「ああ、そういう事か。だから昨晩まで一週間、その教会の人と二人きりで新婚旅行だったと」
「もう、ジョルジュ君。だから新婚旅行じゃないってば。お仕事だよ?」
「まあほらトワ、もう一杯行っとけよ。新婚の身で堂々といちゃいちゃと不倫旅行してる奴の事なんて忘れちまえ」
「クロウ君は何を言ってるのかな? いちゃいちゃなんてしてないよ? お仕事だから、仕方なくなんだよ?」
少し薄暗い店内で、ある意味恐ろしい綺麗な笑顔を浮かべるトワ・ハーシェルは、勧められるがままにワインを飲み干す。
そんな彼女の様子に必死で笑いを堪えているジョルジュ・ログナーとクロウ・クロチルダは、一瞬で空になったトワのグラスに嬉々としながら酒を注いでいた。
七耀歴1207年8月2日、リーヴスのとある酒場。年季が入っているが手入れの行き届いた小奇麗な店内には、ハーシェル、ログナー、クロチルダの六人組の定期的な集まりのために貸し切られているため、他の客の姿はない。
しかし件の六人組のそれぞれの片割れの姿はまだなく、数カ月前から実施していた狂犬と称される彼の身辺調査の件のお礼として招待されている自身とリィン・シュバルツァーの五人だけが今の所の参加者だった。
ミュゼ・イーグレットはそんな目の前で繰り広げられる光景を存分に堪能しながら、とりあえず役得とばかりにリィンに密着しながらグラスにワインを注ぐ。
「星杯騎士団の守護騎士第四位でしたか。リィン教官もその女性と面識が?」
「いや、ガイウスとあいつから聞いた程度だな。あいつが精神的にやられていた二月頃、教会関連の仕事をしていた時に、色々と親身になって世話を焼いてもらったらしい」
「俺は会った事あるぜ。あの童顔のねーちゃん、あいつがアルテリア法国から帰ってくる時、わざわざ休み取ってまで魔女の里に着いて来てたからな。あの時も色々と言い訳はしてたが、要するに残念な野良犬が心配で心配で仕方なかったって事で、婆様とお互いに飼い主面すんなって喧嘩してたか」
「両方共飼い主じゃないよね?」
新しいネタとばかりに会話に食いついて来てひたすら煽り続けるクロウと、律儀に笑顔で反応するトワ。
そこにジョルジュが悪意なく「あの時もって事は、今回も何かあったの?」と聞けば、
「今回はあのねーちゃんがトワにあいつを借りるって挨拶に来た時、ジンゴも居合わせてな。『奥さんに許可取んのは当然だが、何でオレんとこの猟犬を使うのに他人の許可が必要なんだ?』とか、『あんた、何言ってんだー? そいつはジンゴの店の番犬だぞ?』とか言い合いながらどっちが飼い主かで喧嘩してたぜ。まあ、最終的には二人して気不味そうにトワに頭下げて謝ってたが」
「だから両方共飼い主じゃないよね?」
お世辞にも似ているとはいい難い声真似をするクロウと律儀に反応を返すトワは、再び同じやり取りを繰り返していた。
酔っているのか生徒の前で嫉妬を隠そうともしないトワを非常に良い笑顔で見守りながら、ミュゼは内心で「夫が犬扱いされている事には怒らないのか」と謎の感心を覚えていた。
トワが珍しくも荒れている原因は、件の狂犬が教会の仕事として女性の守護騎士と共に、新婚を装い他国で潜入捜査をしているためなのだとか。
普段は帝都の新居で生活をしているトワがこの一週間はリーヴスの寮で寝起きし、帝都での仕事の際には彼ではなくクロウが護衛を務めていた理由は、つまりはそういう事だったらしい。
18:00開催と聞いていたこの集まり。
シュミット博士への用事で分校を訪れていたジョルジュと合流し、リィンと共に時間丁度に指定の店を訪れてみれば、既にクロウとトワは二人でワインのボトルを空けていた。
そしてクロウの解説が一通り終わった18:30である今、未だに話題の狂犬はおろか、アンゼリカとヴィータが姿を見せる気配もない。
「この集まりが時間通りに開催された事なんてないから心配ないぞ。クロウが先にいるのも、トワ先輩の護衛代理だからだろうしな」
ミュゼが壁の時計に視線をやったことに気付いたリィンの苦笑気味の説明に、ジョルジュが「毎回すまないね」と謝罪して続ける。
「アンはサラ教官とフィー君の仕事を手伝ってて遅れてるけど、仕事自体は終わってるようだからそろそろこっちに着いてもおかしくない頃かな。ヴィータさんも着いて行ってるって話だったっけ? 大陸中東部の貴族の名前を買った密輸業者の捕縛って聞いてたけど、何か用事でもあったの?」
クロウに向けられた問い掛けには、しかしトワが答えた。
「名前と一緒にね、代々伝わる家宝もその業者に流れちゃったらしいんだ。今回の密輸品のその家宝が曰く付きのもので、少なくとも暗黒時代、最悪は古代遺物の呪いの品の可能性があったから、ヴィータさんは鑑定と万が一の時の対処のために同行してくれてるんだよ」
「ああ、なるほどね。もともとはトワの所からの仕事だったんだ。確かにお金の力とは言え、他国で正式に認められている貴族相手なら、遊撃士協会の方が動きやすいか」
「更に言うと、本来なら不倫旅行中のどこかの準遊撃士の仕事だったんだが、厄介さで言うと向こうの方が上だったらしくてな。何でもあっちは起動前の古代遺物を一つの街から探し出さなきゃならねーなんて無茶苦茶な話で、それで待機状態の霊力も嗅ぎ分けられる猟犬に白羽の矢が立ったって訳だ。で、ヴィータはそんなあいつの代わりとして駆り出されてる。まあ、七耀教会とサラに貸しを作れるからって結構乗り気で引き受けてたが」
クロウの言葉に「だから不倫じゃないんだよ?」と反応するトワに苦笑しながら、ジョルジュが「そう言えば」と壁の時計を見る。
「噂の準遊撃士君からはまだ連絡ないの? 一応、開始までには間に合うって話だったと思うけど」
「うん。お昼頃にセリスさん経由で今から帰るって一回メールがあったから、もう着いていてもおかしくはないんだけど、ただARCUSが壊れちゃってるみたいで、直接の連絡手段がなくって……」
ミュゼは「なるほど」とわざとらしく頷き、先程からちらちらとARCUSを見ていたトワに無言で微笑みかける。それに気付いたトワは少し気恥ずかしそうに、いつもの優しい笑顔を浮かべた。
「ごめんね、ミュゼちゃん。さっきから面識がない人のお話ばっかりしちゃって」
「いえ、かの星杯騎士団を束ねるお一人の話題ですから、私としてもとても興味深かったですよ。それにしても今のお話を伺って改めて思いましたが、トワ教官の旦那様のそれは、やはりある意味で一つの才能ですね」
「うーん、いいことなのかもしれないけど、私としてはあんまり喜べないかな」
そう言って苦笑するトワと笑い合っていると、不思議そうな顔を浮かべるリィンが「俺は少し羨ましい……と言うよりは、見倣わなければと思ってしまいますね」などと言い始めた。
「視るという事に関しては、あいつは大陸全土でも数本の指に入るでしょうからね。本人がガイウスやトマス教官、それにその第四位の女性に協力するだけで、所属はしたくないなんて事を堂々と言っているにも関わらず、教会が古代遺物と悪魔の専門家だと事実上公認しているのも納得です。それに視るだけでなく、霊的なものを斬る事に関しても、俺は勿論、他の剣聖以上でしょう。太刀を捨てた事で逆説的に霊的な方面に研ぎ澄まされたあいつの無刀の技は、八葉にはない一つの極みだと思っています」
長々と語り始めたリィンを、ミュゼは愛おしく思う。最近、更にその手の話へのズレっぷりに磨きがかかって来ているが、もうそれが可愛いとすら思えてきている自分も、相当末期なのだろう。
「それもまあ才能っつーか、理不尽を憎み続けたあいつの執念の結晶なんだろうが、今言ってる才能ってのは、純粋に大型犬としてペット的に好かれる事についてだぜ? どこかの鈍感野郎みたいな惚れた腫れたじゃなくてな」
「誰からの扱いにしても行く先々で付けられる渾名にしても、ほぼ全部が犬関連だから、本人は嫌がってるし否定してるけど、流石に才能としか言えないかな。学生時代も野良犬やら狂犬やら忠犬やら呼ばれてたし、西部戦線の狂犬もそうだし、遊撃士としても表だと帝都の白犬さん、裏だと狂犬で通ってるし、教会の方は猟犬がコードネームなんだったっけ?」
「ああ。吸血鬼からの紹介って事で騎士団の外部には情報が秘匿されてるせいで、色々と情報が錯綜した結果、何の皮肉か教会の表側で《外典の猟犬》なんて呼ばれ始めて、それがそのまま通称になったらしいぜ。教会の狗呼ばわりされてる騎士団とは真逆の立ち位置のはずなのに、結局は犬扱いされてるんだから、筋金入りとしか言えねえわな」
クロウとジョルジュの補足に、珍しくも真面目に考えることを放棄したミュゼは「彼は前世が犬だったとかなのだろうか」と意味の分からない思考をしながら、目前のハムを口に運んだ。うん、とても美味しい。
「だけどまあ、改めて考えると確かにリィン君が言うように、霊力方面に関しての対処能力が凄いことも事実だよね。教会と同じくヴィータさんとロゼさんも太鼓判を押してるくらいだし」
ジョルジュのそんな言葉に、思いっきり勘違いして少し恥ずかしかったのか、誤魔化すようにグラスを空にしていたリィンが「何と言うか、すみません」と照れくさそうに笑う。そんなリィンに苦笑しながら、ジョルジュはクロウへと問い掛けた。
「だけど実際、どうやって第一人者なんて言われるくらいまでになったんだい? 魔術や法術と言った類のものだって、異能のような例外はあるにしろ結局は一つの技術体系と言えるものだから、それこそ専門家である魔女や教会の人達に敵うとは思えないんだけど」
「第一人者って言っても、魔術なんかを使えるって意味じゃねえからな。単純に霊視で術の核や力の根源を見抜いて、それを破壊する技術がずば抜けてるってだけだ。まあ、対導力兵器の方と同じだ。ジョルジュの弟子ではあるが、あいつ一人だと機甲兵みたいな兵器を一から作れはしねえだろ? その上才能が無さ過ぎて機甲兵に乗ったら逆に弱くなっちまう。だけどそれでもあいつは、生身で兵器、特に機甲兵と戦う事に関しちゃ多分世界一だ。何せ普通なら命賭けで何度も生身で機甲兵を相手取る必要性なんて皆無で、相手が機甲兵を使うならこっちも機甲兵や他の兵器を使えばいいだけだからな。魔術や霊力方面もそれと同じで、生身で真正面からイシュメルガの呪いと戦い続けるなんて頭おかしい事をやってたからこそ、普通に生きてりゃ一生に数えるくらいしか使いどころがないようなニッチな能力が磨かれた。まあ正直、第一人者とか専門家ってよりかは、もはや度を越したアンチって方が正しい表現なんだろうな」
クロウのあまりにもあんまりな説明に、しかしジョルジュは「ああ、なるほどね」と納得していた。
「そう言われると、らし過ぎる程にらしいね。強くなるために剣を極めたかったのに才能が無くて格闘術を、騎神や機甲兵、魔術なんかを使えるようになりたかったのに才能が無くてそれらを壊す方に特化する……うーん、相変わらず色々と残念だけど、ちゃんと最終的には結果を出してる」
ジョルジュのそんな一応賞賛の言葉らしき評価に、トワが上機嫌に「えへへ」と笑う。
「でもね、まだまだ満足出来てないみたいなんだよ。今でも昔以上に頑張って訓練してて、それを見てたら私ももっと頑張らなきゃって、何時も元気をもらえるんだ」
「え。昔以上って、それ、人間の生活として成り立ってるの?」
ジョルジュの真顔での酷い質問に、トワはきょとんした顔で「ちゃんと月に二回くらいは休暇を取ってるから大丈夫だよ?」とあまり大丈夫ではなさそうな返答をしていた。完全に毒されている。
「まあ、あの毎日毎日狂ったように庭で穴を掘り続けるみてえに訓練してたあの犬っころが、結婚したからってそう簡単には落ち着きはしねえか……」
「まあ、雨の日でも雪の日でも嬉々として何が何でも散歩に行くように訓練してたからね……」
呆れたように酷い溜息を吐くクロウとジョルジュだった。
「みんなして酷いよね、犬扱いばっかりして」
少しだけ不貞腐れたようにそうトワが呟けば、リィンがきょとんして尋ねる。
「ん? トワ先輩も、あいつにお手とかをしてるという話では?」
「えっ! リ、リィン君、な、何で知ってるの!?」
「いえ、あいつがトワ先輩からたまにされると……」
真っ赤になってワタワタし始めるトワと、不思議そうにそれを眺めるリィン。
そんな二人を見ながらクロウとジョルジュは「リィンとあいつ、天然二人が揃うと恐ろしいな」などと微妙に笑いきれない様子で、互いのグラスに酒を注ぎ合っている。
ミュゼも同感で、悪意なく恥ずかしい秘密がばら撒かれる様には、底冷えのする恐ろしさを感じた。
と、そんな絶妙に反応に困るやり取りが展開されている中、唐突にリィンとクロウが店の入口の方に視線を向けた。
そしてすぐにドアベルが鳴り、開いた扉から、ヴィータ・クロチルダ、アンゼリカ・ログナー、サラ・バレスタイン、フィー・クラウゼルの四人が姿を覗かせる。
三者三様の色のパーティードレスに身を包んだ華やかな居で立ちの四人の顔は、しかしアンゼリカを除いて感情が死んだかのような無表情で、まとう空気はひどく重く暗く沈んでいる。
出迎えの言葉をかけようと口を開きかけた男性陣が思わず口を噤むくらいには、それはもう空気が死んでいた。
「とりあえずビール四つ」
流れるように注文をしながら席に近づいて来たサラは、「今日はたくさん飲んで忘れなさい。さっきも言ったけど、今日は外交特権で遊撃士協会と帝国政府お墨付きで合法的に飲めるんだからじゃんじゃん飲んじゃいなさい。むしろ業務命令よ」と隣のフィーに無茶苦茶なことを言っていた。
「大変だったようですね」
「お疲れ様でした。それと……何ていうか、ごめんなさい。今日は私達が支払うので、その、楽しんでください」
既に事情を察しているミュゼが笑顔でそう労えば、こちらも当然事情を把握しているトワが、申し訳無さそうに謝罪をする。
ヴィータとサラはそんなミュゼとトワの様子に溜息を吐き、そしてフィーは無表情のまま、
「会長、今日のはちょっとない。あんな堂々とセクハラをされたのは流石に人生で初めてだった。義理の姉妹の縁を切るか迷うレベル」
淡々と切れていた。
流石に想定外の言葉だったのか、トワが目を見開いて驚く。
ミュゼが把握している情報によると、今日のターゲットである密輸業者のトップの男は、所謂趣味の悪い成金と呼ばれる部類の男だった。
フィーとサラは変装して遊撃士ということを隠し、ヴィータも素性を古物商と偽った上で、貴族令嬢アンゼリカとそのお付の三人という設定でパーティーに潜入し、ターゲットの男から取引を持ちかけられるのを待つ囮捜査染みたことをしていたと伝え聞いている。
セクハラという発言に、まさかその男の毒牙にかかったのかと、トワがフィーの手を握って顔を覗き込む。
「え、うそ、フィーちゃん、大丈夫だった? アンちゃん達もいたから大丈夫だと……」
「むしろ加害者はアンゼリカ先輩。完全な人選ミスだね。数時間はセクハラされ続けた」
「ふふ、フィー君。それだとまるで私が悪者みたいじゃあないか。あれはあの趣味の悪い成金からフィー君を守るために、フィー君は私のものだと言うことをしっかりと見せつける必要があってだね。不可抗力というやつさ」
「それは嘘。セクハラ文脈であの人と意気投合して、完全に楽しんでた」
じっとりとした冷たい目をするフィーに、再びアンゼリカが口を開きかけたが、それよりも早く彼女の頭にジョルジュの手刀が落ちた。
「よし、アン。ちょっと向こうで反省会しようか。今日は君はこれ以上不用意な発言をしたらお酒も禁止だからね。フィー君、本当にごめんね。サラ教官もヴィータさんも、うちのが本当に申し訳ありませんでした……」
色々と察したジョルジュが平謝りしながら「まだトワとミュゼ君を堪能もとい挨拶もしてないのに!?」などと喚くアンゼリカを引っ張って、店の奥に消えて行く。
「たちが悪い事に、アンゼリカが交渉を全部引き受けてくれたから、あの不快なオヤジと直接やり取りする必要がなかったのは事実なのよね」
「それにしても下品で不快なパーティーだった事には違いないけれどね。あれを普通に楽しめてるアンゼリカは……まあ、今更のことかしら」
奥から聞こえるアンゼリカの抗議の声に遠い目をするサラとヴィータを少し恨めしげに見ながら、フィーは一度溜息を吐いた。
「二人は後ろで適当に頷いてただけで今日はほぼ何もしてない。ヴィータは助っ人だし保険だからいいとして、そういう意味でいうと一番罪深いのはサラ」
「ほらほらフィー、あんたもさっさと飲んじゃないなさい。今日は政府の経費だから何でも飲み放題だし酔い潰れて醜態晒しても色々とノーカンよ」
何時の間にか店員から受け取っていたビールを誤魔化すように一息で飲み干したサラは、堂々と意味不明な危険な理屈を以ってフィーにもグラスを押し付けていた。
「あの、トワ先輩。念の為の確認なんですが、サラ教官が言っている事は本当なんですか?」
「えっと、経費で落とす気はないけど、最初の外交特権のお話の方は本当だよ。相手は曲がりなりにも他国の貴族階級の人だったからね。外交の問題で向こうの国の法律で正式に逮捕してもらうのが両国にとって一番都合が良かったから、サラ教官とフィーちゃんは今日に限って、あっちの国の外交特権と逮捕権を持っている状態なんだ。それで、向こうの法律上は確かにお酒も十八歳からだから大丈夫ではあるんだけど……今度、一応首長さんに謝っておかないとだね」
若干わくわくした様子でグラスを色々な角度から眺めるフィーを見ながら心配そうにリィンが尋ねれば、少し困ったようにトワはそう笑った。
そんな二人に店員さんから二杯目のグラスを受け取ったサラが「その辺りは抜かりないわ」と不敵に笑い、
「あのオジ様なら昨日笑いながら、トワが許可してくれるならうちの国は別にいいって言ってたわよ」
と、胸を張りながらそんなことを言っていた。
かくして、説教が終わって戻って来たジョルジュとアンゼリカを加え、一人の参加者を除いてようやく全員が集まった状態で、本日の酒宴は始まりを迎えた。
ぐだぐだと開催された酒宴ではあったが、しかしミュゼにとってもそれは楽しい時間ではあった。
人生初となるアルコールに「苦い」と顔をしかめていたフィーだったが、色々と試す中で見つけたカクテルにはご満悦の様子で何杯も繰り返しオーダーしていた。
今は酔って眠くなったのか、体を丸めて占領したリィンの膝枕ですやすやと寝息を立てて猫のように眠っている。
リィンはリィンで器用にも体を揺らさずに白猫の快眠を死守したまま、ミュゼを巻き込んだ上で対面に座るサラ相手に第Ⅱ分校の生徒達のことを嬉しそうに語っている。
話題は自然と新Ⅶ組の事が多くなり、新学期が始まってから今日まで先輩として新入生達の目指すべき姿であってくれていると、当の本人からすると少しばかり照れくさくなるような話をしていた。
そんなリィンの話に楽しそう耳を傾けるサラにたまに生暖かい視線を送りながら、同時にヴィータはクロウとジョルジュと共に注文した多様な料理と酒に舌鼓を打っている。
一方でジョルジュに不用意な発言を禁止された上にフィーから接触禁止と強く拒否されたアンゼリカは、不用意な発言しか出来ない自覚があるのか、まともに口を開くことが出来ずに隅の方で悲しげにその光景を眺めていた。が、気を遣ったトワにかけられる仕事に対する感謝の言葉と優しい言葉を、実は内心でかなり楽しんでいるのは誰が見ても明らかだったので、トワ以外は完全に無視を決め込んでいた。
「そう言えば、ヴィータさん」
ひとしきりアンゼリカを宥め終えたトワが、ヴィータに声をかける。
「例の物は今も手元にあるんですか? さっき送られて来た報告書だと、念の為調査が必要だからヴィータさん預かりになったってあったので、大丈夫なのかなって」
「ああ、これの事ね。この指輪が成金貴族さんが持ち込んだ暗黒時代の魔術具よ」
そう言ってヴィータが手元に展開した魔法陣越しに取り出したものは、大きな宝石がついた古めかしい指輪だった。
「過去に一国の王を傀儡に仕立て上げた、装着者を催眠状態にする指輪。その謳い文句通りの品ではあったけれど、一応は同時代の封印術が機能しているらしいから、おそらく害はないわ。仮に封印が機能していなければ、一度でも身につけてしまうと外せない上に、障壁と自己修復機能による二段構えの防御機構によって、解呪も破壊も容易にはできないかなり厄介な品よ」
「おいおい……。おそらくとからしいとか、お前にしちゃえらく曖昧な言い方だな。聞く限りかなり危なく感じるが、本当に大丈夫なのかよ?」
眉根を寄せてそう問いかけるクロウに、ヴィータは妖しく笑う。
「曖昧な評価しか出来ていない事も、危ない品である事も両方共事実よ。術式が古過ぎて、これ以上の詳細な解析をするにはそれなりの時間と設備が必要になるし、かの国でも壊すことすら出来ずに持て余していたからこそ、現代まで封印され続けていたのだから。さらにもう一つ懸念を伝えておくと、断片的な情報をつなぎ合わせる限りでは、封印術の方は安置されていた宝物庫側の術式と対になる構造のようだから、一部の機能は解放されているでしょうね」
さらりと恐ろしいことを言い放ちながら、ヴィータはテーブルに問題の指輪を置いた。
「帝都の仮設工房に置いて来ずにこの場に持って来たのも、早めに不倫旅行中の彼に視てもらうつもりだったからなのよ。危険性の確認だけならあの子に視せるのが一番早い上に、最悪、暴走しても破壊だけならできるでしょうしね。それに後の事務的な処理も任せられるもの。ふふ、まあ、魔女の隣人、もしくは欠番のNo.ⅩⅧとしての立場で私に譲渡してもらうのもいいかもしれないわね。いい研究材料になりそうだもの」
「もう、結社だけは絶対にダメですよ。依頼した帝国政府の担当者としても奥さんとしても、ちゃんと準遊撃士の立場の方で正規のルートで処理してもらいます」
じっとりとした目でそう注意するトワに、ヴィータは「冗談よ」と柔らかく笑う。
「以前にも説明したけれど、彼が私の直属の部下兼執行者候補として正式に結社に所属していた事になっていたのはあくまでもヨルムンガンド戦役以前の事よ。今はきちんと除名されているし、十八番目の席が空けてあるとは言っても、私も含めた数人の遊び心を盟主が汲んだ結果でしかないわ。それよりも、問題は結社関連ではなくて、むしろ遊撃士協会側ではないかしら? 公的には準遊撃士の白犬さん扱いなのに、魔女の里も教会も関係ないグレーな仕事に関してもランクを無視して狂犬として処理させていると聞いたわ。その辺りはどうなのかしら、A級遊撃士さん?」
さらりとミュゼの把握していなかった結社関連の情報がヴィータの口から語られたが、話の矛先は後ろ暗そうなことをしている遊撃士協会へと向けられた。
若干の悪意を込めた表現をすればリィン相手に締まりのない笑顔を浮かべていたサラは、急にバツが悪そうに顔をしかめて溜息を吐く。
「私だってちゃんと上に抗議してるわよ。遊撃士協会として扱いにくい危険な仕事を押し付けるなら、表からも分かる形で正当な評価をしろってね。だいたい単純な戦闘能力だけならA級上位の奴が準遊撃士っておかしいでしょう。ていうか、あいつもあいつで安請け合いするのが悪いのよ。何が正式な手順踏んでたら間に合わない案件もある、よ。そういうのは後始末を完璧に一人で出来るようになってから言いなさいっての」
面倒見の良い中間管理職のような愚痴を吐き一気にグラスを煽るサラに、トワを除く一同が生暖かい視線を送りながら苦笑した。一方でトワは申し訳無さそうサラにぺこりと頭を下げる。
「えっと、すみません……。でも、サラ教官に助けてもらってることはちゃんと認識してて、何時も家で感謝してるんですよ?」
「知ってるわよ。私だってあの子に助けられてる部分があるから、お相子と言えばお相子だしね。ていうか、あの子もそうだけど何かあんた達、ナチュラルに惚気けて来るわね。それ、嫌味? 私に喧嘩売ってる?」
「ふえぇっ!?」
急に因縁を付け始めたサラに驚愕するトワだった。酔いが回って来ているのか強引にトワの肩に腕を回し酒を勧め始めたサラ。そんな彼女を面白そうに眺めながら、ヴィータがリィンの方に指輪を滑らせながら妖しく笑う。
「リィン君。その指輪、そこのA級遊撃士さんに着けてあげてくれないかしら?」
「はは、ヴィータさん? つい先程危険な品と説明していたばかりだったと思いますが?」
「確実に封印の一部は機能しているから大丈夫よ。最悪でも催眠の効果でほんの少しだけ素直になるくらいではないかしら?」
「いや、どう考えても嘘でしょう……。で、本音の方は?」
指輪を受け取り苦笑しているが、明らかに警戒しているリィン。そして剣呑な空気に気付いたのか、トワを捕まえたまま静かに警戒するサラ。ヴィータはそんな二人を見ながら、再度妖しく笑う。
「ふふ、鋭いわね。本当は術者、この場合は最後に指輪に触れていたリィン君を、遊撃士さんが最も好意を寄せているどこかの年配の紳士と誤認させる効果になるというのが、確率と面白さの両面で最も高いかしら」
「面白さ、ですか……」
「ええ。本来の効果である傀儡化には、好意を入れ替えた後に、感情増幅や思考制御の術式も必要になるのだけれど、おそらく封印術は危険性の高いそれらに重きを置いている。であれば残っているのは好意の入れ替え、障壁、自己修復、着脱不可の術式くらい。その中で最も面白いものは、一つしかないでしょう? まあもう少し真面目な理由をつけるなら、年上趣味を拗らせて困っている元教官さんの治療に協力すると考えてくれればいいかしら。いわゆるショック療法ね。それに貴方達二人とも、二年後くらいに結婚するのでしょう? クロウから聞いたわ。そうであれば治療しおいた方がお互いのためになると思うのだけれど」
「リィン教官? 今のはどういうことでしょう?」
「何か色々と釈然としない話が聞こえた気がした。とりあえず状況の説明をしてほしい」
ヴィータの発言にミュゼは反射的に笑顔を浮かべてリィンに問いかける。先程までリィンの膝で寝ていたフィーも目を覚まし、下からリィンを見上げる。
リィンは頭が痛そうに額を押さえ、クロウを睨みながら溜息を吐いた。
「クロウ、またそうやってあること無いことを……」
「いや、事実だろ。あいつが『二人共誰かと結婚したいと思っているなら、二人が結婚すれば解決する』なんて言い始めたのが発端だったが、その後お前、何か急にサラをベタ褒めして口説いた後に『もし万が一教官が気にされている二年後までにお互いに相手がいなければ、その時は俺と結婚しましょう』とかプロポーズしてたじゃねえか。ジョルジュも聞いてたよな?」
「まあ、事実だね。トワも彼経由で聞いてない?」
「あはは……うん、聞いてるよ。秘密だって言ってたけど、ちょっと事故があって、仕方なく。ごめんね、リィン君」
ジョルジュからもトワからもそう証言されたリィンは再度硬直する。一方でサラは無言のまま色々と居心地が悪そうに視線を泳がせている。
ミュゼは色々と察した。
フィーも色々と察していた。
そしてたった一人何も察する事が出来ていないリィンは、それでもどうにか動き出し、墓穴を掘る。
「いや、あれは口説くとかではなく、サラ教官に対しての客観的な評価だ。それに、教官ほどの人が本気で誰かと結婚したいと思っているなら、すぐにでも結婚できるから、二年後にという話も実際はありえない話だろう。それは当然、万が一にでもそうなってしまって、サラ教官が俺のような若輩者で妥協してくれるのであれば、約束は守るが……」
「お前、ほんっと、そういうところだぞ。いや、マジで。ゼリカよりタチ悪いやつが実在するとか……いや、ほんと、お前……」
「ジョルジュ、ジョルジュ。今ばかりは発言させてくれないかい?」
呆れ果てて言葉を無くすクロウと、引き合いに出されて律儀に発言の許可を求めるアンゼリカ。ジョルジュが頷けば、アンゼリカはリィンを見て鼻で笑いながら、
「流石の私でも、リィン君より早く女性に背中を刺されて死ぬことはないと断言できるね」
そんな事を宣言して、再び隅の方で小さくなった。
完全にこうなることを確信して爆弾を投げ込んだヴィータはリィンに優しく微笑む。
「とりあえず何も分かっていなさそうだけれど、ここは遊撃士さんに指輪をつけて上げるのが唯一の救いの道だと思うわよ」
「ちょっとヴィータ! あんた何を……」
「拗らせた年上趣味、治るといいわね」
「…………」
ヴィータの免罪符のような一言に、サラは押し黙った。
そして「よく分からないが、サラ教官が治療を望むのであれば」などと言い対面に座るサラの手を取り始めたリィンを、ミュゼとフィーは慌てて止めに入り、手に持つ指輪を取り上げようと動く。
「リィン教官、確率は低いにしろ危険があることは事実ですよ? それに治療の効果があるとは限りませんし」
「サラ。リィンのそういう部分の頭の弱みに付け込むやり方は、ちょっとどうかと思う」
そして、二人が同時に勢い良く腕を掴んだ際の衝撃で、指輪はリィンの手から弾かれた。そして宙に浮いた指輪を、トワが反射的につかもうと手を伸ばす。
が、遠近感を掴めないトワは指輪を掌で受け止める事に失敗し、結果として再度弾かれた指輪が偶然トワの指にはまってしまった。
「ええ……」
「いや、そうはならねえだろ……」
にやにやと笑いながら楽しんでいたクロチルダ夫妻は、突然の事態に死んだような目で小さく呟く。
一方でミュゼとフィーは、サラではなく既婚者であるトワなのであればと、ほっと一息ついた。
「会長。そんな危ない指輪、早く外した方がいい」
指にすっぽりと収まってしまった指輪を見ながら苦笑しているトワの手を取り、フィーが指輪を外そうとする。
が、何故か指輪が抜けない。
「え、これ……もしかして起動している? 会長、体調は?」
「あれ、ほんとだ。うーん、外せはしないけど、特に変わったところはないかな」
一瞬緊張が走ったが、トワの反応に全員が胸を撫で下ろす。
「少し焦ったけど、着脱不可の術式だけ生きているようね。まあ、明日にでも解呪しましょうか。ただ、不安なら貴方の夫に壊してもらいなさい」
実は最終的には指輪の装着を止める気でいたであろうヴィータが、見て分かるほどに焦りを誤魔化しながら吃り気味にそう言えば、トワが苦笑する。
「あはは……流石に壊しちゃうのは色々と問題になるから、ちゃんと明日外して下さいね。あれ、でも、リィン君なら壊せるの?」
「ん……?」
さらりと続けられたトワの問い掛けに、全員が首を傾げる。何かが致命的におかしな方向に転がっている。
「え、だって、さっきヴィータさんが。あれ……でもリィン君はそういうの得意だからおかしくはない……あれ、でも、リィン君は……」
一人混乱するトワを他所に、死んだような空気が流れる。
「あはは、ちょっと酔っちゃったみたい。あ、リィン君。いくらフィーちゃんとは兄妹みたいなものだからって、私の前で堂々と膝枕するのはダメだよっ! リィン君は私の旦那さんなんだからねっ!」
そして自己完結してそんな事を言い始め、呆然とするリィンを席から通路に立たせて、その胸に抱きついてむくれ始めたトワに、完全に空気が死んだ。
そしてそんな凍てついた空気の中、突如ドアベルの音が鳴る。
開かれた扉の奥から、薄青色のシャツと黒のスーツに身を包んだ白髪の男が姿を覗かせた。
初めて実物と対面した時は打って変わった、小奇麗な身嗜み。
全身に巻いた包帯を、血が滲んだ襤褸の外套で覆い隠していたあの頃とはまるで違う身なりのその男は、しかしトワ・ハーシェルの夫である狂犬その本人に違いがなかった。
相変わらずなんて間が悪いんだ。アレは何かに呪われているのだろうか。
トワを除く全員の心が一致した瞬間だった。