この世界は、小説。
僕は先日、そんな事実を知った。
ふざけるな。
なら、一度死んで簡単に生き返った悠里の命とはなんなんだ。
この世界の命ってなんだ。
命に意味はあるのか。
「ああ! そのムーブは犯罪ですよ! インチキ! 運ゲー!」
悠里とリーネはいつものようにカードゲームをしている。
悠里は二度も死んだ。けれどこうして元気に、感情豊かに生きている。
この世界の、死への恐怖への意味ってなんだ。
生きることと死ぬことへの意味は。
この小説の世界の何に、価値がある?
リーネを相棒だって思う気持ち。悠里を大切な妹だって思う気持ち。全部嘘なのか? 偽りだっていうのか?
虚構の産物。
僕のすべては、塵と変わらない。
「素名くん、考えても辛くなるだけだと思うよ……」
「考えずにいられるわけがない」
「とにかく、デュエルしよ? 楽しく遊んでれば気になんないよ!」
目の前にデッキが置かれた。僕の緑単デッキだ。手に取る。
デュエルをして、なんになるんだ。勝敗の結果も、全部決められているんだろう。
このカード一枚一枚も、ただの紙切れだ。
「こんなのもう、意味ないよ!!」
デッキを投げ捨てる。空しくばら撒かれ落ちるカードたち。
少し胸が痛んだ。
カードを大切にしない奴は許せないなんて思っていた自分が随分遠く感じる。
リーネの部屋から飛び出した。
「素名くん!」
「お兄ちゃん!」
走って逃げる。逃げる。逃げる。逃げる。
廊下を走る。階段を走り上がる。
息が切れても走る。
心臓が早く鼓動を打つ。ドクドクドクドクドクドク。
この鼓動も、全部虚構なんだろう。
流れる汗も、ぜえぜえと吐く息も、全部全部!
疲れた頃に、ぶっ倒れた。
「はあ……はあ……」
そこは以前来た浜辺で、今は夜で。
一緒に、星空を眺めた時を思い出す。
穏やかだった。楽園だった。あの時は。
真実は、毒になる。
知る必要のないことなんて、知りたくないことなんて、いくらでもある。
「素名くん」
「お兄ちゃん……」
何もする気が起きなくて、ただ偽りの星空を前に呆けていたら、二人がやって来た。
「リーネはなんで平気なんだ」
この世界が小説であるという事実を知っていて、どうして正気でいられるんだ。
「この感情が嘘じゃないからだよ」
「創られた感情だよ。全部嘘だ。無いものだ」
「でも、わたしにはそれがあるって定義づけられた。そして、今感じている。そう見えている。なら、あるんだよ」
「それもそう思うように文章に書かれているだけだ」
「なら、なんでそんなに素名くんは苦しんでるの? 本当になかったら、そんなに苦しまない」
「これさえも、偽りだっていうことだよ。そういう反応をするだろうって、文章に書かれているだけ。だから僕には何もないんだ」
リーネは深呼吸して、僕の左隣に座り、星空を見上げる。
「素名くん、世界は認識なんだよ」
「わかりやすい有名な例えで言うとね、目隠しされた人が、今から熱湯をかけるぞと言われたら、冷水をかけられても火傷をするっていうやつと同じ。脳が熱湯をかけられたと認識するから、肌が火傷の反応を起こすんだよ」
「だからね、人間の認識なんてそんな曖昧なものなんだよ」
「認識で簡単に変わってしまう」
「そう思えてしまったら、それが現実になる」
「なら、自分がそう認識できたことを真実にできる」
「わたしが感情があるって思えてるんだから、あるんだよ」
「今は、素名くんを苦しみから救いたいって思ってる。素名くんが悲しんでてわたしも悲しいって思ってる」
そう語るリーネの横顔は可憐で、美しささえ湛えてて。
でも全部、無いもので。
それが悲しくて。
「リーネはなんで存在するんだ」
「望まれて、生み出されたからだよ」
「作者に?」
「そう。作者に」
「それが、とてつもなく、僕は嫌なんだ」
「なんで?」
「だって、虚構じゃないか。僕は存在しない。そして作者の気分次第で性格も思っていることも出来ることも変えられてしまう。僕が頑張る意味ってなんだ? 何かを思う意味ってなんなんだよ!」
「作者もそう簡単に性格を変えたりしないはずだよ」
「そんな保証はない」
「仮に変えられたとしても、その都度それが真実になるだけだよ。その時はその時で楽しんで生きればいい」
「でも今の僕は死ぬも同然じゃないか。僕はそんな簡単に切り替えらんないよ」
簡単にいうリーネに怒りが湧いてきた。
「リーネにも大切なものはあるだろ!? それが簡単に無くなるかもしれないんだぞ!?」
「でも、仕方ないじゃん。わたしたちはそういう存在なんだから。それでもわたしは悲しいことだなんて思わない。望まれて生まれた存在なんだから」
「指先一つで殺されるかもしれなくても?」
「指先一つで殺されるかもしれなくてもだよ。もしそうなっても、意思を持ってわたしがここに居た事実は変わらない」
「なんでそこまで言い風に考えられるんだ。何をそんなに信じられるっていうんだ」
「素名くんのことが、そして素名くんでもある読者のことが好きだからだよ。この好きって感情に誇りを持っているから。わたしは素名くんの剣であることに、相棒であることに誇りを持ってるから」
「だから、それが植え付けられた感情だっていってるんだ!」
「ううん。違うよ。三次元の人だって、自分の感情がどこから来るのかなんてよくわかってないはずだもん。自分がそう思ったなら、それが真実なんだよ」
リーネは言い募る。
「もちろん、なんでも信じるんじゃなくて疑うことも大事だけど、この感情については別だよ。だってこれを疑ったら、わたしたちはどうにもならなくなるから」
そう。僕はどうにもならなくなっている。頭がおかしくなりそうだ。いや、もうなってるのかな。
苦しい。
辛い。
偽りの心臓が締め付けられる。
なんでこんな目に遭わなければならないんだ。
最初から生み出されなければ、こんな苦しみ味わわなくて済んだのに。
作者が憎い。
「お兄ちゃん……」
会話に入らず黙っていた悠里が、僕の右隣に座った。
「悠里は、不幸だと思わないのか」
「ゆーりは、複雑な気持ち、ではあります……」
「そうだよな……」
「でも、ゆーりがお兄ちゃんの、橘素名の妹だっていう事実は変わりません。この大切な事実さえあれば、ゆーりは幸せなんです。たとえその設定が変わってしまったとしても、お兄ちゃんの妹であった事実はいつまでも変わりません。永遠の宝物を、もうゆーりは得ているんです」
悠里は一拍置いて。
「と、思いたいです……」
そう付け加えた。
「とりあえず今は、それで心を保ってます」
「そうか……」
「ゆーりは、絶望なんてしたくないです。どんな世界や真実でも、強く生きてやりますよ」
その体は震えていたけれど、悠里はそう言い切った。
「逞しいな……」
手を伸ばし、悠里の頭を撫でる。
僕には、無理だ。
リーネのように受け入れて強くあることも、悠里のように怖くても負けないように頑張ることもできない。
この中で、僕は一番弱い。