花にとまる蝶   作:夜野 桜

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蝶の過去

 

 

 あれから何度そんな夜を繰り返したか、正確には数えていない。

 だが恐らく10は軽く超えているだろう。

 彼女は数日から十日程の間に必ず一度はあの場所を訪れてあの時と同じように会話だけをして去っていく。

 

 腰に挿した刀を一度として抜く事なく、あの場所に来ては俺に彼女の近況を話して聞かせたり、あるいは俺がどう過ごしているのかとそう聞いてくる。

 

 もう何故彼女が戦おうとしないのか考えるのが馬鹿らしくなる程、聞いて、話して、聞いてと何度もそれをただただ繰り返す。

 そうしているうちにいつの間にか俺にとってあの岩場は夜空を眺めるためだけの場所ではなくなっていた。

 

 

 ある日は彼女の妹についての話だ。

 彼女の妹はしのぶというそうだが、姉である彼女謂くとても可愛い笑顔をするのだそうだ。それが可愛い過ぎて是非俺にも見て欲しいと言ってきたのだが、彼女の妹も鬼狩りだというからどう考えても彼女の考えるような和やかなものには絶対ならないと思う。

 というかなるな、なる方がおかしい。

 

 ある日は彼女が柱というものに任命されたという話をした。

 

 柱というのは鬼殺隊の中でも最も強い者達に与えられる称号だそうで、より多くの鬼を倒した者か十二鬼月というあのお方直轄の強力な鬼を倒さなければなることが出来ないのだという。

 

 この話を聞いた時やはり、彼女は強者だったのだと俺は思った。

 最初にあった時よりも今はその立ち振る舞いに一層の磨きがかかっている。気配も鋭さを増し、足運び一つとっても彼女が日々成長していっている事を表している。

 

 そうして今では俺たち鬼の天敵でもある組織の頂にまで登り詰めている。

 

 そんな相手とこうして毎日喋っているという状況は誰がどう考えてもおかしいと言えるだろう。鬼である俺を殺そうとしない彼女もそうだが、彼女と話すことが楽しいとそう思っている俺もきっと大概おかしくなっている。

 

 おかしくなっていると言えば俺は頭だけではなく鬼としてもどうやらおかしくなっているようだ。

 彼女とこうして話始めて既に半年は経つ筈だが俺はその間一度として人を喰っていない。通常であればこんな山の中に半年も人を喰わずに篭っていれば理性を失うほどの飢餓感に襲われている筈だ。なのに今俺は人を喰らっていないのにも関わらずあのどうしようもない欲求に狂うことなく彼女と話すことができている。

 

 これについてはっきりとした理由はわからない。

 

 だけど、思い当たる節が全くないわけでもない。

 胡蝶カナエ、彼女の存在が俺の何かを変えた。

 

 この半年の間に一度だけ、人を喰いたいという衝動が襲ってきたことがあった。それはつまり俺の理性の限界が近いということで、そろそろ人里に向かわなければいけないと最初は俺も考えていた、脳裏に彼女の姿が浮かぶまでは。

 

 結局、俺はその飢餓感を我慢して人里に降りることはなかった。

 何をしているのだろうと俺も思った。

 今更一度や二度飢餓感を我慢したところで今まで散々この欲望に身を堕としてきた事実は消えはしない。散々喰らってきておきながら今更我慢など、出来るのであれば最初からしていろという話だ。しかし、それでも俺は人里に降りたくなかった。

 

 日に日に飢餓感は強くなっていく。

 自分が自分でなくなっていくかのようなどうしようもない程強烈な欲求が俺を襲い続ける。もういいかと、もう十分我慢したと何度もそう思った。しかしその度に以前した彼女との会話が頭の中に浮かび上がってくるのだ。

 

 

『どうかこれ以上の罪を重ねないでください。悪であり続けることを良しとしないでください。』

 

 

『少なくとも私は、この瞬間どれだけ悪であったとしても、未来永劫に渡って悪であり続けたくはない。悪にならないでもいい道を探し続けたい』

 

 

 初めて会った時に彼女が俺に向けたこの言葉が頭にこびりついて離れなかった。

 

 この言葉が俺の理性を押し留め続けた。

 

 今まで散々人を喰らってきたくせに此処でこの飢餓感に負けて人を喰らうことが絶対にしてはいけない行為のようにこの時の俺は感じていた。

 

 きっとそれが原因だったのだろう。

 いつの間にか飢餓感を感じることも欲望に負けて理性をなくしそうになることもなくなっていた。

 それが今だけの一時的なものなのか、あるいは人を喰わなくてもよくなったのかそれはわからない。

 ただ、少なくとも次に彼女と会っても飢餓感に襲われることもなく穏やかに話すことができていたような気がする。

 

 その事を話すと、彼女はいたく喜んでいた。

 まるで自分のことのように凄いことだと、ほかの誰にもできなかった偉業だと、嬉しそうに幼子のように飛び跳ねて喜んでいた。

 

 その姿が何故か微笑ましくて、どこか懐かしかった。

 

「言っておきますが、俺は変わらず鬼です。

 いつまた飢餓感に襲われ、人を喰らおうとするか分からないのですからそう大袈裟に喜ぶものではないと思いますが」

 

「ふふっ、一度でも我慢できたことが凄いのですよ。少なくとも私はそれを為し得た鬼を夕顔さんの他には知りません」

 

「……そもそも、鬼と鬼狩りがこれ程話を重ねるような間柄になること自体、俺以外とはないでしょうに」

 

「それもそうですね。でも、だからこそ夕顔さんは私の希望なんですよ」

 

「希望ですか?……鬼の俺が?」

 

「はい!……私、夢だったんですよ。こうして鬼になってしまった人と仲良く話すのが……」

 

 その言葉に夕顔は信じられないと言った風に目を見開いた。

 

 人を襲う鬼である俺を希望と称し、人を喰らう災厄の象徴ともいえる鬼と話をするのが夢だと、鬼を殺すことを生業とする彼女がそう言うのだ。

 如何に彼女が鬼狩りとして異質であるかがよく分かる。

 

 しかしその夢以上に夕顔を驚愕させたのは彼女の放った言葉だ。

 

 彼女は今、鬼と仲良くではなく、鬼になってしまった人と言ったのだ。この言葉の意味は夕顔にとってとても大きい。なぜならそれは鬼が元は人だったと理解していないと出ない言葉だからだ。

 多くの鬼狩りは、それを知識として知っていてもそんなことを考慮などしない。

 だからこそ、彼等は容赦無く鬼の首を刎ねることができる。鬼はもう人ではない、鬼になった人間に慈悲などないと彼等は手に持った正義という名の刃を振るう。

 

 なんとも無様だ、悪になる覚悟もなく、憎悪に染まったその刃を正義という偽りの光で染め上げて迷いなく刃を振るう。彼等は鬼を醜く哀れで殺さなければならない化け物としてしか見ていない。

 

 しかし俺達は、多くの鬼は、望んで鬼になった訳ではない。

 

 いきなり襲われ、理不尽な力でもって圧倒され、尊厳もなく塵芥のように仲間を引き裂かれ、その上で己だけ勝手に鬼とされてしまったのだ。

 

 変わってしまった自らの身体と変えられてしまった心に苦しんで生きる者、それが鬼だ。中には望んで鬼になった者もいるのかもしれないし、鬼になってその圧倒的な力に心を狂わせた者もいるのかもしれない。

 

 しかし、そうではない鬼達もいるのだ。

 彼女はそれを理解してくれているのか?

 

 そういえば、彼女は以前にも俺に『貴方は鬼になる前から人を喰らうことを望んだのですか?』と聞いてくれていた。

 

 俺があの時、解くまでもなく彼女にはこの認識がしっかりとあったということか……

 

 夕顔がそのことを理解してくれている鬼狩りに会ったのは初めてのことだった。

 

「……貴方は鬼という存在をどう思いますか?」

 

 だから、気が付くとその言葉が口から溢れていた。

 

「えっ?……」

 

「鬼になって人を喰らうことを耐えることができなかった俺達をどう思いますか?」

 

「……哀れだとそう思っていました。でも、そう思うだけでした。思うだけで、私には結局鬼になった人の首を落とすことでしか、彼等をその業から解放することはできませんでした」

 

 ……業か。

 確かにある意味ではこれは鬼となったものが背負うことになる業なのだろう。

 

「貴方はどうして鬼狩りになったのですか?」

 

 俺のその言葉を聞いて彼女は少し驚いたように目を見開くと次いで嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

 その様子に俺が首を傾げて彼女を見ると

 

「ごめんなさい、ちょっとびっくりしてしまいました。夕顔さんから私のことを聞いてくれるのは始めてでしたから、少し、嬉しかったのです。

 ……私が鬼狩りになった理由でしたっけ、少し長くなりますが——」

 

 そう言って彼女は彼女の鬼狩りとしての原点を話して聞かせてくれる。それはきっと彼女にとって幸せではない思い出、それでも彼女は微笑みを崩さずに俺に語りかけてくれる。

 

 

 私の家は両親と妹、私を含めて4人の笑顔が絶えないとても幸せな家庭だったのですよ。両親の仕事は薬師でかなり裕福な暮らしをさせてもらっていたと思います。毎日父と母の仕事を少し手伝ったり、妹と手毬で遊んだり、春には庭に咲く綺麗な桜の花の下でみんなでお茶を飲んだり。

 

 本当に幸せで、毎日が楽しい平和で、今とはかけ離れた生活でした。

 

 

 ですが、そんな幸せな生活はある日突然壊れてしまいました。

 家に家族と居た時、突然鬼がやってきて父を殺し、逃げてと叫ぶ母をその鋭利な爪で切り裂いた。

 私と妹は駆け付けてくれた鬼殺隊の方に救われてなんとか生き延びることができましたが、死んだ両親は当然もう戻ってきません。私たち家族の幸せな生活はその時に壊れてしまったのです。

 

 

 

「だから、その時に妹と決めたんです。

 私達の幸せはもう戻ってこないけど、まだ壊れていないたくさんの他の幸せを強くなって守ろうって……それが私達が鬼狩りになった理由です」

 

 

 あまりにも悲壮であまりにも優しい想いだった。

 愛した家族を失い悲しみと絶望の中にあった筈なのに、彼女は唯一残った妹と共に顔も知らぬ誰かの幸せを守る為に自らは地獄の中に飛び込む。

 その在り方は酷く異質で、しかし同時にとても美しい、そう夕顔は感じていた。

 




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