早朝、日が昇りきらないような時間帯。明日菜はひとり家を抜け出し、ひとりの少女と会っていた。真っ白な容姿のホムンクルス、ドロレスだ。
令呪を授けに現れたときとは異なり、髪を結ってポニーテールにしていた。
彼女を呼び出したのは明日菜のほうだ。どうしても、聞かなければならないことがある。
「なんの用でありますか? マスターはあなたでなく、あなたの兄のはずですが」
「私は知りたいことが知れればいいだけです。
……サーヴァントを殺して、今度は違うサーヴァントを召喚することはできるんですか」
明日菜の目的はバーサーカーの排除、そして自らが聖杯戦争へと参加することだ。他のマスターからサーヴァントを奪うのは、レイラズとの接触で困難だと理解している。
だとしたら、主催者であり監督役でもあるドロレスに取り計らい、新しい枠を用意してもらうしかない。
ドロレスは考える間もなく、すぐさま言葉を返す。
「可能でありますよ。霊脈にダメージは残るかもしれませんが、聖杯そのものは我々の手にありますので。その場合は聖杯に還った魂を用いることになるでしょうから、少なくとも一騎の脱落が必要になるでしょうが」
「……! なら、もし枠が空いたら!」
「いいでしょう、あなたに令呪を授けるであります。
ですが、なぜそこまでして聖杯戦争に参加を? 瀬古の家からはすでに兄上が出ているでありますよ?」
少女が首を傾げ、白髪が揺れた。色の抜け落ちたような白は明日菜が一番嫌いな色だった。けれど、ドロレスが次期マスターの席を用意するという確約は明日菜の気分をよくし、苛立ちをかき消す。
その問いも余計な詮索でしかなかったが、明日菜は答えてやることにした。
「私は父の
明日菜はスカートをめくりあげ、太腿を露出させる。
それは年頃の少女の細く健康的な腿ではなく、拡張された静脈が青黒い筋となって透けて見えていた。
時折、その管の中では血液ではないなにかが動き回っており、皮膚を押し上げ不自然な隆起を形作っていた。
「……なるほど。瀬古家は独自に聖杯戦争への準備を進めているとは聞いていましたが、まさかそのような方法とは」
ドロレスは表情こそ変えなかったが、その頬に一筋の汗が伝っているのを明日菜は見逃さなかった。彼女は話題を逸らすように咳払いをし、続ける。
「話は以上でありますか? 我々は自身の職務に戻りたいであります」
「はい、これで終わりです。私、期待して待っていますね」
去っていくドロレスの背中を眺める明日菜。その顔は、今まさに昇っている朝日の下にふさわしい晴れやかであった。
◇
──そして、明日菜とドロレスの密会から数時間後。
バーサーカーの召喚から一夜明け、瀬古家の食卓では三人が席につき、とても気まずい雰囲気の中で食事をとっていた。
「はい、あーん」
「……あの、オレ、自分で食べられるんだが」
「あんな穢れた女の作る料理にお兄様の手を煩わせるわけにはいかないわ」
バーサーカーはれんげで春の口元に味噌汁を運び、強引にも食べさせている。そんなふうに恋人のように振る舞いつつも、明日菜のことは眼中にないどころか見下している。
明日菜にとって、バーサーカーはどうしても癪に障るサーヴァントだった。父が作り上げた明日菜の体を悪趣味と蔑み、家名を貶めただけでなく、こうして兄に擦り寄っている。
どうしようもなく目障りだった。
昨日、魔術師の使い魔──恐らくレイラズのものだろう──による襲撃を受けた兄の傷は、ほとんど軽い引っかき傷や打撲で済んでいた。かけられた呪いもほとんど無力化されており、明日菜には簡単に解呪できてしまった。
彼曰く、バーサーカーの持つマスターを護るスキルによる加護だという。
加えて、バーサーカーは兄の危機を察知し、一瞬にして救援に現れた。
それはつまり、兄を殺すことでバーサーカーを消滅させるのは困難だということを示していた。
他の手を考えないと。明日菜は焼き魚をほぐして口に運びながら、バーサーカーと兄の顔を見比べていた。兄は妹の視線に首を傾げて応える。
「どうかしたか、明日菜?」
「ううん。お兄ちゃんが普通にご飯食べられてよかったな、って」
「あぁ。バーサーカーが呪いも物理攻撃もだいぶ軽減してくれたみたいだからな」
それがなければどれだけよかったことか。そう思っても口には出さない。代わりに白米を押し込んだ。着々と食卓の料理は減っていき、二人分の空の食器が残る。
「ごちそうさまでした」
「あぁ、ごちそうさま。久しぶりに作ってもらっちゃったけど、明日菜の手料理は美味しいな」
普段兄がやっているはずの家事を代わりに済ませたのは、兄が気絶したように眠ったまま起きなかったからだ。
仕方なくやったことで褒められても、嬉しいとは思わないはず。だって相手は、昨日自分が殺そうとした相手なのだ。
そう思ってはいても、明日菜の頬は勝手に熱くなっていて、それを見たバーサーカーが茶化してくる。
「あら……お兄様の褒め言葉に頬を染めるだけの人間らしさがあったのね、あなた」
「おいバーサーカー、そういう言葉はやめろって」
「はいはい。
そうだわお兄様、まだ戦い足りないのだけど、思いっきり動いてもいいかしら?」
「……ああ。できれば早く勝負を決めてくれると嬉しいよ。オレの魔力にも限りがあるからさ」
引き止めても意味がないとの判断なのか、春はすんなりとバーサーカーを送り出した。
春の魔力量は平均的な魔術師のそれと大差ない。さらに彼女のクラスは狂化により魔力の消費が激しくなるバーサーカーだ。
そのうえで彼女が好き放題の戦闘行動をとるならば、春の魔力は枯渇し、やがて吸い尽くされ死に至るだろう。
今朝、傷は深くなかったのに兄がなかなか起きてこなかったのも、魔力消費のせいに違いない。
最も、干からびて勝手に死んでくれるのなら、明日菜にとってそれでいいのかもしれないが。
「それじゃ行ってくるわ。首は持って帰ってきても?」
「捨ててきてくれ」
バーサーカーなりのジョークだったのか、彼女はくすくすと笑いながら外に出ていった。
これで、瀬古家には再び兄と二人きりである。
皿を洗いながらバーサーカーを見送った明日菜は、さっさとその仕事を終わらせると、地下の工房へ降りていった兄を追った。
暗い部屋への道を、一段一段と降りていく。
地下室は明日菜が両親と出入りしていたときとほとんど変わらない。両親の遺品がほとんど手付かずで置いてある。
以前目にしたときと変わっているのは、培養槽がひとつ割れており、内部で凍結してあった胎児が消失していることくらいか。
そんな魔術道具が無造作に散乱している中で、彼は一冊の魔導書とにらめっこしている。
「何見てるの、お兄ちゃん」
「ん? あぁ、これな。昨日、これに触ったら勝手に魔力回路が奮い立って、バーサーカーを召喚したんだ」
そのページに刻まれてある魔法陣は、サーヴァントの召喚に使うものではないのだが、兄がそう言うのならそうなんだろう。聖杯という奇跡の産物が関わっている以上、なにが起こるかは測りしれるものではないはず。
そんなことよりも、明日菜は兄に言いたいことがあってやってきたのだった。
「あのねお兄ちゃん。お願いがあるんだけど」
春の顔がこちらを向いた。
「バーサーカーを自害させてくれないかな」
驚きに目を見開き、同様に瞳が揺れ動くのがわかる。妹のために戦ってきた春にとって、いきなりそんなことを言われる筋合いはないに違いない。
だけど、それは兄がなにも知らないからだ。
「私の方がうまく戦える。最強のサーヴァントの触媒もあるし、新しい令呪はドロレスさんにもらえばいい。ねえ、私に代わってよ」
「そんなの、ダメに決まってるだろ。オレは明日菜が危険な目に遭わないようにマスターになったんだ」
その前提が間違っている。明日菜は聖杯戦争のために産まれ、魔術を教えられ、体を弄られたんだから。
ここで危険な目に遭わずのうのうと、兄の影に隠れているだけなんて、できるはずがない。
さらに食い下がろうと思考を巡らせるが、それより先に兄の声が続く。
「──それにさ。バーサーカーだって、聖杯に賭ける願いがあるはずだ。そいつをオレたちの勝手で潰したら可哀想じゃないか。
……結局、ちゃんと話し合えてないだけだと思うんだよ。な、明日菜ももう少し付き合ってくれないか?」
明日菜は言葉を失った。
兄のことがわからなかった。使い魔にそれだけの親愛を注げる人格が。なにも知らずにそんなことを言える精神が。明日菜のことを、どこまでも理解せずにいられる心が。
それでも心のどこかで、明日菜は彼を殺したくないと願っている。
「どうすればいいの……?」
その場にへたり込んで、か細く呟く。
指先に触れた床には、他ならぬ明日菜自身の残した古い血痕があって、無機質な照明が淀んだ赤に明日菜の顔を映し出していた。