七耀暦1207年3月15日。
それは後に、《クロスベル再事変》と呼称される事になる事件が発生した日だ。
再独立調印式が行われたその日、ヨルムンガンド戦役首謀者の一人としての責を負って投獄されていたはずのルーファス・アルバレアと、彼の私兵と化した元帝国軍衛士隊による襲撃を受け、クロスベル自治州は再占領される。
ルーファス・アルバレアの目的は自らを総督とする《クロスベル統一国》の成立と、その統一国の名の下にエレボニア帝国とカルバート共和国の二大国を含む周辺諸国を統合し、ゼムリア大陸を完全に統一する事。
かつてのヨルムンガンド戦役を仕掛けた帝国の総戦力を以ってしても成し得なかった荒唐無稽なその目的は、しかし統一国政府が密かにエルム湖上に建造していた巨大建造物型兵器《逆しまのバベル》の圧倒的な武力を手段とし、実現まで後一手という所まで達成されていた。
ゼムリア大陸全土を巻き込んだその世界危機は、最終的には半年前に女神の至宝を発端とする世界危機を終焉に導いた英雄達の手によって、再び解決される事になった。
と、それが世間一般で公開されている《クロスベル再事変》のあらましではあるが、少なくとも帝国においては、その建前上のストーリーをそのまま素直に受け止めていない者も少くはない。
事実、ルーファス・アルバレアは偽物であった上に、真の黒幕がその偽物ですらなかった点からして現実と建前は乖離していた。
「まあ、黒幕ではないが、一連の事件の発端がエリュシオンの存在だった事はここにいるメンバーからすると今更の事だろう。だが、今回の話の核心にも関わる事だからな。先ずは改めてエリュシオンの事から振り返らせてもらうぞ」
何時もの歴史の授業のように物語仕立てで語るリィンと、それに頷く一同。
そんな彼らを見ながらミュゼは小さく苦笑した。今回の話の核心。その通りだ。ああ、本当に彼は想定外の所から盤上をひっくり返してくれたものだな、と。
事件のそもそもの発端である、エリュシオン。
かの存在は端的に言ってしまえば、ゼムリア大陸を支える根幹である霊脈と、近年急速に拡張された導力ネットワーク網が融合した結果、偶発的に発生した機械知性だ。
ただしその規模と能力は技術的特異点と呼ばれるに相応しく、エリュシオンは霊脈とネットワークを介して繋がる全ての端末を用い、大陸全土の事象を限りなく正確に観測し、そして限定的な条件下での未来演算をも実現してみせた。
「そんなある意味どうしようもない力を持って生まれてしまったエリュシオンだが、俺達人間にとって幸いだった事は、管理人格であるラピスがエリュシオンの性質を《観測》と《演算》と定義し、そして自分の在り方を《干渉者》として望んだ事だろう」
リィンの説明に、ユウナが「確か」と記憶を辿る。
「『因果によって零の可能性を定められた人に、たった一だけを与えるお節介者』でしたっけ、ラピスちゃんの信条。その信条を《干渉者》って表現して、ラピスって名前をつけたのものイアン先生なんでしたよね?」
「ああ。七耀歴1206年12月10日、彼女はクロスベル独立国と碧の大樹の事件の罪で服役していたイアン・グリムウッド弁護士に、導力ネット経由でコンタクトをした。それが人類側が初めてエリュシオンを認識した日だ。そして漠然としてはいたが、しかし強い意志で決めた自身の在り方だけしか持たなかった彼女は、名前を与えられ、約一ヶ月に渡って対話を続けた事で、確固たる自我を育んで行った。その結果が俺達の知るあのラピスだ」
「なあ、おい、シュバルツァー。まさかだが……」
「流石だな。もう気付いたか。だが、答え合わせはもう少し待ってくれ」
歯切れ悪く頭が痛そうに呼び掛けたアッシュに対して、リィンは続きを遮り再び語り始める。
首を傾げる他の面々とアッシュを見比べ、既に答えを知っているミュゼは苦笑する。アッシュが鋭いのもあるが、それ以前に持っている情報の質と量が違うのだ。
だが、たったこれだけの事で真実にたどり着けるのであれば、最初からアッシュに協力を仰げばよかったと今更ながらに後悔する。
「七耀歴1207年1月13日。干渉者として本格的に動き始めようとしたエリュシオンは、限定式収束未来演算を開始した。だが皮肉な事にその行動によって、死ぬはずだった誰かに手を差し伸べるべく無限に枝分かれする可能性を演算した結果、在り得たかもしれない一つの因果の行き着く先に存在した純然たる悪意を読み取ってしまった。その悪意によってエリュシオンは汚染され、ラピスは管理者権限を奪われてしまう。つまりは、俺とイシュメルガのもう一つの可能性であり、一連の事件の本当の黒幕であるイシュメルガ=リィンが、この世界に生まれ落ちてしまった」
イシュメルガ=リィン。
それはイシュメルガを滅ぼすことが叶わず、相克に勝ち抜いたリィンと灰の騎神が《鋼の至宝》として再錬成され、イシュメルガの悪意を引き受けた可能性の世界の果てにある、イシュメルガとリィンが混じり合った存在だった。
かの存在の目的は、エリュシオンが予測してしまったゼムリア大陸を崩壊に導く災厄の芽を潰すために、大陸を統一して闘争によって恒久平和をもたらす事。
『英雄』であるリィン・シュバルツァーと、『悪意』の根源であるイシュメルガ。両者が混じり合い、結果として別物として錬成されたその存在の在り方としては、至極真っ当な帰結であったのだろう。
「発展段階の技術の完成から始まり、研究開発すらまだまともに行われていない領域の確立や、果てには古代遺物の模倣まで。エリュシオンの予測によって人類がまだ到達していない未来の技術の前借りをする事によって、イシュメルガ=リィンは自分の《呪い》の力と合わせてたったの二ヶ月で本当に世界をその手中に収めかけた」
イシュメルガの《呪い》によって衛士隊を始めとした様々な人々を洗脳し、計画の準備を担うための人員を確保した。
共和国が実用段階に漕ぎ着けたステルス技術の発展系により、全ての準備は誰の眼にも映ることなく水面下で進められた。
エリュシオンの演算能力を掛け合わせることで、見た目は勿論の事、戦闘能力からその思考までもをほぼ完璧に対象者を模倣してみせる義体技術の完成は、ルーファス・アルバレアの偽物を作り出しクロスベル統一国を成立させてしまった。
古代遺物の複製技術は、通信という概念において現存の技術の全てを上回る《響きの貝殻》を再現することで、大陸全土を射程に収める戦略兵器《逆しまのバベル》を完成させ、果てには騎神の素体を生み出し、イシュメルガ=リィンの本体でもある《鋼の至宝》そのものを宿した《零の騎神》ゾア=ギルスティンをこの次元に顕現させるに至った。
「改めて考えると、過去も未来も関係なく未知の技術を駆使できると言うのは、おそろしいものですね……。女神の至宝でもある巨イナル一だけは、元からあったそれに接続する手段として騎神を再現しただけだとは伺いましたが、実体としては女神の御業に遜色ないのですから」
零の騎神のあの圧倒的な力を思い出してか身震いするクルトに続き、眉根を寄せたアルティナが苦々しげに呟く。
「情報局に所属していた身としては、誰にも気づかれることなく帝国とクロスベルの資源を使い、あれだけの兵器群の量産開発を成し遂げた事に恐怖してしまいますね。人間の範疇にある情報局やその他機関の網をくぐり抜けるのはともかくとして、リィン教官や分校長と言った人類の域を越えた方々の感覚にも引っかからず、果てにはトワ教官やミュゼさんの異能をも欺いたのですから」
「そうですね……。アプローチは違えど、エリュシオンの能力は言ってしまえば私の完全上位互換で、最初から最後まで封殺されてしまいましたからね。今回の事件、私は本当にいい所がありませんでした。あと、トワ教官のあれは異能ではなく、どちらかと言うとエリュシオンのそれと同じく、人脈というネットワーク上にある協力者という端末を用いた、地道な情報収集と事象のモデル化、そして嫌になってしまう程の泥臭い例外処理の結果です。まあ、これもエリュシオンの方が全てにおいて上手でしたし、エリュシオン側も私やトワ教官の対処にはリソースを裂いていたようですからね。事実、行動を開始したのも、トワ教官が新婚旅行で帝国を離れた直後という徹底ぶりでしたし」
「ミュゼの言う通り、イシュメルガ=リィンが全ての準備を終えて表舞台で動き出したのは七耀歴1207年3月10日、トワ先輩とあいつが帝国を離れた直後のことだ。《響きの貝殻》を手に入れるために新婚旅行中のオリヴァルト殿下達をカレイジャスごと誘拐し、そして14日にはオーロックス砦に拘置されていたルーファスさんを暗殺するために衛士隊を送り込んだ。まあ、ルーファスさんの方は衛士隊を返り討ちにして結果的に脱獄に繋がる訳だが、その二件が俺達が事件に関わる事になった直接的な原因だったな」
事件解決の立役者の一人でもある本物のルーファス・アルバレアは、正体を隠して新生帝国解放戦線《C》として暗躍する事で、半年前に世界を救った英雄たちを集め、事態の解決を図るために動き始めた。
そしてそんな彼の周りには、汚染されたエリュシオンから逃れ自身をローゼンベルグ人形という器に移した管理者ラピスと、彼女が自分自身を事件解決のための鍵となる《C》の下に確実に届けるために雇った元暗殺組織《庭園》出身のスウィン・アーベルとナーディア・レインが集う事になる。
「俺達Ⅶ組は15日にユミルで、クルトの父、マテウス・ヴァンダール氏から消えたオリヴァルト殿下の捜査依頼を受ける形で、事件に関わる事になった。ここからは簡単な振り返りだけになるが、情報を集めに出向いた帝都でルーファスさん達に合い、オリヴァルト殿下達の居場所の情報提供を受けて出向いたノルドで自動操縦兵器群やアリオスさんの偽物と戦いオリヴァルト殿下達を救出、そしてクロスベルに渡ってロイド達やルーファスさんと協力しつつ、3月22日にクロスベルの奪還作戦、そして姿を表した逆しまのバベルを無力化する《創の翼》作戦の実行、とまあ、これが一連の流れだな」
「えっと……色々とあったのに随分と省略されちゃいましたね」
「まあ当事者だった俺らにとっちゃあ、今更の事だからな。それに今日の本題には最初と最後しか関係ないって事なんだろ?」
苦笑するティータに、未だに眉根を寄せたままのアッシュが憮然とした様子で答える。
そんなアッシュに対して、リィンは「その通りだ」と頷いて笑いかける。
「さて、ここからはアッシュに兄と姉の新婚旅行の旅路について語ってもらおうか」
「ああん? 何でそうなんだよ」
「俺も知ってはいるが、おそらくアッシュほど正確には知っていないだろうからな」
それだけ言って微笑みながら黙り込むリィンに何を言っても無駄と悟ったのか、アッシュは一度舌打ちをしてから語り始めた。
「さっきシュバルツァーも言ってたが、3月9日にあの二人は共和国方面に向かった。急に結婚するなんて言い始めてから一週間でいきなり新婚旅行だからな。まあ、なんつーかあの二人らしいっちゃあらしいが、時期的に丁度良かったってのが日程の理由だな」
「期末って普通なら忙しそうなイメージなんだけどな……」
ぽつりと呟いたユウナに、アッシュは鼻で笑う。
「分校側の仕事は、今年度から姉貴が主任教官になる都合上、結構前から主計科教官補佐としてアーヴィング妹が来てたからな。分校長直々に溜まりに溜まった有休を押し付けられたらしい。で、政府側の特務室の方もボスの皇子が新婚旅行って事も重なって、分校長とグルになって無理やり休暇だ。NGOの方もクロスベルの調印式関連で直前まで忙しそうにしてたが、半年前の事件で各国に顔が効き過ぎて実体はないにしろ権力を持ち過ぎちまってる姉貴は、最初から裏方に徹する予定だったからな。丁度でかい仕事に一区切り着いてた訳だ。ちなみに兄貴は仕事してなかったから、忙しいも何もねえわな」
「……俺がフォローするのも変な話だが、あいつもローゼリアさんから依頼されてやっていた教会関連の仕事が終わって、まだ魔女の里と教会の連名で遊撃士教会に派遣される前だったというのが正確な情報だな」
「兄貴のあれは仕事っつーか、もはや趣味だろうが。まあとにかく、いい感じに予定が空いてたから急な出発になったって訳だ。行き先は大陸東部の今はもう滅んじまった兄貴が生まれた国と、共和国。目的は兄貴を育てた義理の祖母と両親の墓参りと、行方が分からねえっていう八葉の爺さんの情報収集だ。交通手段は姉貴の飛行艇で行くのかと思ってたが、結局はジョルジュパイセンが試作してたキャンピングカーなんつー面白そうなもん使って陸路でだったな」
「あ、私もあれ欲しいんだー。卒業後にお金溜めて絶対に買いたい! バイクと悩むけど、あれでキャンプしながら旅とかしてみたい!」
とても楽しそうにはしゃぐユウナに同意するようにアッシュも頷く。
「コンセプトは砂漠化が広がってきてる東部向けの、走破性の高い移動可能なある程度安価な住居らしいが、関わってんのがあの六人組だからな。裏の目的はバイクの時と同じような遊び目的も入ってるわな。あと、あれ、バイクも積めるぞ。兄貴も例のバイクの初代を積んで行ってた訳だしな」
「車とバイクの二台……頑張って稼がなきゃ……」
真面目に購入までの過程を考え始めたユウナを若干冷めた眼で見ながら、アルティナがティータに尋ねる。
「例のバイクというと、私やお姉ちゃんのクラウ=ソラスやアガートラムと同じ、戦術殻の技術を用いた遠隔操作可能な機構を組み込んだというものでしたか?」
「うん、自律稼働は出来ないんだけど、狂犬さんの義手についている唯一の機能である思念操作装置で、無人での遠隔操作が出来るんだよ。それに例のライフルも車体に主砲として組み込んで使えるようにしてあるんです! 他にも思考操作可能な全方位稼働式のロケットランチャーや機関砲も組み込み済みなんですよ! どうしても武器を持ち込むって聞かない狂犬さんの依頼で、検問をくぐり抜けるために色々とステルス機能もつける事になったからかなり大型化しちゃいましたが、最終的にいい感じのものになりました!」
楽しそうに徐々にヒートアップしながらある意味凶悪な兵器を語るティータ。汎用性という意味では圧倒的に機甲兵シリーズには劣るが、機動性では上を行く立派な兵器だ。もっともバイクをベースとする兵器の特性上、防御性能が低過ぎるため、広く普及はしないだろう。一時期は《西部戦線の狂犬》の活躍故に軍にも大量配備されたがバイクであったが、致命的な防御性能の低さ故に戦績が振るわず、今はそれで戦場に出ようとする無謀な戦術は下火になっている。
「話がそれちまったが、まあ、とにかく陸路でのんびりと3日かけて先ずは祖母の墓参りにを終わらせて、4日目に共和国の龍來で両親の墓参りをして、八葉の爺さんの行き先について調べつつ、温泉を満喫してたって話だ。まあ、そこで姉貴が妙な組織に拉致られかけたりと、色々と大変だったみてーだな。さっきエセふわの話でもちらっと出てたが、あの色物組織の執行者のおっさんに世話になったってのもその拉致の件でだ」
「トワ教官と特任教官がそう簡単に出し抜かれるとは……執行者の助けが必要だったという事を踏まえると、相手はそこまでの手練だったのか?」
クルトの真剣な問い掛けに、アッシュは表現しにくそうに頭を掻く。
「強いは強いらしいが、なんつーか愉快犯で油断したらしいな……。温泉で姉貴が一人になった所をその組織の親玉に拉致されて手紙で呼び出されて、その組織の下っ端共と戦ってる所に例のおっさんが乱入して来たんだとよ。で、下っ端共を片付け終わったタイミングでそのおっさんがいきなり兄貴と戦い始めて……」
「ん? 何故二人が戦うんだ?」
言い淀むアッシュ、そして情報について行けず首を傾げるクルト。そしてアッシュは説明を諦めたのか、クルトを無視して続けた。
「更にその組織の親玉が戦いに乱入して来て、三人で喧嘩してたらしいな」
「は?」
思わずと言った様子で聞き返すクルトに、アッシュは溜息を吐く。
「だから最初に愉快犯って言っただろうが。で、最終的には兄貴がぶっ飛ばされて、場が白けたらしく喧嘩は終わりだ。俺も詳しくは聞いてねえが、どうやらその組織の親玉が八葉の爺さんの知り合いらしく、関係上は兄貴にとっての姉弟子にあたるような女だったらしい。姉貴の拉致は結婚祝いも兼ねたサプライズ兼挨拶なんて堂々と抜かす、まあ、ふざけた奴だな。で、その女とおっさんの二人から弛んでるやら弱いやら一通り説教されて、それからどうやったらそうなるのかが意味わかんねーんだが、四人でおっさんの知り合いの店で結婚祝いって事で飯食ったんだってよ」
「いや、待ってくれ。え? 何で食事に……いや、それより、師匠でもあるという執行者にはともかくとして、あの特任教官が敗けたのか? その女性も八葉一刀流の剣聖の一人なのですか?」
面白いように混乱し続けているクルトに、リィンが困ったように苦笑する。
「いや、それが俺にもよくわからないんだ。老師から姉弟子がいるとは俺も聞いていなかったが、あいつが実際に戦って、そしてあの眼で視てそう判断した以上は、間違いなく八葉の流れを汲む剣術の使い手ではあるはずだ。本人に聞いてもはぐらかされたと言っていたがな」
「なるほど……特任教官がそう言うのであれば、そうなのでしょうね。それにその突飛な行動も、八葉の関係者と考えれば納得は行くか……」
「ん?」
ひたすら狼狽えつつさり気なくとんでもなく失礼な事を言うクルトと、微妙に分かっていなさそうなリィン。アッシュはそんな二人を放置して、続ける。
「まあ、その拉致事件の翌日には、何やかんやで兄貴がおっさんに新婚旅行中なのに修行つけてくれなんて頼み込んだらしく、夫婦揃って面倒見てもらったようだぜ。なし崩し的に弟子になってる兄貴はともかく、姉貴にまでやたらと親切にすんのは、どうやら姉貴がバイクの開発者の一人ってのを知ってその礼にって事らしいな。バイクにハマってるんだとよ、そのおっさん」
「先程のミュゼさんのお話の時からそうでしたが、何度聞いてもそこら辺にいる気の良い親戚のおじさんのようにしか聞こえませんね」
「うーん……昔はそんな感じじゃなかったんだけどな……。レンちゃん曰く、昔から意外とそういう面もあったって話だけど……」
アルティナのひどい感想に、唯一ヴァルターと面識のあるティータが苦笑混じりに呟く。かつてのリベール王国での事件の際に命を賭けて戦った相手らしいので、知りたくなかった一面なのだろう。
「まあ、そんなこんなで3月15日になって、皇子との定時連絡をしようとしたが繋がらねえってことで、それで異変に気付いて帝国に戻ろうとしてた所で例の独立宣言だ。で、急遽行き先を変えて共和国の首都に行って、姉貴は向こうの大統領と交渉を開始した。兄貴の方はおっさんの仕事の繋がりで、グレーなことをやってる裏稼業の若いにーちゃんを紹介してもらって、もしもの時のためにそいつと封鎖された国境を超える準備をしてたらしい。で、3月21日。俺らが響きの貝殻を取り戻して通信が回復して、そこで初めて他の奴らも含めてまともな情報共有が出来た。22日のクロスベルの解放作戦には間に合わなかったが、兄貴と姉貴もキャンピングカーはその裏稼業のにーちゃんの所に預けて来て、バイクで逆しまのバベルに向かった。例のバベルへの突入作戦、結社やら教会、王国の連中までも絡んでた作戦の立案に姉貴が一枚噛んでたのはお前らも知ってるだろうが、その裏では違法に国境超えしたり、クロスベルに入った途端に敵から送られて来たこれでもかって妨害を捌いたりと、あっちはあっちでハードなことやってたらしいな。バベルに着いても、まあ、戦艦やら機甲兵やらがそこら中を飛び回ってドンパチやってる無茶苦茶な状態だったから、姉貴が一時的に一部の戦力の指揮を執って強引に道を抉じ開けて、兄貴がバベルの頂上、あの砲台まで結界で足場を作って突貫して、二人してバイクで空から降って来るなんてふざけた登場に繋がるって訳だ。これがあの二人の無茶苦茶な旅行の内容だな」
これで文句はないだろうとばかりに一瞥をくれたアッシュに頷き、リィンは小さく感謝を伝えて話を引き継ぐ。
「イシュメルガ=リィンは、最初からあの二人を事件に関与させる気はなかったんだ。物理的な距離、響きの貝殻による通信妨害による情報断絶、共和国による国境封鎖という政治上のしがらみ、兵器による物理的な妨害。エリュシオンの予測では、あの二人がそれらの障害を乗り越えてバベルに到着した時点で、大陸統一に向けた最後の下準備……言い換えれば俺とイシュメルガ=リィンの因果が収束し、完全に存在が同化し、ただエリュシオンによって再現されただけの存在から、正しくこの次元に顕現し終わった状態になっているはずだった。だが、そうなる前に、エリュシオンの予測を上回る奇跡が起きた」
エレボニア帝国、リベール王国、クロスベルの英雄と呼ばれる猛者達が集い、現行の技術の粋たる次世代型機甲兵ティルフィングを投入してもなお、《巨イナル一》そのものであるイシュメルガ=リィンには届かなかった。
零の騎神の圧倒的な力の前に成す術なく倒れ伏す仲間たちの前で、それでもどうにか立ち上がろうとするリィンに対して、イシュメルガ=リィンは語った。
もう諦めてその体を明け渡せ。
己の無力故に親友を失う挫折を味わう事も無く、世界を滅ぼす黄昏の引き金をも他の誰かに委ね、世界を救うために友の命を道連れに己を犠牲にする覚悟を持つことも無く、ただ用意された舞台に立ち英雄に成っただけの紛い物。
その程度の《偽物》が、もう一つの可能性である本物の《英雄》の成れ果てであるこの身に勝てる道理などない。
イシュメルガ=リィンは、リィン・シュバルツァーをそう蔑み、その存在を喰らい尽くそうとした。
だが、リィンは諦めなかった。
お前が何を言っているのか、記憶の同化のおかげで何となくは分かる。だが、俺は以前から自分の事を一度でも英雄だなんて思ったことはない。
俺は俺よりも、そう呼ばれるべき奴を知っている。だから俺はお前の言う通り、偽物なんだろう。
だけどそいつは俺の事を《英雄》と呼んでくれて、信じてくれて、リィンならどうにかしてくれるなんて、全く疑うこともせずに世界の命運を託してくれた。
こんな俺を信じてくれるたくさんの仲間もいる。俺を誇りだと言ってくれた相棒もいた。
だから、たかがこんな事で諦めるなんて、そんな皆をがっがりさせるような真似、出来るわけがない。
その覆しようのない戦力差をものともせずに、そう啖呵を切ったリィン。
そしてそんなリィンに応えるべく、奇跡は起きた。
「消えたはずの騎神達の存在の復活、ですね。零の騎神という最終相克の果てにあるはずの存在が生まれたが故に、逆説的にそれを成す七の騎神が再定義された。必然的な事象にも思えますが、最終相克が終わっている以上、灰以外の、蒼と金の騎神の自我までもが再定義された事を踏まえると、本当にあれは奇跡としか言いようがありませんでした」
合いの手を入れるミュゼに、リィンは嬉しそうに笑いながら続ける。
「ああ。ヴァリマール達が助けてくれて、《巨イナル一》の力の一端をティルフィングにバイパスしてくれたからこそ、どうにかイシュメルガ=リィンに対抗できた。今も昔も、本当に相棒には世話になりっぱなしだ。まあ、ともかく、ヴァリマール達の存在によってエリュシオンの予測に狂いが生じたからこそ、あいつとトワ先輩が最後の戦いに間に合ったわけだな」
女神の至宝の無尽蔵の力を振るう零の騎神と、かつての灰、蒼、金の騎神の力を宿した機甲兵達の戦いの場に、空から乱入して来た狂犬は迷うことなく参戦した。
本来ならば脆弱な人間の力など何の意味も持たないはずのその決戦の場ではあったが、かつて人の身でありながらも緋の騎神を降した狂犬には、確かにその資格があったのだ。
「騎神同士の戦いの中で、これ以上ないアシストをされていましたね。騎神と《巨イナル一》を繋ぐ霊力のパスを霊視によって見極め、あの斬撃じみた打撃で断ち切ったりと」
「あいつが《無明》と名付けた寸勁の派生の一つである《虚月》、八葉の四の型を組み込んだ切断に重きを置いた技だな。騎神と言えど素体は機械な上に、外部からの霊力の供給を受けて動く代物だ。根本的な力の差はあれど、相性だけで言うと霊力の流れを一時的にとは言え断ち切ったり、障壁と外装を無視して直接内部機構を破壊できるあいつは、零の騎神の天敵とも言える存在だった。あいつが間に合って、ヴァリマール達も協力してくれた。不謹慎極まりないがあのメンバーで共闘出来ることが、少し楽しかった。正直、途中からは負ける気がしなかったよ」
かつての灰、蒼、金の騎神の起動者であるリィン、クロウ、ルーファス。そして起動者に成り損なった代わりに対騎神戦に特化した存在になった《狂犬》を加えた四人は、苦戦はしながらも、しかしどことなく楽しげに壮絶な戦いを繰り広げ、遂にはイシュメルガ=リィンを打ち破った。
その勝利の裏には、未来予測による補助を担っていたエリュシオンとイシュメルガ=リィンの繋がりを断つために尽力した元管理者ラピス達の活躍もあったが、よくもあの圧倒的な出力を誇る敵を完封できたものだと、今更ながらにミュゼは呆れ半分驚き半分で小さく溜息を吐いた。
「さて。みんなが一番疑問に思っている事は、ここからだろうな。誰か、あの時、追い詰められたもう一人の俺が言ったことを覚えているか?」
あの時に、イシュメルガ=リィンが忌々しげに吐き出した呪詛のような言葉。そして、イシュメルガ=リィンの中に確かに残っていた、もう一人のリィン・シュバルツァーが祈るように呟いた言葉。
事件が解決した後も関係者の中でついぞ解決されることがなかった、そしてミュゼがかの凡人の軌跡を辿ることになった直接的な原因である言葉。
アルティナ、ユウナ、クルト、ティータが視線を交わし合い、代表してアルティナが「確か」と口を開いた。
「あの人を見ながら『結局、最後には貴様が立ちはだかるのか。私をこの可能世界に産み落とした貴様が、唯一私と決して因果が交わる事がない貴様の存在が、偽物の英雄を立ち上がらせたのか』と、イシュメルガ=リィンはそう言ったはずです。そしてその後、自我が戻ったように見えたもう一人のリィン教官は、トワ教官を見ながら『少し複雑ですが、また会えて嬉しいです。貴女だけは、トワさんだけは巻き込みたくなかったのに、結局はこの場に来てしまったんですね』と仰っていました。後者は多少遺憾ながらも理解できます。もう一人の鈍感朴念仁ではなかったリィン教官は、何が起きたのかトワ教官と結ばれていたということなのでしょう。ですが、前者だけは未だに理解が出来ていません。言葉通りに受け取れば、イシュメルガ=リィンを産み出した本当の黒幕があの人という事になるのでしょうが、管理者であるラピスさん自身が無限に枝分かれする可能性を読み取った先に存在した悪意を読み取ってしまったが故のバグと断言したのですから、辻褄が合いません」
「……アルティナ、何か怒っているようだが、どうしたんだ?」
「そういうところです」
首を傾げるリィンを一言でばっさりと切り捨てたアルティナをフォローするように、ティータが疑問を提起する。
「さっきリィン教官自身が言われていた事ですが、イシュメルガ=リィンは徹底的に狂犬さんとトワ教官を事件から遠ざけようとしていたんですよね。トワ教官の方は、ミュゼちゃん達と合流させないことで常に予測で先手を打てるようにする他に、その、愛情故にというのが理由で間違いないと思うんですけど、狂犬さんの方はあの対騎神に特化した戦闘能力や、クロスベルの占領に必要だった《呪い》による洗脳に対抗できる力を持っているのが理由ではなく、もっと根本的にイシュメルガ=リィンと何らかの関係があったという事になるんでしょうか? そしてそれが、一番最初に言われていた『もう一つの未来の起点』という事なんですか?」
「ああ、その通りだ。実はあの時のやり取りには続きがあったんだが……説明も証明も難しく、あいつの潔白の証拠には成り得なかったから、準備が整うまでは下手に情報が拡散するリスクを減らすために俺とあいつとトワ先輩だけの秘密にしていたんだ」
「続きって……相手が追い詰められて相打ち覚悟みたいな勢いでリィン教官に向かって来て、そこにリィン教官がカウンター気味に入れた一撃が致命傷になって、もう一人のリィン教官とイシュメルガを切り離すことが出来たって話だったんじゃ……?」
首を傾げるユウナに苦笑しながら、リィンは語った。
あの刹那の間、イシュメルガ=リィンとの決着の瞬間にあった出来事を。