表通りに戻るにあたって、アプラード先生の授業は本当にめんどくさかった。アパートの一室に閉じこもり猫に赤ペン指導される17歳ニート。シュールだわーこれ。
これを言っちゃダメ、これはいい、これはダメ…最後はペーパーテストまで。ちょっとあんた、あたしのためにわざわざ30ページのマークシート問題作るとかどんだけ暇なの。
”暇な訳じゃないよ。それだけ君を大事にしてる、ということを理解してほしいんだ”
「そりゃ年齢詐称、国籍詐称、氏名詐称…詐称してないのは性別だけ。ばれたら一発で資格剥奪」
”分かってるじゃないか”
「奇跡のちからとかないわけ?黒猫さん」
アプラードは猫のくせに器用に後ろ脚立ちして肩をすくめて見せる。
”魔法とか奇跡なんてあるわけないじゃないか。頑張ってAegis内に多少の便宜を図る準備はしたけどさ。まともに君がバラしたらどうしようもない。ねえ莉々、現実を見ようよ”
「自称使い魔が正面から自己否定しやがった!!で、これ間違えたらどうなるの!?あたしニートのまま?」
アプラードはゴロロ、といやらしく喉を鳴らした。
”さぁね。あ、そうだ。君が飲んでる薬あるよね”
「あるね、あんたが毎日持ってくる奴飲まされてるね!あれ何」
”免疫関係。あれ飲まないと身体崩壊して死ぬらしいよ?さ、頑張ろうか”
「嘘でしょ、リアル人魚姫ごっことかやめてくれる?」
”嘘かどうかは試してみないのをお勧めするな。結構苦しいみたいだけど…だから試験は真面目にやろう”
「だからー!命掛かったテストとかふざけんな!だいたい予備の薬一週間しか受け取ってない!あんたがセーシェルにバカンスにいったらあたし死ぬの?」
「なんでセーシェル!」
「結婚したら新婚旅行で行きたかった!」
「もういい…きみの連想はどうなってるんだ…。はい、ここ間違ってる。エレバン周辺の地理くらい覚えてよほんとに…。はい写真のこの山はなに?」
「アララト山でーす!ノアの洪水で船が流れ着いたとこでーす!」
「よくできました」
ああ、この年で受験勉強とかとってもストレスだ。やっぱ大人しく死んどけばよかったかな…。でも秘密は守れと口を酸っぱくして言う代わり、あれをやれ、とかはごちゃごちゃ言わないんだよなこいつ。会社に戻ってアクトレスとして働いてほしい、あとはもう好きなように楽しんでよ、とだけ。何を考えてるのかが読めなくて却って怖い。
そして、心配していたわりに免許のコンバートはあっさりと終わってしまった。
もっともわたしに盗聴器を付けていたアプラードに電話したら、面接であたしが変なことを言わないか気が気じゃなかった、自爆ボタンに前足をおいて何度もうっかり押しそうになったよ、とか言ってる。
「…ほんとに自爆装置まで付けてるとかいわないよね?」
「さすがにそれは冗談さ。レントゲンとった程度でバレるようなことするわけがないだろ」
バレない程度ならなんかして下さってるとでも言いたいのか。まあ、エミッション増量したとか言っていたしな…。
測定されたエミッションの値は、とても高くて安定していた。以前のあたしが見たら羨ましくて悔しくてシャワールームでバスタオルかじるくらい。こんなエミッションがあれば、多少のごり押しをしてもお仕事ができちゃうだろう。これについては素直にアプラードに感謝するしかない。就職先についてはAegisの面接官に、どこで働くか決めてない、民間がいいのでアクトレスの求人票見てさっさと決めます。これだけで逃げた。
しかし、あたしが荻窪メンテナンスに入社するにあたっては、まだ問題があった…。求人表のあるコルクボード。そこに見当たらないのだ。懐かしのわが社の求人票が。まあ、貧乏だしなぁ。しょうがないんじゃないか、でもどうすんのよ、と電話先のアプラードに言うと、アプラードが慌てて、いやそんな、ああ、手配してなかった、とか言っている。アパートで猫踊りしてそうだ。
「もういいよ。適当に履歴書書いて直接行くから。でもあんた思ったより間抜け」
”申し訳ない”
「えっと、わが社を知った理由…新聞の広告でっと、抱負抱負、わたしを採用してくれたら御社を三年で優勝の狙えるアクトレスチームにします…これでいいかな」
”大丈夫かい?”
「いいの。うちの社長こういうノリ嫌いじゃないはずだから。任せて」
面接結果?当然採用に決まってる。
はじめましてー。八幡莉々でっす。今日から所属になります!よろしくお願いします!
目の前には香苗、未知、茜、中尉、社長。知らない奴いないし、なにがはじめましてだ、ふざけんなあたし。
ギアは中古の初代ペレグリーネを手配してくれることになった。初代のしかも中古かー。貧乏って悲しいね。
まあ、あれ嫌いじゃないからいいけどさ。あたしの使ってたGXモデルは未知のものになってたし。ギアは明日の夜には届くそうで、あたしはその調整後にローテーションに入ることになった。
アプラードは就職祝いといってなんと例の錠剤を巨大な段ボールにつめて宅急便で送りつけてきてくれた。1年分もある。もう脅迫まがいのことはする必要もない、忙しいからしばらく来ないけど、しっかりやんなよ。そういってフラっと消えていった。
あんた何か企んでたんじゃないの…?もしかして顔と口と雰囲気が悪いだけで、いい奴だったの?
”あ、そうだ。会社のギアセットアップルームの東の角にさ…”
「うん…セットアップルームに?」
”いいものが置いてあるから。じゃお幸せに”
いいものってなによ。セットアップルームってことはギアかしら…新型装備がこっそり宝箱にはいってたりして?
RPG脳はやめろ。会社にそんな余裕あったら初代ペレグリーネの中古なんか手配するはずがないだろ。
◇
「こんばんは、待機はいりまーす。よろしくおねがいしまーす」
初出勤の日、あたしがそういって休憩室に入ると、入り口に背中を向けて座っていた女性が跳ね上がるように立ち、振り返った。
香苗だ。その頬が涙にぬれていた。
「あの…どうしましたか?体調が悪いなら早退されても…」
あたしが恐る恐る聞くと、香苗は首を振る。
「ううん。違うの。ちょっと前にいなくなっちゃった先輩のこと、思い出してて…。ちょっと悲しかったの…」
涙を拭いて、香苗は微笑む。
「そうだ莉々ちゃん、今日は初待機だっけ?まだギア届いてないんじゃない?」
「でも今晩中に届くって中尉さんが言ってましたので…」
「そっかー。それなら初出撃になるかもねー。楽しみだねー。
莉々ちゃんのエミッションは事務所で突き抜けてるし、自由にやっていいからね。フォローは任せなさい」
「はい、頑張りますね」
無理に笑いながら緊張をほぐしてくれようとしている香苗を見て、莉々は胸が熱くなる。
香苗、笑顔がかなり無理してるなぁ…拳をぎゅっとにぎったままだよ。
でもこのコ、後輩にはこういう心遣いできるコだったの?あたしが今までみていたのとまるっきり別人じゃないの。
ああ、言いたい、あたしは帰ってきた、また一緒に戦えるよ、と。
あたしは後ろめたい気持ちを抱えたまま、思い切って聞いてみる。
「…あの、その、いなくなった先輩って…」
香苗の顔が曇る。しばらく逡巡した後、ソファに座りなおしながら香苗は話し始める。
「春日さんといって、あなたが来るちょっと前にリタイヤされたんだけれどね」
「わたしは…その…春日先輩のことが大好きで…。
先輩がしょうがないなぁ、ってわたしに笑ってくれる笑顔が好きで…。
いつも書類を中途半端にしたり、甘えていたんだけどね」
おいまて。あれはズルかったんじゃなくて確信犯だったのか。聞き逃せないぞそれは。
「ちょっと前に、突然エミッションを喪失してしまって…そうなるとね。アクトレスは続けられないでしょ」
「そう…ですね」
「退職されるときに、ご自分ではとても悲しかったでしょうに、わたしの肩をたたいて、これからは香苗がトップよ、応援してるからがんばりなさい、あなたならできるわ、って優しく言ってくれたの」
え…何それ、なんかあたし自身の記憶とかなり違う。あたしが超絶美化されてるんだけど。
「その晩、交通事故で亡くなって。
わたし、その先輩にほんとにいろいろ教えてもらってて。
アクトレスやめても時々一緒に遊んでくれるって言ってたんだけど、もう…会えないから…」
話をしている間にまた感情が高まったのか、香苗の目からまた涙がこぼれる。
「春日先輩、泥酔状態だったって…ぐでぐでに飲んで道路で転んじゃうくらいリタイヤ悲しんでたのに…。
あたしその晩待機で一緒に…いられなかった…」
そういって、香苗は目を見開いたままぽろぽろと泣き始めた。
ちょっとまって。わたしは転んだ…んじゃないよね…。あたしは誰かに突き飛ばされたんじゃないんだっけ…。
「だって、だって先輩のスケジュール埋めるのはあたししかないと思ってたし…。
あとは任せてくれて大丈夫だって言ってあげたかった…」
そういって小さな嗚咽を上げて泣き始める。ああ、やばい。あたしもつられて泣きそうだ。
香苗、ごめんよ。ずっと頼りにならない馬鹿なコだって思っててごめん。
しかもこれまであんたのことちょっとズルいって思ってた。
「先輩が頑張れっていったから頑張るけど…わたしはそんな器じゃなくて…。
だけど、取り返しがつかないことになっちゃった…もう会えない…!」
気が付いたらあたしは後ろから香苗を抱きしめていた。
あたしに頬にあたる香苗の頬は柔らかく、こぼれる涙があたしの頬に移って、あたしの顎に落ちていく。
何年も一緒にいたのにね。あたしは今日、本当の香苗の心に初めて触れたような気がする。
香苗、ズルい子じゃなくて、あたしのこと好きだったのね。嬉しい。
「…香苗。大丈夫。大丈夫よ。
これからは全部うまくいくから。
ありがとう。あたしのこと好きでいてくれてありがとう。
わたしが守ってあげる。もう大丈夫。大丈夫よ」
香苗が息をのむ。振り返って目の前すぐ、涙で腫れた香苗の目が、大きく見開かれてあたしを見つめている。
やばい。素で話しちゃったよ…。いや、大丈夫、咲と莉々は顔も声も違う。大丈夫なはず。
あたしは微笑んで見せる。ひきつるな、あたしの頬。
「あ、あたしが、その人だったらそう言いますよ?
その先輩のために精一杯頑張っていらっしゃるのでしょう?それなら悲しむ必要なんてないです」
それを聞いて香苗は安心したように、うつむいてぐずぐずと泣き始めた。
「うん…。ありがとうね…」
そして、香苗が泣き止むまでの間、あたしは優しく背中をさすってあげた。
やっぱり、甘え体質なのは、変わらないのね。
でもいいわ。これだけの気持ちを知ったからにはあなたが上がりになるその日まで、あたしが戦場でも、会社での立場も、守ってあげる。
エミッションの高いアクトレスはそれだけで正義だ。これはあたしが長年働いてきたこの業界の数少ない真実だ。
これだけのエミッションと、以前からの経験を両立するあたしはこれから会社の中で多少の無理をいっても通るようになるだろう。 その影響力で香苗も守るからね。
「莉々ちゃん。ありがとう、ごめんね、いきなり泣いちゃうような頼りない先輩で」
ハンカチで顔を拭いながら赤面する香苗にわたしは笑って見せる。
「大丈夫ですよ。気が張ってらしたんですね。今日からわたしも社員、お力になりますよ。
事務所を守るために、一緒に頑張りましょう」
「そうだね。うん、頼りにするよ…」
頬を染めてあたしをまぶしそうに見上げる香苗の目に、もう不安の色は見えなかった。
あたしは安心する。
「じゃあお茶入れてきますね。香苗先輩は座ってらしてください」
「ありがとう」
給湯室に向かうために待機室のドアを開けたとき、香苗がうしろからあたしを呼び止めた。
「莉々ちゃん…あのね…あなた…」
「はい?」
「…ううん。なんでもない。わたし、コーヒーがいいな?」
「はい。コーヒーですね」
香苗の痛いほどの視線があたしを背中からとらえたままだったけれど。
香苗はそれ以上、何も言わなかった。
◇
まもなく、中尉、未知、茜も出勤してきて、待機にはいる。
あたしはギアの到着待ち。しばらくしてヴァイスの侵入警報が転送され、そして成子坂さんから発注がかかった、なんとありがたくも大型ヴァイスを廻してくださるそうだ。
緊張した面持ちの香苗が契約社員扱いの二人に声をかける。
「いきましょう。今日は絶対チャンスを逃がさないように頑張りましょう」
頷く二人。そして香苗はわたしに視線を向ける。
え、あたしにも何か言えっての?
「みなさん、がんばってください!応援してます!」
初出勤の初心者としてはこれ以上言えないだろ…あたしに何を言えっての。