凡人の軌跡   作:kuku_kuku

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希望の翼

「《亡霊》による襲撃は、オーレリア分校長率いる機甲兵大隊が首都ハリアスクに到達するまで続きました。最後には彼との戦いで統合地方軍……いえ、正確にはイシュメルガの呪いと戦う兵を鍛え上げようとされていたオーレリア分校長自身が、それ以上の継戦は戦争の長期化に繋がりかねないと判断を下し、自らの手で彼を討つ事になります。以上が、公式の記録には残されていない北方戦役の裏側の戦いです」

 

 ミュゼによってそう締め括られた話に、ユウナが少し呆然とした声で「あの人へのノーザンブリア出身の人達の態度がちょっとおかしいって言うか、表面上はよそよそしいのにやたらと丁寧とう言うか暖かかったのって、そういう事だったんだ……」と呟く。

 

 続いてアルティナが、ようやく腑に落ちたと言った様子で頷いた。

 

「情報局でも《亡霊》と称される敵対戦力の存在は把握していました。しかしそもそもの戦闘記録があまりにも自爆テロ紛いなものばかりであったため、表向きには自棄になった一部の北の猟兵による特攻だったと片付けられています。鉄血の子供達や黒の工房側ではその時点で、蒼の起動者を継ぎ不死者となった《狂犬》の関与が可能性として浮上していたようですが……まあ、達人クラスの実力もない生身の人間の所業と考えるよりは、よほど理屈が通りますからね」

 

「補足すると、後にヴィータさんの『蒼の起動者に成り損ねた狂犬に与えられた試練の一つ』というカバーストーリーが合流した結社から補完された事もあり、アルティナさんが今説明して下さった説が裏における共通認識となりました。これが星杯での戦いにおける死んだはずのクロウさんと言う切り札に繋がるのですが、まあ、その話は追々でしょうか」

 

 一人の人間の執念の果てに生み出された亡霊の存在の証明に、不死者という理外の力によって成り立つ超常の現象を短絡的に当て嵌めてしまった地精と黒のイシュメルガ。彼らと同じ過ちを自らも犯していたミュゼとしては、苦笑するしかなかった。

 

「特任教官の対機甲兵戦術は、ノーザンブリアでの戦いで培われたものだったんだな。自ら剣を置いた軍人がいたとは言え、結果的に単騎、それも生身で数十の機甲兵を打ち破る……そして騎神をも下す程の戦術を完成させるには、戦争という熾烈な戦いが必要だったと言うわけか」

 

「ふふ、クルトさんは本当に素晴らしい聞き手ですね」

 

 唸るクルトに、ミュゼは笑う。

 彼の凡人は、戦争の中で最新鋭の兵器に打ち克つ術を組み立てられる程、才能に満ち溢れてはいない。

 

「確かに十月戦役、北方戦役、二つの戦争を通して機甲兵と生身で戦うという異常な行動を繰り返した事が、彼の糧になっていた事は確かでしょう。しかし本当の意味で彼の対機甲兵戦術のベースが出来上がったのは、北方戦役が終わり、ローゼリアさんと共に向かったクロスベルでの戦いを通してだったようです」

 

「クロスベル?」

 

 その時期に、クロスベルでは特に大きな事件があったわけではない。

 それを知っているが故に首を傾げるクルトに、ミュゼはくすりと笑いながら続ける。

 

「北方戦役の後、彼はローゼリアさんと共に金の騎神を手に入れるためにクロスベルに渡りました。ローゼリアさんが開いた試練の場で、彼は騎神の影と戦う事になります。リィン教官が灰の騎神の起動者として選ばれた際に、旧Ⅶ組総員でかかってどうにか勝つことが出来た程の強者相手に、たった一人でです」

 

 騎神の影という超常の存在に納得いったとばかりに頷き、「なるほど。確かにそれ程の相手との戦いに打ち克つことが出来れば」と誤った解答を語ろうとするクルトを遮り、ミュゼは笑顔のまま続ける。

 

「彼は、騎神の影との戦いに敗れます」

 

「え?」

 

 呆然とするクルトの反応に笑いを噛み殺しながら、ミュゼは試練について語る。

 

「対人戦をそもそも想定していない機甲兵とは異なり、機神の影は起動者を試す試練そのものとして生まれた存在です。達人と呼ばれる域にもない彼が一人で乗り越えるには、あまりにも高い壁だったのでしょう」

 

「だが、それならどうやって特任教官はあれ程の強さを手に入れたんだ?」

 

「単純な事です。勝つまで挑み続けた結果、勝てるだけの強さを手に入れたんです」

 

「…………」

 

 ついに言葉を返せなくなったクルトを無視して、ミュゼは続ける。

 

「百二十八回。それが彼が騎神の影に敗れ、命を落としかけた回数です。一ヶ月の間、彼は試練の場に篭り続け、影と戦っては敗北し、ローゼリアさんによる最低限の治療と結界の術の手解きを受け、そしてまた影に挑み続けるという生活を送ったとの事です。そして最終的に試練を乗り越えた彼は、しかし金の騎神に選ばれる事はありませんでした。ですがその一方で、容易に騎甲兵を打倒し、そして何より魔女の弾丸と言う規格外の武器があったとは言え、緋の騎神を真正面から打ち倒せる程の力に手をかけました。東方の言い回しを借りれば、瓢箪から駒とはこの事を言うのでしょうね。クロウさん達の計画は元より、星杯における戦いの前に因果に選ばれた金の騎神の起動者を目覚めさせるために、試練の場を強引に開いてしまう事を第一の目的としており、彼自身が起動者として選ばれる可能性は低いと踏んでいました。ある意味想定通りその金の騎神を自軍に引き入れる策は失敗に終わりましたが、一方で人の身でありながら対騎神戦に特化した《狂犬》という、星杯での戦いにおけるもう一枚の切り札を生み出す結果になったのですから」

 

「……やはりすごい武人だな、特任教官は。『毎日訓練をした』。どうやって強くなったかを何の気なしに聞いた際にそう返って来た時は、正直少しだけ呆れもしていた。だが、今ならその言葉の重みが分かる。本当にあの人は、一歩ずつ休まずに積み重ね、過酷な戦いを一人で乗り越えてきたからこそ、あれ程の高みに至る事が出来たんだな」

 

 溜息を吐きながらそう呟き、そして少しだけ落ち込んだように苦笑するクルト。

 

 そんな彼に対して、「あの直向きさを見習うのは良いことだが、だからと言って一人で無理をするのはまた違うぞ」とリィンが優しく微笑みながら肩を軽く叩いた。

 

「あいつ自身も最近言っていた事だが、助けてくれる周囲の人がいるからこそ強くなれる事だけは、絶対に忘れたら駄目だ」

 

 そう前置いて、リィンは彼の言葉を語った。

 

『競い合えるⅦ組の皆がいた。八葉を老師、泰斗をゼリカ先輩、銃技をクロウ先輩、猟兵流の戦術をフィーとサラ教官、魔術と法術による結界をロゼさんから学んだ。ジョルジュ部長から習った導力学も機甲兵用の戦術の核になってる。キリカ師範代やアルゼイド子爵にもお世話になった。それらを合わせて無刀として爺ちゃんが鍛え直してくれて、ヴァルター師匠が《無月》に至るまで研磨してくれた。多くの師に恵まれて、その師の中には同時に競い合える友人もいる。才能がない俺がここまで強くなれたのは、その人達の存在があったからこそだ』

 

「最後に、無茶をする自分をトワ会長が助けてくれた云々と長々と語られたが、それはまあ余談だろう。ともかく、あいつも単独で軍に戦いを挑んだりと言った無茶をし続けただけで強くなった訳ではない事は知っておいてほしい。現に、あいつは誰かと組んで戦う時の方が色々な意味で厄介だからな」

 

 途中、微妙に愚痴混じりの感想が漏れかけていたが、それに反応する前にいち早くティータがリィンの言葉に相槌を打った。

 

「狂犬さん、一人での戦いでも強いですけど、クロウさんやアンゼリカさん、フィーさんと一緒に戦う時はもっと凄いってアガットさんから聞きました」

 

「俺も見た事あるが、あれは凄いっつーか、えげつないって方が妥当だろ……」

 

 ぼそりと呟かれたアッシュの引き攣り気味の言葉に、ユウナが「そんなに言う程なの?」と首を傾げる。

 

「犬猫コンビ……姉貴との方じゃなくて、白猫姉貴パイセン自称の姉弟コンビ、兄貴曰くの兄妹コンビの方な。まあ、その組み合わせの場合は、二人同時に高速で動き回りながら銃弾と手榴弾をばら撒いて視界奪った上に、短剣で出鱈目に切りつけて来やがる。どうやったらお互いの攻撃が当らねえようにあんな出鱈目な動きが出来るのか、正直まるで意味が分かんねえ」

 

「かわいい名前に全く似合わない殺傷能力の高さですね」

 

 物騒なアルティナの合いの手に頷き、アッシュは続ける。

 

「ゼリカパイセンとのロリコンコンビの場合は、泰斗の寸勁を全く同じタイミングで交差しながら連続で叩き込んで行きやがる。表と裏から同時にアレを食らうとまともに受け流せもしねえから、マジで死ぬらしいな」

 

「…………」

 

「ヒモ夫コンビも大概だな。クロウパイセンが良くやる、両手の銃を撃ちまくって転移陣越しに直接敵に弾ぶち込むやつがあるだろ? 兄貴が加わるとあの銃撃が倍になる上に、敵側の転移陣の外側に結界まで張って簡単に抜け出せねえようにしたついでに跳弾がおまけで付いてくるようになる悪辣さが追加される。止めには二人揃って銃と脚からふざけた威力の十字の斬撃飛ばして来やがるしな」

 

「……先程から名前が酷すぎていまいち内容が頭に入ってこないのですが、凶悪な事はよくわかりました」

 

「アガットさんは、エステルお姉ちゃんとヨシュアお兄ちゃんの連携に近いレベルだって言ってました。アガットさんが見た事のある中での、最上級の水準だって」

 

 無表情ながらも複雑そうな声色で返すアルティナと、ニコニコと嬉しそうに返すティータ。

 両極端な反応ではあったが、凄まじいレベルでの連携という事には相違ない。

 

「…………」

 

「クルト君、どうしたの?」

 

 押し黙るクルトを心配してユウナがそう問いかければ、一人満足そうに頷いたクルトは改まって真剣な瞳でユウナを見つめる。

 

「僕自身の鍛錬も足りていない事は今日で十二分にわかったが、それと同じくらいクラスメイトとの連携も不十分だと反省していたんだ。差し当たっては、明日、リィン教官と特任教官にその辺りの訓練もつけてもらおうと思うんだが、ユウナも是非参加しないか?」

 

「え!? あ、明日は確か、部活があったような……」

 

「はあ? 明日は休みって話だっただろうが。観念して修行馬鹿どもに付き合ってやるんだな」

 

 鼻で笑うアッシュをユウナが悲痛な面持ちで睨み付けるが、気持ちは良く分かる。

 彼の訓練は色々と頭がおかしいのだ。本当に加減という言葉を知らないらしく、越えてはならないラインを平然と一歩目から踏み越えてくる。

 色々な意味で彼の悪影響を受けつつあるクルトや一部の生徒は喜んでいるが、大半の生徒はオーレリア分校長の授業の次に彼の授業にトラウマを抱えている。

 

 巻き込まれないように大人しく息を潜めながら、ミュゼは反射レベルでユウナを煽るという悪手を打ったアッシュに同情していた。

 

「ん? 何か言い方が少し妙だが、アッシュも僕とだけでなく、ユウナとの連携の訓練もしたいだろう?」

 

「何で俺が参加するのが大前提で、更にお前と連携の訓練をするのも前提みたいになってんだよ」

 

「えっ?」

 

「…………」

 

「トワ教官と特任教官がいるのに、来ないのか? あの二人、おそらく君は何も言わなくても来ると思っているじゃないのか?」

 

「…………」

 

 答えの分かりきった不毛なやり取りをしているクルトとアッシュ、そして自ら巻き込まれに行ったユウナを放置して、ミュゼは残りのメンバーと己の明日を守るために話を再開した。

 

「少し脱線してしまいましたが、試練を乗り越えた彼は聖獣ツァイトさんを探すローゼリアさんに付き合い、しばらく死の商人としてのナインヴァリで働きながらクロスベルに潜伏する事になります。あの黒の工房製のライフルは、その時の伝手で手に入れたようですね」

 

「えへへへ。そのライフルなんですけど、部品をゼムリアストーン製に総入れ替えしてる上に、ガンユニットも最近ジョルジュさんと私で設計したものに替えたから、今は完全に別物で、設計上は従来の倍の威力まで出せるんですよ!」

 

 楽しそうにさらりと恐ろしい事を言うティータを、ミュゼは笑顔のままスルーした。

 エリュシオンの件があったが故の改造なのだろうが、どう考えてももはや生身で扱おうとする事自体が間違えた威力の設計になっている。もっとも生身で騎神に食い下がろうとする発想自体が間違えているのだから、今更ではあるが。

 

「帝国の辺境から、ノーザンブリア、レミフェリア、ノルド、クロスベル。修行とイシュメルガの呪いとの戦いを目的とした、それらの国々を渡る放浪の旅を終えて彼が帝国の魔女の里に戻って来た頃には、もう七耀歴1206年3月も終わりかけ、私達が分校に入学した時期になっていました」

 

「あれ? レミフェリアやノルドの話なんてあったっけ?」

 

 無理やりこちらの話に合流してきたユウナに苦笑しながら、ミュゼは補足する。

 

「ノーザンブリアから直接クロスベルに渡ったのではなく、その二国を経由しているんですよ。実はノーザンブリアでの戦いの後、致命傷という程ではなかったようですが、それでも重傷を負っていた彼を保護したのは、当時NGOの一員として難民キャンプを手伝われていたトワ教官なんです。その伝手でノーザンブリアからレミフェリアを経由して、呪いの影響が視えたノルドに渡り、その後にクロスベルへと移動したというのが正確な移動経路ですね」

 

「ええ!? トワ教官とノーザンブリアで再会出来てたの?」

 

「はい。実はそれ以前にもフィーさんとサラさんと再会していますし、ノルドではガイウスさんとも会われています。ノーザンブリアでもタイミングによっては、軍の要請で現地にいらっしゃったリィン教官やアルティナさんともニアミスしていたでしょうね」

 

「……一応、生きている事は秘密にしていたのよね?」

 

 何とも言えない表情で苦笑するユウナに、ミュゼは「まあ、クロウさんと違って彼の場合は敢えて色々と派手に動かれていましたから、公然の秘密というやつですね」と答えた。

 

「さて。ここからは実はあまりお話する事がないんですよね。皆さんが既に星杯の件の直後にクロウさんから説明を受けた通り、呪いに汚染された大地の聖獣を封印し、同時に星杯を媒体としてイシュメルガをこの次元に顕現させて打ち倒す、翼の閃き作戦の前身となった計画を進める為の下準備をされていたのが彼の行動の全てですので。星杯以降も、トワ教官と共に呪いの影響を強く受けた帝国軍の拠点をめぐり、呪いの封印とヨルムンガンド戦役における抵抗戦力の拡充を図られていたのはご存知の通りですし」

 

「確か、六月と七月の実習中、結社と地精絡みの事件の時は実は近くにいたんだっけ。今思えばって話になりますけど、海上要塞占拠事件の時、リィン教官達は気づいていたんですよね? ちょっと反応が色々とおかしかったですし」

 

「ああ。ミリアムが前日にあいつに会っていたし、トワ先輩の反応、それに戦闘の痕と、判断材料は揃っていたからな。そうでなければ流石にアッシュの無断外出も止めていた」

 

「え、アッシュって遊びに行ってて罰則受けたんじゃなかったの?」

 

 首を傾げるユウナに、アッシュが「あ? まあ、だいたいその通りだぜ」と少し恥ずかしそうに適当な事を呟くので、ミュゼはしっかりと補足する。

 

「当然と言えば当然なのですが、単独で北の猟兵が占拠した海上要塞に攻め入った彼は重傷を負っていました。それを分校長経由で把握されたトワ教官は、彼の潜伏先のオルディスの宿に治療に向かわれます。だからアッシュさんはお慕いするお姉様に一人危険な夜道を歩かせまいと、そして容態の悪いお兄様の御見舞をしようと、罰則などは二の次とオルディスに向かわれたんですよ」

 

「おいこら、何適当な事を……」

 

「ああ、納得。アッシュってば、あの二人絡みだと本当にキャラ崩れるわよね」

 

 先程の報復も兼ねてか煽り倒すユウナと、それに青筋を立てるアッシュ。

 そんな二人には欠片たりとも興味を示さず、アルティナが「要塞攻めと言えば」と思い出したように呟く。

 

「ヨルムンガンド戦役の開戦間際までに、国境に位置する全ての要塞に攻め入ったという話でしたね。最初は何の冗談かと思いましたし、何なら情報戦の一種かとも思っていましたが、今となっては文字通りの意味として受け取ってしまう自分がいます」

 

「まあ、要塞攻めと言っても目的は攻略ではなく、呪いの影響を受けた軍人との戦いでしたからね。無謀ではありますが、そうでもしなければ《大地の竜》を内側から食い破るというトワ教官の策は成っていなかったでしょう。もっとも彼自身はそのようなつもりはなく、単純にイシュメルガの呪いという理不尽と戦うことだけを目的とされていたようですが」

 

「……にわかに信じ難いですが、まあ、そうなのでしょうね。ヨルムンガンド戦役の開戦日のトワ教官の作戦についても、本当に知らなかったようですし」

 

 アルティナとミュゼは、同時に苦笑した。

 

『《千の陽炎》が帝国軍を迎え撃つ前に、私達が《大地の竜》と戦います。その戦いをもって、相克を成せる闘争としてみせます』

 

 《翼の閃き》という世界を救うために世界大戦の始まりを容認する苦肉の作戦に全てを賭けるしかなかった当時の状況の中、トワ・ハーシェルはそう宣言した。

 誰もが荒唐無稽なその言葉に何も言えなくなる中、彼だけが淡々と言葉を発したことはよく覚えている。

 

『トワ先輩が言った事が実現可能かどうかは置いておいて、俺はもう、開戦前からタングラム要塞を襲撃すると決めています。呪いの影響が一番強いのは、そこだと思うので。だから俺がやることは変わらないし、もしもそれで相克を成せる熱を確保できるなら、作戦の実行を早めて欲しいです』

 

 正直、何を言っているのかミュゼには意味が分からなかった。

 

 帝国と共和国の国境。最も戦力が集い、最も熾烈な闘争が発生する場所。故に闘争を根源とする呪いは、必然的にその場で最も強くなる。

 

 そこまでは理解できるのだ。だが、何故、それが単身で数十万の軍と戦おうとすることに繋がるのか、本当に全く理解出来なかった。

 あろうことか彼はそんな意味不明な言葉を発する直前に、《翼の閃き》作戦の成功率を上げるためにも、もはや焼け石に水にしかならない呪いの封印の手伝いを止めてこちらに合流してくれとトワ・ハーシェルに協力を仰いだミュゼに同意までしていたのだから、尚更どういう思考回路をしていればそのような結論に至るのか、意味が分からなさすぎて思考が無限に発散し続けたのを覚えている。

 

「ミュゼちゃんが本気で驚いてるのって、あの時初めて見たかも」

 

「確かに。口を開けたまま呆然としていたのには少し笑わせてもらったな」

 

「ふふ。ティータさんもクルトさんも聞き間違いかと首を傾げていらしたはずですが……まあ、そうですね。驚いた事は事実です。感性も理性も言動も常識的なのに、最終的な行動がそれらと結びつかない彼は、私の異能と少々相性が悪いようなのですよね。正直、ヴィータさんやクロウさん、それにあのトワ教官が全幅の信頼を置いている理由も全く理解出来ていませんでした。そういうものだと受け入れた今であれば話は別ですが、むしろ当時は知らない間に盤上を狂わす異物として無意識の内に嫌悪感まで抱いていたくらいです」

 

 顔には出さず笑顔で言ってのけたが、当時は彼に対する嫌悪感をまるで隠せていなかった事実自体に、少しだけ恥ずかしい気持ちになる。

 そんなミュゼの心の内を見透かしているかのように微笑んでいるリィンが、ほんの少しだけ恨めしかった。そういった機微には聡いのに、何故それが恋愛方面では発揮されないのかが本当に理解できない。

 

「例の結社の執行者の協力のもと、今の独自の流派とも言える戦闘スタイルを確立されたのがその時期という話だったか。開戦時も機甲兵部隊や列車砲、果てには戦艦まで撃墜したという話でしたが、その頃には分校長の言葉を借りれば『こちら側にもあの牙は届き得る』レベルまで至っていたのでしょうか?」

 

「いや、流石に短期間でそこまでは強くはなれなかったようだな。事実、赤い星座の団長相手には完敗だったと聞いた。左腕を犠牲にしても、たった一太刀入れるだけが限界だったらしい。まあ、その時の経験も当然活きているだろうが、あいつの今の実力は、今も昔も変わらずに積み上げ続けているからこその成果だ」

 

「特任教官の左腕を奪ったのは、あの噂の《闘神》だったのですか……。《羅刹》と言い《闘神》と言い、尽く戦場で出会うべきでない相手に出会う人ですね、特任教官は」

 

 ヨルムンガンド戦役において、導力機関に依存する兵器類に無類の強さを発揮する彼は、多くの戦果を残している。

 そんな彼を止めたのはリィンの説明通り、帝国軍側についていた猟兵団《赤い星座》を統べる《闘神》シグムント・オルランドだった。

 十月戦役と北方戦記においては帝国最強と名高い《黄金の羅刹》、ヨルムンガンド戦役においては猟兵最強と噂される《闘神》と、災害に近いような相手によく生き延びだものだと唸るクルトの気持ちも良く分かる。

 

 だがしかし、ヨルムンガンド戦役における彼の戦いには、まだ続きがある。

 彼は誰もが死んだと思っても生きているからこそ《亡霊》と、そして決して折れず立ち止まらず戦い続けるからこそ《狂犬》呼ばれ畏怖されたのだ。

 

「左腕を失い倒れた彼に《闘神》は止めを刺さずに、次の戦場へと移ったようです。彼のような例外的な戦力に対する対抗戦力して帝国に雇われていた《闘神》としては、十二分に仕事は果たしたという事なのでしょう。もっとも、まだ死んでいないだけで致命傷には変わりなかったので、見逃したと言うよりは放置したと表現するのが正しいのでしょうが。ですが、結果的にはそれは悪手でした。彼は導力魔法で傷を焼いて無理やり止血し、左腕を失ったまま再度戦場に戻ります」

 

「…………」

 

 薄々、皆も気付いていたのだろう。驚愕ではなく、納得と諦めの表情を浮かべ沈黙する。

 

「いくら彼が達人級の実力者でも、重傷の身、それも片腕を失いバランスが崩れた状態でまともに戦えるはずもありませんでした。出来た事と言えば、歩兵の前に立ち塞がる事が精々だったようです」

 

 迎撃のために打ち込まれる銃弾の威力だけ結界で低減させ、歩兵部隊に突撃し接近戦に持ち込み泥臭く戦い、兵士を蝕む呪いを己に封印する。

 

 当然、そんな無茶が長く続く訳がない。

 だが、彼は止まらなかった。

 

 立ち上がれなくなっても、それでも這ってでも戦い続けようとした。

 帝国で幸せに生きるために、平和を脅かすイシュメルガの呪いという理不尽を打倒するため、諦めなかった。

 

「西部戦線、北方戦役、そしてヨルムンガンド戦役。全て、同じだったようです。血と泥に塗れて戦争そのものに、イシュメルガの呪いという理不尽そのもの抗う彼の姿は、呪いに侵された人々にとっての希望になったようです。呪いに侵されていた人もそうでなかった人も、戦争を止めようとする彼の姿を見て、戦いの手を止めました。そして戦争そのものと戦うという彼と、彼に影響された人々の行動は、トワ教官という翼の存在によって多くの兵に伝播しました。始まってしまったヨルムンガンド戦役において、しかし《大地の竜》と《千の陽炎》の全面衝突を回避できたのは、彼の存在があったからこそだったと、今なら私はそう認める事ができます」

 

 大海の水を一つのグラスで掬い出すような愚かな行為。

 

 それは過去に己が彼を揶揄した言葉だ。

 

 しかし、今ならばあの時の言葉は誤りであったと認める事が出来る。

 彼は愚直なまでの小さな行為の積み重ねによって、確かに帝国を救って見せた。

 

「……今聞く事じゃないかもだけど、あの頃にはもうトワ教官達ってそういう関係だったの? ほら、私達、オリヴァルト殿下達の結婚式の時に初めて実はトワ教官も結婚するって聞いたでしょ? 去年の前半、まだ平和だった時期には『今はちょっとバタバタしてて恋愛は考えられないなあ』なんて言ってて、でも開戦間際にはずっと二人きりで行動してたし。かと思えば戦争後に分校に戻って来た後は何ていうかその手の話は避けてたから、ちょっと結婚の話が唐突過ぎて」

 

 ユウナの若干気不味そうな、でも我慢できなかったと言わんばかりの質問。ミュゼが自身の手によって少し重くしてしまった空気をどうにかしようという意図の見え透いた、優しくもある質問。

 

 そんな質問にクルトが「トワ教官とそんな話をしていたのか、意外だ」と感想を漏らせば、アルティナが律儀に事情を説明する。

 

「女子会というやつです。分校長まで参加される定例行事ですね。まあ、分校長のお話は何時も『伴侶に成り得る私よりも強い相手は中々現れない』という不毛なものですが」

 

「不毛って、いや、お前らが言えることじゃねえだろ」

 

「アッシュさん……傷つくので本当に止めて下さい」

 

 揶揄でも何でもなく真面目な顔で呟かれたアッシュの言葉に、墓穴を掘ったアルティナは冗談抜きで落ち込んでいた。

 深く考えると自分もダメージを負うことになるため、ミュゼは気持ちを切り替えてユウナの質問に答える。

 

「お二人が恋人同士になられたのは、実はあのヨルムンガンド戦役前夜の決起集会での事だったようですね。詳細については日記が全て検閲済みで塗りつぶされていた上に、トワ教官も恥ずかしがって教えて下さらなかったので不明なのですが、アンゼリカさんの言葉を信じるのであれば『私があの日、このまま放置しておけば誰かの飼い犬になってしまうのだから、首輪をつけるのなら今しかないとトワに発破をかけなければ結婚などありえなかったのだから、我が弟子には一生師を敬ってもらいたいものだ』という経緯らしいですね。そしてここからは確かな情報になりますが、恋人同士になった翌日には彼は重傷を負い三ヶ月間意識不明だった上に、意識を取り戻された後も魔女の里でリハビリ、そして古代遺物関係で一月ほどアルテリア法国に行かれていたため、実はオリヴァルト殿下達の結婚式以前には、彼が目を覚まされたその日、たった一度しか会っていませんでした。トワ教官も教官職、帝国政府、NGO関連と膨大な仕事を抱えていましたし、彼の方にも事情があり、連絡すら一切取っていなかったとの事です」

 

「え? 一度って、でも、結婚するって聞いたのって殿下達の結婚式の日なんだけど……」

 

「はい。なので、決戦前夜に恋人関係になり、その三ヶ月後に一度だけ再会し、さらにその三ヶ月後にいきなり結婚する事になったようです」

 

「…………」

 

 政略結婚が当然の貴族社会で生きてきたミュゼにとっては頻度自体は驚愕を受けるほどではないが、珍しい過程であることは確かであるため、呆然とするユウナの気持ちも十分に理解できた。

 予想を裏切らないユウナの反応を十分に堪能し、続きを切り出そうとした所で、「確かに言われてみれば、結婚自体がなかなか急な話ではあったのか」とリィンが思わずと言った様子で呟く。

 

 どういう意味だと首を傾げる生徒一同に、リィンは少し躊躇いがちに当時の事情を語った。

 

「あの当時のあいつは結婚どころかトワ先輩と頑なに会おうとしない上に、今にも自殺するんじゃないかというような状態で、心配の方が強かったからな」

 

「自殺ですか……? 確かに狂犬さんも左腕を無くされた上に、トワ教官も左目を失明されるなんて大変な事がありましたけど、そういう事じゃないんですよね?」

 

 首を傾げるティータに、リィンが「ああ」と頷く。

 

「当時は誰も原因が分からなかったから、余計に大事になっていた。本人に原因を聞いても顔を青褪めさせるだけで、何も言わなくてな。ヴィータさんやロゼさんどころか先輩達でもどうしようもなくて、俺を含めたⅦ組の誰が聞いても駄目だった。分かる事と言えば発端がトワ先輩との再会だったという事だけで、おそらく先輩の怪我が関係しているんだろうと推測はしていたが、かと言ってあいつの性格上、後悔はするにしろ、その事であそこまで精神的に追い詰められるような状態になるとは到底思えなかった。まあ、結果的には先輩の怪我が原因と言えば原因ではあったんだが……」

 

 言い淀むリィンを気遣いクルトが「僕達が聞くべきでない事であれば、無理に説明頂く必要はありません」と断りを入れるが、リィンは静かに首を振る。

 

「いや、そもそもこの話は今日の本題、ミュゼがあいつの経歴を調査することになった原因にも関わる話だ。クロスベル再事変の関係者である皆には知る権利があるし、むしろこの機会に話しておくべきだろう」

 

「え……あれ? 思ってたよりも重要そうな話になってるんですけど……何ていうか、ごめんなさい」

 

 真剣な面持ちでそう仕切り直したリィンに、トワ・ハーシェルと彼の恋愛話を聞こうとその話題を切り出した本人であるユウナが、分かりやすく動揺しながら謝罪する。

 

 狂犬、亡霊、そして希望。歴史には残らず、されど多くの人にその名を語られる彼の軌跡を辿り、そして既に結論を得たミュゼとしては、苦笑するしかなかった。

 リィンの言葉通り、ミュゼが彼の軌跡を辿った発端である、あのもう一人のリィン・シュバルツァーが投じた疑問の答えは実にシンプルで、何の捻りもないものであったのだから。

 

 その答えはミュゼが語るよりも、ある意味でもう一人の当事者でもあるリィンこそが語るべきだろう。

 ミュゼもリィンもその思いは一緒だった。視線で語り合い、頷き合い、そしてリィンは静かに語り始めた。

 

「エリュシオンの限定式収束未来演算。結局のところはそれが原因で、同時に、あの事件に繋がったエリュシオンによって演算されたもう一つの未来の起点が、あいつと俺と、そしてイシュメルガだったんだ」

 

 そうして話は、大陸全土を恐怖のどん底に陥れたクロスベル再事変、その創りへと繋がる。

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