「途中からしか聞いていないが、機甲兵小隊に勝てる程の高みに至るには並大抵の努力ではなかったんだな。やはり、僕もまだ鍛錬が足りないか」
「バカ言うなよ。化け物女も言ってたように対機甲兵戦は例外だろ。実際、あの女だって機甲兵に乗った状態だとあいつに追い詰められて、その後『機甲兵など所詮この程度か』なんて人間辞めた事言ってノリノリで生身のままズタボロにしてただろ」
眉間に皺を寄せて唸るクルト・ヴァンダールに、呆れたように笑うアッシュ・カーバイド。
二人の話題はつい先日行われた機甲兵教練についてだった。授業内容は、オーレリア・ルグィン分校長に外部講師として招かれた件の狂犬を混じえた教官陣と、機甲兵小隊の模擬戦。
大半の生徒の予想を裏切り、彼はあろうことか生身で小隊と、そしてその後に分校長が駆る機甲兵を相手取り見事に勝利を収めて見せた。
「敵は何も同じ機甲兵や戦車、戦闘用飛行艇、大型魔獣ばかりとは限らない。諸君らも今まさに経験したように、世の中には対機甲兵戦に特化した存在もいる。この私が操る機甲兵であっても打ち勝つ程のな。そのような敵を相手取る際は、先程のように白兵戦の方が良い場合もある。と言うわけで、今日は特別メニューだ。私達とシュバルツァーが生身で諸君らの相手を務める。機甲兵だけで戦うも良し、白兵戦のみで戦うも良し、混成で編成するも良し。諸君らが最適と考える戦術で、遠慮せずにかかって来るが良い」
というのがオーレリア分校長の言い分であったが、余りにも例外的過ぎるシチュエーションに生徒どころか、さらりと巻き込まれたリィンまで「え、俺も生身ですか?」と素で驚いていた。とは言え、機甲兵と歩兵による連携に関しては、戦術的な発展の余地がまだ多く残されている事自体は確かであったが。
「ミュゼ、出来れば特任教官の鍛錬についてもっと詳細を語ってくれないか? 今後の参考にしたい」
「えー、私はトワ教官との出会いがいいな。クルト君のは本人に聞けばいいじゃない」
「同感です。あの人、最近だと毎週三回は分校長と戦闘訓練をしてるんですから」
「いや、以前に聞いたんだが『毎日訓練した』としか言ってくれなくて……」
クルト、ユウナ、アルティナの三人が好き勝手な注文をしている傍らでは、
「狂犬さんは、アッシュさんのお兄さんなんですよね?」
「義理でも何でもねえけどな。エセふわの話でも後で出てくるだろうが、内戦の時にちっとだけ世話んなってそっから勝手にそう呼んでんだよ。何だよ、文句でもあんのか?」
「い、いえ、違いますよ。私もエステルお姉ちゃんやヨシュアお兄ちゃんがそうだし……それにヨシュアお兄ちゃんも、アッシュさんのお兄さんなんですよね? そう考えると、何だかちょっと嬉しくって」
「……まあ、そうだな」
と、ティータとアッシュが端から見ると微笑ましい会話を繰り広げていた。
一気に騒がしくなってしまった食堂で、ミュゼは「皆さんのご要望は大まかには満たせると思うので、ご安心下さい」と苦笑しながら、続きを語り始めた。
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「期待を裏切るようで悪いが、トワとの出会いを語るなら私よりもサラ教官が適任なんだがね。何せ二人を引き合わせたのは、教官なのだから。つまりは私にとっての悲劇の始まりも、サラ教官のせいだったと言う訳さ」
と、ミュゼの提案にやれやれと肩を竦めるアンゼリカに、サラは「とんでもない言い掛かりは辞めなさいよ」と溜息を吐きながら、事の経緯を語ってくれた。
彼と当時の生徒会長であったトワ・ハーシェルの出会いは、四月中旬の自由行動日の前日。
事の始まりは、鍛錬のために多くの時間を魔獣討伐に当てていた彼の行動に、生徒会の仕事という付加価値を持たせようというサラの思いつきであったという。
当時の生徒会はトワが頑張りすぎたせいで、学院内に限らずトリスタの街のちょっとした困り事の相談から住民同士のトラブルの仲裁、挙句の果には魔獣討伐までありとあらゆる依頼が寄せられ、言ってしまえば縮小版の遊撃士協会染みた事になっていた。遊撃士協会が閉鎖されていた事もありその需要も高く、つまりは常に慢性的な人手不足だったのだ。
「あの子が入学前に、同じ理由で需要があった辺境で遊撃士の真似事をして旅して来てたってのは本人から聞いてたから、丁度良かったのよ。魔獣討伐なんかはトワと仕事の交換で私が請け負ってたけど、あの子が代わりにやってくれるようになったお陰でかなり楽させてもらったわ。苦手な書類仕事はトワが、面倒な魔獣討伐はあいつが、私は空いた時間でビールで乾杯。我ながらみんなが幸せになれる素晴らしいアイデアだったわ」
サラは自慢気にそうやって最低な発言をしていたが、ミュゼは事前調査でその辺りの事情は把握していた。
命の危険がある魔獣討伐をカリキュラムの外で生徒単独で実施させる事は、自由な校風の当時のトールズ本校でも許されはしない。それ故にサラは、生徒に任せても問題ないと断言できるまで、依頼を念入りに調査して厳選していた。
当然、自分で討伐をしてしまった方が手軽で簡単だったはずだ。
自身の教官であるリィンやトワは、確かにサラの背中を見て育ったのだろうと、ミュゼは素直にそう感じていた。
余談ではあるが、ミュゼは現状においてサラ・バレスタインこそが、今後の人生における最大の宿敵になる可能性が高い人物と目している。
《指し手》と称される己の才覚と異能を以てしても判然とせず、最近では実は本当に何も考えていないのではないかとも思っていた事案。
つまりはあの鈍感朴念仁リィン・シュバルツァーが、先日彼とクロウ、つまり旧Ⅶ組における既婚者に質問しているのを、偶然聞いてしまったのだ。
「なあ、二人共。やっぱり姉女房というのは良いものなのか?」
と。
色々な意味で衝撃だった。主にあのリィンが、女性関係について何かを考えていそうという事実そのものが。
そして、今現在リィンを中心とした一見複雑怪奇に見えるがその実驚くべきほどシンプルな一方的な多対一の恋愛相関図において、年上筆頭は間違いなくサラなのである。
故に現状における最要注意人物を警戒しつつ、ミュゼは「リィン教官もトワ教官も、やはりサラさんの教え子なんですね」と笑顔で牽制だけしておいた。
「いきなり何を言ってるんだか……。まあ、特に劇的な物語があるわけでもなく、猫の手も借りたい程忙しかった生徒会に、色々な意味で持て余されていた野犬を放り込む形で二人は出会ったってわけ。何やかんやで結構早くから仲良くやってたみたいだけど、そこはアンゼリカの方が詳しいでしょうね」
そう締め括ったサラに、こちらの事情を色々と察している様子のアンゼリカは楽しげに笑いながら、続けて当時の二人の様子を教えてくれた。
「教官の言う通り、彼もトワにはあっという間に懐いていたね。生徒会の範疇を越えて何時だって必死に、困っている誰かのために何かをしてあげたいと頑張っていたトワを、純粋に尊敬していると言っていたかな。トワもトワで、早くから随分と彼を良い後輩として気に入っていたよ。私やクロウが色々と話をしていたから噂通りの野良犬ではないと知っていたし、何より、彼は放置しておくとひたすら訓練だけし続ける少し頭が弱い残念な犬のような男だが、知っての通り危険な手配魔獣を放置することも困っている人を見過ごすことも出来ない、根は真面目なただのお人好しだ。生徒会の手伝いなんてあからさまな雑用にも嫌な顔一つせず、頼まれた仕事はきちんと必要以上にこなしていたからね」
アンゼリカ曰く、同時期に同じようにリィンも生徒会の手伝いでトリスタ中を駆け回っていたが、トワがより後輩として気にかけていたのは彼の方であったと言う。
当時から手のかからない優秀な生徒であったリィンの事は当然頼りにしていたようだが、トワの性格上、色々と残念で危なかっしい世話の焼き甲斐のある野良犬の方が気にかかって仕方がなかったようだ。
数日に一回は深夜の学校で気絶するような生活を送っていた彼を気にかけて、消耗具合を見ては倒れる前に迎えに行って一緒に帰る。
生傷が絶えずよく血塗れになっていた彼が倒れないように、保険医のベアトリクス教官が不在の深夜や休日には手当てをする。
平日の外出時には着用が義務付けられているが故に訓練と実戦で破れて血が滲んだ制服を、綺麗に繕う。
無茶な訓練をしているくせに夕食は携帯食だけで済ませていた彼を心配して、依頼のための必要経費と称して学生会館で夕食を振る舞う。
そのように甲斐甲斐しく世話をしていたようで、色々な意味で破綻していた彼の生活レベルは、トワと出会ってからかなりマシになったという。
一方で彼の方もトワには随分と懐いており、トワの負担を減らすために時には似合わない書類処理なども買って出ていたようだ。
そしてまた意外な事に、デスクワークで消耗したトワに東方のお茶を振る舞い気遣っていたなど、俄には信じ難いエピソードまで語られた。
彼が日記に書いていなかったのかトワの検閲に引っ掛かったのかは定かでないが、思っていた以上に早い内からあの二人は随分と仲が良かったようだ。
「ちなみに何時からだったか細かな時期は忘れてしまったが、週に三日の訓練の後は、私とクロウとジョルジュも合流して皆で学生会館で夕食を共にするのが恒例になって行ったかな。後はそうだね、トワはテスト前には勉強を見てあげたりもしていたよ。私とクロウは武術、ジョルジュは導力器関連の師匠をやっていたから、私達三人ばかりずるいと言って拗ねてしまってね。随分と張り切って、半分は実際にテストままの模試まで作っていた。いやー、対象が彼というのは実に気に食わなかったが、ヤキモチを焼くトワは可愛かった。ふふふふ……うん、あれは本当によかった。聞いてくれたまえ、こう、少しムッとした顔をするんだ。それが本当に可愛らしくて愛おしくてね。天使だった。おっと、多少の脱線くらいは許して欲しいものだね。私としてはむさ苦しい男の話をし続けるのは拷問のようなものなのだから。まあ、一旦はこれくらいにしておこうか。大まかにだが、四月の後半から六月にかけての、トワと彼の様子は今話したような感じかな。ああ、先に言っておくと、もうこの時期になると噂と残念な実体が乖離しすぎていて、気にも止めなくなっていたからね。ミュゼ君が聞きたがっていた彼の周囲からの評価という点は、私からは話せそうにないね」
アンゼリカは「折角の機会だ。私もトワと彼の関係が周囲にどう映っていたかは、少しばかり興味があるかな。ふふふ、次回の集まり用の面白いネタが出来そうじゃないか」と笑い、旧Ⅶ組の三人を見た。
視線を向けられたアリサとユーシスは、そっと目を逸した。
そんな二人の様子にガイウスが仕方がないとばかりに小さく苦笑しながら溜息を吐き「これは俺が当時所属していた美術部で聞いた噂だが」と語ってくれた。
「生徒会長が脅迫されているらしい、というのが一番多い噂だったな」
「……」
ミュゼは笑い出しそうになるのを必死に我慢したが、アリサとユーシス、そしてサラは、我慢できなかったようで盛大に吹き出していた。アンゼリカは流石に想定外だったのか、溜息を吐いていた。
「深夜に呼び出され、金品を巻き上げられている。人が少ない食堂で、無理やり食事を奢らされている。学院生最強ペアに一方的にやられている報復に、二人の友人である生徒会長を脅している」
ガイウスが言葉を発する度に、机に突っ伏したアリサと顔を背け口元を手で隠したユーシスが震え、サラは大笑いしながら机をバンバン叩いていた。
「俺が聞いた噂はそのようなものが大半だったな。先程話にあがったように先輩方四人と良く一緒にいるようになってからは、流石にそのような噂は聞こえなくなったはずだ。悪意と言うよりかは冗談半分で誰かが流した噂のようだったが、中には本気にする者もいたらしい。もっともその大半は一年で、二年にもなると会長の事をよく知っていたこともあって、真面目に取り合っていなかったようだが」
笑うべき所なのか呆れるべき所なのか少しばかり悩んだが、まあ前者なのだろう。
ようやく笑いが治まった様子のアリサが「Ⅶ組も流石に信じなかったわ」と補足する。
「アンゼリカ先輩たち程仲が良かったわけじゃないけど、同じ授業を受けて同じ寮で生活……は、ほぼしてないけど……とにかく、その頃には悪い奴ではないって事くらいは理解していたわ。会長との噂が流れる前に、ただの危ない奴じゃなくて、あれでも意外と考えてるって事も、結構頼りになる所もあるってわかってたしね。四月の後半に特別実習でケルディックに行って、詳細は割愛するけど、そこでちょっとした事件に巻き込まれた時、あいつの機転のお陰で面倒事にならずに済んだのよ」
旧Ⅶ組の初めての特別実習では、当時の領邦軍が黒幕であった事件に巻き込まれ、実行犯を突き止め真実を解き明かした旧Ⅶ組が逆に領邦軍によって犯人に仕立て上げられそうになったらしい。
結局それは鉄道憲兵隊の登場によって事なきを得たとの事だが、彼はその際、淡々とARCUSで実行犯達と黒幕である領邦軍の自供とも取れる音声を記録し続けていた。
その証拠に成り得る音声記録があったお陰で、事件は早期に決着したという。
「犯人を拘束した時なんかはちょっとやり過ぎなんじゃないって思うくらいには容赦なく過激だったけど、今考えればあの時の私の方が認識が甘かったんでしょうね。まあ、そういう事もあったから、ただの凶暴な野蛮人じゃないって知ることができたわ。だから会長との噂を聞いた時、どちらかと言えば真っ先にあいつを手懐けた会長に驚いたくらいよ。リィンがすぐに物凄く良い人だって教えてくれたけど、それまでは逆に危険な人なんじゃないかって思うくらいには会長の事を疑っていたわ。トールズ三大問題児が揃って慕ってるんだから、きっと何かあるに違いないってね」
現状のトワ・ハーシェルの立場を考えると、それはあながち間違いとは言い切れない評価なのが反応に困るところだが、一応の本題はそこではない。
彼の生い立ちを考えると、小悪党への対処を始めとしたそういった事態には慣れていたのだろう。被害者側としても、加害者側としても。
一部の者を除いてそれなり以上の名家で生まれ育った旧Ⅶ組では、その手の程度の低い、しかし世の中には確かに溢れている明確な悪意に対する免疫を持つ者は少なかったはずだ。
彼自身が日記に書いていた事だが、旧Ⅶ組の中でも猟兵出身という異色の経歴を持つフィー・クラウゼルと最も早く親しくなったのは、そういった根本的なスタンスが似ていたのもあるのだろう。
その辺りの事も確認しておきたかったミュゼが「Ⅶ組の皆さんと彼が親しくなったのは、何時頃になるのですか? 日記ではフィーさんと最も早くに仲良くなったと書かれていましたが」と展開した話には、引き続きアリサが答えてくれた。
「ええ、そうね。フィーとは結構早い段階、五月の頭くらいに一緒に旧校舎で実戦訓練するようになって、それからずっと仲が良かったんじゃないかしら。その次に仲良くなったのはラウラだったと思う。ラウラは最初、剣術を絶対に使おうとしないあいつの事を手を抜いているって敬遠してたんだけど、五月の特別実習の時にそれが誤解だって分かって、そこからは良い競争相手って感じだったわ。そう考えると、根本的に鍛錬中心の生活を送っていたから、武術に熱心だった人とは結構仲がよかったのかしら」
「まあ、そうだろうな。実際俺も、宮廷剣術について奴と話すことはあった。もっとも同じ寮に住んでいたとは言え、学院でしかまともに顔を合わせる事がないような相手だ。極稀に授業中に話す程度で、まともに奴と会話するようになったのは六月の実習でノルドに行った後からだろうな」
「俺もユーシスと似たようなものだな。生活リズムが中々合わず、個人的に語り合うことが出来たのはノルドでが初めてだった。そう言えばその時にノルドの文化についての話題になったんだが、お世話になっている先輩方へのお土産にしたいと相談されて、一緒に御守を選んだんだったか」
ふと思い出したようにガイウスがアンゼリカを見れば、アンゼリカはARCUSに括り付けていた飾り紐を取り出して「これのことかい? あの訓練の事しか頭にない男が買ってきた物だからね。トワは当然として、他の二人もまだ持っていると思うよ。お土産なんて買ってくるような気の利いた男ではないから皆して驚いたものだが、なるほど、ガイウス君の計らいだったと言うわけか」と、妙に納得していた。
当時を思い出してか、「へえ、二人でそんな事を話してたのね。そう言えば私も何やかんやでノルドでの実習くらいからかしら、あいつとまともに会話をし始めたのなんて」と少し懐かしそうにアリサも笑っていた。
「まあ、そんな感じで他のメンバーとも徐々に仲良くなっていった、としか言えないわね。あいつに限った事じゃないけど、やっぱり特別実習のタイミングが契機になる事が多かったんじゃないかしら。結構長い間揉めていたユーシスとマキアスだったり、フィーとラウラだったりも特別実習が切っ掛けで仲良くなった訳だし。まあ、あいつの場合は揉めるとか以前に接点が全く無かったのが問題だったんでしょうけど」
新Ⅶ組で自身が経験した事を彷彿とさせる、旧Ⅶ組の当時の微笑ましい思い出話。
温かな気持ちでそれを聞いていたミュゼは、しかし最後にガイウスが教えてくれた内容に少しだけ驚きを覚えた。
「リィンを慕う教え子からしたら意外かもしれないが、そういう意味で言うと、唯一の例外はリィンくらいなのだろうな。単純に機会が無かったために距離があった他のメンバーとは異なり、あの二人はお互いをあえて避けていたからな」
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「えー……何なんだろう、これ。すっごく悔しいんだけど……。あの人ってもっとこう、何ていうか殺伐とした生活を送ってたって思ってたのに、そんな早くからトワ教官と楽しげに学生やってたなんて……。いや、トワ教官と結婚してる時点で普通に考えればそうなんだろうけど……私達よりちゃんとしてるっていうか……」
「はい。不本意ですが、同意です。比較すると私達が不毛な学生生活を送ってると思えて来ます」
最初は目を輝かせていたのに、ユウナとアルティナの目は既に少し曇っていた。
そんな二人に大きく溜息を吐いて、アッシュは後ろに視線をやった。
「今更過ぎんだろ。不毛な青春を送りたくなけりゃあ、さっさと相手を変えって話だ。なあ、シュバルツァー」
「不毛って何を言ってるんだ? それは確かに去年だけで色々な事があったが、アルティナもユウナもそれでも今は十分に充実した学生生活を送っていると思うんだが」
割と最初の段階から後ろで微笑ましそうに話を聞いていた、もう演技なのではないかと思うほど想像通りの反応を返すリィンに、ミュゼも己の目が曇るのを感じる。
アッシュはある意味期待通りの反応だったのだろう、鼻で笑っていた。
「そういう所が不毛って言ってんだよ。あの二人も大概だが、それでもコレに比べりゃあ遥かにマシだな」
「擁護をする気にもなれませんね」
アッシュとクルトに辛辣な視線を向けられたリィンは困ったような表情をしていたが、それよりも多くの人間がリィンに極めて一部の事情で困らされているので、ミュゼもやはり擁護は出来なかった。
「リィン教官。質問があるのですが」
気を取り直したのか、アルティナがリィンを呼ぶ。
そしてきょとんと首を傾げながら、何も気負うことなく純粋に「教官はあの人の事を嫌っていたんですか?」と、そんな質問をした。
アルティナの直球過ぎる問いかけに「いや、別に嫌いとかじゃないんだが……」と苦笑しつつ、リィンは何てことのないように答えてくてた。
「避けていた事は事実だな。だけどそれは単に、当時のトールズ士官学院で唯一俺の事情、隠しておきたかった鬼の力の事なんかを知っている八葉一刀流の弟弟子だったからだ。最初の頃は俺が勝手に老師から八葉の修行を打ち切られたと思い込んでいた事もあって、引け目を感じていた。逆に向こうが修行の打ち切りどころか破門されていたって知ってからは、それはそれで気不味かったしな」
「へえー……教官って色々と達観した所があるから、全然そんな事を考えてそうなイメージがなかったです」
少し苦い当時のリィンの胸の内に、ユウナは「何ていうか、意外です」と驚いていた。
「はは、皆の前では教官らしく在ろうと振る舞っているからな。とは言っても特にこの力の事なんかだと昔からずっと悩みっぱなしだったから、あまり隠しきれていない気はするが」
「少し弱いところを見せてくださるリィン教官も、私は大好きですよ? ふふ、こらからは存分に私に支えさせて下さい」
「それは教師としては素直に喜べないが……だけど、頼りにさせてもらうぞ、ミュゼ」
返された柔らかな笑顔。何も手応えがない事に若干危機感を覚えつつ、ミュゼは「さて」と仕切り直した。
「よろしければ、リィン教官からも補足して頂けませんか? 彼と和解されたのは十月になってからと伺っていますので、その辺りはまた後ほどとして、トワ教官と彼の事について補足などあれば」
「アンゼリカ先輩以上に俺が話せる事なんてなさそうだが、 まあ、そうだな……。俺も生徒会の手伝いをしていたから当時からトワ先輩と話す機会は多かったんだが、やっぱり話題はあいつの事が大半だったな。授業や実習での出来事を話すとわかり易いくらい喜んで聞いてくれたから、俺も話してて楽しかったくらいだ。そういう意味で言うと、あの二人が大喧嘩をしていた一ヶ月間は共通の話題が無くなって、というかその話題を出すとトワ先輩が泣きそうになる程落ち込むから気まずかったな」
「は?」
苦笑するリィンに、アッシュが呆然とした声を上げた。
「喧嘩って、あの二人がか……? いや……、え? マジかよ……」
「喧嘩して仲直りしてより仲が深まったんですね! やっぱり鉄板なんですね!」
呆然とするアッシュと、何故か喜ぶティータ。
「リィン教官、そのお話は少しフライングですよ?」
にっこりと笑いながら「でも、丁度いいですね。六月までのお話も終盤ですので、その辺りも一緒にしてしまいましょう」と、生徒に囲まれて困った顔をするリィンに恩を売りながら、ミュゼはまた頁を捲った。
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話をまとめると、六月終盤までの士官学院全体における彼の評価は、入学当初から何も変わらず狂犬と呼ばれるそれのままだったという事らしい。
しかし後に《五人組》という呼び名が定着する事になるトワ、アンゼリカ、クロウ、ジョルジュや、旧Ⅶ組の面々とは着実に親交を深め、また、学院の外においては良い意味でその存在が受け入れられ始めたのも、同じく六月終盤であったと言う。
「時間の感覚が常時狂ってるような奴だから、危険だったり緊急だったりする依頼への対処速度だけは昔から手放しで褒めるしかなかったわ。だからトリスタの住民の間では、結構感謝されてたし良い意味で評判だったはずよ。トワとジョルジュの買い出しなんかもたまに手伝ってたし、アンゼリカとクロウに連れ回されてた事もあって、そこそこ顔も広かったでしょうしね。ある意味で閉鎖的だった学院内とその外で明確に評価が別れてたのは、まあ当然と言えば当然の結果ってところかしら」
とは言え街でも相変わらず野良犬呼ばわりされていたのは変わらないと、サラはそう笑った。
だがそれは決して悪い意味での呼び名ではなく、街で見かければ依頼のお礼にと食料を与えたり、主にトワを困らせるなよという軽口を叩いたりといった、親しみを込めたものだったらしい。
「アンゼリカ達や、もっと言うとトワと一緒にいる事が多くなったから、ちょっと頭がおかしい事にだけ目を瞑れば普通の子だって広まって行ったのも勿論あるんでしょうけど、ちゃんと本人も少しずつ良い意味で変わって成長してたからこその評価だと思うわ。今思えばって結果論にしかならないけど、その成長は戦闘面にも良い影響を与えていたんじゃないかしら」
ミュゼの今回の目的においては、彼の人となりや言動、行動は勿論として、戦闘能力についても重要な調査項目だ。サラはその辺りの事情を踏まえて、彼の成長について丁寧に語ってくれた。
五月の終わり頃、何時も悲痛な面持ちで鍛錬をする彼の表情が、少しだけ柔らかくなった。
それは丁度、彼が肌身離さず常に大切に持ち歩いていた太刀を捨てた頃だったと言う。
破門されようと戦いに使わなくなろうと、それでも毎日鍛錬を欠かさなかった剣術を、彼は捨てる決意をした。
全てを失った彼の命を救い、そして失った全ての代わりになった八葉一刀流が無くても、彼は生きていけるようになっていた。
六月の終わり頃、彼は少しだけ笑うようになった。
それは丁度、彼が心の底から嫌悪をしていた過去の経験すらを、強くなるために利用し始めた頃だったと言う。
死なない事だけを目的として暴力を受ける術と、誰かから何かを奪い盗み取るだけの小手先の技。幼い子供がスラムで血と泥に塗れて、そして他人を血と泥に沈めて生きていくために学んだ汚れた生き方に、彼は向き合う覚悟を決めた。
生物としての本能にすら逆らって、獣以下とまで呼ばれた出鱈目な戦い方を模索してまで否定していたその在り方を、彼は受け入れる事が出来るようになっていた。
「正直、あの凡人がよくぞあの短期間でと驚く位には強くなったわ。同じように成長していたリィン達にはまだ追いつけていなかったけど、昔の八葉の剣術を使う自分は確実に越えていたでしょうね。それは、昔からずっと続けていた度を越えた努力がやっと実を結び始めたのもあるんでしょうけど、ちゃんと過去に向き合ったからこその結果だと思うわ。アンゼリカが叩き込んだ泰斗の技と、それに合わせてクロウが教えた銃の使い方、フィーから習った各種爆薬類なんかも合わせた戦術の基礎が固まって来て、獣染みた動きの中にも人間らしい生き汚い柔軟さが加わった。そういう意味で言うと、六月末は、今のあの子の原型が出来始めた時期だったとも言えるわね」
「私が本格的に発勁と化勁を教え始めたのも、その頃からだったね。死線を躊躇なく踏み越えるあの狂犬の呼び名に相応しい在り方と、零距離の間合いでの攻防の上手さは、泰斗の奥義である寸勁と相性が良かった。致命傷だけを避け敵の攻撃を隙に変えるあの動きは、化勁を極めれば化けると踏んだ。正直に言うと、命を削りながらも生にしがみ付いて強くなっていくあの背中に、少しだけ期待し始めたのはその頃からだったかな。ふふ、今のは是非とも彼に伝えてくれたまえ。きっと師匠の愛の深さに泣いて喜んでトワとの休日を献上してくれるに違いない」
サラとアンゼリカは、とても楽しそうだった。
出来の悪い教え子の成長。非才の身でありながらも、その全てを賭けて期待を越えてくる教え子がいれば、確かに可愛くもなるのだろう。
ミュゼと、そして旧Ⅶ組の三人の生暖かい視線に気付いたのか、サラは少しだけ気恥ずかしそうに咳払いをして「さあ、ちゃっちゃと七月に行っちゃいましょうか」と、無理やり話を打ち切ったのだった。
そんなサラとは対象的に、まるで動じないアンゼリカは「七月と言えば、まあ、話すことは二人の大喧嘩だろうね」と切り出した。
七月に勃発した、生徒会長と野良犬の大喧嘩。
それはまさしく晴天の霹靂で、トールズ士官学院どころかトリスタの街全体を巻き込んだ大事件であったという。
「あのトワが大喧嘩をして怒鳴り合いにまでなったんだ。おそらく、当時のトリスタで一番衝撃的な話題だったんじゃないかな。恥ずかしい仮面を被ったテロリストの正体がどこかの馬鹿だった事実よりも、もしかすると皆が驚いていたよ」
切っ掛けは、生徒会に出されたとある一件のきな臭い依頼だったと言う。
その内容は、言ってしまえば、ほぼ違法の闇金業を営んでいた商人から出された債権回収の代行依頼。少なくとも、その善意から無償で依頼を引き受けていた学生に頼むべきではないと断言出来る程には、明らかに胡散臭く利己的な内容だった。
その依頼に対する主張の違いが原因で、件の二人は揉めに揉めて怒鳴り合いの喧嘩にまでなったのだと言う。
トワは性善説的な考えに基づいて、依頼者から求められた救いの手をすぐに差し出すべきだと主張した。その選択は、本当に救われるべきが債権者側である可能性も考慮した上での判断だった。
一方では彼は性悪説的な考えに基づき、依頼者の助けを求める声を先ずは跳ね除けるべきだと主張した。その選択は、少なくとも依頼の経緯と事情を把握できなければどんな危険があるかも分からないという理由からだった。
「やろうとしてることは同じなのよ。トワはどれだけ疑わしくても先ずは依頼者を信じてみて、そこからちゃんと事情を調べて、結果がどう転ぶにせよルールに則って問題を解決しようとした。逆にあの子は、本当に助けを求めているなら先ずは筋を通せってスタンスだった。噂通りの悪徳業者じゃないなら事の経緯を説明しろ、仮に悪事の片棒を担がせるつもりなら容赦はしないぞって感じね。最初はただ単に問題解決のアプローチが違っただけだったらしいけど、そこから色々と飛び火しちゃったみたいでね……」
気づけば大喧嘩になってたいたみたい、と二人の喧嘩の仲裁をして、問題の依頼を預かり自らで処理したというサラが苦笑しながら語ってくれた。
ちなみにその喧嘩の原因である依頼は債権者側が完全に黒であったが、ついでに依頼者側の過去の悪事も露見したため、両成敗という形で憲兵に突き出されている。
喧嘩の切っ掛けは日記にも書いてあった通りのため、ミュゼも十分に理解できた。
しかし、何故それがそこまで言う程の大喧嘩に発展するのか、やはり理解し切れなかった。
ミュゼの知るトワ・ハーシェルは、その手の主張の違いで感情的になり喧嘩をするような人間ではない。少し先入観が入っている事は否めないが、同じく彼もその手の事には興味を示さない印象だ。
どう聞いたものかを数瞬悩んでいたミュゼは、「真面目に考えても意味はないだろう」というユーシスの言葉に顔を上げた。
「主義主張の違いによる対立ならともかく、あれは文字通りただの喧嘩だったのだからな。筋道立てて説明も出来ないだろうし、深い理由もないだろう」
聞けば、喧嘩の仲裁にサラを向かわせた人物こそがユーシスだったと言う。野暮用で学生会館に用事があり、そこで偶然二人の喧嘩を聞いてしまったらしい。
当時は他人に好んで語る内容でもないし語る必要もなかったから口を閉ざしていたが、今となってはただの笑い話だろうと、その喧嘩の内容を語ってくれた。
「そこまで詳細を覚えている訳ではないが、端的に言って、第三者からすれば互いに過保護だったというだけだ」
彼はとにかくトワに対して、犯罪者の可能性がある人間を無条件に信じる事は危険だと、説得なのか怒っているのか分からないような状態で説いていたと言う。
救う価値どころか、トワを徹底的に害する屑としか言えない人間もこの世にはいる。関わってはいけない人間は、確かに存在している。そして、今回のような依頼はトワがやるべきではない。汚れ仕事になる可能性があるものは、これからは全て自分がやる。それが相応しい役割だ。
要約すれば彼は、そのような事をずっと怒鳴っていたらしい。
トワはトワで、可能性の段階で危険な人間という前提で動くのは良くない事だ、少なくともそれを自身が確信出来るまでは平等に接する必要があると、彼に言い聞かせようとしていたらしい。
今回の依頼が危険な可能性が高いという事自体は理解している。故に多少はトリスタで顔が効く自分が率先して事情を調べることこそが、最も効率が良く迅速かつ安全に問題を解決する手段である。汚れ仕事になる可能性があるなら、なおさら後輩に任せる訳には行かない。
トワの方も、そんなことを主張しならが徐々に感情的になって行き、最後には声を荒げて口論をしていたと言う。
「どう表現したらいいんでしょうか……想像以上にただの喧嘩、というか痴話喧嘩ですね……」
ユーシスの説明に、ミュゼは思わずそう呟いていた。他のメンバーも全員苦笑するしかないと言った様子なのは同じだった。
そんな微妙な空気の中、アンゼリカが「ちなみにだ」と笑う。
「本人達は一ヶ月にも渡って仲直りしたくても出来きずに悶々としていたね。さらに言うと、今君が持っているその日記帳を事故で読んでしまい、彼の主張を含めて色々と納得したトワが、これからは危険な事があれば二人で協力して対処するという折衷案を出すことで、それまでの対立が何だったのかと言う程呆気なく解決したよ」
喧嘩内容が内容なら、仲直りの内容も内容で、何というかあれだった。
「まあ、ちょっと聞いてるだけで胸焼けする話だけど、そこまで他人を心配できる人間にあの野良犬が成長していたっていう美談に変換しときなさい。それで多少は抑えられるはずよ」
サラの余りにも余りな発言に、しかしミュゼはその通りだと思いこんで色々な感情を呑み込むことにした。
そんな苦笑することしか出来ないミュゼに対して、アンゼリカは「大目に見てやってくれたまえ」と補足する。
「今のあの二人の仲を知った状態で真相を聞いてしまえばただの笑い話でしかないが、当時の二人にとっては大問題だったのさ。生徒会長としてのトワは、その手の問題の対処能力は当時からずば抜けていて、教官陣を含めた学院は勿論、トリスタの住民や憲兵隊からも全幅の信頼を寄せられていた。それは遊撃士協会染みたシステムが成り立っていた事実からも分かるだろう? そんな事実上の実権をただの善意の積み重ねで得るにまで至ったトワだからこそ、その善意の在り方を真っ向から否定されたのは当然初めての事だったんだ。今まで信じて貫いて来た生き方を、可愛がっている後輩から徹底的に否定されたのだからそのショックは本人からしたら笑い事ではなかっただろうね。そして彼からしてみても、よくよく考えれば一人の善意に寄りかかり過ぎていて、なおかつそれを当然のモノとして受け入れている人間だっていた当時の歪な現状は、トワを大切に思っているからこそ許せるものではなかった。ただの喧嘩だった事は間違いではないし、その理由もただの過保護が過ぎるという笑い話のようなものだ。だけどそれは、当人達からしたらどこまでも真剣な喧嘩だったよ」
アンゼリカが軽い口調で語ってくれた内容に、しかしミュゼは目から鱗が落ちる思いで頷く。
「確かにそうですね……。生徒会長とは言え、トワ教官はあくまでも当時はただの、それも貴族ではなく平民生徒。トワ教官を知っているからこそ過保護と笑って済ませられる事ですが、何も知らない第三者からすれば十分に異常な状況と言えますし、それを指摘した彼の感性は、むしろ良い意味で平凡ですね」
当時のトリスタにおいて、その行動から頭の狂った異常な生徒として扱われていたのは間違いなく彼だろう。
しかしその実、彼の感性はどこまでも常識的だったし、逆に実際のところは当時から片鱗を見せていたトワ・ハーシェルの方が異常な生徒であったのだろう。
「そこまで深く考えることでもないだろうさ。私が言いたかったのは、本人たちはただ痴話喧嘩を楽しんでいただけではなく、本当に悩んでいたと言う事だけだよ。だからこそ、トリスタ中で人望も人気もあったトワがあの野良犬と大喧嘩をして塞ぎ込んでいるという事実は、瞬く間に街中に広がり大きな衝撃をもたらした。一部の生徒は会長のためにと彼に物申そうとしたらしいが、こちらも分かり易く落ち込んでいるものだから手詰まりとなってね。そうして、もどかしさと不安と子供の成長を見守る親心のような生暖かいもの、そんな色々な思いが街中に渦巻いた状態で、あの二人の喧嘩は一ヶ月にも渡って続けられたと言う訳さ」
アンゼリカの補足に、旧Ⅶ組の面々が深く頷いていた。
「あの頃なんて何時も眉間に皺寄せた無表情だったのに、何でああも落ち込んでるって分かり易かったのかしら。そこは結構不思議だわ」
「捨てられて野良に戻って落ち込んでいるのかと冗談半分で聞いてみると、呆然として立ち尽くしてしまって少し焦ったな」
アリサの呟きに、さらりと酷い事を言いながらユーシスが苦笑する。
「ようやく健全な生活を送るようになっていたのに、また入学当初のような状態に戻っていたからな。夕食もレーションで済ませるようになったと言っていたし、目に見えて傷も増え、制服もすぐにダメになっていた。支給が間に合わないとかで、学院外での訓練時にも部活動の一環という理由で特例で許可が降り、作業着を着るようになったのはあの頃からだったか」
「ジョルジュはちょっと嬉しそうにしてたわね。それ以前から色々と仕込んでたけど、それで名実ともに技術部の所属になったんだから」
「ついでに我が導力二輪車同好会にも快く名前を貸してくれたね。技術部と同好会、二つ分の活動予算が増えて万々歳だった。トワには少し……と言うかとんでもなく複雑そうな顔で睨まれてしまったがね」
ガイウスが懐かしそうに当時を振り返れば、サラとアンゼリカもからからと笑った。
どうやら彼本人は酷く落ち込んでいたようだが、気の知れた仲であった者達は流石に事情を知っていたらしく、そこまで心配はしていなかったらしい。
「そう言えば、シャロンが世話を焼き始めたのもその頃ね。可哀想な捨て犬を拾ってみようと思うのですが、お嬢様はどう思われます? なんて言ってね。辞めときなさいとは言ったんだけど、結局、毎日お弁当を持たせたりなんかして楽しんでいたわ」
「ああ……仲直りした後にそれを知ったトワが、対抗心を燃やしてペットの気を惹こうと頑張っていたね。ふふふ、シャロンさんにペットを盗られた勘違いしたトワは『私に親切にしてくれたのって、ご飯くれるいい人だって思ってたからなのかな……。それは確かに一ヶ月も避けてた私も悪いけど、だからってシャロンさんに簡単に……ねえ、アンちゃんはどう思う?』 なんて拗ねたり焦ったり悲しんだり、非情に可愛かった。とりあえずまだ野良のままだと教えてあげると、目に見えて安心して喜んでね。可愛すぎて、気づけば私はトワを撫で回していたよ。ふふ、まだあの頃は……と言うよりその先もずっとだが、とにかく二人とも恋愛云々という状態ではなかったにしろ、ちょっとした独占欲を見せる位には互いにお気に入りだった事は確かだった。あの鍛錬をするために生きているような唐変木でさえも、トワがリィン君と仲良くしているやらお姫様抱っこをされて満更でもなさそうにしていたやらと教えてあげると、一丁前に嫉妬なんてしていた程だ。表情も態度も変わらないくせにあからさまに拗ねて動揺しているのが分かるから、からかい甲斐があってとても楽しかったな。『別に俺には関係ないです』などと本人は否定していたが、全くそう見えないのがとにかく面白くてクロウと二人でよく遊んでいたよ」
「あんたら、ほんといい趣味してるわね。何時か痛い目見るわよ……?」
「ふ、その辺りは問題ありません。毎度ジョルジュにこっ酷く怒られていたから、バランスは取れていると自負しています。まあ、そのジョルジュが素で炎上させる事が一番多かったわけだが」
ミュゼにとってもそれは十分以上に楽しめるエピソードではあったが、さらりと挟まれていた当時のリィンの意味不明な行動に、己の目が曇るのを感じる。
状況や理由については数パターン程予測出来るし、内一つはほぼ正解と言える精度と確信を持てるものだが、普通に生きていてその可能性に到達できるリィンの存在がもう意味が分からない。
「まあ、仲直りした後はそんな状態だった訳だが、喧嘩中はトワも随分と落ち込んでいてね。人前では明るく振る舞っていたが、誰が見ても空元気と分かる状態だった」
話を元に戻したアンゼリカがそんな事を言えば、こちらに対しても旧Ⅶ組メンバーは深く頷いていた。
「教官陣の間でも色々とあったわねえ。学業も生徒会の仕事も教官陣の手伝い問題なくやってくれてたけど、明らかに様子がおかしかったから、何時もはアレな教頭も随分と焦って『君は少し休みたまえ。諸君らも生徒に仕事を押し付けすぎだ!』なんてフォローしてたわ」
「リィンも、あいつの話題をトワ会長の前で出したら本気で落ち込まれたって焦ってたわね」
サラとアリサのそんな話を皮切りに、他にも色々なエピソードが語られた。
その中には、ミュゼに当時の写真などを融通してくれたカメラマンのレックスに関する話もあった。
写真部に所属していたレックスは二人が喧嘩をしている期間に、女子生徒の盗撮と、その盗撮写真を使った男子生徒との取引という問題行動を起こしている。
下手をすれば退学処分も在り得たその騒動は、生徒会の依頼で対応に当たったリィンの手によって、写真自体が犯罪になるようなものでは無かった事と撮られた本人たちからの許しも出た事で穏便に解決しているが、その裏で取引された写真の中にはトワの写真も混ざっていた。
かなりの数が出回ったトワの隠し撮り写真は、しかしその全てが悲痛な面持ちで仕事に打ち込む様子だったらしい。
昼は空元気で笑顔を見せながら、夜には悲しみに暮れながら一人仕事をするトワ。
二人の喧嘩が広く学院中で知れ渡る事に繋がったのは、その写真の影響も少なからずあったのだろうとの事だった。
「そうやって一ヶ月続いた喧嘩も、さっきアンゼリカが話した通り最後にはその日記帳が切っ掛けで終わることになるわ。あの子がそれを落としてトワが拾う事になる事件は、まあ、あれはあれで大きな事件だったわね。その辺りの事を話すとなると、必然的にテロや内戦の話に繋がっていく事になるから、ここで一区切りってところかしら。丁度他のゲストも来たようだし、わざわざ夜の予定まで押さえてこんなホテルまで用意してくれたんだから、美味しい夕食とお酒には期待してもいいんでしょうね?」
面白おかしく一通りのエピソードが語られ終わった後、サラはそう言って大きく伸びをした。
そんなサラにミュゼは「はい」と頷いて席を立つ。
部屋の時計の針は、オーレリア・ルグィン分校長とアッシュ・カーバイド、そしてヴィータ・クロチルダと約束した時刻の五分前を指していた。
まだ彼の学院生活の軌跡も、ようやく折り返し地点を迎えた所。
十月戦役、空白の半年間、北方戦役、裏での暗躍、ヨルムンガンド戦役。
そして、クロスベル再事変。
追加の三人のゲストも合わせて、語ってもらうべき事はまだまだ多く残されている。
故に続きは、ディナーを堪能しながら気分良く語ってもらうとしよう。