脇道を登っていくと、一軒の家が見える。何となく天才無免許医が住んでいそうだが、それは多分、木造建築ですぐ先が海、という立地条件のせいだろう。
……ん?
「幸子さん、今日はかけっこ勝負しよー」
小学校低学年くらいの子供が、ニワトリと戯れてる。と、その子供がボクたちの事に気がつき、家の方に走っていく。
「せーじ君、お客さんだよぉ」
「ええっ!?」
その先にはメガネをかけた、ボクたちと同じくらいの年齢の男がいた。何だかものすごく驚いているが…?
「い、いらっしゃいませ!」
そう言って家の中へ駆け込み。
「兄さん、
…………。
「ねー、桂木。このお店、大丈夫なん?」
「知らん」
さすがにこれは、少しばかり不安になるな。とはいえ、せっかく来たんだ。それに「しらかわ」にも寄るから、ここがダメでも問題はないだろう。
ボクたちは、この家、いや、お店「菜花洋菓子店」へと足を踏み入れた。
お店に入ると、正面には商品ケースがある。ま、一般的なお店と同じだね。そこには、……え?
ケースの上に袋入りのクッキーが置いてあるほかは、スイーツが一種類置かれているだけ?
「ここのパティシエはやる気がないのか…?」
桂木が呟くように言ったけど、私も同感だ。
ええと、スイーツの名前は…、シブースト。値段は、……って。
「なんじゃコリャー!?」
思わず大きな声で叫んでしまった。でも、これは仕方がないと思う。
シブースト1ピース、9,000円。なんだ、このぼったくり。
……いや、ちょっと待てよ? そういや、噂で聞いたことがあるぞ。ひとつ七万円のクレームブリュレ。
あれっててっきり、なんかの冗談か都市伝説だとばかり思ってたけど、もしかしてこのお店のことだったのか?
ガチャリ
扉の開く音がして、さっきの男子に背中を圧されながら、目つきの悪い、背の高い男の人が現れた。
「あー、らっしゃいませー」
こいつ、やる気ねー。しかもくわえタバコ! 衣装からするとこの人がパティシエらしいけど、これはハズレかなー?
「ちょっと兄さん、真面目にやってください! 」
「えー、ボクは作るのが専門ですよ。接客は
「兄さんが真面目にやってくれれば、口出しなんかしませんよ!」
あー、なんてーか、苦労してそうだなー。
「おい、ちょっと聞くが」
おお、さすが桂木。空気も読まずに口を出した。
「このケーキ、パイか? 1ピース9,000円って、妥当な値段なのか?」
「そんなわけ、あるかー!!」
桂木、マジで言ってんのか!? 確かに1ピース数千円するような高級スイーツもあるけど。でも、言っちゃあなんだが、こういうお店で、そんな高級スイーツ出すとは到底思えない。
「あーーっ、兄さん! いつの間に
あー、やっぱり。つまりホントは900円だったわけだ。
「何言ってるんですか。お菓子作りの諸経費はもちろんのこと、我が家の光熱費や食費、衣類などを含めた生活費、それに
「だから、その分お菓子を作ってって言ってるじゃないですかっ!」
……何だか弟君が哀れに思えてきた。とはいえ、いくら奢りとはいえ、さすがに
「……なるほど、そういう考え方もあるのか」
「桂木!?」
「お客さん!?」
ちょっと、ゲームのやり過ぎでおかしくなった!?
……あ、いや。もともとおかしいとこはあったか。
「言っとくが、別に商売として正しいって言ってるわけじゃない。ウチもカフェをやってるしな。
だが、もしそれでも需要があるんなら、そういう商売も成り立つっていう話だ」
「あー、まーそりゃそうだけどさー」
でも、どう見ても成り立ってないよね?
「おや、お客さん。わかってますねー。お一つ如何ですか?」
「アッハッハ、まあ、ボクには釣り合ってないけどな」
「ハッハッハ、価値観は人それぞれですからねぇ」
「「ハハハハハ…」」
うわー、狐と狸ならぬ、神と悪魔の化かし合いだぁ。
「か、桂木ぃ。もういいから、帰ろ」
「まあ待て、ちひろ。
セージって言ったか? この法外な値段は無視するとして、これの価値はどれ位するんだ?」
「え…、そ、そうですね。このサイズだと、相場は大体6~700え…」
「そうじゃない」
え、桂木?
「ボクが聞いてるのは、この職人が作ったこのパイに、どれだけの価値があるか、だ!」
桂木の説明を聞いた瞬間、弟君の表情がとても真剣なものになった。
「兄さんが作ったシブーストなら、1,000円…、いや、1,200円です!」
彼は、本気でそう思ってるんだろう。だって、今、とてもキラキラしてるから。
「なら、その値段で二人分貰おう。ここで頂いてくから、ソフトドリンクのメニューも頼む」
「えっ、ホントにいいんですか!?」
私も思う。ホントにいいの? そもそも、甘い物苦手なクセに。
「それが、そのシブーストの価値なんだろう? なら、それ相応の額を支払うさ。あと、それほどの価値を付けられたシブーストに、ボクも興味が湧いたからな」
そう言って桂木は、そそくさとイートインコーナーへと歩いてった。……ひょっとして、照れてんのかなぁ?
二人そろってストレートティーを頼んでしばらくすると、弟君、いや、いい加減セージ君と呼ぼう。ともかく彼が、シブーストと紅茶を持ってきた。
「どうぞごゆっくり」
そう言ってセージ君は戻っていく。
さて、ではさっそく。
私はシブーストにフォークを入れる。すると表面がパリッと割れる音がする。
「ふーん。確かキャラメリゼって言ったっけ」
桂木、甘い物が苦手なクセに、そういうのは詳しいのな。……まあ、いいや。
切り取った部分にフォークを刺して、私は口へと運ぶ。……って。
「お、美味しいーっ!?」
「ほう。これはなかなか…。確かに甘いのに、甘い物が苦手なボクでも問題なく食べられる」
「し、信じらんない! あんなタバコ吹かしてるよーな人が、桂木でも食べられるような美味しいスイーツを作れるなんてっ!!」
「……おまえは相変わらず口が悪いな。いや、いつもよりは抑えてるのか?」
悪かったですね。どーせ私は、口の悪い女ですよっ。……って言うか、桂木も充分口が悪いと思うけどね。
「まあ、それは置いとくとして、あのパティシエが吸ってるのはタバコじゃないぞ?」
「えっ、そうなん?」
いや、どー見てもタバコなんだけど。
「タバコにもいろんな香りがあるらしいが、アレには特有の
「むしろ?」
「……いや、何でもない」
なんだろ。ちょっと歯切れが悪いような?
あー、美味しかった。スイーツもそうだけど、紅茶も、香りはもちろん渋みもスイーツの味を引き立ててる。
建物の古臭さも、掃除が行き届いてるお陰でむしろオシャレな感じだし、海が近くて波の音が心地良い。
そして従業員のセージ君も人当たりがとっても良い。
うん。パティシエ以外はサイコーだね!
「ねー、桂木。またこのお店に連れて来てよ」
私のお願いに、桂木は。
「いやだベンベン!」
なんて言いやがった。なんだ、ベンベンって!
「ちひろ。まさか同じ条件で連れて来てもらおうとか、思ってないだろうな?」
「えっ、まままさかぁ!」
バ、バレてた。
「普通のスイーツデートなら、まあ、同じ条件で考えてやってもいい。だが、舞島から南雲じゃ、ちょっと遠いからな。次回もボクの好意で連れて来てもらえるなんて、思うなよ?」
うう、返す返すもその通りで。でも、だからって、私ひとりじゃそれこそ遠いし、良くも悪くも桂木との思い出のお店になったのに、歩美を誘うのは私も嫌だし歩美も気まずいと思う。
ううむ、それじゃあ…。
「そんだったら、桂木が私のことを素直に褒めたいって思ったとき、ご褒美としてここに連れて来てよ」
これでどうだ!?
「なるほど、そう来るか」
桂木は、感心した様子で私を見てる。
「そうだな。それこそこの間の賭けみたいな、ボクが提示した条件を除外するんなら、それで別に構わない」
そして不敵な笑みを浮かべて。
「だがそれは、ちひろがボクを攻略するのと変わらないんだぞ?
ボクは、感心する事はあっても、心から褒めることは無い、……とは言わないが、滅多に無いからな。難易度はMAXだと、心してかかって来いよ?」
しまった。桂木のゲーマー魂に火をつけてしまった。
……でも、まあ、これはこれで楽しいかもしんない。私が今、真剣に取り組んでるのはバンドだけど、好きな人と真剣に取り組める事があるってのは、また、別の楽しさがあると思うし。
……って、好きな人! うわっ、改めてそんなこと考えたら、めっちゃ恥ずかしくなってきたっ!
「……どうした、ちひろ?」
「な、何でもない!
それよか、その勝負受けてやろーじゃんか!」
誤魔化すように言ったけど、そう思ったのはホントのことだ。
「そうか。それじゃあ期待しないで待つとしよう」
尊大な態度で返してきたけど、少し楽しそうに見えるのは、私の思い上がりかな?
ボクが精算を済ませていると、あのパティシエ、タイムとか言ったか? ソイツがこっちを見ているのに気がついた。
「なんか用か?」
「いえ、相場よりも高い金額を出してまで、ウチのお菓子を食べていく変わり者に、少し興味を持っただけですよ」
高いって理解してたのか。しかしまあ、確かに興味を持つには充分な理由だな。
「そうだな。ゲームではお前みたいなクセの強いキャラは、実はとんでもない設定があったりするものだ。特に専門職に就いてるヤツは、見た目に反して、ものすごい才能の持ち主というのが定番だな」
「またゲームかよ!」
ちひろが突っ込むが、ボクにはこのやり方しか知らない。第一。
「だが、間違ってなかっただろ?」
セージが嬉しそうに頷いている。
「それで、ボクも聞きたいことがある。
お前は確かに、スイーツを作り販売している。だがそれに反して、提供しているようには見えない。それはどうしてなんだ?」
スイーツを一品、お持ち帰り用のクッキーを含めても二品しか出していない上、法外な値段をつけているって事は、元々売る気が無いとしか思えない。だが、一切手を抜いていないのは、このボクにでも、いや、甘い物が苦手なボクだからこそわかる。
「ボクのお菓子を食べてもらいたいのは、セージ君とぱせり君だけです。販売してるのは、そのついでですよ」
「なんですか、それはーーー! それじゃあボクたちは干上がっちゃいますよーー!?」
「だからその分値段を」
「それで売れなきゃ、意味ないじゃないですかっ!」
うむ。やっぱりリアルは
お店をあとにして階段を下っていると、ちひろがボクに話しかけてきた。
「ねえ、桂木。さっきのって何?」
「さっきの? 何の事だ?」
ホントに心当たりは無いが…。
「タバコの話。途中ではぐらかしたでしょ?」
ああ、あれか。まあ、少しあからさまだったかもな。
「……ちひろ。
「え…、う、うん。わかった」
一瞬戸惑ったようだが、やっぱり好奇心が勝ったようだ。
「あのタバコみたいなものからは、
「線香!? そりゃ、あんな場所じゃ言えんわな」
まあ、そうだな。とは言っても、別に縁起が悪いとか、そういう意味で言わなかったわけじゃない。それがあの家族の秘密である可能性があったからだ。
そうだった場合、あそこでそんなこと言ったら、最悪バッドエンドへ一直線! なんてこともありえる。
「実はあのタイムって人、幽霊だったりして。でもって、あのタバコもどきを吸ってれば実体化できるとか」
……なんだって?
「……なーんて、そんなこと言ったら、さすがに失礼だね」
などと軽い口調で自ら否定しているが。……これ、充分にありえるんじゃないのか?
春日楠。駆け魂を捕まえるために、ボクが五番目に攻略した女子。彼女は武闘家としての道を進むため、女としての自分を圧し殺していた。それが心のスキマとなって駆け魂が入り込み、楠の女の部分が分離する。
楠が投げ捨てようとした猫を救ったり、ボクの攻略が佳境に入ったときには、本体である武闘家の楠と、分身である女としての楠が拳を交えていた。つまり実体化していたということだ。
また、楠の姉である春日檜。彼女もまた、駆け魂の持ち主だったが、楠の時よりもさらに酷い。妹に対して大きな自分を見せたかった檜は、駆け魂の気で大きな姿を作り上げていた。
そして何かが切っ掛けとなって、その気は実体化し、周りの人間にも見えるようになり、また、物理干渉が出来るようになったんだ。
こんな前例があるんなら、人為的に霊を実体化することも出来るのではないか。もちろん、生半可なことではないが、可能性なら充分にあるだろう。
それにこの推測が正しいのなら、あのパティシエ、タイムがスイーツを売る気が無いのも納得できる。幽霊がやってる店を、有名にするわけにはいかないからだ。
今の世の中、どこから秘密が漏れるかわかったものでは無いのだから。
「どーしたん、桂木。難しい顔して」
「……いや、よくそんなトンデモ話、思い浮かぶもんだと思ってな」
「なんだとー!?」
ちひろには、この話はしないことにした。結局これは、推測の話でしかない。
シュレディンガーの猫は、確認しなければどの可能性も等しく存在し、確認した瞬間に他の可能性は消失するという量子力学の考えだ。だが、海外にはこんなことわざもある。
好奇心は猫を殺す。
自らの好奇心のために、自分の未来の可能性を消失させたら、あまりにも馬鹿馬鹿しい。
ボクにもリアルで好きな人が出来た。そしてこれからも、ボクにとって予想外のことが起きるだろう。良いことも、悪いことも。それは煩わしくもあるが、きっとやり甲斐のあるゲームに違いない。
「桂木。しらかわが見えたよ」
ボクには、危険なスリルは必要ない。ただ、何を仕出かすかわからない、びっくり箱のような彼女が紡ぎ出すスリルで充分だ。
「あ、ねえ、桂木。さっきの勝負だけど、菜花洋菓子店としらかわのセットに変えてもいいかな?」
「別に構わないぞ。精々頑張れよ」
「おう!」
ボクは、そう思わせてくれる、ちひろが好きだ。
「え…」
「お前は」
「あ、桂木!? あと、オマエは確か、ちひろ!?」
しらかわに並ぶ列に、ハクアがいた。
「ちょっとオマエたち。
「えっ、あの、桂木とデート…」
「デ、デート!? ……へー、ほー、ふぅん?」
なぜか蔑むような、怒りの隠った眼差しでボクを見つめるハクア。
「ハクアこそ、なんで
「ああ、ゆき…、私のバディーには世話になったからね。お礼に買いに来たのよ」
ゆき…、雪枝さんか。しかし、少し気になる言葉が出てきたな。
「世話に
「桂木。ヴィンテージ、そしてサテュロスと繋がってた駆け魂隊も、いよいよ解体されて新しい組織へ移行するのよ。
私も当然再編されるから、地獄に戻らなきゃならないって訳」
そうか。地獄ではそんなことになってたのか。
「それじゃあボクたちが会うのも、これが最後かもしれないな」
「ええ、そうね。……桂木、色々とありがとう」
「ああ、どういたしまして」
ハクアが差し出した右手を、ボクは強く握り返し
「ちょっと、なんでオマエたちまで並んでるのよ!」
「ボクたちは元々、しらかわに寄るつもりだったからな」
「うん」
「これじゃあさっきの別れの挨拶が、台無しじゃないのよ!」
ハクアの叫びが、空へいっぱいに広がった。
今回の話は、若木先生の新連載記念に書いたのですが、前書きにも書いたとおり、月曜日に投稿出来ず。しかも前後編。
ハクアはオチ要員にしてしまいましたが、これもまた良し(オイ!)。
なのはは、1話目のあと、2話目の前、という想定です。