──瀬古春は今、ものすごく気まずい空気に挟まれていた。
元々兄ではなく自分が聖杯戦争に参加したいと考えていた妹の明日菜。そして、なぜかその明日菜を敵視する自称妹のサーヴァント、バーサーカー。ふたりが一堂に会し、机を挟んで睨み合っているからだ。
召喚の直前、一度自室に籠ってしまった明日菜だったが、ちょうど飲み物を取りに来ていたところ、バーサーカーと出くわした。そしてバーサーカーが明日菜のことを挑発し始め、今に至る。
間に座らされている春は居心地が悪いどころの話ではない。聖杯戦争に妹は巻き込まないと言った矢先にこの一触即発の空気、あまりに予想外の展開に頭痛がする。
「お兄ちゃん、知らない人にも『お兄様』って呼ばせるんだ。ふぅん」
「待ってくれ。俺が呼ばせてるんじゃない」
「お兄様、こんな貧相な小娘を妹にしているの? 私ももっと幼い方がよかったかしら?」
「明日菜は血の繋がった妹だ……」
明らかに火花を散らしている明日菜とバーサーカー。自分より腕の立つ魔術師と明らかに人間よりも強靭なサーヴァントによる激突だ。それがどちらも春を兄と呼ぶ少女なのが、どこか微笑ましくもあり緊張感を醸し出してもいる。
そうしてふたりが睨み合う中、ふとバーサーカーが顔をしかめた。それを明日菜が見逃すはずもなく、すぐさま噛み付いてしまう。
「っく、サーヴァントのくせに、なにその態度!」
「なんでもないわ。ただ歪で悪趣味で気味の悪い魔術式が貼りついてるなと思っただけよ。やだやだ、こんなの作るやつの家に生まれたお兄様がかわいそうだわ」
「なッ……私のみならず、一族の刻印を馬鹿にするの!?」
机を叩き、バーサーカーに掴みかかろうとする明日菜。受け継いできた魔術刻印を馬鹿にされるのは、魔術師にとってどんな罵倒よりも屈辱だろう。
だからといって、春よりも魔術ができるとしても、明日菜がサーヴァントに叶うはずがない。
危険だと判断した春は慌てて彼女を取り押さえ、バーサーカーから引き離した。これでは、どちらがバーサーカーかわかったものではない。
「明日菜、抑えてくれ」
「お兄ちゃんまであの人の味方をするの!? 離してよっ、私からなにもかも奪ったくせに!」
──何の話だ?
明日菜の言葉に引っかかり、春は腕の力を緩めてしまった。隙を見た彼女に振りほどかれ、追いかけようとした頃には時すでに遅く、明日菜は玄関から出ていってしまっていた。
呆気にとられる春だったが、突然耳に息を吹きかけられ、驚いて振り向くとバーサーカーが悪戯な笑顔を見せている。
「バーサーカー……? いや、何やってんだ俺、今すぐ追いかけないと」
「どうだっていいじゃない、あんな女。そんなことより、敵はどこにいるの? 今すぐにでも殺してくるわ」
敵──その言葉で思い出す。聖杯戦争はすでに始まっているかもしれないのだ。飛び出していった先で、明日菜がサーヴァント同士の戦いに巻き込まれてしまうかもしれない。
だが、彼女を見つけ出したところで、このバーサーカーが明日菜に謝罪するようには到底思えなかった。連れ戻すなら、春ひとりで接触すべきだ。
「バーサーカー、手分けして探そう。俺は敵を見つけたらすぐに呼ぶから、明日菜を見つけたら連絡するんだぞ」
「敵見つけたらやっちゃっていいの?」
「好きにしていい。だから頼む」
その言葉を聞き、バーサーカーは口角を上げ、にたりと笑う。先程見せた、無邪気さとともに気品の漂うものではない。血に飢えた獣のような、本能的恐怖を感じさせる笑みだった。
◇
「お兄ちゃんはなにもわかってない……私のほうがうまくやれるのに……」
一方、反射的に自宅を飛び出してしまった明日菜は宛てもなく彷徨いながら、兄に対する不満をぶつぶつと呟き続けていた。
その形相は可愛らしい少女が往来で見せていいものではない。爪を噛みながら、額に血管を浮かび上がらせているのを見れば、不審者もそれとなく彼女を避けることであろう。
もし今の明日菜に近寄る者がいるとすれば、事情を知る兄か──あるいは、相手を選ばない猟奇殺人鬼かもしれない。
「んぐっ!?」
何の変哲もない住宅街を歩く中、突然路地裏に引きずり込まれ、悲鳴をあげる前に口に布を噛まされる。慣れた手つきだった。
押さえ込まれて、ようやく自分が襲撃されていると理解した明日菜。強化の魔術を自らにかけて抵抗するが、振りほどいた直後、即座に襲撃者の銃撃が明日菜の右脚を貫いていた。
弾痕からは血の流れる感覚と焼け付く痛みが襲う。治療魔術も上手く作用しない。
痛い。痛い。このままだと、殺される。嫌だ。
「い、今の、魔術でしょ? 魔術師の子が捕まるなんて、ツイてるな、私」
明日菜は息を切らしながら、自分を攫おうとした女が兄よりも年下の少女であることを認識した。
相手は魔術のことを知っていて、手にしている拳銃の一部は──恐らく人間の──皮で装飾されている。
左手は親指を除く四本が存在しておらず、右手の甲には木の葉のような形の赤い痣が浮かんでいた。
兄の右手にあるものと形状は異なり、また大半が消費されているが、あれは紛れもなく令呪だ。つまり、相手もサーヴァントを連れている。
「わ、私たち、材料が足りないんだ、ご協力お願い、ね」
大人しく殺されろ、と言いたいらしい。しかし、明日菜は腹に怒りと無念を抱えたまま死にたくはなかった。どうにか切り抜けられないかと、必死で頭を巡らせて、ひとつだけ思いついた。
恐る恐る、自分を殺そうとしている相手に話しかける。
「……ね、ねぇ、魔術師さん。私なんかより、殺して欲しい相手がいるんだ」
「へぇ。どんな人?」
「サーヴァント。マスターは、私のお兄ちゃん」
少女は目を丸くし、くつくつと不気味な声をあげ、ひとしきり笑った後に銃を下ろした。
「ざ、斬新な命乞いだね。初めて聞いたな。いいよ。話、聞いてあげる」
少女はレイラズ・プレストーンと名乗った。名乗ったのみで、銃口は明日菜に向けられたままだ。
明日菜はレイラズに対し、瀬古家が聖杯戦争の主催者たるドロレスと結託していることをはじめ、思いつく限りの情報を話していく。
「あ、そ、そうだ……確か、ドロレスの他にももう一人マスターがいて、同盟を組んでるって。でも、お兄ちゃんはまだ接触してない。今なら増援は来ないの」
臆すれば殺される。そんな初めて突きつけられた殺意ばかりが頭の中を渦巻いていて、もはや自分でもなにを言っているかわからなかった。
「へぇ……そんなに嫌いなんだ、家族のコト」
「え、えぇ、そうよ! だって、お兄ちゃんがいなかったら、私、こんな体になんて!」
「あ。お帰り、アサシン。あ、新しい召使いが手に入ったんだ」
レイラズに尋ねられるがまま吐露してしまう中、彼女は突然明日菜の背後に向かって話しかけた。振り返ろうとした途端、撃たれた脚の傷が抉られるように痛む。
──否、本当に抉られていた。明らかに太腿の一部が欠けていて、なにか赤いものを口に運ぶ白髪の女が目に入る。間違いない、明日菜から抉りとった肉片だろう。痛みよりも気味が悪くなり、そのまま吐き気に任せて吐瀉物をぶちまけてしまう。
だが、アサシンと呼びかけられていた彼女はまったく明日菜を気に留めることなく、濁りきった瞳であらぬ方向を見つめ、ぶつぶつとなにかを呟き続けるばかり。
彼女が、レイラズのサーヴァントなのだろうか。
「そ、それじゃあ……貴女を人質に、お兄ちゃんを殺してあげる。それでいいね?」
明日菜は頷いた。脚の傷によりまっすぐ立っていられず、嘔吐のせいで口の中は酸っぱかったが、死んではいない。
むしろ──明日菜はこれからだ。レイラズとアサシンが邪魔者を殺し、今度は明日菜が聖杯戦争に参加する。
決して愉快ではない状況に置かれながらも、明日菜は無意識のうちに笑っているのだった。