——何故こうなったのだろうか。
今、夕顔の頭の中はこの疑問で埋め尽くされていた。
「
そう言って俺が今悩む原因となっている彼女は無防備に鬼である俺へと近づいてくる。
「はぁー。何を当たり前のように近づいてきているのですか、貴方は」
盛大なため息をつきながら
5日ほど前に自らに頭を下げて礼儀正しく名前を教えてきた彼女が再び姿を露わにしたことに夕顔は最初、やはり狩りに来たかと期待も顕に彼女を見据えていたのだが、どうやらそれは全くの見当違いだったようだ。
彼女は刀も抜かずに俺の前に立つと「お久しぶりですね、夕顔さん」と先日と同じように礼儀正しく挨拶をしてきたのだ。
これには流石の夕顔も戸惑いを隠せなかった。
夕顔はその日もただ、山の中からただ月を眺めていただけだ。あの夜、胡蝶カナエの仲間である青年に突然襲い掛かられた夜と同じようにお気に入りの岩場に座ってゆっくりとぼんやりと輝く美しい月を眺めていたのだ。
そんな闇の深い山中に入ってまでわざわざ彼女は現れたのだ。
鬼狩りである彼女がわざわざ鬼である自分の元を訪れたのなら、その目的は当然首を刈ることにあると誰だって思うだろう。
なのに彼女は俺に向かって挨拶をし、あろうことかそのまま俺の隣に座ってきたのだ。
どうかされたのかと聞きたいのは此方の方だ。無論内容は彼女の頭の中身についてだ。
「近づかないとお話しできないじゃないですか」
何を当たり前の事を聞くのか?と言わんばかりの様子で此方を見てくる彼女に夕顔はまたも盛大に溜息を吐いた。
隣に座るような距離に近づかなくても話は十分にできるはずだが。
「……一体何の話があると言うのですか?」
この短時間で夕顔は既に諦めの境地に立っていた。
何しろ全くもって彼女の行動原理が理解ができないのだから。
前回あった時に俺としては十分に話はしたし、彼女の疑問にもしっかりと答えたつもりだ。にも関わらず彼女は再びここに来て対話をしようと試みてくる。
……本当に理解不能な言動する少女だ。
それに以前会った時、俺は彼女の大切な仲間を殺している。
そんな相手とこれ以上一体何の話を彼女はしようというのか。
「そうですね、何のお話をしましょうか?」
「……すいませんがもう一度言っていただけますか?」
「えっ、聞こえませんでしたか?
何のお話をしましょうか?って言ったのですが」
聞き間違いではなかったのか。
俺の耳がおかしいのか、それとも彼女の頭がおかしいのか一瞬悩んだのだが、どうやら正解は後者だったようだ。
なぜ話をしたいと隣に座ってきた張本人の口から何の話をしようかなどという言葉が出てくるのか意味がわからない。
……そもそも、話があったからここにきたのではないのか?
「本当に何をしにきたんですか?貴方は?」
もはや呆れているのを隠そうともせずに夕顔はカナエに溜息混じりに声を掛ける。
「だから、お話をしにきたんですよ。
内容はそうですね……夕顔さんはどうしてこんな山奥に住んでいるのか、とかは如何でしょうか?」
「……そんな事を聞いてどうするんですか?」
「質問に質問で返すのは少し失礼ですよ。
単純に貴方のことを知りたいと思ったから聞いているのですよ」
恥ずかしげもなくそう言って微笑みを浮かべるカナエの姿に夕顔は僅かに顔を顰める。
なぜ鬼狩りである彼女がそこまで自分に興味を持つのかが分からない。それに俺のことを知ってどうしようというのか、とても意味のある質問とは思えない。
本来、彼女と自分は殺し殺されという間柄であるはずなのだ。
しかしここに至るまで彼女は全くそんな気配を見せない。
俺も時折殺気をだして威嚇しているつもりなのだが、彼女はまるで殺気に気付いていないかのようにピクリとも反応しない。
どれだけ殺気を浴びせてもあくまで自然に彼女は俺に微笑みかけてくる。
……やりにくい。
「……言っておきますが俺はここに定住しているわけではありませんよ。
ここは月や星がとても綺麗に見えるから少し気に入って何度かここに足を運んでいるだけです」
「あぁ、確かに此処は1段と星が輝いて見えますね。夕顔さんは夜空が好きなんですね」
「えぇ、まあそうですね。好きかどうかを特に気にしたことはありませんでしたが、言われてみれば確かに俺はこの空が好きなのでしょうね。
夏のこの時期は特に綺麗に見えるのです。あの星の集まりなんてまるで川のようでとても美しく見えませんか?」
鬼の俺が見ることができる空はこの夜空しかない。真っ暗で、どこまでも果てがなく続いているかのように見えるこの空が、キラキラと輝いて暗闇を飾り立てるあの星々が夕顔は好きだった。
最近、東京というところでは人の作り出した灯りが夜でも明るく輝いていて、このようにはっきりと星を見ることができない。
だからこのような人の作り出す灯りが一切ないこの場所を夕顔は
「あれは天の川と言うのですよ。夕顔さんの言う通り、空を流れる星の川のように見えるからそう名付けられたそうですよ」
「天の川、人の世ではそのように呼ばれているのですか。そのままですがとても綺麗な響きですね。……貴方はあまり頭はよろしくない方だと思っていましたが存外に博識なんですね」
彼女が教えてくれた空にかかる川の名前を夕顔は思わず復唱してしまう。あの輝きに相応しい、綺麗な名前だった。
「えぇ!……折角教えて差し上げたのに、随分な言われようですね。夕顔さんは何故私の頭を良くないなどと思われるのでしょうか?」
「御自分の行動をよくよく思い返していただけると幸いですね」
先程以外に彼女が頭が良いと思えるような言動が果たしていくつあったか、本当に思い返してみてほしい。恐らく片手の指の本数よりも少ない。
そんな目的も分からないような話を幾度か繰り返した。
彼女には妹がいるとか、その妹がしっかり者でとても笑顔が可愛いだとか、そんなたわいもない話だ。
自分が鬼であることを忘れてしまいそうなほど平和で安らぎに満ちた妙な時間をこの時俺は過ごしてしまっていた。
話を始めてから、もう随分と時間が経っている。
この時期は夜が明けるのが早いからもう間も無く陽の光で周りが明るくなり始める。もうそろそろ洞窟に戻らなければいけない。
その空気を察したのか、彼女も腰掛けた岩からヒョイっと立ち上がると此方に笑顔を浮かべて振り返る。
そして嬉しそうに言うのだ。
「夕顔さん、貴方はやっぱり優しい鬼ですね」
そう、心の底から嬉しいとでも言うように彼女は俺に笑いかけてくる。
「なんですか、急に。俺は鬼ですよ?……鬼に優しいも何もないでしょうに」
あまりにも彼女が嬉しそうで、喜色満面の笑顔でそう言ってくるものだから、妙にむず痒いようなあまり経験したことのない気持ちになって、俺は思わず否定してしまった。
「優しいですよ、貴方は。……では、また来ますね」
そう言って彼女は一瞬でその場から姿を消した。
鬼である俺の目でギリギリ終えるような速度で動くことができるだけの実力を彼女は持っている訳だ。それだけの実力があればあの夜にでも俺の首など斬れた筈だ。
なのに彼女は本当にただ話だけをして去っていたった。
「……一体なんなんですかね」
本当に謎だ。
あの動きから見ても彼女には俺と戦えるだけの十分な能力がある。なのに彼女は俺と戦おうとしない。どれだけ殺気を浴びせても腰に挿した刀を決して抜こうともしない。
ただ楽しそうに笑顔を浮かべて話だけをして帰っていってしまった。
「……優しくなどない、ある訳がない」
ボソリと誰もいない暗闇に向けて夕顔は呟く。
本当に優しければ人を殺したりしない。
本当に優しければ俺が今ここにいる訳がない。
本当に優しければあの時、どうして俺は——
……やめよう。
後悔の想いなど今さらしてどうしようというのか。何にもなりはしない、どれだけ後悔しようとも彼等を殺したの俺であることに何の変わりもない。
こんなことを考えるのも彼女のせいだ。
彼女が去った後のこの静かな夜が妙に静かに感じて、ついつい暗い想いに身を馳せてしまう。
普段の静かな夜と比べれば先程までの騒がしいと言って行ってもいいほど尽きることがなかった会話が夕顔には今はなぜだか妙に名残惜しかった。
彼女はまた来ると言っていたが
……次はいつ来るのだろうか。
思わずそんな事を考えてしまうほどあれだけ刀を抜かず、口ばかり開く彼女の姿を煩わしく思っていたのに、いつのまにか『また』という時間を夕顔は待ち遠しく感じていた。
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