夕方になり、放課後のチャイムが鳴り響いた。
生き物係の暮らしている孤児院は、正式な学校として認可されているわけではないが、やり方を踏襲している。
そのため、夕方には『授業』が終わり、夕食を食べさせた後、それぞれの部屋に帰って眠るというのが日常だ。
今日もそれは変わらず、生き物係は自分の部屋へと戻っていった。
決められた就寝時間は18時。そのため、帰るとすぐに入浴時間とされている。生き物係はお風呂を沸かし、その間、今日あった出来事について考えていた。
朝、委員長と共に行った謎の儀式。あれによって委員長の胸には風穴が空き、雰囲気が少し変わった気がする。
というのも、振る舞いのほとんどはいつもの委員長なのだが、少しぎこちないのだ。
例えば、他の子供たちへの命令が減っていた。先生や子供たちの名前を覚えていなかった。
贄にウサギを使ったせいで先生にお説教を受けたとき、委員長が庇ってくれた。
特に庇ってくれたことに関しては、先生も生き物係も驚いていた。おかげで役割は剥奪されなかったが、委員長がそんなことを言い出すとは思っていなかったのか呆気にとられたのだ。
そしてその違和感は、まだ重ねられていくことになる。
部屋の呼び鈴が鳴り、生き物係は慌てて扉を開けた。基本的に、子供たちが勝手に外出することは禁止されていて、こんな時間にやって来るのは先生だと思ったからだ。
だが違った。扉の向こうに立っていたのは委員長で、彼女は部屋に堂々と上がり込むと、困惑する生き物係に顔を近づけ、問いかけた。
「いっちゃん。貴方がどうしても叶えたい願いって、なにかしら」
──願い?
そんなことは考えたことがなかった。役割から逸脱しないことがなによりの命題で、やるべきこと。それ以上のことを望んだことなどなく、どう答えればいいのかわからなかった。
「……無いの? へぇ。人間って、わからないものね」
委員長は不思議そうに首を傾げた。
不思議なのは、彼女の方だ。規則を破ってまでこんなことを聞きにやってきたのだから。
生き物係がそんなことを考えているとはつゆ知らず、多少の思索の後に、委員長の声が響いた。
「もし聖杯を手に入れてもなにもないのなら、この子の願いを叶えればいいだけよね。えぇ、そうするわ」
何かに納得したらしい彼女は、これでもう話したいことを話しきったらしかった。唖然とする生き物係をよそに、さっさと部屋から出ていこうとした。
だが外に出ると先生に見つかるかもしれない。思わず袖を掴んで引き留めてしまい、委員長は振り返った。くるくる巻いたツインテールが揺れ、彼女のツンとつり上がった目が向けられる。
「安心しなさいな。いっちゃんの敵は私が倒してあげるから」
その発言の意図がわからないまま、彼女は出ていってしまう。ひとり残された生き物係は、しばらく扉の前に佇んでいるばかりであった。
◇
アーチャーとアヴェンジャーによる宝具の解放とその激突は、人気のない裏道に大きな痕跡を残した。それは血痕であり、破壊の痕であり、そして魔力の気配である。当然、それらは他のサーヴァントを引き寄せる。
日は沈み始め、アーチャーは撤退し、小夜とアヴェンジャーはすでに教会に帰り着いているころ。
この裏道を戦場とすべく、濃厚な血の気配を漂わせた者たちが現れる。ひとりは病的に白い肌の少女、もうひとりは胸に風穴を空けた少女。
アサシンとランサーだ。
アサシンの傍らにいた魔術師はランサーの姿を見るなり、自らは物陰に退避した。一方でアサシンはそんな自らの主の行動を気にも留めず、眼前の少女を澱んだ瞳で見つめ、そして舌なめずりをした。
「恐ろしい傷口だわ。胸を抉られ、骨が空気に触れるなんて……おぞましいわ」
言っていることとは裏腹に、その顔は恍惚に満ちている。アサシンの加虐性にした表情に、ランサーは会話の通じる相手ではないと判断したのか、胸の風穴から
「あなたを討ち取れば、私の功績になるのよね。殺させてもらうわ──」
ランサーによる宣戦布告の言葉が終わらぬうちに、アサシンは彼女に迫っていた。
殺人鬼の手に握られた大振りなノコギリが少女の肩を切り裂こうと振り下ろされ、しかし少女の体には届かない。アサシンの腕にはランサーの胸から伸びる枝が絡みついており、軌道がずらされたのだ。
その瞬間より、戦いの火蓋は切って落とされた。ランサーの振るう枝の槍がアサシンの持つ鞭を弾き飛ばし、かと思えばアサシンの鉈がランサーから伸びる枝を叩き切る。
次々と繰り出される凶器と、体内から這い出でる植物。まったくただの人間では起こり得ない応酬を、ふたりの少女は演じ続ける。
ランサーが踏み込み、アサシンの懐へと突きを繰り出す。その一撃は虚空から編み上げられた金属の拘束具に阻まれるが、本命はランサーの背中から伸びる三本の枝だ。植物に有り得ない速度で伸長し、アサシンの柔肌を狙う。
アサシンがとったのはバックステップだ。いまだ伸びゆく木々はアサシンを狙い続けているが、ふたりの間に突如鉄人形が現れる。
本来ならば犠牲者を杭まみれの内部に誘い込み、血液を搾り取るための残酷な人形。ただ、今は盾として、そして武器として振るわれる。
鉄の乙女がアサシンにより持ち上げられ、ランサーに叩きつけられた。横からの重い殴打に対してしなやかな枝を展開し衝撃を吸収させるランサーだが、受け止めきった直後に鉄の乙女から数多の杭が伸び、彼女に襲いかかった。
枝と杭が衝突し、互いにへし折れ、数秒後にはふたりの間には鉄人形しか残っていない。しかしランサーは退避を選ばず、むしろ踏み込んだ。
鉄人形と枝の槍が激突し、火花が散らされた。ただの木ならばここで砕け散っていたことだろう。
しかしランサーのそれは強い神秘を宿しいたがゆえに、鉄の壁を貫き、アサシンの右肩へと真っ直ぐに向かってゆく。
皮膚を突き破られ、血液を散らすアサシン。その影響か鉄人形は消失し、代わりに小さなナイフを手にランサーへ飛びかかる。
槍はより深く突き刺さるが、彼女はそれよりもランサーへの加虐を求めるように迫り、数度振り抜いたのを避けられたのち、ついに頬を裂くことに成功した。
彼女はその返り血を躊躇わずに舐め取り、鋭く伸びた爪までしゃぶり、恍惚の表情を浮かべた。
しかしアサシンの右肩には、ランサーの手にしていた槍が突き刺さり、その尖端は背中側に顔を出している。
ランサーにはその思考が理解できなかった。
明らかにアサシンの方が傷ついており、先程のナイフは掠めただけ。微量な魔力で修復できる切り傷しかついていない。
なのに、相手の浮かべた表情は恍惚。苦痛ではなく快楽を味わっている。その意図がまったく読めず、ランサーの思考は停止してしまう。
最小限の警戒は残していても、それはいつ攻撃態勢に入るかわからないことに対してのもの。わけのわからない相手を前に、幼いランサーは身構える他にない。
戦闘は停滞していた。アサシンにも、ランサーにも、この場に新たなサーヴァントが現れる可能性など、忘れてしまっていた。
濃厚な血の匂いに釣られ現れるものが、さらなる災厄であるとも知らず。
「──え?」
その瞬間、ランサーの右腕は消失していた。
否。一瞬にしてちぎり取られたのだ。いまだ血の味に浸るアサシンではなく、新たにこの戦場へと降り立った金色の影に。
いくら元々ただの人間の体だったとしても、サーヴァントと同化したことでCランク相当の耐久を与えられている。だというのに、いとも容易くちぎり取られた。
それはこの敵が並の英雄ではないことを端的に示している。
ランサーは植物により傷口を止血しつつ、代わりの腕を形成し、新手の敵に対して最大限の警戒を払う。
「やっと見つけたわ。お兄様の敵で間違いないわよね?」
金色の装飾を身に纏った少女──バーサーカーは、ちぎり取ったランサーの腕を投げ捨てた。