”起きなよ、そろそろ起きなよ…”
耳の近くで誰かがあたしを呼んでいる。ゆっくりと目を開ける。
知らない天井が見えた。
あたしはどうなったんだろう…。ここは病院なのか?
あたりを見回すと、そこは病院でもなんでもなかった。おそらく、普通のアパートの一室。
あたしはベッドに横になり、掛布団をかけて寝ていた。
枕元に黒い猫がいた。ニヤニヤと笑っている。
あたし知ってる、これはチェシャ笑いってやつだ。黒猫が前足で顔をぬぐうと、小さなチュイイン、という機械音がする。
”お目覚めだね。よく寝ていたね…”
「えっと…あの…おはよう…?猫さんは…えっと…」
”アプラード。ボクのことはアプラードって呼んでよ”
「ねぇ、なんで猫がしゃべってるの…?」
”魔法少女ものでは使い魔が少女のもとにやってきて始まるって設定が多いって聞いたんだけど…間違ってる?”
「…だいたいあってるけど…。えっと…アプラードさん?わたしは死んだ…んでしょうか」
”あれは完膚なきまでに死んだね。
車に跳ねられてポーンと10mくらいふきとんで、コンクリートの電柱に、こう、ぐしゃっと…”
ひぃぃぃ。
「いい、もう聞きたくない…わかった、わたしは死んだ。OK。
で、少年向け文芸よろしくわたしは転生したとか、そういうわけ?」
”転生というか…きみは新しい命を得たんだ!”
胡散臭い。なにそれ。
「…じゃあここは東京シャードなの?」
”そうさ。君が死んでから三週間経ってる”
「三週間か…」
三週間!?三週間も寝ていた?
「三週間もたったのにお腹すいてないんだけど…」
「死んだ、っていっただろう…お腹空かないよ」
死んだ、か、そうだ死んだのか。
お葬式も当然終わってるだろう…。妹の葉子、天涯孤独になっちゃったから、泣いただろうな。
「…そっか。で、なんでわたしを生き返らせてくれたの?」
”ボクは君の類まれなるアクトレスとしての素質を惜しんでだね…”
「このやろう、エミッション失ったアクトレスに喧嘩売ってるの?」
”まあ、気まぐれと言っておけばいいかな…それに君はエミッションを取り戻しているよ”
‐うそ?
「またアクトレスで稼げるの?稼いでいいの?」
”もちろんさ。せっかくだからサービスでエミッションを増量しておいたよ。しばらく前に流行ってた来世ものの定番、チート選択をさせてあげられなかったけれど、まあエミッション選んで損はないだろうってことで。
今の君は類まれなる才能をもった美少女アクトレスだ!しかもまだ17歳”
「勝手に年齢変えないでよ…え?え?」
ベッドから降りて部屋の鏡台で自分の姿を見ると…そこには自分ではない自分がいた。
見慣れたあたしこと咲の平凡な顔立ちとは違う、小さいけれど整った鼻、きつめだけれど愛嬌のある猫のような大きな瞳、少し厚くて セクシーな唇をもったボブカットの少女がそこに映っていた。
「誰よ、これ。あたしじゃないじゃないの…!」
呆然とするわたしに、アプラードがごろごろと喉の鳴らしながら答えた。
”八幡莉々。君の新しい名前さ。エミッションのために年齢を調整したんだ。顔も変えた。
同じ顔で年齢が戻ったら…いくらなんでもヘンだろう?”
「そう…だけど…」
じゃあ、生き返ったというか、やっぱり春日咲は死んだのね…。
”そうだ。君、自分のお葬式の写真見てないだろ。”
まあ、自分の葬式写真、見たことある奴はいないと思うぞ。
”なかなかいいお葬式だったよ。妹さんや事業所の後輩ちゃんは号泣してたけどね”
‐やっぱ葉子泣いてたか…。そうだろうなぁ、自分の学費のために出稼ぎしてた姉が、働けなくなったその晩死亡、じゃ責任感じちゃうよねぇ…。
「あのさ、連絡とっちゃ…」
”やめようよ。どういう名目で連絡するんだい?もし君が春日咲だと…▽▽▽に特定されたら、キミを殺すから”
アプラードは冷たくぴしゃりといった。途中の台詞はノイズになって聞こえなかった。
その声のあまりの無機質さに背筋が凍る。
「え…。うん…わかった…」
わたしは少し怖くなった。アプラードは純粋な好意でわたしを生き返らせたわけじゃないことがはっきり分かったから。
「じゃあ、葉子のこと時々教えてくれないかな、そのくらいは…いいでしょ」
”まあ、そのくらいなら。ボクの情報は完璧だから安心していいよ”
「あと、泣いてた後輩って、香苗のこと?」
”飛鳥香苗…だっけ。そうだね。棺の前で大声で泣き崩れてたよ”
そうか、あいつも本気で悲しんでくれたのか。もっと優しくしてやればよかったな…
”大丈夫。後輩ちゃんとはすぐ会えるさ”
「ちょっとまって、身バレしちゃいけないのに荻窪メンテナンス行くのはまずいでしょ?」
”いやいやここは定番ってことで、君はやっぱり荻窪メンテナンスで働いてもらいたいんだ”
ええー…なにその矛盾する対応は…。
あんたサドなの?
”ということで、君にはアルメニアシャードのアクトレス免許を手配したよ”
「なんでアルメニア!」
”莉々は父親の仕事の都合でアルメニアシャードに行き、そこでアクトレス免許を取った。
でも実質、活動はしていなかった。という設定さ。”
「設定、はどうでもいいけど、ライセンス転換のために東京のAegisには行くんだよね。それじゃ意味なくない?」
”アルメニア側の設定を完璧にするために大分がんばったんだから我慢して。
ライセンス転換のチェックはまあ本気は出さないでいいから。本気出すと目立ちすぎるからね…”
「…それもいいけどさ…。
あたしを…生き返らせて何をさせたい…の?」
それを聞かなきゃいけない気がした。アプラードはひんやりした悪意を纏っていたから。
アプラードは楽しそうに笑った。けたたましくて薄気味が悪い笑い声だった。
”そりゃ、もっとヴァイスと戦ってほしいのさ。アクトレス生き返らせて、それ以外になにかある?”
「…それならいいんだけどね…」
直感的にそれは嘘だと思った。
アプラード、でもあんた、おかしいわよ。
使い魔だとしたら、なんでアプラード、あんたは部屋の隅の陰に埋もれるようにして昏く笑いながら、目が紅く光っているの?
しかもなぜ動くたびにサーボモーターの音がするの?
どうみても魔法少女の使い魔の外見じゃなくて、悪魔の眷属なんだけれど…。