霜ヶ崎市にある数少ない高層ビルのうち一つには、かなりの上階をワンフロアまるまる買い取って住んでいる大金持ちがいるという。
別荘なのか、長らく不在であったその大金持ちだが、つい先日帰国していた。その名は『ソラナン・フィアーリア』──赤毛に髭を蓄えた、老齢の男である。
彼は霜ヶ崎市を一望できる大窓の部屋にて、安楽椅子に腰掛け、なにやら古いアルバムを眺めている。
そんな彼の傍らに、突如として少女が現れた。白髪に空色の瞳で、ばつの悪そうな表情をした女の子。サーヴァント、アーチャーである。
「おう、よく帰ったな」
彼は自らのサーヴァントの帰還を認識すると、アルバムを机に放った。そこに収められている写真は、アーチャーと同年代であろう少女のものばかり。着飾ったものから全裸体のものまで、様々である。
しかしアーチャーはアルバムに視線をやることなく、真っ先に口に出したのは謝罪であった。
「ごめんなさい。せっかく作ってもらった礼装、壊してしまったの」
「問題ないとも。あれは逸話通り、ただの堅くて重い杖。君の魔術特性を活かせるよう調整したとはいえ、英霊との戦いでは耐久できるはずがない」
ソラナンは机の下に備え付けられた小さな冷蔵庫からウォッカの瓶を取り出すと、そのままアーチャーに投げ渡した。
彼女は躊躇いなく開栓し、浴びるように飲み干してしまう。そうして瓶が完全に空になってから、主に意図を尋ねた。
「これは?」
「君はベルチェ・プラドラムに呪いを植え付け、令呪を一画消費させた。その褒美だ。
セイバーはもう脅威足り得ない」
アーチャーの宝具の一つであるあの矢には、受けた相手の魔力の流れを阻害する効果がある。いくら最優のクラスたるセイバーであろうとも、マスターがその呪いを食らい、弱体化しているのは確実。
令呪により不意を突いて窮地を脱出されたものの、次に出会う時には確実に仕留めればいい。
アーチャーは納得し、頷いた。
ソラナンやドロレスたちにとっては、他の参加者は餌でしかない。特にドロレスは、監督を行いながらもサーヴァントを召喚し、彼女らの創造主である魔術師の願いを叶えようとしている。
その過程を効率よく運ばせるのがアーチャーの役目だ。
「さてそうなると……次は他の不確定要素の排除か。現状居所が把握されているのはアヴェンジャーだが」
その名を口にした途端、勢いよく扉を開け放ち、飛び込んでくる人影がある。敵襲ではない。ドロレスのうち、常にこのソラナンの工房に常備されている一人である。
彼女は間髪入れずに報告を開始する。
「五百八十七号より伝令でございます。アヴェンジャーのマスターと接触し、殺害を試みましたが失敗。現在撤退中ですが、アヴェンジャーにしつこく追いかけ回されている、と」
「キャスターは執筆を急がせているのではなかったのか? まったくドロレス嬢も気まぐれだな、造り主に似たのかもな」
ソラナンはアーチャーに目配せする。出撃だ。
「出番だ、アーチャー。宝具の開帳を許可する」
「えぇ。安心してマスター。ちゃんと殺してくるわ」
無邪気に残酷な笑顔を浮かべ、少女は霊体となって部屋から消失する。残った老人は相変わらず椅子に腰掛けたままで、机上のアルバムを再び手に取った。
◇
飛び去ったキャスターたちを追いかけていたアヴェンジャーだが、標的を見失うと立ち止まる。彼女を突き動かしていたものが唐突になくなってしまったみたいだった。
一方の小夜はすでに体力の限界を迎えており、走ると言うよりよろめいている。肩で息をしつつ、なんとかアヴェンジャーの隣まで歩き、気力が尽きてへたり込む。
「はぁ……はぁ……やっと追いついた……」
「ごめんなさい。勝手に突っ走ってしまって」
小夜はきょとんとしてアヴェンジャーを見た。燃え盛っていた髪の先はぼさぼさの金髪に戻り、先程までの苛烈さは纏っていない。キャスターがいなくなったから、だろうか。
「い、いえ全然。お知り合いとかですか?」
アヴェンジャーは首を振った。
「でも。あの人だけは、殺さなくちゃいけないの」
キャスターも同じサーヴァント。聖杯をめぐるライバルとなる存在だ。彼女が敵意を燃やすのはおかしくないかもしれない。もっとも、彼女は物理的に燃えていたのだが。
聞きたいことは他にもあるが、息切れでうまく言葉に出来ない。早々に諦め、一緒に帰ろうと、アヴェンジャーの上着のぼろぼろの袖を引いた。
「──待って。誰か来るわ」
「誰かって……もしかして」
サーヴァントか、と言い終わるより先に、街灯の上に立つ少女が目に入る。アヴェンジャーやキャスターと同じく小さな女の子だ。
彼女はお人形と見間違うほどの完成された顔立ちで、素肌やインナーが透けて見えるような薄い生地のドレスを身にまとっていた。風にあおられ、薄桃色の下着がちらちらと見えていたが、気にする気配はない。
呆然とする小夜を前に、彼女は天使の微笑みを浮かべる。
「こんにちは、シスターさん。そして、さよなら」
小夜が可愛らしくて物騒な女の子に出会うのは、今日だけでもう四人目だった。
虚空から、彼女の手の中に一本の矢が現れる。鳥を模して造型されている大振りのものだ。彼女はそれをくるくると回し、短剣を持つように構え──街灯の上から一直線に飛び込んでくる。
それは明らかに人間を超えた速度であり、小夜の反応速度をはるかに上回る襲撃だった。
「危ないッ!」
肩が外れそうなくらいの勢いで引っ張られて、それがアヴェンジャーに助けてもらった際の衝撃だと理解する前に、小夜は地面に倒れていた。
すぐ横には、凶器を手に佇む少女の姿がある。腕はすでに振り上げられており、あとは振り下ろされるだけ。そこへアヴェンジャーの放つ炎が飛び込み、手ごと矢を燃やし尽くすことで時間を稼ぐ。
少女の火傷はみるみるうちに修復されていくが、その数秒の間にアヴェンジャーは小夜を抱え物陰へと連れていった。
「あちち、火傷しちゃった。責任とって死んでくれるかしら?」
「それは私の
突如襲いかかってきた謎の少女に対し、一歩も譲らないアヴェンジャー。小夜をかばって立つその小さな背中が頼もしい。
「弓を持たずに矢を振り回しているけれど……あれはきっとアーチャーのサーヴァントだわ。狙い撃ちされないよう、気をつけて」
そう言って、アヴェンジャーはアーチャーへと向かっていった。数十センチはある大型のマッチを手に、その先端に燃え盛る炎を掲げて。
アーチャーがそれを迎え撃ち、飛び出した。少女と少女の距離は一気に縮められる。
先に仕掛けるのはアーチャーだ。手にした矢がアヴェンジャーに突き立てられ、しかしそれをマッチで防ぐ。軸の木材に突き刺さるが貫くことは叶わず、その隙にアヴェンジャーの炎を纏った蹴りがアーチャーへと繰り出される。
靴先が腹部にめり込んだ、かと思われたが、アーチャーは直前で受け止めていた。むしろ彼女が掴んだ足先を靴ごと握りつぶしたことにより、骨片の交じった血液が飛び散る。
痛みに表情を歪ませ、相手の圧倒的な握力に驚いたアヴェンジャーの体勢が崩れた。それを好機と見たアーチャーは突き刺さった矢を力任せに引き抜き、もう一度振り下ろす。防御行動は間に合わない。
その瞬間、いまだ流れ出ているアヴェンジャーの血液が炎へと姿を変え、彼女の体を覆い隠した。突如現れた炎熱に怯んだアーチャーはすかさず攻撃を中止して退避し、構え直す。
──聖杯戦争がおままごとなら、どんなに微笑ましかったことだろう。しかし、それは人智を超えた者同士による潰し合い。
傷はみるみるうちに修復され、虚空から武器を生成し、血が
そんな光景を前にして、小夜は呆然としているしかなかった。
アヴェンジャーは破壊された脚をすぐさま作り直し、アーチャーとの更なる戦いが繰り広げられる。
身体能力で上回るアーチャーの攻撃を、炎の障壁による奇襲を使い寸前で躱し、傷はすぐさま修復できる程度に抑えている。
だが単純な戦闘能力の差が見え始めていた。防戦一方ながらどうにか耐えていたはずだったアヴェンジャーも、次第に止まぬ攻撃を前に押されている。
このままでは押し切られてしまうだろう。アーチャーの矢に貫かれ、アヴェンジャーが地に膝をつくかもしれない。
だからといって、小夜にはなにもできなかった。ドロレスの時は偶然冷凍ビームを出すことができたけれど、今どうやって使えばいいのかも、あのアーチャーに通じるのかも分からない。
小夜がただ拳を握りしめるしか出来ない中、アーチャーは相変わらずの笑顔を浮かべている。
「もう、遊びは終わり。いくよ」
彼女が手にした矢を掲げると、その頭上には雷雲が立ち込める。迸る雷撃は掲げられた鏃の一点に集い、そのエネルギーを循環させ、より激しく音を響かせている。
放たれるあまりに強力な魔力の気配。小夜は息を呑んだ。あれだけの力が解放されれば、一帯は塵に還るに違いない。
そんな状況を前にして、ある時、アヴェンジャーは小夜の方を振り返り、頷き、放電の音の中に叫んだ。
「信じるの。幸せはいつか訪れるって」
その言葉とともに、アヴェンジャーの体が燃え上がる。少女の体内に秘められていた煉獄が溢れ出し、大気を巻き込み渦をなす。
宝具──サーヴァントが持つ逸話の体現、必殺の一撃。今ここに、それが激突しようとしていた。
「我が名の下に荒れ狂え──『
空高く跳躍するアーチャー。上空から投げつけられる矢は雷を纏いながら地へと迫り、やがて破裂するとともに、内包していた電撃が解き放たれる。
それは雷神による裁きの嵐を彷彿とさせるものであり、まるで破壊を象徴するかのように降り注ぐ。
だがアヴェンジャーもまた、自らの炎を解き放つ。
「回る回る、炎は回る。冷たい路地を温めて。
歌う歌う、焱は歌う。それは泡沫唯の幻想。
──さぁ。ユメを見せてあげる」
マッチ売りの少女の炎は、幻想を見せる。彼女が望んだ温かさを。彼女が望んだ優しさを。そして、時には、彼女が望む強さをも。
自分自身を燃料とした炎の内より現れるのは、空から迫るモノと同じ雷霆である。
地より天へと昇る彼らは上空で雷を相殺し、今まさにアーチャー目掛けて跳躍せんとするアヴェンジャーの路を作り出していた。
大地を蹴り出して、雷鳴同士が激突し続ける空を突き進む炎。やがて彼女はアーチャーのもとへと至り、その真名を告げる。
「──『
炎の塊が一本の大木の形を取りながら、無防備になったアーチャーに叩きつけられた。紅蓮に飲み込まれ、白銀の少女はそのまま地へと落ちていく。
彼女が地面に叩きつけられるころには、雷鳴も止み、アヴェンジャーが纏う炎ももとのように彼女の体内にしまい込まれていた。
だが、体のほとんどが黒く焼き焦がされていながらも、アーチャーは立ち上がる。
「……こんなの、つまんない」
逃亡する体力は残っているらしく、よろめきながらも跳躍し、破壊を免れた家屋の向こう側に消えていく。
しかしアヴェンジャーもまた気絶寸前であるらしく、彼女は小夜に駆け寄ると、ふらり倒れかかった。
「……
「わ、私は大丈夫ですけどっ、あの、アヴェンジャーさんの方が大丈夫じゃなさそうというか」
「いえ……少し休めばなんとかなると思うわ」
そんなことを言いつつも、自分自身を燃やしていた彼女の体は下手に触れば火傷しそうなくらい熱かった。
すぐにでも連れ帰らないと。
「あの、私も限界なんですよね、体力。だから早く帰って、お風呂入って、ゆっくり寝ましょう」
「……えぇ。そうね。あなたの居る場所が、今の私の帰る場所なのね」
焼け焦げた痕の残る道の上で、少女は暖かく笑ったのだった。