その夜、春日咲の気分は最低だった。
今日の検査でもエミッション値が規定を割り込んでいた。連続日数からみて事務所内規でもリタイア確定。
「これが飲まずにいられるかー!」
咲は一人で居酒屋の開店を待って午後5時からのみはじめ、午後11時。どれだけ飲んだかすら覚えていない。
もう咲はアクトレスじゃない。
アクトレスというのは、簡単にいうと特殊な武装を使って宇宙からくるヴァイスという巨大害虫を駆除する仕事を持つ女性のことだ。
害虫駆除と言っても、ちょっとした特殊能力と資格が必要なので、法律で報酬や待遇が厚く保護されている。
なぜアクトレス、なんていうかっこいい名前かというと、主に思春期から成人直後くらいの女性がもつ「エミッション」という特殊能力がないとその武装が起動できないうゆえ、アクトレス業界は若い女性がほとんどの職種だから。
…ということで、メディア受けがいい名前を付けたんじゃないかと咲は思っている。
◇
そう。さっきまではあたしはアクトレス事業所「荻窪メンテナンス」のファーストアクトレスとして文字通り肩で風を切って働いていた。
そう。あたしは専業アクトレスだった…。
今考えると、後に備えて何かの資格試験を取っておくべきだった…!と思うが、祭りは後からくるから後の祭りなのだ。
突然エミッションを失いリタイアしたあたしは実入りを失い、明日から晴れて無職、ハローワークにGOというわけ。
「無職かーくそがー!ニートばんじゃいー。ちゅーいはしねー」
やけくそめいた謎の呪文を唱えながら、あたしは飲み続ける。あたしはニートって年齢でもないけど。
事務所のアクトレス統括責任者から事務員として働かないか、と言われてけれど、それは断ったのだ。
「くそーちゅういがー。あたしがちょっちいいなとかおもってたのにー」
くそー、あのやろーがあんなに冷たいとはおもってなかったよー!
中尉というのは咲が所属していた事務所「荻窪メンテナンス」のアクトレス統括責任者の男性の綽名だ。
どこかの紛争シャードで彼は中尉だったらしく、東京にもどってアクトレス指揮官をするにあたっても名前ではなく中尉と呼ばれ続けている。名字も一度くらい聞いたことがあるが、誰も名前で呼ぶことはない。
多分中尉がちょっと超然としていて、親しみが持てないせいだろう。わたしも名前を忘れたことにしてる。もう忘れたいし。
まあ女社会であるアクトレス事業所に男が一人、あまりフレンドリーだと危ないしな、と咲は納得していた。
顔はかなりいい。社内アクトレスには中尉とくっつこうと頑張ったコもいたらしいが、相手にされなかったらしい。
賢明なことだよ。
あたし?あたしも結構いいなって思ってた。
今日の午後、最後のエミッション検査のときまではね!
◇
「中尉…その…」
午後になって、中尉に呼ばれてコンダクタールームに入ったわたしは、かすかな望みもって渡された検査結果の無情な数値に沈黙するしかなくて。
どう話をしたものか迷っていると、中尉が落ち着いた声でこう賜った。
「エミッションが規定値を切ったか…。春日君、残念だったね。そうか…無駄になってしまったな」
最初は恐れ入って聞いていたあたしもさすがにカチン、ときた。
無駄?無駄ってなに?
「無駄…?あたしが無駄?っ?」
「いや、…そういうつもりではなかったんだが…」
中尉は何かを言い出しそうで、しかし、何も言わずわたしから視線を逸らす。
嫌な沈黙が落ちる。悔しい。冷たい奴だ。
こいつをちょっとかっこいい、チャンスがあれば一緒に飲みにいって、流れ次第では朝まで一緒にいてもいいかなとか思ったこともあったのに。
そんな自分が恥ずかしい。もし行動を起こしてたらこの年になって黒歴史が増えたところだった。
「いままでご苦労だった。退職金はできる範囲で上乗せしておくよ。
次の職場が決まるまで、当社の事務職として働くつもりはないか」
「…無駄なわたしですから!結構です!お断りします!」
あたしはコンダクタールームのドアを大きな音を立てて閉めた。
執務室では、大きな音を立てたドアに驚いたのか、後輩の飛鳥香苗が机から離れて駆け寄ってきた。
香苗はあたしの後輩で、数年前から出撃するときにはよくあたしの二番機として働いていた。
ボブカットで小柄、正確は明るく甘えん坊。
ただ、あたしに事務や、撃ち漏らし敵の始末やらを押し付けてくる、ちょっとズルいところがある。
悪意はないみたいだからから笑って許していたけれど、めんどくさいことから絶対逃げる系女子というか。
「あの…」
「ああ、ダメだったよー」
あたしがヘラヘラ笑ってみせると、香苗は痛切な表情になった。
「じゃあ先輩、今日で…」
「うん。退職決定。これからは香苗がトップだから、がんばりなよ!」
うむ。がんばれよ。もう仕事を押し付ける相手もいないからなっ!
「頑張ります…」
あ、落ち込んでる、落ち込んでる。
仕事を押し付ける相手がいなくなってさすがに不安になったのか…。でももうあたしは知らんからな。
「あの、これからも時々、飲みにつれていってくださいますか…」
「ああ、うん。機会があったら行こう」
香苗は待機室にいた茜と未知に声をかけ、エレベータで一階ロビーまで下りて、退職するわたしに頭を下げて見送ってくれた。
◇
こうしてわたしは荻窪駅前の屋台の焼き鳥屋で延々とクダを巻いていたわけだ。
これまでは一応事業所のトップアクトレスのイメージってもんがあったからここの焼き鳥は避けてたけど、今更だ、というか一度ここで焼き鳥でたらふく飲んでみたいと思ってたんだ。
しかし、どうしようか。
とりあえずしばらく暮らすに困らない蓄えはあるけれど、アクトレス以外に能なかったからなぁ。
うちは親が二人とも早世したせいで、妹の葉子を新潟シャードに残し、わたしはエミッションを生かすために東京シャードに出稼ぎして妹に仕送りしていた。葉子も一昨年高校を卒業して就職したから、わたしが無職でも葉子は困らないだろうけど、まさか葉子のところに転がり込むわけにもいかないだろうしなぁ。
(無駄になってしまったな…)
ふと中尉の無駄にイケメンな声があたしの脳裏でプレイバックされる。
無駄だと?エミッションがないアクトレスはもう無駄!?
事実だけどさ!
「ざっけんなー!すみませんビールもう一杯!」
隣に座ってたおっちゃんがこちらを怯えた目で見ている。
そのとき、携帯のヴァイス侵入警報が鳴った。
…珍しいことだ。荻窪まで侵入されるなんて。ここは成子坂さんの統括エリアだから侵入警報はまず成子坂さんに入る。
うちは彼らが忙しい時、下請けで仕事をいただくことになる。場合によっては下請けの下請けになったりする。
成子坂さん、ちょっと前まではうちより小さかったのに、Aegisとズブズブの指揮官が入ったらしくて、なんと叢雲さんを排除してあれよあれよという間に東京西部の統括業者になってしまった。うちの中尉もAegisにコネがあればよかったのに、使えね-奴だな。
周囲の人が屋台の幕から顔を出して空を見上げて、どこだどこだ、とか言っている。
悔しいなあ。本当だったらあたしが稼いでるかもしれないのに。
見ると井草の方からトライアングル編隊が飛んでくる。あっという間に荻窪駅のロータリー上空を抜けてインテグラルタワーの向こうに消えていく。
ああ、あれうちの事務所だ。先頭のMN404でラケーテ持ってるのは香苗か。後ろは契約社員の茜と、もう一人は誰だろ。待機にいた未知だろうか。
香苗は正直言うとあまり頼りにならないコだった。
戦闘では後方支援型の装備のくせに、かなりおっちょこちょいで戦況を見失うことも多く。
うちの契約社員には能力的には香苗より優秀なコもいたが、香苗は正社員で、古株だからあたしがいない今、契約社員を指揮する側になるしかないし…。
いやまあ、アクトレス編隊のリーダーは戦闘能力自身よりも状況把握の方が大事なんだけどね。
香苗はそれが一番ヤバいからなぁ。でも今日からはあいつがやるしかない。
それに役立たずになるや冷たく追い出した中尉と違って、最後に出口まで見送ってくれた。
良い奴だといってもいいんじゃないか。あいつのことは応援してもいいだろう。
「かなえー!がんばれー!
おまえがきょうからトップにゃんだぞー!いけー!」
あたしはビールを片手に聞こえるはずもない月明かりの空で戦っているはずの後輩たちに大声でエールを送り、ぶんぶんと手を振った。
今日、香苗には、また飲みに行こう、とは答えたものの、あたし無職だし今後も香苗のほうが高給取りだ。
がんばれよー!そして縁があったらお前こそ時々あたしにおごれよー!
周囲で飲んでる酔っ払いも、飛んで行ったアクトレスを見上げておー!いけー!とかあたしに同調してやがる。
にゃんだよ、おまえら酔っ払いはあたしが飛んでるときにはぱんつ見えてる!とか怪気炎あげてたくせにー!
知ってんだぞこら。
◇
後輩たちが遠くに消えた空をしばらく見上げていた咲は、ぐるぐる回り始めた世界から自分の狭いアパートに帰るために、飲み代をはらって大通りをふらふらと歩き始めた。
ロータリーから少し離れた交差点で信号待ちをしているとき、いきなり後ろから強い力で押されたような気がして、咲は道路に転がり出た。
あれ?
あれれ?
目の前に車のライトが見えた。衝撃。
咲の意識はそこで途絶えた。