運命の夜
家に帰る頃には、とうに日付が変わっていた。
桜も藤ねえもとっくに帰ったようで、屋敷には誰もいない。
意識がまだ朦朧としている。
俺は一体何を見たのか。アレはなんだったのか。
俺はみんなが弓を射っているのを眺めて、みんなが帰った後に慎二に頼まれた、弓道場の掃除をした。これが思ったよりも時間がかかってしまい、外に出たら空が暗かった。
学校でも注意されたし、早く帰らなきゃなと言いながら、校門を目指していると、ふと校庭からキンキンと金属がぶつかり合っているような音がすることに気がついた。
校庭に目を凝らして見ると、青い男と赤い男が校庭で戦っていた。人が、いや、人の形をした化け物同士が戦っている場面を見てしまった。
喧嘩とかそういうレベルの話じゃない。
アレは本物の殺し合いだったのだ。
それを見つけたときに、俺身動き一つできないでいた。動かなかったら死ぬ。それでも動かない。そんな状態の中、動け動け動けと念じていながら校庭を見ていた。
青い男が禍々しいまでの魔力を放った途端、俺は動くことができたのだが、物音を立てしまった。
「誰だ!」
とにかく無我夢中に走って逃げると、
「待て!!」
追いかけてきた。走って走って走り回っていると、いつのまにか校舎の中にいた。
「撒いたか?」
廊下の前後を見ても、なんの影もない。これは大丈夫かと思ったところで、心臓から赤い刃が出てきた。
「悪く思うなよ坊主。目撃者は殺さなきゃいけないんでね。見られたからには、死んでくれや」
世界が横向きになった。自分の周りに血の海ができているのを確認したときに、初めて自分が倒れたのだと自覚した。青い男が持っている槍で胸を刺されたのだ。
「ったく、胸糞悪い殺しさせるんじゃねえよ」
そう言いながら遠ざかっていくのは、青い男。
ああ、やばい。意識が薄れていく。まだ、死ぬわけにはいけないのに。まだ、やらなきゃいけないことがあるのに。
十年前にも経験した、あの感覚。
死の闇に包まれてゆく感覚。
あぁ………俺は、ここで死ぬんだ……………。
何もできないまま……………。
何者にもなれないまま……………。
その悔恨の情に、心が満たされてゆく。
死の感覚に体が満たされてゆく。
意識が、暗闇に染まってゆく。
「……やめてよね………なんだってアンタが………!」
誰かの声が聞こえた。
そして、意識は不図して覚醒した。
しかし、そこには誰もいなかった。
あるのは制服の胸に穴が開いた自分と、そして場違いに綺麗なネックレスだけだった。
腰を床に落とすと、ようやく気持ちが落ち着いてくれた。
深く息を吸い込むと、ひびが入るかのように心臓が痛んだ。
殺されて、そして誰かに助けられた。
あの場に居合わせたのだから、きっとあいつらの関係者だったのだろう。
それでも助けてくれたことには変わりない。せめて礼ぐらいは言わせてほしかった。
と、気を抜いた途端、痛みが新たに嘔吐感を連れて戻ってきた。
目を瞑って落ち着かせようとする。
あの槍が胸に刺さっている気がする。
そんな錯覚を振り払い、冷静になろうと努め………
「………よし、落ち着いてきた」
深呼吸を数回するだけで、思考はクリアになり、体の熱も嘔吐感も下がっていく。毎晩の鍛錬の賜物だ。
「それにしてもアレは………」
あの状況を思い返そうとした刹那、屋敷の天井に付けられていた鳴子が、乾いた音を立てて一斉に鳴り響いた。
腐ってもここは魔術師の家。この家の結界は、特に何かあるというわけではないが、この家の住人に敵意を持ったものが入ってきたら分かるようになっているのだ。
「こんな時に泥棒……いや………」
このタイミング、あの異常な出来事の後では、物盗りの類ではない。やってきたのは…………命を奪いに来た暗殺者だ……!
物音一つしない闇の中、あの校庭で感じた殺気が近づいてくる。
校舎で死ぬはずだった俺を、誰かが助けてくれた。誰かは分からない。そんな事を考える暇も、余裕もないのだが、抱ききれない程の感謝をしている。何故、貫かれたはずの心臓が活動し、俺という存在を動かしているのかなんてどうでもいい。
動いている。ただ、その事実があればいいんだ。生きている。死ぬはずだった命を、救ってくれた人がいる。どういう意図があるのかなんて、後で考える事にした。今、確信を持って言えるのは一つ。
生きなければならない。誰かが俺を助けてくれたなら、二度も三度も死ぬ訳にはいかなかった。俺を助けたことに意味がなくてもいい。ただ、ここで無駄死にするのは、誰かに対しての裏切りであり、侮辱だ。これは意地だ。生かしてくれるなら、生きてやる…!俺を助けた誰か以外に殺されてたまるか!
とっさに、丸められて床に転がっていたポスターを手にする。
相手が槍なら、ナイフや包丁ではダメだ。出来れば細長い棒状のものが良い。木刀なんてあればいう事は無かったのだが、そんなものはない。
「
自己を作り替える暗示の言葉と共に、長さ60センチほどのポスターに魔力を通す。
「構成材質、解明」
あの槍をどうにかするなら、ポスター全てに魔力を通し、固定化させなければ武器として使えない。
「構成材質、補強」
自らの血をポスターに浸み込ませていくように、魔力と言う感覚を浸透させる。
そして、ポスターの隅々まで魔力が行き渡るのを感覚で捉える。
「
珍しく成功した。俺の魔術は成功率がとてつもなく低いのだ。何はともあれ、ポスターの硬度は、今では鉄パイプより硬くなり、軽さはポスターのままだ。
ここまで上手く成功したのは何年ぶりだろう。こんな状況で上手くいくとは、何とも皮肉な話だ。
来るなら来やがれと身構えた瞬間、背筋が総毛立った。
天井に現れたソレは、一直線に俺へと落下してきた。
天井から透けて来たとしか思えないそいつは、脳天から俺を串刺しにせんと降下してきたが、それを夢中で転がるように前へと身をかわした。
たん、と軽い着地音を耳にし、急造の剣を持ったままその方向へ向けて立ち上がる。
さっきまで俺がいた場所には、青い男が赤い槍を突き刺していた。
「……余計な手間を。見えていれば痛かろうと、俺なりの配慮だったのだがな」
男は退屈そうに、そして気怠そうに槍を持ち替える。
どういう訳か、今の男には校庭で見たような覇気はない。
「………全く、一日に同じ人間を二度も殺す羽目になるとはな。いつになろうとも、人の世は血腥いと言う事か」
こちらの事など眼中にない、と言う素振りで悪態をついている。
じり、と少しずつ後ろに下がる。今なら、何とか出し抜くことが出来る………!
このままあいつを出し抜いて、土蔵まで走り、武器を調達して、改めてあいつと対峙する。
「じゃあな。今度こそ迷うなよ、坊主」
溜息をつくように男は言い、無造作に反応する間も無く男の槍が突き出された。
本来なら二度目の死を迎えていたであろうその一突きを手に持ったポスターでそらすが、その槍があまりにも固いのか、それとも男の力があまりにも強いのか、鉄パイプより硬いはずのポスターが折れ曲がった。
「………ほう、変わった芸風だな」
男の顔から表情が消え、獣じみた眼光で、こちらの動きを観察している。
「ただの坊主かと思ったが、なるほど……微弱だが魔力を感じる。心臓を穿たれて生きている、ってのはそういう事か」
槍の穂先をこちらに向けて構える。
「いいぜ、少しは楽しめそうじゃないか」
「勝手に…………言ってろ間抜け!!!!」
理不尽な死への怒り。そして、怒りから派生した生への執着。助けてくれた人の行いが無駄になるから。せめて、その人のために身を呈して死ねればいい。彷彿と湧く執念にも似た想い。最早、好意に等しいかもしれない。変な勘違い…?それでも、いいはずだ。ただ、受け取ったのだ。救ってもらえたんだ。だから、その人が俺を助けてくれた事を、無駄には出来ない。
ガラス戸を肘で割り庭へと転げる。屋内は不意を突かれると判断し、外に出れば、逃げ場が四方にあるものと考えた。
そのまま数回転がって、立ち上がりざま、体ごとひねって剣を一閃する。
予想通り、男は追撃してきた。それを、こっちが起き上がる前に追いついて、確実に殺しにかかる。だからこそ、必殺の一撃が来ると信じて、渾身の力で槍を払った。タイミングを見誤れば確実に死ぬ。実力差を考えれば、早すぎるなんて事はない。
突き出した槍を弾かれ、わずかに躊躇する男。
その隙に、何とか土蔵まで走り抜ければ………!
「飛べ」
男は槍を構えずに、空手のまま俺へと肉薄し、くるりと背中を向けて回し蹴りを放ってきた。
景色が流れていく。
ただの回し蹴りで。自分がボールみたいに蹴飛ばされるなんて…
「ぐっ………!」
背中から地面に落ちたそこは、土蔵の戸口だった。
本当に、二十メートル近く蹴り飛ばされたのか………。
背中がつぶれるほどの衝撃で立ち上がれない。
しかし、気力を振り絞って立ち上がり、土蔵の扉を開ける。
これが最後のチャンス。土蔵の中に入れば、何か武器になるようなものあるはず。
転がりながら土蔵の中に滑り込む。
土蔵の扉と、二階の窓から差し込む月明かりを頼りに、辺りを手探りで探す。何かないかと、武器はないのかと。
その時だった。
「あっつ……ぁあ!?」
一瞬、身体全ての痛みを忘れる程の衝撃が左手に現れた。鋭い針が、手の甲を刺したかのような痛快。顔中の筋肉が不意の痛みに、驚きを隠せずにいた。
熱い、とにかく。熱した鉄板の上に置いたかのような、耐え難い痛みに襲われた。
暗い土蔵の中、仄かに差し込む黄色い月の光とは別に、左手を中心に微弱な赤い光が発生した。左手の甲を見ると、いつの間にか痛みは消えている。変わりに、
「なんだ、これ…」
色濃く刻まれた、赤い模様。
思考が混乱する。手の甲に刻まれて剥がれない印。熱を感じる事はないが、なぜか俺の身体は体力がごっそりと削がれたかのような脱力感に襲われていた。
足元がグラりと揺れる。倒れかける身体を、左足を前に出して踏みとどまる。ここまでフラつくと、何が現実なのか判別がつかなくなりそうだ。
しかし、現実味のありすぎる殺気だけは、忘れるはずもない。
俯いた顔を上げる。映った光景は、
「ハッ!」
矛先を自分の心臓に突き刺そうと迫る男。
殺される………。
間違いなく、今度こそ殺される。
男が来るまで……死にたくないのなら、迎え撃たなければ………。
男が土蔵の扉にたどり着くまであと数メートル。
………ふざけんな。このまま殺されてたまるか。
俺は正義の味方になるんじゃなかったのか。
誰かを助ける正義の味方に。
そんな簡単に人を殺すなんてふざけてる。
こんなところで………
「……あばよ……」
意味もなく………
お前みたいなやつに………
殺させてやるものか!
槍が俺の頭に着くか否やというところで、何かに男が弾かれた。男の表情は、先ほどの恨うらめしく思っているソレとは変わっていた。
「なに!?七人目のサーヴァントだと!?」
それは魔法のように現れた。
土蔵の中が眩い光に包まれている。
思考が停止している。
現れたそれは、少女の姿をしていた。
月光に照らされた少女は、メイド服を纏い、水色の髪をたなびかせていた。
少女は宝石のような瞳で、何の感情もなく俺を見据えた後、凛とした声で言った。
「貴方が、レムの
……?どこが誤字ってるのかもう一度教えてください。