ちに今日で決着をつけようと思う。
自分でもどうかとも思うが、前から分かっていたのに今になってもまだ未練が捨てきれていない。だけど、それでもちゃんと前を向こうと思うことが大事なのだと思いたい。
人々に理不尽に闘争を強要する呪いを擁護する気は全くないが、その事に気付かせてくれた事にだけは、少しだけ感謝してもいいかも知れない。
何となく、呪いとその元凶であるイシュメルガだけを憎みきれなくなって来た。
そもそもイシュメルガや『巨イナル一』が生まれてしまったのだって、昔の人の戦争が原因なのだから。
だがそれは一度置いておくとしても、俺の弱さに気付けた以上、これから先は一方的に呪いに取り込まれることもないだろう。
先ずは、呪いの影響で頭痛がするとだけ言って食事を切り上げてしまったことを、トワ先輩に謝罪してこよう。
そしてこれ以上俺のことで、先輩を煩わせる訳には行かない。
ちゃんと、もう大丈夫だと伝えてこよう。
======================================
========= 七耀暦1206年8月30日 =========
今日の夕方、ノルドでの戦いから撤退する飛行艇の中で、リアンヌさんが亡くなられたと聞かされた。
第三相克にリィンとクロウ先輩が勝利し、そして二人に全てを託したリアンヌさんは、満足してこの世を去ったようだ。
リアンヌさんの生涯の友人であったロゼさんが、少し悲しそうにリアンヌさんの最期を教えてくれた。
「お主にも、感謝と別れの言葉を預かっておる。なんの才能も力もないお主が、この先も予想を越えてどこまで至れるか、リアンヌの奴も楽しみにしておったようじゃ。じゃからお主も、呪いなんぞに負けるでないぞ」
リアンヌさんは、俺にも遺言を残してくれていた。
ロゼさんと和解できて、短い時間だったが昔のように過ごせたのは、ヴィータさんやクロウ先輩、そして俺のお陰だと。だからありがとうと、ロゼさんにそう言い残したリアンヌさんは、最期の時まで笑顔だったようだ。
リアンヌさんの言葉に応えるためにも、そしてあのリアンヌさんのように最期は笑顔で満足して生涯を終えられるように、俺も精一杯生きようと誓った。
また、アルゼイド子爵に関してもラウラが決着をつけ、『贄』としての役割から開放された子爵も、今はカレイジャスに合流しているようだ。
そしてつい先程、明後日の開戦に向けて、オリビエさん達『光まとう翼』の作戦が決まった。
地精から離反したジョルジュ部長とアンゼリカ先輩が齎した情報で、宰相達の狙いが完全に判明したお陰だ。
宰相達は明日、帝都上空に『幻想機動要塞トゥアハ・デ・ダナーン』という名前の、地精が次元の狭間に隠し持っていた古代ゼムリア文明時代の空中要塞を出現させる予定らしい。
そしてそれと同時に、帝国各地計五ヶ所に、かつてノーザンブリアを襲った天災『塩の杭』の一部から復元した『杭』を出現させる。
空中要塞と霊的に繋がるその杭が、闘争によって発生した霊力を帝国全土から集め、空中要塞には幾重もの強力な結界が張り巡らされる事になる。
そして明後日の開戦によって生まれる更なる膨大な霊力を収束させることで、空中要塞そのものを、黒の騎神と第五相克を勝ち抜いた騎神による最終相克の場、『巨イナル一』を再錬成するための大釜として昇華させる。
それが地精と宰相による、『黄昏』の最終段階とのことだ。
対して『光まとう翼』は、その計画を利用して戦争を早期に止めることを目指す。
作戦名は、『翼の閃き』。
『大地の竜』と『千の陽炎』が衝突する9月1日の正午12:00に、五本の塩の杭を破壊し、そして開戦と同時に空中要塞へとⅦ組が乗り込み、リィンと灰の騎神が最終相克に勝つ。
そして、この次元において『巨イナル一』が完全に再錬成されるその前に、相克によって己と一つになってしまう黒のイシュメルガの思念体をリィンがその意志をもって自らと切り離し、聖獣の加護を受けたクロウ先輩とミリアムの力を依代に『檻』に閉じ込め、『巨イナル一』とは別の形としてこの次元にイシュメルガを顕現させて滅する事で、帝国を蝕んで来た呪いとの決着を付ける。
ジョルジュ先輩はこの一連の流れを見越して、そしてそれを成すために、今まで地精として活動を続けて来たと語った。
そのために一年以上前に聖獣であるツァイトさんを探し出して接触し、黒キ星杯での俺達の作戦が失敗した時の保険として、聖獣の加護をロゼさんのそれとは別の形に誘導して貰うように仕込んでいたようだ。
つまり、黒キ星杯に満ちた、同時に全ての相克を行えるほどの膨大な霊力によって、クロウ先輩の崩れかけていた魂が補完されるように。また、相克が終われば概念武装として消えてしまうはずだったミリアムの終末の剣を、莫大な量のゼムリアストーンの『楔』を媒体とすることで実体としてこの次元に顕現できるように。
黒キ星杯で魔女であるロゼさんとヴィータさんが示した作戦を土台として、そしてそれを地精であるジョルジュ部長が補完したこの作戦だけが、イシュメルガと戦争をまとめてどうにか出来る唯一の手段だろう。
それでもこの作戦の成功率は、限りなくゼロに近い。
塩の杭を破壊することも難しいし、大前提であるオズボーン宰相が駆る圧倒的な力を持つ黒の騎神、それも空中要塞に集まる霊力を受けて強化されたそれに勝利して相克を終わらせる事は、より困難を極める。
さらにその後、リィンがドライケルス帝をも苦しめ続けたイシュメルガの悪意に打ち勝つ事が大前提なのだから。
だけどきっと、どうにかなるだろう。
リベールとクロスベルの英雄たちや、多くの協力者、そして先輩たちとⅦ組の皆がいるのだ。
皆なら、そしてあのリィンなら、どうにかしてくれると信じることが出来る。
呪いに侵された俺は、最終決戦を手伝うことが出来ない。切り札であるリィンに悪影響を及ぼす可能性がある俺という不安要素は、作戦から徹底的に排除しなければならない。
だから俺がやることは、俺に出来ることは、今までと変わらない。
開戦までの間、そして開戦後も、呪いと戦い続け、少しでも多くの人が理不尽に闘争を強いられるのを止める。
状況がここまで来てしまえば、そして一度でも戦争が始まってしまえば、例え個人が正気を取り戻しても、その人が自らの意思で武器を置くことはもう無理だろう。
だが、自分の意思でもない闘争で、無為にその命を散らせるような真似は見過ごすことは出来ない。
せめて、自分の意思で戦って、その上で死ぬのが人としてあるべき姿だろう。
それに例え生き残っても、何の覚悟もないまま戦場で人の命を奪ってしまえば、正気に戻った後にその事で苦しむ事になる。
あの内戦では、自らの意思で軍人となって戦っていた人だって、後悔をしていたのだから。
だからそんな人達を、少しでも減らす。
それが俺がやるべき事だ。
しかしそれが、どう考えても焼け石に水というレベルにもならない抵抗でしかないと、自分でも分かっているから、
「トワ教官、戻って来て頂けませんか? 『翼の閃き』を実行するにあたって、戦争が激化したタイミングでの相克を望む地精や結社が、こちらを妨害して来るであろう事は当然予想されます。教官の独自の情報網や情報処理能力、それに作戦立案能力や指揮能力は、杭と要塞へ突入する六部隊と、地上で陽動を担当する協力者達の緻密な連携が求められるこの作戦の成功確率を上げるためには、絶対に必要です。お言葉ですが状況がここまで来てしまえば、いくら彼が呪いに対するジョーカーであったとしても、もう彼に協力する事は意味を成さないはずです」
作戦会議中に発せられた、そんな次期カイエン公の最もな意見に俺も真っ先に賛成した。
『翼の閃き』の立案者の一人でもあるトワ先輩に、カレイジャスと合流するように提案すれば、しかし当の本人である先輩自身から否定された。
「ごめんね、ミュゼちゃん。私もこの飛行艇から遠隔で作戦の補助はするつもりだけど、作戦に合流は出来ない。それにね、私が協力してるんじゃくて、私が協力してもらってるんだよ」
そう次期カイエン公と俺の言葉を否定した先輩に、オリビエさんが「何か考えがあるようだね? 僕たちと同じ道ではないが、おそらくトワ君の考える道であれば相反するような道でもないだろう。よければ聞かせてくれないかな? 僕も、もう一つの希望への協力は惜しまないつもりだよ」と、続きを促した。
そしてトワ先輩は、最近何時も見せるような辛そうな笑顔で答えた。
「『翼の閃き』の開始時刻を、二時間前倒しにして頂きたいんです。世界大戦が始まる前に『光まとう翼』のみんなの作戦を完了させて、世界大戦を始めさせない。それが私の提案になります」
誰もが何も言えなくなる中、最も早くトワ先輩の考えを理解したカシウス中将が先輩にその意図を尋ねた。
「トワ・ハーシェル君。最終相克を成すのに必要なエネルギーは、戦争という名の闘争でしか生まれ得ないという話だったね。それを理解した上での発言と捉えていいのかね?」
妙な話だが、『翼の閃き』によって戦争を止めるには、一度戦争を始めて世界を闘争で満たす必要がある。
それ故の中将の問いかけに、トワ先輩は「はい」と答えた。
「『千の陽炎』が帝国軍を迎え撃つ前に、私達が『大地の竜』と戦います。その戦いをもって、相克を成せる闘争としてみせます」
トワ先輩のその案は、実現不可能と断言できる考えだった。
百万を越える軍隊と戦える戦力など、『千の陽炎』をおいて他に存在しない。
誰もがその事実を知っているからこそ何も発言できなくなってしまった中、すぐに発言できたのは、元よりそのつもりだった俺だけだった。
だから「先輩が言った事が実現可能かどうかは置いておいて」と前置きをして、皆に自分の考えを告げた。
俺はもう、開戦前からタングラム要塞を襲撃すると決めている。だから俺がやることは変わらないし、もしもそれで相克を成せる熱を確保できるなら、作戦の実行を早めて欲しい。
そう伝えると、数秒の後、クロウ先輩が大きな溜息と共に苦笑を漏らした。ジョルジュ部長やアンセリカ先輩、フィーを始めとしたⅦ組の皆にも笑われた。解せない。
「もういい加減驚きもしねえが、ほんっとうにお前はブレねえな。これだから頭が残念な困ったちゃんは……と言いたい所だが、トワ、そこら辺も含めて何か考えがあるんだな?」
「うん。百万を越える帝国軍の全員が呪いに侵されちゃってるわけじゃない。中には呪いと戦ってる人達だっているって、この一ヶ月でそれがわかったんだ。だからその人達や、この状況をどうにかしたいと思ってくれてる人達と協力して、どうにかするつもりだよ」
俺は知らなかったが、トワ先輩はこの一月で、帝国軍の中にも味方を作っていたようだ。
だから簡単に言い換えれば、トワ先輩の作戦とは、大規模な仲間割れを起こす事だった。
先輩が味方に付けられた人数など、百万を越える帝国軍全体の一分、一万人にも満たない。
だがそれでも、統率されているはずの軍隊において、内部分裂はそれなりに有効で衝撃だ。
だからこそ将軍たちも、そして次期カイエン公も、その可能性をすぐには全否定しなかった。
そこに、Ⅶ組の面々が互いに頷き合い、そして代表してリィンが全体に自らの意見を語った。
「トールズ士官学院Ⅶ組は、二人の作戦を支持します。突撃に関しても、開戦前の同士討ちで混乱している不意を付く事自体は理に叶っていますし、一度要塞に乗り込みさえしてしまえば、最悪は開戦によって相克の準備が整うのを待つこともできる。俺達に大きなデメリットはありませんし、もしも戦争を帝国内で留める事が出来るなら、それは願ってもないことです」
全ての鍵を握っているリィン自身の、その言葉が決定的だった。
オリビエさんやオーレリア将軍も賛同してくれたお陰で、最終的には無事に満場一致で『翼の閃き』とトワ先輩の作戦が、明後日の10:00から開始されることになった。
そして会議の最後に、オリビエさんの提案で明日の夕方から最後の休息を兼ねた決起集会が、クロスベルのミシュラムで行われる事になった。ミシュラムのテーマパークを貸し切って、魔女と教会の術を駆使して結界を張り、最終決戦に向けて安心して休める環境を整えるという徹底ぶりのようだ。
俺と先輩も、明日はミシュラムで休憩して、迎える決戦当日、その足ですぐ近くのタングラム要塞に攻め込む予定だ。
作戦会議が終わった頃には、既に日付が変わる寸前になっていた。
その後はトワ先輩と軽く明日の事を話して、俺は明日は夕方まではクロスベルで飛行艇の整備や装備の補給をすることになった。
今日の戦いでも大きな傷を負ってしまったため、その傷を癒やす目的もある。
一方でトワ先輩は、先程話した作戦を決行するために、関係各所と最終調整に入るという。
俺も手伝おうかとも思ったが「ううん、大丈夫。先ずはしっかりと傷を治す事に専念してね。本番は明後日なんだから」と少し怒られてしまったため、先ずは明後日を万全の状態で迎えることに注力しようと思う。
======================================
========= 七耀暦1206年8月31日 =========
明日には世界大戦が始まってしまうとは、そしてその戦争と元凶である至宝の呪いをどうにかするための作戦が始まってしまうとは、少し信じられない。
夜になっても、正直あまり実感が湧かない。
今朝、想定通り、空中要塞と塩の杭が出現した。状況は相変わらず絶望的だ。
だが、ミシュラムを照らす色とりどりの光と、エルム湖に浮かべられたいくつもの灯籠を温かな灯りを見ていると、実は世界は平和なのではないかと、そんなことを考えてしまう。
今頃は皆、食事の真っ最中だろうか。
リィンに近づく訳には行かない俺は、エルム湖の中心付近に停泊した飛行艇で留守番をしている。
しかしオリビエさんが気遣ってくれて、こちらにもわざわざ豪勢な食事を届けてくれたため、俺も存分に満喫させて頂いた。
装備の整備も補充も、すでに今日の昼にナインヴァリで完璧に終えているため、正直に言うと暇だ。
日記に書くこともそんなにないので、明日に残らない程度に軽く型の鍛錬だけでもやっておこうと思う。
追記。
何だか、色々と情報量が多すぎて疲れた。まだ酔っているのかも知れない。
頭を整理するためにも、先ずはあったことを書き下そうと思う。
鍛錬をしていると、先輩たちがオルディーネさんに乗って、大量の酒瓶を持って飛行艇にやって来てくれた。
俺の様子を見に来てくれたのと、ジョルジュ部長の用事を済ませることが目的だった。
ジョルジュ部長の用事は聖獣の加護に関する事で、再会するなりいきなりクロウ先輩と握手をしろと命じられた。
「大地の聖獣から呪いを引き剥がすには、どうしても一度完全に死んでもらう必要があったんだ。ずっと僕たちを見守ってくれていた聖獣には申し訳ないけど、あのままずっと呪いで苦しませ続ける訳にも行かなかったからね。で、あの時に呪いと共に飛び散った大地の聖獣の力の残滓は、今、これで完全にクロウの元に集まったはずだ。明日の作戦の要になる力だから、間に合ってよかったよ」
今日まで呪いと同時に、俺は大地の聖獣の力も自身の中に集めてきていたようだ。
そういう意図があるのなら早めに言って欲しかったと言えば、部長から「ごめんごめん。説明するまでもなく、呪いと戦ってくれていたようだから、今更だと思ってね」と謝罪された。
「しっかし、なんつーか加護の譲渡ってのも呆気ないもんだな。こんな事ならあっちでもう少しカワイコちゃんを引っ掛けてから来るんだったぜ」
その後甲板で五人で酒を飲んでいると、一瞬で終わってしまった聖獣の力の譲渡に、クロウ先輩がそんな軽口を叩いていた。ヴィータさんという奥さんがいるのだから、流石にその発言はどうなのかと指摘すれば、「え?」「は?」「ん?」と、トワ先輩、アンセリカ先輩、ジョルジュ部長の声が重なった。
「ちょっ、バカ、お前っ……!」
と焦るクロウ先輩は、今の今まで結婚の事を報告していなかったらしい。
確かに星杯以降はヴィータさんと行動を共にしていなかったとは言え、それはどうなんだ。
「さあさあ、死んだふりをしてしっかりと幸せになってしまっているクロウ・クロチルダ君。ここは人生の先輩として、次は君の美しくもミステリアスな奥方の人には言えないあられもない真の姿について、微に入り細を穿つ説明をしてもらおうじゃないか。写真などあればなお良いが。いや、一枚くらいあるだろう? ほらほら、出したまえ」
「ちょ……ゼリカさん、まじでもう無理……やめて……」
当然の報いと言うべきか、主にアンセリカ先輩にひたすら酒を飲まされ続け、洗いざらい今までの事を吐かされたクロウ先輩は流石に疲れたようで、げっそりしていた。
決戦前にアルコールを摂取しすぎるのはどうかと思ったが「オリヴァルト殿下から、飲めばそれだけでアルコールが全部飛ぶ薬をもらってるから大丈夫だよっ! 意識を失っても飲み込ませさえすれば大丈夫らしいから安心だねっ!」と、さらっと恐ろしいことを言うトワ先輩に何も言い返せず、無限に注がれる酒に苦しむクロウ先輩は放置することにした。
しばらくされるがままになっていたクロウ先輩も、しかし遂には我慢の限界を越えたらしく、アンゼリカ先輩とジョルジュ部長に対して呂律が回ってない状態で反撃に出ていた。
「さっきから黙って聞いてりゃあ、好き勝手やって何となくおめでたくなってるお前らだって似たようなもんだろうが! え? そこんとこはどうなんだよ、ゲオルグ君にロスヴァイセさんよお!?」と煽るクロウ先輩に、しかしアンゼリカ先輩は涼しそうな顔をしてさらりと返していた。
「ふふふ、まあ私も驚いたが、そういうことさ。各国の首脳達の前でプロポーズされたようなものだからねえ、秘密にしていた訳ではないさ。だろう、婚約者君?」
「アン、やめなさい。ていうか、やめて下さい。本当にそれは……うん……やめて下さい」
しかしジョルジュ部長はそうも行かなかったらしく、死んだような青ざめた真顔で「もうやめて」と繰り返していた。
「まったく、多少は反省したようだね。本当に君たち男ときたら、いつもいつも勝手なことばかり。テロやら死んだふりやら戦争やら地精やら、どれだけ心配をかければ気が済むのやら。聞いてるのかい!? 三人共!!」
アンゼリカ先輩もかなり酔いが回っているらしく、何故か最終的には俺まで巻き込まれてそう怒られ始めたが、
「それについては同感だけど……アンちゃんも人のこと言えないからね? ジョルジュ君のことだって私に一言くらい相談してくれてもよかったはずだよね?」
と、最後には全員揃って恐ろしい笑顔を浮かべるトワ先輩から説教された。
その後は先輩も酔っ払っていたのか、何故かトールズの卒業生として恥ずかしくないようにと、教官が生徒に対して行うような説教へと移って行った。
何も言い返せずに素直に頷くアンゼリカ先輩とジョルジュ部長とは違い、中退組の俺とクロウ先輩が俺達には当てはまらないと返せば、「ふっふっふ、甘いよ二人共。トールズの規定だと中退でも再入学して不足単位を再取得することも可能だから! 何だったら第Ⅱで私やリィン君が教えるのもいいんじゃないかな?」と、とんでもない事まで言われた。
一瞬だけそれもいいかも知れないと考えたが、夫婦になるかもしれないリィンと先輩の教え子として学生生活を送るのは流石に嫌だと反論した所、またしても「え?」「は?」「ん?」「あ?」と、先輩たちの声が重なった。
そして何故か俺とトワ先輩を残し、三人の先輩達は隅に集まって相談を始めた。
一方でトワ先輩は、「え? え? 夫婦って、私とリィン君が!? え、な、何でそんな話になってるの……!?」と、ひたすら混乱していた。
先日ご両親への挨拶を済ませて、祝福されたと言っていたからだと返せば、
「ち、違うよ!? あれは叔母さんが冗談でそんなことを言ってたって話で、しかも挨拶って言っても、同僚としてだし新Ⅶ組の子たちも一緒だったんだよ!?」
と否定された。
完全に俺の勘違いだったようだ。
色々と混乱して何も言葉を発せないでいると、「ちょっとこっちに来たまえ、我が愛しの弟子よ」とアンゼリカ先輩に襟首を掴まれて甲板の端に連れて行かれた。
入れ替わるようにニヤニヤとしたクロウ先輩がトワ先輩の元に向かい、ジョルジュ部長は頭を押さえて「下世話過ぎるとは思うけど、こうするしかないと思ってしまう自分が悲しい」と呟いていた。
アンゼリカ先輩は先ずはこれを飲めと言って、度数が高い酒を俺に無理やり飲ませてきた。
そして自分もそれを飲み干して「何であれだけ飲んで顔色一つ変わっていないんだい?」といきなり八つ当たりから始められた。酒臭い上にとても面倒くさかった。
そして更に、「で、君がトワのことを好き過ぎて拗らせているのは最早周知の事実だから、それはどうでもいいとして」と、喧嘩を売られた。何故それが周知の事実なんだ。本当に解せない。クロウ先輩のせいか。許せない。
散々俺に好き放題言ったアンゼリカ先輩はニヤニヤしながら、ようやく「本題だが、君、トワからどう思われれていると考えている?」と聞いてきた。
その時は意図が分からなかったが、後輩、もしくは弟として見られていると答えた。
学生時代にも、事故ではあるが告白を断られた時もそうだったし、最近もよく「お姉さんとして」と言われるしと補足すれば、「え……告白とか初耳なんだが……って、もしや送別会の後の……あ、あれ……えっと……もしかして私、また何かやっちゃいました……? ……何と言うか……正直すまなかった」と、ニヤニヤした笑みを消して唐突に真顔で謝罪された。
その後気持ち悪いほど下手に出るアンゼリカ先輩に酒を注がれていると、戻って来たクロウ先輩が開口一番に「大事な弟だと思ってるってよ。で、そっちはどうだった?」とアンゼリカ先輩に問う。そしてアンゼリカ先輩は「だいたい全部トワが悪そうだね」と少し目を逸しながらそう言った。
ジョルジュ部長が「さっき、やっちゃったって言ったのは何のことだい?」と問い詰めると「昔、私の送別会の時の事をトワに相談されて、『トワにとって彼は、きっと弟のような存在なのだろう。彼もトワの事を姉として、先輩として好きなのだろうさ。無理に関係を崩せば、後悔することになるかもしれないよ。だから彼の下になど行かず、私の下においで』と、そう優しく口説いもとい、アドバイスした記憶がかすかに残っている。その……本気にするとは思ってなくて……ついカッとなってやった、でも今は反省している」と、アンゼリカ先輩はそう答えた。
ジョルジュ部長はそんなアンゼリカ先輩の頭を無言ではたいていた。クロウ先輩は「お前、ほんと浮気とか気をつけろよ。刺されても知らねえぞ。男に」と溜息を吐いていた。俺は色々とついて行けなかった。
その後「ったく、仕方ねえな。いい酒の肴じゃくて可愛い後輩と同級生のためにお兄さんが一肌脱いてやるとするか」と、悪酔いしたクロウ先輩に連れられて、四人でトワ先輩が待つテーブルへと戻った。
何をするつもりかと警戒していると、先輩は、
「あー、お前、さっきのトワの話じゃねえけど、この戦いが終わったらどうするつもりなんだ?」
と、唐突にそんなことを聞いてきた。
正直意味が分からなかったが、質問には素直に答えた。
この先の事を真面目に考える余裕は今までなかった。だが、いくつかぼんやりと考えていた事もある。
このまま、隠れ里でロゼさんを手伝うのもいいかも知れない。
今はそれどころでないため詳細は聞いていないが、至宝と結社、そしてゼムリア大陸を巡る騒動は、今回の事件で終わりという訳でもないらしい。ロゼさんには色々と返しきれない恩もあるし、本人もどこまで本気か分からないが「妾はまだペットを諦めておらんからの!」と、隠れ里で引き続きお世話になることには前向きのようだし。
ナインヴァリで働くのも一つだろう。
ジンゴからは「サボってばっかだから、ケルベロスの方がもう上司になっちまったかんなー。給料がマイナスに行く前に早く戻って来いなー、番犬」と、誘われているのか脅されているのか分からない状態だが、この事態が終わった後に荒れるであろう帝国の表と裏両方の情報を得るには、ナインヴァリに身を寄せるのが最も適しているだろう。
遊撃士を目指すのも、一つだろう。
内戦集結の際に、一応は準遊撃士となっていたこともある。
最近フィーから聞いた話だが、俺の準遊撃士としての指導教官はアネラスさんという事になっているらしい。本人もまだ今でも歓迎してくれているようだし、フィーやサラ教官、アガットさんやトヴァルさん達の同僚になると考えれば、それはそれで楽しそうだし、この先の騒動にも自然と協力できる。
そうクロウ先輩に答えれば、
「選り取りみどりじゃねえか。そう言えば、シャロンさんもお前に合いたがってだぜ? 八葉の姉ちゃんは流石にいねえが、それ以外のメンバーは幸いな事にミシュラムに揃ってるんだ。今夜決めちまえば、決戦の前に今後とも生涯に渡ってお世話になりますって伝えるために、優しいお兄さんがここに連れてきてやるよ。俺としては婆様と仲良くしてもらえるとありがてえがな。ペットなんて言ってるが、結構お前のこと気に入ってるしよ」
と笑われた。ジョルジュ部長も「ほぼ人間扱いされてないのはアレだけど……何というか、それだけアクが強い人に好かれてるのは、素直に尊敬するな」と苦笑していた。
「ふふふ、それじゃあ明日でトワとのコンビは解散ということか。義理とは言え本当の姉もいるようだし、トワもそろそろ弟離れしないとダメなんじゃないかい? それにしてもクロウも結婚して、私とジョルジュも婚約中だ。次はトワかとも思っていたが、この様子なら先を越されてしまうかもしれないね」
そしてアンゼリカ先輩がトワ先輩にそう笑いかければ、先輩も唐突に飛んだ話に「え? あ……う、うん。あ、あははは……そ、そうだね……」と、少し驚きながらも同意していた。
何だろう。何でもかんでも結婚に結びつけるのは、自分たちが新婚気分で浮かれているからなのだろうか。クロウ先輩なんて、もう一年以上経つだろうに。
そんなことを考えていると、
「ま、何にせよ先ずはⅦ組の連中や婆様達、それにアッシュや皇子達と軽くでもいいから話しとけよ。時間になったら連絡するってお前に伝えてくれって頼まれててよ。さっきの話はその後でも十分間に合うだろ。俺もそろそろヴィータを待たせてるから、退散させてもらうとするぜ」
クロウ先輩のそんな言葉で、先輩たちとの酒の席はお開きとなった。
トワ先輩もアンゼリカ先輩に「トワ、私ともう一度向こうで落ち着いて飲もうじゃないか。色々と積もり積もった話もありそうだしね」と強引に連れられてミシュラムに戻って行ったため、その後は順次連絡をしてくれた皆と、少しだけ会話をした。
皆と最後に落ち着いて話したのは、もう何時のことだったか分からないほど昔だったから、懐かしかった。
そして、皆と話しているうちに、いい意味で明日の決戦に向けて気合が入った。
もう一度、今度は直接皆と顔を合わせて、そして一緒に酒を囲んで今までの事を笑いながら話すためにも、明日は頑張ろうと思う。
あまり変わったようには思えないが、オリビエさんが用意してくれたという酔い覚ましの薬も飲んだ。
少し早いが、シャワーを浴びて明日に備えて氣を練り終えれば、今日はもう寝よう。
さらに追記。
明日、絶対に生きてこの騒動を終わらせないといけない理由が出来た。
そして、例えどれだけ絶望的な戦いになろうと、もう死ぬ気がしない。
この幸せを、そしてこの幸せの前提である帝国と世界を、そして何よりトワさんを、何としてでも守りきってみせる。
======================================
次回がエンディング、その次が最終話となります。
誤字脱字報告をして下さった皆様、ありがとうございました。
あと二話で終了となりますので、ここまで読んで下さった皆様、引き続き最後までよろしくお願い致します。