凡人の軌跡   作:kuku_kuku

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西部戦線の狂犬

 七耀暦1204年10月。

 

 それは彼の平和な学院生活の最後にして、最も学生らしい日常を送ることが出来ていた月だったと、当時のクラスメイトである旧Ⅶ組の三人は語った。

 

 その月に彼は、致命的な対立はなかったにしろ入学当初から長らくお互いに不干渉を貫いて来たリィン・シュバルツァーとも、壮絶な試合の果てに和解するに至った。

 

 文字通り全身全霊を賭けて挑む彼と、当時は制御すらもままならなかった《鬼》の力を解放してまでそれに応えたリィン。

 お互いに死力を尽くした決闘の末、二人はそれまでのぎこちなさが何だったのかと笑ってしまう程に呆気なく仲良くなったと言う。

 剣の稽古や生徒会の依頼など、たった一月ではあるが彼とリィンが共に行動をする姿は、学院内だけに留まらずよく見かけられたらしい。

 

 旧Ⅶ組の人間関係における最後の問題も解決し、十月に開催されたトールズ士官学院の名物行事でもある学院祭では、彼もⅦ組の一員としてクラス一丸となって二つの事を成し遂げた。

 

 一つ目は、学院祭中止の危機を回避するために行った、旧校舎地下遺跡の攻略。

 リィンが騎神の起動者と成るのに必要だった旧校舎地下遺跡における試練は、学院祭初日の夜に遺跡の表層である旧校舎が異界化すると言う異変として発動した。

 騎神に選ばれた起動者候補しか異界化した旧校舎に入ることが出来ながったが故に調査を一任された旧Ⅶ組は、見事に最終試練を司る騎神の影を打倒し、そして学院祭の継続を勝ち取って見せた。

 

 二つ目は、学院祭におけるステージ演奏の成功。

 会場全体が沸く大盛況を収めた演奏は、遺跡の攻略などよりも余程学生らしく、そして健全な一つの成果だった。

 ハーモニカを担当した彼の演奏は決して上手とは言えなかったようだが、それでも最低限形にはなっており気持ちは込もっていたようだ。

 

 Ⅶ組とのステージ演奏もそうであるが、地下遺跡の件も含めて特に裏方としての貢献と言う点において、少し意外ではあるが彼は学院祭に人一倍積極的に参加していたらしい。

 

 技術部の腕章を付けた彼が機材トラブルに対応すべく学院中を奔走している姿は、学院生達の間でも話題になっていたと言う。

 最初は普段の「修理」という概念から余りにも対極に位置する彼に、依頼した生徒達は戦々恐々としていたらしいが、その仕事ぶりは意外な事に丁寧で、学院祭中に再びトラブルが発生する事が無いくらいには正確だったらしい。

 

 その他にも彼は生徒会の腕章を付けて、生徒会長であるトワと共に見回りも兼ねて旧Ⅶ組のメンバーが所属していた各部活の出し物にも顔を出していた。

 

 技術部に所属し、実質的に生徒会の一員でもあった彼は、当時の一年の中ではリィンと並んで運営面も含めて最も深く学院祭に関わっていた一人だったようだ。

 

 そして微笑ましくも感じるそんな充実した彼の学院生活は、十月の末に唐突に終わりを迎えることになる。

 

 つまり、それは後に《十月戦役》と呼ばれる事になる、当時の革新派と貴族派による帝国の覇権を賭けた内戦の始まりを意味していた。

 

 

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「最初は一人だけ別の学校に通っているのかと思うくらいリィン教官から聞いた本校の話と違っていましたが……本当に教官のクラスメイトだったんですね」

 

 旧Ⅶ組の一員であるという前提から懐疑的だったアルティナに、その感想を完全には否定しきれないが故に皆は揃って苦笑した。

 

「でも、学院祭でいつの間にか実行委員みたいな事をしてたのは、流石アッシュのお兄さんってだけはあるかな。意外と面倒見が良かったりする所なんてそっくり」

 

 彼の意外な一面にそうやって笑うユウナに、アッシュが舌打ちをする。

 

「あ? あれはお前らが勝手に押し付けやがったんだろうが」

 

「お姉様であるトワ教官に倣って生徒会長までやられているのですから、アッシュさんは本当にお二人の事が大好きなんですね」

 

「姉貴と違って俺は不真面目な会長なんでな。明日からはその分、お前がシュバルツァーで遊ぶ時間はなくなりそうだ」

 

「あら……それは少し困りますね。生徒会長なら副会長をもう少し労ってくれても良いのではないでしょうか?」

 

 第Ⅱ分校初代生徒会長をいつの間にか押し付けられていたアッシュをからかえば、手痛い反撃を食らった。

 そもそも生徒会長就任を回避できないように動いた主犯がミュゼ自身であるため、ある意味では当然の報いではあるが、余りにも直接的な手段は困る。

 

「リィン教官。特任教官との試合はどちらが勝ったんですか?」

 

 挑発的な笑顔を浮かべ合うミュゼとアッシュの隣では、クルトがリィンに興味津々と言った様子でそんな質問をしていた。

 

「紙一重の差だったが、何とか俺が勝ったよ。《鬼》の力を使わなければ引き分け……いや、負けていてもおかしくなかっただろうな」

 

「特任教官の決め手はやはり、八葉の《残月》だったのでしょうか? あの絶妙な間合いからの」

 

「ああ。俺があとほんの少しでもあいつの間合いから出るのが遅ければ、純粋な剣速の差で負けていた」

 

 楽しそうに剣術談義に花を咲かせるリィンとクルトに、自然と視線が集まる。

 それに気付いた二人は少し気不味そうに小さく咳払いをして、「すまない。続けてくれ」とミュゼに向き直った。

 

「さて、ここからは内戦のお話になります。先に言っておきますが、これまでと違い楽しく聞けるような内容ではありません。概要だけで省略するのも一つの選択肢ですが、ティータさん、どうされますか?」

 

 始まりはティータが報告書に興味を持った事だった。

 故にミュゼはティータが楽しめる範囲に留めるべきだという思いから決定権を委ねたが、ティータは何時もの柔らかな笑顔で首を横に振った。

 

「私は、ちゃんと全部聞きたいな。内戦の時にも、物凄く頑張ってたった一人で戦い続けて、沢山の人を助けたんだよね? 悲しかったり辛かったりするお話なんだとしても、聞いてみたい。それに、シュミット博士の孫弟子さんでもあるしアガットさんの同僚さんでもあるから、実は前からもっと仲良くさせて頂きたいなって思ってて。そのためにも、もっとどんな人なのか知りたいんだ」

 

 笑顔でそう答えたティータに、ミュゼは静かに頷いた。

 

「ふふ、わかりました。ですが、シュミット博士は以前に見たことも無いような苦い顔で『孫だろうが弟子とは認めん』と仰られていたので、博士の前では気をつけられた方がいいと思いますよ?」

 

「あはは、まあ、ちょっと方向性が違うから……」

 

 とティータは苦笑していたが、ちょっとどころの違いではないだろう。彼のそっち方面の知識は、ほぼ全てが導力機器の効率的な破壊の仕方に活用されているのだから。

 

「そう言えばアガットさんからも、シュミット博士は無理でもラッセル一家にならある意味馴染めるかも、なんて言われたな。特にお母さんとは結構気が合いそうって言ってたけど、どういう意味だったんだろう…」

 

 不思議そうに首を傾げるティータに、ミュゼは笑顔で沈黙を保った。

 以前彼の話を聞いた時にアガット本人が「エリカ……ティータの母親も大概だが、あそこまで色々と極端にぶっ飛んでる性格の奴が身近に二人もいると、俺のほうがおかしいのかって思っちまうぜ」と呟いていたが、ティータに言ってもやはり首を傾げられるだけだろう。

 

「さて、では当時はまだ国外にいたティータさんとユウナさんもいらっしゃいますので、内戦の始まりから順を追ってお話ししましょうか」

 

 

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 七耀暦1204年10月30日。

 それはまさしく、帝国の運命が大きく変わった日だった。

 

 当時の世界情勢として、クロスベルの独立宣言を切っ掛けに周辺諸国の緊張は一気に高まっていた。

 鉄血宰相ギリアス・オズボーン、牽いては彼の背後にいたイシュメルガは《闘争》という目的のために、属州であるクロスベルの反乱とその背後にいるカルバート共和国を粛清すると言う名目の下、両国との戦争に嬉々として踏み切ろうとした。

 

 七耀暦1204年10月30日。その運命の日、鉄血宰相によって両国に対する宣戦布告という決定的な言葉が紡がれようとしたその瞬間に、帝国解放戦線リーダー《C》、クロウ・アームブラストの策は成った。

 

 超遠距離狙撃による、ギリアス・オズボーンの暗殺。

 

 一発の銃声が、世界大戦の代わりに勃発した帝国における内戦、《十月戦役》の始まりを告げたのだった。

 

 帝国解放戦線のスポンサーでもあった貴族派は、宰相が倒れ混乱に陥る帝都を新型兵器であった機甲兵の圧倒的な戦力で一気に制圧し、そしてその勢いのまま帝都近郊の都市トリスタに攻め入った。

 

 トリスタ制圧の目的は、その立地上帝都防衛の要となる都市であった事と、革新派と貴族派両陣営の中核を成す家系の子供が多く在籍していたトールズ士官学院を押さえる事。そして、目覚めたばかりであるとは言え、たった一機で戦争をひっくり返しかねないポテンシャルを秘めた灰の騎神と、その起動者であるリィン・シュバルツァーを確保するためだった。

 

「あの日、私達Ⅶ組もトリスタに来た機甲兵と戦ったわ。全員でかかっても何とか一機を倒すことしか出来なかったけどね。増援で来た他の機甲兵に負けちゃって、もうどうにもならないってタイミングでリィンがヴァリマールを初めて呼んだの。二人のお陰でこれならどうにかなるんじゃないかって思ってたろころに、オルディーネに乗ったクロウが来てね……」

 

 当時は徹底的に秘匿されていた新型の機甲兵が複数。そして極めつけは蒼の騎神というイレギュラーを操るテロリストのリーダーにして同級生でもあったクロウ。

 

 いくら灰の騎神があろうとどうしようもない戦力差だったと、アリサは語った。

 

「だけど、リィンならって言う確信があったわ。リィンとヴァリマールの力があれば、両派閥の戦力が拮抗していたせいで長期化する可能性が高かった内戦をどうにか出来る。だからリィンだけは命を賭けてでもその場から逃がそうって、皆で蒼の騎神と戦ったの。まあ、結局はまともに時間を稼ぐ事も出来ないくらいクロウに簡単にやられちゃったけどね」

 

 その後、応援に来たカレイジャスの援護もあり、リィンと灰の騎神を含めた旧Ⅶ組は全員どうにかトリスタから落ち延びる事に成功する。

 

 逃げて機を伺い何時か全員で再会するために、旧Ⅶ組は深手を負ったリィンを探しながらそれぞれの伝手を頼りに四方へと散った。

 

 ガイウスの故郷であるノルドを目指し、また道中でアリサの故郷であるルーレの情報を得るために、ガイウス、アリサ、ミリアムは北へ。

 

 ラウラの故郷にして中立派の中核を成すアルゼイド子爵が治めるレグラム、そしてユーシスの故郷であるバリアハートも見据え、ユーシス、ラウラ、エマは南へ。

 

 革新派の重鎮の子息であるが故に最も貴族派から狙われる可能性が高かったマキアスとエリオットは、その危険性故に正規軍の守りが厚くエリオットの父である《赤毛のクレイグ》が指揮を執る第四師団を頼るために、フィーを護衛として東へ。

 

 そして彼は、トワとジョルジュと共に、貴族派の勢力が結集していた西へと向かった。

 

 それから一月に渡り、旧Ⅶ組の面々は逃亡生活を続けることになる。

 状況が大きく変わり初めたのは、12月初旬頃。アイゼンガルド連峰で騎神と共に傷を癒やすために眠りについていたリィンが目を覚ましてからだっと言う。

 

 灰の騎神ヴァリマールは、帝国内に散った準起動者の霊力を追跡する事が可能だった。

 リィンはその力によって、散り散りになった旧Ⅶ組やシャロンやクレアと言った協力者達を集めて行く事になる。

 

「奴を除いたⅦ組が全員揃ったのは12月11日だった。どうにか探し出して助けようとしていたリィンに、逆に助けられる形でな。そしてその翌日、移動し続けていたせいでヴァリマールの力でも正確な位置を特定出来なかった奴を探すために全員で西に向かおうとした所で、兄上が率いる貴族連合がリィンとヴァリマールを狙って拠点としていたユミルに攻めて来た」

 

 結果として、結社の執行者や鉄機隊、西風の旅団、そして蒼の騎士と魔女を擁する貴族連合に成す術なく、リィンはヴァリマールと共に貴族連合旗艦パンタグリュエルへと拉致される事になったと、ユーシスは苦い表情でそう語った。

 

 旧Ⅶ組の説明を引き継ぐ形で、アンゼリカが口を開く。

 

「カレイジャスがユミルに着いた頃には、もうリィン君を連れて貴族連合が撤退した後だったよ。ようやく帝国全土の中立派をまとめあげ、そして情報ネットワークの基盤が出来上がったタイミングだったからね。一足出遅れてしまったと言う訳さ」

 

 しかしカレイジャスという翼を得た旧Ⅶ組は、その翌日にはリィン奪還のためにパンタグリュエルへと乗り込む事になる。

 そしてリィンもただ大人しくパンタグリュエルで捕まっていた訳ではなく、以前から貴族連合の手に落ちていたアルフィン皇女と共に艦を脱出すべく、土壇場で《鬼》の力の制御を成し遂げ、数いる猛者を出し抜き大脱走劇を繰り広げていた。

 

「そして見事にリィン教官とアルフィン殿下の奪還に成功し、それを以って後に第三勢力として東部の平定を成し遂げる事になる《希望の翼》が完成を迎えたと言う訳ですか」

 

 囚われのお姫様を若き騎士とその仲間達が助け出し、後に彼らは戦火に呑まれた東部を解放し平和を取り戻して行く。まるで物語の英雄を体現するかのようなリィンに苦笑しながら、ミュゼはそう旧Ⅶ組に問いかけた。

 

 しかしミュゼの予想に反して、旧Ⅶ組は静かに首を横に振った。

 そして三人を代表してガイウスが口を開く。

 

「俺達Ⅶ組が……いや、トールズ士官学院がトワ会長の名の下に《希望の翼》と呼ばれるに至るには、背を押してくれる風が必要だった。第三勢力として積極的に内戦に関わり、正規軍と貴族連合の双方をアルフィン皇女殿下の名の下に強引に傘下に加えて、争いの火種そのものを東部から強引に消し去る。全員が戦争の当事者になる覚悟を持って戦う道を選んだ切っ掛けは、間違いなくあの優しき暴風があってこそのものだろう」

 

 ガイウスの言葉に、ミュゼは直感する。彼らには見えていたが、自分には見えていなかったもの。きっとこれは、それに繋がる話だと。

 視線で続きを促すミュゼに苦笑しながら、ガイウスはアンゼリカを見た。

 

「ガイウス君のご指名だ。ここはあの二人の親友として私から語らせて貰おうか」

 

 そう前置いて、アンゼリカは語り始めた。

 

「アルフィン殿下とリィン君を助け出した頃にはね、西部で避難民を助けるためにたった一人で両軍と戦い続けた我が馬鹿弟子の足取りが、完全に掴めなくなっていた。ラクウェルに生きて逃れて来ることが出来た人達から聞いた話をまとめても、何故動けるのか、何故生きているのか分からない程の重傷だったという話ばかりでね。極めつけは、エマ君とセリーヌ君のサポートを受けたヴァリマールの力でようやく居場所を特定できたと思ったそのタイミングで、彼の霊力が消えたなんて事になった」

 

 12月12日の時点で、彼の生存は絶望的だった。

 

 そう言った後、アンゼリカは楽しそうに笑った。

 

「あの時からなのだろうね、色々な意味でトワのブレーキが完全に壊れたのは。内戦の前も少しでも多くの人を助けようと必死だったし、事実、一士官学院生の範疇を逸脱して多くのことを成し遂げていた。だけど戦争が始まる前までのトワは、どこまで行ってもあくまでも誰かの為に何かを成そうとするだけの、言ってしまえば受動的な一人の少女に過ぎなかった。生徒会長になったのも、トリスタの実質的な相談役になったのも、それは誰かがトワの突き抜けた能力を求めたからであって、自分から本当の意味で積極的に動いた結果ではなかったからね。だけど内戦が始まってトワは、能動的に動き始めた。一人で戦っている彼の助けになろうと、ほぼ独力で帝国東部の全土、そして西部の一部をも網羅する情報網を構築するなんて意味の分からない事をやってのけた。そうやって平和を取り戻すために、全力で戦い始めたんだ。そしてついにあの日、トワは完全に覚悟を決めた」

 

 トールズ士官学院生徒会長にしてカレイジャス艦長、そして後に《希望の翼》の名で呼ばれる事になるトワ・ハーシェル。

 

 彼女はその場にいた全員に、十月戦役における彼の軌跡を語った。

 

 そして、頭を下げて協力を求め、同時に宣言した。

 

 自分が艦長としてカレイジャスを指揮する。

 

 一人でも多く、死に征く人達を救うと誓う。

 一日でも早く、平和な日々を取り戻すと誓う。

 

 だから、戦う力のない自分に、彼を救うための力を貸して下さい。

 たった一人で戦い続けて、たった一人で多くの人を救った彼を、死なせないで下さい。

 

「トワの願いを受けて、オリヴァルト殿下達は西部での探索に多くの人員を割いて下さった。トワが整備した情報網のお陰で中立派全体が効率化されたが故の人員ではあったが、一人の士官学院生……それも両派閥から明確に殺害命令まで出ていたただの平民のためにそこまでして下さった殿下達には、本当に今でも頭が上がらないよ。一方でトワに賛同した旧Ⅶ組の諸君を始めとしたトールズ士官学院は、東部で戦う道を選んだ。それが《希望の翼》の始まりと言う訳さ。あの呼び名は、平和を築いたカレイジャスを、そして艦長を務めたトワを称えるためのものだ。だけどトワにとっての希望は間違いなく彼だったし、トールズ士官学院が一丸となって戦えたのは、あの才能の欠片もない愚直なだけの凡人が、その生き様を以って道を示したからだろうね」

 

 

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「旧Ⅶ組の皆さんも、アンゼリカさんの言葉を否定しませんでした。十月戦役における彼の最大の功績は、トワ教官と、そしてリィン教官を色々な意味で本気にさせた事だったと言う事なのでしょうね」

 

 そう言って確認の意味を込めて視線をやれば、少し困ったように笑うリィンが頷いてみせた。

 

「トワ先輩からあいつの話を聞くまでは、俺達は内戦に強く干渉する気はなかったんだ。カレイジャスとヴァリマールの力があっても、結局はただの学生に過ぎない俺達に盤上をひっくり返す事なんて出来ない。何よりも……第三勢力、中立と言う立場から大切な人を守るなんて耳障りの良い言葉と理由を並べて、言い訳に使おうとしていた。覚悟を決めて動けば救えていたかも知れない人達を見捨てることに対しても、それとは逆に自分の大切なものを守るためには正規軍や貴族連合に敵対する事に対しても、正しいのは自分達なんだって言い張れるように」

 

「ダメな事みたいに言ってますが、全然ダメじゃないですよ! むしろ普通……と言うか、良い事ですよ! 中立の立場から助けられる人を助ける事の何が悪いって言うんですか?」

 

 罪を告白するかのようにそう語ったリィンに、ユウナが慌てて何を言っているのだと否定する。

 そんなユウナにリィンは、静かに首を横に振った。

 

「中立派が悪いと言いたかったんじゃないんだ。むしろ、内戦が起きてしまう事を見越して色々と準備をされていたオリヴァルト殿下達がいなければ、あの内戦はもっと悲惨な事になっていただろうからな。俺が恥じているのは、本当の意味で責任を負う覚悟を持たないまま安易な気持ちで、殿下達が必死の思いで用意された中立派の名を騙ろうとした事に対してだ」

 

 リィンの言葉は、第三者からすれば自惚れも良い所だろう。異能を持ち騎神と言う特別な力に選ばれた存在であっても、当時の彼らはただの学生に過ぎない。

 学生の身でありながら中立の立場から手の届く範囲で人々を救おうとしただけでも、本来は褒められ讃えられこそすれ、悪く言われる事は有り得ない。

 

 しかしその一方で、彼らは本当に成し遂げたのだ。

 貴族連合も正規軍も民衆も須らく呑み込み、第三勢力としての東部平定を。

 

 それ故の英雄。

 それ故の《灰色の騎士》と《希望の翼》。

 

 成し遂げた功績を見れば、ある種の傲慢とも思える発言も、真実言葉のままに受け取るしかないだろう。

 

「……西部戦線の、狂犬」

 

 暫くの沈黙を破ったのは、アルティナの小さな呟きだった。

 

「アル……?」

 

 首を傾げるユウナを無視して、アルティナは続ける。

 

「ラクウェルを襲った野盗の撃退、及び主犯格達の殺害。貴族連合に所属していた末端貴族の領地の村で、護衛という名目で雇われ実質は略奪行為を繰り返していた元猟兵団の殲滅。そして、その後の両軍への執拗な奇襲による襲撃及び破壊工作。彼が貴族連合の間で《西部戦線の狂犬》と呼ばれ始めたのは、それらの事件があった11月末頃からです。……ですが、やはり私には分かりません」

 

 アルティナは当時、コードネーム《黒兎》として貴族連合の暗部を担っていた。

 十月戦役時点で彼と直接対峙した事はないが、それ故に《西部戦線の狂犬》の呼称で指名手配された彼の功罪は一通り把握していたようだ。

 

 先程クルトとユウナが話していた彼の呼び名の由来は誤りではないが、決して正しい訳ではない。

 十月戦役の主戦場であった西部戦線において、両軍からその名で呼ばれ警戒され、そして昔から戦場で生まれるその手の御伽噺と同列で語られる程度には、彼が戦場で暴れたことは事実だ。

 

「確かに一介の学生の身、それも単身でそれだけの功績と……ここで言葉を濁して仕方がないので率直に言いますが、貴族連合視点では重罪を犯した事は驚愕すべき事でしょう。ですが、どうしてそれがリィン教官やトワ教官に良い意味で強い影響を与える事に繋がるのでしょう? 話を聞く限り、アッシュさんも同じように影響を受けたのですよね? 今までの話を総合しても私には彼の行動が後先考えない自殺志願者のそれか……もっと言ってしまえば、戦闘狂のそれと同じようにしか思えません」

 

 自殺志願者。ミュゼとしても、一部ではアルティナのその言葉には同意だ。

 もっと言えば、彼に影響を受けたトワやリィンの行動も、極論としては自滅覚悟のそれに思える。

 

 だがその一方で、今ならばリィン達の気持ちも少しだけ理解出来る。

 

 本当に理解に苦しみ悩んでいる様子のアルティナに、伝えるべき情報をまだ伝えていない事を少し申し訳ない気持ちにもなる。

 しかしここは直接当事者から語ってもらう方が良いだろうと思いリィンを見れば、こういう時だけは察しの良いリィンはすぐに頷いてくれた。

 

「ミュゼもこの後に話す予定だったんだろうが、あいつが何を思って西部で戦い続けたのかを聞けば少しは納得出来るはずだ。実際、あの頃のアルティナならともかく、今のアルティナも似たような理由で、下手をするとあいつよりも質の悪い行動をした事があるんだからな」

 

 苦笑するリィンに、アルティナは「私がですか……?」と本気で忘れているのか不思議そうに首を傾げていた。

 

「あいつはあの内戦の時、四つの目的を持って西部に渡ったんだ。一つ目は、殿下達中立派のために西部の情報を集めること。二つ目は、行方不明になっていた俺を探し出して、Ⅶ組が全員揃って生きて再会すること。三つ目は、クロウを殴ってでも連れ帰って、トワ先輩達と五人揃ってまた何時もの学生生活を送る事が出来るようになること。そして四つ目が、戦争という理不尽で傷つく事になる誰かを、一人でも多く救う事。俺も、本人から直接聞いたわけじゃない。だけどあいつは一人で西部に渡る前にトワ先輩達に、その目標と一緒に、もう一つ約束して宣言した」

 

 幸せになるために、必ず四つの目的を果たす。そして必ず生きてトワ会長の下に戻る。

 

「あいつの行動原理は、本当にそれだけだったんだ。俺とクロウの事にしても、誰かの命を必死に救い続けた事にしても、そうしないと後悔するかもしれないから、そうしないと本当に幸せになることができないから、あいつは諦めないで戦い続けたんだ。もちろん、全部が上手く行ったわけじゃない。間違えた事だって沢山あるだろう。今でも……一度だけ珍しく酔っている時に言っていたが、力があれば助けられた命を取り零したなんて、後悔していた。だけど、それでも妥協だけはしなかった。学生の時から変わらず、一度だってあいつは折れなかった。だから、あいつと同じⅦ組で友人である俺達は、ずっとそうやって戦い続けていたあいつに胸を張って再会出来るように、真剣に自分たちに何が出来るかを悩んだ。俺達の選択が正しかったのかは、本当に最善の行動だったのかは、正直今でも分からない。だけどきっと、仮に今同じ選択を迫られたとしても、俺はやっぱり同じように逃げずに戦う道を選ぶんだろうな。あいつの言葉を借りれば、」

 

「幸せになるために」

 

 リィンと同時にその言葉を発したアルティナは、それっきり沈黙してしまった。

 

 そして口を噤んだのは、アルティナだけには留まらなかった。

 彼の人となりをよく知っているリィンとアッシュを除いた各々は、何かしら思う所があったのだろう、静かに思いに耽っている。

 

 ミュゼはそんな同級生の様子を把握しながらも、静かに続きを語り始めた。

 

 かの凡人が畏怖と感謝を込めて《西部戦線の狂犬》と呼ばれるまでに辿った、その軌跡を。

 

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 七耀暦1204年10月31日。

 内戦が始まった翌日に、彼はトワとジョルジュと共にカレイジャスと合流を果たしていた。

 

 そしてその日の夜には、彼は一人で導力バイクを足として貴族連合の本拠地であったラマール州を回ることになる。

 

 当然の事ながら、トワやジョルジュ、そしてオリヴァルト殿下やアルゼイド子爵もその危険性故に反対はした。

 

 しかし、彼は周囲の反対を正論で押し切った。

 

 両派閥のどちらにも属していないその立場。

 想定外の事態にもある程度の対処が可能な実績と、最低限の危険を跳ね除ける事が出来るだけの実力。

 中立派の通信網を構築、拡張するのに必要な導力波通信装置や中継機といった機材に対する知識と技術力。

 そして、当時は世界に一台しかなかった、機動性、隠密性、走破性を兼ね揃えた導力バイクというアドバンテージ。

 

 貴族連合の本拠地である西部の情報を収集する人員として、彼は確かに最適だったのだ。

 

「絶対に何があっても両軍と交戦しない事。そして、自分の命を最優先にする事。その二つを条件として、最終的にはオリヴァルト殿下も折れたらしいわ」

 

 サラが教えてくれたその二つの条件を、彼は11月初旬までは守っていたらしい。

 

 リィンや他の士官学院生、貴族連合と正規軍の情報収集を行いつつ、導力波通信の中継機を設置しながら彼は幾つかの村や町を経由して西に向かった。

 

「俺が初めてあいつに会ったのも丁度その時期だ。まあ、見るからに怪しそうな奴だったから、最初は火事場泥棒だって勘違いしちまったがな」

 

 貴族連合と正規軍の大規模戦を控えていた11月の初旬、ラクウェルに駐在していた領邦軍もその大半が準備の為に街を離れていた。

 それ故に歓楽都市として財貨を溜め込んでいたラクウェルは野盗の標的とされ、小規模な窃盗から大規模な強盗まで幅広く日夜脅威に晒された結果、住民達は知人を除いた全ての人間を敵だと警戒するようになっていたと言う。

 

 アッシュが彼に出会ったのは、そんな街の状況に痺れを切らし、体力と時間だけは持て余していた不良少年達をまとめ上げて自警団を組織したばかりの頃だった。

 

「裏でこそこそと街の情報やら軍の情報やらを集めてやがる奴がいるってんでな。あの時期にそんな事してる奴がまともな訳ねえから、さっさと街から出て行ってもらおうとした。まあ何時も通り数人で囲んでアイサツしようとしたんだが、そのタイミングで馴染みの店に強盗が入ったって報せがあってな。そしたら何の冗談かあいつも一緒について来て……こっちが引いちまうくらい手慣れた様子で、野盗共を叩きのめしてふん縛って痛めつけて、裏にいる奴らを吐かせてやがった。そっからはなし崩し的に世話になって、結局はあいつの読みが当たって四日程度で野盗共をラクウェルから一掃できたって訳だ。腕っ節はまだ今ほどじゃなかったが、それでも俺らの中じゃあ一番強かったし、何より小悪党どもに対して鼻が効いたんでな。ラクウェルに留まるつもりはねえかと聞いたが、他の街でも似たような状態になってる可能性があるからなんて馬鹿げた事を言ってさっさと出て行っちまいやがった。それが11月の10日くらいだったはずだ」

 

「そんな早い段階で知り合ってたのね。もうその頃からお兄ちゃんっ子だったの?」

 

 アリサが思わずと言った様子でそんな質問をすれば、アッシュは鼻で笑った。

 

「んな訳ねえだろ。人助けしながら街中走り回ってる同い年くらいの男で、何らかの事件に巻き込まれてる奴がいたらシュバルツァーかも知れねえから確かめて教えてくれ、なんて意味分かんねえ事言い残して消えるような頭おかしい奴を兄貴なんて呼ぶはずねえだろ。まあ、リーヴスで本当にまんまの奴を見た時は正直ビビったがな。ああ、天然たらし野郎って情報は抜けてたか」

 

 遠回しな煽りにアリサが黙ってしまったため聞くタイミングを逃したが、ラクウェルを守るための四日間の共闘を経て、アッシュは彼を随分と信頼するようになっていたのだろうとミュゼは判断した。

 あのアッシュが出会って数日の見ず知らずの他人を簡単に身内として迎え入れようとしていた事実は、アッシュを良く知っているからこそミュゼにとって驚愕に値するものだった。アリサがつい「お兄ちゃんっ子」と称してしまうのも、理解はできる。

 

 だが、アッシュ本人が言う通り、あくまでもその時点までは頼りになる用心棒程度の認識だったのだろう。

 

 その認識が変わることになるのは、11月の下旬。

 

 戦場でまことしやかに「殺しても死なない獣が出る」と言う噂が囁かれ始めた頃だった。

 

「アッシュさんが彼と再会したのは、彼がラクウェルを発って約十日後という認識であっていますか?」

 

「ああ。ラクウェルで、生きてるのが不思議なくらい全身怪我だらけの状態でな」

 

 ミュゼの問い掛けにそう頷いて、アッシュは淡々と語り始めた。

 

「11月の半ばに、貴族連合と正規軍の大規模戦が始まった。あいつはその戦場のど真ん中で、たった一人で両軍に喧嘩を売って戦い始めた。十人だ。たったの十人、名前もまともに知らねえような赤の他人を、それも避難勧告が出てたにも関わらずちんたらやって逃げ遅れたような奴らを助けるために、体中血塗れどころか銃弾や瓦礫で体の中をズタボロにして安全圏だったラクウェルまでの道を作った。医者も街に着くなりぶっ倒れたあいつがそのまま死ななかったのは、奇跡みたいなもんだって言ってたぜ」

 

 十月戦役では両軍ともに、一般人の被害を最小にすべく動きはした。

 しかし当然、両軍の拠点であった要塞や近隣の町村は戦火に呑まれ、軍属ではない多くの人々が犠牲になった。

 

 11月中旬、そして12月初旬の貴族連合軍と正規軍の西部における総力戦。

 二度に渡り、戦略上の理由によって二分された国の双方から切り捨てられた、鉄と血が支配する戦場に取り残された無力な民。

 

 彼はそんな理不尽な理由で見捨てられた西部戦線上の命を、諦めなかった。

 

 鉄と鉄がぶつかり合い、血で血を洗う戦場において、彼は人々を助ける為に戦い続けた。

 

「今みたいに、一人で機甲兵に勝てるような強さはなかった。それどころか、生身でも良くて四、五人に囲まれちまえばそれだけで負けちまってただろうな。そんな大して強くもない野郎が、何時死んでもおかしくない体を引きずって、また戦場に行くなんて寝言を言いやがるんだ。シュバルツァーがいるかも知れねえ、戦争で誰かが理不尽に死ぬかもしれねえ……あの馬鹿兄貴は、たったそれだけの理由で戦ってた」

 

 西部戦線に現れ、生身で戦車や機甲兵に立ち向かう獣。

 例え幾度砲弾を打ち込まれようと、例え幾度強大な人型兵器に薙ぎ払われようと、導力バイクの機動性だけを頼りに命を繋ぎ破壊工作を続ける狂人。

 

 《西部戦線の狂犬》と呼ばれた彼はそうやって両軍と戦い続けて戦線を停滞させ、失われるはずだった多くの命を戦場から逃してみせた。

 

「結局、それ以降あいつがラクウェルに戻ってくる事はなかった。だが、あいつに助けられて街から逃げて来た奴らは、その後も何人もラクウェルに来た。ただ、どいつから話を聞いても、相変わらず何で死んでねえのかが不思議って話ばかりでな。だから姉貴から死にかけのあいつが保護されたって連絡が来た時には、チームの連中もあいつに助けられた奴らも大騒ぎしてたぜ」

 

 そう言って鼻で笑ったアッシュの顔に浮かぶ笑顔は、しかし何時もの皮肉なそれとは違い、優しげで誇らしげなそれだった。

 

「トワ教官とは、どのタイミングで知り合われてたのですか?」

 

「11月の末、意識を取り戻した馬鹿兄貴がその足で街を出てすぐにだ。姉貴とゼリカパイセンが、あいつの足取りを追ってラクウェルに来た時にな」

 

 彼はもうその頃には、明確に両軍から敵と見做されていた。

 故に中立派と距離を置こうと、その旨をアッシュに伝言として託して、カレイジャスとの連絡用の通信機もラクウェルに置いて行ったという。

 

 そして、緊急時の合流地点として定めていたラクウェルに彼を探しに来たトワとアンゼリカと、その通信機を通してアッシュは初めて出会うことになる。

 

「最初は随分と耳が痛いことを言われたものだよ。あの止まることを知らない男を何故一人で西部に放り出した、とね」

 

「おい、その話は止めろ」

 

 ニヤニヤと楽しげに当時の事を語り始めたアンゼリカをアッシュが遮るが、彼女は止まらない。

 

「それはもう大変だった。大切に思っているなら何故止めなかったと声を荒げ」

 

「わかった。てめえが旦那に秘密にしてるラクウェルの行きつけの高級クラ」

 

「とにかくだ! 色々とあったが、アッシュ君もトワの覚悟を聞いてからは姉と呼び慕うようになり、主に西部の難民関連でその後も手を貸してくれるようになったという訳さ。彼がトワが訪ねて来たら協力してくれと頼み込んでいた事もあってね。さあ、アッシュ君の話はこれで終わりかな?」

 

 が、アッシュの一言で強引に話をまとめて切り上げた。

 

 冷たい視線がアンゼリカに突き刺さるが、何事もなかったかのように「ふふ、子猫ちゃん達の熱い視線はたまらないね」と開き直る始末。

 

 本題からは逸れるが、今後の生徒会長との付き合いを考えると仕入れておきたいネタではあった。

 しかしそれを察してかアッシュが「俺はそろそろ、領地の治安やら領民の安全を二の次にして戦争をしてた貴族サマが、あいつの事をどう考えていたのかを教えて頂きたいもんだぜ」と、反応に困る話題を先に出してきた。

 

 自然と視線がオーレリア分校長に集まる中、アッシュが「勘違いすんなよ」と笑う。

 

「別にあんたが悪いって言ってんじゃねえんだぜ? 実際あそこで内戦に踏み切ってなけりゃあ、どの道この国は詰んでたんだからよ」

 

「敗軍の将に、歴史を語る資格などない。だが、トールズ士官学院の分校長としての私と内戦の是非について語り合いたいという事であれば、いくらでも応じるぞ?」

 

「うちの担任のだけで胸焼けしてんだ。ただの歴史の授業に興味はねえよ。俺は単純に貴族連合の総司令としてのあんたが、あいつ個人に対してどう思っていたかをお聞かせ願いたいだけだ」

 

 アッシュのその言葉に満足気に頷いて、オーレリア分校長は「あれは、間違いなく敵だった」と獰猛に嗤った。

 

「連日連夜にわたる両陣営への奇襲による、機甲兵や戦車と言った主力兵器、補給物資の破壊。たった一人で僅かではあるが戦線を停滞させ、そして誘導までして見せたのだ。そうやってあの狂犬は、私が切り捨てると判断した、戦場に取り残された多くの民の命を救った。故にあれは敵軍たる正規軍とも違う、そしてオリヴァルト殿下や我が師が率いる中立派勢力とも異なる、全く想定していなかった第四の敵だったと言えるだろう」

 

「第四の敵……分校長は、彼が戦場にそこまでの影響を与えたと?」

 

 オーレリアから彼の評価を聞くのは初めてであったが、余りにも過大評価が過ぎると首を傾げた。

 

 彼があらゆる手を尽くして、両軍の主力兵器を無力化したのは事実だ。

 

 当時、圧倒的な戦力を誇った機甲兵も、結局は無人の状態であればただの鉄の塊だ。頭部のセンサを破壊し、修理用の部品を含めた補給物資を壊せば、それだけで無力化は出来る。だがそれ故に、当然の如く厳重に警護されていた。

 

 だから彼の破壊工作が、戦局を左右する程の規模で成功する事はなかったと調べはついている。

 

「分校長は彼が戦線の停滞と誘導を成し遂げたと断言されましたが、それは例え彼の行動が無くとも発生し得た誤差の範囲内であると私は見ています」

 

 それを理解できないオーレリアではないはずだと訝しがるミュゼに、彼女は少しだけ微笑ましげに続けた。

 

「正確には、あの男はその行動を以って、両軍の指揮官に言い訳を与えただけだ。たった一人の男による、戦線を誘導する意志が見え透いた行動。進路上に存在すると言う、真偽不明の多くの避難民達の存在。そして何度撃退しようと決して緩まることのない襲撃と、それによる両軍の物資の消耗。一つ一つは小さなものであってもそれら全てを合わせれば、貴族連合が戦略上の優位を捨てでも進軍を遅らせる事を、そして正規軍が危険を侵してでも後退進路を変更する事を選択する言い訳にはなった」

 

「示し合わせた訳ではなく、両軍が同時に不合理な手を打ったと……?」

 

「合理を越えた行動は、諸君らⅦ組の得意とする所であろう? そういう意味では、かの狂犬も間違いなくⅦ組の一員だったという事だ」

 

 そしてそれこそが、《指し手》ミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンには無かったモノだと、オーレリアはそうも言っているようだった。

 そしてはそれは、Ⅶ組のミュゼ・イーグレットである自身も、最早認めている事でもある。

 

 小さく溜息を吐くミュゼに満足したように頷き、オーレリアは「とは言えだ」と肩を竦めて続ける。

 

「西部戦線の狂犬とまで呼ばれたその実力に期待していただけに、十二月の末に奴と立ち会った時にはそのあまりの弱さに驚いたものだ。放っておけばそれだけで息絶えても何ら不思議ではない状態で、それでもなお戦い続けたその執念には感服したがな」

 

「え……、あいつと内戦の時に会っていた、と言うか戦っていたんですか?」

 

 驚愕に目を見開くアリサに、当然と言った様子でオーレリアは続ける。

 

「ああ、何度でも立ち上がり牙を剥き続けるあの狂犬に止めを刺したのは私だ。十月戦役、そして北方戦役、そのどちらの戦場においてもな」

 

「それは何と言うか、流石にあいつに同情するわ……」

 

 顔を引き攣らせ思わずと言った様子で呟かれた感想を否定する者は誰もいなかった。

 存在自体が理不尽の塊のような《黄金の羅刹》直々に狙われれば、どうやっても助かる道筋は見えないだろう。

 

「同情と言うなら、結社の執行者の一人にも内戦中に手酷くやられたようね」

 

 そう言えば、とヴィータがそんな事を言えば、「ああ、《痩せ狼》殿だね。私の師匠の兄弟弟子にして、彼の師匠の一人だ」とアンゼリカが続けた。

 

「師匠って……、何がどうなればそうなるのよ。いや、まあ、ヴィータさんを筆頭に結社の人達が好き放題やっているのは今更だけど」

 

 大きく溜息を吐くアリサに、アンゼリカは笑う。

 

「我が師匠曰く、なかなかどうして面倒見の良い御人のようでね。現に彼の型の一応の完成に立ち会った、いや、むしろ昇華させてみせたのが痩せ狼殿だと言う程だ。ああ、彼とトワはつい最近、例のエリュシオンの事件……と言うより新婚旅行中に共和国で会ったと言っていたね。トワもその際に色々とお世話になったようで、二人してヴァルター師匠やら先生などと呼んで慕っているよ」

 

「ふふ、是非私にも紹介してもらいたいものだ。聞く所によるとこちら側の住人だと言うではないか。八葉の剣仙と並び、あの凡人をほんの爪先とは言え《理》の域に踏み込ませる程に研磨した張本人だ。実に興味深い」

 

 結社の執行者《痩せ狼》。彼の日記にも確かに記載がありはしたが、そんな近所の親切な人のような気軽さで語られるには大いに違和感がある人物だ。

 

 反応に困るミュゼを知ってか知らずか、オーレリアは「些か脱線したが、改めてカーバイドの質問に答えるとしよう」と前置いて、

 

「奴は貴族、領邦軍の司令としての私にとっては民を守ってくれた恩義のある人間であり、そして、やはり何処まで行こうと貴族連合の将としての私が討つべき敵であってくれた男だ」

 

 最後にそう締め括った。

 

 アッシュが内心何を思っていたかまでは正確にミュゼに推し量る事はできないが、それでも少なくとも美味しそうにワインを飲み干したアッシュは、しかし「あ?」と眉根を寄せる。

 

「さっき止めを刺したとか言ってたが、姉貴からは中立派があいつを保護したって聞いたぜ?」

 

「ああ、それならトヴァルの奴が回収したのよ。将軍に捕虜にされる直前に、ほぼ死にかけの状態でね」

 

 どう言う事だと尋ねるアッシュに、サラが笑いながらそう答えた。

 

「トワとジョルジュの発案でね。遊撃士協会を巻き込んであいつをリベールの準遊撃士にして、そこにオリヴァルト殿下直々の依頼って言う反則技を重ねて、あいつの行動を無理やり正当化させたってわけ」

 

「それでいいのかよ、遊撃士協会……」

 

 呆れるアッシュに、サラは「人命最優先よ」とだけ答えた。

 

 実際、それだけで済む話でない。

 良い意味でも悪い意味でも《狂犬》と呼ばれる程に戦場を荒らし尽くした彼を手放しで受け入れる程、遊撃士協会は優しくもなければ愚かな組織ではない。

 

 現に今も、その戦闘能力だけなら十分にA級に足る資格を持つ彼が、各組織とのしがらみを除外しても未だ正規遊撃士どころか準遊撃士にとどまっているのは、たった一人で軍隊にも戦いを挑もうとするその思想こそが一番の原因だ。

 

 だが、それでも当時の彼が例外的に準遊撃士として協会の庇護下に入ることが出来たのは、A級遊撃士であるサラの「遊撃士の理念に反したその時は、全ての責任を私が負う」と言う言葉があったからに他ならないとミュゼは知っている。

 

「だからあんた、さっきからその妙に生暖かい視線はやめなさいっての……」

 

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 一通り語り終えたミュゼは、大きく息を吐く。

 幾度目かの紅茶で喉を潤していると、アルティナが「質問があります」とミュゼとリィンを見る。

 

「私が把握している限りでは、彼は俗に言う所の、逆賊カイエン公の大量破壊兵器を破壊し、蒼の騎士の犠牲のもとに灰の騎士が内戦を終結させた最終決戦の場、つまり帝都にいた事になっています。十二月の末に分校長に……いえ、その前から西部で死にかけていたあの人がどうしてその場にいたのですか?」

 

 秘密保持の観点から世間一般に語られている内容で質問するアルティナに、そのエピソードと共に《英雄》と語られるリィンは少し顔を引き攣らせる。

 大量破壊兵器をイシュメルガの呪いに侵された《緋の騎神》に読み替えればほぼ事実そのままであるのだから、余計にたちが悪い。

 

「まあ……特別な方法があるとかではなく、普通に死にそうな状態で応援に来てくれたとしか説明出来ないな。ちなみに、もう今さらだから言ってしまうが、大量破壊兵器と言うのは実際はセドリック殿下を取り込んでイシュメルガの呪いで暴走状態になっていた緋の騎神の事だ」

 

「もしや、星杯でセドリック殿下が言われいた『あの時も』と言うのが?」

 

 クルトの質問に、リィンは「ああ」と頷く。

 

「殿下は騎神に……《紅き終焉の魔王》と呼んだほうが正確だが、それに取り込まれはしていたが、意識はあったんだろうな。あいつが来てくれたのは、俺とクロウが騎神で《終焉の魔王》と戦っていた時だ。クロウが騎神ごと致命傷を負う間際にその場に現れて、そのまま生身でクロウの盾になった。本当にあの時は間一髪のタイミングだったよ。あいつがいなければ、クロウは死んでいただろうからな。まあ、その後は当然まともにあいつも会話できるような状態じゃなかったし、すぐにヴィータさんに治療のためにエリンに転移させられたから、結局、俺は一言も会話できないままだったな」

 

「ええ……」

 

 リィンの説明に、ユウナが思わずと言った様子で小声で引いていた。

 

 ミュゼも同感だ。既に死にかけている状態で騎神の前に立つなど、正直に言って狂っている。

 

「擁護する気はありませんが……セドリック殿下が特任教官の事を嫌う、と言うか、存在を否定する程だったのも理解は出来ますね」

 

「まあ、ぶっちゃけホラーだからな。死にかけのゴミみてえな奴が自分を取り込んで暴れる化物の戦いに生身で割って入って邪魔してくる上に、その数年後には何の冗談かそのゴミみてえな奴に真正面から騎神ごと叩き潰されたんだ。最早恐怖とか通り越して気持ち悪いだろ」

 

 イシュメルガとの最終決戦前の騎神による相克の際に、蕁麻疹を出しながら「あ、あの男は本当にいないんでしょうね!?」などと言っていたセドリック皇子に、クルトとアッシュが同情していた。

 

 そんな彼らに苦笑しつつ、ミュゼは目に薄っすらと涙を浮かべて物語に聞き入っていたティータ向けに補足する。

 

「あと、お話ししていませんでしたが、最終決戦の前に帝都で暴れる魔煌兵に殺されかけたトワ教官を、寸前で見事に救い出すなんて事もされています。アンゼリカさん曰く、『あの役を私が出来ていていれば今頃は私がトワと』なんて本気で悔しがる程の活躍だったようですね」

 

「よかった……トワ教官もちゃんと狂犬さんに会えていたんだね!」

 

「はい。お二人にとっては感動の再会で、それはもう熱い抱擁を交わされていたと聞きましたよ」

 

 そう付け加えればティータは何度も何度もよかったと小さく頷き、袖で目元を拭った。

 そしてリィンに向き直り、嬉しそうに笑う。

 

「改めて内戦の事を聞くと、国外でも帝国の英雄として有名だったリィン教官やトワ教官の活躍も当然凄いですけど、表には全く出ていなかった狂犬さんも凄い人だったんですね」

 

「多くの人を救ったとは言え、結果的には全方位から正体不明の犯罪者として指名手配された状態だったからな。それに《西部戦線の狂犬》と準遊撃士の士官学院生は同一人物として公式には結び付けられていなかった。だから西部であいつに助けられた軍人も民間人も、むしろ沈黙する事であいつを守ろうとしたんだ」

 

「加えて言うと、《西部戦線の狂犬》がトールズ士官学院の生徒、それも名高いⅦ組の一員にしてあのトワ・ハーシェルの飼犬であったことは軍の一部では最早公然の秘密になっていました。そこに西部とは別の場所、つまりは帝都でⅦ組の一員として参加した戦いに巻き込まれての戦死という事実が重なり、これ幸いと軍や政府のお歴々は全てに目を瞑り、結果的に彼は良くも悪くもただの士官学院生として葬られました。死者は語りませんし、下手に死者に触ると祟られかねない状況でしたので。もっとも、貴族連合側の英雄《蒼の騎士》だったクロウさんはそうは行かず、しっかりと英雄として葬儀が行われていましたが」

 

 リィンの言葉にそうミュゼが補足すれば、皆は何とも言えない顔で苦笑していた。

 

「さて、《狂犬》としての彼のお話は、一旦ここまでですね。十月戦役以降の彼は《亡霊》と称すべきでしょうから」

 

「亡霊、か。その渾名は聞いた事がないが……まあ、正体を隠されていたのだから、当然と言えば当然なのか」

 

 眉根を寄せて記憶を探るクルトに、ミュゼは小さく笑う。

 

「ふふ……これも笑う所なのか少し迷う所ではありますが、皆さんも既にご存知のお話もあるはずですよ? 以前、ヴァレリーさんがノーザンブリアの怪談話をされていたのを覚えていませんか?」

 

「……ええぇ…………」

 

 ユウナは、もう隠す気もなくはっきりと引いていた。


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