あしたのSchool Days (あしたのジョー×School Days) 作:ラバダブ
「ここが丹下ジムや。イメージしとったもんと少しちゃうやろ」
少しじゃない。全然少しじゃない。
戦後の写真でしか見たことのない雨風が凌げれば良いと言わんばかりのバラック小屋は頼りないとたん重ねたを乗せた屋根。台風が来れば倒れ、震度3位の自信が起きれば潰れそうな貧弱な強度。そしておまけに…
「看板が…さかさま?」
そうミミズが這ったような字で書かれた丹下拳闘クラブの看板が逆さまに付いていた。
てっきりテレビとかで見るような物を期待していた私は拍子を抜かれてしまい、西さんの顔を覗き見た。
「あれ取り付けたのはジョーやな。エライおもろいやろ」
西さんがまた大きな声で軽快に笑い、それに徐々に釣られて私も小さな声で笑ってしまった。
「まぁ~、ここ最近色々あってバタバタしとってな。今度おっちゃんが付け直すやろ。そしたらなんぼか様になるわ。ほな入ろうか」
未開の地に踏み入れる探検家のような気持ちで一歩、ジムに入ると松ヤニと汗、ワセリンと鉄。それぞれが独特に混じりあった匂いが室内に蔓延していた。
中央にはリングと周りにはサンドバッグが1つだけ他は見たこともない器具はあるものの簡素な部屋。
「ほー、最近の子にしちゃ綺麗な字を書けとるな。親御さんの教育の賜物だな」
「ほんまやね。ワイらにはこないな文字書けませんは。教養の高さが伺えんな。おっちゃんのとは大違いやね」
「そ、それほどでも…」
そして何故か私が筆を片手にジムの名前を書いていた。
丹下会長とお会いして、挨拶もそこそこすると私の身なりを視るやいなや、試しに看板を書いてみんかと流されてしまました。。
「お~そうだな綺麗な字だぜ。しっかし本当にドヤ街まで来たとは驚きだ。全く律儀な奴だな。まぁ茶ぐらい飲んでけや。番茶位しかねぇけどな」
声だ。あの時と同じ声だ。
矢吹さんの声が聴こえた。
後ろを振り向くと着ているシャツで乱暴に顔の汗を拭っている。会いたかった矢吹さんがドアの前にいる。
話したかった。矢吹さんと話したかった。
それだけの為にここまで来たのに口が、声がでなかった。
「なんだよ。俺に用があって来たんだろ?つってもまだシャツを2枚交換する位の練習してねえんだ。これからもう1枚交換しなきゃなんねえからリングから降りてくれ」
あ~らよっとと、飄々としたおどけた 調子でリングに飛びながら言われ、そそくさとリングを降りるとそんな私を見ながら丹下会長はなにかを手にはめて大声を上げた。
「おいジョー!せっかく来た客人になんて口を聴きやがる!」
「そんな大切な客人に看板書かせたのはどこのどいつだ、おっつぁんよ」
冗談混じりで拳を会長の叩き込むと、身震いするほどの大きな音がリズミカルに、ジムないに木霊する。
今でも初めて見たその光景は今でも鮮明に覚えている
ミット打ち。
後から知ったボクシングの練習の1つ。
矢吹さんは更に滝のように汗を流しながら、全力で一つ一つをミットに打ち込むその姿に私は呆気に取られてしまい、見入ってしまった。
丹下会長の左、右と激しく怒声に混じった指示。
その度に口で応える代わりに、パンチを強く放つ矢吹さん。
何時までも耳に残る、ミットを打ち付けた時の、膨らんだ袋が弾けたような音。
素人目から見ても常人なら一撃で倒れるようなパンチ。
風の様な水のように滑らかに動く華麗な足運び。
そのどれもが私にとって新鮮なもので、刺激が強く、正直に言うと着いていけないものであった。
けれども、いつも見ている余裕の笑みを見せている矢吹さんが、真剣な表情で汗を流して練習している姿を眺めていると、私の胸は高鳴り、心臓が早く鼓動している。
もっとその姿を眼に焼き付けていたい。
そう思い始めた矢先、カーンと鐘が鳴ると丹下会長と矢吹さんの動きが止まった。
どうしたのだろうと矢吹さんの顔をみやると、矢吹さんは額から流れる汗を拭いながら口を開いた。
「ボクシングって奴は1ラウンド3分間動いたら1分間インターバルを挟む。練習からもそれをやって試合感を養うんだ」
矢吹さんの説明を聴いて成る程と頷いていると矢吹さんは続けて言う。
「まだ後3ラウンド続けっからよ、こんなの見てても楽しくねえだろ。 帰ってもいいだぜ言葉」
「いいえ、そんな事ありません。見ていて楽しいです!」
必死に答える私を見て、矢吹さんは小さく笑った。
「やっぱり変わってんな言葉は」
私の何処が変わっているんだろう。丹下会長がミットを叩き合わせた。
「くっちゃべんのはお仕舞いだジョー。 ほらミット打ち続けるぞ」
言い終わると同時に再び鐘が鳴り、矢吹さんはハイハイと余裕に軽い口調で言い、パンチを打つ。
「そんじゃワイは仕事があるさかいこれで失礼しますわ。桂さんまた店に来てな。ジョー、おっちゃん頑張ってや」
西さんはそう言うとジムを出ていった。
私は挨拶するのも忘れて、視線を逸らすことが出来なかった。
1ラウンドが終わる度に緊張感が溶け、深く深呼吸をしていた。
3分間が何時間にも感じるのも初めての経験で、3分ってこんなにも長く感じた。
それから3ラウンドの練習を動きの乱れもなくこなし、丹下会長はリングから降り、矢吹さんはリングに残つてまだパンチを振っている。
「どうだいおっつぁん。動きのキレは…」
パンチを振るのを止め、矢吹さんがロープにもたれ掛かりながら丹下会長に聴くと、丹下会長は難しい顔をし、口を開く。
「ブランクがあるにしてはまあまあだな…。可もなく不可もなくってところだな」
「ふーん…。そっか」
今の矢吹さんの動きで可もなく不可もなく?
丹下会長の発言に驚いていると、矢吹さんはリングから飛び降り私の前に立った。
「シャワー浴びてくるからよ。ちょっくら待っててな」
小さな子どもをあやすように頭を撫で、矢吹さんはそう言い、シャワーを浴びに言った。
不快に思う筈の汗の匂いも、何故かもっと嗅いでいたいと思う。
……駄目だ。私色々おかしくなってる。
頭を抱え、邪念を振り払っていると、側からため息をつくのが聴こえ、横を向くと丹下会長が遠い眼をしている。
「あの…、どうかしましたか?」
丹下会長はハッとし、私の顔を見やると、特徴的な笑い声をあげた。
「へへへぇ。いやぁ次の試合の考え事をしててね…」
丹下会長はそう言ったきり、また遠い眼をして黙りこんでしまった。
その顔つきは先程の練習中の鬼の様な顔とは売って変わって、少し嬉しそうに、優しい顔になっていた。
不思議に思っていると、シャワー室からドアの開く音がし、振り向くと「きゃっ」と声を上げてしまった。
「どうした言葉?」
どうしたって…。
矢吹さん上半身裸で腰にはタオル1枚なんだもん…。
その下はと考えたら顔が熱くなってまともに、矢吹さんが見れないよ。
「ジョー! お前って奴はもう少しデリカシーってもんを持ちやがれ!女の子の前だぞ!」
「ん? ああわりぃ、わりぃ」
漸く気づいて、全く悪びれずに謝ると、服を着る音が聴こえ「もういーぞー」と言われ、再び振り向くと赤いトレーナーに茶色のズボンを履いているのを見て、胸を撫で下ろした。
「でもよ色男の裸が見れたんだ。良いもんだろ」
「も、もうからかわないでください!」
「ほれジョー、今日はもう遅いから言葉ちゃん送ってきな」
丹下会長に言われ、腕時計で時間を確認すると、もう18時になっていた。
「い、いえそんな大丈夫です。私が勝手に来たのにそこまでしてもらうなんて悪いです」
「いやいや女の子を1人で帰らせるわけにはいかん。そらジョー近くの駅まで送ってこい。言葉ちゃん遠くから来たのに今日は済まんな。近々ジョーの試合があってバタバタしててな。また来てくんな」
「いえ本日はお邪魔してすいません。今日は新鮮で面白かったです。丹下会長ありがとうございました」
丹下会長に一礼し、ジムを後にした。
あまりにも衝撃的な出来事が多すぎてお礼に作ろうとしたレモネードを忘れてしまったのに気づき、試しに心に作って出すと美味しそうに飲んでくれて、材料は無駄にならずにすんで良かった。
次は忘れずに作ろうと誓った。
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丹下 段平は椅子に座り、考え込んでいた
「まさかジョーがジムに見知らぬ女の子を呼ぶとはな……」
前までのジョーなら親しい人を除いて、追い出していた。此処は男の場所だ、女の来る所じゃねえと。
だが、今日のやり取りを見ていてあれは 「恋人みたいじゃねえか…」
ジョーも1人前男。
女が出来ても可笑しくはない
可笑しくはないが 「世界が違いすぎるぜジョー」
ジョーはリンクの上で血に飢えた闘犬が噛み合い、切り裂きあいに対して、あの娘は血も見たこともない汚れをしらない純真なお嬢様。
太陽と月並みに住む世界が違いすぎる。
「何考えてんだい段 平さんよ。まだ彼女がそうと決まった訳じゃねぇだろ」
段平はそう自分に言い聞かせるも、あの娘は間違いなくジョーに恋心を抱いている。
どう見ても恋愛などしたことない初々しさが伝わる女子高生。
はたやプロとはいえドヤ街に燻るチンピラボクサー。
そして獣、狼の闘争心を宿した男。
とても、とても住む世界が違いすぎる。
段平もこの世界は長く見てきた。
たまにそういう恋愛話はあるがどれも悲劇的に終わっている。
決して幸せにはなれない。
「考えすぎなら良いがな…」
段 平の悩みは尽きなかった。