夜鶴の夢、雷光の如し   作:しゃくなげ

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第6話

 島を一望できるその場所は、雷鳴の轟く、文字の通りに何もない岩場だった。吹き荒ぶ風が岩の隙間を抜けるたびに、不気味な生物の鳴き声にも似た音が周囲に響いた。

 ひとり山頂へと辿り着いたマシュが見たのは、そんな心寂しい場に、打ち捨てられたように転がっている聖杯だった。あまりにぞんざいに、壊れた食器がそうあるように、埃に汚れた黄金の杯。理由は知らなくとも、その光景に、胸の奥がちくりと痛む。

「ドクター、聖杯を確認しました。これより、回収します!」

 通信機から聞こえるのは、管制室の慌ただしい喧騒。それとは別に、山の中腹で戦っているマスターの声を魔術礼装が届けてくれる。今も頼光と激闘を繰り広げているその様がありありと浮かんで、逸る気持ちに拍車をかけた。

 聖杯さえ回収すれば、特異点は修正される。あの恐ろしい鬼との戦いも、これさえ回収すれば終わるはず。

 焦りは視野を狭め、思考を鈍化させる。マシュが踏み出した一歩は、あまりに不用意だった。

「──サーヴァント、戦線から離脱! 高速で聖杯へと向かっています!」

「接敵まで、五、四、三……来ます!」

 観測を続ける局員の、悲鳴にも似た声が通信機から響く。慌てて盾を構えると背後を振り返り、手を伸ばせば拾えるであろう聖杯に背を向けた。緩く息を吐き出して、震える心に喝を入れる。

「マシュ、来るぞ! そっちじゃない、崖を駆け上がっている!」

 だが、頼光はマシュの予想を覆す。ロマニの叫びと共に、ぞわりとうなじの毛が逆立つのを感じた。二歩の距離にある絶壁から、極々小さな物音がひとつ。ぶわと飛翔する影は、まるで同時。空を仰いだマシュの目には、鬼蛇の能面にも似た薄ら笑いが確かに見えた。

 落下速度を殺さずに、そのまま打ち付けるような大上段。頭上を護るように掲げた盾面に衝撃が走り、支える両手を、肩を、痛みが走り抜けていった。小さな悲鳴を漏らしながらも、マシュの視線は蜻蛉を切った鬼を見つめる。

 地に舞い降りた頼光は、俯いたまま。胴にぽっかりと空いた大穴から血が滴り、満身創痍なのが見て取れる。ともすれば、今にも消えてしまいそうな、儚さにも似た痛ましさがあった。それなのに、恐ろしい。

 童子切の鋒が地に触れて、がりと一度、音を立てる。風に揺れる黒髪は、柳の枝を思い起こさせた。押せば倒れてしまいそうなのに、どうしても目が離せない。心臓の音を聞きながら、マシュは盾の持ち手を震えそうになる手で握り締めた。

 瞬きは、ただの一度。足音ひとつすら聞こえなかったのに、瞼を持ち上げたその時には、頼光の顔はマシュの鼻先にまで移動していた。守りの内へと入り込まれ、吐息が風を生む距離で、ごぼごぼと嫌な音が耳の中にへばり付く。理解のできないその光景に、マシュの思考は完全に停止していた。

「ひ、……ッ!」

 息を飲む音が、ぐしゃりと頭のなかに響いた何かで塗り潰された。遅れて感じる、衝撃と痛み。ぐらりと視界が揺れて、真っ暗な空が見える。自分の置かれた状況を認識できず、マシュの思考が千々に乱れた。

 奈落を見た。意識する事すらできない、ほんの刹那。無意識のうちに、黒い髪の向こう側で、奈落の瞳と視線が交わった。それが、マシュに取り憑いた目に見えない恐怖の根源だ。あんなに暗くて静かな瞳を、恐ろしい程の静寂を、少女は一度も見た事がなかった。

 これは、恐ろしい。何だかわからないけれど、これは、とても恐ろしいものだ。痛みと共に揺れる意識の片隅で、頭が警告している。そして同時に、この恐ろしいものを、彼に会わせてはならないという意志が生まれるのを感じる。

「わたし、が」

 混濁していたマシュの瞳に、光が戻る。首を断たんと放たれた一閃を、厚い装甲が受け止める激突音。盾を打ち付けるその表情は、無垢な少女でありながら、生命を護る守護者のそれだ。

「わたしが、護る……わたしが、先輩を、護るんです……!」

 それは、自分に言い聞かせるための言葉だ。気持ちを奮い立たせ、耳を傾けなくするための雄叫びだ。受け入れてはならないと、言葉にできない何かがそう訴えている。何をと疑問が浮かんでも、そこに意識を割く余裕はなかった。

 頼光の足運びは、今まで見ていたものとは違う、蜘蛛を思わせる瞬発。前後左右変幻自在に、まるで瞬間移動でもするように、その名の通りの雷光めいた跳躍が主だ。

 暴風のように襲いかかり、致死の刃を躊躇いなく振り回して、悪夢のように消えていく。近付いたと思えば離れ、こちらが追えば後ろに回り込んでくる。それも、あれだけの深傷を負いながら。

「違う、違う! あの人は、わたしの先輩なんです! 違います! わたしの先輩なんです、違う!」

 マシュは、叫ぶ。

 嵐に、雷鳴に負けないように。頼光へと肉薄し、盾を打ち付け、崖から弾き飛ばそうと。突進は成功するものの、一歩を踏み出す度に頼光は重くなり、がりがりと岩山が抉れていく。もう一歩が、あと一歩が、どうしても押せない。それどころか、頼光の一歩にマシュの身体が押し返される。

 今まで受け止めたどんな攻撃よりも、その歩みは重たく強い。じりじりと押し返されるのが悔しくて、マシュは歯を食い縛りながら唸り声を上げていた。

 受けたら負ける、押し切られる。それがまるで、頼光の意志の強さを見せ付けられるようで、悔しかった。

 聞いてはいけない、見てはならない。耳の奥に、瞼の裏に、焼き付きへばり付いているものがある。それから目を背けるためにも、マシュは腹の底から叫んだ。否定の言葉をぶつけなければ、負けてしまいそう。それがとても恐ろしくて、ひとり、頼光を押し留める。

 がちがちと鋼のぶつかり合う音は、止まない。頼光の足がまた一歩、岩を踏み砕きながら前へ出る。マシュの耳にこびり付くのは、怨嗟の声にも似た独り言。誰に向けたものでもない、誰の耳にも届かなかった、誰とも違う世界を見ている、壊れた鬼の独り言。

「母と子は共に在るものなのですよあの子は私の息子なのですから金時と共に健やかに成長してくれるでしょうし母を泣かせたりはしない優しい子に育ってくれますだというのに虫はどうして湧くのでしょう可愛い子にばかり虫が湧く虫はみんな潰してしまってあの子を連れて行かなくては母とふたりで金時を待つのそうしたら三人で暮らせるわああなんて楽しみなのでしょう母が毎日ご飯を作ってあげますからね」

 聞いてはならない、受け入れてはならない。だからマシュは、必死に叫ぶ。あの人を連れて行かないで、そう訴えるかのように。

 狂って歪んでしまっているし、極論すれば、対象は彼でなくても構わない。そんな異質なものであっても、鬼が溢れさせているその感情は、愛に根ざしたものである。それに彼が巻き込まれるのが、どうしても認められなかった。一方的に押し付けるようなものではない、互いに与え合うものであって欲しい。愛と呼ばれる感情に、少女はそんなささやかな夢があった。だから、負けたくない。彼に向けられる愛は、もっと別の何かであって欲しい。だから、絶対に、負けられない。

「違う! あの人は、貴女の息子じゃない! 貴女が連れて行ってはいけないんです! 先輩は、先輩は……!」

 マシュの叫びは、届かない。人外の力によって弾き飛ばされる大盾、崩れた体勢を立て直す前に、頼光の右脚が少女の胴を蹴り飛ばした。痛みと共に呼吸が止まり、浮遊感。背後の岩壁に打ち付けられて、かはと肺の中身が強制的に吐き出される。

 頼光の目は、やはり何も見ていない。何処か遠い夢の中に、ずっと囚われているような曖昧さ。

 剣から迸る雷光は、黒。左の手指に聖杯を握り締め、鬼の哄笑が今一度、岩山の頂上でこだまする。

 聖杯の回収に失敗した、その事実がマシュの心を苛む。せめてもう少し、あと少しだけ到着が早かったなら。そんな弱気が、背中を撫でた。

 

 

 

 山頂で巻き起こった雷は、嵐のように荒れ狂い、やがて指向性を持つと北西の空を染め上げた。束ねられ収束した黒雷が山頂の岩を粉砕し、巨大な断片が海を目掛けて山肌を転がり落ちていく。

 立っているのも困難な地響きの中で、鵠佑の胸には、この空と同じような不安の雲が広がっていた。

 先ほど通過した七合目にも、頼光の姿はなかった。あれだけの傷を負った頼光が、遮二無二、山頂へと駆け上がった理由などひとつしかない。通信機の故障で取れない連絡が、焦る気持ちを急き立てる。

 もうひと息を一気に駆け上がろう、そう頂上を仰いだ少年の目が、岩と共に落下する何かを捉える。脳が認識するより早く、鵠佑はそれに向けて走り出していた。

 嫌な予感は、消えない。だから、その恐怖に負けないように叫んだ。濃紫の甲冑から覗く白肌は、所々が朱に染まっている。弛緩した身体が転がる様は、力ない人形のようにも見えた。

「マシュ!」

 名を叫び、身体ごとぶつかるようにして受け止める。海へと落ちてしまわないように、強引に自分の方へと引き戻した。勢いを殺しきれずに重心が崩れ、ぐらりと揺らぐ視界。咄嗟に少女の頭を抱き締めて守りながら、鵠佑はマシュと共に岩肌を転がり落ちた。

 洗濯機の中に放り込まれたなら、こんな風になるのだろうか。上下もわからず三半規管が掻き混ぜられて、目眩と吐き気と痛みの波に揉まれるようだ。

 剥き出しの岩に何度か強かに打ち付けられて、ようやく落下が止まる。全身を酷い痛みが苛んでいるものの、それ以上の重傷は目で見られる範囲では見つからなかった。身を起こすと、足首が痛む。途中で捻ったのかもしれないと、そんな思いは何処か他人事のまま。滑落を止められた安堵に胸を撫で下ろしながら、鵠佑はマシュの顔を覗き込む。

「マシュ、大丈夫かい? ……マシュ、マシュ!」

 返事は、ない。

 薄く開かれたままの瞳には、意志の力が感じられない虚なもの。鵠佑が何度呼んでも答えは返らず、まるで、人形を相手にしているような静けさがあった。魔力によって編まれていた甲冑が、煌く粒子に還って、幻のように消えていく。支給品の戦闘服に身を包んだその姿は、やはり、動きはしなかった。

 冷たい汗が、背筋を流れ落ちていく。震える手で、脈拍を確かめる。見付けられない鼓動に焦れて、鵠佑はマシュの口元へと耳を寄せた。呼吸も、聞こえない。肌には未だ温もりがあるのに、生命活動が、命の気配が感じ取れない。頭の芯が冷えていくような感覚に、鵠佑自身も呼吸を忘れた。

 わずかに遅れて、着地音。注意しても聞き逃しそうな、羽毛が落ちるような音が聞こえた。それでも、間近に訪れた死の気配には視線を向ける事すらせずに、鵠佑はマシュの身体を揺すり、声をかけて呼び戻そうと試みる。鋭い叱責は、その刹那。

「何をしてるの、男でしょう! 私が食い止めるから、自分の手で救いなさい!」

「こんな時は、古典的な手が一番ですよ、マスター! さあさ、邪魔者は退散なさいまし!」

 力強く叫びながら、追い付いた武蔵が地を蹴った。弾丸のように突進するなり、鬼の身体を蹴り飛ばし、追撃をせんと岩の斜面を駆け下りる。玉藻がわずかに遅れてそれに続き、呪符を用いて嵐を呼んだ。

 合流したと思えば、今度は鬼と共に落ちて行くようにして視界から消えたふたりへと意識を向けるのは、止める。両掌で顔を打って、今すべき事に集中しろと自分自身に言い聞かせた。

「考えろ、考えろ、考えろ、考えろ! 息をしてない、心臓が止まってるんだ! やっただろ、学校で!」

 令呪の力は、使えない。この手に宿っていた紋様は、今はまだ、一画さえも戻っていない。だから、自分の力でどうにかしなくてはならない。

 カルデアとの通信は、使えない。マシュの通信機も破損しているのか、ロマニの声は聞こえない。だから、この場で、自分で動かなくてはならない。

 思い出すのは、胸部圧迫による心肺蘇生法だ。一分間に百回の速さ、三十回で人工呼吸。記憶の彼方から引っ張り出す講師の言葉は、所々が曖昧だ。こんな形で思い出すなどと、夢にも思わなかったいつかの記憶に必死になって手を伸ばす。額に浮いた汗も気に留めず、鵠佑はマシュの胸を押し込んだ。胸骨が沈み込む手応えに、その身を壊してしまわないよう、細心の注意を払いながら。

「──二十八、二十九、三十!」

 圧迫回数を数え上げる声は、次第に強く。それでも未だ、反応はない。気道を確保して、空気が逃げないように形の良い鼻を摘んだ。重ねて、吹き込み、もう一度。胸部が膨らむのを確かめて、再度、胸の上で両手を重ねた。

「ダメだ、逝ったらダメだ! 戻って、マシュ、目を覚まして!」

 叫び、呼びかけ、圧し、吹き込む。四度目の人工呼吸と同時に、マシュが呻き、咳き込んだ。空気の逆流に驚きながらも、上体を起こしながら、鵠佑はようやくの笑顔を見せる。

「か、はっ……! ぁ、……せんぱ、い……」

 夢見心地のような声は、意識の混濁が原因だろうか。身体が痛みはしないだろうか。さっきの滑落で、骨は折れていないだろうか。案じる事は多々あれど、それでも、何より最初に漏れるのは、やはり喜びの声だった。

「良かった、マシュ、気が付いたんだね!」

 泣き出しそうなその笑顔を見て、マシュもまた、安堵した。彼は連れて行かれていない、今もまだ、ここにいる。そう思うだけで、停止していた心臓が、もう一度動き出すような心地さえあった。

 しかし、ふたりに許された時間は少ない。再会を喜び合うのも束の間、鵠佑の視線は眼下、斜面を下った先へと向けられる。武蔵と玉藻が引き受けた、頼光との決戦場へ。

「……さ、あとは頼光を止めないと。マシュは、少し休んでいて」

 立ち上がろうとする鵠佑の手を取って、マシュが首を揺らす。口を開いて、言葉にできず、閉じて、また開いてを繰り返す。もどかしそうにする表情を、切なげに下がる眉を見ながら、対の手をそうと触れさせると、鵠佑は白絹のような髪を撫でてやった。

 行かないでと乞う少女の視線には、肯けない。ここで足を止めてはならないと、それを鵠佑は理解している。頼光との決着を付けるには、彼女が息子として執着している存在、つまりは自分も必要なのだ。だから、行かなくてはならない。

「わかった。辛いかもしれないけれど、それじゃ、一緒に頑張ろうか。……実を言うとね、足、捻っちゃったみたいでさ。マシュの手助けがあったらなあって、ちょっとだけ思っていたんだ」

 故に、鵠佑はマシュの手を取った。置き去りにするのではなく、共に歩もうと。無理をさせているのはわかっているし、安静にさせるべきなのも理解している。それでも、少女の瞳に見えた強い意志から目を背ける事はしなかった。

 マシュもまた、ほんのりと目元を染めながら、頷きを返す。身体を起こすと同時に甲冑が全身を覆い、少女は再び、サーヴァントとしての姿へと変異した。よろめきながらも立ち上がり、己が主の身体を支える。小さな吐息は、鵠佑のものだ。取り出した注射器を太腿に当てがうと、ふたりの視線がわずかに絡んだ。

「毎回だけど、この感覚はやっぱり慣れないや。心臓がばくばくして、浮いてるみたいになるんだ」

「そんなに、ですか……? 先輩こそ、無理はせずにいて欲しいのですが……きっと、今はそうも言っていられませんね」

 薬液が脳をかっと熱くさせ、アドレナリンが全身を巡る時の感覚を口にしながら、鵠佑は一度、ゆっくりと深呼吸をした。マシュが案じるような視線を向けて、それから、小さく笑った。互いの認識が一致している、ふたりは言葉にせずともそう感じていた。

 傾斜は強く、山は高い。下を見れば足元が竦むし、それを乗り越えても、向こうに見える激戦の様相は恐ろしい。

 それなのに、少年の心の中にはまだひと握り、小さいけれども余裕があった。それはきっと、隣で肩を並べてくれる、彼女の姿があるからに他ならない。互いに傷付き疲弊していても、折れずに進める力を感じる。強く固い信頼が、確かにそこには存在していた。

 そしてそれは、少女もまた同様だ。護るべきマスターの存在が、弱音を吐きそうになる心を律してくれる。彼の前で無様な姿は見せたくないと、そう思う気持ちがマシュの奥底に芽吹いていた。

「行こう、マシュ。あんなになってまで、ずっと探しているだなんて、きっと辛い。もう終わりにして、休ませてあげなきゃかわいそうだ」

 悪鬼の如き戦場の姿ではなく、廃屋で啜り泣く頼光の、寂しげな声が鵠佑の脳裏に蘇る。

「……きっと、ぼくたちの役目がそれなんだ。何ができるかわからなくても、何もできないとしても、ここで見ていちゃダメなんだ」

 肩を借りて立ち上がる鵠佑の顔に、物憂げな色が浮かぶ。マシュが静かに頷いて、鵠佑の視線を追いかける。できれば、あの恐ろしい鬼に、彼を近付けたくはない。壊れてしまったあの囁きは、奈落のようなあの瞳は、きっと辛い傷になる。それがとても心配で、そして、何故か胸が苦しくなる。彼には、そんな思いをして欲しくない。その思いが、頭の片隅、心の奥で、小さな声を上げていた。

「先輩は、誰にも優しいんですね。わたしは、あの頼光が恐ろしくて堪らなかった。かわいそうだと思うような余裕は、少しもありませんでした」

 マシュの言葉に、鵠佑は照れたように笑った。そんな彼の様子を見ながら、少女は言葉を探すようにほんの少しの間を置く。やがて彼へと向けた視線は、何処か、夢見る乙女のようにも似ていた。

「……だから、とても、とても誇らしいです。わたしのマスターは、どんな時でもとても優しい人なんだって……そう思えました」

 そんなささやかなやり取りの中で、不意に鳴り響く、電子音。鵠佑が右手を持ち上げると、それに合わせて音の発生源も移動する。ふたりの視線は、小さな液晶に表示された文字へと向けられる。

「……これだ」

 呟く声は、マシュの耳にだけ届いた。拳を握り締めると、ぎちりと掌を包む黒布が軋む。

 鵠佑の告げた作戦に、マシュは目を見開いて、それから少しだけ考え込む様子を見せた。それも時間はかからない。首肯と共に、わかりましたと力強く返事をすると、鵠佑の身体を軽々と抱える。そのまま、ふたりは互いの視線で合図をするように示し合わせた。

「行きます、マスター。マシュ・キリエライト、作戦行動に復帰します!」

 最初の一歩が、岩山を踏み締める。斜面を駆け下りるようにして、荒れ狂う鬼を目指し、盾持ちの少女が疾駆する。

 鵠佑の指示、聞こえ始める剣劇の音、岩肌を粉砕する足音。それらの全てを掻き消すような頼光の、山を震わせる鬼の咆哮。何もかもが入り混じり、まるで、ひとつの大きな慟哭のよう。

 全ての決着は、今まさに眼前へと迫っていた。

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