破却──ダウトフル・クラスガール
昨夜、規則を破って外出していった委員長が帰ってきていた。早朝から仕事のある生き物係が教室へ赴くと、笑顔で挨拶をして出迎えてくれる。
しかし、彼女の姿はまた一段と人から離れてしまっており、生き物係は立ち尽くした。委員長の片腕は人のものではなくなり、複雑に絡みついた植物の蔓に置き換わっていたのだ。
なぜか、昨日は誰も胸の風穴を気にしていなかった。けれど、今度は隠し通せないのではないか。もしそうなったら、彼女の役割は剥奪されてしまうのではないか。
そう危惧しつつも、花の水やりとウサギの餌やりをこなす生き物係。傍らに委員長も付き添って、授業が始まるまでの時間を二人きりで過ごす。
彼女はなにも言わず、ただ仕事の補佐をするばかり。生き物係はやがて耐えられなくなり、水やりの手を止めて彼女に訊いた。
「あ、あの、その腕」
「あぁ。大丈夫よ、日常生活に支障はないわ。私がサーヴァントだって知らない相手には、普通に女の子に見えるのよ」
生き物係の危惧していたことにはならないと言ってくれる彼女だが、しかし、生き物係は安心できなかった。このまま委員長の姿が失われていくことが怖かったのかもしれない。
胸の風穴、植物の義手。いずれ、全身がすべて植物になってしまうのではないか、と。
胸の内に不安を抱え、また昨日の出来事を聞くこともできていないまま、やがて授業開始の時間がやってくる。
教室に戻り席についていると、扉を開いて先生が現れる。スキンヘッドの中年男性で、少々小太りである。
生き物係は知らないが──先生と呼ばれている彼は、この聖杯戦争の仕掛け人であるドロレスに雇われ、そのおこぼれにあずかろうとしている男だった。
彼は孤児院を与えられ、次代の魔術師たちを育成せよと命じられた。ドロレスの目的と、彼の支配欲とを効率よく満たすため、このような学校という形式になったのだ。
よって、彼が定めた規則に反し、その機嫌を損ねた生徒は、役割の剥奪と称して抹消される。今までも、何人かの生徒たちが行方不明になっていた。
そんな先生が委員長を別室へ呼び出したのは、最初の授業である初歩の魔術講義が終わったすぐ後だった。生き物係はこっそりと後ろをつけていき、部屋の外からその様子を覗き見る。
「委員長くん。どうして呼び出されたか、優秀な君ならわかるね?」
委員長は首を傾げ、少し考え、思い当たる節があったのか手をぽんと叩いた。
「前例を鑑みるに、功績を称えられるのかしら!」
机に拳が叩きつけられる。生き物係は驚き、小さく飛び上がった。
「規則を破っておいてよくそのようなことが言えるな」
昨日、生き物係を庇ったときから、先生は委員長に目をつけていた。夜の間も彼女を監視していたとしてもおかしくない。昨日の出来事は筒抜けだったというわけだ。
「昨夜はなにをしていた? 君ならばこうなることくらいわかっているだろうに、わざわざ外出するなど」
だが、生き物係が最も気になるところである、外での彼女の動向については把握していないらしかった。それを聞き出そうと詰めよる先生だが、委員長は答えをはぐらかす。
「関係ないでしょう? あなたに不利になることじゃないのは確かだけど」
「生意気な口を……ただの生徒が私に口答えなど」
「委員長にとっては先生でも、私にとってはそうじゃないもの」
以前の委員長は先生に取り入ろうと、率先して彼の手伝いをし、評価につながるように行動していた。だが、今の彼女は違う。
先生が目上だという認識も実感もないように、悪意なく彼を否定している。
それに腹を立てた彼はコートの内ポケットを漁り、一枚の紙を取り出した。現代社会ではほぼ見かけない羊皮紙であり、生徒たちが孤児院へと入院すると同時に書かされる術式文書。
「これがあるのを忘れたか」
生徒たちに与えられたまだ中身のない真四角の刻印であっても、その機能が正常に作動しているのなら、
その書面には、契約が交わされた証明である血印、とうに成立しており脈動している呪術式、そして反抗を禁ずる旨が記されている。
契約の内容に抵触した──つまり、先生に反抗したとみなされれば、例えそれが故意でなくとも呪いは起動する。
刻印が内部から契約者を蝕み、やがて体液を噴き出して死に至ることだろう。
それを前に、委員長は目を丸くした。
「ちょっと待って……えぇ、確かにそれは委員長のものみたいね」
「君には
私は昨夜、君を監視していた。生き物係の部屋に行っていたこともわかってるんだよ。
さて、罰を与えなければならない他の生徒がいるから私はここで失礼するよ」
即ち──それは、委員長への罰として生き物係を標的にすると言っているも同義であった。
それを理解しているのかいないのか、委員長は呆然と立ち尽くし、先生は部屋を後にしようとする。
覗き見していた生き物係は震え上がり、扉の近くから慌てて離れようとした。視線を外し、隣の教室へ駆け込もうとし、他の生徒とぶつかってお互いに倒れてしまう。
相手の女の子の眼鏡が衝撃で廊下に飛んでしまっており、生き物係は今度はそれを取りに行こうとした。
その最中で、ふと振り返り、部屋の中の委員長が視界に映る。彼女と目が合って、にこりと笑ってくれる。
その傍らには──胸から枝を生やし、苦悶の表情を浮かべる男の姿。
「な、なぜだ、どうして……!?」
「ごめんなさい。
委員長の義手から伸びる植物は確かに男を貫いていたが、魔術刻印は起動しておらず、委員長が死に至る様子はない。
むしろ、彼女の扱う植物たちは次々と男の体を破壊しはじめ、あたりに血をまき散らしながら、人の形をなさなくなっていく。
悲鳴をあげる間もなく、委員長と生き物係のほかの誰にも気が付かれることなく。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
先生がこの世から消失していく衝撃的な光景に見入っており、生き物係は眼鏡の少女に話しかけられやっと我に返った。
彼女に助け起こされ、その時ちょうど、部屋から委員長が出てくる。
「あなたは……清掃委員ね。ちょうどよかったわ、少し汚してしまって。手伝ってくれないかしら」
「あ、はい!」
助け起こしてくれた眼鏡の少女はぱたぱた走って掃除用具を取りに行った。彼女を待つ間、生き物係と委員長は再び二人きりだ。
先程まで委員長がいたはずの部屋には、夥しい血痕と、一度見ただけでは人のものと認識できない肉片が落ちている。生き物係は恐る恐る、傍らの植物少女に声をかける。
「い、委員長……先生は……?」
「安心して、マスター。あなたを害するものは私が消してあげるから」
やはりあれが先生の成れの果てなのだと、生き物係は理解せざるを得なかった。そしてなによりも先に、先生がいなくなったらどうすればいいのか、またしても不安が襲ってくる。
あれからずっとそうだ。昨日の朝の儀式からずっと、不安ばかりが生き物係に付きまとう。
向けられる委員長の笑顔はやはり作り物の人形のようで、寒気がして、少年は背筋を凍らせた。